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思惟石

懈怠石のパスワード忘れたので改めて開設しました。

『ワインの世界史』 ワイン飲みたくなるよね!

2025-02-28 13:07:14 | 日記
『ワインの世界史』古賀守

中央公論新社から1975年初版。
同じタイトルの本もいくつかあるし
書籍情報も出てきにくい(そりゃそうだ)。
そんな半世紀前の本ですが、おもしろいです。

著者は学者さんではなく、ワイン研究家。
なのでどこまでを史実として捉えるか
(この50年で研究も進んでいるだろうし)は、
自己責任かなあと思いつつ。

ワインの発祥は、メソポタミアのシュメール文明が有力。
(8000年前の西アジアから葡萄汁がついた土器が
 発掘されたとか、そういう話しもありますよね。むずい)

何はともあれハンムラビ法典にはワインに関する記述があるそうです。
ずばり、ワイン節飲令である。
それも葡萄の収穫期に飲酒を制限したとか。
おいしいワインの仕込み時期は、シラフでちゃんと働けよ!
ということですかね。

古代エジプトでは2−300年貯蔵したワインを飲んだ記録がある。
ミイラのプロだし、防腐処理は得意そうです。
ちゃんと熟成しただろうか。

紀元前2000年頃、エジプト(もしくはオリエント)の
ワインをフェニキア商人がエーゲ海へもたらした(らしい)。
エーゲ文明は、
前半に栄えたクレタ文明(クレタ島のクノッソス宮殿)と
後半のミケーネ文明(ギリシャ南端、ミケーネ人・アカイア人
と呼ばれるアーリア系人種。『暗号解読』にも出る「線文字B」が有名)、
あとトロイア文明も入る、かも。
前1200年頃には衰退し、ギリシャの時代へ。

ギリシャのワインはあまり美味しくなかったようで。
基本は水割りだそうです。
他に、蜂蜜を入れたり(わかる)、
チーズや小麦粉を入れたり(わからん)、
海水で割って飲んだり(まったくわからん…)。

ホメロス(BC8世紀)の『オデュッセイア』にはワインの話題が多く、
貴腐ワイン(甘くて高いやつ。ドイツが有名)らしき記述もある。
ワインは好きだったんだろうね、ギリシャ人。

ローマの時代になると、
ローマ人は不味いワインに何かを加えるのではなく
ワインそのものを美味しくする方法を考えた。
えらい!
それだよ、それ!!

濾過技術をゲットして苦味と雑味を取り、
ガリア戦争(カエサルが頑張った)でケルト人のビール樽をゲットし、
呼吸しながら熟成させる術を発見した(それまでは土器に密封されていた)。
くう〜、がんばったね!!!

軍人皇帝のひとりプロブス(276−282年)は
ワイン造りを奨励し、業界では「ワイン皇帝」として有名だそうですが、
歴史的には「その治世に特筆すべきことは何もない」だそうである。
言い過ぎでは笑

ちなみにワインがシルクロードを渡って
中国にたどり着くのは意外と遅かったそうです。
中国は歴史が始まる前から醸造酒をつくってるからなあ。
(夏の禹王が醸造の祖と言われている)

匈奴の時代(BC200年頃)か?
漢の武帝が西方派遣した張騫(ちょうけん)の頃(BC140年頃)か
(ワインと葡萄の報告書はあるらしい)?
166年にはローマ皇帝マルクス・アウレリウス(自省録の人)の
使者が中国に来ており、
さすがにワイン持参したんじゃないかとか。

ワインのことはさておき、
東西が繋がってますね〜。いいね!!!

そんなこんなでワインが飲みたいです。
最近は峰子飲み(白ワインロック)がマイブームです。

『地理学者、発見と出会いを求めて世界を行く!』 90年代の海外の空気感!

2025-02-27 14:01:44 | 日記
『地理学者、発見と出会いを求めて世界を行く!』
水野一晴

植生地理学の先生が海外でのフィールドワークを
書いたエッセイ集。

初の海外調査が1992年のケニア、タンザニア。
著者は30代半ばかな。
第一部と第二部は92年〜97年なので、
今とは違った世情も楽しめます。

継続して調査に訪れるケニア山(ケニア)や
キリマンジャロ(タンザニア)、
ラスダシャン山(エチオピア)の様子は、
本職である植生や氷河の変化もおもしろいけれど
物価や人々・文化の変化もおもしろい。

文庫化は2022年なので、
最新情報の著者補足も良いですね。

おもしろかったのは
欧米の人と電車で乗り合わせた際に、
近くの韓国人旅行者のおしゃべりに対して
「何の話ししてるの?」と聞かれるエピソード。
さっぱりわからないと言うと、
隣国なのにわからないの?!と驚かれたと。

水野先生曰く、日本語、韓国語、バスク語は
どの言語グループにも属さない
「言語の孤児」なのだそうである。

言われてみれば、ドイツ語・フランス語・英語あたりは
共通の単語が多いと言うし
欧米の人は近隣語もちょっとはわかるのかもなあ、と。
逆に驚いてしまった。

という言葉の話し繋がりで、
水野先生が毎年のように通っているケニアは
イギリス植民地であった歴史もあるため
英語が通じるそうです。

一方のエチオピアはアフリカ最古の独立国
(イタリアに一時併合されたけど)。
故に英語が通じないので、
現地語と英語を話せる通訳を常に雇うようで。
これ系のエピソード、最近読んだな笑
エチオピアはアムハラ語!

小ネタがおもしろかったのですが、
海外への紹介状云々でお世話になった
「金子達之助教授」。
ファックスでやりとりしていたので
「金子達之」助教授なのか、
「金子達之助」教授なのか、わからん、と笑
時代も感じる良い小ネタ!

もちろん地理学の骨太なネタも結構あって
(一部難しいなと感じる部分もあった)
地球の気候の説明はめちゃくちゃ勉強になった。

8〜13世紀は、世界的に温暖。
北欧からグリーンランドにかけてバイキングが活躍。
(氷が減って航海しやすくなったとかとか)
14〜19世紀は、世界的に寒冷化。小氷期。
モンゴル民族が西進(馬に食わせる草がねえ!)。
ゲルマン民族大移動(フン族怖い)。

ナポレオンのロシア遠征失敗とか、
17世紀の飢饉→ペスト→魔女狩りという社会不安とか。
諸説あるとは思うけれど、歴史の流れを覚えやすいですね。

ちなみに水野先生はブラタモリに出演してるらしい。
おおっと、勝手に親近感。
観直しておこう。
(クレイジージャーニーも観なければ)

『計測の科学』 度量衡うんちくてんこ盛り〜

2025-02-26 10:37:59 | 日記
『計測の科学』
ジェームズ・ヴィンセント
訳:小坂恵理

計測、特に度量衡にまつわる歴史や
文明のおもしろうんちくが山盛り!
の、お得な一冊です。
おもしろく読みました。

が、一点だけ言いたい。

文章が下手くそである。

原文も邦訳も、どっちもどっちなのかな。
読みにくいというか、
文法は間違ってないと思うのだけど
「な…、何を言ってんのかわからねー」
と頭を抱えることしばし。

まあ、それ以外はおもしろいよ!
とにかく収録されているファクトがおもしろいですから。
読んで損はない一冊です。多分。

お話しの始まりは、キログラムの定義の見直しです。

あれ?キログラムって水1Lの重さじゃないの?

これが2019年に再定義されたんです。
知らなかった〜。

そもそも、世界的にもおなじみのメートル・キログラムは
フランス革命によって統一された度量衡。
メートルは「北極から赤道までの距離の1000万分の1。
キログラムは「1立方デシメートル(1L)の水の重さ」。

フランスが「これが世界の基準ね!」と言ったものだから
イギリスやアメリカにはポンドヤードが頑なに
残ってるんだな。
統一規格、便利なのに…。
人間の感情は複雑なのである。
(『屈辱の数学史』でもいろいろあったな)

メートルは1983年に再定義されていて
(1秒に光が真空中を進む距離の299,792,458分の1)
キログラムも2019年にようやく再定義
(プランク定数をあれこれしたら出る絶対値。と、曖昧にしか理解できない)。

逆に、マイナー系の単位の話しもおもしろい。

カナダ先住民オジブワ族は距離感を測るのに
吸ったタバコの数で大体の距離を共有したとか。

北欧のサーミ人の「ポロンクセマ」は
トナカイが排尿しないで進める距離(約6マイル)、とか。

あと14世紀イギリスの「インチ」は大麦の粒を3つ並べた長さ。
大麦次第では…?
(約2.4cmだそうです)

19世紀にアメリカで流行ったという「ピラミッド学」
というのもおもしろい。
「アンチ!メートル!」の流れでできた思想らしいですが。
ピラミッドの底面の周の長さを高さの2倍で割ると
円周率が得られる!とか。
ピラミッドは創造主からの啓示を記した建造物なので
地球の密度や世界の歴史などの真理が隠されているそうです。
数字をこねくりまわせば黄金比も私の身長体重も出せるやろ。
と思ってしまいますが、
アメリカってこういう思想の流行が多い気が。
笑っていいのか分からなくなってきました。

何はともあれ、どのうんちくもおもしろい。
数学・科学系のおもしろうんちくが好きならば
読んで損しない一冊です!

『酒を主食とする人々』高野秀行 クレイジージャーニーの裏紀行文

2025-02-25 12:19:43 | 日記
『酒を主食とする人々』高野秀行

「誰も行かないところへ行き、
誰もやらないことをし、誰も書かない本を書く」
ノンフィクション作家、
高野秀行さんの新刊が出たよ〜。
読んだよ〜。

というわけで、最近の私は
立派な高野ファンである。
そろそろ講演会にも行きそう。

この新刊はTBS「クレイジージャーニー」の裏本。
放映されていない部分も含めた、
紀行の一部始終を描いた一冊です。
空港でビザがないので出国できないところから始まります。
大丈夫かTBS。

取材先はエチオピア南部の少数民族が暮らす地域。
ターゲットは「三食お酒。それ以外は摂らない」と言われている
「デラシャ」民族。

このデラシャという民族、
メディアにほとんど出ていない一方で、
人類学者による研究書は出ている、という
(砂野唯『酒を食べる エチオピア・デラシャを事例として』)
高野さん的には“がんばって行っても「後追い」になってしまう”
ネタだったそうで。

なるほど、ある種、テレビ番組に提供するネタとして
ぴったりかもしらん。

というわけで行ったエチオピア南部。
番組のタイトルが以下。

#229「酒が主食!?世界遺産に住む民族コンソ取材旅
辺境作家・高野秀行7年ぶりに登場!」

コンソ取材旅?
デラシャじゃないねえ…。

これ、どういうことかと言うと、
酒飲み民族は「コンソ」と「デラシャ」とふたつあって。
後者の村の方が「オンリー酒!」なのですが
前者の村の方が「映える」のである。

なので研究者はデラシャに注力し、
テレビ編集者はコンソを放映するのである。
何かの真理が垣間見えるな。

高野さんは両方のエリアに行って
さすがの腕前で取材し、
なんならコーディネーターが設定した
観光地&劇団化しているホームステイ先を飛び出し、
自分好みの野生ホームステイ先をゲットしています。
自由!

取材準備の2ヶ月という短期間で
エチオピアの公用語アムハラ語を勉強し、
エチオピア国内での通訳(デラシャ語のような
少数民族の言語やら外国人向けの英語やら。
語学センスがないとできない仕事だよね)の
助けを借りながら、
コンソのお酒「チャガ」と、
デラシャのお酒「パルショータ」の作り方を
だいぶ詳細に調べているのは流石です。
滞在数日なのに凄いよな。

その合間にカート噛んだり
虫さされに苦しんだり
腹痛と下痢に苦しんだりしています。
流石〜。
(出国前ですが、エチオピアのソウルフード
インジェラのアレルギーも発覚している)

相変わらずのキレッキレな一冊である。
私も辺境に行きたく…は、ならない。
高野さんの新刊に想いを馳せるに留まる人生に、
満足しております。

『古代遊牧帝国』護雅夫 あと10冊くらいおかわりしたいんですけど

2025-02-22 17:46:29 | 日記
『古代遊牧帝国』護雅夫

遊牧騎馬民族国家』でおなじみ(?)の
護雅夫先生であります。
昭和51年初版の中公新書。

『古代遊牧帝国』のメインは、
「突厥」という民族及び
「突厥帝国」の盛衰です。

なんか色んな単語が出てきて混乱したんですが、
そして私の解釈が間違っていたら謝るしかないんですが、
突厥はチュルク(トルコ)民族のひとつです。
多分!

むかーしむかし、大陸内部にたくさんいたチュルク(トルコ)民族諸部族。
その総称が「鉄勒(てつろく)」。
と、『隋書』(581-618年)に書かれている。

そのひとつが高車丁零(こうしゃていれい)と呼ばれたり、
狄歴(てきれき)、勅録(ちょくろく)と呼ばれたりして、
突厥へと繋がるそうです。
多分!

モンゴル高原の支配勢力の移り変わりで言うと、

1)匈奴(前3世紀頃)

2)鮮卑王国

3)高車丁零(3世紀頃。狄歴、勅録とも呼ばれる。『魏書』)

4)柔然(5世紀。蠕蠕(ぜんぜん)、茹茹(じょじょ))

5)突厥

6)ウイグル

という流れになる。

1)の匈奴はBC209年、冒頓単于(ぼくとつぜんう)により
北アジア統一。
アジア史上初の遊牧騎馬民族国家です。
始皇帝(BC221年:中国統一)と同じ時代ですね。
統一ムーブメントの時代である。

2)の鮮卑族は3世紀に早くも分裂。
分裂した氏族は五胡十六国リーグに参戦し、
慕容氏が前燕(307-370年)、拓跋氏が南燕(398-410年)へ。

3)の高車丁零がトルコ系民族。
匈奴や鮮卑の弱体化の隙を突いて
南モンゴル高原(ジュンガル盆地)に進出。
「高車」の名は中国から呼ばれていたらしく、
なんか、文字通り、車輪のでっかい車を使っていたみたいです。
よくわからんが強そうだ。
高車丁零の始祖伝説も狼が育児している(遊牧系あるある)。

4)の柔然は5世紀頃ぶいぶい言って、
高車丁零(鉄勒諸部族)も支配下に。

5)で突厥登場。
546年に初代可汗(かがん、君主のこと)が
ジュンガル盆地の鉄勒を降伏させる。
鉄勒=突厥以外のトルコ系諸部族、と解釈するよろし。
552年、柔然を滅ぼして突厥帝国が誕生。
トルコ民族による史上初の遊牧騎馬民族国家。

独立と前後して、西魏と絹馬貿易の通商が始まる。
この仲介をしているのがソグド人です。
あ、出たな!ソグド人
西魏から突厥への使者は、
酒泉の「胡人」安諾槃陁(あんだくはんだ)。
安という姓を名乗るのは、安国(ブハラ)出身のソグド人。

さてさて、突厥が東方の中国から絹を輸入するのは、
西方へと輸出できるからです。
シルクロード貿易の完成じゃあ!

突厥帝国には、西方の敵「エフタル」を
ササン朝ペルシアと挟撃して滅ぼしたり、
東ローマ帝国ユスティノス2世(565−574)と
絹取引をしたり、という記録が残っています。
国際的じゃあ〜。

というか東西が繋がってる〜!!
(世界史のこういうところが好き)

シルクロードの歴史で言うと、
紀元前5世紀のヘロドトスが記した東方ルートに
すでに匈奴かな?と思われる民族が登場するそうです。
ギリシャの東方にあるスキタイ(前7~3世紀の遊牧騎馬民族国家)
の商人がカザフスタン高原を抜けて
アルタイ山脈あたりまで交易していたそうで。
おいおい、概念的世界がめちゃくちゃ狭い時代なのに?
すごいじゃないか。

と、感心した直後にがっかりですが、
ヘロドトス以後はカスピ海が世界の端っこになるらしい。
世界観って狭くなるんだ〜。なんでやねん。

えっと、なんだっけ。
突厥第一帝国ですよ。
6世紀には中国が突厥に「贈り物」をする時代もあるが、
隋の頃には力関係が逆転。
583年、突厥帝国の東西分裂。
さらに唐の時代には羈縻(きび)支配を受けます。
羈縻ってのは、文化はそのまま贈り物する間接統治のこと。ざっくり。

唐が最大版図を極めた頃は、
天山山脈北西の砕葉(スーイ・アーブ)までを直接支配。
って言われてもピンと来ないんですが、
唐人が天山以西に築いた最初で最後の城郭が砕葉城!
と言われてもピンと来ない気もしますが、
クレイジー玄奘が立ち寄って西突厥の可汗に会ったとか会わないとか。
ちなみに李白(酔っ払いネアカ詩仙)の出身地とも言われている。

682年に阿史那氏(名門一族)のクトルクが蜂起、
突厥第二帝国として羈縻支配から独立。
ちなみに唐は則天武后の頃。
ライバルをトイレに沈めてたおばさんである。怖いね!

突厥第二帝国は戦いで忙しい。
突騎施(チュルギシュ、天山山脈北方トルコ民族)を征討、
葛邏禄(カルルク、アルタイ山脈西方トルコ民族、余談ですが
ふつーに漢字変換できたのでビックリした)、
抜悉密(バスミル)、九姓鉄勒(トグズ・オグズ、
要するに鉄勒諸部族)の反乱。
忙しいね!
あと、出てくる名称が悉くカッコいいね!!!

そんな忙しいなか、西方からはウマイヤ朝が
ちょっかいをかけてきます。
イベリア半島から中央アジアまで、元気な国である。
康国(サマルカンド、ソグディアナの拠点)が
ウマイヤ朝に攻められ、突厥に援軍を求めたり(負けちゃった)。

忙しいな〜と疲れが出ると、内紛ですよ。
そして回紇(ウイグル)が台頭、
744年に突厥第二帝国、瓦解。悲しい。

で、突厥のお話しは終了!

他にも碑文の話しやソグド人の話しや
アッバース朝VS唐の結果、中国の製紙技術が
西方に伝わる話し(諸説あり)とか、
情報量が多い一冊です。

あと2、3回読みたいね!
というかここらへんの本、あと10冊くらい読みたいね!!
どこに行けばわんさかあるんだ?!