フランスの哲学者メルロ・ポンティの『行動の構造』の中に有名なヴォルフガング・ケラーのニワトリの実験が紹介されています。
灰色のエサ箱AとAより薄い灰色のエサ箱Bを用意し、ニワトリを常に薄いグレーのエサ箱に向かうように向かうように条件付けしておきます。この時古典的な学説では、薄い灰色Bという刺激に対する藩王としてニワトリがBを選択すると考えます。
そこでケラーは、Aの代わりにBよりももっと薄い灰色のエサ箱Cを用意します。古典的な学説ですと、ニワトリはBの刺激に一対一対応する反応を示すわけですから、常にBの方に行くはずです。しかし、ニワトリはエサ箱Cに向います。
つまり、ニワトリは「エサ箱B」という刺激に反応したわけではなく、二つのエサ箱の色の関係性すなわち差異により、より薄い方を知覚しそちらを選択したことになります。
これは動物でニワトリの実験です。2月11日(土)にEテレで
地球ドラマチック“色”は脳で作られる! ~あなたと私は同じ色を見ているの?~
という面白い番組が放送されていました。番組紹介サイトには次のように書かれていました。
<番組紹介>
勝負服に向いているのは何色? 思わず夕食に行きたくなるレストランの照明の色は?
私たちは、多彩な色に囲まれて暮らしていますが、思っている以上に“色”からの影響を受けているようです。たとえば、スポーツ選手が赤いユニフォームを身につけている場合と青いユニフォームを身につけている場合では、心拍数やホルモンの分泌などに違いが見られるというのです。
さらに私たちは、空の青い色、血液の赤い色、木の葉の緑の色などの身の回りの色は、誰もが同じように見て感じられるものだと思っています。本当にそうでしょうか? “色”を認識するため、脳の中では一体何が起きているのか。色を感知するメカニズム、色彩と感情についての謎を解明します。
<以上>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/77/3e0401359af0b75e0056cfff604c39f9.jpg)
(Eテレ「地球ドラマチック“色”は脳で作られる!」から)
このヒンバの人々の使う色に関する言葉、色の表現が独特で色彩研究の学者の注目するところとなっています。
番組ではそこで行われた実験が紹介されました。このヒンバの人々に水の色やミルクの色は何色かと質問すると、
水もミルクも「白色」
と答え、空の色は?
空は「黒色」
と答えるそうです。私たちは普通水は青色、空も青色と答えるのにまったく異なるのです。
そもそもヒンバの人々が色を表わす言葉は5つでその表現もだいぶ私たちと異なるとのことです。
では色の見え方はどうか、「見え方」についての実験が紹介されました。
12個の四角の中で一つだけ異なる色を選ぶ実験
異なる色を選ぶまでの時間を計測して我々との見え方の相違を観ます。
まず紹介されるのは12個の緑色の円形に配置された輪状の中の一つだけ異なる色の選択です。
(Eテレ「地球ドラマチック“色”は脳で作られる!」から)
ご覧の通りのどう見てもすべて同じ色に見えますし、よく見ると時間はかかりますが私たちにも見えないことはありません。
しかしヒンバの人たちは即座に色の違いを判断します。
ヒンバの人々には簡単なこと
西洋人には見分けにくい色
この違いを異なる色で表すと
(Eテレ「地球ドラマチック“色”は脳で作られる!」から)
このようになり右上方の緑と違うのです。このようにヒンバの人たちには見えている、肉体が感じているということなのですが、これはには何が原因しているかと言うとヒンバの人たちには、
識別できる緑と他の緑の色にはそれぞれ異なる単語が当てられている。
といるからです。だから私たちには見分けにくい色もヒンバの人には簡単に選ぶことができる、ということです。
そして次の実験です。今度は緑の中に一つだけ青が混ざっている実験です。
(Eテレ「地球ドラマチック“色”は脳で作られる!」から)
映像での関係で解りにくいかもしれませんが、左のやや上側に青色の四角が見えます。
この実験はご覧のとおり私たちにはごく簡単なものです。ここが不思議なのですがヒンバの人たちは先程とは逆になかなかその色の違いが解らないのです。
私たちは緑と青について別々な単語を使っていますが、ヒンバの人々は同じ単語を使っているので今度は全く逆に選ぶのに時間がかかるという結論になります。中には全く「解らない」という人もいました。
(Eテレ「地球ドラマチック“色”は脳で作られる!」から)
ヒンバの人たちとわたし達の色を表わす単語の数や表現が大きく違うことで世界の見え方も少々異なっているようです。
ある文化が色を表わす単語をいくつ持っているかは、その単語がどれだけ必要かということに関わっている、との解説。
ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジのジュールズ・ダビドフは、
【ジュールズ・ダビドフ】
ヨーロッパにも近年まで色を表わす単語が5つか6つしかなかった言語があります。例えばウェールズ語もピンクと茶色を表わす単語がありませんでした。
ただし今では、他の言語からとりいれられています。
言語は色の見え方に微妙な影響を及ぼします。それは一つ一つの色を見るときよりも二つに色を並べて比較するときにはっきりと解ります。
一つ一つの色については誰でも同じように知覚します。しかし二つの色を前にすると類似性を判断しなければなりません。類似性の判断はその人が使っている言語に二つの色を表わす異なった単語があるかどうかによって左右されます。
これらの研究は、色を見ることが単に目を開けるだけの行為ではないことを示しています。色とはわたし達の脳の中で作り出されるのです。
<以上>
という番組内容で、この部分が先ほどのヴォルフガング・ケラーのニワトリの実験に重なり非常に興味を持ちました。
動物には色盲でまったく色を認識できないものもいることはご存知かと思います。番組でもそういう方の話も紹介され色彩のない世界ですが、「何か色に感覚的な感情が浮上する」旨の話をされていました。
ニワトリは色の濃淡の差異、人間は言葉により意味づけされ、存在して識別されるものだと共同体においてはみな同じ選択をすることができます。
(Eテレ「地球ドラマチック“色”は脳で作られる!」から)
先程の図面ですが、同じ色の緑色のですが一つの緑色だけが自分の意識に浮上し他の色は背面に後退します。それだけ差異の世界で選ばれるのです。
番組ではこの解釈ははされませんでしたが、現象学の世界はこういう視線の創造的な哲学です。
ものにはそれぞれ言葉が付けられ、言葉には感情的な言葉も数多くあります。そして旧約聖書にもあるようにバベルの塔に怒った神は、言葉が通じないように色々な言語に分けてしまいました?
それはともかく、そこから解ることは、万人がすべて理解できるかと言うと、そうではない。それぞれの文化によって、異なる差異があるということです。
これは思考の差異ではなく、精神の哲学的視点と肉体の哲学的視点は密接に関係するとも言えるわけでそこからの差異がある。
見えるものが見えない、見えるのに解らない。
ということで今朝は少々不思議な話を書きました。
「無」という言葉があります。何もないの「無」だとその存在さえ現前にありません。
これが在る無しの「無」になるとどうなるか?
この場合の「無」はあるのです。禅問答のようですが、先ほどの差異の現象学で理解するとよくわかるのです。
これを色即是空、空即是色にあてはめるとお叱りを受けます。
この地球ドラマチック“色”は脳で作られる! ~あなたと私は同じ色を見ているの?~もとても素晴らしい番組した。