満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

Lee Konitz Brad Mehldau Charie Haden Paul Motian 『Live at Birdland』

2011-07-22 | 新規投稿
  

私が主宰するTimeStrings Travellers時弦旅団のCD『Defreezed songs』が「ミュージックマガジン」で「ヒドい酷評されている」というメールを受け取り、本屋で確認すると、なるほど<なんちゃってプログレな単なるフュージョンバンド>などと、小馬鹿にした口調で面白おかしく書かれてある。松尾史朗なるジャズ担当の批評家による文章だが、「shades of moscow」という曲に挿入したフランス語のナレーションを‘フランス語もどきのつぶやき・・・・・’と確かめもせずに断じ、事実誤認を放置するその‘軽~い’扱いに頭にきた。‘なんちゃって’などという今時、親父ギャグにもならぬ死語を駆使して喜んでおる松尾史朗とは何者や?‘なんちゃっておじさん’を知っている俺と同じ鶴光世代か。しょーもない!等と憤りながら家に帰ってパソコンで検索すると、トップに‘マスターの松尾史朗さん’と顔写真付きで出ている。なんだ、ジャズ喫茶のオヤジかと変に納得する。昔、東京に住んだ頃、色んなジャズ喫茶で、その店主のウンチクや説教に遭遇したが、良しにつけ悪しにつけ、偏屈とこだわり(批評眼の事にあらず)はジャズ喫茶の一種、‘売り’であり、音楽に対する強烈な好き嫌いがある意味、営業上、必要なのは没個性な音楽系飲み屋が数多、消えてきた状況を見れば自明である。この松尾氏も恐らく、そんな超こだわり人種なのだろうとイメージした。しかし、私が知りたい肝心の評論活動やまとまった文章は検索しても一向に出てこず、同姓同名の別人が次から次へと登場するだけ。すると<新天狗党党首の日常>なるサイトで、‘能無し野郎、松尾史朗’という文章に出くわした。フリージャズの若手筆頭ピアニスト、スガダイロー氏のブログだが、更に同氏のツイッターで再び、‘松尾史朗は意地でも潰してくれる’との過激発言。何かを書かれたのだろう。その怒りようは、よほど腹に据えかねた様子だが、恐らくはスガ氏の作品に対しても小馬鹿にしたような‘余計なひと言’があったのではないかと推測する。

ともかく検索すれど、ちっとも批評文に遭遇しないので、買ってしまった同ミュージックマガジンでの20ほどの作品の短い批評を読むと、その語り口が嫌味で結構、面白い。当方と同じく5点という最低点をつけられた市原ひかりグループ『ユニティ』では‘まずもって曲に面白みがない。居酒屋あたりでかかって、最新のヒップなジャズと勘違いされてもなあ’とゴミ箱にポイっと捨てるかのように、これまた軽~く切り捨てられている。ブランフォードマルサリスのセルフカバー作は‘無味乾燥なセンチメンタリズムに何気なく付き合えるのは15分が限度だが’と突き放す。これは6点。マーカスミラーの『tribute to Miles Davis』では‘のっけから自らの派手なソロで存在感アピールしても、これくらい弾ける輩は腐るほどいるし、冗長なドラムソロにも辟易。一発やっつけ芸に喜んでちゃいかん’とこれも5点。この文体はエンターティメントなのだね。計らずも。本人は感じたまま素で書いているのだろうが20もの作品を聴かなきゃならないのは確かに大変だろう。従って、一回聴いて、自分の好みか、あるいはテリトリー外でも良いと感じた作品じゃなければ、早急に‘ゴミ箱ポイ捨て批評’して次々と聴いていくのかもしれない。駄目なものは速攻で嫌味コメントの餌。二回聴くまでもないだろうという感じか。

こういった辛口エンターティメント文章は読んで面白いのは事実だが、その評者は限りなく、個人的趣向に基いた印象批評しかしないので、自分のカテゴリー外の音楽に対する別の批評価値軸を探索してまで、論点を深めようとは思わない。面倒だし、そもそも字数が限られた中でのショート批評なのだから、そこまでする必要もない。哀れなのは、そんな評者に一旦、‘ダメ’の烙印を押された作品だ。埒外の作品は本来、批評を避けていいはずなのに、‘あえて語る’事で雑誌に商業的価値が出る。正に餌食になった状態で、面白おかしくこき下ろすのを読む楽しみという娯楽性が生まれているのだ。私もそんな文章を読むのは嫌いではない(今回は自分がけなされたのでムカついてるが)。ただし、そこに一定の説得力があり、言説に深みがなければ、それは単なる罵倒であり、評者の深みに欠ける‘軽さ’を露呈するという結果が待ち受けているとも言わなければなるまい。松尾史朗の文章の全体像は不明だが、自分が感じる良い作品に対する称賛や繊細な文章表現と‘ダメ出し’した作品へのポイ捨て感覚の印象批評の軽率さとのギャップがあまりにも大きい。氏に顕著なのは、思いこみによる印象操作だ。当方に対する‘怪しい雰囲気を出したいのはわかる’や、市原ひかりに対する‘最新のヒップなジャズと勘違いされてもなあ’などは、それを発した途端に、それぞれ‘そんなつもりではない’という表現者本人の反論が返ってくるだろう。松尾氏はそこを覚悟の上で敢えて‘こんなつもりなんだろ’という断定をしながら、面白おかしく書いていくのだ。‘そう感じたんだから仕方がない’という書き手に許される特権はしかし本来、客観性を帯びるには検証がいる。一方通行なので議論には至らないが、その安全地帯が余裕と軽さを生んでいるのだ。書かれた方はたまったものではない(ミュージシャンも反論すべきだろう)。もうちょっと説得力ある言葉で批判してくれたら、読み応えがあって逆に嬉しいのだが、神経を逆なでするだけの放言になっている。例えば私は別に‘怪しい雰囲気を出したい’と思って仏語ナレーションを入れたわけではないし曲調の‘怪しい雰囲気’をもって‘プログレ風’などと断じているなら、それこそ浅い読みでしかない。‘気張ってやがるな。でも至ってないよ、単なるフュージョンだ’と言うのは私に言わせれば、そのプログレすら実はちゃんと聴いていない、知らないんじゃないかと思われても仕方ない程度の浅い言説なのだ。なぜなら、氏の言う‘なんちゃってプログレな単なるフュージョンバンド’という文句からはプログレがフュージョンより上位にあるというイージーで誤った前提が感じられるし、そもそも当方はプログレではない。むしろ嫌悪している部分が多々ある。しいて言えばウェザーリポートの音楽的フォーマットやムードへの憧憬はあっても、プログレへの近似性は目指しても、憧れてもいない事を断っておく。その勘違い、致命的だ。だから軽いというのだ。しかも今回の批評でナレーションの件について事実確認を怠る姿勢などに、安易なお気楽体質が見え隠れする。少なくとも報酬を受けながら(知らないが)商業誌に書く上で必要な真摯さは感じない。音源や資料の事実確認は批評の前提だろう。

この稿を書くにあたり、一応、松尾氏本人に質問、反論しようと思い、ミュージックマガジンに問い合わせようかなと思ったが、面倒くさいので、直接、本人に電話した。
私「2.3質問があります」松尾氏「なんですか」私「‘なんちゃってプログレ’とは何ですか」松尾氏「簡単に言えばプログレのようでプログレでないという事です」私「読んでる人、それで解りますか」松尾氏「解る人には解るでしょ」私「フランス語もどきじゃなくて、あれはフランス語です。フランス人の声なのですから。確認しようと思わなかったんですか」松尾氏「僕にはフランス語もどきに聴こえたので、そう書きました」とさ。
私は松尾氏を‘なんちゃって評論家’と命名しよう。評論家のようで評論家でないからだ。もっとも「私も評論家のつもりないよ」と言われるかもしれないが。

リー・コニッツ、ブラッド・メルドー、チャーリー・ヘイデン、ポール・モチアンの『Live at birdland』はモチアンが入っているから買ったのであるが(中古で)、メルドーも嫌いではない。パット・メセニーとのコラボは愛聴しているし、ロックナンバーをやる事の戦略性もハンコックのようなレコード会社企画の受け狙いではなく、多少は‘自然なもの’を感じていた。ただ、私の元来のピアノミュージックを味わえる資質&理解力不足は、この‘天才’と呼ばれるジャズアーティストへの熱中へは至らせなかった事は事実である。『Live at Birdland』は‘アンビエント・ジャズ’の創始者たるコニッツとモチアンがメロディを空中散布させる中、メルドーがどこまで甘口を抑え、抒情寸前、なおかつ反理知的な演奏によってクールなグループ音楽なりえるかというのが私の期待値のポイントであったが、最初は、ちょっとリリシズムに流れるなあと感じつつ、ヘイデンの黒さに救われるという場面がそれを相殺したりと微妙な感想ではあった。
が、結局、何回か聴くうちにだんだん、その世界に引きずり込まれ、好きになってくるという典型的なスルメ味の好盤であったわけだが、このアルバムに対して、またしても松尾節が炸裂していたのである。曰く「(略)でも感想は一言「もったいぶってるねえ」。セットリストも決めないステージだって?コニッツが何百回と演じてきた曲ばかりでしょ。かしこまった、いかにもな録音。ゴダールによるジャケットデザイン。演出過剰よ。「待ってました真打ち!」って、いやたまらんね。各自の自己主張は申し分なく強いけど」
もはや、話芸の領域ですな。7点だから音楽的には可としたのだろうが、鼻につく作為を感じた事がまたしても嫌味全開になったのか。でもまたしても暴論気味なところあるぞ。‘かしこまった、いかにもな録音’って、この音質はいつものECMの典型じゃない。エスニックさえエアークリアーな零度パッケージするレーベルカラーは承知の上だろうに。今になってケチつけなくてもと言いたくなるね。ゴダールのジャケットに‘ええカッコしい’を感じたのは私も同じだが、コニッツはともかく、ブラッド・メルドーの以前のアルバムのカバーワークの数々からいわゆる‘音だけ出してハイ、後はお任せ’的なアート無頓着なプレイヤーではなく、多分にトータルアート気質な人物であることは承知していないのか。演出過剰と言う前に、逆にこの音で静止画風景のいかにもECMなジャケットでこられた方が、‘もっともらしい’と感じられる事もイメージしてはどうか。私ならその方が嫌だな。もしかしたら、この静謐で品格ある音に少しダサめのジャケットだったりするとより好感が持てるのかな?私は実はそうなんだが。
セットリストを決めないステージについても‘だから?全部、なじみの曲じゃん’って斜に構えて皮肉ってるが、確かにコニッツ等にとって曲を決めない事、それ自体は冒険を意味しない。しかしここでは演奏の‘非=安定感’こそが専売特許のコニッツ、モチアンの世界にメルドーを誘った実験と見ればそこに聴く側の注意点も浮かび上がるのではないのか。アルバム名義がコニッツではなく4人の連名になっている事は、実際にはコンセプトも含め主導的位置にあろうコニッツのつくる音楽環境をメルドーが試すという図式が浮かび上がることで、‘均等’な表現としていると思われる。しかも、セットリストを決めない。それはコニッツのいわば‘流儀’であるのだから、騒ぐまでもないというのは、本人が一番、強調したい事なのではないか。

さて、評論に対する評論というイレギュラーな評論、しかも重箱の隅をつつくような揚げ足取り評論はおしまいにしよう。思うに、私はお金を払って音源を買って聴いている以上、その音楽を好きになろうと思って、何回も聴く癖があるのだろう。好きにならなければお金がもったいないという心理は恐らく過剰に働いているはずだ。だから繰り返し、繰り返し聴く。しかしそれが音楽を好きになるツボの発見につながるという、探求の意味合いがあるのと同時に音楽の評価を瞬間的に不要に上げたりする事もあるのかなとも思う。おそらく、だいぶあとで、聴いてつまらないと感じる音源はこの類に入るのだろう。気に入ったのでこのブログで取り上げたアルバムなのに、その後、売ってるのもある。さらに言えば、売り払ったCDを再度、買い直す事もある。何をやってんだか。リー・コニッツ、ブラッド・メルドー、チャーリー・ヘイデン、ポール・モチアンの『Live at birdland』はどうなるかな。「もったいぶってるねえ」という松尾史朗の結論に肯く時がくるのだろうか。それはわかりません。

2011.7.22


 

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Defreezed Songs聴きました (ザキ)
2011-08-02 23:52:25
Defreezed Songs聴きました。
評論家には言いたい事いわせておけばいいじゃないですか。あいつら、てっとり早く、何々風というのをもちだしてわかったと思ってるだけです。
私はDefreezed Songsのジャンルは時弦旅団だと思っています。
クールな空気感が素晴らしいと思います。
ボーカル曲でもこの印象が変わらない所が凄いと思います。
今の日本ではジャンルが決まらないと買ってくれる人が少ないですよね。
ジャンルなんて誰かが後から付ければいいのに、とすら思います。
私はこれだけの音楽を生み出す時弦旅団がとてもうらやましいです。
音楽が素晴らしいのですから、聴いてもらえれば多くの人が感動すると思います。
生意気なことを言ってしまい、申し訳ありませんでした。
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ザキさん、お久しぶりです (宮本)
2011-08-04 01:33:01
アルバムを買っていただいた事、そして勇気をいただいた事にも感謝です。ジャンルで括りにくい事はしばしば指摘される事で、自分ではそれを個性だと思っており、その意味ではザキさんのHALL OF GLASSも同じですね。ニューアルバム、買わせていただきます。自分の表現に誇りを持ち、そこに澱みがないのは私もザキさんも同じだと思います。確かに批評家の言葉に逐一、反応するのも大人げないですね。ちなみにボーカル曲に対しては<冗談半分>と評されました。私が<歌>を作りたいのは、前のアルバムも今回も再び<SONGS>というタイトルを使ってる事に表われてるんです。インストナンバーも実は<歌>なんですね。そこに差異はなく、並列にしたものを目指しているのです。ザキさんのコメントには、そこを感じてくれた事が伺え、嬉しいやら、恐縮してしまいました。勿論、レヴェルアップは必要ですね。ザキさんの言葉を励みにして今後も頑張ります!ところで、実は吉祥寺シルヴァーエレファントで9/11にライブが決まりました。3日ほど滞在するつもりです。ザキさんと話する時間を作りたいと考えているんですが、いかがでしょう。24年前の記憶を蘇らせたいと思うんです。よかったら、CDのブックレットの最後にE-MAILが書いてますので、ご連絡いただきたいと思います。ご検討下さい!
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