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思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

額田王という女性を想う

2014年10月24日 | 文藝

 安曇野から見ることができる野山の木々の紅葉も色濃くなってきました。寒さも一段と冬へと近づきます。

 今朝一番にブックマークしたブログを見ると「万葉集」の話が出ていました。秋のこの季節と雪解けが過ぎもうじき春が来る季節に思い出し必ずブログアップする万葉集の歌があります。その歌とは、額田王(ぬかたのおおきみ)が作られた次の歌です。

<新潮社 新潮日本古典集成『萬葉集一』巻1-16から>

天皇、内大臣(うちのおほまへつきみ)藤原朝臣に詔(みことのり)して、春山の万花の艶(にほひ)と秋山の千葉の彩(いろ)とを競(きほ)ひ憐れびしめたまふ時に、額田王の、歌をもちて判(ことわ)れる歌

冬ごもり 春さり来(く)れば 鳴かざりし 鳥も来鳴(きな)きぬ
さかざりし 花も咲けれど 山を茂(し)み 入りても取らず
草深み 取りても見ず 秋山の 木(こ)の葉を見ては 黄葉(もみち)をば
取りてそ偲ふ 青きをば 置きてそ歎(なげ)く そこし恨(うら)めし
秋山われは

 
(Eテレ「日めくり万葉集」2011.11.1から) 

【訳】
 春がやって来ると、今まで鳴かずにいた鳥も来て鳴く。それに、咲かずにいた花も咲いていい。山が茂っているので、わけ入って取りもしない。草が深いので、手に取ってもしない。秋の山の木の葉を見ては、色づいた葉を手に取って賞美する。青い葉をばそのままに置いて嘆く。その点が残念です。秋山です。私は、

<以上上記書p53>

です。いつも書くことなのですが、「冬ごもり」「春さり来れば」という表現がなぜ「春がやって来る」ことになるのかという最初にこの歌を知った時の思いです。

 「冬ごもり」と聞けば真冬に備えた重装備をイメージし、「春さり」といえば「春が去るから夏だろう」という解釈です。

 木々の花の芽に一杯蓄えられたエネルギーが籠りに籠っているその状態が冬ごもりで、「春さり来れば」は、今現在のこの時点、位置から先に進むことで、彼岸が此岸に重なったようなもので「さりくる」は限りなく今現在に立脚しています。

 徹底した今現在の強調とも言えそうです。「もう春が来ればなんと素晴らしいのでしょう」という悦びの情を表現しているということです。

「春がやって来ると、今まで鳴かずにいた鳥も来て鳴く」という訳になりますが、表現の背景にはその人(額田王)の持つ感性があります。

 額田王の歌は女性の方が大変好きなようですが、君を思う歌には性(さが)的なものがあります。

 額田王はどういう方なのか、その出生は何処と謎多き方です。

 「男ってバカねぇ~」

そんなことも言いそうな方なのです。


関川夏央著『人間晩年図鑑』

2014年09月25日 | 文藝

 帰宅時にNHKのラジオ番組夕方ニュース特集で、「晩年をどう生きるか ~“人間晩年図巻”の試み~」という番組が放送されていました。

 「人は自らの晩年をどのように生きるか。そして、どのように死を迎えるか? 」

という難問に今取り組んでいる作家の関川夏央さんがゲスト出演され、作家の山田風太郎さんが書かれた『人間臨終図巻』を引き継ぐ形で、今年5月からインターネットで『人間晩年図巻』を連載している話をされていました。

 「メメント モリ(Memento mori)」(死を忘れるな)というラテン語の句があり、この言葉が『旧約聖書』「詩篇」第90第12節「われにおのが日をかぞえることを教え、智慧の心を得さしたまえ」に由来するという哲学者田辺元先生の晩年の哲学に学び、万人に平等(びょうじょう)に現われる「死」について時々思考の世界においていることから、番組に聞き入ってしまいました。

 関川さんの話によると個人情報の関係で「臨終」という今まさに死にゆく床の状況を知ることは難しいという現状から「晩年」という言葉に代え、直前の作品等による描き方をしたということでした。

 臨終は病院で迎えるのが一般的で、どうしても生々しさのうちに臨終の様子はうかがい知ることは不可能に近い。医療は個人情報であり医師はもとより病院関係者の保秘義務という壁がそこにはある、考えてみればその通りですが、世の流れはそうならざるを得ない状況にあることを改めて知りました。

関川さんは、池波正太郎、オードリー・ヘップバーン、栃錦、尾崎豊など、古今東西の人々の「死に方」をこれまで書いていますが、手持ちの山田風太郎著『人間臨終図巻』(3巻本・徳間書房)を見ると確かに山田さんは死亡年齢で区分けしているのですが、そうせずに人物ごとの掲載にすることにしたということでした。

 そんな話を聴いていると、帰宅後、山田風太郎著『人間臨終図巻』を取出し目を通すことに衝動に駆られ読むことになりました。すっかり忘れた話ですが第Ⅲ巻に西田幾多郎先生の話が掲載されていました。

 臨終に際し親友の鈴木大拙の悲痛の悲しみ西田先生の甥御さんの話を聞いたことがあり知っていましたが、昭和天皇に昭和16年「歴史哲学について」を進講しその際に「西田は」と呼称すべきところを「わしは、わしは」と西田先生はいいはじめてしまった話、死ぬ少し前に西田先生は夫人に墨をすらせゲーテの「旅人の夜の詩」を自分なりに訳したものを書き残したとのことなどが書かれていました。

見はるかす山の頂(いただき)
梢(こずえ)には風も動かず
鳥も鳴かず
まてしばし
やがて汝も休(やすむ)らん

 西田先生はその後すぐに意識不明になり、これが西田先生の絶筆で6月7日午後4時に死去し、医師は間に合わず、見守ったのはご婦人と娘さんの二人きりであった、とのこと。

関川夏央さんの『人間晩年図鑑』ですが下記の岩波書店サイトで読むことができます。

『人間晩年図鑑』(関川夏央著)岩波書店サイト
https://www.iwanami.co.jp/web_serials/sekikawa/index.html

人間死にゆく姿は様ざまですね。

山田風太郎著『人間臨終図鑑』、関川夏央著『人間晩年図鑑』 お薦めです。


象山(きさやま)

2014年04月17日 | 文藝

 Eテレ100分de名著『万葉集』も昨夜で3回目になりました。今回は「個性の開化」ということで、番組では山部赤人、大伴旅人、山上憶良の詠んだ歌が紹介されていました。

 山辺赤彦と「象山(きさやま)」を詠んだ歌

み吉野の 象山の際(ま)の 木末(こぬれ)には
ここだも騒ぐ 鳥の声かも
             (巻6-924)

訳(テキストから)
 吉野の象山の山あいの木の茂みには、
こんなにもたくさんの鳥が鳴いている。

名著の番組内容を紹介するのではありませんと先に断わっておきます。この歌を久し振りに聞いて、「真・善・美」を思い出したからです。

時々風景や絵画の話を書くほど芸術的な面もある私で、この象山がとても好きなんです。

 物を認識しそれが何であるかがわかる。

 それはなぜかは、自分の知識、記憶と照らし合わせるというよりも自然に重なり合って、私の認識の世界に立ち現れ、意味を表わします。

 山の形が、あの巨象の姿に似ていたのでしょう。あの時代に何故日本にはいない象を思い出すのかは言及せずに古代の人々の象のような山として「きさやま」と呼んだのです。

 そして奈良県の明日香村にある県立万葉文化会館に今も展示されているのかは知りませんが、川崎春彦画伯の「鳥の声」という象山のこの歌の絵画があります。

 象型の山ではなく象を描いている絵で、それに不満を寄せた匿名者がいたのだそうです。その話を万葉学者の中西進先生の話の中で知り、「真・善・美」という人間らしさの世界の多様性を深く考えさせられたことを思い出しました。

 存在からの響きを芸術に表わす。写実的、抽象的色々な世界があります。

参考
心の風景・写す心、思いの心[2011年05月20日]
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/4058703104038453bac98f7225d3beb4

一人の人間の存在と死・NHK日曜美術館「野田弘志・超写実絵画の世界」[2011年05月09日]
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/61e21b7edf350dba6d3c8bf14e9bfcca


君の瞳に映る景色は・安野進

2014年02月05日 | 文藝

 朝の冷え込みがうそのように、真冬の太陽の日差しに今は春先の陽の光の温かさを感じます。極端な寒さと真冬に春先のような気温、総じて異常気象の現れなのでしょうか。

 しかしここには異常の何たるかはなく、陽の光の温かさがあるだけ、落葉の木々はそこに馴染み、福寿草の種(しゅ)は、時を待つ。

 先月一冊の詩集が文芸社から出版されました。長野県詩人協会の理事安野進さんの『君の瞳に映る景色は』という詩集です。

 詩集の中に「福寿草」の写真に「花弁の上の踊り子」と詩がありました。この福寿草は松本市赤怒田(旧東筑摩郡四賀村)地籍の福寿草群の写真です。

 我が家にも春先になると雪消えぬ間に真白き大地から芽ぐみます。

「花弁の上の踊り子」

 黄金の絨毯が私の舞台
 きらきら光る一枚の花びら
 踊り子は花弁の上で
 その時々のリズムで
 華麗な舞を見せる
 露が命となり風となる

 黄金の絨毯が私の舞台
 きらきら光る舞台の上で
 踊り子は自由なリズムで
 夢大きく舞い踊る
 あなたの舞いに
 心は風となり光となる

 花弁の絨毯が私の舞台
 私もあなたも踊り子
 小さな身体を大きく見せて
 夢大きく舞い踊る
 二人の舞いに
 光は命となり風となる
   (安野 進作・詩集『君の瞳に映る景色は』文芸社から)

 福寿草群は、赤怒田福寿草公園(あかぬたふくじゅそうこうえん)で見ることができ、近隣の常田さんという御老人たちが見守っておられます。

 その時がくるとまさに黄金の絨毯です。

 小さな黄金色の花びらの福寿草が黄金の絨毯となるのです。

 花弁が花びらとなり、この時このことが、このものとなりの様相を示します。

 瞳に映る景色とは何でしょう。

 こののものとは種(しゅ)です。福寿草という種は、舞うことを秘めている。

 うら無し純な瞳は何を見るのか。

このような詩集に出会うとついついこのようなことを書いてしまいます。


時分の花に迷っているうちはまだ途上人

2014年01月18日 | 文藝

 1月のEテレ100分de名著の「世阿弥の『風姿花伝』」が始めると書き、その後既に2回放送されています。

 1回目の「珍しきが花」に続き2回目は「初心忘るべかれず」でした。日本で最も古いと呼ばれる演劇論である「風姿花伝」、番組を見ていると演劇も然りなのですが、どちらかというと我が人生に当てはめて見てしまいます。

 番組では人生の支えとなる哲学、生きるヒントが語られていると言っていましたが確かにそのように思えます。

 世阿弥の語る「初心」に込められた人生との向き合い方とは何か。

 時分の花とは、

 一瞬の輝き

 一時の花

 まことの花を目指す能役者たれ!は、まことの花を目指す己であれ!に聞こえます。

 それには精進がともなわなければならず、時々の真面目(まじめ)という言葉にも聞こえます。

 時分の花

 まことの花

 初心は、人生の時々にある。

 若い頃の初心、人生の時々の初心、そして老後の初心

 番組では、『風姿花伝』の中の「年来稽古条々」の24・25歳の役者の心得としての言葉

「されば、時分の花をまことの花と知る心が、真実の花になほ遠ざかる心なり。ただ、人ごとに、この時分の花に迷ひて、やがて花の失するをも知らず。初心とはこの頃の事なり。」

が紹介されていましたが、これが世阿弥の言う本来の初心なのだそうです。

 物事を知り尽したようにいい気になっていることほど愚かなことはない。

 新しきさゆえに集まる注目は長くは続かない。

 役者ならばほめそやされている時こそ壁である。

 『風姿花伝』の後の書物『花鏡』は、「初心忘るべからず」の三つの奥義、

是非の初心忘るべからず
時時の初心忘るべからず
老後の初心忘るべからず

私の場合は、年齢的に「老後の初心忘るべからず」に入ってきた。

老いた木に残る花になり得るのか。

時分の花に迷っているうちはまだ途上人なんでしょうね。

 老いた木に残る一輪の花の美しさとなるためには、丁寧に生きろそのように私は受けとめました。

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星を見て穴に落ちる時・日本人の偉さ

2013年10月29日 | 文藝

[思考] ブログ村キーワード

 書き残したいと思いながら書かずにいた話があります。1ヶ月前のEテレ「こころの時代」の中で語られていた戦前の本の話です。番組は源氏物語研究の第一人者、秋山虔さんの「“源氏物語”と歩む」という内容で源氏物語に興味のある方にはご専門家が歩まれた道も勉強になるのではない方思います。

 話は源氏物語ではなく、秋山さんが戦時中に源氏物語研究に進むきっかけとなった書籍として紹介された物で、明治40年に文学博士芳賀矢一という方が書かれた『国民性十論』というものです。


(Eテレ「こころの時代」~「“源氏物語”と歩む」~から)

 日本文化を論じる書籍で、そこに書かれていた「国民の植物性」という話が、戦時中の富国強兵の世相の中では異色な内容で、簡単に秋山さんは、

 自然現象に対して主体的に向かっていき克服して、人間の文化を主体的に建設して行くのではなくて自然の運行、動きに埋没して、それに流されてそして生きてゆく。そういうのが日本人の今後のメンタリティーに必要だ。

という内容とともに、源氏物語の素晴らしさが語られ研究家になることを決意し、現在に至るということでした。

 番組の内容についてではありませんが、戦争前の本に興味がありこの本はどのような内容かと知りたくなり、探したところ便利な世の中サイトの近代デジタルライブで読むことができました。この本の目次を見ると

第一 忠君愛国
第二 祖先を崇び、家名を重ず
第三 現実的、実際的
第四 草木を愛し、自然を喜ぶ
第五 楽天洒落
第六 淡白瀟洒
第七 繊麗繊巧
第八 清浄潔白
第九 礼節作法
第十 温和寛恕

となっています。見てわかるように第四の「草木を愛し、自然を喜ぶ」が秋山先生の心をとらえたわけです。どんな内容なのか、冒頭部分ですが、次のように書かれています。



 気候は温和である。山川は秀麗である。花紅葉四季折々の風景は真にうつくしい。こう言う国土の住民が現生活に執着するのは自然である。四囲の風光客観的に我等の前に横はるのはすべて笑っている中に住民が独り笑わずには居られぬ。Vice Versa 現世を愛し人生生活を楽しむ国民が天地山川を愛し自然にあこがれるのも当然である。
 この点については東洋諸国の民は北方欧人種などに比べれば天の福徳を得ているといってよろしい。特に我日本人が花鳥風月に親しむことは吾人の生活いづれの方面においても見られる。・・・・・

何となく語りたいところがわかりますが何かが足りないのです。

 以前当該ブログに書いた道元さんの正法眼蔵の「発無上心」の「「是什麼物 恁麼現成」(この様なものがどの様に生じたのか)の地平にある「心心如木石」「牆壁瓦礫、是古仏心」に照らすと、上記の十論における「草木を愛し、自然を喜ぶ」の「親しむ」という言葉には、「精神がもとに在ること」(Bei-sein・バイザイン)の欠如を感じる。

 『国民性十論』は明治40年だが昭和になるとかなりトンデモ本が出てくる。個人的にかなり集めたましたがこの中で一番のお気に入りは昭和6年の『日本人の偉さの研究』という本で物資窮乏の中、書籍に使われる紙は酸性度がまし年数がたつと黄色味を帯、ひどいものになるとバラバラになってしまう多い中、まだ質の良い段階のもので手元にある物はいまだに白さを保っています。

 さっそく目次ですが、

第一章「日本人の科学的才能は世界一」
第二章「なぜ明治以前に日本の科学の発達は阻止されたか」
第三章「日本人はなぜ強くて利巧か」
第四章「日本主義の科学的論拠」
第五章「日本の未来」

と保障に分けられ、語られる日本人の偉さは、最終章の第7節は「日本人よ自発奮起せよ」で終わります。最初にこの本についてトンデモ本と書いてしまいましたが、読んでいるとすごく感動するのです。

 遠き将来の夢は如何様であろうと、現在は厳粛な現在である。遠いところに気を取られて、足もとを見ていないないと、星を見て歩いて穴に落ちた哲学者のようになる。落ちてから悲鳴を上げても駄目だ。
 反復くり返し云うたように、人生の未来は天体の運行のような、定まった約束に従って、定まったように動いて行く物ではない。未来をどうしようと云う決心次第で、良くもなろうし、悪くもなる。それで日本を興す者も日本人、日本を亡ぼす者も日本人だ。いくら亡ぼそうと云う者があってもこちらが強ければ亡びない。どうしても強くなるか、またどうして日本に迫ってくる外国の圧迫を転行せしむるか、自ら日本人の智慧と運命で定まる。・・・

<以上『日本人の偉さ』中山忠直著・先進社・昭和6年9月15日発行p257>

 何も知らないでこの文章を読んだとしたら、現代を語っているかのように思ってしまいます。この中の「星を見て歩いて穴に落ちた哲学者」の「哲学者」だけは個人的に変えてもらいたいのですが、しかしなるほどと納得してしまいます。

 話は出勤時間もあるので手短に結論としますが、哲学者をはずし、

 「足元を見ないで、星を見て歩いて穴に落ちた者」

としてます。この「者」に誰を入れるかです。

科学者、技術屋、政治家・・・国民・・・私

私を含めた一群を入れて読むと・・・ピッタリ納まる気がします。

 秋の夜空はきれいです。星が瞬いている。宮沢賢治の「星めぐりの詩」に「オリオンは高く唄い、つゆと霜とを落とす」は、夜空を見上げると今時の詩であることがよくわかります。

 総国民、美しい星々を見て穴に落ちそうです。

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「古典の日推進フォーラムin東京」・古典教育のあり方

2012年12月05日 | 文藝

[思考] ブログ村キーワード

  サイトニュース中に“「古典は高校での教え方が悪い」キーンさん”(読売新聞12月4日(火)19時35分)を見つけました。

 演台に立ち「源氏物語についての思い出を語る瀬戸内寂聴さん」の写真が掲載されて米コロンビア大のドナルド・キーン名誉教授さんの記事が書かれていました。
 
<内容>
 11月1日の「古典の日」の普及を図る「古典の日推進フォーラムin東京」(読売新聞社など後援)が4日、東京・渋谷の国立能楽堂で開かれた。

 作家の瀬戸内寂聴さん、米コロンビア大のドナルド・キーン名誉教授らのリレートークのほか、京舞と能が披露され、約600人がみやびな雰囲気を楽しんでいた。

 古典の日は、平安時代の1008年11月1日の「紫式部日記」に、源氏物語に関する記述があることにちなみ、古典文化に親しむ目的で今年9月に制定された。

 リレートークでは、キーンさんが、英訳の源氏物語との出会いを振り返ったうえで、日本人が古典に親しめない理由を「高校での教え方が悪い」と指摘。「係り結びなど文法ばかりに力を入れ、文学の美しさを教えない。源氏物語がなぜ世界中で翻訳され、傑作とされるかを、日本人がわかっていない」と手厳しかった。

というみじかな記事ですがお二人の日本の古典に対する熱い思いが伝わってきます。

 キーンさんの著書はかなり読んでいますが書く機会がなく3年前にNHKで放送されていた「日めくり万葉集」に関係して、

心性本浄[2009年06月26日]
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/a3be1753d1c5ad65897eb384268db926

を書いているだけですが、太平洋戦争時日本人兵の遺品の中に万葉集が沢山あったことに驚き、その後の日本文学への熱き思いの要因になっているようでした。

 戦場にもって行ける本は制限されその中で、故郷の母を思慕する歌、遠く離れた恋人を恋う歌も掲載されている万葉集は許された古典でした。

 寂聴さんは、震災後の活躍や梅原猛さんとの無常観の相違点、そして今回話題の源氏物語に関係して書かせてもらいました。

寂聴さんの青空説法[2011年12月24日]
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/b3cdb66f51c434a677965fd826e4b1ea


哲学者梅原猛(5)・実存主義と無常観[2012年04月01日]
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/01a09fe1b3fea32838c7a1624649baa8


「もののあはれ」・宣長の考えるについて[2012年04月26日]
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/e1b7d60949c98fba20d38494998aa574


 源氏物語は、内容はさておき個人的な朗読にも関係する話ですが、古典も朗読文学で藤原道長の栄華も紫式部の力なくして達成はできなかったようです。道長の娘彰子は一条天皇の正妃として期待を一身に集めていましたが、一条天皇がなかなか彰子の屋敷を尋ねてきません。そこで教養係として紫式部が採用され、その当時すでに紫式部というものが書いた面白い物語があるぞという噂が宮中に広がり、一条天皇の興味を持ち屋敷を尋ねます。

 式部か他の女官が源氏物語を朗読します。傍らで天皇も彰子も聞いています。源氏物語の魅力に天皇も頻繁に屋敷を訪れるようになり道長の望月(満月)になるわけです。

 上記のブログにも書きましたが源氏物語は主語がない句読点がない物語です。本来の日本語は句読点がない長い文章が特徴です。音読の呼吸で読む、いわゆる読み、語るものです。読み物であり、物を語るものそれが古典であるように思います。

 万葉集も民謡であり詠われるもの、歴史から学ぶべきものは文法ではなくそこで語られるものを今日的視点いおいて味わうところにあるように思います。

 キーンさんが言われる「文学の美しさを教えない」は、そのような点を指摘しているのではないでしょうか。

 個人的に源氏物語については今年の7月にEテレ100分de名著で『源氏物語』が扱われ、

「あはれ」と「源氏物語」を知らせたいものじゃ[2012年07月13日]
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/cca2f20f2b23fc8049b7706b2f74f599

を書きました。源氏物語は性愛の物語だなどと勝手に思い込んでいました。番組を見て好きになり寂聴さんをはじめ多くの作家の源氏物語を読んでみました。寂聴さんは句読点を数多く入れ、読みやすく、私には一番わかりやすい文章になっていると思いました。

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芸術の秋・安曇野スタイル

2012年11月04日 | 文藝

 安曇野市の93箇所で1日(木曜)から4日(日曜)にかけ“安曇野スタイル2012”というイベントが行われています。山麓に住む芸術家、家具職人さんから都会を離れ安曇野生活の中で陶芸、絵画、装飾の趣味をもつ方々が自宅等を開放し作品を展示し一般の方々に芸術の秋を楽しんでもらうというものです。

 これが自然豊かな安曇野に住まうスタイルでしょうか、プロから素人までのさまざまな作品を見ていると、自分もやってみたい衝動に駆られます。93箇所ですから大変ですが、偶然性に期待し、可能性にチャレンジという気概が湧く発見はないかと思うのです。

 今朝はこの中から昨年も行った安曇野有明地区の古民家(矢野口邸)で開催されているNAC友の会の人たちの作品を見に行きました。



 会場の矢野口邸を入るとまず目に入ったのは「里山の残景」という渡辺和雄さんの油絵でした。素人とは思えない秋の紅葉と茅葺の古い農家の風景です。渡辺さんがおっしゃっていましたが、こういう風景も少なくなってしまいました。

 階段を上るといろんな作品が目にとまりました。日本画、洋画、木工、手作り人形など渡辺さんの風景画に感動したからでしょうか、可能性はあるかわかりませんがこういうスタイルもいいなぁと思いました。



 日本画でも四条派のこういった絵も一点集中画と言いましょうかとても魅力的でした。

 手作り人形その素朴さがたまりません。このまま人形劇になりそうです。

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カフカの「天井桟敷で」・物語を創る

2012年05月11日 | 文藝

[思考] ブログ村キーワード

 Eテレ「100分de名著で放送中のカフカ「変身」の2回目「前に進む勇気がない」が昨夜放送されました。真面目なサラーリイマンであった主人公のザムザ、突然芋虫のような虫になってしまう。そこにカフカの精神的な面を重ね、結婚に踏み切れない、一歩前へ進むことのできない人間像に、共感する人も多いのではないでしょうか。

 結婚しない世代、30歳を過ぎた部下で独身者が多いことに気づきます。出会いがないということを理由にするものもいますが、求めの積極性が乏しいことが最大の問題のように思います。

 難しいことを語るわけではないのですが、思うように自分の感情を相手に伝えられない。見越しの決断に「分かってはもらえない」があるのでしょうか。

 変身ではザムザは実際に虫に変身します。そして家族に疎外され、その虫のまま死に至ります。ザムザのこころの内は全く家族に伝わらないのですが、この変身のパターンを現実的な話に転換したくなります。

 創作「変身」ですが、

 ザムザが朝目を覚ますと体からいつもと異なる不思議な違和感を感じます。身体を触ろうと手を動かすのですがどうも自由に体を触ることができない。ふと手を見ると虫のイモムシの多足のようなものが見え、それぞれの異なる動きをしている。

 叫び声を上げる。階下にいる妹がザムザの悲鳴に驚き兄であるザムザの部屋に駆けつけ、何事があったのかベットに横たわるザムザに「お兄さん何があったの」とたずねる。

 「ごらんよ僕の身体が・・・」とザムザが言うと「体がどうしたの?」と妹は虫に変身したことが分からないと言った感じで不思議そうに頭を傾ける。

 新しい就職先が決まった父親ですが、働きの中心はザムザで、家計を一手に担っています。「出勤の時間よ」と妹は叱咤する。

 父や母も何事があったのか、ザムザの部屋に上がってきた。「どうしたんだね」・・・・・・・。

以上の話の前座ですが、ザムザはあくまでもイモムシに体が変身したと確信している。実際に見ても、ガラス窓に映る自分お姿を視ても明らかにイモムシに変身している。これぞ西洋流の絶対の確信、絶対の現実、絶対の存在である自分です。

 一方家族はいつもと変わらないザムザ、少々今日のザムザの言動は変、といったところです。家族以外の第三者はどうか。これは家族と全く共通の視覚感覚でザムザを見る。

 その後のストーリは、それなりの話しの展開が創作されるとして、実際の問題として、現実社会ではこのような物語も、一方だけの視点に立てばありそうな気がします。

 主人公はあくまで、そうだと思い。片方の家族なり他人はそうではないと言う。

 話の通じない隔絶した世界。現代社会では実際にこういうことが起きているように思います。

 存在するもの、感覚観、なぜにこんなに違うのか、温度差があるのか。緊迫感、危機感が異なるのか。限りない相異の世界です。

 カフカの話は本当に刺激的で面白い。カフカの話を自分で異なる世界に創作できる。

 カフカの作品に「天井桟敷で」というものがあります、短い話なので引用紹介したいと思います。紹介する「天井桟敷で」は、みすゞ書房から出版されている吉田仙太郎訳『カフカ 自撰小品集』からですがお奨めです。

<吉田仙太郎訳『カフカ 自撰小品集』から>

天井桟敷で

 もしも誰か、ひ弱な肺病やみの曲乗り娘が、サーカスの舞台でよたよたの馬に乗り、飽くことを知らぬ見物を前に何カ月もの間、休む間もなく-----馬上で風を切り投げキスを投げ腰を振りながら-----、鞭をならす容赦のない座頭(ざがしら)によってぐるぐる回りに追い立てられるとしたら、またもしもこの演技が、オーケストラと通風機の絶え間ない轟音のもと (消えるかと思えばあらたに起こる喝采の拍手、これは蒸気ハンマーそのもののような人間の手だ)つぎつぎと口を開く灰色の未来に向かって続けられるのだとしたら、-----そんなときには、ひとりの若い天井桟敷のお客が、最上階から一階席まで長い階段を走り降り、いつも演技に合わせているオーケストラのファンファーレの響きを貫いて、やめろ! と叫ぶことだろう。

 しかし、じつはそうではないものだから、-----つまり美しいご婦人がひとり、紅白の衣裳を着て、誇らしげなお仕着せの男たちがかかげるカーテンの間からひらりと飛び込んでくるし、団長は、うやうやしく彼女の目を追いながら、柔順な動物よろしくすり寄って、用心深く彼女を連銭葦毛の背に押し上げる。その様子ときたら、目に入れても痛くない孫娘を物騒な旅に出すときのよう。彼には合図の鞭を鳴らす決心がつかない。やっとの思いで己れに打ち克つと、ばしっとひと鳴らしする。馬と並んで、口を開けたまま走り歩く。曲乗り娘の跳躍を、鋭い目で追っかける。

 その練達のさまを見てとても信じられない様子。英語の掛け声で注意を与えようとする。くぐり輪を捧げもつ馬丁たちを、たけり狂って、慎重の上にも慎重になと督励する。大々的な(死の宙返り〉の前になると、両手を上げて、オーケストラに鎮まってくれと懇願する。

 最後に娘を、また震えている馬から助けおろす。両の頬にキスをし、観客がどれほど敬意を表しても、なかなか充分とは認めない。彼女自身はというと、観客が殺到するなかで高く爪先立ちになり、土ぼこりに包まれ、両腕をひろげ、可愛い頭をのけぞらせて全サーカスとともに仕合わせを分かち合おうとする、-----じつは、こういう次第だから、天井横敷の例のお客は手すりに顔をもたせかけ、ちょうど重たい夢に沈むように打ち上げのマーチのなかへと沈み込みながら、われ知らず泣くのである。

<以上p80~p81>

 場面に映し出されているのはあるサーカスだんの若い女性の馬乗りの曲芸、傍らに片手に鞭をもつ団長と思われる男性、オーケストラと表現したものかそれとも楽団か、とにかくサーカス定番の音楽を演奏する人々がいます。

 ひょっとするとピエロもいるかもしれません。

 ただそれだけのこと。虐げられた病弱な女性はどこにいるのか?

 状景であって情景ではない。見える人々のこころの内は映し出されていません。交通事故現場で横たわる子を抱きしめている女性の姿を視るような悲しみを抱く、悲惨な情景はありません。

 あるとするならば歓声に包まれたほほえましい情景があるかもしれません。

「もしも誰か・・・・・・われ知らず泣くのである。」

 天井横敷の例のお客は手すりに顔をもたせかけた涙する男を見たとする実はそういう訳があるのです。

 人は単なる状景も状景とすることができる。創作することができるといってよいかもしれません。ひょっと付け足しで曲乗りの美しい女性は団長の愛人なのかも知れません。情婦という言葉の方がこのような場面似合うかも知れません。

 分析心理学者で文化庁長官までされた故河合隼雄(かわい はやお)先生が物語を作り出す深層に次の例を出されて説明されていました。

 ある男性患者が訪れ、この男性は愛人を目の前で交通事故で失い、それ以降仕事も手につかない状態になり精神的に弱り果てていました。「どうして彼女は死んだのでしょう」この言葉を繰り返す。

 どう答えたらいいのでしょう。

 「女性は出血多量が原因で死んだんですよ」

実際はそうなのかも知れませんが、「「どうして彼女は」の言葉の中には何があるのか。

 どうして死ぬのが私の彼女でなければならないのか。

 どうしてこのような目に出逢わなければならないのか。

「人生というものはそういうものなのです」と言いたいのですが、短絡的なそういう言い方はできません。

 そこに物語の必要性が出てきます。魂の定め、例題としての物語、慰めの物語・・・。

 一神教の世界ならイエス様の傍ら、神のおひざ元に行かれた以外にないないのですからあの世とこの世の物語のバリエーション豊かな話は作れませんが、多神教であったギリシャや日本の国には古くからあの世もこの世も地繋がりの世界がありました。

 一神教の世界では、神々が恋をする話などはあるはずもなく、悪魔がこの世を支配してしまう世界もなく、神を神が作り、柱の周りで男女神が情熱的な行為に走ることもありません。

 日常的な事件を扱った小説はデカメロンからだそうです。「1348年に大流行したペストから逃れるために邸宅に引き篭もった男3人、女7人の10人が退屈しのぎの話をするという趣向で、10人が10話ずつ語り、全100話からなる(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)。ということですから1008年ごろの源氏物語がいかにすごいかが分かります。さらに魂の物語も含みますからその違いは歴然としています。

 今朝はカフカの創作から物語の話になってしまいました。「人間とは物語を創る生き物」であると言われる深層には、そのような魂の安らぎもあるのかも知れません。

「われ知らず泣くのである。」の中には「ひょっとすると恋人なのかも知れない。」という誘いの言葉が浮かびます。

「なぜ死ななければならなかったのか」

 わたしならどういう言葉を書けるのだろうか。改めて考えさせられます。

 最後にまだ陽は昇りませんが、どうして太陽を拝むのですかと聞かれたらあなたなら何と応えますか。

 「太陽は核融合なんですよ。灼熱の高温ですごいじゃありませんか。」などとは応えるわけがありません。またどうして天動説・地動説もしっかり知っているのに太陽は昇るのでしょう。

「金の馬車に乗った太陽の神は、闇夜の帝王を滅ぼし凱旋してきたんだよ。」

そういう話も河合先生は話していました。

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鳥にしあらねば 

2012年05月09日 | 文藝

[思考] ブログ村キーワード 万葉集 山上憶良 竹内整一 優しさ


世間を     (よのなかを)
憂しとやさしと (うしとやさしと)
思えへども   (おもへども)
飛び立ちかねつ (とびたちかねつ)
鳥にしあらねば (とりにしあらねば)

 万葉集巻の5-893の山上憶良の貧窮問答歌に添えられた短歌です。Eテレの日めくり万葉集という番組が終了し、メディアから万葉の時代が終わったような思いがします。

 昨年の5月17日に倫理学者竹内整一先生が選んだ詩です。

 この世の中は、厭(いと)わしいところ、恥ずかしいところと思うけれど、飛び去ることもできない、鳥ではないので。

 日常生活では「厭わし」という言葉はまず使うことはありません。意味は、相手の顔を見るのも嫌だという時の心情を表わしす言葉で「嫌な気持ちだ」ということです。

 「やさし」には身も心も痩せる思いだ、が原義だそうで、そんな様子の他者を周りの人がみて「品がいい」「健気(けんき)だ」という他者から見た自己の姿を表わしています。

 それが中世になると、自己面からみて、自分を抑えて他者に情けをかけることが「優しさ」になったとのこと。

 他者の悲しさやわびしさに関わっていける能力、それが「優しい」とのいうことなのだそうです。

 厭わしいとばかりは言ってられません。優しさを持って一歩を進めたいものです。他人を氷と思う前に自分を氷解することを忘れないことです。

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