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思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

日本最古の水力発電所(宮城第一発電所)見学

2017年04月23日 | 郷土
 3.11東日本大震災による福島原発の放射能問題が世界に原発のあり方を人々に問う永遠の課題として残り続けている。生活上から電力というもの、電気というものをなくせるものなら原発のすぐにこの世からなくなるのに違いないのですが、電子の働きというものが生命体に不可欠であるように電気の力というものは永遠の存在です。
 水力発電、火力発電、太陽光発電と発電の方法は原発の他にもありますが、火力発電が大気汚染に関係してくることから、水力、太陽光利用が最も安全な発電の手段として利用し続けるでしょう。
 水力発電は、ダム問題からもわかるように自然破壊という課題を提起することも事実で、今後は大型のダム発電は無理なものとなっています。水力発電にはダム型以外に水路式のものがあり、単純に言えば川の流れを回転力に換える方法による水力発電があります。
 「安曇野にはじめて電気をともした発電所」
 この発電所は「宮城第一発電所」とよばれ明治37年(1904)9月から稼働し続けています。
 一級河川の中房川、北アルプスの燕岳(つばくろ)、有明山の谷間を流れる川で、現在この川筋には5箇所に同型の発電所があります。
 


 「明治37年(1904)9月から稼働し続けています。」と簡単に書いたのですが、現在、日本で稼働している水車発電機としては最も古いもので2007年には経済通産省から近代化産業遺産に認定され、2016年7月にはアメリカの出版社が主催する「水力発電の殿堂」にアジア圏で初めて選ばれました。

 安曇野市穂高有明宮城に住むものでありながら発電所が何か所かあることは承知していましたが昨年新聞報道されるまでまったくその最古の事実を知りませんでした。

 この発電に使われている発電機はドイツから輸入されたもので50サイクルのもの、この中房川水系にある他の発電所のものも50サイクルで、現在私たちは60サイクルの電気を使用しているわけで、50サイクルの電力は大町市にある大町電力所に送電され、昭和電工のアルミニューム精錬に使用されています。

 「最古の事実」

 この目で見ないと信用できないという次元の話ではなく、地域に住む一人の人間として恥ずかしい限りで、昨日(4月22日)宮城第一水力発電所見学会が開催され地元の住人が大半でしたが、30名ほどが参加しました。
宮城第三発電所近くにある記念碑「安曇野電力発祥の碑」

記念碑の裏面には、工事の関係者氏名が刻まれていて参加者の何人かの祖父名がありました。
 
静かな山間を歩くこと10分
 

発電所につき中部電力㈱大町電力所の方から説明を受ける
 








プレートが年輪を感じさせます
 




第一発電所の横にはこの発電所の下方にある第三発電所の水の取り入れ水槽がありました。







真田丸第11回「祝言」と「生き残るために活きた選択支を選ぶ」について

2016年03月21日 | 郷土

 「生き延びるためにはどちらかを選択しなければならない。」

 真田丸も第11回まで来ました。この回では、隣接する塩田平に勢力を持っていた室賀氏の棟梁をが昌幸を暗殺に来たところを逆に殺害するという、生き延びるための昌幸の選択がありました。

 徳川と手を結び真田家を滅ぼすし支配地を広げようとする室賀氏の動向、番組内ではこれまでも室賀氏は何かにつけ真田昌幸の行動に難癖をつけている様子が物語れていましたから今回の出来事も策略家の昌幸らしい読みの深さをもよく物語れていたように思います。

 室賀氏の支配地域の塩田平は12~14世紀ごろは真田家の祖である滋野家の支配地域でした。中央貴族の滋野氏の後裔であるならば本来滋野氏の直系であることの証が歴史的事実として地域性の中にあるならば一目置かれる地域性があったのだからこのような策略も回避されたであろうと思うのです。ここに直系ではない真田家の苦しさがあります。

 生き残る選択、活きる選択をする。二つの選択がともに生き残れるために、活きているか。

 人間の選択というのはじつに考えさせられます。どちらが真であるかという選択もありますが、選択とはシーナ・アイエンガーの『選択の科学』を持ち出すまでもなく、日常においてもこの選択という意志判断がない限りことは前に進みません。重いものから軽いものまで、選択される物事には軽重があるということです。

 昌幸の決断、室賀氏の殺害選択を見た後日課の哲学サイトを見ていたところW・ジェームズの『信ずる意志』の話が書かれていたので「選択」いう話を思考課題にするのですが、この『信ずる意志』のはじめの方に実に面白い選択と仮説の話が載っています。


 生きる選択とは二つの仮説のどちらもが生きている仮説であるばあいの選択である。「接神論者(セオソフィスト)かさもなければ回教徒になれ」と私が諸君にいうとすれば、その選択はおそらく死んでるだろう。なぜならば諸君にとってそのどちらの仮説も生きてるはずがないからである。しかし私が「不可知論者かさもなければキリスト教者になれ」というならば事情はちがってくる。諸君がいかに鍛えられているにしろ、そのどちらの仮説もが諸君の信念にたいし、たとい僅かにしろ、なにほどか訴える力があるからである。
(W・ジェームズ著(『信ずる意志』著作集2福鎌達夫訳・日本教文社p6)

「生きる選択」とありますが日本語的には「活きている」まさに活魚のようにリアルに生存選択に直結する可能性が多大にある仮説のどちらかを選択するのはどちらか、ということです。

 無神論者であれば意味をなさない話もあるわけで、上記の真田丸の面白さは共に活きのいい仮説の選択を演出できるかがドラマの視聴率を上げることになります。

 信繁の祝言の機会を利用して室賀氏を殺害する。

 室賀氏の領地は今も室賀地籍と残っています。15年ほど前に地元の郷土史家が『室賀氏』を発刊したことがあります。部数は限られていて直に著者をお訪ねし入手したことがあります。その時に著者から書くに至った経緯は地元の人々が「室賀地籍」に住みながら「室賀氏」の存在を全く知らないし屋敷跡さえ忘れされようとしていることを憂い著書に残すことを決意したという話を聞きました。

 室賀氏がいつごろからこの塩田平の一角を領地を支配していたかは不明ですが、武田氏侵攻以前からいたことは確かなようです。ひょっとすれば滋野氏との関わりもあったかもしれません。戦乱後その室賀氏の領地にはその末裔はいません。

 現在上田城は真田の城として多くの観光客が訪れています。松本城は真田信之が間もなく松代藩に移封になりその後は、小諸藩から仙石氏が移封された。仙石忠政が再建、そのご松平氏(藤井松平家)幕末まで治めた城です。

 上田の人々は真田氏が大好きだというのが定説ですが、いまだに上田市内には真田氏がその祖とする「海野氏」に関わる「海野」「常田」などの地名が使われています。

 残された地名が現代にも生きているからこそ六文銭海野氏からの六文銭真田氏がすたれることはなかったということなのかもしれません。

 「地名」というものが残るっている意味、活きている何かがあるということです。人々は何を選択してきたのか、歴史と哲学を織り交ぜた話になってしあいましたが、NHK真田丸第11回「祝言」面白かったですね。

 生き残るために活きた選択支を選ぶ。


現代人の「もの」忘れ

2015年06月06日 | 郷土

 長野県北安曇郡小谷村の真木地区にある「真木共働学舎」を舞台にした本橋成一監督の映ドキュメンタリー映画「アラヤシキの住人たち」を観たいと思っていたところ明日6日から山形村にある映画館で上映されるとの情報を受け、さっそく明日養父と観に行くことにしました。

 養父は小谷村の出身で昭和2年生まれ真木地籍には小学校の同級生もいて、「真木共働学舎」の話をしたところ、この共働学舎の写真集を持っていて、聞くと飯田市に就職している娘が「おじいちゃんが小谷村の出身だから」と偶然書店でこの写真集を発見しプレゼントしたものとのこと、私はこの共働学舎のコミュニティーの特徴点に興味を抱いて小谷村を抜きに注目していたのですが、まぁ偶然といいますか縁ですんねぇ。

 「アラヤシキ」というと養父は「新屋敷」を漢字に訳したイメージで話は進みますが、私はどうしても唯識の「阿頼耶識」という言葉が出てきます。

 深層心理学的な世界をも取り込んだ人間の根源的なもの、自体の底なき根源性、生の根源性を探究する思考が私を支配します。

 それぞれに個々に環世界を生きる人間、近代的な平等感で違いを是正し平均化された人間像が理想とされ、そこからこぼれる人間は落伍者であり、社会性なき人間のレッテルが張られる。

 平均値の倫理、道徳感からはみ出る反社会的な破壊者とは異なり互いの違いの範囲を十分に理解し合うことのできる人々がそこにいるに違いない。人の話しや本で知るのみですが私はそんな人々のような気がします。

 現代人の忘れもの、物質文化に翻弄され本当の「もの」忘れに至っているのではないか。

 宇宙白熱教室の再放送が始まりましたが、ビックバーンから現存在の宇宙構造まで「ある」ことの不思議さに再度驚きます。

 共存するのは共存すべき構造として空間に現れているに違いなく、そこに粒子の衝突があるから人間存在には争いがあり片方の消滅や吸収が社会構造の中に現れるのか。

 小規模か大規模か、地方か国家か。

 違いの現れは何を意味するのか。

 発生と消滅の繰り返しだが、拡大し続ける意味は何か。

 地方消滅が叫ばれる中で、細々だが地方はあり続けます。

 先週に引き続き養父と小谷村に出かけました。

 

 途次国道に設置されている気温12度の電光掲示板の表示に寒さが一段と伝わってきました。小雨の天気でしたが、木々の青さがとても美しく感じられました。


心があらわれる時

2014年11月29日 | 郷土

 前回は「腹黒い」という、悪心を懐いている人間表現の中に「こころ」のある場所を見たのですが、「腹」の付く人間のこころ(状態)表現を表わす言葉を見ると、

腹が据(す)わる(覚悟ができていて、物事に動じない。度胸が据わる。)
腹に据えかねる(腹が立って、がまんできなくなる)
腹を据える(覚悟を決める)
腹が立つ(怒りを感じる)
腹に収める(ある情報などを、自分の心の中にとどめておく。)
腹を切る(責任を取って辞職する)
腹を肥やす(地位・職務などを利用して私利をむさぼる)
腹を抱える(おかしくてたまらず大笑いする)

という言い方を国語辞典(大修館)等で確認できます。

 参考に古語辞典(岩波)を見ると、

腹が細る(腹がへる)
腹からの(生まれつき)
腹高し(妊娠のさまにいう)
腹に毛の無い(老獪である)
腹は借物(宿った母親の腹は一時の借物で、生まれた子の貴賤は父によって決まる。)
腹召す(切腹する意の尊敬語)
腹を切る(切腹する)(

という言葉があります。4番目の「腹に毛の無い(老獪である)」が難しい言葉でよくわからないのですが、「老獪(ろうかい)」と読んで「いろいろ経験を積んでいて、悪賢いこと。また、そのさま。老猾(ろうかつ)。」(goo辞典)という意味なのだそうです。

 ひとつ疑問に思ったのは「腹を抱える」ですが、しぐさと見れば「お腹が痛いのかも知れない」と思うのですが、・・・・やはり「腹を抱えて笑う」がふさわしい。

いろいろと「腹」の付いた言葉の新しき(現代)と古き(古語)を知るのですが、古語の世界では「こころは遠く」で、現代の使われ方の方が「こころに近い」気がします。

心の状態、心積もり・・・人の心の内が見える、そんな気がします。

「腹を抱えて笑う」と書いて思うのは、「頭を抱えて悩む」という言葉です。

「頭を抱えて悩む」はそのままズバリで、「苦悩」する姿そのものです。

「笑う姿」と「苦悩する姿」

「苦しむ姿」と書くと「腹を抱えている姿」(腹痛)にも見えるので、「苦悩」としましたが、身体の頭と腹、部位的には上・中で「下」は足になります。

「足を踏む」「足を踏み鳴らす」

何かジタバタと忙しくなってきます。「足早に退散」「足しげく通う」・・・。

「心はどこにあるのか?」

は、「心とは何か?」という問いとも密接にかかわってきますが、身体的表現と密接にかかわってきます。

 「しぐさ(仕草)」

という言葉もありますが、動作という表現と密接に「心は現れる」ということも出来るような気がします。

「心はどこにあるのか?」

 『ことばと身体』(尼ケ崎彬著 勁草書房)『心のなかの身体』(マーク・ジョンソン著 紀伊國屋書店)『脳はなぜ「こころ」を作ったのか』前野隆司著・筑摩書房)・・・いろんな本があります。

 考えるときりがありませんが「こころ」は、現れ、表われに・・・・ということに落ちつきます。


秋はいろいろの講演会があります・井口喜源治

2014年11月10日 | 郷土

 安曇野はもともとは安曇で「野」はついていませんでした。地元の小説家臼井吉見が『安曇野』を書き「安曇野」という呼び名が有名になり今では誰もが安曇野と呼称しています。

 この『安曇野』は昭和39年から執筆を始めています。ところが今は合併し安曇野市になってしまいその中学校はなくなってしまいましたが三郷村立三郷中学校という中学校がありました。その校歌は昭和30年に制定され、その校歌は作詞務台理作氏・作曲 高木東六氏のお二人により作られました。今は歌われることはないこの校歌、その二番目の歌詞に「安曇野」と歌われていて、従って「安曇野」という呼び名はこの校歌がもというのが正解になります。この作詞家務台理作(むたいりさく)は地元旧三郷村出身の京都学派の哲学者です。

 今朝はなぜこのような話をするかというと、秋は各地で文化講演会開催され、昨日はJR穂高駅から北支側徒歩3分ほどのところにある碌山公園研成センターで地元の郷土史家柴野道夫さんによる

「安曇野から世界へ キリスト者の軌跡」~喜源治の教え世界をめぐる~

と題した講演会が開催され聴講に行き、そこではじめて知ったのでネット上に残すべきと思いブログに書くことにしました。

 安曇野は、安曇の地ということになりますが松本市、安曇野市はともに山々の囲まれた平野部が昔から松本平、安曇平と呼ばれていました。方言で言うと「まつもとでいら」「あずみでいら」で「平」は「たいら」ではなく「でいら」と発音します。

 さて上記の「喜源治の教え世界をめぐる」ですが地元のキリスト者井口喜源治(いぐちきげんじ)のことで、無教会の内村鑑三と同じようにキリスト教に目覚めキリスト教精神に基づく私塾「研成義塾」の創設した人です。

 明治17年に旧松本中学校時代に入学し、英語教師であった米国人宣教師エルマーよりキリスト教の教えを受けたようです。講演会で一番知りたかったことは、「あなたは如何にして基督信徒になりし乎」を求めていたわけで、残念ですが郷土史家の話ですから喜源治の影響を受けた人、その軌跡が中心でした。しかし会場には名古屋の無教会の医師で安曇野に別荘を持つ鳥羽さんという御老人が来られていて20分ほど内村鑑三との関係について知る範囲のことを語られました。

 今回のこの講演会ですが信濃教育会の夏の哲学講演会もそうなのですが、出席すると還暦の私が一番若いと言っていいのだと思うのですが、若い人が全く聴講に来ていません。

 聴講者の中には哲学講演会にもよく来られている方の顔もあり、研成義塾でも無教会でもどうも現代の若者は興味を持たないようです。

 今回ははじめて郷土の「井口喜源治」という方に近い人々の接することができ貴重に時間でした。

 この講演会のおわりの質問の時間に「無教会的な会は無いのですか?」との質問がありましたが、そういう会はないという主催者側の話に少々残念さを感じました。

 さて昨日はこの会に出席し、夜は地元の宮城地区で地区開催の人権学習会がありました。講師は宮城に住む安曇野市人権教育指導員(元法務省人権擁護委員)大平義郎さんの、

「明るく住みよいまつづくりをめざして~親はわが子に何を伝えるか~」

と題した講演でした。開催された宮城公民館のすぐ隣にある有明高原寮(旧鐘の鳴る丘高原寮)の所長さんもおやりになられた方で、とても参考になりました。年末には使わせていただいたいと思っています。

今朝は曇り空です。写真は土8日(土曜日)の早朝の朝焼けです。

青空に雲、秋の雲が輝きます。