満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

CASSANDRA WILSON 『LOVERLY』

2008-08-10 | 新規投稿

新譜が出たら必ず買うフェイバリットアーティストでも、時にはCDを買う事に躊躇する事もある。このアルバムジャケットは一体、どうしちゃったんですか、カサンドラさん。という感じ。まるで安物のゴージャス路線のような写真。しかもスタンダード集とくればレコード会社先導の安易な企画か。嫌な予感が漂います。まさか、カサンドラウィルソンでそれはないやろと念じつつ。

カサンドラウィルソンの先鋭的でクールハイセンスな音楽は一つの美学として、ジャケットカバーに至るまで徹底されていた。その全てが完璧でカッコいいのが彼女の凄さだった。スティーブコールマン&ファイブエレメンツのメンバーとして来日したのは確か1988年(89年?)だったか。M-BASS派の急先鋒として登場したカサンドラの歌もステージングも印象深く覚えている。セクシーだった。その後、瞬く間にジャズボーカルの最高峰にまで登り詰めた彼女であったが、特筆すべきはその実験精神の数々であり、それはジャズボーカルの可能性を広げ、前衛でありながら王道という嘗てのジャズジャイアンツ達を彷彿とさせるものだっただろう。私がジャズボーカルというジャンルを、その狭小さに関わらず(ソウルやブルースと比べれば明らかだ。ヒップホップという大樹は言うに及ばず)注視してきたのはカサンドラウィルソンを20年前、渋谷クアトロで観た事が発端になっている。

ジャズボーカルほど、現在の物より過去の物を聴くことが有益であると感じざるを得ないジャンルは他にはないという感想を私は持っている。ロックもソウルも今より過去がいい。これは常識。しかしジャズボーカルほどひどくはない。全くこのジャンルときたらスタンダードナンバーのみをムーディにお洒落に歌うというその保守的イメージに晒され、レコード会社のアイデアの無さや新たなスタンダード曲が新規に生まれないその過去束縛性に囚われの身であると言ってもいい。その意味でそれらのハンディキャップを乗り越えながら革新性を示すカサンドラウィルソンこそが、希望の道標であった。

新たなスタンダードが生まれない事がいわゆるメインストリームジャズに於いてボーカルに限らずスタンダードをめぐる表現方法の困窮の前提になっている。ならばその解釈を現在性にシフトするしかないのだが、その現在性をめぐる方法論が自閉しているのだから末期的だ。ハービーハンコックにニルヴァーナを弾かせる事が果たして‘ニュースタンダード’なのか。何の意味もない事を奇をてらったつもりで制作者側が意図しても企画倒れなだけで、ますますジャズファンが減る傾向に拍車をかけるだけだろう。

カサンドラウィルソンの新作『LOVERLY』はスタンダード集。
しかし、アルバムジャケットからイメージされた悪い予感ははずれで安心。ここにあるのは超クールなカサンドラ節。ボサノバ、アコースティック系から、ハイアップなグルーブで迫るナンバーといずれも装飾を剥ぎ取ったスタンダードの魂を歌いきっている。エルモアジェイムスの「dust my broom」という意外で嬉しい選曲もいい。発声がいつになくナチュラルで抑揚が効き、自然な風のような味わいを満喫できる。
その内容はモノクロームなカバーデザインがマッチするような研ぎ澄まされた音楽。よってグラマスクゴージャスなカバーフォトだけがハズレという作品でした。

2008.8.10


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