満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

       BARRY WHITE  『unlimited』

2010-01-16 | 新規投稿

‘毎年、1月号だけ「MUSIC MAGAZINE」を買うのは年間ベストアルバム企画があるからだ’と一年前に書き、やはり今年も買ったが、そんな選出作品への関心が今年は更に薄くなっているような気もする。年間ベストより先に例の中村とうようのコラムを読んで自虐的快感に浸っているのだから世話がない。今回の中村とうようは民主党政権による事業仕分けを絶賛して、その正義感を充足させ、デフレスパイラル状況について‘経済縮小不可避論’なんてよくある‘新しい生き方’指南めいた事言って庶民離れした余裕をかましてみたり、‘他に用事がなかったら何となく見た’という(ホントかね?)テレビの全共闘ドラマに自らの青春をダブらせて感銘を受けつつもそのタイトルである「父よあなたはえらかった」を戦時の戦意高揚ソング、「父よあなたは強かった」の安易なモジリだ、最悪だ!と今度は一転してマジに怒ってみせる余裕のなさ。「父よあなたは強かった」については‘朝日新聞が読者から歌詞を募って作られた、つまり朝日にとっては戦争協力にシャカリキだった恥ずべき時代のキズ跡というべきしろものなのだ。いまどきこんな歌のタイトルをモジられては迷惑千万だろう’と変に朝日に同情なんかして見せる。こと戦争に関連するとすぐこれだ。一体、何なのか、この御大は。朝日新聞というのは敗戦を分岐点としてま右からま左にひっくり返っただけの今でも充分に‘恥ずべき時代’を継続しているそれこそ‘迷惑千万’な新聞というのが私の個人的見解ならぬ一般常識である。いやいや、やめよう。止めどなく続けそうだ。これでは去年の正月と一緒だ。しかし、中村とうようの言説とはその一言一句にケチをつけたくなる特殊な粘着性を持つのは確かで、その粘着質こそが私のようなアンチさえをも‘快感’に至らせてしまうエンターティメント的要素なのかもしれない。この人の‘解り易さ’もそんなエンターティメントの成せる業なのだ。なんせ、以前はアベとかアホーダローとか言ってたのが今では‘菅さん’だからね。まさか‘小沢さん’とは言わないだろうが。

さて、年間ベストアルバム企画に年々、関心が薄くなってきたという話。いや、本当に以前なら聴いていないアルバムがあると少しは気になっていたのだが、段々、気にしなくなってきた。ロック・イギリス部門1位クリブス。モデストマウス辞めたジョニーマーが入ったバンドだとは知っているが未聴。今度、廣川君に会った時、訊けばいいか。ってな感じで積極的な関心に至らない。温故知新アンド先端把握を信条とする私にとってこの焦りの無さは致命的か。私はポピュラーミュージックがアーカイヴ時代に入ってもう久しいと思っている。ソングライティングも音楽革新も80年代で基本的に終了していると認識する私は以降の音楽にハンディを設定する事で楽しむ術を身につけていると言っていい。つまり、今、以前の音楽を超えるものはない。従って現在の音楽鑑賞に対する基本的態度とは乗り越えられない旧音楽を前提にした快楽指数への評価でしかない。そんな厳然たる事実を踏まえながら、今、生成した音楽と嘗ての音楽をもはや、時代の隔たりを無効化しながら同じ水平上に並列させ鑑賞しているのだと思う。‘最新’という本来なら、それ自体が以前の音楽を彼方へ押しやるに充分な ‘逆のハンディ’が今、通じない。嘗ての音楽の普遍性とはそれほど‘最新’を軽く超越しているのだとも感じる。今年の「MUSIC MAGAZINE」2009年R&B/ソウル部門のベスト10のいかにもその薄味な物足りなさは、このジャンルもロックと同じく、過去音楽に勝るものがないからだ。2008年作のアンソニーハミルトン『the point of it all』(本ブログ09.01.08)が2009年の6位になっているいい加減さも、全体の不作故の確信犯的仕業か。

バリーホワイトの『unlimited』はCD4枚プラスDVDの豪華盤。私ならこれを09年のR&B/ソウル部門、1位に選ぶ。しかし、このアーティスト、日本ではコアなソウルリスナーからはやや、敬遠されているのも事実。その音楽性はマイケルジャクソンに代わる真の‘キングオブポップス’という名に値するもので、それ故かブラックミュージックのカテゴリーをいい意味ではみ出すポピュラーミュージックのメジャー感覚を有している。レコードコレクターズ社『ソウル/ファンク100』(09)でも見事に無視されていたその多分に曖昧なポジションはもはや究極の楽曲性を誇るその音楽だけが全てを語る唯一無比のアーティストの称号とも言えるのであるが。

『unlimited』は今もって乱発される安易なベスト編集ものとは訳が違う。全くこのあたりのアーティストによくあるベリーベストだのスーパーベストだのベストオブベストだの判で押したように同じようなアルバムの多さに辟易させられることは多いが、今回はオリジナルの別バージョンや12インチテイクとそのB面曲等で占められた充実作と言える。そして過去のオリジナルアルバムのリマスターよりも音質が良く、聴きやすさも魅力の一つだろう。DVDは80年代後半以降のプロモクリップ集でそのワンパターンなセクシー路線を14曲も連発される執拗さにゲップが出るが、これも何回かに分けて観るとやはり、いいですね。

バリーホワイトが自らの重低音バリトンボイスで甘い囁きを歌いあげる時、そこにマーヴィンゲイのファルセットやジミヘンドリックスの歪むギターと同様の官能的音響がこだまする。そして、バリーミュージックの中に様々な対比の要素が見出され、それが上質なポピュラーミュージックの王道たる安定感を醸し出す。即ち、バリトンボイスに対するストリングスの高音アレンジ、ホーンセクションのリフに対するファンクリズムの応酬などに音楽構築の立体感を常に意識するバリーの美学を感じるのである。つまり、この言わば‘四隅’のバランスこそがバリーミュージックの神髄であった。実際、『unlimited』に多く収録された12インチテイクから感じられるのは、美メロ作家バリーの思わぬファンクネスであり、高音域で遊泳するストリングスに相対するリズムのグルーブの再発見だっただろう。そしてディスク3の全編を占めるLove Unlimited Orchestra 及びLove Unlimitedの別テイク集の各々のナンバーがオリジナルを上回っていたのは、ディスク1と2を聴き進めた私の予想通りであった。オリジナル『rhapsody in white』(74)で展開したインストナンバーの各曲のコンパクトさが逆にグルーブに至らず、私には消化不良に思えていたのが、『unlimited』でディスコミックス化した別テイクに於いて相応のドライブ感覚が生じ、メロディも逆に際立つ効果を生んでいるのが分かる。元来のスティービーワンダーにも勝るコンパクトソングの作り手たるバリーホワイトの広角な音楽性を一気に表現し得た『unlimited』。洋盤のみの発売だけど、まれに見る傑作に違いない。

究極の名曲「let the music play」の別バージョンに於ける冒頭の語りの長さは声を武器に音楽性を極めたバリーホワイトの本質を表すテイクでもあるだろう。即ちバリーイメージを覆う‘愛のメッセージ’というもはやキャッチコピー化した陳腐さすらも匂わせる文句が実はバリーホワイトの真摯な哲学の主張である事を実感できたのも、私にとっては嬉しいアルバムであったと言えようか。つまり、私は以後、堂々とバリーホワイトをコアなソウルミュージックのフェイバリットとして挙げることができるようになったのだから。

2010.1.15




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