思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

やまとことばの思考

2007年12月24日 | 古代精神史

 「町人の正義」は、「造り酒屋のバイオテクノロジー」の中に生かされ、安政時代から続く老舗の勇心酒造は、現在5代目の徳山孝氏が経営する。

 バイオテクノロジーと聞くと「遺伝子操作」による商品開発が浮かぶが、東京大学大学院で酵母を専門に研究した徳山社長のそれは「日本型バイオテクノロジー」と呼ぶそうで、酒造りに使われるいろいろな酵母菌を応用するもので、歴史の中で既に人体実験済みの菌を使っての科学応用による商品開発である。
 人間が遺伝子に人工的つくり上げる、ときには背徳的な科学と批判されるものとは異なる。

 NHK「知るを楽しむ」の「野村進 長寿企業は、日本にあり」という再放送を見た。番組中に大手入浴剤会社の不義的行為を知ったが、大企業の恥部よりも、老舗のもつ「何ものか」に興味をもつ。

 徳山社長が年月を掛け研究開発した入浴剤の製造方法を、大手入浴会社が共同開発しましょうと持ちかけ、そのノウハウを渡したところ徳山さんが知らないうちに新製品を開発し「米からできた入浴剤」として売り出してしまったのである。
 40人足らずの小さな会社、大手には勝てるはずもなく裁判費用も続かずいわゆる泣き寝入りせざるをえなくなった。

 野村進氏は、

 「それからが地獄でした・・・・」という言葉を聞いたとき、私は気の毒でなりませんでした。続いてこみあげてきたのは、大企業の没義道な仕打ちに対する怒りです。
「これ、向こうの会社の実名を出して、書きましょうか」
 こういうことを私のほうからもちかけるのは初めてなのですが、思わずそう言いました。すると、徳山さんは、相変わらず小さな声で、
「・・・・品がなくなりますから」
と答えるのです。恥ずかしそうな笑みさえ浮かべています。
 私は、そのあまりのお人好しぶりに内心いささか呆れつつも、うれしいような、頼もしいような気がしていました。品がなくなるようなことはしないという発言に、老舗の造り酒屋に息づく、控えめながらも確固とした倫理観を感じたからであります(NHKテキストP45から)。

と語る。
 「正義」「不義」「倫理観」という言葉の奥に隠れている、言葉として表明する基盤は、分別智、分節の世界でのことである。

 「老舗」に息づく「なにものか」は、家訓などの形に表されることが多い。
 「不義にして富まず」これは、勇心酒造の家訓の中のひとつ。
 「義理を欠いてまで富むな」という意味であろう。
 もの造りの際の「不義」とはどういうことか。

 不義とは、人として行うべき道を外れるという意味(辞典)らしいが、単に商取引や人と人の係わりに関する道理にはずれるだけであろうか。
 もの造りの老舗の中には、どうしても造りだす者と「もの」との係わり、使う者との係わりを含めた、広い視点と志向性が不可欠のような気がする。

 酒造りならば、米や水、酵母菌をも含めそこに息づく「なにものか」を自らに「うつし」得てこそ、もの造りの「もの」は丹精込めた「もの」になる。

 集英社文庫「日本語の力」の中で国文学者の中西進は、「やまとことばの思考」で次のように述べている。

 哲学者・和辻哲郎が残した多くの業績の中で、もっとも注目すべきものの一つに、やまとことばによる哲学的思考がある。たとえば和辻は日本語と哲学との問題においても、日本語が学的概念の表示として用いられることが少ないのは、理論的方向における発展の可能性をただ可能性としてのみ内蔵していたことを示すにすぎないのだといい、日本語-----本来のやまとことばによる考察を試みた。(『続日本精神史研究』)
 そこで大きくとり上げたのは、「こと」と「もの」であり、「こと」は動作や状態がそれとしてあることを示し、「もの」はたとえば「動くもの」といった場合、ものの動作としてものをその中身において増大するととく。
 従来は学術語として不適当だされたやまとことばを、積極的にとり上げた和辻の研究は、もちろん本居宣長などの先人をなしとしないが、先駆的なものといわなければならないだろう。ちなみにこの論文は、一九二九年の執筆である。(P42~43から)

 「やまとことばの思考」は、「西洋的な哲学的思考」を否定するものであってはならないと思う。

 中論講論1月号吉本隆明と中沢新一の対談集は、最後に中沢新一が次のように語り、終わっている。

 ヨーロッパの宗教は、巨大な「もののあわれ」をベースにした、何とも名づけようのない人類的なるものの一部でしかない。ヘーゲルのような体系つくり方は、ヨーロッパを土台にしてつくる体系ですが、そうではない別の体系があるんじゃないかというのが、吉本さんのメッセージのような気がする。


 


森羅万象

2007年12月23日 | 仏教
 降雪後の霧、気温が高いので雪は溶け、霧は今の時間も濃く漂う。 
 今から80年も前に、鶴見祐輔氏が「思想・山水・人物」という本で「アメリカ先住民族はなぜ滅びつつあるのか」という小論を残している。「ひとりよがり」という題名で記されているその文中で、先住民族について次のように語る。

 彼らは非常に勇敢な人種である。山野に漁労しして、風霜の間に心身を鍛錬し、敵に対しては水火のうちといえどもひるむことなく戦う。そして、その生活は清潔である。男女の関係が正しく身の回りが清潔である。ことに、感ずべきことは、彼らが節義お重んずるの情は篤きことである。
と語り、その後鶴見氏は、ボストンで出会った先住民族の研究家に、このような優秀な民族が何ゆえ滅びつつあるのか糺した。するとその研究家が語るには、ひとことでいうと「驕慢である」からだという答えであった。誇り高き民族はプライドが高いのである。
 彼らは、自分たちは世界一の優良人種だと確信している結果、他人種、ことに白色人種を非常に軽蔑している。

この文章の最後に

 我々もいい加減に誇大妄想的にひとりよがりから脱出しなければならない。源氏物語の研究さえしていればよいというような時代錯誤的な思想が、青年の口から出ることは、決して日本の教育の名誉ではない。我々は、謙虚な淡懐な心持を抱いて、世界の文化を惜しみなく摂取しなければならない。

と語っている。
 大正末期の世相からすれば革新的な言葉である。民族主義で固まりつつある当時の日本国では非国民的な発言であったであろう。

 吉本隆明氏は最近中央公論1月号で「親鸞、宗教、日本文化を語る」という中沢新一氏との対談を行っている。
 「『最後の親鸞』からはじまりの宗教へ」と題し「唯物論と宗教が衰退した思想的混迷の時代に求められるものは何か。知の巨人・吉本隆明と芸術人類学を切り拓く中沢新一が、親鸞の思想を出発点に日本人の思想、宗教、文化を語りつくす。」と対談ページの見出しに書かれている。

 吉本隆明氏の「最後の親鸞」という著書で語られる親鸞論と「アフリカ的段階」という考え方、さらに小林秀夫の「本居宣長」にみる「もののあわれ」などを話題に書かれている。次の文章が印象的だ。

中沢新一[談]
 この「本居宣長」は「最後の親鸞」と並んで、日本人が二十一世紀に取組んで、出発点にすべき書物です。小林は「本居宣長」の中で、いろんなことを隠しています。言えないことや言っちゃいけないことを、小林さんにしても隠している。それがいろんな場所で歯がゆさを生んでいる。そういうものを一度、それこそ解体学で取っ払ってみる必要がある。そうすると本当に未来的な本に変貌してくるでしょう。「本居宣長」で問題にされている日本文明の情緒的な土台、軟らかい土台というもの。それから、吉本さんの「アフリカ的段階」という考え方。この二つの関連を探ることです。「アジア的」という概念では思想の全体性はつかまえられません。アジア性というものは結局「中国」ですから、それは宣長が批判していたものです。道徳や論理でつくった文明は、人間の本源とは一致しない考えです。その問題がやはり「アフリカ的」という問題にも含まれています。またそれは親鸞が解体し、開こうとしていた地平というものとも関係している。二十一世紀の日本人が改めて取り組むべき主題はそこにあると思うのです。
吉本隆明[談]
 いや、本当にそうだと思います。

 吉本隆明氏は「思想のアンソロジー 筑摩書房P51」で次のように述べている。

 「物のあはれ」という宣長の言い方は漠然とした言葉だが、ぴたりとはまっている。いいかえれば、古い日本語の用法をのこしている。このばあい、「物」はあってもなくても意味にかわりはないとおもう。だが、ただ「あはれ」というのとちがって、本質を直指している。いいかえれば、「物」はこのばあい、「森羅万象」のことで、人間にも、生きものにも、草木にも、無生物にもあてはまるもので、「森羅万象」が「神」とおなじとかんがえられていた段階を象徴しているといっていい。だから「物のあはれ」というのは、《森羅万象のどれかがもつている人の情緒を揺りおこす要素》の意味になるとおもう。

 ここで言う「物」とは、「やまと言葉」の「もの」である。「もの=森羅万象」は、「自然」のことで、国文学者中西進氏の「やまと言葉のコスモロジー」の世界で20年以上も前に語られていた。
 中西進氏は、その後「永遠なるもの」に「仏性」をみるのだが、思考というものはみんな似たようになるものだ。中西進氏の「仏性」については、道元さんの「詩心 中公新書 梅花力の景」で語られている。

 古代人の哲学やアフリカ的段階の思考法を現代に引き上げたとしても現代人は、西洋的な合理的な思考法を離れることはできないし、日本人もそのような歴史的身体にある。哲学書にしろ、対談中の会話にしてもそこには明確に論理の世界となっている。

 思うに絶対・超越的な合理的な観念世界も包み込まれた、漂う色という眼前に広大に展開する森羅万象、一切衆生、山川草木の中に、「何ものか」をみることができる心をもちたいものだ。

 日本人は、漢文の訓読という文体を持ってはじめて、自分の思想を秩序立てて自分の言葉で書くことが出来るようになったと言ってもよい。『古今和歌集』の仮名の序は、女手だけにより、漢字を混えずに書いた評論、和歌史である点、注目すべきものであった。しかし女手だけで、つまりヤマトコトバだけで文章を構築することがいかに困難であったかは、その文章を見ればたちどころに理解することが出来る。「仮名の序」は、抽象的観念を短い語形で、的確に表現することができず、長々しくて不鮮明な文章となっている。ヤマトコトバだけの文章では、女手による物語のように、人間の動きや心理を精しく描くことはできた(『源氏物語』を見よ)。しかし抽象的な観念を表す語彙に乏しいヤマトコトバで、議論、評論を書くと、抽象的な観念をからみ合わせたり、正邪・是非の論評をしたりする際に論の進行が不鮮明で、自然に冗長になる。その文章は起承転結すらもさだかでなくなり勝ちである。つまり日本語にとって漢字を離れたヤマトコトバだけの議論文の構築はきわめて困難だった。

と中央公論社の日本語の世界1日本語の成立大野晋P317に書かれていた。

知るを楽しむ「老舗」

2007年12月16日 | 古代精神史
 窓を開けると白銀の世界である。5センチほどの積雪であろうか。娘が岡谷の友人のところへ出かけるので、有明駅まで送る。車で出かけると、自宅から出発して5分もすると、白銀の世界がまったく消えてしまう。信州の天候はこのように、山沿いと市街地では異なる。

 万葉集にこんな歌がある。「たな霧らひ雪も降らぬか梅の花咲かぬが代(しろ)に擬(そ)へてだに見む」空を曇らせて一面に雪も降ってほしい。梅の花の咲かない代わりに、なぞらえてだけでも見たいものだ。
 雪も降雪地帯では、このような情感は湧いてこない。

 「長寿企業は日本にあり」というNHKの「知るを楽しむ」という番組を見た。
 ジャーナリストで拓殖大学野村進教授の「この人この世界」で、「なぜ日本にだけ老舗が多いのか。」「その秘密に迫る驚きの日本文化論。」と、テキストの副題には書かれている。

  野村教授によると、日本の100年以上続く老舗は15000軒にのぼり、隣の韓国には1軒もない。
 200年以上の老舗は、3000軒で、中国は9軒、インドには3軒しかない。ヨーロッパでは、ドイツで800軒、オランダが200軒とのことである。
日本には、世界最古の会社がある。大阪にある寺社建築を生業にする「金剛組」で飛鳥時代の西暦578年から続いている会社である。

 これらの老舗のほとんどが「もの作り」の会社であるところが日本的だと思う。
 「もの」という「やまと言葉」に秘められた日本独特の「何(なに)ものか」があるのであろう。
 野村教授は、「日本型アニミズムが老舗文化を生んだ。」と語る。

 この考えは、「宗教への問い5 宗教の闇 岩波書店」の中沢新一氏の次の言葉に重なる。番組で紹介される老舗の存続する現状とは逆の、最近の経済社会の問題点に対する考えでる。

 新しい同盟は、モノとの間に、結ばれなければならない。非人格的な力能であり、結氷寸前の海水のように、物体性のモンや昔の人たちが霊力とも精霊とも呼んだ非感覚的な内包力などが、混成系をなしながら、複雑な全体運動をおこなっている、そういうモノとの間に、人間は真実の同盟関係をつくりあげることが必要である。
 人間がこの同盟者の姿を見失ってすでに久しい。その間に、モノは単なる物(オブジェ)となり、恩恵の増殖力にふくらんでいたその強度の場所は、数だけはおびただしいがすべてが影のような商品につくりかえられて、モノの「ふゆ」の過程は資本の増殖へと変貌してしまった。その結果、かつては人間の世界に豊かなふくらみをあたえていた贈与の原理は、世界の表面から消え去り、かつて宗教と呼ばれたものの多くの部分が、資本の論理の別表現でしかないさまざまなカルトに頽落してしまった。(同書P48 モノとの同盟から)

 ここでいう「モノ」とは、前回ブログで述べたように、やまと言葉の「もの」のことである。
 やまと言葉では、中西進先生の言葉を借りると「もの」は「自然」を示す言葉で、「あのもの」、「このもの」のそれぞれの個物の集合体が「もの=自然」であり、その後この「もの」が「物」という個物を示す言葉に変化した。
 豊穣な大地は、四季の変化に各種の恵みをもたらす。それは与えられるものから、その後の稲作技術の渡来とともに、作り出すものに変化していく。

 もの作りは、天候に左右され、恵みは「何ものか」を志向の先にみる。
 「モノ」という大和言葉は、「もの悲しい」、「もの寂しい」というときにも使われる。このときの「もの」とは、「何となく」という合理的には特定されない「何ものか」をさすが、「存在」や「観念的なもの」として表すことができないが、しかし「ある」なのである。

 亡河合隼雄先生と中村新一先生の対談集に次のような言葉がある。「ブッダの夢 朝日文庫」

 日本の霊性って何かというというと、べつにそれは西田幾多郎の哲学とか、田辺元の哲学とか、そういうことじゃないんじゃないのかな。歩き方とか、おそばの食べ方とか、花の活け方とか、なんかそういうことにあらわれた日本的霊性って言うのかな、きっとアメリカ人は河合先生の身振りや独特の英語(笑)なんかを通して日本的霊性のあらわれを無理数として直観しているんだと思います。要するに、合理性で割り切れないものがここに実在している。 (同書P34中村談から)

 ここで「実在」と表現はしているが、「無理数」の「ルート2」のように表されても数量的な特定がないような意味だ。
 金沢の老舗カタニ産業社長蚊谷八郎社長の座右の銘は、「伝統は、革新の連続」という言葉であった。
 伝統には、隠されたノウハウがあるという言葉に共感をもった。

「もの」という「やまと言葉」(5)

2007年12月09日 | 古代精神史

 「もの」という「やまと言葉」について、考えを進めると古代人の精神性がみえてくる。「やまと言葉」は、あいまいな表現が多く明治期になると「あるく」が「歩行」、「かんがえる」が「思考」などという言葉になりそれが近代的なことであった。

 しかし「やまと言葉」を考えていくと、古代人と世界とのかかわりがみえきて、現代人が忘れている何かがあるような気がする。

 宗教学者、哲学者、評論家、文化人類学者に中沢 新一先生は、「やまと言葉」という用語は用いてはいないが、「宗教の闇 岩波書店」の「モノの深さ 宗教における技術の問題」という小論文の中で、「モノ・コト」の「やまと言葉」やニュージーランドのマオリ族の「ハウ」という言葉などと、西洋におけるそれらに類する言葉との相違から資本主義の問題点を指摘しており、「資本主義の問題点」は別として、世の中には同じようなことを考えをもつ人があるものだと驚いた。

 「やまと言葉」は「はたらき」の言葉で、動き、状態などに名前をつけた言葉ということができる。
 「状態」とは、時計を例にすると品物としてみるとなんら変わるものではないが、これが机の上にあったり、腕にはめているなのどのことをいう。

 したがって、個物、固体な名ではなくて「はたらいている状況」に名前をつけたのが「やまと言葉」で、ヨーロッパ圏とは基本的にくい違いがある。
ヨーロッパ的な教育を受けた現代人には当然わかりにくい言葉ということになる。
 「やまと言葉」を作り上げる場合にどのような思考が働くのであろうか。

 広い志向性が全体の成立の中に「何ものか」の関係を感じ、それを「ひとつ」の表現に転換することができるのではないかと思う。

 物事を哲学するとなると、いわゆる西洋的な思考形態で語るとなると

 我々の実在的世界がそれに於いて成立すると考えられる時間的空間の枠とは、何処までも自己否定的に自己自身を表現すると共に、何処までも自己の中に自己を限定し行く、即ち自己の中に自己自身を形成していく、我々は実践的自己の世界の自己実現の形として把握せられなければならない。斯して、それが自己自身によって有り、自己自身によって動き行く真実在の世界の形として把握せられなければならない。
<中略>
 我々が働くということを考える場合、多くの人は抽象的意識的自己の立場から、即ち主観的立場から出発する、内から外へと、先ず時間的立場から考える。しかし既に云った如く、かかる立場からは働くと云うことは考えられない。多と一との矛盾的自己同一の立場、内と外との矛盾的自己同一の立場からでなければならない。空間的背景なくして、我々に働くと云うことは考えられない。働くというには、足場がなければならない。この点が忘れられている。我々がある足場から出立すると云うには、我々は先ず世界を自己に映すと共に、自己が世界の自己限定の一点となると云うことがなければならない。かかる立場に於いて、我々に行為の足場が把握せられるのである。即ち我々は身体的に足場を把握し、身体的に働くのである
。(西田幾多郎全集第11巻哲学論文集第六ー六「空間」)

ということになり、また西洋的な現象学的な思考となると、木村敏先生の「主体の二重化」では、第一の主体はノエシス的な(瞬間瞬間の)営みで刻々と音・言葉をつくりだし、意識に送り込み第二の主体は、ノエマ的な(全体表象的な)営みで刻々と曲想・言葉の文脈をつくりだす。ということになる。

 しかし、考えるに古代人は即物的にものを見、それを言葉として表現する。
 「やまと言葉」では、この主体の二重化はなく瞬間即文脈(動きある状態表現としての)が成立している。日々の生活内では「主体性の二重化」もあろうが、「やまと言葉」の中では「多即一」で、全体が全ての繋がりの中で「アル」のだと思う。

 中沢新一先生は「モノ」についての次のように語る。

 モノは要するに、思考の対象になるすべてのもの、つまり感覚的対象であろうが非感覚的対象であろうが、とにかく思考がなんらかのかたちで対象にできそうなものすべてを指しているのである。そうなると、完全に思考の能力をはみだしてしまった事物や現象などは、モノということはできないが、さりとて思考や概念によって、完全に対象物として捕獲されきってしまうことのないものまで、漠然と「モノ」と呼ぶことができる、ということになる。このようなモノという語はの用法は、歴史の中で形成されてきたものだ。 (「同上「宗教の闇」P4から)
 
 日本語の深みのなかで、「存在(ある)」という概念を探っていくと、「モノ」にたどり着いていくのである。<中略> このとき「モノ」は、三つの仕方でこの「ある」の事態にかかわっている。まずそれはタマ=霊力の強度を包み込み収める容器のことを指している。内包的な強度を収める容器のことは、象徴といってもいいから、ここではモノは象徴の形態面をあらわしていて、その内容がタマなのである。
 つぐにモノは、物部氏の技芸のことやタマ増殖の儀礼である「冬(ふゆ=ふるえる)まつり」のことを考えてみてもわかるように、内包空間で充実しきったタマの霊力を、外の世界に引き出したり、人体に付着させてその人の威力としたりしたさいに、霊力の引き出しや付着を媒介する道具として用いるもののことでもある。このとき、モノはみずからダイナミックな変転をはらんだひとつの運動を誘因するために、横断的な運動体そのものと化している。つまりここでモノは技術の本質を指ししめしている。
 三つめにモノは、「ある」がはらんである否定性を受け入れるために用意された、記号的な容器にもなっている。純粋な肯定性であるタマは、成長して内包空間を出るのであるが、外気に触れた瞬間に、そこには避けがたい衰え(ケ)が発生する。タマ=霊力はそのときから善悪の価値をになった二元論の世界に踏み込んでいく。否定性と不調和が、円満完全なタマの働きに陰りをもたらすのだ。それをモノが引き受けるのである(モノノケ)。このようなモンに変質をとげたタマは、陰陽師のなどの技芸のモノ(道具)によって操作されることもおこるようになる。
 
<中略>
 じっさい、私たちがあきらかにしてきたこのモノは、ハイデッガーが西欧語の「記憶の倉庫」である古代ギリシャ語における「ピュシス」という根源語をめぐって展開した深遠な思想を、思い起こさせる。ピュシスは「フィジック」の語源ともなったことばであるから、一般的には「自然」を意味するものと同一視されている。つまり、海や山脈や動物や植物のことを、古代ギリシャ人たちはピュシスということばで言い表そうとしていた、とふつうは考えられている。ところがハイデッガーはこのことばはそのようなもろもろの存在物をあらわすのではなく、「ある」という事態を根源的な深みで、ギリシャ人たちが思考していたときに用いた根源語であることを、強調している。モノという日本語の根源語が、「ある=あらわれる」の事態を実践的なやり方で思考していたように、動物や植物のような自然物をもあらわすピュシスは、「ある」を思考することばとして、徹底的に利用され、深められたのである。
 <中略>
 日本語の根源語であるモノとの類縁性はあきらかである。日本語では、西欧語で存在をあらわすことばに相当する「ある」は、そのなかにタマの位相変換を含む「あらわれ」という事象を指すことばとして、深い意味をあたえられていた。その「ある=あらわれ」と一体のなって、モノははじめて全体的な意味を持ったことばなのである。別の言い方をすれば、モノそのものに「あらわれ」が内蔵しているような位相の返還や質的な変容などが包み込まれ、存在が「あらわれ」という仕方の内で、はじめて感覚的対象として目に見え、手でも触れられるような対象となる事態を言いあてようとしていたのである。(「同上「宗教の闇」P19から)

 以前触れたように「もの」という言葉は、古語辞典で調べると「物・人・動物から怨霊」のどの意味まで含む。したがってその意味には「魂(タマ)」が含まれ、それが八百万の神々の存在へと発展する。

 しかし、西洋における「存在」についての思考は、事物間の関係性においての存在を前提とせず、「事実」であるところの「ある」を前提としている。
 したがって「神」という超越者の存在は、「三位一体」をもってその現われとみなす。しかし「やまと言葉」の「もの」には、「超越者」などという言葉の定義は不要で「目に見えない事物間の関係」がすでに成立している。

 日本的な「物の生産」において「事物間の関係」を前提を置くので、ものの大切さがあり、自然への感謝が自然と行われてきていた。しかし西洋的な「物の生産」には、「事物間の関係」は問題としない(利益を前提とする場合の関係性とは異なる)。

 漢字の「空」は、やまと言葉では「そら」である。天空の空を言うが、「からっぽ」という意味である。しかし「そら」の上には、古典の世界では「あま」があり、漢字で書くと「天」という文字になる。「あま」は別漢字で書くと「海」であり、「やまと言葉」の世界は「天・海」も「あま」で表される。古事記では、巨人が天の水を瓢箪ですくい川に流し、それが海になるのである。