goo blog サービス終了のお知らせ 

満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

Moritz Von Oswald Trio 「Horizontal Structures」

2011-12-02 | 新規投稿
   

ベルリンがテクノシーンの一つの拠点になり得たのは、電子音楽の伝統やエレクトリックビートのパイオニアを多く輩出した音楽的背景もさることながら、その経済的背景も大きいのではないかと思う。90年代以降の人の流れは少なからず経済的動機と共にある。不況が世界に蔓延する中、経済状態が他よりマシなベルリンは人の流入が顕著な一都市となった。定住者、流動者を問わず、人の往来という交通量が都市の経済的、文化的変容を促進する。それは良くも悪くもあらゆる変化を生んでいくのだろう。「移民同化政策は失敗だった」というメルケル首相の宣言は外国人を共同体の構成員とする理念が、その共同体を用意する側ではなく、参入する側によって打ち砕かれていった現実を反省したものだ。政府が優遇措置を施しながら‘お帰りいただく’政策を打ち出しても出稼ぎトルコ人は帰らない。それは ‘豊かな場所へと人は動く’という理由以外の行動原理はない事の証左であり、しかも人は自らの習慣を変えてまで高邁な理念への義務感は持てないという事か。

越境性を本質に持つテクノクリエイターにあって共同体とはそもそもネイションを意味しないし、多分にアナーキストな感性からくる、いわばビートを通じた人同士の快楽共同体といったものを漠然とでも意識しているであろうか。(「リズムネイション」という曲が昔あった)世界中からベルリンに来た異邦人クリエイターは都市の雑多性、無秩序性を逆手にとって表現を拡げ、シーンを豊かにしてきた。(最近は南米地域からのヨーロッパ、特にベルリンへの移動するアーティストが多いよう)

クラブミュージックは無言の音響であり、無思想な音波であろう。
従ってそのリズムは楽々と世界性を持ち、ネイションを無効にする。テクノが世界音楽たりえるのは言葉がない事でも説明できたが、リズムの普遍性以外にその根本的な理由はないに違いない。思想的な音楽やメッセージソングなどよりも遥かに大きなインターナショナル性を持ちえたテクノはそれを共同体や連帯といった理念ではなく、増殖する細胞分裂のように広がりを見せた。人種やナショナルの壁を開放し、‘疑似共同体’を形成したテクノ。

しかし、現実の世界はと言えば今後、むしろ各共同体がネイションの城壁を高くしながら、エリアの生活保障、‘部族’の安全というそれは本来の原理に向かうのではないか。それは図らずも他の共同体との対峙(これも本来の行動原理)を表裏一体とする事を意味してしまうのだが。ヨーローパの経済危機から私は共同体の枠を拡げる事のリスクを背負う事のできる思想的論拠も現実的体制もないことをイメージするし、人は自分の属する共同体の保全という近道を選択するしかない、そしてその共同体を嫌う者は移動を目指すしかないという反理想主義的現実主義(こんな言葉はない)の世界が待ち受けているのではないかと考える。ユーロに加盟した時点で粉飾申請だったギリシャをドイツ人が救わなければならない論拠は‘共同体’という理念である。ドイツは内側の共同体であるネイション(国家)の利益を外側の共同体(EU)に奉仕しなければならない。こんな連帯がいつまで持つのか。社会民主主義のリトマス試験紙たる欧州の岐路なのか。わからない。今日の新聞ではヨーロッパ共同債の導入の是非をめぐるメルケル首相の拒否を批判する他国の包囲網を論じてあった。強者が踏み絵を迫られるというのも共同体の行き着く欠陥なのか。記事は『市場はドイツの決断を注視している』と結んでいる。

~トリオという呼び名は必然的に3人が向き合う演奏を想起させ、あまりエレクトロ系のアーティストは使用しない気がするが、Moritz Von Oswald Trioのセカンドアルバムは正にジャズ系の即興音楽よろしく、その‘演奏性’が光る作品で前作よりパーカッシブな音響が熱さをも生んだテクノクリエイタートリオによるインプロヴィゼイションという稀な形態となった。しかも元来のミニマリストたるオズワルドの演奏に‘ミニマル’ならぬ‘シーケンス’的要素をも感じ、(どう違うんや?と聞かないでくれ。ミニマルよりシーケンスの方が小節単位の時間が長いという単なるイメージです!)そこにはコンラッドシュニッツラーやこれもトリオであったタンジェリンドリームのような様相を見せているのも興味深い。反復の流れに全員が乗るのではなく、対位があり、相反がある。Basic channelの音作りに散見されたリズムの散りばめ方はアフロ、原始を想起させる重層なビートを実現していたのだが、それを複数人数でセッションした時の新たな快楽性という新境地がここに表れているのかもしれない。しかも相変わらずリズムの音色がいいのだ。ミックスの段階で突き詰めるこの音の質感を‘間違えず’センスよくまとめるのはオズワルドの一貫した仕事の緻密さの表れでもあるが、それがここでも発揮されている。‘音色でパス’というエレクトロ音源がどれほど多い事か。ビートの強弱や音圧、トレブル感などの違和感で最後まで聴けないダブステップが一杯ある。と言うか殆どか。基本的に試聴せず音源を買うことが多い私はたくさん売り払いすぎて、今となっては何を買ったのかも忘れているほどだ。

Basic channelの設立者、モーリス・ヴォン・オズワルドが元PALAIS SCHAUMBURGだと知った時、同グループを‘リズムの一斉射撃’(確か、記憶違いでなければ)と評していた音楽雑誌「rock magazine」(この音楽誌はジャーマンニューウェーブを唯一、きちんとフォローしていた)の記述とつながった。ホルガーヒラー在籍時の初期PALAIS SCHAUMBURGのヘンなファンク(あまり好きではなかったが)は恐らく演奏の下手さからくるリズムのズレだったような気がするが(それとデヴィッドカニンガムのヘンなスネアの音処理)、クラブミュージック時代になり、そのズレを肯定的に電子化した時、それは素晴しいポリリズムとなった。しかもダブを加える事で、クラブのみならず、ルームリスニングに耐えうるテクノでもあった。そんなモーリス・ヴォン・オズワルドとは私が無条件にその音源を買うアーティストとしてマッドリブと並ぶ存在なのである。たまにつまらないのもあるにはあるが。

『Horizontal Structures』にグループ演奏の本質を感じた私は元来のエレクトロミュージックの快楽基軸とは違う気持ちよさを堪能しているが、最も近いのは、即興音楽、それもフリーフォーム系のジャズインプロビゼーション(ノイジーではないタイプの)だという感触があり、特に「structure 1」の中心に向かう波状といった音の動きに現在の先端的なヨーロッパジャズ(音響派の)の動向ともリンクされそうな気がする。ここにダブ処理されたホーンが入れば完璧に私の好みになるのだが。rhythm & soundで実現したアーシーとエレクトリックの理想的合体を実現させたオズワルドならできる予感がする。カールクレイグとのコラボではベルリンフィルハーモニーのチューバの短音をミニマルにしていた。あれをやってほしいのだ。できればサックスじゃなく、トランンペットかトロンボーンのダブでね。

2011.12.2
   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする