満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

続・フリクション観戦日誌

2007-05-13 | 新規投稿
何から書こう。
フリクションを観る事が叶わなかったこの11年間の空白から始めようか。『ZONE TRIPPER』リリース直後の大阪公演は95年11月。あの時も<復活>の感があり、以後の活動を期待はした。しかしその後、何と11年に及ぶ沈黙があった。
ただ、元より私達ファンは知っている。
レックは自分の要請に従う活動しかしない、本物のマイペースな自由人である事を。

<色々な人とスタジオは入っていたが、ライブはしなかった。単にそれだけ>なる意味の事をインタビューでも語っている。そうなのだ。ずっと以前から私達はフリクションに期待などした事はなかった。ライブ情報を見てライブハウスに出かけ、電撃を見舞われて家に帰る。その繰り返しだった。それで良かったのだ。
ただ、個人的な思い入れで言えば、1980年から91年の間、私はフリクションに<伴走>した。特に東京に住んだ85年から91年の間は関東圏での全てのライブに<出席>した。

つくばの29barという場所でのライブも「近いやろ」と思い込み、遠路はるばる行った。帰りの終電を逃し、朝の始発を待った思い出がある。
自分のバンドのライブ日程すらメンバーと決める時、「その日はあかん。フリクションがある。」という具合だった。何よりも優先されていたのがフリクションのライブだった。
あの頃、このように私を駆りたてたフリクションのパフォーマンスとは何だったのか。

日常生活の中にフリクションがあった。ライブの回数は決して頻繁ではなかったが、当時の私にとってフリクションは<今、共に居る>存在だった。自分の生活や感情のさまざまな局面を引きずって私はライブハウスに足を運び続けた。そしてそこで受けたインパクトを日常へフィードバックしていたと思う。そんなフリクションとは私にとってある時期から音楽性を批評したり客観的に良し悪しを判断するような対象ではなくなってきていた。もう存在自体を全的に受け止め、あとは自分が何をするのか、何ができるのかという事を自問し、表現へと向かう契機やヒントを得るための場がフリクションのライブであったと今、感じている。

極論すればそれは音楽を聴きに行っていたのではなく、自分の存在をフリクションに対峙させに行っていたのだ。「俺はここにいるぞ。俺もいるぞ」と私はレックに叫んでいたのだろう。馬鹿みたいだが。私にとってフリクションとは大げさに言えばビート=存在感をめぐる一つのアイデンティティーの認識の方法であった。

**********

この10年。何かがなかった。そう、フリクションが不在だった。
しかし私はその事を忘れてしまえる程、日常を駆け抜けてきた。脱サラ、バンド開始、CDリリース、転職、バンド活動の中断、自営の失敗、結婚、新たな仕事、本の出版・・・
数々の失敗と挫折、そして復活や達成があった。かなり忙しい10年だったであろう。
私の中でフリクションが希薄になっていた。あのレベルのビートをいつも必要としてきた私が、その不在を承知し、別の快楽軸へ移行していたのだろう。フリクションに代わる絶対的なビートを体現する存在はなかった。唯一例外はアルタードステイツだろうが、それとて音楽鑑賞的掌中の範囲を超えるものではなかった。フリクションは<好きなバンド>以上の存在だったと思う。音楽を聴く量が増える一方でありながら、何か不足感を感じているのはフリクションのような<無比の存在>足り得るものがなかった為だろう。しかし一方でその不在感を良しとする私自身の充実度が日々を支配していた事も事実だ。

そんな折り、レックが中村達也なるドラマーと二人編成によるフリクションを開始したニュースが伝わってきた。<二人だけ?すごいな。ルインズみたいや。>眠っていた私のフリクションビートが揺り起こされる日が近い事を確信、やがてそれは現実となった。


2007.3.11京都磔磔

当日券を買うため、早めに到着した私が遭遇したのは、リハーサルを終えて店の外へ一人現れた中村達也だった。軽く会釈する。すかさずサインを貰い記念写真を撮る客も。カリスマとの評判は知っている。しかし私はこのドラマーの演奏をこれまで観た事も聴いた事もない。楽しみである。やがて古い友人の大谷が現れ、近況や昔話に花を咲かせる。曰く「最近のカラオケはじゃがたらまであるで」だと。
満杯の磔磔。久しぶりに見るレック。歳をとって髪を伸ばすのは近藤等則と同じパターンか。いや、どうでも良いこと。一曲目の「raw power」をかまされた瞬間、フリクションの現在を体感する。まず発声レベルの鋭角さに感激。レックの変わらぬ意志のようなものを実感する。彼のベースギターはブンブンうなり、その大きなのうねりにドッタンバッタン絡むドラム。その印象は野性感覚だろうか。フリクションに嘗てあったシャープな切れ味、スタイリッシュなミニマルビートに替わり、レアな剥き出しなリズム、そのビートによる叫びのような感触がある。最小編成にまで行き着いたフリクション。だからこそ実現した魂のぶつけ合い。当たり前だがめちゃ本気だ。

イギーポップの「raw power」という選曲が意味するものがある。レックはビート信者でありリズムの達人だ。彼の偉業はロックの余剰を排し、シンプルなリズムの快楽を極めた点であろう。しかもそれは未だに世界中の誰も接近すらし得てない地平なのだ。(他に誰がいる?)フリクションのリズムの強さは究極であり、それは音楽の外形を綾取る一つの無比なスタイルとして機能していた。ダンス機能、トリップ機能、腰にくるそのリズムは身体性に貫かれたアクティブな音楽の本質を体現しきったものだったのだ。

逆に言えば私は今までフリクションの音楽に<内面>を感じた事はなかった。それがフリクションの快楽の特質だったと言える。

しかし今回、私はグループの新たな局面を見た。内向するドライブ感。ズレながら加速し、感情の揺れをビートで表現するような不定形なグルーブ。その印象は<裸体のリズム>であり、<剥き出しになったビートの核>だ。

つまり私はフリクションに<内面>を発見した。「raw power」にある<生>なビートの力。レックという人物による瞬間芸のようなリズム生成の現場に生身の人間が介在するスリルを観たと思う。ある意味、中村達也は異物だろう。彼の煽動、いや<叫び>が大きくエネルギーを作用している。腕の振りが大きい。スナップを効かせる技巧ではなく、体をぶつけるような技巧。身体表現のようなドラマーだ。昔、ペインキラー(ジョンゾーン、ビルラズウェル、ミックハリス)で観たミックハリスのような剛腕テクニカルなタイプだが、もっと内面をさらけ出すような<動性>を感じる。彼の演奏に私はビート以前にブルース、ソウルこそを感じた。そしてそれがレックに伝播し、そこに軋轢=フリクションが生まれた。
ある意味、この感覚は久しぶりだ。

不安定な演奏ながらも大量の汗を吹きだしてステージで燃焼していたラピス、或いはレックに<対抗>する基軸を形成していた流動体のハイテンション天才ドラマー、チコヒゲが想起された。簡単に言えばレックにケンカを売る相手が久々に現れた。それが中村達也だろう。

フリクションがソウルミュージックへと昇華してきた。リズムの強さをレベルアップし、やや混沌としながらも、その内面の魂が現れ出るような感触があった。
音楽の外形の好みを云々する余地はいくらでもある。つまり曲のアレンジ面やスタイルについて「もっとこうであればベターかな」等とそれはライブの最中にも瞬間的に思い当たる事があった。しかしそう思ってもすぐ、「いや、これでいい。このレアな感じには代え難い」と思い直すのであった。

レックの不変のライブスタンス。熱演である。
曲の合間に酸素チャージャーで酸素補給するのはご愛嬌か。いや、しかしこの潔さはどうだ。<良いギターがいないなら自分でやる>というシンプルな姿勢。かつてないほどのエフェクター操作を課しベースギターを演奏する困難に挑み、且つ、グルーブの健在を示すというのはもはや、神業か。恐れ入る。
後半演奏した「100年」「kagayaki」等はもはや普遍のビートとテーマも有する永久欠番的ナンバー。それは今だからこそ演奏されて価値が増す曲だろう。
フリクションは始まった。こうなったら新しい音源を気長に待とう。そのうちきっと現れる。それを私達は期待せず待つ。これがフリクションファンの流儀かもしれない。

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