思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

讃酒歌・野狐禅の世界

2011年06月30日 | 仏教

 今年の誕生日は、運転免許証の更新と重なり、新型の免許証になりました。国籍本籍地の既済蘭のないICチップが組み込まれ、暗証番号が2個付いています。

 世の中これほど自分がどこの誰であるかということを端的に証明してくれるものはないわけで、これに金融カードの様な機能も付随すればこれほど便利なものはないと思うわけですが、想定外の問題も必ずあるわけでそう成るうわさも聞かれません。

 現実はそうたやすくないわけです。今朝はそういう現実の中でどう生きるがよろしいか、現実というものに焦点を当てた話をしようと思います。

 最近多く語る万葉集の世界、昨日のEテレ「日めくり万葉集」では、これまた話題にしています倫理学者の竹内整一先生が撰者で、大伴旅人の「酒を讃(ほ)むる歌十三首」からの歌が紹介されました。でした。

 先に紹介された歌が、巻3-349

生ける人
つひにも死ぬる
ものにあらば
今在る間は
楽しくをあらんな


 生きている人は
 いずれ最後には死ぬ
 ものであるから
 今この世にある間は
 楽しく生きよう

次に紹介されたのが、酒を賛むる歌であるのですがこれも「酒」が入らない、

 この世にし
 楽しくあらば
 来む世には
 虫に鳥にも
 我はなりなむ

この歌の訳ですが、竹内先生は、

【竹内先生談】
 自分がいまたのしいのであれば、来世、虫になろうが鳥になろうが構いはしない、と詠っています。彼はこの歌に、当時流行り始めた浄土教への挑戦の意味を込めています。

と語っていました。日めくり万葉集のテキストは、大変親切なテキストで番組内で語られるナレーターの言葉もそのままほぼ100%と記載されていてメモを取る必要がありません。

 残念なのはとても素敵な風景を含んだ画像はどうしても録画で再度見るしかないわけで、印象的なカラー写真の風景等を入れるとなると690円のお手頃価格では収まらない現実の厳しさがあります。

 さてテキストからの引用ですが、当時、伝来した浄土教は、この世は無常ではかないもの、来世で極楽浄土に生きることを人々に説いていました。しかし対照的に、この世で楽しく生きるべきだと大伴旅人は詠っているわけで、このような考え方は連綿と受け継がれていると竹内先生は語っています。

【竹内先生談】
 中世ですと、『徒然草』の「徒然」は単な暇(ひま)ではありません未来へと計画を立て、先へ先へ進むのではなく、今をそれ自体として楽しめというのが『徒然草』の大事なメッセージですが、背景にあるのは厳しい無常感です。
      
 近世の『葉隠(はがくれ)』という武士道の書物でも、来世ではなく、今ここでどうきちんと人や殿様との関係を築いて生きるか、ということが大事なのです。死んでからどこかいい世界に行く、という発想ではない。旅人の言っていることは、『徒然草』や『葉隠』にも繋がっています。

と述べ、万葉のこの時代に旅人のように考える人がいたということの意味は大きいということです。私見ですが芭蕉や西行さんのはるか前に既にそういうことを言う人がいた、ある面普遍的なところを感じます。

さらに竹内先生は次のようにも語っています。

【竹内先生談】
 生きているものが、みな死んでしまうものであるからこそ、今を楽しめるのだよ、楽しむべきなのだと衆人は言いたいのでしょう。

 当たり前のことのようですが、万葉の時代にこのように言っていたのは大事なことです。 我々に対しても、生けるものは必ず死ぬ、だからこそ今を楽しみなさい、と言っている気がします。

 この言葉が番組の最後に語られました。幻想的な夢物語や瞑想世界に遊んでもいられない、「食事はまだか」「宿題は済んだか」「歯は磨いたか」・・・悟りというものがあるとするならば、悟りがあろうがなかろうが、幼子までが現実世界を離れて生きることはできないわけです。

 最近「野狐禅(やこぜん)」について語られたブログを読んで、考えさせられました。

 「野狐禅」とは禅宗の禅問答集の『無門関』の第二則に書かれている話です。

 どんな話かというと、『無門関を読む』(秋月龍著 講談社学術文庫)の現代語訳で次のような内容です。

<引用『無門関を読む』(秋月龍著 講談社学術文庫)から>
  
41 百丈(ひやくじょう)の野狐(やこ)
 
(第二則 百丈野狐)
 百丈和尚が説法されるたびに、ひとりの老人がいて雲水とともに聴法していた。説法が終わって雲水たちが法堂から禅堂に退くと、老人もまたいなくなった。ところが、ある日思いがけなく老人が退場しなかった。そこで禅師は、

「目の前に立っている者は、いったい何人だ」

 と尋ねた。老人は答えた、


(『禅問答の知恵』自由現代社p170から)

「はい、私は人間ではございません。過去の迦葉(かしょう)仏の時代に、百丈山に住職として住んでいました。[そのとき]修行者が、

『大修行の人でも、やはり因果に落ちますか』

と尋ねたので、私は、

『因果に落ちない』

と答えました。[その答えが誤っていたために、]

て[畜生道に輪廻して]います。今どうか老師、私に代わって一転語をはいて、私は五百ペん野狐身に生まれ野狐の身から解脱させてください」
  】一
 そこで老人は[ただちに修行者の立場に立って]、

「大修行の人でも、やはり因果に落ちますか」

 と尋ねた。和尚は答えた、

「因果を昧(くらま)さない」

 老人は言下に大悟して、礼拝して言った、
 
「私はもう野狐の身を解脱しました。[そのぬけがらは、]山の後ろに住めておきます。失礼ながら老師に申し上げます。どうか亡くなった僧侶の事例によって葬っていただきたい」

 和尚は維那(いのう)に命じて白槌(びゃくつい)して雲水たちに告げさせた、

「斎座(禅院の昼食)の後で、亡僧の葬式をする」

 雲水たちは、「一山の大衆(雲水)はみんな健康で、涅槃堂にも病人はいない。どうしてそんなことを言われるのであろうか」

 と言い合った。

 斎座の後で、和尚は雲水たちを率いて山の後ろの大岩の下に行って、杖で一匹の死んだ野狐を挑(は)ね出して火葬にふされた。

 和尚(百丈)はその晩、上堂して、前の因縁を話された。すると、高弟の黄檗(おうばく)がただちに問うた、

「古人(野狐の老人)は誤って一転語を答えて、五百生の野狐身に堕ちた。一つ一つ[問われるたびに]誤らずに答えたら、いったい何になるべきであったろうか」

 和尚は言った、

「近くへ来い。あのお方(前百丈-野狐の老人)のために言おう」
 
 そこで黄檗は近づき進んで、師の百丈に平手打ちをくらわせた。百丈は手を拍(う)って笑って言った、

「達磨の鬚(ひげ)は赤いと思っていたら、なんだ[ここにも]もうひとり赤い鬚の達磨
がいよったわ」

<以上同書p221~p223から>

という話です。あの朝比奈宗源先生は、『無門関提唱』(山喜房佛書林)の中で、

<引用『無門関提唱』(山喜房佛書林)から>

 この則は、禅の見性の上に於ける因果を明らめしむる公案である。大修行底の人、すなわち禅の修行の出来上った人も因果律の支配を受けるかどうか、もし受けるとしたらお釈迦さんでも品行いかんによっては地獄へも行かれねばなるまい。もし又絶対に因果律の支配を受けないとしたら、どんな行いをしてもかまわないか、この重要な禅の倫理性に関する対決の要諦である。

<以上同書p12から>

と語り、野狐禅の話を引用した秋月先生は、その著で、

<引用上記書>

・・・・・この公案、「不落因果」は誤りで、「不昧因果」が正しいのだ、などと解するとしたら、とんでもないことです。無門和尚は言います-----

 「不落因果」で、どうして野狐に堕ちたのか? 「不昧因果」で、どうして野狐から脱したのか? もしここに、ものごとを見ぬく一つの眼が開けたら、前百丈の野狐の身であった五百生が、そのまま実は風流三昧の生涯であったことが分かるだろう、と。

 月を愛で花をながめて暮せかし 仏になすなあたらこの身を

 不落にて野狐になりたる咎(とが)の上に 不昧で脱す二度のあやまち

 狐が狐に安住して他をうらやまぬときを「仏」というのです。人が人に満足せずして他に求めてやまぬときを「狐」と言うのです。ここを「ただ因果のみあって人なし」とも言うのです。

 どこも因果いつも因果となりすませ 外をさぐるな大修行底

<以上上記書p225から>

素人の私にはきつい話で、『笑う禅僧 悩め、苦しめ、そして答えよ!』(安永祖堂著 講談社現代新書)参考にしようかと思ったらキリスト者と公案の話もありますが、さらにきつい話。

 こう叩かれてみれば、痛いのは今で、目が覚めるわけです。

 草木が語ろうが、花が微笑もうが、これは人の志向的な機能の産物で科学的な世の中、その目で見て、触って、嗅いで、時には味わってみれば、その草木の世界があるわけではありません。

 四六時中太陽にさらされ、大地に固定され、渇いたときに雨はなく、欲しくもない時に流される。

 狐だったらどうだろう。腐った肉も食べなければならないだろうし。人様の前でもパンツをはかず逃げ回らなければならないし。犬であったら所構わず片足を上げて、股間をさらし商用をつい小用もしたくなる。

 そんな世界を500回も繰り返した。当然記憶する能力からすれば開けの明星も宵の明星も同一の金星と分かったはず・・・・・。

 大伴家持は違いの分かる男だと思うのです。片手に杯を持ちながら語るのです。

 前にも引用しましたが、家持は当然花が微笑むのを知っているのです。

<どこも因果いつも因果となりすませ 外をさぐるな大修行底>

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

上記に「志向的な機能の産物」と書きました。「志向性(intentionality・Intentionalita)」の世界です。これだと和辻哲郎先生が言うように、ハイデガーの不足分を感じまた竹内先生の言う「花びらは散る 花は散らない」話になるように思います。

 生ける人 つひにも死ぬるものにあらば 今在る間は 楽しくをあらんな

 この世にし 楽しくあらば来む世には 虫に鳥にも 我はなりなむ

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識見と行動力・岩手県釜石市の小中学生たちの逸話

2011年06月29日 | つれづれ記

 Eテレの100de名著ドラッガー『マネージメント』の後は、慶應義塾大学の創始や福沢諭吉翁の『学問のすゝめ』であることは紹介しましたが、第一回の放送は7月6日(水)午後10:00~10:25です。書店にようやくそのテキストが並び早速購入しザット目を通して見ました。

第1回 「学問で人生を切りひらけ」

第2回 「国とわたりあえる人物たれ」

第3回 「独立自尊で生きよ」

第4回 「いま『学問のすゝめ』をどういかすか」

 講師は明治大学文学部教授齋藤孝(さいとう・たかし)先生です。斎藤先生はこの仕事の依頼を受けたのがちょうど3.11東日本大震災が頃であったそうです。

 なぜ今『学問のすゝめ』なのか。そう思う方もおられるのではないでしょうか。

 思うに、人間の行動はある志向的な構えにもとづいて行なわれもので、ここで言う「志向的な構え」とは、哲学者ダニエル・デネットの言葉を借りるならば、

>志向的な構えとは、(人間、動物、人工物)を問わずある対称の行動について、その実体を、「信念」「や「欲求」を「考慮」して、主体的に「活動」を「選択」する合理的な活動体と見なして解釈するという方策<(『こころはどこにあるのか』草思社p56)

という考えによるもので、主体的に「活動」を「選択」する合理的な活動体こそ人間なのだと思います。

 危急の事態に対応できる能力、この番組の最終回に放送される「いま『学問のすゝめ』をどういかすか」では、福翁の教えのキーワードの一つとして「識見と行動力」を上げてています。

 番組ではどのように紹介されるのか楽しみなのですが、このテキストには、第4回の冒頭に「子どもが無事だった町」と題する素晴らしい話が掲載されています。

 私もこの話は知ってはいましたが、細かなところは知りませんでした。大変わかり易く感動する話なので紹介したいと思います。

<Eテレ100de名著『学問のすゝめ』テキストから>

子どもが無事だった町

 この仕事の話をいただいたころ、未曽有の大災害が起こりました。東日本大震災です。マグニチュード九・〇の激震は大地を揺るがし、高さ数十メトトルという津波は、あっという間に住民の命と暮らしを飲み込みました。
                           
 その光景は、l三-スに触れた日本中の人びとを震撼(しんかん)させ、言葉を失わせました。が、そのような悲劇の中にも希望を感じさせるドラマがありました。その一つが、岩手県釜石市の小中学生たちの逸話でした。
                      
 釜石市には、海岸から約一キロのところに鵜住居(うのすまい)小学校、釜石東中学枚が隣壊してあるのですが、地震発生時、両校の管理下にあった約五百七十人は、子どもたちの自主判断で即座に避難行動を開姶し、無事に津波の難から逃れたのです。

 地震発生の瞬間、校舎には大きな被害がなかったため、小学生たちはとりあえず最上階である三階に全員集まりました。しかし、中学生たちはここでは危ないと判断し、校庭に飛び出しました。すると、その様子を窓から見ていた小学生もつられていっせいに校外へ。

中学生はその小学生たちの手を引いて、裏手五百メートル後方の高台にある指定避難場所のグループホームに避難しました。ところが、背後に迫ってくる轟音(こうおん)と波しぶきを見た彼らは、そこでも危険だと判断し、さらに五百メートル後方の介護福祉施設、果ては高台の国道四十五号線沿いの石材店まで退避しました。その間に要した時間はわずか十分。

津波は小中学校を飲み込み、グループホームも飲み込み、介護福祉施設の百メートル手前で止まったのです。

 同じような立地条件にあった他の市町村の学枚は、たいへんな被害を受けました。そのようななかで、なぜ釜石のみに奇跡のようなことが実現したのかというと、同市では教育委員会が専門家の協力を得て、普段から両校合同訓練を行い、非常時にとるべき行動を子どもたちに徹底的に叩き込んでいたのです。

 この地域では、明治、昭和と、何度か大きな津波を経験しているのですが、二〇〇六年に千島列島沖地震が起こつたとき、避難率が十パーセントと低かったため、危機感を感じて訓練を強化したそうです。その際に、「避難三原則」というものを設けました。

それは
「1.想定にとらわれない」
「2・状況下で最善を尽くす」
「3.率先避難者になる」
です。

 じつは、両校の周辺は、明治、昭和の津波の際には被害がなく、釜石市津波浸水予想図では「浸水想定区域外」でした。しかも、今回も揺れそのものによっては、建物の被害はほとんどありませんでした。ですから、一般的に考えれば、建物の最上階に逃げればまあ大丈夫だろうと思ってしまいそうな状況なのです。

 しかし、彼らは、三原則に従って見事な行動をとりました。

「これはふつうの地震ではない」

「津波が来るかもしれないから、もっと高い所へ逃げたほうがいい」

「下級生を連れて、いま、すぐに」

まさに、想定にとらわれず、そのときの状況に対してベストの方法を探りつつ、率先して避難したのです。

 この話を知って、まさに福沢論書の教えを思い出しました。なぜなら、福沢が『学問のすゝめ』 の中で言い続けたことは、このような現実に即した正しい判断力のことだからです。

 最終回の今回は、福沢の教えの中から大きく二つのキーワードについて語っていきたいと思います。一つは、「識見と行動力」 です。

 具体例を挙げるとしたら、いまお話しした釜石の小中学校の話が最高の例です。おそらく、福沢がいまの世に生きていたら、きっとこの小中学生たちの判断力と独立心をたいそうほめ、それを教育した釜石の教育者の方々を同志として高く評価したことでしょう。
 
<以上同書p72~p75>

このテキストは550円です。番組に期待するとともにこのテキストはお薦めです。

 最後に『福翁自伝』の最終章「老余の半生」の最後のことばを紹介します。

<引用『福翁自伝』(岩波文庫)から>

人間の慾に際限なし

 されば私は自身の既往を顧みれば遺憾なきのみか愉快なことばかりであるが、さて人間の慾には際限のないもので、不平を言わすれはマダマダ幾らもある。

 外国交際または内国の憲法政治などについて、それこれと言う議論は政治家のこととして差し置き、私の生涯の中に出来(でか)してみたいと思うところは、全国男女の気品を次第々々に高尚に導いて真実文明の名に恥ずかしくないようにすることと、仏法にても耶蘇教にても孰れにしても宜(よろ)しい、これを引き立てて多数の民心を和らげるようにすることと、大いに金を投じて有形無形、高尚なる学理を研究させるようにすることと、およそこの三カ条です。

人は老しても無病なる限りはただ安閑としては居られず、私も今の通りに健全なる間は身にかなうだけのカを尽す積りです。

<以上同書p317から>

 簡単な三カ条ですが、どれもこれもいまだに中途半端で恥の段階です。特にいけないのが政治家、民心を和らげるどころか逆なでしている、そんな気がします。

 廉恥心・・・これを打ち捨てればある時には力強い原動力にもなりますが、程度があります。これはまた、忘れてはならない人間の持つ唯一の人たるための足かせ、そんな気がします。

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恋心と情識・合歓木(ねぶ)の花

2011年06月28日 | 文藝

 きょうのEテレ「日めくり万葉集」万葉集巻8-1461(紀女郎)・1463(大伴家持)の歌でした。

 撰者は指揮者の大伴直人さんで、歳が相当離れている紀女郎(年上)と大伴家持(青年)との男女間の恋にまつわる話、年上の女性に惚れた青年家持の悲しさや悔しさの吐露に時代の自由さを感じての選出のようです。



< 巻8-1461(紀女郎)>

 昼は咲き
 夜は恋ひ寝る
 合歓木(ねぶ)の花
 君のみ見めや
 戯奴さへに見よ


 昼は咲き、夜は恋して寝る合歓木の花よ。主君(あるじ)の我(われ)だけが見るものではない。下僕(しもべ)のそなたも一緒に見なさいな。



<巻8-1463(大伴家持)>

 我妹子が
 形見の合歓木は
 花のみに
 咲きてけだしく
 実にならじかも


 あなたの、身代わりにくださったあの合歓木は、花だけ咲いてひょっとしたら実を結ばないのではありませんか。

この歌は、紀女郎が家持に送った歌と家持の返しの歌です。

 恋愛の自由さ、恋心の自由さ、万葉時代の自由奔放さを語る歌と言われています。しかし、こんな倫理観もへったくれもない自由さを「集」とする神経は清浄なのかとも疑ってもいいのではないかと思うのです。

 こんな恥ずかしい話を、廉恥心はないのかとの疑いです。

 そこで、このところ時々述べるやまと言葉の「微笑み・笑む」の第二の意味、「花が咲く」でイメージすると「冗談話の明るさ」見えるのです。

 それがその時代の共通感覚ならば「冗談話の明るさ」で「集」にもなるだろうと思うのです。愛欲の世界の自由さなど他人に見せる破廉恥話があるであろうかと思うのです。

 話を変えます。チンパンジーが人間の言葉を話せるとします。この場合に猿から猿社会の人間関係を聞き出せるか、否かという疑問です。

 私は絶対にありえないと思うのです。なぜなら・・・チンパンジーは目の前で裸です。人前で裸でいることに廉恥心がない動物が、そもそも人間と共通の次元で意思に疎通ができるわけがないと思うのです。

 安心できる人間か、敵ではない存在か、飢えを満たしてくれるものか・・・個体としての存続に益がある善きことならば親近感を感じることができても、人間の想像し得る話はできないと思うのです。

「恥文化は日本特有か」となると旧約の世界の無花果の葉が示すところです。「恥は」人間の特有の感覚ではなかろうかと思います。

 愛欲はひっそりとしたものであろう、と思うのです。したがって上記の歌は、「花が咲く」という微笑み返しで詠んだ方が善いのではないか、そういう気がするのです。

 詩人で評論家の東京芸術大学名誉教授大岡信(おおおか・まこと)先生は、『私の万葉集(三)』(講談社現代新書)で次のように述べています。

<引用『私の万葉集(三)』(講談社現代新書)から>

・・・・・家持がこの巻を構成する作品を個人的な資料として集め、その後あらためて手を加えることをせずに、万葉の巻八として編んだことを証拠だてるものだと見なされているわけです。

「形見」は、身代りの品。「花」と「実」の対比は、花だけ咲いて、ひょっとすると実はつかないのではないか、と言いたいため。(巻8-1463)

 わが君さまにこの若輩めは恋しているらしうございます。ご下賜になった茅花(つばな)、いくら食してもますます恋痩せに痩せてしまいまして。(巻8-1462)

 いとしいあなたの身代りにやってきた合歓木は、花ばかりが咲いて、ひょっとすると実を結ばないんじゃないでしょうか。(巻8-1463)

 一首目は、「恋しているらしい」などとは言っているものの、どうもいい加減な気持ちらしいという印象があります。単なる言葉のお遊びで逃げている感じです。

 二首目はさらにその感が強いようです。ここでは家持は、相手の言葉を、美しい花は咲かせているが、実は結ばないのではないのか、と言っています。この言い方は恋歌の常套手段の一つで、私はあなたを心から愛しているが、あなたの方は言葉だけなのではないか、といって、相手の気持ちを疑ってみせる形をとります。

平安朝和歌では紋切り型の一種とまでなってゆくものです。家持の歌はそういう恋歌の、いわば走りの一つともいえるでしょう。

 この種の技巧は、心に多少やましいところを持っている恋人がよく使う手で、ここでの家持がそうだというのではありませんが、彼はどうやら紀女郎の恋ごころの表現を、多少深情けの重苦しさとして感じている面がありそうに思われます。

<以上同書p24~p26>

 学者先生方のいうことですのでそれでいいのかも知れませんが、春先からの木々に咲く花、草花の花の姿を見る際に「微笑む・笑む」で見ると本当にそう見えるので不思議です。

 先ほどのチンパンジーの話ではありませんが、花と話しができると決して微笑んでるとは言わないでしょう。

 「嫌だねこんなところで一日中太陽にさらされ、暑いし、動けないし気が狂いそうだ」

そういわれそうです。

 「微笑み」は、あくまでも人間の微笑みであって親愛の情の顕現であろうと思います。

 花にそう感じる心を取り戻すことは、現代人の失いつつある情識の体得になるように思います。

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時じき藤のめづらしく(2)・やまと言葉の心像

2011年06月28日 | 古代精神史

【続】
時じき藤のめづらしく・和辻哲郎[2011年06月26日]
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/7a21ce6559cd462e4820e187dce63579

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 最近書店行き新書コーナーに『ふしぎなキリスト教』(講談社現代新書)が他の本を押して積まれているのを見て、不思議に思い手にとって作者を見ると、社会学者の橋爪大三郎先生と大澤真幸先生の対談集でした。

 出かけた書店が平安堂という書店で、長野市に本店がある関係から大澤先生は長野県出身ですので、そんな関係もあって他の本よりも目立ち、量も多いのかと思った次第です。

 大澤先生は、NHK連続テレビ小説おひさまの舞台にもなっている松本市の出身で、信大付属中学を卒業後、県下でも有名な進学校である県立深志高校を経由して東京大学文学部社会学科を出られた社会学者で、何か身近に感じつい買う癖が出て購入しました。

 最近はこの本に対するキリスト教者の方の批判記事をよく見かける一方キリスト教の歴史的な背景や現代社会の中での影響力がよくわかるという方もおられ、値段にしては大変興味深く読むことができました。

 そもそも社会学者が書かれている本で、宗教批判書ではなく現代を分析したところその姿(影響)がみられ、その歴史に大きく関わりを持つ宗教という視点で見れば、大澤先生のよく言う「裏返しの終末論」(http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/c5f345ee7361c2c03627aa2bfe84c23b)にも通じる話です。

 ちょっと気にかかったのは、著書とは関係ありませんが、略歴(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)をみると、

千葉大学文学部講師・助教授、1997年京都大学人間・環境学研究科助教授。2007年同研究科教授に昇格。2009年9月1日付で自己都合で辞職。

>自己都合で辞職<

とあり驚きました。
 最近原子力保安員でメガネをかけたケロヨンに似た中年の方が通産省の職員との関係が露呈して騒がれていましたが、どうもその類の話がサイトを駆け巡っていました。

 ということで噂話(保安員は自認していました)で人を批判しようというわけではありません。

 脳科学の話ですが恋愛をすると倫理脳の機能が低下する話を過去にNHKの番組で知りました。

 恋は盲目と言い、不自然な行動も当人同士間ではごく自然な行動になってしまうので、いけないことも、どうしても表ざたになってしまいます。

 今回言いたいのは「脳」というものは不思議で、またどこにあるのか分からない「心」もまた不思議なものだという話です。

 これも講談社現代新書の本ですが、失語症の専門家で医学博士の山鳥重(やまどり・あつし)先生が『言葉と脳と心 失語症とは何か』(2011.1.20)という本を書かれています。

 最近は言語学ではありませんが「ことば」にとりわけ言及することが多いので、医学者の「ことば」の取扱いに注目したいと思います。

<引用『言葉と脳と心』(講談社現代新書)から>

 言葉は心像に名前を与え、整理ずる

 さて、こうした心の中のイメージ(心像)を整理してくれるもの、それが言葉です。
 言葉はわれわれが気づきやすい対象(知覚心像)に名前をつけてくれるだけでなく、感情や観念(超知覚性心像)など、気づきにくい対象にも名前をつけて、気づきやすい状態に変えてくれるのです。

 名前というのは、それ自身、耳から聞こえる場合は聴覚心像として気づかれます。その名前を文字で表せば、目から見える視覚心像として気づかれます。しかも、それらの名前はすべて記号、すなわち社会全体の約束事として用いられているものです。つまり、はっきりしたカタチを持っています。ですから、あるモノが名前を持つと、それまで気づきにくかったものも、聴覚性や、視覚性の、気づきやすい感覚経験として自覚できるのです。

 たとえぼ、感情の場合です。感情の中でも、情動性感情というのは、そもそもカタチを作っていないためになかなか自覚しにくいものです。ある人を見ると、いつも必ずなんとなくムシャクシャした気持ちが起こつてくるとします。これだけだと自分に何が起こっているのかもうひとつわかりません。

もしこの場合、テキイとか、シットとかいう名前が浮かびますと、その言葉、「シット」という聴覚性の言語音心像や、あるいは「嫉妬」という視覚性文字心像が、それまではっきりとは気づかなかった感情の感覚化を助けてくれるため、気づきやすくなるのです。

 観念(超知覚性心像)の場合も同じです。たとえば、「チカラ」という観念を考えてみてください。「力」は、誰かと相撲を取って投げ飛ばしたり、家具を持ち上げたり、動かない自動車を押したりするときに立ち上がる視覚心像、触覚心像、さらには身体感覚性心像(筋肉感覚)などが収赦(しゅうれん)して作り上げる、ひとつの感覚を超越した心像ですが、心像とは言うものの、具体的な姿(視覚心像)や、具体的な声音(聴覚心像)、具体的なからだの動き(身体覚心像)などの知覚心像に比べれば、心像としてのカタチ度は格段に低いのです。

 しかし、この心像にチカラという音声記号が貼り付けられると、この気づきにくい心像(観念)は、聴覚性知覚という意識の明るみへ引き出せるようになります。つまり心の中でカタチ度が高まり、かなり気づきやすくなるのです。

チカラという聴覚性言語心像が「力」という、経験の奥に潜んでいる超知覚性心像(自覚しにくい心像)をいわば、見えるよう(視覚性文字心像)に、あるいは音として心に聞こえるように(聴覚性言語音心像)してくれるのです。

 面倒なことを言いますが、知覚心像そのものも、カタチとして切れているように感じますが、その本質はやはり連続です。無形の感情に較べれぼ非連続に思えますが、このカタチは感情の連続の中から人為的に切り出される非連続であって、本質的には時間的にも空間的にもつながった状態です。この状態を哲学者のアンリ・ベルグソンは相互浸透とか、純粋持続などと呼んでいます。

 主観が経験する心像は嗅覚より味覚、味覚より聴覚、聴覚より視覚とカタチ度を増していくように思えますが、この経験の差はおそらく処理ニューロンの数と関係しているのではないかと考えられます。根は連続なのですが、大脳皮質の処理ニューロンの数が増えるにしたがって、経験のカタマリを分化する能力が高まっていくのでしょう。

ヒトの場合、視覚性処理領域は聴覚性処理領域に比べ明らかに広くなっています(46ぺ-ジ、図2)。



このことは視覚性感情という連続を視覚心像という非連続へ分化する能力のほうが、聴覚性感情を聴覚心像へ分化する能力より高い、というわれわれの経験によく対応しています。

<以上同書p233~p236>

ここで使われている「心像」という言葉ですが、著者はこの著書のキーワードになる言葉だと説明し次のように言っています。

>心の動きである思考や言語活動の元は、心がつくり出すさまざまなイメージです。これらのイメージををわたしは「心像」と呼んでいます。・・・・・大脳の、視覚や聴覚などが外界の知覚をつかさどる領域に新しい情報が流入したとします。すると、その情報によって、心には、それまでの感情や感覚に波や滞りが生じます。この動きが、心に一定のイメージを作り出します。心が自分の中に生じた変化をある種のカタチとして意識するのです。この、心に生まれ、われわれがカタチとして意識するものが、わたしの言う「心像」です(同書p21~p22)。<

 視覚世界で花が咲いている姿を見ている。「花が咲いているなあ~」と内心の言葉で心で語られ、「君の微笑み」がイメージされる。

 咲くに=微笑む

 うつす=写す、映す、移す、遷す・・・

 かげ(影)=光

動的なイメージ=もの=聴覚性や、視覚性の、気づきやすい感覚経験として自覚できる

やまと言葉で作りだされる心像の世界。

万葉集巻8-1627
 
 我(わ)がやどの
 時(とき)じき藤(ふぢ)の
 めづらしく
 今も見てしか
 妹が笑(ゑ)まひを
        (大伴家持)


 わが家に庭の季節はずれに咲いた藤の花のように、珍しく愛らしいものとして、たった今見たいものです。あなたの笑顔を。

 花の微笑み(咲く)=妹が微笑み(笑み)

 新潮社日本古典集成『万葉集第二巻p356』では「愛らしいものとして」となっていますが、これは更なる心像で付加的要素であって元は「咲く」にあるように思います。やまと言葉の不思議です。

 花が咲き微笑むので、あなたの微笑みが見たくなりました。

この方が古人(いにしえびと)のイメージの世界に近いように思います。

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刹那の詩(うた)

2011年06月27日 | つれづれ記

 Eテレの日曜午後6時の時間帯は、「白熱教室」の時間帯です。昨日26日から東京工業大学の「白熱教室」が始まりました。

 サイトによる紹介には、

宇佐美 誠教授の「白熱教室」

 東京工業大学大学院、宇佐美誠教授による「法哲学」の講義を取り上げます。この講義では、法律をつくる際の前提となる「正義」、「自由」、「平等」について考えます。東工大は、科学の発展を担う者には幅広い教養が不可欠という考えから人文系の教育にも力を入れています。授業は、貧困や環境問題など実生活で起こりうる具体的な社会問題をテーマに、4回にわたって討論形式で行われ、3・11震災後の日本社会のあり方についても広く議論していきます。

 第1回 「正義は国境を越えられるか」 6月26日(日) Eテレ 午後6時第1回の討論では、「いま日本が、途上国の貧困層への支援に多額の支出をするのは、疑問だ。東日本大震災国内の被災者へ支援は緊急の課題であり、ワーキング・プアの状況も深刻である。
こうした国内の不利な人々をまず十分に支援すべきで、海の向こうの人々のことはその次だ」という意見に賛成か、反対か、そしてその理由は何かを問います。途上国では10億人以上の貧困層が生命の危険にさらされている一方、国内の被災者たちも支援を必要としています。なぜ先進国は途上国に援助しなければならないのか?国内支援を優先するとすれば、その根拠は何か?学生たちは討論を通じて探っていきます。

<以上白熱教室サイトから>

 マイケル・サンデル教の白熱教室以来あまり観ることがなくなっていましたが、昨日は政治哲学の視線ではなく、法哲学の視点からの白熱教室とのことでしたので観てみました。

 とても分かりやすい内容で大変勉強になりました。現代日本における「正義」の論議、それも法哲学からの視点、現代はこうなのかもしれません。そう思いました。

 東京工業大学社会理工学研究科(大学院)宇佐美 誠 (うさみ・まこと)教授が進める白熱教室、第1回目は「正義は国境を越えられるか」という論題で、東日本大震災に見舞われた日本、外に目を移せば海外では貧困に見舞われた国が今も存在する。

 そのような貧困の途上国に対する援助、それを継続すべきか否か、このジレンマに正義を見ようとする内容でした。

宇佐美先生の略歴ですが、サイトによると、

略歴
 名古屋大学大学院法学研究科博士課程(前期)修了。1997年から2年間、ハーバード大学の客員研究員を務め、帰国後、本格的に討論型授業を取り入れる。中京大学教授を経て現職。専門は法哲学。著書に『正義の領域』(仮題、勁草書房、近刊)、『政策の原理と類型』(ミネルヴァ書房、近刊)、『決定』(東京大学出版会)、『公共的決定としての法』(木鐸社)など。編著・共編著に、『ドゥオーキン』『法学と経済学のあいだ』(以上、勁草書房)、『世代間関係から考える公共性』(東京大学出版会)、訳書に、『裁判の正義』(木鐸社)など。

という方です。

番組後、次のような詩が浮かびました。

<刹那の詩(うた)>

 真実性を語る上においては、その真実性を確信しなければ互いの価値観の共有は不可能ではないだろうか。そんな考えに至る。

 時じき人間が微笑むとき、その微笑みは何に向けられるであろうか。

 魂はものであって、物ではない。魂はものであって、者ではない。

 空間と時間のその刹那においては、われの決断しかない。

 東ニ病気ノコドモアレバ
 行ッテ看病シテヤリ
 西ニツカレタ母アレバ
 行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
 南ニ死ニサウナ人アレバ
 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
 北ニケンクヮヤソショウガアレバ
 ツマラナイカラヤメロトイヒ
 ヒドリノトキハナミダヲナガシ
 サムサノナツハオロオロアルキ
 ミンナニデクノボートヨバレ
 ホメラレモセズ
 クニモサレズ
 サウイフモノニ
 ワタシハナリタイ
 
困窮する人がいれば、手を差し伸べる。

単純な自己決定と行動である。

刹那に疑念はなく、ジレンマは成立しない。

東に困る人がいれば、温かい手を差し伸べるだけである、

その場のその時の立ち位置の、そのものたる者の力の意志(心の叫び)である。

出来ない意志もあろうし、捨て去り向かう意志もあろう。

時はそこに無常に流れる。

近く(日本)の場にあるものが、どうして遠く(他国)を見つめることができようか。

救いの手と言うならば、その手はどこの立ち位置にあり、その刹那の判断は自明の理であろう。

そこに正義の論議はない。

救いの正義は、刹那のその場の救いである。

ありもしない時間とありもしない空間をありありと見つめるから、観えるものも見えなくなる。

 刹那に時間(とき)を観、刹那に場を観る。
 
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

感じるのは、番組のような議論はとても必要なのですが、肝心の政治家の、政府の姿に、涙こぼれる。

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自然の「にほい(匂い」

2011年06月27日 | つれづれ記

 明治維新後から太平洋戦争前までの外国留学等をした人々の改めて日本の心を語る文章を調べていると芸術家の自然観に関する言動を見ることのできる文章を目にすることができました。

 数学者の岡潔先生はその道の人ならば、知る人ぞ知り特異な存在ですが、私など素人にとっては、これまた通らなければならない人です。

 <寝耳に水の大東亜戦争に突入された苦しい経験から、今度何か大きな心配が目についたら1億の同胞に知らせようと、心に決めいました。それが見え始めてきましたので、私は5年間に汎(わた)り警鐘を乱打し続けてきましたが、研究の途中でいったこと、いいつくせなかったことがいろいろとあり、今この本を書きました>

と言って書かれた『春の雲』(講談社現代新書)に洋画家の坂本繁二郎画伯との「日本のこころ」と題した対談を見ることができたので紹介したいと思います。

 坂本画伯ですが、同署にその略歴が掲載され次のように紹介しています。

 

<引用『春の雲』(講談社現代新書)から>

坂本繁二郎氏略歴
 一八八二年、久留米市に生まれた。洋画家。一九〇二年に上京し、不同舎で油彩を学び、初期文展で活躍した。一九一四年、二科会創立に参加し、一九二一年にフランスに渡った。
 
 一九二四年、帰国したが、以後は郷里にこもり、現在は八女市在住。坂本芸術は、同級の青木繁と対照的に、理づめで組織的であり、物を実体的につかむ傾向をもっているといわれる。又若い頃から哲学の問題を美との関係においてたえず考えた。
 
 四十台末期からは、馬の絵をかき、黙々として精進一途の生活に打ちこんできた。一九四六年には、芸術院会員に推されたが断わった。一九五六年、文化勲章受賞り八十四歳。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

対話・坂本繁二郎・岡潔---日本のこころ

<1> 自然然
 
《失望したフラシス》
 
(ひょうひょうとしてこだわりのない岡さん。『数学の岡です。』とあいさつ。耳の遠い坂本さんが耳に手をあてたので、口を寄せてもうひと声。長年会いたいと思っていた人だそうで、初対面でも再会のようななつかしい表情だ。謹厳な坂本さんも思わずニッコリ。)

 岡
 党生がフランスへおいでになったのはいつでしたか。

 坂本
 大正十年から十三年まででした。近ごろの絵かきは、フランスはいいところとみんな出かけます。わたしも行った当座、そう思ったのですが、それがいるうちに、日本とくらべてだんだんものたりなくなってきました。

 岡 
 そうそう。わたしが行ったのは昭和四年から三年間です。そのとおりわたしもひどくものたりなく、帰国して日本を調べ直しました。芭蕉とか道元のものなビ読みふけったものです。

 坂本 
 向こうでは合理的というか、ちゃんと理屈の通ったことだけ受けとって、もうひとつ奥のことは考えません。自然というもの全部を人間の解釈でわりきったつもりです。人間が主になった解釈で、表面はいちおうもっともらしいのですが、ほんとうの自分の気持ちには納得できぬ矛盾が出てきました。

 岡 
 そうですか。

 坂本 
 絵かきはなにしろ哀調子、相手はただ自然です。何がものたりないのか、だんだん考えていますと、向こうの自然の変化の不足に気がつきました。日本のように四季がない。とくに日本の夏の実感がなく、春からそのまま秋になります。ムンムンする夏がないことはいいようですが、植物、動物、万物が活発に働く夏の体験は、絵かきにとってとくに必要で、その点、春夏秋冬ゆったりと、それらしくめぐる日本は実にいいです。

 岡 
 実に恵まれています。四季のないところで数学をやれといってもできないのです。

 坂本 
 驚いた記憶ですが、フランスの花にはにおいがありません。いくら美しくとも、造花
のようなかわいたさみしさを感じました。

 岡 
 そうそう。わたしも故郷に帰って電車から降りると、木の葉のにおいがいきなり鼻をつ
き、なつかしく思いました。

 坂本 
 樹木の枝ぶり・・・・・。

 岡 
 みんな左右対称ですね。そのせいか西洋人はシンメトリーを愛するようで、数学にすらその審美感が表われます。日本人にはあれはいやですね。

 坂本 
 一つ見るとほかのことまで想像できます。日本はその点、千変万化、春夏秋冬の豊かさが実感できます。

 岡 
 四季の豊かさは表情のようなもの。西洋は日本のように雨降れは降ってよく、日が照れ
は照ってよく、凧、曇りみなよしといった心がありません。

 坂本 
 こんな恵まれた国がほかにどこかありますでしょうか。

 岡 
 ありませんね。それにこうした自然の忠ゐをすなおに感受する国民もまたありません。

(お茶とハゼの実と緑の野山があるからといって、昭和六年、八女市に層を定めた坂本さん。『日本に生まれて大事福でした。』とつくづく語る。)

 坂本 
 それに日本はもう一つ、独特なことは、台風・大水・大地霹、毎年ひどい災難が襲ってきます。不幸な災難なのですが、一方これが人間をきたえてくれるのです。とことんまでやられ、スッテンコロリン、はだかにされても、なにくそっと出直し、反発発奮の根性を挙ってくれます。日本に生まれて率いです。

 岡 ・・・・・(これだな、宮本武蔵を思わさせるのは。)

《自然を「認識」する》

 岡 パリではやはりモンマルトルにお住まいでしたか。

 坂本 
 あちこちです。わたしにはどこでもいいのです。ただ自然を認識することだけが目標でした。

 岡 
 自然を認識する----「自然」とか「認識」とかは西洋のことはですが・・・・・。先生は」日然は『見るのでなく、見えてくる』とよくいっておられますね。その「見えてくる自」は西洋の自然ではありません。西洋人にとっての自然は人間に対立するもの、人間が征服すべきものです。芸術において自然はそう扱われています。

 セザンヌなんか、自然をよほどていねいに見つめた画家ですが、作品はどこかもの悲しい。いかにも底知れぬ人の世の寂しさがにじんでいます。西洋人は自然に対立する心で立ち向かうので「見る自然」だけしか感じとれません。「見る」を捨てて自然のふところにはいれは、自然はあたたかく人を包んでくれています。すべて自然に向かう人の心しだい。その分に応じて「見えてくる」のです。
 
 仏はたえず慈悲の心を持ち、人の目につくようにしてやろうと思っているのですが、人の心がそれを拒んでいる間は、仏にもどうしようもない。『自然は如来ではないが、自然を離れて如来はない』といいます。「自然は物質」という西洋人の心で臨むなら、自然もそうとしてしかありえません。セザンヌのもの悲しさも当然でしょうか。

 坂本 
 向こうの作品ですが、人間が主で自然が従。自然を処理しています。ワザをかくして自然をつかむのではなく、ワザがいばっています。腕力をふるい、いかにも腕力を誇っています。

 ルーペンスなど、まるで化けもののような腕力で、ちょっと見ると驚かされてしまいます。最初、わたしもド肝を抜かれ、とてもかなわぬと思ったものですが、とかく人間のした仕事が大事で、仕事以上のものがありません。

 岡 
 セザンヌも自然を処理し、構成しています。あの心で臨んでは自然の背後のものはつかみようがありません。ただ人の世の悲しみをあふれさせるだけです。

(岡さんのことばには柔らかい関西調があり、話すほどに早口になり、調子に乗ると歌うような感じ。坂本さんは、素朴な筑後弁をそのまままじえる。微笑がヤギひげの顔から離れず、ひと言ひと言確かめるように語る。)

 坂本 自然派の絵画も底抜けではなく、自然の型にはまって理屈どおりです。

 岡 
 理屈どおりでは実の不思議がありません。コロー、ミレーがお好きとか・・・・・。

 坂本 
 かれらは西洋画家の中でも「日本」に近づいていると思います。

 岡 
 ミレーはたぶん、敬虔な心の持ち主だったのでしょう。それで作品の中に自我が跳梁しなかったのです。西洋画も、もともと宗教画から発達したのでしょうが、西洋人はひじょに自我が強いので、近づいても底が抜けないのですね。

・・・・以下略

<以上同書p183~189>

この後にも自然に関する対談は続いていますが、このころの人は皆同じようなことを言っています。

 現代社会では、渡航はさほど珍しいことではなく、家にいても外国の文化や自然御姿を見ることはできます(自然の匂いはダメですが)。

 現代人はこんなことはまず言わないでしょう。自分の言葉で語る人がいれば逆に特異な人に見られます。

 日本人が忘れているもの・・・・・それは自然の匂いかも知れません。

※写真は坂本繁二郎画伯の絵画です.

 

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時じき藤のめづらしく・和辻哲郎

2011年06月26日 | 古代精神史

 最近のブログ内容の中で倫理学者の和辻哲郎先生の『続日本精神史研究』の「日本語と哲学問題」(和辻哲郎全集第4巻p506~)論文を受けての万葉学者中西進先生、長谷川三千子先生の「やまとことばの思考」「日本語の哲学へ」についてアップしています。

 私自身そもそも和辻哲郎先生については、倫理学者であることは知っているものの学問的樹立の出発点については全く知らないのが事実です。

 あとで触れますが、和辻哲郎先生の上記の論文を読んでいると、現象学の手法を用い、存在論を展開したドイツのハイデッガーの名が出てきます。

 どうして出てくるのか、和辻先生は1927年から1年ですがドイツ留学をし直接ハイデッガーから教えを受けているからです。

 ドイツで現象学の教授を受けた和辻先生は、違和感を感じハイデッガーの限界を感じます。

 どのような限界を見たのかについて、非常に分かりやすい解説本があります。
以前にも九鬼周造先生の論の参考にした著書『ハイデッガーと日本の哲学』(嶺秀樹著 ミネルヴァ書房)で、今回はその中から次の文章を紹介します。

<『ハイデッガーと日本の哲学』第一章ハイデッガーの「存在の問い」から>

 ハイデッガーが和辻の思想形成にとってどういう機能を果たしていたかを見るためには、まず『風土』の序文でハイデッガーに言及している箇所を見てみるのがよい。和辻はそこでハイデッガーの『存在と時間』との出会いを回顧しつつ、風土の問題に到達したゆえんを語っている。

『風土』の構想における和辻のハイデッガー受容の意味が何であったか、それが和辻の倫理学の構想全体とどのように連関しているかに、まず注目してみよう。

 「自分が風土性の問題を考えはじめたのは、一九二七年の初夏、ベルリンにおいてハイデッガーの『有と時間』を読んだ時である。人の存在の構造を時間性として把捉する試みは、自分にとって 非常に興味深いものであった。しかし時間性がかく主体的存在構造として活かされたときに、なぜ同時に空間性が、同じく根源的な存在構造として、活かされて来ないのか、それが自分には問題であった。もちろんハイデッガーにおいても空間性が全然顔を出さないのではない。人の存在における具体的な空間への注視からして、ドイツ浪漫派の(生ける自然)が新しく蘇生させられるかに見えている。しかしそれは時間性の強い照明の中でほとんど影を失い去った。そこに自分はハイデッガーの仕事の限界を見たのである。」

 和辻のハイデッガー批判の第一の点は、人間存在の構造を解明する際に空間性を軽視したことにある。

その理由として和辻は、ハイデッガーの「現存在」(Dasein)があくまで「個人」にすぎず、個人的・社会的な二重構造をもつ間柄としての「人間存在」ではなかったことを挙げている。もしハイデッガーが人間存在をこの具体的な二重構造の内で把捉していたなら、時間性を空間性との相即において見ようとしたはずである。

空間性も具体性を獲得して、「風土性」としてその真相を願わにするに至ったであろう。しかしハイデッガーは人間存在を間柄存在としては十分捉えなかった。それゆえに、時間性と空間性の相即、ひいては歴史性と風土性の相即も、十分把握することができなかった、というわけである。

 もちろんハイデッガーをこのように批判する和辻も、ハイデッガーにとって空間性が時間性とならぶ現存在の本質的契機であったことを認めないわけではない。事実、『存在と時間』においてハイデッガーは空間性の分析に多大な紙幅をさいている。デカルト的空間、近代の自然科学的な均質空間を、人間が住まう日常的手許世界的空間と対比し、道具と交渉する世界内存在の空間的な構造連関を明らかにしょうとしている。

実存のいわば生きた身体的空間に空間性の第一義的意味を与え、人の存在の具体的な空間を切り開いていくハイデッガーの手法は、和辻の評価するところでもある。しかし我々が見ても、ハイデッガーの場合、空間性は現存在の本質的構造契機をなすものとして一度は主題化されたものの、本来的実存の結節点ともいうべき「死への存在」や現存在の本質的構造を構成する「時間性」を分析するくだりになると、すっかり背後に退いてしまう。

現存在に固有な実存の全体性を開示させる機能は、もっぱら時間性に帰せられる。現存在の歴史性も実存の時間性のみに基礎づけられている。和辻のいう空間性、風土性は、現存在の歴史性を分析するハイデッガーの視野にはまったく入ってこないといって言い過ぎではない。こうしたハイデッガーの空間性軽視のよって来たるところを追及し、その欠陥を補い、新たな人間学を構想すること、これこそ和辻が自らに課した課題であった。

ちなみに和辻のいうところでは、人間存在にとって風土性が重要な契機であることに気づいたのは、留学中に様々な印象深い風土に触れたことによるが、ハイデッガーの時間性の綿密な分析に触発されて、風土の問題を自覚するようになり、ハイデッガーの構想の問題点も分かってきたとのことである。・・・・・

<以上同書pp18~p20から>

 私はここで語られている、「人間存在にとって風土性が重要な契機である」という点に和辻の思想の根底にあるものを思います。

 『続日本精神史研究』という著書ですが、次の文章に個人的に惹かれるものがあります。

<同書「日本語と哲学の問題 一国民的特性としての言語」から>

 ・・・・・彼の力説するDaseinは根本においては個人であって、個人的・社会的なる二重性格を有する人間存在ではない。従って彼(ハイデッガー)は言語を個人と道具との了解的交渉の場面から取り出したのであって、人と人との間の実践的交渉の場面から取り出したのではない。

だから彼の綿密をきわめた分析も「ともに生き、ともに語る相手なした言語が発達するという無意義なこと」(マルクス)を取り扱っているに過ぎない。言語の本質の根本的な開明は単にDaseinの構造全体の理解によってのみ得られるのではなく、かかるDaseinがはめ込まれている社会存在の構造全体の理解をまたねばならぬのである。

しかし社会存在の構造もこれを社会の身体から引き離して考察するならば言語の相違や民族の精神的特性と無縁なものになる。社会存在の場所的性格を把握することのみがこれらの問題を正しく解決せしめるでああろう。

ところでこの場所的性格への通路を提供するものは、風土あるいは水土と呼ばれる現象である。かかる現象を介して社会の身体を捕え得たのちに、初めてハイデッガーのいわゆる道具との交渉が具体的な意義を持ちきたるのである。人がbesorgendに出合う「手近なもの」との交渉において、その「何のため」「何をもって」は社会存在の場所的性格の方から限定せられて来る。

たとえば太陽、山、河、草木、野原等々の「道具」は、どこでも同じ性格、同じ用をもって交渉せられるのではない。太陽が烙けつくごとく熟い場合と幽かな暖かさをしか感じさせない場合と、あるいは山野が旺盛なる植物に覆われている場合と一滴の水もなく乾燥してただ死骸のごとき岩と砂とのみである場合と、そこに存する「何をもって」は明白に異なって来る。

しからばそれぞれの場合の交渉も、すなわち「その中」(Worin)も特殊な性格を帯びざるを得ぬ。しかるに「その中」こそまさにDaseinが存在論以前にすでに存在的に持っている存在了解にほかならない。存在了解の特殊性はすなわちDaseinの有り方の特殊性であり、それはさらにDaseinの自己了解性を現わす仕方の特殊性として、すなわち言語の特殊性として、現われざるを得ぬのである。

かく考えれば言語の民族的相違の問題は言語の最も深い根柢とからみ合っているのである。かかる相違を捨象して言語の本質を考えることは、具体的に言語を取り扱うことにはならない。フンボルトが「言語の構造は国民の清神的特性そのものである」と主張したことは、非常な卓見だと言わねばならぬ。

言語のごとき具体的な生の表現は精神史的な理解なしに取り扱われ得ないのである。言語を人間存在の根抵から説こうとする場合にさえもこの事は動かない。それぞれの特殊な言語を離れて一般的言語などというものがどこにも存しないことは、何人も認めざるを得ない明白な事実である。

<以上同書p508~p509から>

この中の、

>太陽、山、河、草木、野原等々の「道具」は、どこでも同じ性格、同じ用をもって交渉せられるのではない。<

何をか言わんです。

 万葉集巻8-1627

 我(わ)がやどの
 時(とき)じき藤(ふぢ)の
 めづらしく
 今も見てしか
 妹が笑(ゑ)まひを
        (大伴家持)

季節はずれに咲いた藤の花。藤の花が微笑むです。
それを見ると、あなたの微笑みがみたくなる。

この歌のいろいろな注釈書を見てみましたが、花の微笑みについて言及するものは今のところありません。

 大伴家持作のこの歌です。花の微笑みを見ないわけはありません。

 花びらは散っても花は散らない

花は単なる物、道具ではない。私はそう思います。

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福翁百話における「無」

2011年06月26日 | つれづれ記

 Eテレ100分 de 名著は、現在ドラッカーの著書「マネジメント」が放送されています。7月6日に再放送も含め「マネジメント」は終了し、次に放送されるのは慶応大学創始者の福沢諭吉先生の『学問のすゝめ』です。

  語り手は、教育学者の明治大学文学部教授の齋藤孝先生です。2009年に『学問のすすめ 現代語訳』(ちくま新書)から出されており教育学者という立場からの内容となるようです。

 さて福沢諭吉先生に関しては、円熟の境地「人生は至極(しごく)些細(しさい)なるものにして蛆虫(うじむし)に等し」、人生を一時の戯れと捉えながらも、真剣に生きることこそ「独立自尊」の主義だと説く、福澤が達した円熟の境地。自らの人生哲学を綴った晩年のエッセイ集『福翁百話』という書があります。

 『福翁百話』(服部禮次郎編 慶應義塾大学出版会) の目次によると、

福翁百話
 宇  宙 (一)
 天  工 (二)
 天道人に可なり (三)
 前途の望 (四)
 因果応報 (五)
 謝恩の一念発起すべきや否や (六)
 人間の安心 (七)
 善悪の標準は人の好悪に由て定まる (八)
 善は易くして悪は難し (九)
 人間の心は広大無辺なり (十)
 善心は美を愛するの情に出ず (十一)
 恵与は人の為めに非ず (十二)
 事物を軽く視て始めて活溌なるを得べし (十三)
 至善を想像して之に達せんことを勉む (十四)
 霊怪必ずしも咎るに足らず (十五)
 士流学者亦淫惑を免かれず (十六)
 造化と争う (十七)
 人間社会自から義務あり (十八)
 一言一行等閑にすべからず (十九)
 一夫一婦偕老同穴 (二十)
 配偶の選択 (二十一)
 家族団欒 (二十二)
 苦楽の交易 (二十三)
 夫婦の間敬意なかるべからず (二十四)
 国光一点の曇り (二十五)
 子に対して多を求むる勿れ (二十六)
 子として家産に依頼すべからず (二十七)
 衣食足りて尚お足らず (二十八)
 成年に達すれば独立すべし (二十九)
 世話の字の義を誤る勿れ (三十)
 身体の発育こそ大切なれ (三十一)
 人事に学問の思想を要す (三十二)
 実学の必要 (三十三)
 半信半疑は不可なり (三十四)
 女子教育と女権 (三十五)
 男尊女卑の弊は専ら外形に在る者多し (三十六)
 止むことなくんば他人に託す (三十七)
 子弟の教育費に吝なり (三十八)
 人生の遺伝を視察すべし (三十九)
 子供の品格を高くすべし (四十)
 独立の法 (四十一)
 慈善は人の不幸を救うに在るのみ (四十二)
 慈善に二様の別あり (四十三)
 婦人の再婚 (四十四)
 情慾は到底制止すべからず (四十五)
 早婚必ずしも害あるに非ず (四十六)
 女性の愛情 (四十七)
 人事に裏面を忘るべからず (四十八)
 事業に信用の必要 (四十九)
 人間の運不運 (五十)
 処世の勇気 (五十一)
 独立は吾れに在て存す (五十二)
 熱心は深く蔵むべし (五十三)
 嘉言善行の説 (五十四)
 人を善く視ると悪しく視ると (五十五)
 智恵は小出しにすべし (五十六)
 細々謹慎すべし (五十七)
 交際も亦小出しにすべし (五十八)
 察々の明は交際の法にあらず (五十九)
 智愚強弱の異なるは親愛の本なり (六十)
 不行届も亦愛嬌の一端なり (六十一)
 国は唯前進すべきのみ (六十二)
 空想は実行の原素なり (六十三)
 言論尚お自由ならざるものあり (六十四)
 富豪の経営は自から立国の必要なり (六十五)
 富豪の永続 (六十六)
 人間の三種三等 (六十七)
 富者安心の点 (六十八)
 人心転変の機会 (六十九)
 高尚の理は卑近の所に在り (七十)
 教育の力は唯人の天賦を発達せしむるのみ (七十一)
 教育の功徳は子孫に及ぶべし (七十二)
 教育の過度恐るゝに足らず (七十三)
 教育の価必ずしも高からず (七十四)
 富者必ずしも快楽多からず (七十五)
 国民の私産は即ち国財なり (七十六)
 子孫身体の永続を如何せん (七十七)
 生理学の大事 (七十八)
 無学の不幸 (七十九)
 謹んで医師の命に従うべし (八十)
 空気は飲食よりも大切なり (八十一)
 形体と精神との関係 (八十二)
 有形界の改進 (八十三)
 改革すべきもの甚だ多し (八十四)
 人種改良 (八十五)
 世は澆季ならず (八十六)
 正直は田舎漢の特性に非ず (八十七)
 古人必ずしも絶倫ならず (八十八)
 古物の真相 (八十九)
 偏狂の事 (九十)
 人事難しと覚悟すべし (九十一)
 銭の外に名誉あり (九十二)
 政府は国民の公心を代表するものなり (九十三)
 政  論 (九十四)
 自得自省 (九十五)
 史  論 (九十六)
 鯱立は芸に非ず (九十七)
 大人の人見知り (九十八)
 人生名誉の権利 (九十九)
 人事に絶対の美なし (百)

福翁百余話
 人生の独立 (一)
 博識は雅俗共に博識なるべし (二)
 独立は独り財産のみに依るべからず (三)
 金と自身と孰れか大事 (四)
 独立の根気 (五)
 独立者の用心 (六)
 文明の家庭は親友の集合なり (七)
 智徳の独立 (八)
 独立の忠 (九)
 独立の孝 (十)
 立  国 (十一)
 思想の中庸 (十二)
 人に交るの法易からず (十三)
 名  誉 (十四)
 禍福の発動機 (十五)
 貧書生の苦界 (十六)
 物理学 (十七)
 貧富苦楽の巡環 (十八)
 大節に臨んでは親子夫婦も会釈に及ばず (十九)

となっています。『福翁百話』の(七)に「人間の安心」というエッセイがあります。

 この「人間の安心」は、上記のとおりの中で語られているものです。

(七)「人間の安心」

 宇宙の間に我(わが)地球の存在するは大海に浮べる芥子の一粒と云うも中々おろかなり。

吾々の名づけて人間と称する動物は、この芥子粒の上に生れ又死するものにして、 生れてその生るる所以(ゆえん)を知らず、死してその死する所以を知らず、 由(よつ)て来(きた)る所を知らず、去て往く所を知らず、五、六尺の身体僅(わずか)に百年の寿命も得難(えがた)し、塵(ちり)の如(ごと)く埃(ほこり)の如く、溜水(たまりみず)に浮沈する孑孑(ぼうふら)の如し。

蜉蝣(ふゆう)は朝(あした)に生れて夕(ゆうべ)に死すと云うと雖(いえど)も、人間の寿命に較(くら)べて差したる相違にあらず。

蚤と蟻と丈(せい)くらべしても大象の眼より見れば大小なく、一秒時の遅速を争うも百年の勘定の上には論ずるに足らず。

左(さ)れば宇宙無辺の考を以て独り自から観ずれば、日月も小なり地球も微なり。

況(ま)して人間の如き、無智無力、見る影もなき蛆虫(うじむし)同様の小動物にして、石火電光の瞬間、偶然この世に呼吸眠食し、喜怒哀楽の一夢中、忽(たちま)ち消えて痕(あと)なきのみ。

然るに彼の凡俗の俗世界に、貴賤貧富、栄枯盛衰などとて、孜々経営して心身を労するその有様は、庭に塚築(つかつ)く蟻の群集が驟雨の襲い来(きた)るを知らざるが如く、夏の青草に飜々たる飛蝗(ばつた)が俄に秋風の寒きに驚くが如く、可笑(おか)しくも又浅ましき次第なれども、既に世界に生れ出たる上は蛆虫ながらも相応の覚悟なきを得ず。即ちその覚悟とは何ぞや。

人生本来戯(たわむれ)と知りながら、この一場の戯を戯とせずして恰(あたか)も真面目(まじめ)に勤め、 貧苦を去て富楽に志し、同類の邪魔せずして自から安楽を求め、五十、七十の寿命も永きものと思うて、父母に事(つか)え夫婦相親(あいした)しみ、子孫の計(はかりごと)を 為し又戸外の公益を謀り、生涯一点の過失なからんことに心掛(こころがく)るこそ蛆虫の本分なれ。

否な蛆虫の事に非ず、万物の霊として人間の独り誇る所のものなり。

唯(ただ)戯と知りつつ戯るれば心安くして戯の極端に走ることなきのみか、時に或(あるい)は俗界百戯の中に雑居して独り戯れざるも亦(また)可なり。

人間の安心法は凡(およ)そこの辺に在て大なる過なかるべし。

<以上http://project.lib.keio.ac.jp/dg_kul/fukuzawa_text.php?ID=113&PAGE=5(デジタルで読む福澤諭吉)参照>

 この福沢先生の「人間の安心」から倫理学、日本思想史の専門家東京大学名誉教授竹内整一先生は、無常感(注:竹内先生はこの著では観ではなく「感」の字を使用しています)を読み取り、著書『「おのずから」と「みずから」-日本思想の基層』(2004春秋社)の中で次のように語っています。

<引用『「おのずから」と「みずから」-日本思想の基層』から>

・・・・・目を一気に近代日本に転じて、福沢諭吉の「人間の安心」論(『福翁百話』明治30)において見ておきたい。

この、近代化を推し進めた啓蒙知識人の「安心論」に、かえって無常感に潜在した「つぎつぎになりゆく」「いきほひ」を感取する、以上のような発想が典型的に見出されるからである。

 それは大略以下のような考え方である。
                                 
 -----この宇宙の中に地球があるのは、大きな海に浮かんでいる芥子の一粒というもおろかな、ごく微少なものである。ましてや人間のごとき存在は、その小さな芥子粒の上に生まれそして死んでいく、「無知無力見る影もなき岨虫同様の小動物」で、「石火電光の瞬間、偶然この世に呼吸眠食し、喜怒哀楽の一夢中、忽ち消えて痕なきのみ」といった存在である。

それを貴賎栄枯盛衰等とあれこれいってあくせくしているのは浅ましい次第ではあるが、しかし既に生まれ出たる以上はそれなりの覚悟がなければならない。すなわちその覚悟とは、人間は「姐虫」、人生は「本来戯れ」と知りながら、それを引き受け、なおかつ真面目に勤め一生懸命生きてみることである。人間の安心法はおよそこの辺にあって大きな誤りはないだろう。

 この、周知の「安心論」にはやや込み入った論点が重層しており、それなりに丁寧に解きほぐす必要があるが、その点についてはすでに違うところで論じたこともあるので、ここではできるだけ単純に論の骨組みだけを見ておこう(以下、特に断りがない場合は『福翁百話』からの引用)。

 ここで福沢が立論している基本ベースは、「石火電光の瞬間、偶然この世に呼吸眠食し、喜怒哀楽の一夢中、忽ち消えて痕なきのみ」といった、上述のごと無常感である。そしてそれを覚悟することにおいて、かえってそこに「安心」を感じ取り(それゆえそれは「本来無一物の安心」ともいわれる)、またそこにむしろ生き生きと生きる「活発」ささえ見出しているのである(「事物を軽く視て始めて活発なるを得べし」)。-----「たとひ失敗しても苦しからずと、浮世の事を軽く見ると同時に一身の独立を重んじ、人間万事、停滞せぬようにと心の養生をして参れば、世を渡るにさまで困難もなく、安気に今日まで消光(くら)して来ました」(『福翁自伝』明治32)、と。

 そして福沢は、その「安心」「活発」を可能とする思想背景を、以下のような「霊妙不可思議」な宇宙の「自(おの)ずから然る」のありよう、働きに帰して説く。「万物は常に動き常に変じ、随て生じ随て滅して」いるが、「宇宙天然の大機関は霊妙不可思議にして、此地球面の万物、上は人類より下は禽獣草木土砂塵挨の薇に至るまでも其処を得ざるな」く、「宇宙の万有おのおの其処を得て無量円満ならざるものな」のだ、と。

 『福翁百話』で「人間の安心」(第七話)は、第一話「宇宙」、第二話「天工」、第三話「天道人に可なり」…といったところから書き出された、このような確信の文脈のうちに語られているのである。

 たとえわれわれは「石火電光の瞬間、偶然この世に呼吸眠食し、喜怒哀楽の一夢中、忽ち消えて痕なきのみ」存在であろうと、「万有おのおの其処を得て無量円満」なる「おのずから」の働きの内にあるというのである。「無」の覚悟においてこそ、いわば地の「おのずから」が発動する。「天道既に人に可なり。其不如意は即ち人の罪にして不徳無智の致す所」けしかない---。

 ところで福沢は、こうした宇宙の「おのずから」の働きは「唯不可思議に自から然るのみにして、之をして然らしむる所のものあるを証す可らず」という。「然らしむる所の」作者、造物主や本体などはない、どこまでも「偶然に出来たる大機関」の「おのずから」の働きをそれぞれ働いているにすぎない、というのである。
 
 本体論を拒否する、こうした捉え方は、日本思想にはしばしば見られる特有の発想のひとつであるが、ここでも、それは大事な前提となっている。この点に関して、坂部恵に次のような指摘がある。

坂部は、さきに見たような日本人の現実感覚にふれながら、日本語の「移る」は「映る」「写る」であり、しかもそれを「うつす」何物も存在しない、「反映以外何物も存在しない。光以外何物も存在しない。

形姿以外何物も存在しない」という、日本人の「潜在的存在論」の反本体論的な位相を指摘し、こう述べている。

 すべての存在をたがいに(映し)あわせ、しかし、おそらくは、みずからはどこにもその姿をあらわすことのない、すべての存在の根底であるものは、はたして何なのでしょうか。おそらく、日本の思考の伝統のなかで、道(老荘の意味での)、空、無、等々としてさまざまに名指されてきたこのものは、日本の文化とりわけ民衆の文化の伝統のなかでは、間接にあるいは隠喩的に以外には言い表わしえないものとして、暗黙のうちに体得され、生きられてきました。(『日本文化における仮面と影』)

 「おのずから」もまた、こうした「道、空、無、等々としてさまざまに名指されてきたこのもの」の、もうひとつの言い方である。「写し」「映し」合いながら「移り」ゆく無常のあれこれは、決してこの本体的ではない、それゆえ「間接にあるいは隠喩的に以外には言い表わしえないもの」の「反映」としてのみ存在し消滅してゆく。そして、その不可知・不可思議霊妙な働きに与るかぎりにおいて、そこにある種の安定、安心、活気、興趣といった肯定を感じ取っているのである。

 合理的無神論を自認する福沢においては、この「霊妙不可思議」な働きは、名前すら、宇宙、天、天道、天エ、天意・・・・・、あるいは「神のカ、如来の徳」等々、その他何であっても構わない「仮」のものとされ、その働きには絶大な信頼をおきながらも、特に「謝恩の一念発起す可き」必要はないものとされている。そこに、「特に運転の恩を謝す可き」実体的対象(本体)は存在しないからである。

 我々は神の代りに無を考えることによって安定しているのである。考えるカがないのではない。考える必要を感じないでバランスを保っている・・・・・」-----。それは、のちに伊藤整によって、こうまとめられる「発想の形式」(『近代日本人の発想諸形式』岩波文庫)の根底に潜んでいるものであろう。

<以上上記書p41~p44から>

 上記文中の、

>宇宙天然の大機関は霊妙不可思議にして、この地球面の万物、上は人類より下は禽獣(きんじゆ)草木、(うそうもく)土砂(どさ)塵埃(じんあい)の微(び)に至るまでもその処を得ざるなし。<

は、『福翁百話』(六)「謝恩の一念発起すべきや否や」の冒頭(p43)の言葉です。

 引用文のみで語っていますが、合理的無神論者の福沢諭吉先生は、幕末・明治維新その後の明治に生きた人物で、その中で、

>人間の安心法は凡(およ)そこの辺に在て大なる過なかるべし。<

と語っています。100de名著紹介される『学問のすゝめ』の根底に流れているわけです。

 竹内先生は、

>我々は神の代りに無を考えることによって安定しているのである。<

と福沢先生の言葉からも「無」を想定します。当然、無常感の根底にある「無」の立ち位置になるわけで「ゼロ」ではない。

 「霊妙不可思議」は、ある面、安心定立の「そういうもの」かも知れません。

 なお、竹内先生の最新の著は既に紹介している『無常の日本思想 花びらは散る 花は散らない』(角川選書)です。

 福沢先生の無常感を含め数多くの諸先生の引用があり、無常感が語られています。

 「花びらは散る 花は散らない」は「花びらは散っても花は散らない」という清沢満之の弟子の金子大栄先生の言葉です。

 


もののあわれ論・日本語の哲学

2011年06月25日 | ことば

 本居宣長の「安波禮弁」という文書の中で語られる「もののあわれ」とは何かという論議があります。

 その意味は日本古典文学の源氏物語和歌などに見られる美意識的なものではとおもっていますが、では「安波禮弁」の文章の一部を次のとおり紹介します。サイト検索したところ、京都大学歴史研究会OBサイト(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/aware.html)に公開されていましたので、その訳になります。

<引用>

「安波禮弁」
 ある人が、私に質問して言うことには、「俊成卿の歌に、 
 
恋せずは 人は心も無からまし 物のあはれも 是よりぞしる

と申します。この『あはれ』というのは、どのような意味でございましょう。『物のあはれ』を知ることが、即ち『人の心がある』ということ。『物のあはれ』を知らない事が、即ち『人の心がない』ということなので、人としての情の有無は、ただ『物のあはれ』を知るか知らないかでございますので、この『あはれ』は、いつでもただ『あはれ』であるとだけ合点したままでは、どうしようもないのではないでしょうか。」 

 私は心の中では判っているように思っていたが、すぐに答えられる言葉がない。少し考えをめぐらせてみると、ますます「あはれ」という言葉には、意味が深いように思われ、「一言二言で、簡単に答えられるはずのものでないので、追って答えるつもりだ。」と返事をした。
 
 さてその人が去ったあとに、じっくりと考えめぐらすにしたがって、ますます「あはれ」の言葉は、単純に考えてよい事ではなく、古書や古歌などに使っている様子を、ぽつりぽつりと考えてみると、大体においてその言葉の意味は多く、一通りや二通りの意味で使用するだけではない。そうして、あれこれと古書を考察しながら見て、いっそう深く考えてみると、大体において歌の道は「あはれ」の一言以外に他の意味はない。

神代から今に至って、末世とこしえに至るまで、詠み出される和歌はみな、「あはれ」の一言に帰す。したがってこの歌の道の極意を尋ねるならば、これまた「あはれ」の一言より他にない。
 
伊勢物語・源氏物語やその他あらゆる物語すらも、またその根本を尋ねるならば、「あはれ」の一言でこれを全て表す事が出来る。

孔子が詩三百一言を「詩経」としてまとめ「この詩にある思いに邪な心がない。」と仰るのも、今ここに考え合わせれば、似たような事である。全て和歌は、「物のあはれ」を知ることから始まるものである。

伊勢物語・源氏物語などの物語も皆、「物のあはれ」を書き表して、読む人に「物のあはれ」を知らせるものであると知るべきである。これ以外に歌・物語の意味合いはない。さて「あはれ」というのは、どのような意味であるかということになれば、以下に詳細に記すのを見なさい。

・・・・・以下略

<以上>

ここで注目するところは、見やすいように段空けしてありますが、最後の二段目の「孔子が・・・」という文章です。この部分だけ抜書きしますと、

>孔子が詩三百一言を「詩経」としてまとめ「この詩にある思いに邪な心がない。」と仰るのも、今ここに考え合わせれば、似たような事である。全て和歌は、「物のあはれ」を知ることから始まるものである。<

と書かれています。ここで何がわかるというと

「もののあわれ」は、詩経の「この詩にある思いに邪な心がない。」と似たようなことだ。

と書かれていることです。ここで訳されている文章「思いに邪な心がない。」の原文は、「思無邪」です。

 この言葉は知っている人は、あの人の好きな言葉だとピンと来るのですが、小泉純一郎元総理大臣の好きな言葉です。いまだにサイトが残っており、次のように書かれています。

<小泉純一郎元総理大臣サイトから>

● 「思無邪(思い邪無し)」

 小泉純一郎です。

 15日に韓国を訪問した。金大中大統領との首脳会談に先立ち、国立墓地
と、西大門(ソデムン)独立公園の歴史展示館を訪問し、献花をした。

 記帳の際、「思無邪」と書いた。

 詩経の「思い邪(よこしま)無し、馬の斯(ここ)に徂(ゆ)くを思う。
(ひたすら良馬を育てて、その良馬が力強く駆けることを願う。)」が、こ
の言葉の由来。孔子は、「詩経」の精神をいちばんよく表す言葉と述べてい
る。

 日韓の信頼関係を築き、将来につなげ育んでいく。歴史を見つめながら、
未来に向かって友好の絆を深めていきたいとの思いを込めた。

 2時間近くに及んだ金大中大統領との初の首脳会談。歴史的な問題から来
年のサッカー・ワールドカップの成功にむけた協力まで、幅広い問題につい
て率直に話し合った。

 心正しく邪念無し。どんなことにもこの気持ちで対応していきたい。

 今週末は、APEC首脳会談が上海で開催される。自然体で率直な意見交
換を進め、アジア太平洋地域の発展に向けて努力していきたい。

<以上http://www.kantei.go.jp/jp/m-magazine/backnumber/2001/1018.html

 

本居宣長が言うように『論語』為政篇 の

 子曰。詩三百。一言以蔽之。曰思無邪。

の言葉で、「おもいよこしまなし」と読むようです。

「もののあわれ」についてフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』には、

<ウィキペディア>

● 「もののあはれ」の発見
 
江戸時代後期の国学者本居宣長が、著作『紫文要領』や『源氏物語玉の小櫛』において提唱し、その頂点が『源氏物語』であると規定した。
 
江戸時代には、幕府の保護、奨励した儒教から生まれた「勧善懲悪」の概念が浸透し、過去の平安時代の文学に対しても、その概念を前提にして議論され語られた時期があった。この理念の発見はそれを否定し、新しい視点を生み出したことになる。
 
● 時代ごとの解釈
 
西行は宮廷生活と文化に憧れていたが、一方で、「都にて 月をあはれと おもひしは 数よりほかの すさびなりけり」と詠んだ。西行は、都の人々が月を見る時に、「あはれ」と言うのを、それは、すさび=暇つぶしでしかないと断じ、自然から縁遠い都人だから、そのような事を口にするのだと、都人の感性について答えている。いわば、現代で言うのところの、自然豊かな田舎や未開の地を観て、あはれだと口ずさむ都会人の心境と同じであると解釈できる。この和歌からも分かるように、平安時代の頃から、宮廷の人々がモノに対し、あはれと口ずさみ、その事について、西行が考察している様が分かる。

<以上>

と解説されています。国学と「もののあわれ」の関係はこのように考えてきたが、上記の本居宣長主張の原点である「安波禮弁」の宣長自身の吐露<今ここに考え合わせれば、似たような事である>はどうなるのか、である。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 今朝はこの点について、万葉学者の中西進先生の『日本の文化構造』(岩波書店)における「もののあわれ論」の一部を紹介したいと思います。

<Ⅱ想像力が育む文化様式~「もののあわれ論」から>

 ・・・・・まさに「もののあわれ」というのは中国の「思無邪」と似ていると宣長自身が認めているのだからこれは間違いない。
 
 「もののあわれ」をどう考えてきたかについて、フェミ二ズムだという意見、そして文学論だという意見を紹介した。しかし「思無邪」に近い「もののあわれ」はそんなものでなくなる。強いて言えば和辻智郎の意見に近いであろう。それほど国文学界のメインストリートを歩いていないと思われる和辻の意見が近くなる。
 
 「あわれ」は「ああわれ」ということで、長く息をする時のことばだ。そういうものが「思無邪」と同じであって、「もろこしも同じ心なり」と言う。つまり漢心を排して「もののあわれ」というものがあるのではない。もろこしも同じ心であるとして「もののあわれ」を述ぺたとは、重大なことではないか。
 
 国学という学問体系を樹立することは大変難しかったと思う。それまでに儒学という体系がある。特に江戸時代では朱子学が目の前にある。その上に仏教哲学もある。
 
 何千年の歴史にわたって既成された思想が宣長の目の前にいっばいあった。
 宣長はそれに対抗してわが国の学問体系を作ろうとした。バイブル一つとっても、いったいどんな国学のバイブルがあるのかと言ったら何ひとつない。だから、バイブルになぞらえるべきものを宣長は作らなければいけなかった。

中国には『詩経』とか『論語』とか、あるいは四書五経の類がいっぱいある。これが体系をなして巨大なバイブルになっている。制度としても『周礼』がある。そういうものがあって中国の学問が出来上がっている。

 それに対抗して日本で学問をつくろうという時に、それでは、何がテキストなのかというと、何もない。それでは、それを想定しなければいけない。それが、『古事記』であったり『源氏物語』であったりしたのである。

 しかし『古事記』はじつは日本人の純粋な考え方だと言っているけれど、『古事記』 の中に仏教の影響がたくさんある。そういうものは無視して、『古事記』全体が日本人古来の考え方だと決めざるをえなかった。それでなければいけなかったのである。

 そこで『源氏物語』も同じように考えると、中国の『詩経』という最古の古典が持っている中心が「思無邪」だとすれば、わたしたちのバイブルの中心も「思無邪」で、それこそ「もののあわれ」 である、という理屈になってくる。

 もし宣長がこうした道程をたどって学問を樹てたとしたら、これは一つの、彼の戦略のごときものだったことになる。
 ただ、彼は後に類似を知ったという。それをすなおに信ずると、深奥の内部に尋ね入ったところ、結果的に日本文学の中心が「もののあわれ」であり、それが「思無邪」に共通するものだった。

 思索の成熟の中で到達したもので、利用したものではないとなると、これはとてつもない大きな発言になるではないか。
 
 そこで思無邪としての「もののあわれ」を考えよう。

 要するに「思無邪」とイコールだという発言をした時にこれはすべての夾雑物を排除した、そのいちばんの根源が「もののあわれ」だということになる。

 それでは、すべての夾雑物をすてた基本とは何か。すべてを排除するのだから何もない。何もないものがいちばん基本だという発言となる。言ってみればこれは「無」というものを質量化することになる。

 「無」に質量を与えるものが「もののあわれ」なのである。
 ゼロは何もないと考えているけれど、実は何もないのではない。これははなはだしく濃密な存在だった。
 
 充足した空白----。「無」こそ有効である。「無」がいかに広がりがあるかという問い、その発言が「もののあわれ」だった。・・・・・以下略

<以上同書p153~p155から>

 長い引用と略部分が多い文章で意味が解せないと思います。前半のフェニミニズの意見とは国文学者の西郷信綱先生の意見であり、文学論と上記のウィキペディアで説明されるような文学上の課題としての位置を言います。

 そして国文学界のメインストリートを歩いていない<哲学者の和辻哲郎先生の意見に近いであろう>というのは、上記の前部分に略した所に次のように書かれ説明されています。

<和辻哲郎の近似の意見>

 その一つとして哲学者の和辻哲郎は、「もののあわれ」とは人間の永遠というものに対する根源的な思慕だと言う。
 
 永遠、根源。美しい表現である。それを思慕することもわふる。しかし、さて「それがどうして、もののあわれか」と和辻哲郎に聞きたいという不満がのこる。
 
 大正十一年の論文を何遍も読むのだが、その辺のつなぎがわからない。たしかに永遠の反対は有限な命であろう。机だって椅子だって有限だが、ちょっと見には風化しているのがわからない。だから永遠にあるような錯覚を与え、一方人間はすぐ亡くなるから有限だということがすぐわかる。そういう、人間の反対のものとして、永遠というのは大変な輝かしい存在だということはわかる。
 
 そういう永遠がじつは人間の気持ちの根源にあるということも、これもまたわかる。だから、それに対して心を寄せるということはわかるが、それと「もののあわれ」とが結びつかない。

 大正十一年の和辻だから、少々著書きのところもあるだろうか。『古寺巡礼』を書いていた頃で、『古寺巡礼』は全編ロマンに満ちている。それと一脈通じるような若き日の和辻哲郎のロマンを語ったような気もする。

 部分的にはさすがは和辻で、たとえば「もの」に注目して「ものとは何か」と考える。物見遊山とか物語とかいう「もの」は「何」という単語で言い換えるとよく当るとわたしは思うが、そのことも和辻は正確に指摘している。

 しかし、これというふうに限定されながら限定されないのだというあたりも哲学特有の逆説を使った説明で、全体としてわかりにくい。

 そしてなによりも、ここにあげた三説とも、いかにも現代的な解釈であるところに、大きな欠陥があるように思う。

<以上同書p147~p148から>

※注:三説とは、西郷信綱先生の論、と文学論のこの和辻先生の論のことで、最後先生の論については今朝の思考主眼ではないので略します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以上のの内容で、大きな欠陥はあるが近似ではないか・・・という話なのです。

 この「もののあわれ論」で中西先生が思考の主眼としているのは「無」という概念のとらえかたです。

 私が今朝の話の主眼にしたいのは、そこではなく、和辻哲郎先生に関係しての、

>部分的にはさすがは和辻で、たとえば「もの」に注目して「ものとは何か」と考える。物見遊山とか物語とかいう「もの」は「何」という単語で言い換えるとよく当るとわたしは思うが、そのことも和辻は正確に指摘している。<

の部分です。過去ブログの

「もの」というやまと言葉・日本語の哲学へ・長谷川三千子[2011年01月20日]
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/f9ea83fd01b273472c8a3a2812b55922

で言及したとおり、長谷川三千子先生の「日本語の哲学へ」は和辻先生のこの「もの」という言葉に対するとらえ方を継承するものす。

 それは

>「ものとは何か」と考える<

和辻先生の根底にある日本語の思考なのですが、中西先生は別の著書で、過去にも引用したことがありますが「やまとことばの思考」ということで次のように語っています。

<『日本語の力』(集英社文庫)>

 やまとことばの思考

 哲学者・和辻哲郎が残した多くの業績の中でも、もっとも注目すべきものの一つに、やまとことばによる哲学的思考がある。たとえば和辻は日本語と哲学の問題においても、日本語が学的概念の表示として用いられることが少ないのは、理論的方向における発展の可能性をただ可能性としてのみ内蔵していたことを示すのにすぎないのだといい、日本語本来のやまとことばによる考察を試みた(『続日本精神史研究』)。

 そこで大きくとり上げたのは「こと」と「もの」であり、1こと」は動作や状態がそれとしてあることを示し、「もの」はたとえば「動くもの」といった場合、ものの動作としてものをその中味において増大するととく。

 従来は学術語として不適当だとされたやまとことばを、積極的にとり上げた和辻の研究は、もちろん本居宣長などの先人をなしとしないが、先駆的なものといわなければならないだろう。ちなみにこの論文は、一九二九年の執筆である。

 そして和辻が開拓したこの道は、りっぱに開拓者としての役割をはたし、後継者によって発展させられている。
 
 たとえば言語学者池上嘉彦は、個体に焦点を当てて表現する場合と出来事全体として捉えて表現する場合とに区別し、前者をモノ指向、後者をコト指向的な捉え方だという(『<する>と<なる>の言語学』)。・・・・・以下略

<以上同書p42~p43から>

話が本居宣長の「もののあわれ論」からその根底が「無」にあること、話を変えて和辻哲郎先生の「日本語による思考・哲学」の話になりました。

「もののあわれ」を考察・思考するときに、その根底にあるものの視点の向き志向性の方向によって論ずるものが異なってきます。

 「無」と言ったところで中西先生の「もののあわれ論」で言及されていきますが、すこぶる東洋的な思考の中にあり、特に東洋の端に位置する日本にはその痕跡があるわけです。

 それはどこから来るのか、私はそれは日本列島の風土というよりも地勢と言った方がよいかもしれませんがそこで育まれた「やまと言葉の思考法」でもの的思考ではないかと思うのです。

 次のような言葉に接したとします。

 存在することは無常である。

 「永遠不滅」は極端な妄想で、実存しません。

 無常であることが存在です。無常が存在です。

 無常は「一切は絶えず変化している」という事実です。

 無常は事実なので否定できない。

 無常は、人間の知識レベル、認識範囲をのり越えている真理です。認識範囲を広げて智慧で見なければ、わかるはずがない事実なのです。

これ等の言葉が「一切の現象は無常であると智慧によって知るならば、苦(生きること)を諦める。これが清浄(解脱)への道である」(ダンマパダ277)から導き出されるものだと言われます。

 ここに岩波文庫の『法句経』(荻原雲来訳注・初版は昭和10年)があります。そこには次のように紹介されています。

<法句経277>

 総て造作せられたる物は無常なり、と、慧にて知るときはこれによって苦を厭う、これ浄にいたる道なり。

ここには現象という言葉がありません。「物(もの)」が、「無常」があります。

「無」は「ゼロ」ではないという東洋的思考、「もの」はやまと言葉の哲学的な思考による物です。

 そもそも存在しないものと語るものはどこに存在するのか。

 問う者。説く者は存在するのではないか。

 自家中毒的な論法は惑いの基のように思います。(注:井上ひさし氏の演劇には全く関係ありません)

 「そういうものさ・・・」と気にしなければよいのですが・・・・悟りが低いので気になってしまいます。

 最後にわけのわからないことを追加しますが、「そういうものさ・・・」を単なる諦めと解する人は、現代的な思考になれている証拠です。

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北アルプス常念岳

2011年06月24日 | 演劇

 (見出しの写真は、22日早朝あづみの公園入口からの常念岳)

 一昨日の22日は、安曇野は33度という今年一番の気温で梅雨の間の晴れの暑苦しい一日でしたが、昨日は時々雨が降るどんよりとした一日でした。

 北アルプスの方向を見ると、雲が厚くおおい山は荒れているようでした。やはり雨も降りすぎると雨障り、上高地の位置は安曇野平から見える北アルプス常念岳裏側になり直接見ることはできませんが、上高地へ通じる国道158号ががけ崩れのため通行止めとなり、また電柱も日本ほど被害になり電気も止まり、電話も不通となり孤立状態となっています。

 宿泊施設の従業員らを含む1200人以上が取り残され、内観光バス約15台などで来ていた観光客ら約860人は、上高地の16カ所の宿泊施設に分散して移動し、夜を明かしたようです。今日は晴れそうなので早い道路復旧を願いたいと思います。

 梅雨の雨も加わり常念岳連峰に降り積もっている雪もかなり融けはじめ、いよいよ夏山シーズン開幕ですが、梅雨が明けないとやや危険が伴いますのでもう少し待った方がよいかもしれません。

 2・3日前の深夜にNHK「日本の名峰」で常念岳(2857m)が紹介されていました。今年は連続テレビ小説「おひさま」で常念岳登山場面がありましたので、かなりの人が登るのではないかと思います。







 下のこの写真は、22日の早朝の常念岳です。



あづみの公園入口から有明山

 今の様子だと安曇野市側のコースの沢にはまだかなりの雪が残っているようです。過去の写真を見ると、2004年には6月4日にはかなり雪解けも進み危険な状態ではありませんでしたが、今年は残雪がかなりあるようです。
















山頂付近


遠くは御嶽山


常念岳から槍ヶ岳方面を望む


前常念岳から安曇野市方面



 写真はその当時のものです。

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