思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

奪われた野にも春は来るか/超意味への信仰

2014年08月31日 | 思考探究

 今日のブログは一つのやまと言葉から始めたいと思います。その言葉は「ハル」と発音されるやまと言葉です。古語辞典をたよりにしたいと思いますが岩波古語辞典には「はる【春】」しか掲載されていませんので、他社の古語辞典のなかから学研の金田一晴彦監修の『完訳用例古語辞典』を使用します。

<やまと言葉「はる」>

○はる【春】名詞
 1四季の一つ。立春から立夏まで。ほぼ陰暦の1、2、3月をいう。
 2新年。正月。

○はる【張る】
 1自動詞・ラ詞
  (1)(氷が)はる。一面に広がる。
  (2)(芽が)ふくらむ。出る。芽ぐむ。
 2他動詞・ラ四
  (1)一面に広げる。(縄などを)張る。
  (2)張りつける。(紙などを)張る。
  (3)(気を)引き締める。緊張させる。
  (4)構え設ける。張る。
  (5)平手でたたく。なぐる。
○はる【晴る・霽る】自動詞・ラ下二
 1晴れる
 2憂いや悩みが解消する。心がはればれとする。
 3広々とする。
 4広く開ける。見晴らしがきく。

以上の3つの「はる」が掲載されていました。このやまと言葉の「はる」を文頭に掲げ次の話詞に移ります。昨年(2013年)5月12日にEテレ「こころの時代」で放送された、韓国の写真家・鄭周河(チョン・ジュハ)さんが、東日本大震災で被災した福島の風景を撮り続けた話しが再放送されていました。

こころの時代 シリーズ~私にとっての3.11「奪われた野にも春は来るか」~

≪番組詳細情報≫
[番組内容]
鄭周河(チョン・ジュハ)さんの福島通いは2年に及ぶ。原発事故の前から変わらぬ美しい風景を撮りながら、そこで何が失われたのか「目に見えないもの」をどう表現するか思索を重ねた。その過程には、韓国やドイツで、写真家として社会や人間のとらえ方に悩む歳月があった。3・11が問うたことは何か、それと自分はいかに関わるべきか。震災から2年、被災地・南相馬で開催された写真展の模様を交えて語る。

と番組サイトでは紹介されています。昨年番組を見たときには全く無かった感情が湧きました。

 番組の後半に鄭さんは韓国での体験から一念発起しドイツに哲学を勉強をしに行った話をされます。その時に写真の暴力性について語ります。

【鄭周河】ケルン大学の哲学科には、大勢の学生がいました。その時出会った人々から、私が学んだことはたくさんあります。まっすぐな気持ちの頭脳明晰な人が大勢いて、ヘーゲルやカントを学んでいましたが、博士課程で勉強している彼らは、15年も20年もかかっても、まだまだ終わらないというのです。それを見て、私は自信を失い、落ち込んでいきました。

 私は、「哲学を学ぼうと留学したけれど、それは哲学者になるためではなかったはずだ。哲学は、私が撮ろうとした写真に足りない思考を養うためだった。」と考え直しました。

 私がケルンで見たドイツの社会は、ウットリするぐらい完璧だと思いました。システムが調っていて、安全で、道で誰に会ってもみな礼儀正しい人たちです。私のような外国人にもとても親切にしてくれました。街の老人たちもオシャレでしたし、レストランで麗しく食事している、そんな風景をよく見かけました。しかし、ある程度時間が過ぎると、このようなドイツの社会でも、実は老人たちがとても寂しい思いをしていることがわかってきました。

 彼らも人間関係において孤立していることが見えてきました。それは、ただ通り過ぎていく人にはわかりません。暮らして見て、初めてわかることなのです。韓国の恵生院(ヘセンウォン)での撮影作業を通じて、私には、人間に対する悩みがありました。私には、そのような負の部分を撮影して、さらけ出す資格があるのだろうか。そのような表現に問題はないだろうか。自問自答の末、考えたのは、結局相手ではなく、私自身の側、写真がもつ暴力性でした。

 それで私は、意図して街で老人たちに会う度、写真の暴力性の中でも、もっとも強いフラッシュを昼間に光らせてみることにしたのです。道を歩いている時、突然私がピカッとカメラのフラッシュを浴びせれば、当然それを受けた人たちは凄く驚きます。それにより孤立している老人たちの姿を、写真としても孤立させ、真の姿を写し出したいと考えたのです。写真は、それ自体が非常に暴力的です。写真を撮るとは、朝鮮語では、「斧で人を打ち下ろす」という意味もあります。英語でも、「シューティング(shooting)」と言いますが、それは拳銃で撃つのと同じ意味です。そういう過程を経て、私が作ったのが、『写真的暴力』というタイトルの写真集でした。

 写真そのものが暴力性を持っていますから、私は、南相馬を初め、ここ福島県に来て、住民たちやこの地域が抱え込んでいる難しい問題を、果たして自分がキチンと写せるだろうかと考えてきました。結局は、位置という問題かも知れない。撮る者と撮られるもの、お互いの位置を確かめること。相手が私に見せる姿を超え、私が何を把握できるか、深く考えることです。そしてこそ、もう少し意味のあることができるのではないか。学んできたのは、そういうことでした。 <以上>

このように語られた後に福島の写真に『奪われた野にも春は来るか』というタイトルを付けた話が語られます。この言葉は1926年に朝鮮半島で書かれた詩からとったもので、作者は李相和(イ・サンファ、1901-1943)で日本の植民地下で、人びとの悲哀をうたい、朝鮮民衆の心を代弁しようとした詩人。彼は、美しい故郷の風景を連綿と描写することで、故郷を奪われた怒りを綴った方です。

 

詩「奪われた野にも春は来るか」
        作:李相和

いまは他人(ひと)の土地―奪われた野にも春は来るか
私はいま 全身に陽ざしを浴びながら
青い空 緑の野の交わるところを目指して
髪の分け目のような畔を
夢の中を行くように ひたすら歩く


唇を閉ざした空よ 野よ
私ひとりで来たような気がしないが
おまえが語ったのか 誰かが読んだのか
もどかしい 言っておくれ


風は私の耳元にささやき
しばしも立ち止まらせまいと裾をはためかし
雲雀は垣根越しの少女のように
雲に隠れて楽しげにさえずる


実り豊かに波打つ麦畑よ
夕べ夜半過ぎに降ったやさしい雨で
おまえは麻の束のような美しい髪を洗ったのだね
私の頭まで軽くなった


ひとりでも足どり軽く行こう
乾いた田を抱いてめぐる小川は
乳飲み子をあやすよう歌をうたい
ひとり肩を踊らせて流れゆく


蝶々よ 燕よ せかさないで
鶏頭や昼顔の花にも挨拶をしなければ
ヒマの髪油を塗った人が草取りをした
あの畑を見てみたい


私の手に鍬を握らせておくれ
豊かな乳房のような 柔らかなこの土地を
くるぶしが痛くなるほど踏み
心地よい汗を流してみたいのだ


川辺に遊ぶ子どものように
休みなく駆けまわる私の魂よ
なにを求め どこへ行くのか
おかしいじゃないか 答えてみろ


私はからだ中 草いきれに包まれ
緑の笑い 緑の悲しみの入り混じる中を
足を引き引き 一日歩く
まるで春の精に憑(つ)かれたようだ


しかしいまは野を奪われ
春さえも奪われようとしているのだ

<以上>

 「奪われた野にも春は来るか」という詩。日本人がこの詩からどのような心像が浮かぶでしょうか。自己の経験から身についている歴史観からこの詩を読み解くでしょうか。

 鄭周河さんは、「春」という朝鮮語の話をされます。

【鄭周河】・・・・略・・・・李相和の詩には、絶望観すら漂っています。この詩の最後の一行は、こう書かれています。

「しかしいまは野を奪われ 春さえも奪われようとしているのだ。」

 そして、その後がありません。果たして、この「春」とは、どんな意味なのか。私は、どう解釈すべきなのか、考えてきました。「春」とは、ただ季節を指している言葉なのだろうか。毎年巡ってくる春なのか。そうでなければ、何だろうか。季節の春には、希望や自由や温かさとか、そういう意味があるでしょう。

 それも理解できますが、朝鮮語には、「春」という音に、「見る」という意味があるのです。それもただ単に見るのではありません。「直視する、しっかり見る」そういう意味です。「しっかり見る」ことは、「考える」ということを意味するのではないでしょうか。「見る」ということを通して、その中にある本質を理解すること、悟ること、それが何よりも必要だと訴え、それが「春」の意味だと思います。春があるからこそ、心で読み解くことができるでしょう。

 「春が希望だとしたら、希望とは希望がないところに見つけるものです。」

 春がないからこそ、私たちは春を待つのではないか。失われた春は、与えられるのではなく、取り返すのです。時間が経って、自然に与えられるのだったら、それはただの季節の春です。それだったら、夏と変わりません。私が考える春、李相和にとっての春は、単なる季節ではありません。直視することを通じて、どう取り返すか。それが、私が考える見せたい春なのです。 <以上>

 日本語の「春」は「ハル」と発音されます。朝鮮語では何と発音するのでしょう。春のイメージに「ハル」という日本語の発音はあります。

「ハル」という発音のやまと言葉としてブログのはじめに三つの「はる」があることを書きました。朝鮮語の「春」には「見る」という意味があると鄭さんは言われています。

 日本人は朝鮮半島からも渡来して、私自身にもその血が流れています。やまと言葉には「見る」はありませんが、理解不能のなかでなぜか理解してしまう大いなる重なりを想うのです。超形而学です。超経験主義です。

 バカバカしく思われる論法ですが、番組全体からそのような感情が湧いてきました。

 昨日の西谷先生の言葉が浮かびます。

「近世以来の自然科学によって、自然的世界の像は一変し、世界は全く非情な、人間的関心に対して全く indifferent な世界として現れている。それは神と人間との人格的関係を横に切断するものになっている。その結果、神による世界の秩序とか歴史の摂理とかいうこと、更には神の存在ということ自身も、縁遠い想念となり、人間はそういう想念に対しては無関心になりつつあり、ひいては自己自身の人間性に対しても無関心になりつつある。」(『西谷啓治著作集第10巻』「虚無と空」p101)

 非常、無関心【indifferent】

 人間は、自然の一員。

マタイ伝の「山上の垂訓」の教え、

 イエスは「善きものにも悪しきものにも降る雨」

を語ります。

 自然の無関心に対する超意味への信仰からの応えが期待された存在、それが人間とするならば、「悪の凡庸さ」に気づかなければなりません。

 朝鮮語の「春」、日本語の「はる」

 中沢新一さんの「環太平洋哲学」が何故か重なります。

 鄭周河さんは番組最後に震災2年目の福島の海をたずね次のように語っていました。

【鄭周河】 海によってこのような現実が始まってしまいました。しかし、それは海の過ちでは無く、人間の過ちです。ですから海に対して詫びたい気持ちもあり、また、亡くなった皆さんは、海に還ったように思いますので追悼したいと考えたのです。

 私たちが今抱えているのは、津波の問題ではないでしょう。根源は人間です。人間の欲望が創り上げたものが、今、私たちを叩きのめしているのです。たとえそれが海から始まったことであっても・・・・。<以上>

今日という日のこの番組を再度見ることができたことができたことに感謝です。「何かを期待され、意味解せよ。!」と啓示を受けているようでした。


人知を超えた、雨障り/超意味への信仰

2014年08月30日 | 思考探究

 月間文芸誌『2014.9新潮』に中沢新一さんと東浩紀さんの「原発事故のあと、哲学は果可能か」という対談記事が掲載されていました。

 専門家であるのは当然でしょうが、対談全般に流れるお二人の思想的課題の発想能力に驚きました。この記事を読み理解する私自身の中に西谷啓治先生の言葉が浮かびました。

 「近世以来の自然科学によって、自然的世界の像は一変し、世界は全く非情な、人間的関心に対して全く indifferent な世界として現れている。それは神と人間との人格的関係を横に切断するものになっている。その結果、神による世界の秩序とか歴史の摂理とかいうこと、更には神の存在ということ自身も、縁遠い想念となり、人間はそういう想念に対しては無関心になりつつあり、ひいては自己自身の人間性に対しても無関心になりつつある。」(『西谷啓治著作集第10巻』「虚無と空」p101)

ここに語られている「世界は全く非情な、人間的関心に対して全く indifferent な世界として現れている。」は、二人の対談の発起にもなる「3.11東日本大震災で惹起した原発事故」における放射線に対する人々の恐怖心の現実の様相の現れに相似しています。

 核の力というもの原子力というもの、そこにあるのはこれまで平穏のうちにあったユークリッド幾何学の世界を離れ、人間の実の目には見えない、人間の予想不可能な世界が開かれている。

 新約聖書のマタイ伝の「山上の垂訓」の教えの結びでイエスは「善きものにも悪しきものにも降る雨」を語ります。

 自然界における雨は恵みのもとにもなりまた、雨障(あめさわ)りという災いのもとにもなります。

 自然界とはまさに非常であり、どう見ても人間に対して無関心である事態が起きます。

 放射能の恐怖心は、まさに見えない世界、量子力学には人間的思考を超えた予想不可能性の世界があります。

 自然界には核のエネルギー、原子の働きがあります。目に見えない働きは底知れぬ無底から呼び覚まされたように、非常な事態を表現します。

「善きものにも悪しきものにも降る雨」

垂訓から何を学べはよいのか。記事内の前半でお二人は次のようなことを語られています。

【東 浩紀】「原発事故後、しみじみ思ったのは、僕たちは自らの生物的な危険を分子結合のレベルで感じている。」「直観で理解するという点については、脳の構造で絶対的な限界があるはず。」

【中沢新一】「僕らが何かを恐れるというときは、ものすごく古い動物的な記憶で反応します。だから原発事故が起きたときに、核科学や社会学のレベルの反応と同時に、とても深い生物学的レベルでの恐怖心が生まれました。」「生態圏に適応してきた生物たちには、人間も含めて核技術は不適応なのですね。頭は対応するけど、体が対応できないってことかな。」

対談のほんの一部の対談の中の言葉ですが、「人知を超えた、雨障りに見舞われている。」それに人間は対応できない状態にあることを語っているように思います。

思うに「人知を超えた、雨障り」に超意味への信仰にある人間はどう応えるべきなのか。

核の力を道具としたとき、「物となって考え物となって行う」ことの不可能性が解ります。

 生態圏の人間の道具として核の力は存在する段階にあるのか。進歩、進化、人間の進歩先走りに進化が追い付いていけない。そのような様相がそこにあります。

 「無常な世界の中に自分を投げいれてそこで生きていく」

 「無常に会って、無常を行ずる」

 思うに、日本人には確かに無常感から中世を超えて無常観への働きのうちの止揚があるように思います。

この対談には哲学好きな素人には多くの問いを与えてくれます。ブログ最後に、

中沢新一さんは次のようなことも言われていました。

【中沢新一】西田(幾多郎)さんや田邊(元)さんが必死になって言わんとしていた哲学はけっこう生きると思っています。ただそのためには、さっき東さんが言ったような、最適な形で現代に適合するような表現法をつくらなきゃいけない。今のやり方じゃ全然駄目ですね。だけど未来の哲学がどこへ普遍化されていくかって言ったら、日本の哲学、「環太平洋哲学が進んでいたラインが、そこには重要な部分として組み込まれると思う。

このような話を目にするとニンマリとしてしまうのですが・・・・。


超意味への信仰/内在論の哲学

2014年08月29日 | 思考探究

 私自身の今の心境を文章に表わすならば、 「私自身よりももっとも私自身に近いものに出会いたい。」ということになろうか。

 この言葉は、13世紀の中世ドイツ(神聖ローマ帝国)のキリスト教神学者のM・エックハルトの「神は実に私自身よりももっとも私に近いというべきである。」という言葉からヒントを得て創作した言葉です。

 私自身は、絶対的神信仰のうちにあるものではありませんが、エックハルトが神信仰のうちにある信仰者のあるべき姿を表わした思想からヒントを得てそのような言葉を創りました。

 しかし、信仰という言葉に共通点をもたせるならば、それは「超意味への信仰」ということになります。またこの「超意味への信仰」という言葉は、「人間は人生から問われている存在である。」と説く、心理学者V・E・エックハルトの「超意味への信仰は、たとえそれが限界概念として理解されようと、宗教的に摂理として理解されようと、精神療法的および精神衛生的に極めて重要な意意義をもっていることは自ずから明らかである。」(『人間とは何か』山田邦男監訳・春秋社・p90)から引用する言葉で、「人間は最後の一息まで、生きる意味を実現することができる。」という人生の絶対的肯定を示しています。

 文頭の言葉における「もの」とは、「物(ぶつ)」ではなく平仮名とします。そしてその「もの」は、物事でありまた事物です。物事と事物の相違は、個人的には、

 物事を理解する。

 事物からその意味を理解する。

という言葉表現から、それぞれの言葉の根底にあるあるものを捉えるしかありません。言葉を品物や記号などのような物(ぶつ)に考えると、これほど思うところを書けない歯がゆさがあります。描(えが)けないという漢字を使った方が、私自身に今の私の思いに最も近いかも知れません。

 なぜそんなことを書くかというと、三日ほど前にブックマークしているブログに、

「無常性をそのままに受け入れ、何があっても生きてゆく。」

という言葉に接し、さらに近藤和敬著『構造と生成Ⅰ カヴァイエス研究』(月曜社、2011、p261)からの引用文に接し、この描かれている内容に感動したからです。

 さらにそのブログは、

 「内在論の哲学」における真理の概念は、知そのものの理解に基づく教育の考えかたにも大きな変化をもたらすことになる。」

 「現在の不可能性を問いとして直視することに耐えつつ、それを解決可能な問題へと粘り強くつくりかえていく歴史的ポイエーシスを支え助けるものでなければならない。(『構造と生成Ⅰ カヴァイエス研究』p262-p263)

ということも書かれているのですが、一回の読みでその言わんとするところが理解できたことに驚いたわけです。

 最近私は京都学派の西谷啓治先生の思想に接し、過去の西谷先生が信州でされた「芭蕉について」のご講義のなかで「無常な世界の中に自分を投げいれてそこで生きていく」「無常に会って、無常を行ずる」ということを語られたことを知り、また『宗教とは何か』をも学びつつあるところで、そんな今現在の私自身が、上記のブログの記事内容に言葉は違えども同じ思想的な流れを感じ理解することができたのです。

「私自身よりももっとも私自身に近いものに出会いたい。」

という心境で、もっとも近いものに出会えた瞬間でもあった、驚きそこにありました。

 今朝の私のブログは、私自身の記録として残すもので、他者には理解できないものだと思います。

 「超意味への信仰」

私にあるといえば、これかも知れません。


空間・時間・働きからの発想

2014年08月27日 | 思考探究

 思考という世界を限りなく追及しているのですが、苦悩ということばを連発しているブログを書いていると、どうも苦悩を苦悩している、それこそ「虚無感のただ中にこの人はいるなぁ」思われてしまいますが、至って私は単純な人間で、悩み多き人間ではありません。

 空間・時間・働き

 この三つの言葉を個々人のもっている語感でものごとをみつめると、「人とは、人生に期待され、意味を問われている存在である。」という語(かたり)がさほど難しい理解を求めている言葉ではないように思います。

つみ【罪】
 ツミ(罪)とは、共同体の規範・法則等への侵犯行為、またそれによって生ずる責任を意味する言葉である。そのようなツミは、通常は行為者に帰せられる。・・・・

 この「つみ}という言葉の解説は、副題が「《読む》古代語辞典」となってい筑摩書房から出版されている多田一臣編『万葉語誌』(2014.8.15)の記述です。

 やまと言葉の研究家ではないのですが、古代語には興味があり、特にこの「つみ【罪】」という言葉には、特別興味を持っています。

 言葉とはどのようにして成立してきたのだろうか、危険認知の警戒音として、獲物捕獲の合図音として、と過去ブログにも書きましたが初源はそのようであったようです。

 その後ソシュールが説かれる範疇化とか分節という思考によって言語学が学としての道を歩んでいます。

 『日本古代共同体の研究』(門脇禎二著・東京大学出版)で説かれるように、人間集団の存在を見れば当然に共同体という概念で捉えた研究もなされるわけで、家父長制、家内奴隷制などという考察もそこに取り込まれて行きます。

 言葉の語源的な意味の発想において、今回は上記の言葉にかぎりますが、なぜにいきなり「共同体」というイメージの基に考察されるのか素人ながら疑問に思うのです。

 「やまと言葉は、動的な働きの言葉である」

という素人発想を持つものとしては、集団以前の発想があるのではないかと思うのです。

 人間は、空間と時間に置かれた(放たれた)哲学ゾンビではなく、働きのうちにある存在なのだということです。

 私の解釈としては、「つみ」とは、働きに対しては「阻害」がイメージされるのです。

つみ【罪】
 ツミ(罪)とは、自然(じねん)を阻害する行為。

としたいわけです。

「空間・時間/(スラッシュ)働き」の発想

 空間の根底、時間の根底には「働き」があり、「働きそれ自体」も空間・時間のうちにあるという意味でスラッシュを使った表記にしました。

 人にはいろいろな発想の法則があります。

 この『万葉語誌』は、個人的には「つみ」という言葉の範疇に入ると思われる言葉も別に論じられているので、大変勉強になります。

 やまと言葉としての「つみ」についての個人的な考察については、当該ブログサイトの右の検索欄を使用していただければ出てきます。「やまと言葉」「つみ」「ツミ」「西郷信綱」が検索語になるかと思います。


天使のまねをしようと思うと、獣になってしまう。

2014年08月26日 | 哲学

 特殊詐欺が相変わらず流行のように毎日全国の何処かで発生しているようです。人の欲に目をつけた「儲かります」詐欺から、子の不幸を心配する親心に付け込んだ詐欺など、その手口は巧妙でバージョンアップをくり返しています。

 「人を見たら泥棒と思え」という言葉は、戦後の混乱期に流行った言葉に違いないが、今は「息子の声を聴いたら詐欺犯と思え」と思った方がよいような状態になっています。

 すると今という時代は、何かの混乱期にあるのか?

 何徳、そんな問いが自分のなかから出てきます。

 私という現象は、実に不可思議なものです。

「私という現象」と最初の言ったのは誰か、と思うと、少ない知識から思い当たるのは、宮沢賢治です。

 『春と修羅』の序に「わたしといふ現象」といきなり書かれています。過去ブログにも多く登場しているのですが、この詞が1920年代に既に書かれていることに最近気がつきました。

 ヘーゲル哲学にも登場する「現象学」ですから、おかしくはないのですが、「私という現象」という言葉を使うところに宮沢賢治の精神の深淵を見ます。

 特殊詐欺の話に戻しますが、独居の老人が騙されやすいかというと、そうでもなく同居していても親心から騙されるケースが多くあるようです。家族間のコミュニケーションが取れていないからだ、と思うとそうではなく、とれているほど騙されやすいような状況にあるようです。

 詐欺がこの世から無くならないのは、そもそも「人を騙す」などというのは、この世に人がいる限り「騙される人」が必ずいることを示しているわけで、この世という現象は悪人と善人の織り成す世界だからということになります。

 パスカルの『パンセ』の断章に次の言葉があります。

「人間は、天使でも獣でもない。そして、不幸なことには、天使のまねをしようと思うと、獣になってしまう。」(断章358・中公文庫p230)

 この言葉を思い出して鷲田清一先生の『<ひと>の現象学』(筑摩書房)を思い出しました。

「この世に生れ落ち、やがて死にゆく<わたし>たち、<ひと>として生き、交わり、すれ違うその諸相・・・。」

 顔、こころ、親しみ、恋、私的なもの、<個>シヴィル、ワン・オブ・ゼム、ヒューマンそして死

それぞれの人という現象が語られています。

 現象学は、そのものズバリ現象を哲学します。

 しかし、「そもそもなぜ現象するのか?」は人だからで止まってしまいます。

そんな気がします。「人はどこからきてどこへと向かうのか?」それに現象学は応えてくれません。

 「人間は苦悩する存在である」

 となると、

「我々は常に空虚な部分を欲求として欲している存在と言えるのではないか?」

という疑問も出るのも当然です。


絶対的虚無感の極

2014年08月25日 | 哲学

 さぁ、今朝は何を語ろう。ネットニュースを見るとアメリカのジャーナリストがイスラム国で斬首処刑されたという何とも酷い話が掲載されていました。

 最近のニュースの大半は自然災害を話題にしています。人間が自然の一部であるという生命誌の視点からの人災も自然災害に含めそう思うのであって、本当に「自然は人間に無関心」と痛切に考えてしまう。痛いほど心を曇らせるという意味で「痛切」という漢字を使いましたが、「痛い」という言葉には万人に共通の意味理解を与える働きがあります。

 幼少期の打ち身をしたときに、「痛いの痛いの飛んで行け~」とやさしく母の手が患部をさすれば痛みは本当に飛んでいった気がします。そんな母も既に亡くなって40年近くが経ちました。

 今年は2014年で、あのニーチェが死んで114年が経ちます。ニーチェは「狂人」に仮託して「神は死んだ」という言葉を残し「ニヒリズムの到来」を予言し、その後の大戦はその予言の的中が全世界を駆け巡りました。

 分析心理学のユングの提唱する集合的(普遍的)無意識には、聖なる元型として太母と老賢者があるとしていますが、ニーチェの言葉は、その元型の死も語っているように思えてなりません。

 トコトン自然は、人間に無関心なのです。なぜニーチェは「狂人」に仮託したのか。ご本人が自ら語ればよいのですが、それをしなかった。

 いまの世の中にはニーチェとは逆に「神は生きている」と自ら語るものが多くいます。

 「神の死」は狂人でないと語れない。私はニーチェの、いや狂人の言葉を踏襲するものではありません。

 私は文才が無いので主に専門家の文書を多用します。理解のうちに自分の言葉で語ればよいのではないかと思うのですが、ど素人の現実があります。まぁとにかく得意の引用です。今回は、V・E・フランクルの著書の翻訳で有名な哲学者の山田邦男先生の著書からです。当然フランクルの解説書になります。

<『フランクルの人生論 苦しみの中にこそ、あなたは輝く』(PHP2009.6.27)から>

 ニヒリズムとは、それまで二千年近くの長きにわたってヨーロッパ人によって信じられてきたキリスト教が、生きた信仰のリアリティーを失い、それによって象徴されてきた絶対的・超越的な価値が否定されることであり、その結果すべての価値が相対化され、根底においてすべてが無価値化すること、またその結果、人生そのものも無意味化することである。
 かつてドストエフスキーは、「もしも神がいなければ、人生はすべてがが許されている」と述べたが、このことは同時に「すべては空しくなる」ことと一つのことである。「すべてが許されている」ことは人間の絶対的自由を意味するが、この自由は絶対的な根拠と価値を欠いたところでの宙に浮いた自由、いわば「無の深淵」の上での自由にすぎず、根本的な不安を抱えた「すべては空しい」という空虚感ないしニヒリズムと一体のものである。このようなニヒリズムが二十世紀以後の数世紀にわたる人類の運命であるとニーチェは予言したのである。

<以上上記書p30-p31>

 過去のブログにも別視点から掲出しましたが、とても好きな部分です。小林秀雄先生もドストエフスキーを語っていますし、Eテレ100分de名著でも扱っていましたのでドストエフスキーという人がどういう人なのかは知っていましたが、「もしも神がいなければ、人生はすべてがが許されている」という言葉をこのように文の流れの中で提示される理解の感動を思います。

 理解の感動などとわけのわからないことを書きましたが、さらに困難極まる文章にすると、「一歩前の自分が、最も自分に近い所に落ち着くような気分」と表現したく思います。

 当然この言葉は以前にブログに書きましたが13世紀に生きたマイスター・エックハルトの言葉で、『神の慰めの書』(相原信作訳・講談社学術文庫)に掲載されています。

 10日ほど前にもブログで引用アップしたのですが、善いものは善いのでさらなる掲出に走ります。

<『神の慰めの書』から>

 ・・・神は実に私自身よりももっと私に近いというべきである。私自身の存在ということも、神が私に近く現存し給うことそのことにかかっている。私自身のみならず、一個の石、ひと切れの木片にとっても神は近く在し給う。ただこれらのものはそれを知らないだけである。・・・

<上記書p294から>

この文章の最初の「神は実に私自身よりももっと私に近いというべきである。」を書き換えているわけです。

 神というものが存在するのであれば人格性の神として、さきの元型として太母と老賢者のようなものを想い描きます、が「神は死んだ」となると無意味化します。

 ニーチェが狂人に仮託せずにはいられなかったのは、無信仰だったからではなく現実がそう言わせたということです。

「自分に最も近い神を求め彷徨う」

 ニヒリズムの空虚感とはこの彷徨いにあるとも言えます。

 カントのように型にはまった倫理性を説いたところで、それは他者に対する影響や、他者に対する配慮がない定言の戯言になってしまいます。現代人を悪の凡庸さに走らせる一つになっていると哲学者ハンナ・アーレントは説いていることは以前ブログにも書きました。

 神の似姿

 どう見ても人格性ではなく非人格性の、形而上学のさらなる高みに置かなければ、世の止まらない善悪は理解できません。

 神の自由、自然の自由、人間の自由

「無関心」がそれぞれにあることは否定できません。

それは「自由の本質」大いに語るものです。

そこを「無関心も選択の内にある」と理解するのは人間の思考の技。したがって冒頭でも書いたように、

「自然は人間になぜこんなにまでも無関心でいられるのか?」

と疑問が生じ、「我々は常に空虚な部分を欲求として欲している存在と言えるのではないか?」という問いにもなる。

これは前回も書いたように闇夜の烏の無底の叫びに思うのです。

 暗闇でどんなに叫んでも、叫ぶ主体もわからない。絶対的虚無感とはそういうものだと思う。

 脳天に銃口を突きつけられたその瞬間

 絶対的虚無感の極

叫べども応えず。それが現実である。

「神は生きている」と自ら語る「狂人」こそ恐ろしいものはない。

ここで閉じると余りのネガティブ、最後に

「自由の本質」

を大いに理解し、他者に対する影響や、他者に対する配慮がない定言の戯言には要注意ということで終わりとします。


我々は常に空虚な部分を欲求として欲している存在と言えるか・闇夜の烏

2014年08月24日 | 思考探究

 今日は日曜日、コメントにのることにしました。

「我々は常に空虚な部分を欲求として欲している存在と言えるのではないか?」

というコメント最後に書いたコメントを受けました。言葉を変えれば、

「心が満たされない、よりどころ無き渇き状態たる存在ではないか?」

仏教では渇愛という執着(しゅうじゃく)に落ちつくのだと思います。

その存在を問うならば「生(あ)る」ということになると思います。

 コメントを寄せてくださる人に失礼なことですが、私は単なる思索の凡人です。何も知らない、そろうとする全過程がそこにあるだけです。自覚的世界がいつまで私を包んでくれるかわかりませんが、応対できる人があえてコメントをするようなブログではありません。

 他者の今状態を「健常者」「身体障害者」という言葉で表現する場合があります。その表現する時の主体である<わたし>は、その概念を「意中(こころのなか)」に理解しているとしている(そう思っている)。

 空間に生き、生から死に至る時の流れの一筋に身を置くが<わたし>をわたしとする意も常に流れ行くものです。

 その時その意の綴りの中で人は自分を織りなします。織りなされる我を常に汝の視点で我を語りそれが意となり、視点は盲点であるように常なる自分は見ることができません。

 汝と我は立ち現れて衰え行くもの。汝の視点で我を観ることもかなわぬ事態なることもある。

 他者から見て認知症であれば我は衰えの中で、汝と我の関係性を失い、いつかは純なる我の意の立ち現れに生きるしかありません。自分が解るといういうこと、意識が自分とどこまで付き合うことができるのか。言葉を変えればいつまで自覚の世界に留まれるか。

 そんなわたしは、自分の躰でありながら、常に<わたし>というものは「掴めた」という内に置くことができません。

 パンドラの箱が物語る希望、その裏返しの、前知魔が形成する世界とはどのような世界なのか。

 希望とは時間と空間に生きる意を持つことができる事態にあること。

 存在とはある意味希望の世界です。

 その事態にないということ、前知魔が放出された事態ということ。自覚が成立しないこと。視点も盲点も無き世界。

 希望無き世界と吐露できるのは、意の働きのうちにまだあり、まだ自覚がわたしをつくる。

 「希望なし(空虚)」と、わたしはまだ宣言できるから。

 シェリング著『人間的自由の本質』に次のような言葉を見る。

<神は悪のうちにも働くのか>
・・・神が悪を欲しなかったとしても、しかも罪人のうちに働きつづけて、彼に悪を遂行する力を与える、ということである。これならば、適当な区別を立てたうえで全く承認できる。実存の元底はは、あたかも疾病のうちに健康がなお働きつづけているごとく、悪のうちにも働きつづけている。乱脈を極め虚妄になり果てた生といえども、神が実存の根底である限り、なお神のうちにとどまり神のうちに働いている。しかしその生には神は、焼き尽くさんとする憤怒と感ぜられる。そしてそれは根底自身の牽引によって、統一に反対した次第に高まる緊張の状態に置かれ、遂には自己勦滅と最後の分裂に至るのである。


そもそも創造は何か究極目的を有しているのであるか。もしそうであるとすれば、何故にそれは直接に到達せられないのであるか。何故に完全なるものがすぐ初めから存在しないのであるのか。これに対しては、既に与えられた答え意外に答えはない。すなわち、神は単に一の存在ではなくして一の生命であるから、という答えである。しかるにすべての生命は一つの運命をもち、苦悩や転化に支配されている。従って神が、人格的とならんがために、まず光の世界と闇の世界とを分けた既にその時、神は苦悩や転化にも自発的に服したのである。存在は転化においてのみみずから感覚し得るものになる。存在のうちには勿論転化はない。存在のうちではむしろ存在自身が再び永遠と定立される。しかし対立を通しての実現においては必然的に一つの転化がある。古代におけるもろもろの密儀と精神的宗教のすべてに共通した。人間的に苦悩する神という概念なくしては、歴史全体は畢竟不可解である。聖書も顕示の諸期を区別し、そして遥かなる未来として、神が一切中一切である時、すなわち神が全く実現されるときを定立している。

創造の第一期は、かつて示されたごとく光の誕生である。光すなわち観念的原理は、闇(くら)い原理の永遠なる対立者として、創造する言葉であり、この言葉は根底のうちに匿(かく)されている生命を非有から救い出して、これを潜勢から現勢にまで揚げる。言葉の上に精神が昇ってくる。精神は、闇い世界と光の世界とを一つに結びつけ、かつ両原理を自己の実現と人格性のために従属せしめる、最初の存在者である。しかしこの統一に対しては根底が反動して、元初的二元性を主張する。しかしそれも、善が次第により高く上昇して遂に悪から分かれるためにすぎない。一切が成就され一切が現実的となってしまうまでは、根底の意志は自由を与えられておらねばならぬ。もしその以前にそれが克服されてしまうならば、善と悪とともにそのうちに匿れたままで残るであろう。・・・以下略

<以上同書p140-p142>

このような思考の世界があります。このように考察する哲学者もいる、ということです。

ここで言われている「闇」も「光」も光学的なものではなく自覚の程度ではあるが、自覚もこれも意の産物であって100%の基準があるという代物ではありません。

創造の目的は何か。そもそもなぜわたしは在りようとするのか。

希望無き虚無感はなぜ創られるのか。

実存における虚無を何ゆえに想定するのか。

多は一に向かい、一は多に向かう。

物質世界は多が一に集結する世界

精神世界も多が一に集結する世界

「統一に対しては根底が反動して、元初的二元性を主張する」というシェリングの想定も
形成という創造の多から一への円相のようでもあります。

人間の思考衝動の根源、元初的二元性を主張する無底の逆対応の力のようです。

今現在には常に元初的な無底が空間を満たしています。だから常に現象で満たされる。

「我々は常に空虚な部分を欲求として欲している存在と言えるのではないか?」

という問いは、空虚を五感の対応物化するところから来ます。

 有/無、生/死、空虚/無底

対応できる人は、私にはコメント不要です。わたしには考えを進めないでください。

面前ならば別ですが。闇夜の烏は鳴いてもしじまに消えるまで(URLを求めています意)。

※当該ブログ中:「意」は「意味」や「心」を時々に使い分けています。勝手ながら文脈から察してください。


太田光の「ある囚人の話」から

2014年08月23日 | 哲学

 歳をとるとみるテレビ番組を見た経験が、最近のように思えるようになってきてしまいます。民俗学の柳田國男先生の『遠野物語』の番組は昨日のように思えるのですが、もう2ヶ月ほど前になっていました。

 これは最近ですが・・・・といっても10日ほどになるのですが、「2014年8月12日放送のTBSラジオ系のラジオ番組『爆笑問題カーボーイ』(毎週水 25:00 - 27:00)にて、お笑いコンビ・爆笑問題の太田光が、文芸評論家・作家である小林秀雄の紹介する柳田國男の書籍『山の人生』の一節について語っていた。」

というサイトを発見し、私も何回か取り上げていた『山の生活』の「序文にかえて」の「はじめ」を飾る「ある囚人の話」に爆笑問題の太田光さんが話題にしていたことを知りました。

 私の論点とは異なり、太田さんは小林秀雄先生の講演CDでの学生との対話で、時代の中(当時)で男女間の恋愛ばかりを取り上げる小説家(自然主義文学、田山花袋等)に対して、現実的な生活の中にある悲哀の世界をなぜ物語れないのかと、悲憤する小林先生を語っておられたようです。

 『山の生活』のこの「序文にかえて」をサイト検索をしても取り上げている人も少なくなり太田さんが取り上げたことに感動しました。

「ある囚人の話」これは、絶対的虚無の深淵の現実が、実在の姿として現われ表現・・・それは足下の此岸の話・・・今の現実世界でも展開されているのではないか。

 ここに再度掲出したいと思います。青空文庫では全文を読むことができますが、ここでは太田さんの番組での小林秀雄先生の語りもあるので、そこからの文立てです。

<新潮社『小林秀雄講演』第二巻から>

 柳田さんの話になったからついでにもう一つ話そうかね。あの人に『山の人生』という本がありますよ。山の中で生活する人の色んな不思議な話を書いている。その序文にね、こういう話がある。「わたしはこの話をもう記憶している人が私一人だけだから書いておく。それで序文に替える」としてこの話を書いている。これはどこだったか牢屋に入れられた囚人の話です。この囚人はどうして牢屋に入れられたかというと、その人は炭焼きだったんですよ。

それで山の深い所で炭を焼いてそれを里にもって行って売って、それで暮らしを立てていた。もうおかみさんは早くから死んで、14歳になる子がいた。どこからもらったのかは知らないけれども、やっぱり同じ年頃の女の子を一人もらい三人で暮らしていた。

 でぜんぜん炭が売れない。まあだいたいいつも炭をもって下りてくると、お米一合にはなったと、・・・・・一合の米も無くなってしまった。誰も炭を買ってくれない。子どもたちがひもじくてひもじくて、・・・・・ある日て炭をもって里に下りるんです。

 これもやっぱり売れないんです。手ぶらで帰ってくる。もうしもじがっている男の子と女の子の顔を見るのが恐ろしくて、あんまり可哀そうで恐ろしくて、そしてコソコソって自分の部屋に入ってしまうんです。

 そしてコロンと昼寝をしてしまうんです。そしてフッと目が覚めると何か音がする。それで覗いてみると、男の子が鉈(なた)を磨いでいるんです。炭焼きで使う木を切る鉈を磨いでいるんです。女の子はそれを見ている。しゃがんでい見ている。

 フッと出て行くと夕陽が、その時入口一面に当っていたと、・・・・・・すると男の子は、鉈をもって、・・・・入口いっぱいにいい陽が当たっている入口に丸太があった。

 その丸太の上にコロンと寝て、・・・女の子もコロンと寝た。すると「おっとう。俺たちを殺してくれ」と言った。二人で丸太の上にコロンと寝てしまった。その時に、その炭焼きがクラクラと目まいがして、何が何だかわからないで殺してしまうんです。

 鉈で首を、子どもの首を二つ切ってしまうんですよ。それで自分も死のうと思った。ところがうまくいかないで、里でウロウロしているところを警察に捕まる。

 それが囚人の話しなんです。

炭焼きで生活する50ばかりの男がいた。女房はとうに死に、13の男の子と同じ歳のもらってきた女の子を山の炭焼き小屋で育てていた。世間はひどく不景気で、里に下りても炭は売れず、一合の米も手に入らなかった。子供たちはひもじがっている。その日も手ぶらで帰ってきて、飢え切っている子どもたちの顔を見るのが恐ろしい。で、小屋の奥にそっと入って、昼寝しちまう。

 眼がさめると、小屋の口いっぱいに夕日が差していた。秋の末のことだという。二人の子どもは日当たりのところにしゃがんでしきりに何かしている。そばにいってみると、仕事に使う大きな斧を磨いていた。

「おとう。これでわしたちを殺してくれ」と言って、入り口の材木を枕にして、仰向けに寝たそうだ。
男はそれを見るとくらくらっ!として、前後の見境無く、二人の首を打ち落としてしまった。
自分は死ぬ事ができなくて、やがて捕らえられ、牢に入れられた。

これを序文に書いた。序文に代えるというんです。そんな時に柳田という人は何を考えていたか分かりますか。

ちょうどその頃はね、あの日本の文壇では、中山花袋だとか自然主義文学が盛んなときさ。

それで、どこかの女の子と恋愛して、その女の子に逃げられて、女の子の移り香が布団に匂ったとか、そんな小説書いていた、そして得意になっていたころですよ。それが「自然主義だ」と。いろんなつまらん恋愛を書いてだね、心理的な小説をいくつもいくつも書いて、得意になっていた頃ですよ。いろんなつまらん恋愛、心理的な小説を幾つも幾つも書いてえばっていたころに、・・・・柳田さんはおそらく「なーにをしてるんだ諸君」と言いたかったんだな。僕はそう思うよ。

 僕がいま語っているのが人生なんだよ。何だよ、諸君の教育なんかいう、自然機微だ、これこそ人生の真相だなどとえばり腐ったものは、・・・あんなものはみな言葉じゃないか。よくもまあ、あんなこせこせした小生意気な、恋愛みたいなものを書いて、これを人生の真相なんて言っているなら、まあそういう囚人が子供二人を殺して死んだか。そういう話を・・・・・・聞いてごらん。

 そういう話。悲惨な話しですけれどね、・・・だけどだね、その子どもね、もっと違ったところから見るとねえ、こんな健全なことはないんです。お父っつぁんが可哀そうでたまらなかったんですよ、子どもは。・・・それはひもじかったけれども知れないけれど「俺たちが死ねば少しはお父っつぁんは助かるだろう」という気持ちでいっぱいなんじゃないか。

 それだから君、・・平気で君・・そういう精神の力でだね、・・・・・鉈を研いだんでしょ? そういうものを見ますとね、実になんと言いますかね、言葉に、言葉というものにとらわれないよ。・・・・・もっと言えば心理なって言っていいね。心理額にとらわれない、本当の人間の魂、そういうきっと子どもの魂がどこかにいますよ。

そういう話を聴いて感動するる私は・・・・魂はきっといるね。

<以上>

この話は最近出版された小林秀雄著『学生との対話』(新潮社)にも収められている話です。

 今の私ならば、「神はどこまで人間に無関心なのか」を重ねます。

 毎日のように展開される、悲哀の現実。

 哲学の動機は「驚き」ではなくして深い人生の悲哀でなければならない。(西田幾多郎『無の自覚的限定』)

 この場合の「悲哀」の主人公は西田先生で、感嘆の表現です。

 私たちは単なる「驚き」に終わってはならない。

 そのようなメッセージもあるように思います。

 昔から哲学は未(いま)だ
 最も深い最も広い
 立場に立っていない
 それを掴みたい
 そういう立場から物を見物を考えたい
 それが私の目的なのです。
          (西田幾多郎)

この言葉は、NHK「日本人は何を考えてきたのか」第11回「近代を超えて~西田幾多郎と京都学派~」番組の最初を飾る言葉で、『日本人は何を考えてきたか(昭和編)「戦争の時代を生きる」』の第三章の文頭にもある言葉。

「昔から哲学は未だ最も深い最も広い立場に立っていない」

 私はここに虚無の深淵、「もと」への探求があり、それが「何ものか」の表現であることを知ります。


祈りの深層

2014年08月22日 | 宗教

子は親から生まれる。

親は子から生まれる。

こんな言葉を題材に思うところを過去に書いたことを思い出しました。

タマゴが先か、親鳥が先か?

などという話の延長線上の話ではありません。

最初の、

子は親から生まれる。

は普通に認められるところですが、次の

親は子から生まれる。

となると、思考視点の転回を図るというよりも、「親」「子」「生まれる」ということばの意味に各自がどのような幅広い意味づけができるかで、問いの広がりがあります。

子を育てることによって親になれる。

もっとも親に近い親になるためには、子育てをする中でそれは培われる。どのような親になるのが理想的なのかは、それぞれに異なるかと思います。

この矛盾したような子と親の生まれの話、一昨年のはじめにテレビ静岡が放送している「テレビ寺子屋」という子育ての教育番組で、ピアニストで作曲家の樹原涼子さんが「祈り」というお話の中で語っていました。

【樹原涼子さん】

 人は親になると祈ることが多くなります。
 子どもが小さいころもそうですが、少し大きくなると手が届きにくくなり、ただ祈ることのほうが多くなります。
 「祈る」という言葉からは、ご利益を願う感じが強いですが、 音楽を仕事にして、子どもを育てるようになってからは、「祈り」は特別のものになりました。・・・・・何のために祈るかですが、子どもが学校に入ることとか、 お金がたくさん儲かるようにということではない「祈り」があります。・・・・・
 
 次男が高校受験の時一緒に合格発表を見に行った時、 私は息子がその学校に入れるようにと祈っていましたが、その時 彼は、「どこに受かるかではなく、 自分の人生にとって一番いいところに入れるように祈っている」と言うのです。 私は感動し、負けたと思いました。
 もちろん勝ち負けではありませんが・・・。 そして、祈ることは深いものだと思いました。・・・・・・・ 

<以上>

この話の中には、親になると「祈ることが多くなる」ということが語られています。

 子の育ての中には抱き包むためのハグする親の姿があり、両腕に抱きかかえる親の姿があります。その子もいつかは巣立ちます。

そこに、親離れして離れ行く子の後姿に、合掌の祈りの親の姿があります。

そんな母がこの世をまっとうすれば、祈られる今は亡き存在となります。

祈る仏に祈られる仏

合掌する仏に、祈る者は、祈られる立場にあることに気づく。

息子の出征の後ろ姿に手を合わせる母。どうぞご無事と祈る。

「祈り」

宗教的無底(Ungrund)の祈りは、哲学的無底(Ungrund)から導かれる祈りとは異なる。

宗教/哲学

この意味を理解するのに1年かかりました。

私は祈りに解釈をつけません。神の内なる自由、人格的な神から非人格な神へ

存在の探求は「もと」えの探求であり、実存的虚無の深淵の「もと」に空を観たのは西谷啓治先生でした。


無底

2014年08月21日 | 哲学

 人間はいまどのような状態になっているのか、実在というものを意識しすると時間と空間にの中で矛盾を抱えることになります。

 意識するということは矛盾を抱えるということです。時間の矢、飛翔する矢はある時は動、ある時は静の内にあるということです。パラドックスの世界はまさに意識過程の産物です。

 しかしながら形成という動的な働きの中に実在を吟味はじめる「もと」の探求が浮かび上がってきます。深淵なる深み、底なし「無底(Ungrund)」などを置きたくなる。しかし神無き後の、あるがままに、なぜあるがままがあるのか。みずからそのようになるように生きているから、とも言えますが、おのずからそのようにもなっているとも考えられます。

 あるがままは、常に矛盾を孕んでいるということが言えます。このような二重性状態を深淵なる無底の根源無き場所からの働からと体感する時、それはまさに一元的なあるがままが、観えてくるのではないかと思うのです。

「あるがまま」という歌を聴き、感動する時の自分は、今の自分よりもっと自分い近いものを感受するのではないでしょうか。

 西田の認識論は、以前の現象学的見方を離れ、行動主義に似たものになる。「行為的直観」が今や標語になる。行為直観とは、知識過程そのものの中に作ることと見ることとの相関が含まれることを意味する。(野田又夫著『哲学の三つの伝統』岩波文庫・第二部「西田幾多郎における東西の綜合」p188)

 人間は歴史的存在ですので時々にその思考視点が推移していきます。より「もと」への探求がそうさせるとも言えます。

 時間が円環であり、また直線でもある。それが常に二重構造に立ち現れている。この実在をより根源的な「もと」への探求に移行して行く時、よりあるがままが観えてくるのではないでしょうか。

 ハイデガーの現象学には、底なしの世界があるのでしょうか。

 生死の二重性に生きる人間。なぜの疑問の先に何があるのか。彼岸にあるのかそれとも天空にあるのかそれとも足下の此岸にあるのか。

 私がもっとも私に近くなる時、「あるがままの私になりたい」が響くのだと思います。自己の深淵から。

 清流の流れのそのもとに、ドクドクと湧き出す水源を見つけます。さらにその水源を見ると底なしの大地から湧き出すのを見ます。