ファミリーアシスト あすなろ教室(輝く瞳と素敵な笑顔を求めて)

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焦点の当てどころ

2009-01-16 | 育児
 小学校生活最後の学期を迎える6年生にとって、晴れ舞台は卒業式だ。その卒業式に向けて、どんな取り組みをしているのだろう。「卒業式に向けて準備をする。」と言われたときにどんなイメージが浮かぶのだろう?
 具体的に教師自身がしなければならないことが浮かぶのだろうか、それとも子どもの姿が浮かぶのだろうか、この浮かべることの違いがこれからの取り組みの違いになってくる。
 しなければならないことが浮かぶと、することのために子どもを動かすことになる。どんな力を付けなければならないかと思えば、力を付けることのために子どもを動かす。どんな構えをもたせなければならないかと思えば、構えを作ることのために子どもを動かす。どんな子にさせたいかと思えば、願う子にすために子どもを動かす。どこに焦点を当てるかによって動きが違ってくる。
 また、することに焦点が当たるとすることができる環境を整えることへと焦点が広がる。力を付けることに焦点が当たると力を付けるためにすることやそれができる環境へと焦点が広がる。構えに焦点が当たると構えさせるために力を付けることや力を付けるためにすることやそれができる環境へと焦点が広がる。願う子に焦点が当たると願う姿にするための構えを作り、その構えが身に付くための力や力を付けるためにすることやすることができる環境へと焦点が広がる。
 焦点の決め方で焦点の広がりも違ってくる。しなければならないと思ったことも焦点の当て方によってしなくてもよいことややり方を変えなければならないことになる場合がある。
 例えば、仲間と心を一つにして行動する子を目指したとき、教師が教えなければならないと思っていることが、子ども同士で注意し合ったり、気遣い合ったりするすることが大事になる。この場合、直接教師が注意をして教えることではなく、注意し合ったり、気遣い合ったりできるために、仲間の姿に気を配ることに配慮をすることになり、教師の動きは変わる。
 焦点の当て方一つで教師の姿勢が変わる。つまり、どこに焦点が当てられる教師なっているかによって指導の質が違うことになる。さて、どこに焦点を当てて指導をしているだろうか。今、自分を見つめ直してみる機会だ。