しらの風景

自然と野鳥や生き物が大好き!自然の中には学びがいっぱい。
デザインの仕事をしながら、楽しく生きる智慧を探します。

東京、印象に残った人たち。(9/16*日)

2007-09-16 | 人間大好き!
東京・下北沢で偶然に入ったお店には、私が遠くから
いつも心の中で見つめているインディアンの世界がありました。驚き!
写真上は、熊をデザインした木彫りのものです。
トーテムポールなどでも動物たちの姿が刻まれていますよね。


(バッファローの歯がついた飾り物は、儀式に使われたようです)

かつて東京で自分が住んでいた場所に、たどり着くことが出来ました。
人は帰巣本能があるのでしょうか。
金沢に住みながら、いつかきっとまた訪れたい!と思っていた場所。

特に下北沢の街は、大好きな街でした。
ここで偶然に出会った3人の人を紹介します。
名前はよく分からないので
私がネーミングした名前で!
まず、「ターコイズ・アイ・小林」
「ピーコックの赤いサボテンの花」、
「アフリカの優しい風人」。
きっと読んでいる人には???の名前でしょうが。(笑)

まず「ピーコックの赤いサボテンの花」の人です。
ピーコックは、昔はおしゃれな下北沢のショッピングセンターでした。
その中も懐かしくてひと回り!
けれど、中は以前とは全然アプローチの仕方が違う戦略で
客層をゲットしているようです。その変貌も感慨深い!
時代に乗れないと生き残れない商売の裏側の苦労も感じます。

そこでヨーグルトの試食販売をしていたおばさん。
新商品は、サボテンの実を混ぜてあるそうです。
ピンク色のサボテンの実の入ったヨーグルトを試食しながら
何故か話が盛り上がり、話しながら手のつけてないヨーグルトを
1個づつ娘たちに食べなさい!とその場で開けてくれたのです。
私にまでくれようとするので、それはちょっと遠慮!(笑)
60才という年より若く見えるおばさんに、そういうと
メガネを外して、顔を見せてくれて・・笑えました。
彼女は、まるでサボテンの花のようにステキでした。

「アフリカの優しい風人」は、下北の入ったお店で出会いました。
アフリカの人で、笑顔が優しい体の大きな男性でした。
天然石を使ったネックレスをひもで編んでいましたが
そのアクセサリーが、他のたくさんのお店のものより
個性的でステキでした。でも、値段もちょっと高め!
一目で気に入ったものがあったので
値段交渉!手に入れば私のところに来る運命。
入らなければ、あきらめるだけです。
思いがけず、1000円値切ってゲット!
そのお気に入りのネックレスは、その日私が着ていた濃いピンクの
インド綿の服と、あまりにもマッチしすぎていました。

さぁ、最後の「ターコイズ・アイ・小林」くん。
下北沢でいろんなお店を見て楽しんだのですが
何故か偶然?私を惹きつけたお店は、インディアンの香りがしました。
私が今、尊敬している人種があるとすれば先住民の人たちです。
自然を傷めることなく、共に生き続けてきた人たち。
目の前のものやお金より、生き方そのものを大切にしてきた人たち。
そんなスピリットを知り、どれだけ心が震えたことでしょう。
そんな人たちが、まだこの星には確かにいるのです。


大好きな星野道夫さんの本で知ったワタリガラスの神話。
そのストーリーを現した銀のアクセサリー。

先住民族の人たちの作った彫り物、動物たちをモチーフにした
デザインの素晴らしさ!それが目の前にありました。
思わず、しげしげと眺めお店の人に話しを聞きました。
とても若く見えた彼は38才だそうですが、
まるで初めて会う人じゃないように
ワタリガラスの神話の話をしたり、先住民の人たちの話で
盛り上がりました。お店の中で目立ったのはターコイズブルーの
石の色。私の大好きな深くて明るいブルー。
彼のイキイキとした目が印象的でした。名は小林さんというらしい。
こんな場所で、出会うと思わなかったこの空気感!
何だか感動もんでしたよ!値段が高すぎて、
ステッカーぐらいしか買えなかったけれど
写真をたくさん写させていただきました。
最後に、日本のアイヌの話をしました。
そうなんです、日本にもほんとはちゃんといるんですよね
先住民族が!その歴史は、アメリカなどの先住民たちと同様
悲しい歴史です。「ベールで隠している、
本当の姿をアイヌの人たちが見せてくれたんですよ!」
そんなふうに話す彼の背後に、
大いなるスピリットの影を感じたひとときでした。

東京、懐かしき場所。(9/16*日)

2007-09-16 | 人間大好き!
(懐かしい下北沢の街の駅前)
今朝は早く起きたので、続きを書きます。
東京、1日目は銀座で画廊回り。
2日目はぜひ行きたい場所があったので
そこに行くことにしました。

それは、自分が住んでいた懐かしい場所です。
あれからもう何十年も訪れていなかった場所。
その場所に、子どもたちを連れてまた行くなんて
あの頃の私には、想像もできないことでした。

学生時代まで金沢で過ごし、東京にあるデザイン事務所に就職。
22才の時のことです。ちょうどその頃、
従弟が明治大学に通っていたので、彼の住んでいる近くに住みました。
それが下北沢の街。窮屈だったので、それから
1年後くらいに、今度は代田橋(もよりの駅)に移りました。
さぁ、住んでいた場所は果たして今でもあるのか?
それより前に、そこにまでちゃんとたどり着けるのか?

ちょっと不安でしたが、少し迷いながらも
ちゃんとたどり着くことが出来て、
まだその場所に、そのお部屋がそれぞれに存在していたので
感激しました!最も、代田橋のアパートの方は
大家さんが亡くなられて、もう住民も住んでいなかったですが。
あの頃でさえ、80才近い大家さんのおばあちゃんでした。

住んでいた場所にたどり着くと
初めての東京での一人暮らしの生活が
まざまざと思い出されました。
たしかにこの街のこの場所で、
私は青春の夢を、追いかけていたのでした。