思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

死にぎわ・往生ぎわ・身の処し方に思う

2009年09月30日 | 仏教

最近に始まったことではないのですが、いわゆる不祥事が発覚したり、刑事責任が問われたりした時に「身の処し方」と形骸化をつくづく思うことがあります。

 訪問するブログを見ていて感じた言葉があります。その言葉とは「死にぎわ」という言葉です。

 古語では「死にさま」という言葉になるようです。「何という死にざま」などと言うことはめったにありませんがそのように使われることがあります。

 これと似た言葉に「往生ぎわ」という言葉があって、しでかした出来事にみぐさい反論などをしたときに、「往生ぎわが悪い」などと使い、この方が耳にする機会が多いと思います。

 JR事故調査委員会元役員の事前の故意による情報提示問題、数々の上級公務員の呆れた天下り問題・・・・・。「誠に申し訳ありません」の言葉で済ませるもの、全くその道義的責任に気づかない者。呆れることが多すぎます。

 このようなときに行なわれる、反省の態度に「身の処し方」の悪さ、「往生ぎわ」の悪さを感じ、本来的な「往生」の意味が失われているのが現代社会だと思ったわけです。

 東京大学竹内精一教授が紙上の「やまと言葉の倫理学」で「申し訳ない」という言葉について語っていました。の言葉はしっかりした説明責任がなく、あいまいな言葉で事足りたということにあるようです。そこがよその国の人に真意が伝わらないということになるようです。、

 そもそも「誠に申し訳ない」の前提にある「責任」という言葉は、西洋的思想の訳語であって、日本語に訳しなおすと「責め」ということにしか表現できません。

 現代は西洋的教育で培われた社会。「謝罪の弁」でよいかもしれませんが、何か足りないものを感じます。竹内教授は「言葉」の解釈にその曖昧さと解説していましたが、本来日本的な身の処し方は「反省の弁」のみで足りていたのではないと思います。

 本来「誠に申し訳ない」は言葉による表明で、その他に「身の処し方」という言葉の「身体伺い」の「身体」を伴うものではなかったかと思うのです。

 それを古語の「身を捨つ」にみることができます。「身を捨つ」という「身の処し方」には「出家」も含まれていました。

 これは吉野に下った天武天皇にみえるように万葉の時代から、「身の処し方」として存在していました。それが対する者への誠の意思表示であったのです。

 これが武家社会になると当然「死にぎわ」が問われる「身の処し方」に変わってきたと思います。そんなことがこの身に染み付いているのでしょうか、今の責任あるものの「身の処し方」に何か足りないものを感じるのです。

 なぜ現代人はそうなってしまったのでしょうか。

 現代人は身も心も常について回ります。それは当然で常識です。ですがそれは逆に身が常に執着の対象で離れられないことを意味します。

 執着のない身とはなにか、それは捨て身の腹切り、自害の対象の身のことではありません。身と心の分離。物理的な分離ではありません。今この時のあるがままの身と心です。

 超越的概念を異次元的な発想で思考するのが現代人、本来超越的なるものはその場を離れることはないですから非情説法も聞くことができるのです。

 9月29日が、道元禅師がお亡くなりになられた日でした。
 「活(い)きながら黄泉に落つ」本来ならば「極楽」「涅槃」「あの世」に往生を遂ぐなのでしょうが「一枚岩の境目の向こう」の黄泉に落ちるというのです。

 非情の一枚岩です。境目などはどこにありましょうか。

 現実の延長線の中にしっかりと死が組み込まれているから「死にぎわ」が分かると思います。死にぎわが察知できるから身の処し方ができる。私から離れることなく脱落の身がそこにあるから生涯の総括ができるのだと思います。

 現代人はバーチャルな世界を好みます。身で感じている私であることを忘れ、仮想の異次元で遊ぶ。現実もそうだと思い込む。従って映像であらわされ、活字で表わされものにも同種の感慨を持つ。

 「腹を切れ」という過激なことをいう訳ではありませんが申し訳の「身の処し方」を再考すべきではないかと思います。

 これからの責任に対する身の処し方は、「死にぎわ・往生ぎわ」のよいものであってほしいと思います。


朗読

2009年09月29日 | つれづれ記

 趣味の一つに朗読があります。そのときに利用するのが絵本。大きな活字が視点を移すのに大へん楽で、一音一音大切にしっかり認識し発声する。その練習に欠かせないものです。

 その中の一冊に、写真の「道元禅師物語」があります。絵本というと少々異なりますが、児童文学書ということになっています。

 頁数215ほどの本で作者浜田けい子さん、絵のほうは田代三善さんです(金の星社)。

 年齢とともに発音があやふやになってきます。頭の中もあやふやになってくるのが人の常、時には自分が読みやすい本を選び、朗読にいそしむことをお勧めします。


穂高神社例大祭お船祭り

2009年09月28日 | 風景

今年の5月に式年大遷宮祭が行なわれた、安曇野市にある式内社穂高神社で、例大祭お船祭りが26日(土)・27日(日)の2日間行なわれました。

 子供が小さい時には屋台も出るのでよく出かけたのですが、10年ぶりに行ってみました。人では写真のとおりです。駐車場を心配したのですがさほど混雑を心配することはありませんでした。

     

 お船祭りは、舟形の山車の上に時代劇の一場面を人形等で飾り付け最終的には、その山車をぶつけ合うというお祭りです。

     

 昔からあるお祭りで、旧暦で行なうとちょうど農家の稲刈りも済んで暇な時、神への感謝を込めた、気晴らし(祓い)の祭りであったものと思います。

     

 全国的に、山車をぶつけ合う祭りはあり、特異的な祭りではありません。安曇野という地名から、北九州の安曇族が信州の安曇野に移り住んだというむかし物語が生まれ、山車が舟形になったのでお船祭り(江戸中期から)という名称になったのではないかと思っています。


「ムジョウ」にみる木石仏性

2009年09月27日 | 仏教

  左手の五十肩がなかなか治らない。こればかりは時が過ぎないとだめだと諦めています。人によってそれぞれの症状が異なり全く左腕が上方に上がらない人もいれば、私のように後方のものを取ろうとして急に痛みが走り人もいます。

 肩の痛めといえば日本語には、「肩こり」という言葉がある。「痛み」や「引きつるような不快感」、「重いものがドスンとついたような不快感」などそれは様々な形態があるるように思います。

 この「肩こり」という言葉ですが、英語の単語にはない言葉なのだそうです。ちなみに英語では、

 肩がこる feel stiff in one's shoulders, 
              have stiff shoulders

という表現になるそうです。
 つまり単語的に一語で英語は表現しないということです。

 このことは『あいまいの心理を分析する 福村出版』という本お中で首都大学東京教授山下利之先生が書かれていました。
 
 この本には、この他にも「水」という言葉についても書かれています。日本語では、水の質的な状態を表わすのに「氷・水・湯」という三つの言葉を使います。しかし英語では「ice・water」の二語で「湯」の場合は、ご承知のとおり「hot water」と二つの言葉で構成されます。

 日本語の「肩こり」は、具体的に肩の様子は示されませんが、聞いた側は何を言っているのか凡そ分かり意思の疎通ができます。あいまいですが合理的です。

 この本は工学部門で取り上げられている人間にやさしいシステム、ヒューマン・フレンドリーなシステムに注目し、認知心理学の立場から「あいまい」の思考、ファジィ理論の世界を紹介しています。

 今日は、そのファジィな世界を紹介するのではなく、「肩こり」という言葉から「言葉と言葉の意味」について一つの言葉に注目したのでそのことについて書きたいと思います。

 意思疎通のために現象を表わすのにが言葉を作る。今度は「肩こり」のようにあいまいですが、この単語の発声や文字を聞き・見ることで、その言葉の表す現象が受け取り側と共有でき意思の疎通ができます。したがって言葉が現象を作るとも言え分けです。

 「ムジョウ」という言葉があります。広辞苑で調べると「無上、無常、無情、無状、無城」と五つの言葉が書かれています。

 この内の「無状、無城」の二語はあまりみない言葉で、残りの三語が大方の人が想起する言葉だと思います。最近私は「無常」という言葉を考える時があるので私の場合は「無常」です。

 人によっては「無上の喜び」状態の人もいるかもしれませんし、心の中でジャンバルジャンのように「ああ無情」を叫んでいるかもしれません。

 人の今もっている心理状態なので「ムジョウ」の言葉はその人の頭の中で意味が形づくられます。

 「無上、無常、無情」という言葉は仏教に関わる人ならば仏教用語だとすぐ感じます。 広辞苑で見ると、
 
「無上」は、この上もないこと。最もすぐれたこと。最上。無上正覚・・最上の正しい覚知。仏の悟り。無上菩提・・・・

「無常」は、①常でないこと。定まりのないこと。②【仏】一切の物は生滅・還流して常住でないこと。人生のはかないこと。③人の死去・・・・

「無情」は、①なさけ心のないこと。情愛のないこと。②心のないこと。木や石などにいう。非情。

など解説されています。
 次に古語辞典で調べてみますと「無常」だけが解説されています。大修館書店『古語林』の例ですが、

「無常(むじゃう)」は、まずおなじみの平家物語の一節が示されています。

 諸行無常の[すべてのものは絶えず変化していくということを響かせて(祇園精舎の鐘は)鳴っている。
①【仏教語】世の中のすべてのものは絶えず変化し続けて、永久不変ではないということ。②最期。死。

と解説されています。
 広辞苑、古語林でこの三語が濃密に仏教に関係している語であることが分かります。
 
ただし、「無情」だけは仏教関係者でなければ意味が解せない部分があります。
 無上正覚、諸行無常、非情(無情)成仏、無情説法など「ムジョウ」という単語の発声は当事者間にどのような意味の共有観念をもたらすのでしょう。

 誰かがいつの時代にか、「ムジョウ」を使い始めそして、現代の「ムジョウ」という言葉に行き着いている。それもそれぞれに異なり、心持ち、話の雰囲気でまたことなります。

 仏教に全く興味のない若者と会話をすると「ムジョウ」という言葉に意味の混同がみられるときがあります、ひどい時には「無常・無情」の区別がない人もいます。

 ただし「無情」の仏教語的側面は別ですが、「無常」と書くべきところを「無情」と書かれる方をネット上に見るときがあります。

 今日の写真は、松本市の平川明さんの「石仏拓本第一集信濃篇」の12番目「六地蔵尊像」で長野県東筑摩郡波田町盛泉寺で採取したものです。

  無情が有情になって無常となる。木石仏性、石仏を見るとその感慨を受けます。

   


「なるの論理」と「言語ゲーム」

2009年09月26日 | つれづれ記

 古事記に記載されている「天地のはじめ」
 
 天地(あめつち)初めて発(ひら)けし時、高天の原に成れる神の名は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)。次に高御産巣日神(たかみむすひのかみ)。次に神産巣日神(かみむすひのかみ)。この三柱の神は、みな独神(ひとりがみ)と成れまして、身を隠したまひき。

について書いてから頭の片隅に「なる」という言葉がおかれています。

 そのような状態にあると目の前で起る事柄を何かと「なるの論理」でみたくなります。

 二三日前に、「二値的考え方」で「ハツ場ダム問題」について悲憤慷慨してしまいましたが、政治家の論理にかつて日本的なこの「なる論理」を展開していた篠原一さん(「日本の政治風土」 岩波新書)というかたがいました。

 日本人の物の考え方にするよりもなるという考えをする傾向が強い。

というのがその主張するところで、内に秘められた論理は「自然のなり行きでそのようになります。」で「私たちはそれを実現します。」という論理ではないということのようです。

 この「なるの論理」を大詔にみた人がいました(「日本人の論理構造」坂板元 講談社現代新書)。

 事遂にここに至る。まことやむを得ざるものあり。豈に朕が志ならむや

 「事態がとうとうこういうことになった。」なり行きとしてなる論理で、「自然のなり行きでどうしても避けられない事態になった。」ということでその言わんとするところが良く分かります。

 「今度私たち結婚することになりました。」挨拶状には必ずこのように書かれ「私たち今度結婚しますので、ご出席ください。」とは、まあ書かないのではと思います。

 日本人はその方が親族一同合意の幸せ観も含め落ち着くわけです。「なりの論理」を引きずっていると、こんなくだらないことを考えてしまいます。

 昨日はふと「恵み」という言葉が浮かび「神のお恵み」とはいうが「仏様のお恵み」とは、個人的にですが絶対に言わないなあ、ということが頭を過ぎりました。

 日本の神様も然りで、「お金持ちになりますように」「幸せになりますように」にと祈願します。結論的には「恵んでもらう」ことですから同じことかも知れませんが。・・・

 論理というと最近あの○○主義の大家の橋爪大三郎先生が「ヴィトゲンシュタイン」の言語ゲーム関係の本を出版されました(講談社現代新書)。第9章「覚りの言語ゲーム」、第10章「本居宣長の言語ゲーム」が書かれています。

 覚りが実在するから、覚りを求めるのではない。覚りを求めるから、覚りが実在するのだ。(P195)

 やまとごころをもつ人びとがつくる社会は、原初の日本共同体である。万葉集に古事記に源氏物語。日本語の伝統につらなる人びとは、のこらず、宣長の夢想する原初共同体の子孫である。(P229・230)

論理というものは実に面白いものです。


祝詞の「恐(カシコ)」における「カシ」の一考察

2009年09月25日 | 古代精神史

9月22日付で「古代の『ウチとソト』と宗教」で、著書で大野晋先生がこの「ウチとソト」に対応する代名詞の体系について、

○ ウチのものを指すコレ系の代名詞
  ココ・コレ・コナタ・コチ
○ ソトのものを指すソト系の代名詞
  カシコ・カレ・カナタ(後になるとアシコ・アレ・アナタ)

と説明し、さらに大野先生は、「ソト」=「恐怖」の観念を日本人は持っているのではと指摘している旨を書き、私が日本宗教(現神道)に一例として『出雲国造神賀詞』に「恐(かしこ)み」があることをかいたところ、これを読まれたネアンデルタールさん。

< 「かしこ(み)」という言葉を、現代的な「恐怖」という意味で解釈してしまうのは、危険だと思います。
「かしこ」の語源は、「最後」とか「終わり」とか「さいはて」とか「行き止まり」とか、まあそのような意味だと考えています。>

<「かしこ」の語源は、「最後」とか「終わり」とか「さいはて」とか「行き止まり」とか、まあそのような意味だと考えています。だから、手紙の最後に「かしこ」と書く。奈良盆地から伊勢神宮のほうに南下して行くと、最後に「賢島(かしこじま)」という英虞湾に面した土地にたどり着きます。「しま」は「固有の(孤立した)土地」という意味で、語源的には、海の中の「島」だけをさしたのではない。「かしこじま」とは、「最果ての地」という意味です。>

<「かしこみ」に「恐」という字が当てられているからといって、古代人にとっての「恐れ」を、現代人のようなたんなる恐怖のことととしてかいしゃくするべきではない。むしろ「畏れ」=「かしこまる」感慨をを意味していたのだと思います。>

の意見が寄せられました。この意見内容について専門家の「恐(かしこ)」という言葉を使用した古代に関係する記述を調べたところ以下のような内容のものが有りました。

(A)『続 古代日本人の精神構造 平野仁啓著 未来社』の「1 神社の生態学P73」
  彼らは(遣新羅使)ところどころの港に碇泊して望郷の思いをうたっているが、玄界灘についての歌は作らなかった。『万葉集』には「恐(かしこ)き海」(万葉、1003)とか「海(わた)の底沖は恐(かしこ)し」(万葉、3199)とうたわれているが、新羅へ赴く使臣たちもおそらく同じ気持ちで、涯(は)ての見えない大海に船を乗り出したのであろう。その船には持衰(じさい)がのせられていたかもしれない。『魏志』の「倭人伝」には、日本から中国へ赴く船に、航海の安全を祈る持衰をのせていたことをしるしている。持衰は航海中ひたすらに斎戒して忌みこもったようであるが、そのような持衰の存在によって、古代日本人の海を恐れ憚(はばか)る心が象徴されている。

(B)『原始日本語のおもかげ 木村紀子著 平凡社新書 』の「8 カシをかえる」
  この中で木村先生は、「カシ(河岸)」と言う言葉の語源について語っています。

  
  「カシ(河岸)」は、平安・鎌倉期の辞書類には出ないものですが、「カシ」という和名は和名抄から見えている言葉だそうです。ただし、それに対応する漢語は、船部舟具を表わす漢字(PCでは表記できない)で船を繋ぐ所という解説がなされているということです。そこで三首の万葉集歌を紹介しています。

大船にカシ振り立てて 浜清きまりふの浦に宿りかせまし(万葉 3633)
舟はててカシ振り立てて庵りせむ 名子江に浜辺過ぎかてぬかも(万葉 1190)
青波に袖さへ濡れて漕ぐ舟の カシ振るほどに小夜更けなむか(万葉4313)

このカシは、現代の辞書類では、「河岸」とは別項立てで、船を繋ぐ杭(杙)だとされている。ただし、万葉集の「振り立てて」という表現からは、適当な場所に舟を着けるために「振り立てる(力一杯振り下ろして立てる意か)」船繋ぎ用の杙として、船に積んであるもののようです。

と語り、

カシという古語は、もとは単に「船繋ぎ場・船着場」を言う語だったのではないだろうか。

とし、さらに次の例もかかげている。

 肥前国風土記杵嶋郡には、景行天皇巡幸の際の言行に由来するという「杵嶋(きしま)」の名の謂れを載せ、それがカシに関わるとしている。天皇の御船が磐田杵(いわたき)の村に停泊した時に、「船のカシの穴より冷き水自ら出き」あるいはまた、「船泊てし処、自ら一つの嶋と成りき」。そこで天皇は群臣に「此の郡はカシ嶋の郡と謂ふべし」と宣言された。今杵嶋(きしま)の郡というのは、訛ったのである。
 
 このように述べるさらに、「カシという語が、一種神々しいばかりの言葉として残る」例として『出雲国風土記』意宇(おう)郡冒頭の、著名な「国引き神話」のを掲げ、その中に「堅め立てしカシ」という言葉が三度出ていることに、

「堅め立て」たカシとは、杙(くい)のイメージではなく、船を着けるために固く造成した台地といった感じでないでないだろうか。堅めた神のいますカシとは、すなわちぶよぶよした葦原の湿地の中に、堅く安全に建てた場所、いわば「葦原の中つ国」の玄関ということでもあろう。
 ところで、神武天皇のカシハラの宮は、「橿原(書紀・万葉集)・白梼原(古事記)」などと書き取られ、むろん、そのカシの字は木の名である。ただし、ヤマトに入った神武が、皇后に立てたホトタタライスケヨリヒメは、土着の神の御子、三輪山の麓のサヰ河の神女で、「葦原の湿気けしき小屋」を居処としていた。もとからある土着語の音をヤマト言葉のよみかえるのは、ヤマト政権得意の「言向け和(やわ)し」方でもあったが、もしかしたらカシハラのカシも、本来細かい河筋の入り組む葦原の中の堅固な陸地(近年大規模な縄文集落が発掘されている)をし指す土着語から来ていた可能性もあると思われる。

と「カシ」という言葉を細かに分析しています。

「カシコ」という言葉、(A)の平野仁啓先生の主張は大野晋先生とほぼ同様の主張です。(B)の木村紀子先生の話は「カシ」という二音に対するものではあるが、祝詞の「かしこみ」は「恐み恐み」は「カシコミカシゴミ」です。「カシ」に「コミ」を合わせた言葉とも取れます。「カシ」が場所的な神聖さも含まれるとも考えられ、大野先生の主張はそれは是としても、木村先生の「カシ」の考察からみるとネアンデルタールさんの主張も否定できない面もあると思われます。

 取り急ぎの見解になりましたが、さらに探求すると別の考証もあるやとも思います。


戦国真田氏を研究されるなら

2009年09月24日 | 歴史

 最近は戦国ブームで、長野県は、川中島、松代、上田を訪れる観光客が多くなり、連休中は大変混雑したようです。

 戦国時代が好きという人にとっては、書店へ行くと選ぶに大変な状況になってます。某武将という人は、とことん武将の名の入った本を購入には知ることになります。

   

 私はかつて真田氏というよりも郷土史の滋野氏を研究したことから、書店に行くと歴史棚の真田氏関係の本を手にします。するといつも思うのは、写真では、昭和初期に上田城築城350年祭記念の際出版された「真田幸村」本の大筋を出ないことに非常に残念に思います。

 戦国武将に関する書籍は、小説家が書くか、郷土史が書くかでは内容が微妙に異なってきます。真田家の場合は郷土に住む人々ですら今は「時代的英雄」の視点で見てしまいます。

   

 真田家の場合は、長男信之か次男幸村かでは、私が郷土史をやっていた頃は、地元の人の持つイメージは異なっていました。さらにその真田氏の源流を追及して行くとその源流である海野氏の別の氏族の後裔の方々と接すると家伝があって、絶対歴史小説には登場しない歴史の流れがあったことが分かります。

 真田氏については現在地方紙信濃毎日新聞で「真田三代」が連載され部数を伸ばす要因になっていす。読ませていただいていますが、非常に面白く良くかけているのですが、郷土史、地域風土の観点から見ると物足りなさと、異なる点が散見されます。

   

 そのような視点で歴史を見ると、現在の歴史本がいかに実際(その時代に生きていた訳では有りませんが)とはかけ離れているものだということが分かります。

   

 写真の真田通記という旧真田町教育委員会(現上田市)から出版された、歴史本の翻訳本があります。これは松代藩の初期に書かれた真田家の家伝本の翻訳本ですが、ここに書かれている真田家の家伝さへ伝承ということで、その時代のかかれた内容に秘められた部分は参考にされていません。

   

 真田氏を本格的に研究するには、やはり郷土史の大家小林計一郎さん名著「真田一族 新人物往来社」が入門書とするのが一番で、次に進めるとすれば、内容的には60%ですが「真説・智謀の一族真田三代 三池純正著 洋泉社」だと思います。さらに内容を深めるには、長野郷土史研究会機関紙「長野」なども読むと良いかもしれません。後は、自分の足で歩き採集しなければなりませんが、時代とともに薄れていることを念頭に置かなければなりません。

 そして最後に参考ですが、その出版本に「真田右馬助綱吉」という武将(公に知ることができる古文書に掲載あり)が書かれているかどうかで、その作者の知識量が判別できます。

 最近私が研究した結果をブログ(杜父魚文庫ブログに書いてくれた方がおられました。誠にありがたいことです。が、歳とともに仏教学(と言ってよいか分かりませんが)が主に、気持を支配し、時々滋野氏の源流については書くものの、真田氏については全く研究していません。

 


「八ツ場ダム」問題に見える二値的無血革命

2009年09月23日 | つれづれ記

 最近言葉について考える機会が多くなってきています。その中でニュースを見ながらこの人の書籍は名著だなあと思うときがあります。

 まずは気になった話題のニュースですが、それは「八ツ場ダム」の問題です。群馬県の小さな郷土は一夜にして、今後180度の凶変的な事態を経験し続けることになりました。多数の為の犠牲だけで済まし、ことは足りるのか非常に理不尽を感じてなりません。

 これは民主主義における正常な政権交代による当然の帰結である、などというよりも無血革命ではないかと思えたなりません。

 行政行為の撤回に対し保証無しで対応することは可能かどうかは、その筋の専門家ならばその答えを承知していると思いますが。前原国土交通相は長期協議で対応して行くとのこと。持ち込む協議の手土産は何んなのか不透明で、さらに悪いことには、撤回を前提では地元住民は協議には応じないという固い決意であり、不透明もさらに倍増しそうです。

 この事態で想起した名著は何かといいますとそれは、アメリカの言語学者・政治家のS.I.ハヤカワという方が書かれた『思考と行動における言語 岩波現代叢書』です。
 
 内容は言語学ではないという人もいますが、政治家という立場もあってか視点が大変ユニークで一読に値するものだと私は思います。

 さて「八ツ場ダム」の問題とこの本との関係ですが、この本の第二部「言語と思考」の13に「二値的考え方」という20頁ほどの小論が載せられています。ここに書かれていることが「八ツ場ダム」の問題を考える上で、私にはとても参考になりました。

 では本論に入りますが、「二値的考え方」とは端的にいうと政治家が良く使う「みなさん」という論理のことです。
 
 わたしは時々「折り合い」の話をしますが、これも一種の二値的な論理が頭から離れないなと反省する時があります。でも「折り合い」は日本的な論理で少々安心はしていますが。

 とりあえず冒頭の数行から、

「あらゆる問題は両方の意見を聞かなければならない」
と、人は言うが、そこには、ある仮定----あまり当否をとわれることのない----が含まれている。すなわち、あらゆる問題には二つの面がある----そして二つの面しかない、という仮定である。われわれは良くないものは悪く、悪くないものは良いと、対立させて考える傾きがある。・・・・・通俗的な政治的意見は、テレビの西部劇の筋のように、物事を「善玉」と「悪玉」の二つに分けて見る。・・・・・

 これをわたし自身に当てはめると、因縁・縁起の理を無分別智でなどと思っていても日々の生活では、ハヤカワさんのいわれるとおりで、「そのとおり」と承諾するしかありません。

 しかし、自分の過去を顧みるとそこにはテレビなどに出演している批評家を批評している自分があるのですが、そうすることがまた快感で心地よいから仕方ありません。

 ハヤカワさんは、まず第一に「政治における二値的考え方」と題し、

 アメリカにおけるようなに大政党政治の下では、二値的発言を吐く機会が多い。筆者も雑踏するシカゴの大通りを拡声器付きトラックから流れる政治演説で、共和党(または民主党)が糾弾され、民主党(または共和党)が賞讃される徹底ぶりに恐れ入った経験がある。反対党に対してはいささかの賞讃も、情状酌量の影さえもない。これについて、筆者は州下院議員候補者の一人にその理由を聞いたところ、彼は答えた。
「この世界では、手心を加えていては失敗するのです。」

と書かれています。実に今回の衆議院選挙で見られた状景そのものです。共産党、社民党という二値的というよりも思想的に全く異なる政党は別として、自民党と民主党の糾弾劇は二値的発言で終始していたのを昨日のように思い出します。

 次の第二は、「人間に対する人間の非人間性」という表題になっています。内容は第二次世界大戦におけるドイツのユダヤ人虐待・抹殺行為です。
 
 民族の優位性を説く二値的考え方がもたらした悪しき好意はだれもが承知するところです。ここでも合わせて自己反省させられます。時々日本人論を説くことが他民族批判につながるものであることを承知すべきことを自覚しました。

 第三は、「マルクス主義の二値的考え方」です。先ほど共産党、社民党は別としてといいましたが、ここで登場してもらいます。これもよく考えればすぐにわかることです。
 
 彼らは「平和を愛好する・進歩的・科学的な唯物論的社会主義者」な我々と語り、見解に反対するものに対しては「挑戦的。ブルジョア的・反動的・観念論的・帝国主義的資本主義者」というのが一昔前の常套の言語でしたが、ソ連崩壊後は柔和戦略に変更していますが、「資本家による搾取」「反アメリカ(アメリカ帝国主義・帝国主義的資本主義)」はその言動の裏側に今も見ることができます。

 この他にも語られているのですが、第五で語られている「二値的考え方の害」を紹介し、まとめとしたいと思います。

 演説家や論説記者は、平和・繁栄・良い政治・その他立派な目的の為と称して、きわめてしばしばこの粗野な二値的考え方をほしいままに使う。このような書き手や話し手は、二値的考え以上のことを知らないのでこのような原始的方法に頼るのであろうか? それとも読者や聴衆を軽蔑し「上品にやっていたら割が合わないさ」と思っているのであろうか? それとも、かれらはまじめなのであり、一部の医者が「医療の社会化」というコトバを聞くと頭にくるように、ある憎悪の的の話題が頭の浮かぶと、どうしても二値的反応にとりつかれてしまうのだろうか? もう一つの説明として、思うことすら愉快でないがしかし多くの場合大いに有り得ることだとして、そういう二値的熱狂は、大衆関心を、さし迫った実際的な問題からそらす手段でもあるのだろうか? たとえば「州立大学における無神論」とか、「政府の禄をはむ共産主義者」とか、「東南アジアの混乱の責任は誰にあるのか」などの問題で大騒ぎをやっておれば、かつてウィストン・チャーチルが言ったように「被保護業界の走狗でこみ合っている」議会のロビーで何が行なわれているのかに、大衆が気がつかないようにしておくことができる、というわけであろうか。

 アメリカ人の書いた古い時代の外国の政治事情のこともあり、また不明確さもありますが、ここで語られていることを「八ツ場ダム」の問題に当てはめて考えると次のことに気づきました。
 
 高級官僚の倫理性の欠如、自民党の利権絡み、必要性のない大企業の為の政策、税金の無駄づかい。等が今回盛んに叫ばれました。
 
 税金の無駄ずかいについては、テレビ報道でも取り上げられ、民主党には最高の宣伝効果をもたらし、反面「八ツ場ダム」建設決断には、住民の苦渋の決断があったことなどは報道されず、全く他の国民には気づかせない不作為を敢行しました。

 新天地への移転、墓の移動、何代も続いた家屋の取り壊し・・・・・そこには住民の苦悩の歴史がありました。

 「無駄遣い」この言葉に信憑性ないなどということはない筈ですが、隠された隠されたダム建設での住民の歴史はあまりにも悲惨です。

 今回の政権交代は本当に民意(選挙)によると結果でした。しかし、本当に小さな小さな地域での出来事ですが、それで済まされてよいのかと考えさせられます。

 「明治維新にも匹敵する」と愛知2区で当選した古川元久という方が、講演会が主催したコンサートで述べた。明治維新はある面では無血革命ではなかったかと思います。その政変でどんなことが行なわれてきたかこの民主党の議員は知っているのか疑いを持ってしまいます。

 私には「八ツ場ダム」の問題とは、革命政権による旧政権支持者に対する虐待行為に見えてなりません。


古代の「ウチとソト」と宗教

2009年09月22日 | 仏教

 時々「世間」という言葉や自分と他者との関係などについて考えて見ることがあります。道元さんの「自己と他己」についても自分なりに見直しを図ることにもなるのですが、最近故学習院大学名誉教授大野晋先生の「助詞」の話を勉強する機会があり、先生のお書きになった著書『日本語の文法を考える 岩波新書』を呼んでいる中で、日本語の「ウチとソト」について書かれている文章に出会いました。

 先生の書籍は何冊かあるのですが、どうしても時間的な制約から積読状態も多いのですが頭の悪さも手伝って反省の日々です。

 「古代におけるウチとソト」という話です。先生によりますと古代の日本人は生活の場としてウチとソトを明確に区別していたということです。

 ウチとは、親子・夫婦という人間関係にあるものが共同して住んでいる場所である。この人々は具体的には家の回りに垣根を囲ってその中に住んでいる。それらの人たちは相互に親しみ合い。お互いに溶け合った気持ちを持って暮らしている。つまり、ウチとは自分を中心にして自分の回りに輪を描いた、その内部をいうわけで、そのウチには自分の夫・妻・子が入る。しかしその輪を、もう少し拡大した場合には、自分のムラ全体を他のムラに対してはウチとして扱う。さらにもっと大きくすれば、自分の国全体をほかの国に対してはウチと扱う。このウチという輪の中ではそれぞれお互いに親睦し、それぞれの人間が安心して能動的にふるまうことができた。

それに対してソトとは、具体的には家の垣根の外で、宮廷ならば御殿の御簾(みす)の外をいう。家の垣根の外にいる人、外にあるもの、外にある景色、山でも川でも雲でもみんなソト扱いにする。人間でいえば、奈良時代にはトヒトという言葉があって、ト(外)ヒト(人)とは、今日の言葉でいえば「外部の人」にあたり、また、都の人にとっては田舎者という意味だった。ト(外)という場所はウチ(自分の安心して生活する場)の外だから、自分の知らないものがいる所、恐ろしいものがいる所、妖怪がいる場所である。このウチとソトの区別は生活に根ざした明確なものであった。

と説明されていて、しばらくイメージしてみると凄く納得します。

 先生はさらに言葉づかいの上で、これにぴったりと対応する代名詞の体系があったことを語られています。

○ ウチのものを指すコレ系の代名詞
  ココ・コレ・コナタ・コチ
○ ソトのものを指すソト系の代名詞
  カシコ・カレ・カナタ(後になるとアシコ・アレ・アナタ)

がその代名詞ですが、カレとかカナタ、あるいはアレなどはものを不明確に指すときに使用した代名詞だということです。

 確かに「遥か彼方」などは実に不明確で日本的な気がします。外国語でこの言葉の意味を説明するとなるとかなり長文になるのではと思います。

 次にソトという言葉について、特に印象に残ることが語られています。

 ソトとは恐怖の対象のいる所であるから、ソトのものに対してはこれを遠ざけようとする。それと付き合うまいとする。そして尊敬の対象もソトのものとして取り扱っていた。すでに述べたように日本人の尊敬は、親しみや理解の成熟によって尊敬へとそれが成長してゆくのではなく、日本人は恐怖・畏怖の対象に対して、カシコマリや隔てを置く態度をとることによって尊敬を示した。相手の中へ滲透していこうとせず、相手から遠ざかり、相手に手をふれまいとする。

   

 (延喜式祝詞講 名著出版P261出雲国造神賀詞から)

 ここの説明で神道の儀式の祝詞の中で「かしこみかしみ」という言葉を聞きます。祝詞の原文を見たところ写真のとおり「恐」という字が使われていて「恐み恐み」と書いて「かしこみかしこみ」と読むとなっていました。

次に例文として

校長先生は東京に行かれた。

が提示され次のように語られています。

という表現は尊敬表現である。それは助動詞の「れ」によって示されているが、「れ」が尊敬表現に使われるのは、校長先生をソト扱いにし、自分が関与する対象でないことを示すのに、自然の成行きであることを表わす「れ」がちょうどあてはまる意味を持っているからである。つまり自分とは関係がうすい、疎遠なものと扱うことが尊敬になった。

 日本神話の世界では、マレビト(客人)論というものが展開されていますが、この「マレ」の意味と重なり感動しました。

 先生は「ウチとソト」区分について、

このようなウチとソトとの区分は古代日本の社会だけに生きてきた観念ではない。現代の日本人社会でも生活の場のとらえ方として種々さまざまに生きている。これが古代ではきわめて鮮明であった。

と古代における「ウチとソト」の区分の鮮明さを結論づけています。
 この結論から日本宗教(現在の神道)の中に言葉の世界からですが「恐れ」の観念が見出せます。他の宗教との比較とその受け入れの中に何か思考の自己満足の世界が広がりそうです。


「仏性・仏心」と「空からの生成」

2009年09月22日 | 宗教

 昨日は、お彼岸でもあるので先祖のお墓にお参りに行きました。自己の決めた習わしとして、墓と山門下の前で「般若心経」を唱えてまいりました。父母の墓は山門のすぐ横にあり、先祖の墓となると境内や寺から1キロほど離れた所にさらに2箇所あるので、本人の勝手な都合で山門の写真の前で唱えることにしているわけです。

 さて今朝は、時々自分なりに考える日本人論について簡単に体系に宗教学の視点から書いてみました。

 心理学、社会学、文化人類学、宗教学等は、人文系の大学の一般教養選択科目に見かける科目名です。今日はこの中の「宗教学」のカテゴリーから話を進めたいと思います。宗教学のはじめは、比較宗教という形から発展しました。

 ヨーロッパで行なわれていた宗教理解のために行なわれていた神学も、18世紀の末からオリエント文化に対する関心が増大してきますさらに。その中でロゼッタ碑石の発見と解読、そして19世紀の中葉にはアッシリアの楔形文字(アッシリア)も解読されるようになりました。さらにインドのサンスクリットやパーリごの文献も盛んにヨーロッパに紹介され研究されるようになり、日本では明治の中ごろから少数の専門研究者の比較宗教学会の形で行なわれてきたようです。

 ここで使われる「宗教」という言葉は、もとはドイツ語の「Religion」の訳で、ラテン語の「religere」という動詞が由来だそうです。この動詞には「結びつける」という意味があり、共同体の宗教という概念が根底にあることがわかります。

 このような「結びつける」存在としての宗教を、宗教学上の研究対象とする場合、神という観念を中心とするか、人間の情緒的経験の上に宗教性を見出すのか、人間の生活の中における宗教の役割を問題にして行くかによって、いろいろな思考の世界が展開されます(これは私の見解では一般的な宗教学上の分類です参照文献 宗教学 岸本英夫 大明堂P13~P16)。

 従って昨日の私の「信仰と宿り木」は、第一類型に属します。世界の宗教を見るとほとんどが神の観念を有するものであることは明らかな事実です。
 その中で唯一神を立てないものがあり、それが仏教であるわけです。

 次に仏教に視点をおくとインドで発生した仏教は、アジア諸国に広がり独特の特徴をもつものとなっていきます。日本では、仏教の教えはもともとあった日本宗教(古代神道)と大きな争いもなく、中には取り込みながら形づくられてきました。

 神の観念を有する日本宗教が、神の観念を有しない仏教と融和がなるのかそこに日本人の不思議があります。したがってこの点を中心に日本人論を展開する宗教学者もいるわけです。

 私は学者ではありませんが、その日本人論に惹かれ時々そのことについて考えるときがあります。

 現時点で考えていることは、仏教の教えの中の「仏性・仏心」というものが日本宗教の根源にある「空からの生成(昨日の『信仰と宿り木』から)」というものに重なるということです。