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勝手に神鍋遺産 ① 【東河内区】 旧西気小学校

2013年03月31日 | 勝手に神鍋遺産

第139回配信記事(2013年4月1日(月))
            (次回4月8日(月)配信予定)

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今回から新シリーズを始めます。
シリーズタイトルは、「勝手に神鍋遺産」としました。
発端は、下記の西気小学校の閉校です。
多くの人からはあまり注目されていないが、価値のあるモノはあるはずです。
今はやりの言葉で言えば”地域資源”もしくは”地域資源”候補でしょうか。
そんな隠れた”地域資源”を探し出して載せていきます。

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・2013年3月24日に出身校の豊岡市立西気小学校で閉校式があり、閉校になりました。
138年で幕を閉じることになりました。
何か自分の原点がなくなってしまったようで、ただたださびしい限りです。

Photo_2

・西気小学校は明治7年9月4日に創立されました。(※)
明治5年9月に明治政府から学制制度の新設が発表されましたが、
地方で情報も伝わりにくい地域で、
お金も教師もあまりなく、
教育の必要性の認識も低い中で、
栗栖野区の大円寺の本堂を借りて開校しました。
よく開校できたと思います。
そして、学校は山田区、水口区に移転後、
明治30年に現在の東河内区に多大な寄付を受けて校舎・運動場が出来たようです。
卒業生は3千人超にもなるそうです。
・私の小学校時代の思い出は、
 良かった事:兵庫県内の姉妹校制度で、明石市立江井ヶ島小学校と姉妹校になったこと。
 嬉しかったこと:校内のマラソン大会で優勝したこと。
 びっくりしたこと:給食を設備でボヤがあって、避難したこと。
 悲しかった事:ボヤの影響で体育館がツッパリ棒で補強され、ツッパリ学校と言われたこと。
です。
・世の中に高校・大学なるものがあるとも知らず、
将来のことは何も考えずただぼんやりと毎日を過ごしていたように思います。
・私の学年の生徒数は22人で、45人学級の半分です。
当時最低の人数と言われましたが、在校中に18人の学年が出来ました。
多くの人が高校などを卒業したら都会に出るので、
生徒の人数自体が減少傾向だったのでしょうね。
・生徒の人数が減少するのは、近隣での仕事が無いのでいたし方ないと思うのですが、
その責任は都会に出て行った私達にもある筈です。

・閉校にあたり、「1年の計は花をつくるにあり、10年の計は木をつくるにあり、
100年の計は人をつくるにあり」とある結婚披露宴で聞いた言葉を思い出します。
また、小泉元首相の越後長岡藩の「米百俵」の話も思い出します。
・当時の顕彰碑を見ると私の先祖の名前が一番上の列にあります。
教育と教育環境の重要性を思い、寄付したのではないかと思います。

Photo_3

・四月からは、生徒はバスで、神鍋山を下ったところにある清滝小学校に通うそうです。
教育・勉強は大切なことであり、みんなで楽しく勉強し遊んで欲しいと思います。
スクールバスでは登校下校時に道草もできないでしょうが。
・また、昨年の運動会の写真を見ると約30名ほどの在校生がいるようです。
1学年5名ほどでしょうか。
合併で1学年の生徒数が増えればそれだけ多くの友達も出来るでしょうね。

・旧西気小学校は2013年3月31日で本当に閉校です。

※明治5年と記載していましたが、明治7年が正しです。修正しました。

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