思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

人を裁くということ(9)宗教的罪の発生を見る

2009年12月31日 | 宗教

大晦日となりました。外は大雪、久しぶりの大晦日の雪景色です。
 年齢を重ねるごとに一年が過ぎるのがとても速く感じます。世の中もめまぐるしい変化を続けておりついていけない感もありますが、一日一日しっかりと悔いの無い生き方に勤めたいと思います。「悔い」などという言葉がふと出て来ますので、その道があることに感謝です。


 今年一年の中で起こった出来事で、「裁判員制度」という司法への国民参加制度が開始されたことに危惧感を覚えます。

 どのような危惧感か、それは人間にとって宗教が必要だと思う人間にとってその参加は、神から遠のくことであり、仏になる可能性の放棄のように思うからです。
 
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 裁判員制度は、今年の5月から開始されました。法律で定められた条件に該当する一般人以外は、参加することになるこの制度、人を裁くという責任を負うことが本当に必要なことなのでしょうか。その点に強い疑問を感じます。
 
 平成13年時6月に「司法制度改革審議会意見書・・21世紀の日本を支える司法制度・・」をとりまとめ、当時の自民党政権の内閣に提出され、司法の改革制度が方向付けられて今日の姿になっています。
 
 司法制度改革審議会での「国民の司法参加」の審議過程、ここにおいて国民への負担は十分に審議されたのでしょうか?

 刑罰の種類は死刑、懲役、禁固、罰金、科料(とがりょう)を法律に定めがない限り、勝手に人民に科すことはできないのが法治国家なのですが、それを科す者は法律に定められた者でなければならないことは当然のことです。

 このような法制度(取締りも含む)がなければ無秩序な世界となりヤクザの広島戦争や一般市民も例外なく争いの渦中に参加することになるからで、現在頻繁に報道される凶悪事件や粗暴的な犯罪もとどまるところがないでしょう。
 
 ソマリアという国が崩壊し無秩序な状態になっていることはご存知だと思いますが、無秩序は誰も望まないことですし、生きるための非道は許されるものではありません。

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 先に死刑・懲役・禁固という刑罰の言葉を書きましたが、この刑罰を刑法典に規定する犯罪類型と対比すると、「死刑=殺人」であり「懲役(禁固)=身柄拘束)ということになります。
 
 極端な話、この刑罰を科すということは、犯罪を犯すということです。それが犯罪とみなされないのは、単に法の根拠に基づく行為であることから違法性・責任性が阻却(意:無いものと)されるということだけです。

 法(律)というものの重要性については過去のブログでも話したと思いますが、法(りつ)は社会制度・社会秩序を維持するものとして不可欠なものであり、その名において、殺人、身柄拘束、監禁という非道な行為も許されるのです。

 人を裁くということが、理由はともかく宗教上では罪以外のなにものでもないことは、信仰にあるもにとっては当然の理だと思います。

 ところが歴史は、集団の存続維持に必要なものとしてその裁きを考案しました。それが神の裁きであり、お上の裁きにつながる流れにみることができます。

 裁きが人の手に移ったとき、殺人や監禁が許される行為とすることが、お上の定める律に一般国民の禁止事項として規定することで、当然のこととなりました。
 
 近代国家の成立過程においてその権限は国民から国家へ委譲されました。
 勝手な解釈ですが、わたしはそこには宗教上の罪を執行側が肩代わりするという意味があったように思います。

 日本では、今年の裁判員制度が開始されるまでは、死刑という殺人、懲役・禁固という逮捕監禁の罪の執行(犯行)を含んだ人を裁く罪は、公務員が請け負いました。

 その代わり公務員は、試験制度で採用され、身分的に保証されたものでした。 公務員の内でも、この人の裁きに従事する公務員は、他の公務員に比べ特別な責任と義務を負うことになっています。
 
 争議権の禁止等の労働権の制限、不偏不党という中立性の保持そして法の執行に当っては、「適性手続きによること」等の責任と義務が求められています。

 ニーチェの「神は死んだ」という言葉が示すとおり、近代国家は重大なことを失ってしまいました。倫理・道徳上の問題を提起するものの宗教の信仰から発生する罪意識を失わせてしまったのです。

 一般国民は、罪を公務員に背負わせたという意味を忘却し、背負う側の公務員もその重大性を見失ってしまいました。

 思うに人を裁くという点において、支配者の恣意的な権限発動は避けなければなりませんが、それ以上に支配者が信用を失い、また支配されることへの反感、さらに偏狂的な平等感依存のこころが、重大なことを失わせてきています。

 それは人が、宗教的な罪責の念を失い、罪を犯すということです。

 倫理・道徳的な罪意識と宗教的な罪意識との相異が分かるのは、本当の信仰心をもった者でしかないと思います。

 「平和のためには、戦争もやむをえない」という論理は、すべての人が望むことではないと思います。本当宗教とその信仰からは絶対に現われないものと思います。

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「変わり身の早さ」について

2009年12月30日 | 仏教

 今年も残すところ後一日となりました。年々一年が速くうつり行くことに驚きます。年越しは雪降りとの予報。果たして予報は的中するでしょうか。

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 内田樹神戸女学院大学教授が新潮新書から『日本辺境論』を出されています。今朝の信濃毎日新聞に教授へのインタビュー記事が掲載されていました。

 「中国の辺境に位置するという地政学的条件が、日本人の国民性を規定している」という「日本=辺境」を単純に規定し、こればでの自分の書き連ねた事柄を当てはめたところうまく説明することができたと語っていました。

 「敵に勝つことではなく、敵をつくらないこと」これが辺境で生きる日本人の安全保障論であるといいます。また、村上春樹氏の作品が世界中で読まれている理由に「すべての人間集団に共通する確かな神話的構造を踏まえた上で、日本のことを書いているから」と分析しています。

 最後に日本の行くすえについて「よその世界の変化に対応する変わり身の早さが日本の基本姿勢であり、これを支えるのが学ぶ力。最大の国力である学ぶ力を失った日本人に、未来はありません」と語り、この記事は終っていました。

 現在の日本人が学ぶ力を失って見えるのか、将来的にそうなったら、という話なのか判断に苦慮する書き方の記事です。

 「日本辺境論」現代人はこの世に生を受け、いつ頃から自分が「日本列島」に住んでいること、その日本列島は、アジア大陸の東方にあり、その東側に太平洋という広大な海があり、その向こうにアメリカがある。

 吉田松陰先生が、15歳の時に山田宇右衛門先生が江戸から帰ってきたときに訪ねたところ、山田宇右衛門先生は江戸からの土産としてオランダの書物をに訳した世界地理書の本を松陰先生にお与えになりました。

 山田先生は、世界の情勢を語り「小さな国日本だけ見ていては偉くなれぬ。知識を広く、目を高くして、わが国を自分の肩に背負うという意気で勉強しなさい」と励ました話を思い出しました。

 私自身は多分小学校で学んだように思います。その後、わが国がアジアの辺境にあることは意識することは無く生きて来ました。渡航歴が無いので実感としてもまったくありません。この辺境意識は、日本人の普遍的無意識となりえるのだろうか。

 「敵をつくらないこと」これは、万国共通のことではないだろうか、全ての人々は争いを好まない。しかし「平和を得るには、戦わなければならない」とアメリカの大統領が語り、日本も参加する。これは明確に「敵をつくる」ことではないだろうか。

 「よその世界の変化に対応する変わり身の早さが日本の基本姿勢」の文章の中の「変わり身」という言葉表現は、このように分析する側の感慨であって、志向性の向こう側にあるものの本質と重なるものでしょうか。

 秀でるものとは、全体の中の一部であるから目立つのであって、果たして何と比べ、変わり身の早さの結論を出したのか不明です。

 変わり身の遅い国と比べということになると思うのですが、事情というものがそれぞれにあるのであって、特徴点としてはとらえてよいものかと思います。

 明治維新後や太平洋戦争後の日本にそれ(変わり身の早さ)が見えるならそれは「正しい墜落」であり、豊かさを求める人間の性(さが)があるだけだと思います。


「人面香炉形土器」・「女性の曲線美」・「火の神」について

2009年12月29日 | 古代精神史

     写真(井戸尻考古館所蔵・人面香炉形土器)

 長野県諏訪郡富士見町の教育長ブログに「縄文人の精神生活は深かった」(12月24日付)という記事に「人面香炉形土器」(じんめん・こうろがた・どき)のことが書かれていました。記事によると

 本年の秋、大英博物館で土偶の展示会(DOGU)が開催された(9~11月)。ロンドンから学芸員が来て、茅野市の「縄文のビーナス」などと共に井戸尻考古館からは「人面香炉形土器」(じんめん・こうろがた・どき)の出展を希望した。

と書かれているように、世界的にも有名な土器です。

 一般的には釣手土器と呼ばれる土器の一種で、土器には土偶の人面がついたものがありますが、釣手土器に人面がついたものが「人面香炉形土器」と呼ばれ、香炉は仏教で使う香炉の似ていることからそのなが付けられています。

 用途は光源、油の入った小皿に灯心をいれ火をつけて明かりとするものと推定されています。土器に着いている焦げ目などからその蓋然性は高いようです。

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 この富士見町教育長のブログには、「火の神」と題し次のことが語られています。

火の神
 《まるで香炉(こうろ)のような形態は通常の土器の概念をこえており、神聖な火を灯す火器(かき)と目される。土器全体が女神の胎内に見立てられている。正面の大きな円窓は蛙の背であり、女性の陰部を表し、そこから火が発火する。一方裏側は、されこうべの暗い眼窩(がんか=眼球のはまっているくぼんだ穴)を思い浮かべるに違いない。これも蛙の背ないし胴体である。
 合わせて3つの円窓は暗い月を表徴している。洞内に暗い月が3日間こもる所である。そこから誕生する火は新月の光にたとえられる。火でさえも、太陰的世界観に組み込まれている。
 正面は人面の誕生の誕生する所(つまり子宮)であるとともに実大の首を象(かたど)ったものである。》
興味深いのは、《このような造形のあり方は「古事記」や「日本書紀」で、火神の誕生が契機となってひき起こされた一連の出来事の文脈と見事に符号する。》と縄文式土器から記紀への連続性を指摘していることである。なんと大胆な解釈。それにしては妙に説得力がある。
 縄文人の精神生活はぼくらが想像しているよりはるかに深かったのではないか。その表徴としての土器の形象の意味するところも世界的普遍性を持っているのではないだろうか。

この文章を読んで、共感、納得する解説に思います。
 この釣手付土器を静観すると「神の火をともすこの釣手型土器が大きく肩を張っているのは、恵みをもたらす女神が脚を大きく開いて表現しているかのようである」といいたくなるようです(伊那史学会機関紙『伊那』1998.4月号P41「飯田市山本箱川遺跡佐藤甦信論文から)。


     
       「箱川遺跡出土釣手付土器(正面)」

     
      「箱川遺跡出土釣手付土器(背面・側面)

  教育長の対象土器は、井戸尻考古館のものであり、佐藤さんの観察対象土器は箱川遺跡のものです。どちらも曲線がよく似ています。

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 教育長の語りの中に<・・・造形のあり方は「古事記」や「日本書紀」で、・・・>という記述があります。

 このことについて記紀の記載状況を紹介したいのですが、同じ国文学者が記紀を同時に書かれている参考書を使うのがよいかと思いますので、その筋では有名な植木直一郎先生の『古事記・日本書紀抄』を使用します。この本には次のように書かれています。
 
 古事記から 
 ・・・・次に火之夜藝速男神(ひのやぎはやをのかみ)を御生(おう)みになりました。この神は、一名を火之毘古神(ひのかがびこのかみ)と申し、また火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)と申します。伊邪那美命は、この火の神を御生みになりました為に、美蕃登(みほと)に炙傷(やけど)をして、大そう御悩(おなや)みになりました。・・・さて、伊邪那美神は、火の神を御生みになりましたのが原因で、遂に崩御(おかくれ)になってしまいました。

 日本書紀から、
 ・・・・次に、火の神の軻遇突智(かぐつち)を御生みになりましたが、この時伊弉冉尊(いざなみのみこと)は、この軻遇突智の為めに焼かれて、遂に御崩(おかくれ)れになってしまいました。その崩御遊ばされようとする際に、臥しながら、土の神の埴山姫(はにやまひめ)と水の神の罔象女(みずはのめ)とを御生みになりました。・・・・〔一書に、伊弉冉尊は火神を御生みになりましたときに、灼(や)かれて御崩(おかく)れになりました。・・・・〕

という記紀の内容です。女神である伊邪那美命(伊弉冉尊)が火の神を生み、その蕃登(ほと)焼かれ崩御してしまう。これが教育長の言われるところの

<火神の誕生が契機となってひき起こされた一連の出来事の文脈と見事に符号す《このような造形のあり方は「古事記」や「日本書紀」で、火神の誕生が契機となってひき起こされた一連の出来事の文脈と見事に符号する。》と縄文式土器から記紀への連続性を指摘していることである。>

ということになります。

 「火の神」について神話的には一般的にどのように解説されるかですが、『神話伝説辞典 東京堂』には、次のように解説されています。

 発火法の幼稚な時代には、火は人間生活にとってきわめて重要なものであり、したがって火産霊神(ほむすびのかみ・火之加具土神)という名で火の神を祀った。『神名帳』を見ると香具土乃至火結(かぐつちないしほむすび)を祀る社は、紀伊・丹波・伊豆にもあった。『鎮火祭祝詞』も、この神をたいしょうとしたものである。宮中大膳職に坐(いま)すこの神はかまどの神であり、また神武紀に見える顕斎(うつしいわい)の祭りには、やはりかまどの火らしいものにその神の名をつけている。いわゆるかまどの神を火の神であると即断するのは早計であるが、かまどの神を後世火男と呼んでいる事実からも、両者はきわめて密接な関係にあることが推測される。後世民間で火の神と呼ばれた存在は、荒神とも呼ばれ、カマドとイロリの神であり、同時に家の神でもあった。

この記述は日本本土を中心としていますが、この辞典には次の内容が付加されています。

 薩南諸島から沖縄にかけては、火の神の信仰が強く、家々の火神ばかりでなく全体でも祀る火の神がある。神体は三つの石で川や海から拾ってくる。これが原始的なかまどである。その神は海の底もしくはニライカナイから生れ来る女神であると信じられる。火の神は毎年12月24日に昇天して家人の一年間の行状を天に報告すると信じられている。日本内地でも、かまどの神は南九州では石を神体として、また壱岐では6月29日の夏越の日に浜から石をひろって来て荒神棚にかざる風があり、沖縄の信仰と共通の母胎をうかがわしめる。

この内容も、日本の「火の神」を知るには重要なものと思います。

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 人面香炉型土器から火の神信仰について取りとめのない話を展開していますが、ここで女性の曲線美に話を展開します。

 古代中国の古典に、『道徳経』があります。紀元前6世紀の春秋時代につくられたと信じられているもので、老子の作とされていますがその真偽については言及しません。

 この道徳京の言葉に、以前このブログでも扱った「谷神(こくしん)」があります。

 谷神死せず。是を玄牝(げんぴん)と謂うふ。玄牝の門、是を天地の根と謂ふ。綿綿(めんめん)として存するが若く、之を用ふれども勤(つか)れず。

「谷神」とは老荘思想における「空・無」の思想原形になります。渓谷の谷間という空間に神をみるのですが、この谷間が牝牛の出産、女性の出産と密接に関係し生成の神秘性をあらわしています。

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 「火の神」から女性の曲線美と話を進めると「火之迦具土神」の「迦具・香具(かぐ)」という言葉が上代語「陽炎(かぎろひ)」の言葉を想起します。

 陽炎(かげろふ)ともいいますが、春の晴れた日に地面から立ち昇る温められた空気の流れに光が屈折してちらつく現象や、東方に見える明け方の光を意味します。どちらにしても光に関係があるようです。そして「かぐ」といえば「かぐや姫」の昔話になってきます。

 富士町の教育長さんは「このテーマにはまってしまう」と語られていますが、私も古代精神史という面から惹かれるものがあります。

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「正しく墜ちる」と「無常」

2009年12月28日 | つれづれ記

 学研から「NHK 私の1冊日本の100冊」という雑誌が出版されています。有名人が感動した本1冊を紹介するもので、本屋さんに行きテキストコーナーで見つけました。

 12月10日号の僧侶では作家でもおられる玄侑宗久さんが、木村敏先生の『時間と自己』という本をその一冊として紹介していました。

 宗教に関係者する方ならば必ず読まれる本で、精神医学の立場から人間が「時間」、「自己」をどのように捉えているかを知るには必要不可欠な本のように思います。

 さてこのところ二日続けて坂口安吾先生の『墜落論』について書いているのですが、偶然は偶然ではないと言ってユングが共時性を述べていますが、この100冊で映画監督・作家の森達也さんがこの『墜落論』を紹介していました。

 森さんは「平成の今の世相にも、ビビッドに反応している評論です」と書かれているので、やはりそう思う人もいるのだとわかり自己の感性に安心しました。

 ・・・・「生きよ、墜ちよ」が出てくるわけだよね。これはもう、ちょっと鳥肌が立つぐらいのレトリックだと思います。

 ・・・・「墜落」という極めて否定的な言葉を使い、安吾は人々に覚醒を訴えました。今の時代に、この本の持つ意味とは、どんなものでしょうか?

と森監督は書いています。
 わたしは「正しく墜ちる」この言葉に凄く刺激されるのですが、卑近な手短な例にどんなものがあるだろうか、少々考えてみました。

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 考察程度はあまりにも軽薄で、軽さがありますが、一連の鳩山総理の贈与税の問題で遂に「6億円」の支払いに至りました。

 正しく申告を行いこれでもう責任は軽くなりました。認識のない過失による無申告でしたから、知った時点で遅滞の申告ですが仕方ありません。

 世の中とは凄いもので、手当てがなくなり1円にも困まる老夫婦がいる一方、右から左へと税金(借金)を間髪をいれずに支払うことがことができる人が存在する。世の無常とはこのこと脱痛感します。

 「しっかりやることが総理としての私の責任、進退問題は考えていない」これも総理という日本国の代表ですから「はい。さようなら」というわけにも行きません。

 報道番組では「父子家庭の男性」も「手当てが減額された老夫婦」も涙が出るほど「しっかり」生きています。

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 国民全体が正しく墜ちていっているような気がします。本来正しいも悪いもないかもしれません。

 無常とは、善悪の分別の世界ではない。

 あるがままの世界に、「正しく墜ちる」姿が見えて仕方がありません。

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「正しく墜ちる」について、坂口安吾の『墜落論』から

2009年12月27日 | つれづれ記

     (坂口安吾 講談社版日本現代文学全集90から)

 昨日のブログで坂口安吾の『墜落論』に触れました。昭和21年4月、終戦間がないころに書かれた身近な文章です。

 私が生まれる以前の作品で、学生時代に読んだ気がしますが諏訪東京理科大学関塚正嗣教授の『哲学の誘惑』を読み教授の解析力と考察の鋭さに圧倒され、最近購入し読んで見ました。

 60年も前の社会情勢の中で書かれ、作者はすでに過去の人となっていますが、改めてこの年齢で読んでみますと深く考えさせられるものでした。

「人間存在は墜落存在だ」とは言葉を言い直すと「人間は生まれながらに墜落的存在だ」ということになります。すると荀子の「性悪説」を思い出します。

人の性は悪なり、其の善なるは偽(ぎ)なり(「荀子」性悪篇)

 偽とは古くから人為(自然的でなく、人間の工夫・努力によること)と解せられており、「にせもの・うそいつわり」というようなおとしめた意味ではない。「善は生来自然のものではなく、人間の後天的な努力・学習によって獲得するものであり、それゆえにこそ貴重である」と言うのである(集英社 人物中国の歴史3P215から)。

 このよな荀子の性悪説に立つと統治する立場から秩序維持に必要な律的な要素の果たす意味が理解できます。

 宗教家のひろさちやさんは、
 荀子の言う性悪説は、人間を放任しておくと悪に向かうから、教育・教化によって善に向かわせようとするものです。したがって、この性悪説は、人間を善に向かわせる可能性があるといっているのですから、人間を信頼しているのです(新潮選書 仏教と儒教P79)。

と述べています。
 「可能性」というと仏教のいうところの「仏になる可能性」という仏性にも重なる発想に気づきます。

 「可能性」という言葉もこの流れからその言わんとするところが見えてきます。見えるということは「知(し)る」ことであり、以前に言いましたが「修める」ということです。

 可能性は、主体の「常なる進行状態」を示すものと思います。

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 ここでまた『墜落論』にもどりますが、坂口安吾先生は、作品の最後に長い引用ですが次のように書かれています。

 私は戦(おのの)きながら、然し、惚れ惚れとその美しさに見とれていたのだ。私は考える必要がなかった。そこには美しいものばかりで、人間がなかったからだ。実際、泥棒すらいなかった。近頃の東京は暗いというが、戦争中は真の闇で、そのくせどんな深夜でもオイハギなどの心配はなく、暗闇の深夜を歩き、戸締りなしで眠っていたのだ。戦争中の日本は嘘のような理想郷で、ただ虚しい美しさが咲きあふれていた。それは人間の真実の美しさではない。そしてもし我々が考えることを忘れるなら、これほど気楽なそして壮観な見世物はないだろう。たとえ爆弾の絶えざる恐怖があるにしても、考えることがない限り、人は常に気楽であり、ただ惚れ惚れと見とれておれば良かったのだ。私は一人の馬鹿であった。最も無邪気に遊び戯れていた。
 終戦後、我々はあらゆる自由を許されたが、人はあらゆる自由を許されたとき、自らの不可解な限定とその不自由さに気づくであろう。人間は永遠に自由では有り得ない。なぜなら人間は生きており、又死なねばならず、そして人間は考えるからだ。政治上の改革は一日にして行われるが、人間の変化はそうは行かない。遠くギリシャに発見され確立の一歩を踏みだした人性が、どれほどの変化を示しているだろうか。

 人間。戦争がどんなすさまじい破壊と運命をもって向かうにしても人間自体をどう為しうるものでもない。戦争は終った。特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。人間は変りはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は墜落する。義士も聖女も墜落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は墜ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。

 戦争に負けたから墜ちるのではないのだ。人間だから墜ちるだけだ。だが人間は永遠に墜ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くではあり得ない。人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものではあるが、墜ちぬくためには弱すぎる。人間は結局処女を刺殺せずにはいられず、武士道をあみださずにはいられず、天皇を担ぎださずにはいられなくなるであろう。だが他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく墜ちる道を墜ちきることが必要であろう。墜ちる道を墜ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。

 この文章だけでも私は、60年前の文章ですが、現代と重なって見えて仕方がありません。政治・経済は混迷を来たし、風俗は退廃状態きたし、殺人は連日といいほど敢行されています。

 自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく墜ちる道を墜ちきることが必要であろう。

と先生の言葉があります。「正しく墜ちる」この言葉はそれぞれの今現在の思考基盤で理解するしかありません。

 「正しく墜ちる」実に刺激的な言葉です。

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人を裁くということ(8)「人間存在は墜落存在だ」

2009年12月26日 | つれづれ記

 作家坂口安吾の『墜落論』から哲学者諏訪東京理科大学共通教育センター  関塚正嗣教授は、その著『哲学の誘惑』の中で次のように読み取っています。
 
 関口正嗣先生は人間の元来は、つまり人間の基本的なあり方は、墜落にある。これを、「人間存在は墜落存在だ」と言い直してもいいでしょう。人間は肉体を持っている。だから、本能をもっているし、食べなければ生きていけない。人間はこれを「人間の弱点」とみなして、それに対する非人間的な防壁をいろいろ考え出した。安吾によれば、「忠臣蔵はニ君に仕えず」とか「節婦は二夫に見(まみ)えず」とか「処女の純潔」とか「天皇制」といったものはみなそういう「人間の弱点」に対する防壁だというのですね。そういったものが、立派で、「美しいもの」とされてきた。

 人間とは本来どんな存在なのだろうなどと考え、このような文章に出会うと凄く衝撃的で、また感嘆するのです。

 経験から得られた感慨ほどリアルなものはありません。坂口安吾という作家が導き出したもの説得力のある墜落論です。

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 12月12日の「県内初めての裁判員裁判結果から」で殺人罪に問われた被告人(46歳)のことについて書きました。評議の結果判決は「懲役22年」というものでした。

 控訴期限の24日、この一審判決を不服として東京高等裁判所に控訴しました。新聞記者が拘置先の長野拘置支所(善光寺からさほど遠くない長野県庁の近くにあります)で被告人に接見して控訴理由を聞いたところ「裁判員が正確な判断ができたのか疑問がある。プロの裁判官に判断してほしい」と語ったそうです(12月25日付信濃毎日新聞29社会面)。

 全国的に報道される有名な殺人事件とは異なり片田舎で発生した事件、殺人の背景にある暗さが目立つ事件で、第三者的に見て「被告人に不利」な裁判員制度を見たように思います。

 この殺人事件は、「人間存在は墜落存在だ」という言葉を証明するかのような事件でした。当事者間には共通の「人間の弱点」が見えます。仏教でいう「愛欲」の業が織り成す墜落存在の場に当事者はいたということです。

 このような事件でなく、国選弁護人でなく駆け込み弁護団が担当するものならば双方の「墜落存在」が情状酌量の評定に影響したように思います。

 裁判員制度反対の中には「被害者に対する批難要素」が、評議に不利になるという指摘があります。

 どうしても人間は、「人間回復」を「反省態度」に見ます。明らかに反証ともいえ行為に至る必然性に相手の関与を主張することは、如何にも被告人の悪性を強化するものとなってしまいます。

 今までの裁判制度ならば、当然行われて情状の酌量要素が半減しているといてもよいような気がします。

 新聞では短絡的に”「短い公判」が問題を投げ掛けている”と書いていますが、長い審理でも「被害者のマイナス要素」を被告人の酌量要素には出せない環境が存在することの方が最重要課題のような気がします。

 「人を裁くということ」これは本当に一般国民に背負わせてよいものか、考えさせられる問題です。

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人を裁くということ(7)証拠の台帳

2009年12月25日 | つれづれ記

 中国の古典に、『棠陰比事(とういんひじ)』という書物があります。中国の古い裁判例を集めたもので、江戸時代に伝来し、『大岡政談』や井原西鶴の『本朝藤陰比事』などの成立に一役買っているようです。

 この本の中に「証拠の台帳」という話があります。

 丞相(じょうしょう)の王曾(おうそう)が、まだ弱年のときのことである。
 郡の役人を訪ねていたところ、城外の田地について争いをおこしている者がいた。田の境界がわからなくなってしまい、証書も失われているので、容易に裁きをつけることができないのであった。曾はそれを見て、
「税の台帳を調べたら、どちらが正しいかわかるでしょう」
といった。郡の役人はそれに従って裁いた。争っていた者はその裁きに服した。

 という話があります。これ簡単にいうと、

 境界を明らかにする土地台帳が無いため、当事者の訴えの正当性を証明するものがない、しかしよくよく考えてみれば、税の台帳があるではないか、正直者はしっかりなすべき納税の義務を果たしていたのであります。

ということになると思います。

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 自然の摂理は、時に人に非情な出来事を将来させ、人知を越えた出来事に自業自得の思想を植え付けました。

 統治というある一定の集団の秩序基盤が必要な状態になると、一定の公の証明が必要になってきます。

 一定の土地で田を耕し、その中から納税するという班田収受的な流れになると当然、占有権、所有権などという自己所有の芽生えがしっかりと根付いてゆきます。

 元来土地などというものは、お上のものであり、民はお上から借り受けていたものでした。

 班田収受の法が中国の統治機構を真似たものであることは誰でも知るところです、したがって古い中国の話も当時の江戸社会に流行るわけです。

 お上が複雑な民のもめ事を、如何に料理をしてくれるか、そこに絶大なる興味とお上への信頼を夢みたのです。

 封建社会を従属的な奴隷制社会とみる考えも、ないではありませんが全てが、そうでないことは、風土的なものを考えたときに見えてくるものと重なります。

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 贈与を受けたお金には、贈与税が掛かるとのは国民の承知に事実です。それを怠ると脱税であり、増税の義務違反になるわけです。

 所得税の範囲というものがあり毎年配偶者控除の問題で妻の所得の証明で思い知らされています。本当に私は庶民なのであります。

 毎年あった所得を忘却していて、それが別のことから判明し、初めて、個人の所得というものと税金を支払うことを知った。

 「知る」という言葉には「納める」のいう意味もあるのは皮肉なことで、今朝はニースを見て一段とルサンチマンになってしまいました。

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 庶民の代表、国民はそう考えている。国民の意向だから。足もとを見ないものが果たして大局を見ることができるのでしょうか。
 
 見ることができ、それを実行しているとなると、庶民、国民までが自業自得の災禍に見舞われるような気がします。

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「鎌田實 いのちの対話」を聴いて

2009年12月24日 | つれづれ記

 NHKラジオ第一放送で、午前9時ころから「鎌田實 いのちの対話」(テーマは【地球のいのち】)が放送されていました。

 先月放送されたものの再放送で、大きな反響がありその希望に添って放送されたものです。

 ホスト役が諏訪中央病院の院長鎌田實先生、ゲストは絵本作家・画家・詩人の葉祥明さん、認定NPO法人スペシャルオリンピックス日本の名誉会長細川佳代子さん、細川さんはご存知のと細川護煕元総理の夫人です。そして歌手の古謝美佐子さんでした。

 NHK村上信夫というアナウンサーと鎌田先生で番組は進められ、5年目になるこの番組ですが、はずかしながら聴いたのはきのうが初めてでした。

 心温まる話の連続で、要約するのが難しく、時々涙腺が熱くなりました。
 一言でいうと「心を豊かにするために」という抽象的な表現になってしまいますが、この言葉がそれぞれの個人の持つ感性と同じものならばきっと感動するものと思います。

 番組の中で、葉祥明さんが世界的、地球的なグローバルなものの考え方と日常的生活における日々の幸せ感の両立を話されていました。

 私たちは、エコロジーなどを考える時に直ぐに地球規模のことを意識してしまいます。実際は身近な日常生活にこそその視点が置かれべきもので、取り組みも他人事になりがちです。

 日常の生活をみると、朝目を覚まし、朝食をとることができる。ここに小さな幸せを思います。健康であること、少し病気がちだが今日も目ざめ一日を生きる。心臓は意識せずにその働きをする。家族が共にいる。子どもが遠い地で元気に働いている。それぞれが幸せなことです。

 幸せというと宝くじに当るなどの未来に思いを馳せるような心の動きが主流になりがちです。

 この視点、意志を身近な小さな幸せに気づきをもたらすものにしていったならば、その思いの積み重ねが大きな幸せへとつながり、至れば世界的な平和な道筋にもなるというような話でした。

この話しに関係して鎌田先生が、地区の役職についている話をされていました。先生が住まわれている地区では、地域の役職が順番で回ってくるそうです。ある日地区の役員が、先生に地区の役員になってもらいたいとお願いに来たそうです。先生は、海外での慈善運動の仕事や病院の仕事で忙しことから断ったそうです。

 その後、地区の長老から「先生身近なこともできないようでは、・・・」という話を先生に語られたそうです。ここが深い話なのですが、自分の地域のコミュニティーに参加できないものが・・・・・、と言うことなのです。

 最も身近な風土を大切にできないものが、それ以上の風土を語ろうとするのは実に滑稽な話です。先生はそれに気づかされたと述べられ、今は地域の副組長なのだそうです。ちなみに奥さんが組長とのことです。

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 現在長野県では「淺川ダム問題」があります。脱ダム宣言という自然保護の視点からの反対運動と、行政の行う公共工事に対する利権という発想からの無駄な公共工事という反対運動です。

 政権交替前にこの問題は、建設ということに解決していたのですが、政権交替でまた、この問題が出てきました。

 この反対運動が自分の住む地域を大切にするという発想のもとで行われるのであればよいのですが、どうも地域性という問題では疑問な点が多いような気がします。

 「県民の意見です」、いつ、誰が反対の意向を示したのか。何か折り合いのつかない一方的な話に推移しているようにしか見えません。

 夕方、「奇跡の集落 13年の記録」という番組が民放で放送されていました。九州の老人の多い小さな過疎村。

 13年かけて、生き生きとした村に再生された話でした。住む住民の明るさが印象的でした。

 幸せとは、身近な小さなことを大切にすることからはじまります。考えさせられる一日でした。

 葉祥明さんが「愛」という言葉より「大切」という言葉の重要性を話されていました。「私はあなたを愛しています」よりも「わたしはあなたを大切に思っています」、この方が日本人には合っている、そのような趣旨のお話でした。

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「諒解」と「しろしめす」というやまと言葉

2009年12月23日 | ことば

 冬至が過ぎ2日目の安曇野の朝です。平地の残雪は無いのですが山麓はまだまだ雪があります。

 最近出版された本の中に「諒解(りょうかい)」という言葉を見つけます。普通ならば「了解」とするところをこの文字を使用しています。

 鳩山総理がアメリカのクリントン副大統領と普天間問題で会談を行ったときに沖縄県外への基地移転、決定の先延ばしの日本側の意向を副大統領に述べたところ、副大統領は「一定の理解を示された」と答えた旨を話していましたが、どうもそれは嘘だったようです。

 豪雪で行政庁の一般業務が停止する中で、急遽アメリカ副大統領に呼び出された日本の駐在大使に副大統領の言われた言葉は「私は理解を示してはいない。日米両政府の合意のとおりでなければならない」旨の内容で、総理と副大統領会談の会談結果を国民の前に語った総理の「一定の理解を示された」は、虚言であったことが露呈してしまいました。

 「虚言」となると大変ですので、クリントン副大統領が鳩山総理の言葉に「うん」と頷いたので「一定の理解を示された」態度と読み取ったのだと思われます。

 しかし会談なのですから、踏み込んだ話がないわけもなく、クリントン副大統領は「日米両政府の合意のとおりでなければならない」ことを強く主張していたのではないでしょうか。

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 ここに「了解」と「諒解」の現代的な使い方をみることができます。「了」は「おわり」の意味を含み、一方「諒」の字には「まこと」という意味が含まれています。
 
 意思の疎通がなくとも相手方が知ってくれた、相手が何かを言っていることを知ることができた場合が「了解」で、互いに十分な意思の疎通が図られ、相手方が知ってくれた、相手の言っている内容が十分に知ることができた場合が「諒解」ということで、「まこと」が生きた理解が「諒解」となります。

 最近よく使われる「諒解」には、世相における理解度の意味を含めた表現ということが分かります。

 「りょうかい」という言葉は古語ではありませんが、そもそも「し(知)る」という言葉そのものにもこれに近い両義的な意味内容が含まれています。

 これは改めていうまでもありませんが、「知りました」というときには、単に知る場合もあれば、理解を含めた「知りました」もあるわけです。
 
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 今日の話はこの「諒解」にもつながるので、これも最近ですが、原始仏教のブログで語られていた「知る」という言葉の意味を紹介しひさしぶりに「やまと言葉」を語りたいと思います。ブログの話は、

 ・・・・この詩には、「支配するだろう」という言葉が使われています。パーリ語では「ウィジェッサティ」(征服するだろう)という言葉です。支配するとか征服するというと、力で相手を自分の思うように動かすという意味ですが、知るとか、理解することが、本当に支配する、征服するということではないでしょうか。卑近な例を挙げれば、受験参考書に「数学征服問題集」とか「英語に勝つ方法」などがあったように思います。今はないですか。理解するという意味で使っているのです。
 
 古文では「知ろすめす」の意味は「1.知っていらっしゃる。おわかりでいらっしゃる。2. お治めになる。3.管理なさる。お世話なさる。」などがあり、「知る」と「治める、管理する」と同じように使ったようです。つまり、「知る」ということは「支配する」ことなどだと言いたいのです。ですから、簡単に「知る」という言葉を簡単に、軽く使っていますが、「知る」とは心の中心的な働きで、生きることの主役なのです。・・・

というもので、「知ろすめす」という言葉は誤りで「知ろしめす」と書くところキーの打ち間違いだと思います。

パーリ語では「ウィジェッサティ」(征服するだろう)という言葉

は素人ですのでそのままの理解ですが、それ以外は実に諒解する内容です。
 ブログ内容の批判ではなく実によい話なので引用させていただきました。
 
 私もよく「知った」などと書きますが、本当に身に修める理解の「知る」で書いているのか反省させられました。

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ここで「やまと言葉」に移りたいと思います。「やまと言葉」ですので漢字は使わずに「しろしめす」と表記します。

 これから書く内容は、わたし個人の主張ではなく、手元にある数冊の古語辞典の内容を転記したものです。 

 一般的な古語辞典では、
 『しろしめす』
 ① お治めになる。統治なさる。
 ② ご理解になさる。知ってらっしゃる。
という意味で、「知る」と「治む」の尊敬語で、「しろしめす」は「しらしめす」が変化した語という解説もあります。

 次にこの「知る(しる)」という言葉を調べてみます。

『しる』(知る)
 [他ラ四]
 ① 理解する。悟る。意識する。認識する。分かる。経験する。
 ② 親しくする。付き合う。
 ③ 世話をする。
 ④ 政治的に支配する。治める。
 ⑤ 領有する。占める。
 [自ラ下二]「多く、人に知る」で、人に知られる。

という意味があります。

 さらに話を重ねますが、④に「治める」という言葉があります。「しろしめす」の「お治めめになる」の「治む」という言葉ですが、このやまと言葉「をさむ」を次に調べてみます。

『をさむ』を漢字表記すると(治む・修む・収む・納む)などがあります。
『をさむ』
 [他マ下二]
1 治む(乱れたものを整え安定させる意)
① 統治する。平定する。世を平穏にする。
② 乱れた心を落ち着かせる。こころを平静にする。
③ 病気などを治す。治療する。
④ 造り整える。造営する。

2 修む(欠けたところを補って完成した状態にする意)
① 修理する。
② 心や態度を正しく整える。学問や礼儀などを身につける。

3 収む・納む(外部にあるものを内に入れる。また、物事をきちんと終わらせる意)
① しまう。収納する。農作物などを取り入れる。
② 金銭や品物を受け取る。取り上げる。
③ 死者を葬る。埋葬する。
④ 終わらせる。やり終える。
と、『をさむ』という「やまと言葉」にはこんな意味があります。
 この『をさむ』は、人々の頭(かしら)の意の名詞「長(をさ)」に、動詞を作る接尾語「む」が付いてできた語とも言われているそうです。

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 このように「しる」「をさむ」という言葉には、ひろい広がりのある深い言葉であることがわかりますが、現代語になると総理を筆頭に現代人は表面的な了解にとどまり、深みのある諒解にはなっていないようです。

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『清浄なる精神』という本の薦め

2009年12月22日 | つれづれ記

 『清浄なる精神』これが最近(11月1日)信濃毎日新聞社から出版された哲学者内山節先生の書籍の題名です。

 長野県の地方紙信濃毎日新聞に2007年1月から2008年12月にかけ連載していた「風土と哲学 日本民衆思想の基底へ」を単行本化されたものです。

 今年は内山先生の講演会を2回聴講しましたが、そのたびに新鮮な感動がありました。

 現代の世相をどのように認識しどのような言葉で表現するか。混迷する経済情勢分析ではなく、政権の優劣でもない人びとの日常生活の底に流れるこころ模様のような思想、哲学、倫理観などをどのように表現するか。

 内山先生は、この本の序文で、

  今日の私たちは、未来をつくる言葉をもてないままに現実の課題に追われ、日々の対策ばかりをおこなっている。遠い未来へのまなざしがもてなくなった。子どもも、青年も、中高年の人たちも。誰もが今日の現実的な課題に追われている。

と書いています。
 実にそうだなあと中高年層に当てはまる私は思うのです。今朝は内山先生のこの本の内容について言及するつもりはありません。がこの短い文章でいろんなことが頭の中を過ぎります。

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 自分自身を考えると、歯車の一つで間違いなく毎日、ひたすら回っていて、世の中の構成要素の一つの役割を与えられ、愚直にそれを演じています。

 与えられというよりも自らが選んだのですが、この年齢になると選ぶという情熱的な意志の発意とは異なり、能動的な「与えられた」という気持ちのほうに変わっています。

 現実的な課題に追われ日々が過ぎてゆく、そんな状態にあります。

 世の中を見ると政治が混迷をきたし二進(にっち)も三進(さっち)もどうしようもない状態で、ただ呆然と眺めるしかない状態になっています。

 確かに人びとは、何かを期待して、今の政治の担い手を選んだのでしょうが、政治でさえ何か追われ作業の状態にしか見えません。

 一方自然はどうか、寒波の訪れで各地に雪を降らせ、伊豆沖では群発地震が発生し、フィリピンの火山は大噴火する予想されています。そこには着実にこなしている姿があります。

 自然の姿というもには本来、善悪に関係のないもので、よく災害といいますが人間に災いを与える面がそう呼ばせるだけで、着実に、ひたすらに演じているだけであるように思います。

 人間もいろいろなものの集大成で、自然の一員です。広い視野でみつめるとやはり、広大な自然と同じように、着実に、ひたすらに演じているだけと思えてなりません。

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 内山先生のこの『清浄なる精神』の帯符には、

 言葉よ、
 まなざしよ。
 きみたちはなぜ
 見えないものを
 語ることをやめたのか?

 遠いものをみつめようとは
 しなくなったのか?
 
 いつから、何かが
 こわれてしまったのか?

と書かれています。
 内山先生は、民衆の精神史・思想史という立場で書かれています。興味のある方はぜひ読んでいただきたいと思います。(価格は1800+税です。)

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