満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

The FALL「This Nation's Saving Grace」

2020-08-14 | 新規投稿

雨上がりの路地裏をレコード袋を持ってトボトボ歩いている。私のイメージするロックファンとは得てしてこのような姿である。背中を丸めて自信なさげで、冴えない風体の若モノと言えばいかにも容赦ない見方かもしれないが、実際、‘自信なさげ’というのは肝要で、社会性の獲得にどこか不得手があり、肥大する自らの観念と現実との折り合いを付ける術を喪失した甘えの中で生きている。‘隅っこ’と‘底’はロックファンの精神的な定位置である。

従って‘パンクヒーロー’とはいわば逆説で、その語源通り‘できそこない’‘役立たず’というのがパンクであり、本来のロックファンの実質なのだ。私にとって声高らかに主張するのはある意味、ロックではなかった。自信に溢れた姿というものがそもそもロック、パンクには似つかわしくない。

 

‘できそこない’であるロックファンは本来、あまり群れることはないが、それでもたまたま複数集まれば言わば同志的関係になる単純さを持つ。その意味で彼等は一種の種族(トライブ)になり得る。

その通り、嘗てロックファンとは一つのトライブだった。そして冒頭の‘雨上がりの路地裏をレコード袋を持ってトボトボ歩いている’とは正しく私自身の変わらない姿であり、今だに続く人生の中心的場面の模写でもあろう。今、レコード店を後にする時の私の心情とは何十年経っても変わらぬ自分の姿を自嘲気味に笑うものであり、その前日に例えばライブのステージに立ち、僅かながらも一定の称賛を獲得し自尊心、自信といった私にとってはずっと外部に在るものを一瞬でも引き寄せた快楽の渦中の中にいた昨日の自分との今日の‘トボトボ歩いている’いつもながらの自分とのギャップを愉しみ、噛みしめる快感であるかもしれない。そして変わらぬ心情とは同じ種族=トライブを求め続けている事なのかもしれない。

 

The FALLのアルバム「This Nation's Saving Grace」は個人的にはグループの最高傑作だと思っているが、そんな論評は読んだことはない。そもそも日本で話題になる事自体が少ないバンドだが、本国イギリスではその長い活動から、人気と評価がしっかり定着した偉大なローカルバンドである。リーダーのマーク・E・スミスが逝去したのが、2018年1月。76年に結成したThe FALLは彼の人生そのものだった。そしてファンが愛したのはグループに一貫した等身大の姿だったと思う。粗削りなサウンドと普段着のままカメラの前に立つ自然体の姿。気負いもなく英雄主義の欠片もないその英北部の労働者階級の典型といった面影から例えば90年代以降のイギリスのバンド群の妙にフォトジェニックな絵姿とは異質な原ロックな匂いを感じることは可能であろう。

「This Nation's Saving Grace」は85年作。最高のロックインスト「bombast」、ソニック・ユースがカバーした「my new house」、そのジャーマンロック偏愛の直角ビートナンバー「I am Damo Suzuki」と名曲が目白押しのアルバムはサウンド的にもガレージ的な初期ラフトレード時代から後年のクリアサウンドに至る中間的な音響で心地よい。

そして英語を理解せずともマーク・E・スミスの毒を孕んだ歌詞が確かに響く、その不変のボーカルスタイルに私達ファンはずっと魅せられていたのだ。その裡に叫ぶようなスタイルは自信に満ちた大文字のメッセージではなく、諧謔とモノローグ、下からの批評といった様々な‘声’が主張の遠近をそのままの形で発する正に素の等身大のメッセージとして聴こえる至高のものである。そしてThe FALLをThe FALLたらしめる、そのような特質は先述した種族=‘トライブ’にとって最も感ずるところのある要素であり、正しく‘レコード袋を持ってトボトボ歩いている’トライブそのものであるとも思っている。

 

2020.8.14


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