思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

供養塔・迢空・馬頭観音のある風景

2011年09月30日 | 風景

[思考] ブログ村キーワード

 数日晴れの日が続句かと思っていたところ天気予報のとおりに空が怪しくなってきました。連続ドラマの「おひさま」は残すところあとわずか、昨日は日名子ちゃんが・・・やけど・・・というところで目をそらし以前にスイッチを切った。

 ドラマ・・・いわゆる作り事に、一喜一憂する初老である。何か寂しさを感じるのは私ばかりではないと思うが、残念な思いがします。

 今月は何回か「馬頭観音のある風景」を飽きもせず紹介していますが、直近の霧のある風景でその時撮影した「馬頭観音」を掲出していませんでした。

 朝の霧が明け行き、輝きはじめる馬頭観音、まだ明けきらずに霧にある馬頭観音





・・・毎日の見慣れた風景ですかなぜか引かれてしまいます。

 双体道祖神は安曇野では個人宅にも最近は置いている人を見かけますが、この馬頭観音だけは、永劫未来に向けて建立されることのない供養塔です。

 その時その時代がそうさせた・・・過去の時代の遺物でしか今はない。

 迢空とは民俗学者折口信夫(おりぐち・しのぶ)先生のことですが大正9年7月、松本市での講演を終えた先生は、山間の村落をたどって10日ほど一人旅をしたそうです。民間伝承の調査研究のための旅ですが、その折には必ず歌を詠っています。

 民俗学者としての迢空は、古代日本人に常世の国信仰を見いだし「まれびと」という来訪神のイメージを描きだし、そこには「ふかいところで旅する者の本質への理解と共感があったからに他ならない」と歌人、国文学者の佐佐木 幸綱(ささき・ゆきつな)先生は語っています(『佐佐木幸綱の世界13』古典偏3)。

 迢空の「供養塔」という文章には次のような文章とともに歌があります。

<供養塔>

 数多い馬つかの中に、ま新しい馬頭観音の石塔婆の立ってゐるのは、あはれである。又殆、峠毎に、旅死(たびじ)にの墓がある。中には、業病の姿を家から隠して、死ぬるまでの旅に出た人などもある。

人も 馬も 道ゆきつかれ死にゝけり。旅寝かさなるほどの かそけさ 道に死ぬる馬は、仏となりにけり。行きとゞまらむ旅ならなくに 邑山(むらやま)の松の木むらに、日はあたり ひそけきかもよ。旅人の墓ひそかなる心をもりて をはりけむ。命のきはに、言ふこともなくゆきつきて 道にたふるゝ生き物のかそけき墓は、草つゝみたり

とあり、松本清張の長編推理小説のような風景の詠みを感じます。大正9年ごろは、実際に馬がたおれて死んでいる場面も旅をしていると目撃することがあったらしいのですが、現在身元不明は役所が供養することになる。

 現代は旅人ではありませんが漂泊の人々が都会のコンクリートの片隅に目撃することもあり、地方の町の橋の下に見かけることがあります。人知れずの供養塔にもならない現代、ある面、迢空の

 人も 馬も 道ゆきつかれ死にゝけり。

は生きているように思える。

という話を早朝から打ってはいますが、朝からネガティブな私ではなく佐佐木幸綱先生のの世界を読んでいたらたまたま掲出していない直近の馬頭観音のある風景写真を思い出し書いてみました。しかし「生き様」という言葉がありますが本当に生き様を考える必要のある人、何と国会には多いことか・・・嘆きの一発です。

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魂の行くえ・NHKスペシャル「クニ子おばばと不思議の森」

2011年09月29日 | 古代精神史

 「焼き畑農業」という言葉をかつて聞いたことがありました。教科書には東南アジアにそのような農法の姿があったように記憶していました。

 ところがの本には本来の焼き畑農法とも呼ぶべきものがあるのを知りました。9月25日のNHK総合のNHKスペシャル「クニ子おばばと不思議の森」という番組は、今も日本に残る「焼き畑」の世界、人と自然とのかかわりの姿を見事に紹介してくれる番組でした。











 宮崎県椎葉村は今なお秘境と言われるところで、さらにその山奥に暮らす椎葉クニ子さん(87)は代々続く焼き畑農法を継承する方で、今も夏になると山に火を放ち焼き畑を作り、一年目はソバの実を撒き、二年目は粟、三年目は小豆、そして四年目は大豆を撒いて収穫します。




(収穫した穀物の種から、優秀な種を選び出し引き継いでいきます)

 「焼き灰が肥料になり、薬になって、太らせているから焼き畑は・・・たった4年だもんね、後は自然に全部帰す。」

 と語る椎葉クニ子三。先祖から受け継ぎ、数年前に亡くなった音とともに続けてきた農法を今も椎葉村のさらにその奥山で続けています。

 毎年山の焼く場所を変えながら少しずつ畑を作り、4年収穫したら放置して森に返す。30年で山を一巡する、30年一世代の木々たち、人間も凡そ30年一代ですから不思議に一致した自然のサイクルです。


 番組紹介によると、

 人が焼き「かく乱」することで、森は若返り、畑の作物だけでなく、山菜やきのこなどさまざまな恵みを生み出す。かつては日本中が森を再生するための焼き畑を行っていたが、今もそれを続けているのは椎葉クニ子さんただ一人だ。

という話で、とても貴重な番組です。こういう暮らしの中には神の存在があり、「山の神に祈りを捧げて火を放ち、その恵みを日々の糧とする。」焼き畑の営みそれは縄文以来続けられてきたものです。


(山の神、神木に祈ります)

 このような生き方を見ていると、私たちが忘れてしまった、魂の行くえが見えるような気がします。自然とともになどという人と自然を区別し一体化しなければならないという考え方以前に、人は自然御一部であり、また自然は人間を必要としていた、だから人間はあえて自然を痛めつけるようなことはしない。なぜならばそこが魂の帰るところだから・・・。そんな声が聞こえました。

山に帰る魂・・・共にあるからそうなのだろう。

 こういう話は昔の人の話を聞くが一番わかります。民俗学者の柳田國男先生に「魂の行くえ」という小論があることをかつて紹介したことがあります。今朝は上記の「クニ子おばばと不思議の森」とともに、つぎの小論の最後の語りの部分を紹介したいと思います。

<「魂の行くえ」柳田國男著から>

・・・・・・ 日本を囲繞(いじょう)したさまざまの民族でも、死ねば途方もなく遠い遠い処へ、旅立ってしまうという思想が、精粗幾通りもの形を以て、大よそは行きわたっている。独りこういう中に於てこの島々にのみ、死んでも死んでも同じ国土を離れず、しかも故郷の山の高みから、永く子孫の生業を見守り、その繁栄と勤勉とを顧念しているものと考え出したことは、いつの世の文化の所産であるかは知らず、限りも無くなつかしいことである。それが誤ったる思想であるかどうか、信じてよいかどうかはこれからの人がきめてよい。

我々の証明したいのは過去の事実、許多の歳月にわたって我々の祖先がしかく信じ、更にまた次々に来る者に同じ信仰を持たせようとしていたということである。自分もその教のままに、そう思っていられるかどうかは心もとないが、少なくとも死ねば忽ちコスモポリットになって、住みよい土地なら一人きりで、何処へでも行ってしまおうとするような信仰を奇異に感じ、夫婦を二世の契りといい、同じ蓮の台に乗るという類の、中途半端な折衷説の、生れずにおられなかったのは面白いと思う。

魂になってもなお生涯の地に留まるという想像は、自分も日本人である故か、私には至極楽しく感じられる。出来るものならば、いつまでもこの国にいたい。そうして一つ文化のもう少し美しく展開し、一つの学問のもう少し世の中に寄与するようになることを、どこかささやかな丘の上からでも、見守っていたいものだと思う。

<以上>

 「どこかささやかな丘の上からでも、見守っていたいものだと思う。」という最後の語りの言葉、クニ子おばばの見つめる後姿と重なりました。

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 NHK連続テレビ小説最終週「おひさま」の「道祖神のある風景」の今

2011年09月28日 | おひさま

 いま「終活(しゅうかつ)」という言葉が流行っているようです。言葉がはやるというよりも終活そのものが高齢者の意識の中に芽生えてきているという話です。

 自分押しを迎えるにあたっての心構え、姿勢と言ったところで終活イエー(遺影を取る)、終活墓地友達(死後一緒の場所に埋葬してもらう仲間)、遺言教室・・・ネガティブになりがちな老いの世界を明るく生きようという積極的な死を迎えるための活動、そう言った意味の活動で、就職率100%ならぬ終職率100%の世界に置ける現代人の新しいニーチェのいう価値の転換ブームと言ったところです。みなさんとても明るいのです。

 エンディング、必ず始まりがあれば終わりがある。連続テレビ小説「おひさま」も間もなくエンディング。真近くなると寂しさが湧いてきます。

 「おひさま」の最終週を迎えた昨日の安曇野は朝から濃い霧に包まれました。

 朝外気を浴びるために外に出るとごらんのとおりの霧、刈取りが終わった田の向こうに薄らと木々が見える幻のような風景となっていました。

 霧の風景が好きな私の脳裏に浮かぶのは、あの「道祖神のある風景」です。
 
 おひさまの主人公の須藤家の人々が東京から病気の母とともに安曇野に移り住む時に迎えてくれた双体道祖神、その道祖神のある風景です。

 たびたび紹介している風景ですが、昨朝9月27日午前6時30分ごろの国営アルプスあづみの公園近くにある道祖神と水車小屋のセットがある撮影現場の今です。

 現場にたどり着くころには後方に下がっていました。



今朝は人っ子一人いません。





昼間は今も観光客が絶えないところですが、本当に静かに双体道祖神がそこにありました。

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衝撃的な温度差を感じる

2011年09月27日 | ことば

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 虫の声も騒がしく、気温はますます寒くなり、秋の深まり、紅葉の近いことが木々からもわかる季節となりました。

 さて今朝は見出し写真で昨朝の通勤時に目撃した衝撃的な風景を紹介しました。

 午前7前頃安曇野から松本に向け走行していると前方に・・・なんとオープンカーが見えるではありませんか。私は寒さにヒーターを入れているのに・・・です。

 信号待ちでつい携帯で写メしました。年齢私よりも年上で60歳は越えている男性でした。

 出勤後、社内の人たちにはなすと「朝のさわやかさを満喫している」と理解する人がいて、それもありなんと思うのですが、私も朝のさわやかさは好きな方ですが、昨朝は全くそう感じられませんでした。

 そこで思い出した言葉が「温度差を感じる」です。ということは今朝はこの言葉を考えてみました。

 「温度差を感じる」という言葉はよく耳にします。実際の気温などの温度差からその違いを知る場合もあれば、相互の意見の対立からその差の違いを表わす場合も使われています。

どのような時にっ使われているのか、Googleで検索してみると、

<検索結果>

 温度差を感じるとき. 何となく思い出したそれは、 たぶんドラマのワンシーンだったと思います。 老人と若い女性が、お昼ご飯を食べている。 若い女性は、一番食べたいものを最後に残している。 反対に老人は、一番食べたいものを最初に食べた。

 彼との温度差を感じる. 私は社会人1年目の、22歳です。 付き合って約1年の、不動産会社に就職した同い年の彼氏のことで悩んでいます。 彼は付き合った頃から結婚願望が強く、つねに「結婚」についての夢を語ってくるような人です。 ...

 私はあの人を愛しているけれど、あの人は私を想ってくれている? 教えてノエル」-もちろんです。ふたりの温度差を埋めるお手伝い、この・・にお任せ!

なんとなく、温度差を感じる今日この頃

日本と海外で感じる“原発”の温度差

相手と自分の『好き』に温度差を感じる

作り手との温度差を感じる

と検索結果があり、サイト内に「読売オンライン発言小町内検索」というサイトがあり、これで「温度差を感じる」を検索すると、

温度差を感じる友達

社全体VS営業所長 職務能力の要望に温度差を感じる

バレンタインについて、男性との温度差を感じることもありますね

外に出たがらず私の家で過ごしたがる彼女と、公園で子供を遊ばせたい私とでは段々温度差を感じるようになりました。

派遣会社と派遣社員(事務派遣ですが)との間に温度差を感じる...

人付き合いで温度差を感じることは、誰しも経験があることだと思います。
 
彼女の一言を自分なりに重要に受け止めたので早く対応したのに肩透かしをくらい、日にちが経つにつれ友情の温度差を感じる。

<以上の検索結果>

という結果で、内容的に説明するまでも無く理解できるものです。大気中の空気など読めないのに「空気が読めない」と表現したり、相手の体温や話内容に温度を感じることがないのに、そのように表現出来てしまうところにことばの不思議を感じます。

 気温などの温度の差を表わす使い方はそのまま承知することがでます。一方、感情の相違、価値観の相違、立場の違いに体感的な「温度の差」という言葉を使うだから、疑問に思うのは私だけではなくサイトには、

<疑問例>

 かつて新聞に「温度差」という用語が登場したとき、私は戸惑った。「官邸と党の間に温度差」というような表現が新聞に登場する??

「温度差」というからには「温度の差」だから、「官邸の体温が36℃で、党が38℃」というようなことだから、官邸は健康だが、党は熱が高いという意味かと思ったら、「考え方に差がある」とか「認識に差がある」というような意味らしい(よくわからない)。

と述べている人もいました。

 気温、体温などの計測される温度数値、それとは異なる数値のその差異を計測した結果の感覚的な所感なのだろうか、確かによく分からないが、誰もが理解できるところではないでしょうか。

 「温度」という言葉は古語辞典には出てきません。中国語に「温度」という言葉があり日本語と同じ意味ですから渡来の言葉であることが分かります。

 自己と他者との間の温度差という表現に焦点を当てた場合に温度という言葉に関連して思いつくのは「温かさ--冷たさ」問いう言葉です。

 「冷たい人ね」「温かさを感じる人」「心あたたまる言葉」・・・・・

こういう言葉は日常的に使われていてこれには否定的に思う人はいないのではないかと思います。

 現代語に匹敵する古語を検索する辞典で「温度」という言葉は出てきませんが、

あたたか・い「暖」
 あたたかし[暖]
 あたたけし[暖]
 ぬくとし [温]
 ぬるし  [微温]

つめた・い「冷」
 さむし  [寒]
 つらし  [辛]
※使われ方から
 つめやい感じ    ---ひややか[冷]
 つめたい目で見る---めをそばむ[目側]
 つめたく扱う    ---むげにする[無下]
 つめたくなる    ---さむ[冷]、ひえいる[冷人]、ひゆ[冷

<以上『古語類語辞典』(三省堂)参照>

となっています。そこで代表格の「あたたか」を古語辞典で調べますと、

あたたか【暖か・温か】
1 ほのかに熱が感じられるさま。ほのかにぬくもりをのある感じ。
2 なまぬるいこと。いいかげんなこと。安易。
3 自分にとって都合のよいこと。うまいこと。
4 金持ちであること。
5 ずうずうしいこと。ずぶといこと。
6 阿呆。馬鹿なこと。
7 熱のあるさま。

<以上『岩波古語辞典』参照。

ここには6番の「阿呆。馬鹿なこと。」にはなるほどなのです。

 「馬鹿な意見に温度差を感じる」

みんな昔から温度差を感じていたのでしょう。「暖かい・冷たい」を含む「温度」という合理的な言葉があるから端的に温度差になった・・・そう勝手に理解したくなりました。

 こんな寒い朝にオープンカー・・・考えものであります。

 ですから早朝の私の衝撃は・・・「阿呆な。馬鹿な」を感じたのでしょう。

 別な意味で思うのですが、世の中正義論を戦わしても、話し合いをする上においても、何か身にまとわなければその温度差はクリアーできないと感じました。

ということで今朝は昨日の朝の衝撃的な体験から「温度差」を感じてみました。 

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 NHK連続テレビ小説最終週「おひさま」の有明山の風景・北アルプス燕岳

2011年09月26日 | おひさま

 NHK連続テレビ小説「おひさま」も最終週に入りました。当ブログでは管理者が安曇野在住で「おひさま」大好き人間ですので時々番組に登場する安曇野風景を紹介してきました。








 
 東京から始めて安曇野に引っ越してくる風景があります。有明山の見える風景の右側に稲刈りの風景が折り込まれていて、「はぜ掛け」の風景が見えます。

 しかし今は大型コンバインで刈り取り農協の大型乾燥機で乾燥させてしまいます、従ってはぜ掛けの風景は今はありません。

今年の春先の田植え前の風景です。


田植え後の風景です。左側後方の山が燕岳です。


9月25日現在の風景


まだ稲刈りの済んでいない田もありました。

 今朝は、今ははぜ掛けのない「有明山のある風景」昨日9月25日の風景と有明山の後方に見える燕岳(つばくろ・だけ)2763mを紹介したいと思います。

 富士山はすでに初冠雪となりました。北アルプスも今週中には初雪が降るような気温が続いています。











槍ヶ岳が見えます。










燕岳山荘です。

 燕岳も間もなく写真の風景となります。番組では常念岳登山が紹介されましたが、地元の中学校では今は燕岳が中心です。理由は時間はかかりますが、さほどきつい坂道ではありません、従って危険を避けるためです。

 常念岳が危険な山道という意味ではありません。ゆっくり自分のペースで足元に注意しながら登れば、写真の風景が見られます。

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防災講習会・安曇野サミット・魂の行方と響き

2011年09月25日 | つれづれ記

 今日は地区の地区の「救命・防災講習会」があり、参加してきました。山麓の別荘地と農家が集まる小さな集落ですので50名ほどの参加でしたが、ふだん使い方も知らない消火栓の開閉、消火ホースの結着、放水などを実体験でき大変勉強になりました。

 防災倉庫のと防災機材の確認

 初期消火と消火器のの取り扱い

 救急法の初期(手当と搬送)

 緊急炊き出し用の米の試食

といたってシンプルな内容ですが、普段から知っておくことがいざという時には役立つので、私の場合は休日・夜間でないと地域に貢献できませんが参加しました。

 安曇野では昨日(24日)から「安曇野サミット」が開催されています。安曇野は九州の安曇族が移り住んだ場所という推定の元古代史好きな人が全国から集まります。

 古代史好きの私ですが、「安曇族が移り住んだ場所」という普遍的な主張の人々の全国集会の2回目ですが、まだ参加したことがありません。

 昨日の様子については、ウェブニュース(信毎web)に次のよう記事がありました。、
 http://www.shinmai.co.jp/news/20110925/KT110924SJI090009000.html

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安曇野市で安曇族サミット 全国5カ所「子孫」意見交換 09月25日(日)

 福岡市志賀島(しかのしま)を発祥の地とし、安曇野に移り住んだと伝えられる安曇族について学ぶ「サミット」が、24日から2日間の日程で、安曇野市穂高会館で始まった。昨年全国ネットを結成し、ゆかりの地同士の交流が深まる中、全国5カ所から「子孫」たちが集い、互いの活動を紹介し合った。

  「安曇(あづま)」の地名が残る鳥取県米子市から来た坂田友宏さんは、「あずみ」の振り仮名に異議を唱え、「『あづみ』が正しい。統一すべきだ」と主張。NPO法人志賀島歴史研究会の岡本顕実(けんみ)さんは「私たちは素人集団。こだわらなくていいのでは」と述べた。

  滋賀県高島市安曇川(あどがわ)町、渥美半島にある愛知県田原市、兵庫県太子町からの参加者は、地元に残る安曇族の痕跡を紹介。「一緒に勉強していきたい」「いつかサミットを誘致したい」などと話した。

  サミットは、安曇野市民らによる「安曇誕生の系譜を探る会」などがつくる実行委の主催。25日は「逆説の日本史」で有名な作家井沢元彦さんの基調講演やパネル討論を行う。

<以上>
 という内容で、今日は作家の井沢元彦さんの基調講演も開催されました。結果についてはサイト上に誰かが掲出されるだろうと思うので待ちたいと思います。

 ちょうど地区の防災の講習会の時間と重なりましたが優先順位とするまでも無く防災が第1ということで聴講しませんでした。

『逆説の日本史』の井沢元彦さん二冊ほど著書を読んだことがありますが最近は全く読んでいません。

 昨日の「安曇野」は「あずみの」か「あづみの」かの論議があったようです。「あづ」という言葉で思い出すのは、「梓川(あずさがわ・あづさがわ)」です。

 安曇野は大まかに地区割りすると梓川と北アルプスに囲まれた地域です。河川名と使われている「梓」ですが、この地には古代に朝廷への献上物として「梓弓(あづさゆみ)」があります。「梓」はカバノキ科の落葉樹で、これを弓の柄とし弓にしたわけですが、梓弓はまた葬送にも使用される神聖楽器でもありました。

過去にもブログに次のように書いたことがあります。

 万葉集4-531海上女王(うなかみのおおきみ)

 梓弓(あずさゆみ)
 爪引(つまび)く夜音(よおと)の
 遠音(とほおと)に
 君の御幸(みゆき)を
 聞かくし良(よ)しも
 
 延喜式という古い書物に信濃国が祈年祭の祭料として梓弓を100張を進上したことが書かれています。

※「延喜式」
  「凡甲斐・信濃両国進祈年祭料雑弓百八十張。<甲斐国槻弓八十張。信濃国梓弓百張。>並十二月以前差使進上。」

 万葉集には、「梓弓」も含み「梓」という言葉の入った詩が54首ほどあるようです。

 梓弓は、武器であるとともに上記書きましたが、葬送などの儀式で弦を爪弾いて霊的な魂鎮めか、魂呼びか、どちらにせよある種楽器として使用したようです。

 また、『古代・中世の信濃社会』(塚本学先生退官記念論文集 銀河書房)によると、古くは使者が梓の木の杖を持ち、梓の木には人(女性)と心を通じることができるという、属性を持っていたようです。このようなことからこの梓弓には黄泉への響きがあるのかも知れません。ですから

 この梓弓については、さらに「葬送の響き・梓弓(あづさゆみ)・述語の世界」というブログをアップしてあります。 そこでの言及に重複するかもしれませんが 葬送の響き=黄泉への響き について書きたいと思います。

 日本語で人が死んだ時に「息を引き取る」という言葉を使う話をしました。再度の内容になりますが、魂の行方にもつながる話ですので再度このことについて言及したいと思います。

「息を引き取る」

という言葉は

 「息を」+「引き取る」

です。呼吸をしなくなり亡くなった死者の状態を示しています。通常「引き取る」というと主体である自己がそれを受け取ることを意味し、他人が受ければ「引き取った」という言葉になります。

 この「引き取る」という現代の使われ方には、自己と他者が存在しています。そしてそこには「何を引き取るのか」が念頭にありそれは「もの」であるはずです。

「もの」が上記の「息」となると引き取り先が宙に浮いてしまいます。「息」とは身体の生理的現象ですからその意味は明白です。そうすると「引き取る(ヒキトル)」という言葉自体に特別な意味があるように思うのが自然で、そこで古語を調べてみます。

今回使用するのは岩波の古語辞典です。そこには次のように解説されています。

ひきと・り【引き取り】《四段》
 1 手前に引き寄せて取る。
 2 引っ張って奪い取る。
 3 自分の方にひきうける。
 4 息が絶える。死ぬ。
 5 「弾き取り」弾き方を会得する。教え通りに弾けるようになる。

となっています。
 この四番目の「息が絶える。死ぬ。」そして五番目の「弾き方を会得する。教え通りに弾けるようになる。」の意味があり、やまと言葉の「ひきとり」の語感にはこの両義性の感覚的な意味が重なっているようです。

 上記には万葉集の海上女王の歌を紹介しましたが、葬送の有名な万葉集歌は、志貴皇子(志貴親王)の薨(みまか)りに関わる葬儀の時の歌です。
 
 梓弓 手に取り持ちて 大夫(ますらを)の 得物矢(さ・つ・や)手ばさみ 立ち向ふ ・・・・・・・・(巻2-230)
 
笠金村(かさのかなむら)の作です。一般的にこの部分は
 
 梓で作った弓を手に持ってますらおが、猟に用いる矢を手に挾み、・・・・・・・・
 
意訳されます。※ 今回は『万葉秀歌』(久松潜一著 講談社学術文庫 p357)

 この歌は、志貴皇子の田原西陵で行われた葬送の儀式を詠った歌です。奈良にも八子の高円山の東方にあり、高円山は古代は、高的山(たかまとやま)で狩場でしたので、その様子を「梓弓を挾み」とするのが通常ですが、万葉学者の犬養孝先生は『万葉集CD』でますらお達は弦を弾き鳴らしたに違いないと解説されていました。

 全員で「ブンブン」と弾き鳴らし死者を送るのです。地のそこから湧き出る、空間から湧き出るそんな響きがあります。

 この梓弓も「あづさゆみ」「あずさゆみ」の両方の読み方があります。「私たちは素人集団。こだわらなくていいのでは」という話で、私も最近このようにおもいます。要するに日本語は音の響きなのですから。

 どこの国にも葬送の音楽があるわけで、今回の東日本大震災に関連してもたくさんのコンサートが開催されています。

 今日のブログは地区の防災講習会、安曇野サミット、そして「魂の行方と響き」について書きました。

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魂の風景・白雲、煙、霧、朧、霞・・・(2)

2011年09月24日 | 文藝

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 Eテレでは、9月18日「俳句」という番組がありました。兼題に「霧または自由」」でゲストにフランス文学者・作家・ファーブル昆虫館館長奥本大三郎さんを招いて視聴者からの俳句が紹介されていました。

 番組では選者の高野ムツオにより入選9句が紹介され、古語的な意味合いの「霧」ということだけではなく、現代にも生きる「霧」であることがよく分かる俳句でした。

<入選9句>







以上の9句なのですが、次の入選句の3句が個人的に印象深かったので紹介したいと思います。

この句について講師の高野ムツオ先生の解説とゲストの奥本大三郎さんとの間に次のようなやり取りがありました。

【高野ムツオ】
 病院でも自宅でもいいのですが、これは作者が大切な人の臨終に立ち会っている、そういう場面と読みました。多分作者が長い間看病して来られたんでしょうね。もう間もなくと言われた其の時に霧が立ちこめてきたんですね。この霧は亡くなった人を迎えに来てくれたんだな、安らかな死がもたらされるように・・・・・・そんなふうに思っている作者の悲しみそれから愛情が感じられる俳句です。
 
【奥本大三郎】
 先生。本人が自宅で死にたいと言って、車で運ばれて家に来る。それを作者が出迎えようとしたら朝霧が立ちこめていた、と読んだらダメでしょうか?
 
【高野ムツオ】
 なるほど、迎えるのは作者ですね。この句は「朝霧や」で切れていますから、ここで切った場合には主語は迎える作者。作者であるということは、実は俳句では基本的な読み方なんですよ。ですから私の読みよりも奥本さんの読みの方が正しいかもしれません。

このお二人の言葉のやり取りに、読みの深さに「俳句」31音の世界を見たような気がしました。

 次にこの句です。



「霧襖」という言葉。この言葉は俳句独特のようです。

 高野ムツオ先生は「霧が閉じこもるように、辺り一面に建てている、そんな意味に感じていただければいい」と述べ、「摩周湖自身が自ら(霧を)たてて、静かに眠っているんだ。人間どもよ邪魔するなよ。と言っているような句」と説明されていました。

 霧の摩周湖を想起してみると、霧自身が生き物のようにそこに居る、主体として存在するという新鮮な感覚を得ました。

 最後にこの句です。

【高野ムツオ】
 これは山深い一軒家でしょうね。朝起きて雨戸をあけた。途端に濃い霧がドンドン家の中に入ってきて、奥の大切な仏壇まで立ちこめたというそういう驚き、山深さ、山の生活感も感じられる句です。

と解説され、奥本大三郎さんが続けて、

【奥本大三郎】
 霧に乗って仏壇に挨拶に来た・・手を合わせに・・・とそんな感じがしますね。

【高野ムツオ】
 朝家の人の人と同じように、霧もやって来て手を合わせて挨拶をしている。なるほどなかなか魅力的な読み方ですね。

という話になりました。
 この俳句は、古語的な世界観で「霧」を見ると常世へ棚引き、常世へ靡く煙で、また無境界の同時場とみれば非常に幽玄の世界を感じます。

 霧は出ていませんでしたが、お彼岸の中日で昨日檀家寺にある私の父と母の墓にお参りに行ってきました。花を供え、線香を供え般若心経を唱えてきたのですが、般若心経は響き渡る、参ることは自分への供養もなったように思いました。

 常世があるのか無いのかは大きな問題ではないと私自身は思っています。それよりも無境界のおぼろげな世界とのつながり、魂の風景を感じたいものです。

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魂の風景・白雲、煙、霧、朧、霞・・・(1)

2011年09月24日 | 文藝

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最近の万葉集の歌で大伴三中の、

 昨日こそ
 君はありしか
 思わぬに
 浜松の上に
 雲にたなびく
  (巻3-444)

 西暦729年、若い役人が多忙のあまり、みずから命をたった。そのことを先輩の役人が悲哀の念で詠んだ長歌につけられた反歌です。

 直近のブログで色彩の話をしましたが、雲にたなびくの雲は白雲に違いなく、土屋文明先生は、「雲棚引」の万葉仮名を「くもとたなびく」とし、「火葬された其の煙が・・・であろう」と語釈し「雲となってたなびく」と意訳しています(『萬葉集私註二p222)』。

 万葉集巻9-1740高橋虫麻呂歌集に次の歌があります(『万葉集(二)』中西進著講談社文庫使用)。

 春の日の 霞(かす)める時に 墨吉(すみのえ)の
 岸に出でゐて 釣船の とをらふ見れば 古の
 事そ思ほゆる 水江の 浦島の子が 堅魚釣り
 鯛釣り矜(ほこ)り 七日まで 家にも来ずて
 海界(うなさか)を 過ぎて漕ぎ行くに 海若(わたつみ)の
 神の女に たまさかに い漕ぎ向ひ 相誂(あひあとら)ひ
 こと成りしかば かき結び 常世に至り 海若の 神の宮の
 内の重の 妙なる殿に 携(たづさ)はり 二人入り居て
 老もせず 死にもせずして 永き世に ありけかものを
 世の中の 愚人の 吾妹(わぎも)子に 告げて語らく
 須臾(しましく)は 家に帰りて 父母に 事も告らひ
 明日のごと われは来なむと 言ひければ 妹がいへらく
 常世辺(とこよへ)に また帰り来て 今のごと 逢はむとならば
 この篋(くしげげ) 開くなゆめと そこらくに 
 堅めし言を 墨吉に 還り来りて 家見れど 家も見かねて
 里見れど 里も見かねて 恠(あや)しみと そこに思はく
 家ゆ出でて 三歳(みとせ)の間に 垣も無く 家滅(う)せめやと
 この箱を開きて見れば もとの如(ごと) 家はあらむと
 玉篋(たまくしげ) 少し開くに 白雲の 箱より出でて 
 常世辺に 棚引きぬれば 立ち走り 叫び袖振り 
 反側(こいまろ)び 足ずりしつつ たちまちに 情消失せぬ
 若かりし 膚も皺みぬ 黒かりし 髪も白けぬ ゆなゆなは
 命死にける 水江の 浦島の子が 家地(いえところ)見ゆ

<意訳>
 春の日が霞んでいる時に、住吉の岸に出て腰をおろし、釣船が波に見え隠れするのを見ていると、昔の事が思われて来る。----水江の浦島の子が、堅魚を釣り鯛を釣り心勇んで七日の間も家に帰って来ず、海の境も通りすぎて漕いで行くと、海の神の少女に、思いがけず漕ぎ合い、求婚しあって事は成就したので、契りかわして常世に至り、海神の宮の中の幾重にも囲まれたりっぱな宮殿に、手を携えて二人で入り、老いることも死ぬこともなく、永遠に生きることとなった。ところが、この世の中の愚人である浦島が、妻に告けていうには「しばらく家に帰って父母に事情を告げ、明日にでも帰って来よう」といったので、妻のいうことには 「永久の世にまた帰って釆て、今のように逢っていようと思ったなら、この箱をけっして開けないでください」といった。強く約束したことばだったが、住吉に帰って来て、家を見ても家は見あたらず、里を見ても里は見られなかったので、ふしぎがり、そこで考えることには「家を抜け出してたった三年間の間に、垣根もなく家もなくなることなどどうしてあろう」と考え、「この箱を開いて見たら元どおりに家はあるのだろう」とて玉篋を少し開くと、白雲が箱から立ちのぼり、常世の方に靡(なび)いていったので、浦島は驚いて、立ち上がり走りまわり、大声に叫び袖を振り、ころげ廻り足ずりをしたが忽ちに人心地を失ってしまった。若々しかった肌も皺がより、黒々としていた髪も白く変わってしまった。やがて後々には息さえ絶えてしまって、最後にはついに命もおわってしまった。----その水江の浦島の子の家のあったところが目に浮かんで来る。

という話であの浦島太郎の話です。注目したいのは「白雲の 箱より出でて 常世辺に 棚引きぬれば」です。

 最初の万葉集歌とこの浦島太郎の歌に登場するこの白雲、白い煙というものは人の命とのかかわりがあることが分かります。

 見上げるものとして、自分に関わるものとしての存在、自分を中心に置けば自他とのかかわりのあるものです。それが密接に命とかかわるものです。

 この点について高橋虫麻呂の歌浦島太郎の歌について、万葉学者中西進先生はつぎのように語っています。

<引用『詩心-永遠なるものへ』(中公新書)から>
【白雲といのち、そして煙】

 有名な浦島太郎の話は『万葉集』にも見える。「白雲の 箱より出でて 常世辺に 棚引きぬれば」はその一節で、太郎が乙姫さまからもらってきた玉手箱をあけると、煙が箱から立ちのぼって、太郎がみるみるおじいさんになったという、誰でも知っている部分である。
                                         もっとも『万葉集』では太郎だの乙姫さまだのという名前ではない。それぞれ浦島子、海神の娘とよばれる。また、玉手箱も玉篋、煙も白雲が出たとなっている。
 さて、そこで煙や白雲が出たら、どうして浦島は年をとってしまうのか。
                                         箱の中に入っていたのは竜宮城(これまた『万葉集』では常世とよばれる)の空気で、その空気の中にいさえすれば、いつでも戻ることができると考えていたらしい。万葉びとは、人間の呼吸が天上の雲や霧になると考えていたから、雲は呼吸そのものだった。呼吸、つまり息をすることが生きることだったから、けっきょく雲はいのちとひとしい。雲がなくなると、いのちもなくなる勘定である。

 そう考えると、すぐ連想されることがある。いまわれわれは仏前にお線香をあげる。大きなお寺にいくと、大きな香炉が据えられていて、そこにたくさんお線香があげられている。

 人びとはお線香をあげては、煙を体にしみ込ませて、無病息災を願う。
 なぜこんなことをするのか。この場合の煙もさっきの浦島と同じで、煙はいのちそのものなのだ。もちろん仏さまのいのちである。

 沖縄では聖所に必ず香炉をおき、香を焚く。その煙の中にカミがおりてくると考えるからだ。仏前の香の煙も、仏さまの依り代なのである。
 おそらく煙はこの世とあの世をつなぐものであろう。だから煙をつたって人間のいのちとカミのいのちとが通い合う。煙はあの世へと漂っていく。万葉の歌で、まさに煙が 「常世辺に 棚引」いたといっているとおりである。
 
<以上上記書p50~p51から>

 ここでまた「霧」のことが浮かぶ、岩波古語辞典の名詞解釈には、

 息吹。神話の世界では、息と霧は同じものとされ、生命の根源とみられていた。

と説明され日本書紀神代上の例、

 息吹のさ霧に成りませる神の御名は田霧姫命

と、万葉集巻5-799山上憶良の歌、

 大野山 
 霧立わたる
 わが嘆く
 息嘯(おきそ)の風に
 霧立わたる

<意訳>
 大野山には霧が立ちこめる。わが嘆きの息の風によって霧が立ちこめる。

 白雲棚引く、常世へ靡く煙・・・霧も命とのかかわりを持つ。個人的に霧のある風景がとても好きでこれまでに霧のある風景について書き、また霧から思考することで次のようなブログを書いてきました。

やまと言葉の世界観・霧・キリ・擬態語[2010年04月29日]
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/dabc4c1fa0bd8c3f22c859ad6ee1a350
 
安曇野の風景・霧と早春賦碑の桜[2010年04月13日]
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/bb5652672ba8a0cf360045fd9dd0b642
 
霧の安曇野風景[2009年12月05日]
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/1f9b745e7e914933f3309ba1931a36ff
 
マザーテレサの言葉・偶然と必然の思考[2010年11月07日]
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/8afed74f8cae67bce469a367e21591de

霧の道祖神のある風景・NHK連続テレビ小説”おひさま ”[2011年04月21日]
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/2f91f04b4aa2bb0c0d63c1025c2daaaa


上記の浦島太郎の話の中で中西先生は、

 沖縄では聖所に必ず香炉をおき、香を焚く。その煙の中にカミがおりてくると考えるからだ。仏前の香の煙も、仏さまの依り代なのである。
 おそらく煙はこの世とあの世をつなぐものであろう。だから煙をつたって人間のいのちとカミのいのちとが通い合う。煙はあの世へと漂っていく。万葉の歌で、まさに煙が 「常世辺に 棚引いた」といっているとおりである。

 白雲、煙、霧と話を進めあの世との関係を見てきました。このような霧に包まれた世界は、やまと言葉には「おぼろ(朧)」という言葉もあります。現在では「おぼろげな記憶」などと表現し、曖昧な記憶を意味します。

 現在普通に使われる「おぼろげ」は「おぼろ(朧)」と「け(様子)」の複合語で江戸初期までは「おぼろけ」と清音で発音したようです(岩波古語辞典)。

 この朧は「朧月」「朧月夜」などという言葉があり、

 春の夜のかすんだ月、その夜。

のことを言います。ここにまた(かすんだ)という言葉が出てきましたが、これはすなわち「かすみ(霞)」のことで、平安時代以後は、春は霞、秋は霧とされていて、上代では春だけでなく、秋にも霞と言ったようです(岩波古語辞典)。

 この霞に注目し「魂の風景」について語った人がいます。日本の文明批評をされていた方で政治学者森本哲郎先生(1925年10月13日 -~)がおられます。森本先生の著作集に『ことばの旅(全4)』(ダイアモンド社)があり第4集に「魂の風景について」と題し、

 菜の花畠に、入日薄れ、見わたす山の端(は)、霞ふかし。・・・・

という歌詞のかつての文部省唱歌の曲の「霞」に注目し日本人の内にもつ世界観を述べています。外国での旅でであった霞の風景と重ねながら語っています。その中から次の文章を紹介したいと思います。

<引用上記書『ことばの旅第4集』「魂の風景について」から>

・・・・・日本人は、春と秋とを問わず、おぼろなるもの、ほのかなるもの、かすむ風情、霧立ちのばる情景、こういった不分明の世界を、こよなく愛する民族と言ってもよさそうです。

 なぜなのでしょうか。さきにも述べたように、おぼろの世界は、そのなかに自分を優しくつつみこんでくれるからです。孤独な「自分」を、そっとかくしてくれるからです。そして、寂レさに耐えられない「私」を、世界にとけこませてくれるからです。日本人は、なぜかあからさまなことをきらいます。あからさまなものは風情がない、と考えるのです。

あまりにも、はっきりしているものは味気ないと感じるのです。それでは身の置きどころがない、とさえ思います。日本人が心やすらぐのは、曖曖(あいあい)とした風景、ほのぼのとした詩境、かくれようと思えば、いつでもかくれることができ、まぎれこむことができ、とけこむことができる、そういうおぼろの世界です。

 そう言えは、かつて日本人は死ぬことも、かくれることと考えていました。
 謀反の罪に問われ、わずか二十四歳で非業の死をとげた大津皇子が「磐余の池の陂(つつみ)にして涕(なみだ)流して作りませる歌一首」が『万葉集』に収められていますが、その歌。

 百伝ふ
 磐余の池に
 鳴く鴨を
 今日のみ見てや
 雲隠りなむ

 ああ、磐余の池に鳴く鴨を見るのも、きょうかぎり、自分は死んでゆかなければならない、という悲痛な歌ですが、ここには、死ぬということが「雲隠る」、すなわち、雲にかくれる、と表現されています。日本人は、死ぬことさえ、おばろの世界にまぎれこむかのように表象していたのです。

たしかに、そう考えれば、死もそれほどおそろしくありません。心やすらかに受け入れることができます。しかも、そのおばろの世界は、はっきりと識別することのできない世界ですから、どのようにも想像することができます。雲に隠れる---その雲のなかには、慈愛にみちあふれた菩薩が、両手をひろげて待っていてくれるかもしれないではありませんか。おぼろの世界の奥には、どんな浄土がひろがっているかもしれないのです。・・・・・

・・・・・ こうした日本人のおぼろの美学、魂の風景を、だれよりも見事に論じたのは、清少納言でした。だれもが知っている『枕草子』 の冒頭のあのことばです。

  春は、あけぼの。夏は、夜。秋は、夕暮れ。冬は、つとめて・・・・・・・。

 なぜなら、春のあけぼのは、「やうやう白くなりゆく、山ぎはすこし明りて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる」景色がじつに美しく、夏の夜は、螢がひとつ、ふたつ、ほのかに光ってとんでゆくさまがこころよく、秋の夕暮れは、日が落ちて、風の音、虫の音が、かぼそくきこえてくる風情が筆につくしがたく、つとめて冬の早朝は、雪、あるいは霜のほの白さが何とも言えないからです。

彼女がここにあげた四季のなかのいちばん心をとらえる風景は、なんと、ひとしなみに、ほのかな世界であり、おぼろの世界であり、曖曖たる世界ではありませんか。

 その詩情は、いまの私たちのなかにも、そのまま生きつづけています。そして、それが生きつづけるかぎり、「菜の花畠に、入日薄れ」という唱歌は、日本でいつまでもうたいつがれてゆくにちがいないと私は思います。

<以上上記著>

上記の唱歌はほとんど詠われなくなったのではないでしょうか。森本先生の話はまた視点を変えて、何かを教えてくれます。

 白雲、煙、霧、朧、霞・・・

この無境界ともいえる世界です。そっこにまた魂の風景を見ることができるように思います。

 

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色彩の一日

2011年09月23日 | ことば

[思考] ブログ村キーワード

 夜がしらじら開けてきます。いわゆる朝になるわけですが、やまと言葉では「夜やうやくあけ白むほどに・・・」で「白む」は明るくなる、白っぽくなることを意味します。明るくないと色彩はわからず明るくなると森羅万象の入が見えてきます。

 きのうの朝通勤時間帯にラジオから ニッポン放送の「鈴木杏樹のいってらっしゃい」が聞こえてきました。時々聞くこの番組今週は「やまと言葉」についての話で、きのうの朝は「色」についての話でした。

 そもそも色の名前ですが日本語の古代には、色の名は「赤」「青」「黒」「白」の四つの色に対する言葉しかなかったようです。では他の色はどう表現していたかと言うと、今では誰でも「オレンジ色」表現し共通の認識場所に立てるように物の色で表現していたということです。橙色(だいだい・いろ)山吹色、黄金色そして鳶色(とび・いろ)などは鳥の鳶の羽の色です。

 このような色彩の世界は哲学の世界では色彩論ということで当然古代ギリシャの時代から論議されています。哲学の色彩論はニュートンなどもプリズムによる三原色話があり有名ですが最も有名なのはゲーテ色彩論、しかしそのもととなる考え方はアリストテレスの色彩論から始まるようです。

 万葉集には出てくる「紫」は、紫草の紫で、紫草の根は赤紫色の染料となります。染料と言うと染色ですが、今の紫草の根の話も含めアリストテレスは、「染色されるものは、その色を染色剤から受けとる。染色剤としては、たとえば花、根、樹の河や髄、葉、果実。次は土、水の泡や金属から浸みでた汁。動物の体液によっても染色されることは、紫貝によって染められることによってみられる」と述べていて紫貝による染色は実際現代も日本の染色の中にありテレビで見たことがあります。

 私はテレビ好き人間で見ない日はほとんどありません。ということで昨夜も番組を見ているとEテレの「トラッドジャパン 」でこの色についての話がありました。

言葉の違いの裏側にある文化の違いを話題にするということで昨夜のテーマは「明るいとLight」でした。

<解説内容>

 日本語でも英語でも明るさをあらわす言葉は、色と表す言葉と深い関係があります。しかしその関係のありようには、日・英では大きな違いがあります。

 日本語の明るいというという言葉は、色の名前の「赤」と近しい関係にあります。赤は古くは光の感覚を示す言葉で「明るい」の古語である「明かし」と同種の言葉だと言われています。

 そして、これと対になるのが「暗い」という言葉で、それと近しいのが「黒」です。黒も元々は光の感覚と結びついていて「暗い状態」をあらわす言葉でした。

 一方英語で「明るい」「暗い」の対に当たるのは「light]と「daruk」と言えるでしょう。しかし色との関係は日本語の場合と大きく異なります。[light」は、色そのものというよりも「色が淡い」「薄い」という意味で使われることが多く、例えば「light bulue(ライトブルー)」と言うと水色になります。また、「dark」は「色が深い」とか「色が濃い」と言った意味でよく使われます。



[dark blue」と言えば紺色のような暗い青になります。つま「light」「darku」は淡い濃いという色の濃淡とより強く関係しているのです。

 

では逆に濃淡をあらわす「light」「darku」に当たる日本語は何かと考えてみるとそれに近いのは「青」と「白」の対だろうと思います。日本語では元々赤・黒・白・青の四つが色彩を表わす基本的な言葉でした。そして白は「ハッキリ見える」という意味の「徴し(しる・し)」という言葉からきており、目だつハッキリとした色を表わしていました。

一方「青」は「バクゼン」とした鈍い色を表わしていました。つまり「赤」と「黒」の対は明るさを、「白」と「青」の対は濃淡を表し、この組み合わせで色を認識していたわけです。

 「明るい」と「light」・・・こうした基本的な言葉の中にこそ文化の違いが隠れていてとても興味深いと思います。

<以上>

という話が語られていたわけですが大変勉強になりました。このいろについては認知額とも関係してきて、「色相対比」「明度対比」「彩度対比」また同化現象という話になるとさらに面白い世界が広がります。

ということで色に始まり色に終わる一日でした。

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玉響の観照

2011年09月22日 | ことば

[思考] ブログ村キーワード

 哲学者のパトス(感情的・熱情的な精神)をプラトンは驚異の念・驚きの感情(thaumazein・タウマゼイン)と言い、哲学の根源を意味するのだそうです。物事に感動するとき、そっと自分を見つめれば「なぜ」の問いを持っています。

 劉偉という人物の姿に、また語る言葉に感動しました。決して難しい言葉を語っているわけではありませんが、その身体からにじみ出る言葉に聖人以上の説得力を感じます。

 聖人の言葉は、言葉そのものですが、身体からにじみでる言葉には驚異の念を持たざるを得ません。

 説得ある言葉とは、身体からにじみ出る語りの中に、受ける側が観照するように思います。この観照という言葉は「本質を見極める」という意味がありますが、古代ギリシャのプロティノスの『自然、観照、一者について』(世界の名著 中央公論社)の冒頭にこの観照という言葉について次のように語っています。

「この世の中のものは、理性的な生きものばかりでなく、理性をもたない生きものも植物の生命(ピユシス)も、またこれらをはぐくむ大地も、すべてが<観照(テオリア)>を求め、これを目指している。そして、すべてはその本性の許す範囲で精一杯の観照をおこない、その成果を収めている。ただし、それぞれの観照の仕方や成果にはちがいがあり、或るものの観照は真実を得ているが、別の或るものの観照は、真実の模像もしくは影を得ているにすぎない」

この文章の注釈を見ますとと。

<註釈>
 この「観照」は、自分より上位のもの・すぐれたものを「観る」こと。プロティノスにおいては、すべては「一者」より直接的もしくは間接的生れたのである。したがって、すべては自分の生みの親である一者を慕い求めるわけであるが、これが(生みの親を)「観る」という働きになってあらわれるのであって、下位のものは上位のものを観ることによって、その生命を得ているのである。

 前回のブログ「母の自慢の息子」という中国の両腕のないピアニスト劉偉さんの話を紹介しましたが、その中に書いた劉さんお言葉、

【劉偉】
 僕の人生には二つの道がありました。
 一つは死んだように生きる。
 もう一つは死にものぐるいで光輝く。
 ピアノは手で弾かなければならないなんて誰も言ってません。

【劉偉】
 僕は誰に強制された訳でもなくただ自分の好きなことを黙々とやった。
 それだけですよ。

【劉偉】
 人生を悲しいと思えば悲しくなるし、
 楽しく生きようと思えば楽しくなる。
 それだけです。
 僕はいつも幸せです。
 
【劉偉】
 いつも心に理想を持っていれば希望が湧いてきます。
 苦しい時こそ希望を忘れないでください。 

というこれ等の言葉、単純な言葉の組み合わせでありながら、賢者と称する人たちの言葉以上に観照を得る言葉に思います。

 上記の注釈にある、

<・・・これが(生みの親を)「観る」という働きになってあらわれるのであって、下位のものは上位のものを観ることによって、その生命を得ているのである。>

一連の我が心に響く感動はまさにこの「観る」働きであり、命を得たように思います。

 再三身体(からだ)からにじみ出る、・・・言葉的には刺激的ですが・・・「肉」からにじみ出るような直接的な視点を定める意識以前の、本能的な求め、あるいは発動に促されて、真に心に響いているように思うのです。心とは何ぞやということになるのですが、自己と他者の間主観性の極みのように思うのです。

 朝からわけのわからない表現をしているのですが、単なる物好きな一個人の独白、自らに語っている話です。

 毎日は淡々と過ぎ、時代の玉響(たまゆら)でしかない我が身ですが、本当に摩訶不思議にいろいろな観照の機会に遭遇します。

 玉響の観照とでも言ったところです。

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