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最近の万葉集の歌で大伴三中の、
昨日こそ
君はありしか
思わぬに
浜松の上に
雲にたなびく
(巻3-444)
西暦729年、若い役人が多忙のあまり、みずから命をたった。そのことを先輩の役人が悲哀の念で詠んだ長歌につけられた反歌です。
直近のブログで色彩の話をしましたが、雲にたなびくの雲は白雲に違いなく、土屋文明先生は、「雲棚引」の万葉仮名を「くもとたなびく」とし、「火葬された其の煙が・・・であろう」と語釈し「雲となってたなびく」と意訳しています(『萬葉集私註二p222)』。
万葉集巻9-1740高橋虫麻呂歌集に次の歌があります(『万葉集(二)』中西進著講談社文庫使用)。
春の日の 霞(かす)める時に 墨吉(すみのえ)の
岸に出でゐて 釣船の とをらふ見れば 古の
事そ思ほゆる 水江の 浦島の子が 堅魚釣り
鯛釣り矜(ほこ)り 七日まで 家にも来ずて
海界(うなさか)を 過ぎて漕ぎ行くに 海若(わたつみ)の
神の女に たまさかに い漕ぎ向ひ 相誂(あひあとら)ひ
こと成りしかば かき結び 常世に至り 海若の 神の宮の
内の重の 妙なる殿に 携(たづさ)はり 二人入り居て
老もせず 死にもせずして 永き世に ありけかものを
世の中の 愚人の 吾妹(わぎも)子に 告げて語らく
須臾(しましく)は 家に帰りて 父母に 事も告らひ
明日のごと われは来なむと 言ひければ 妹がいへらく
常世辺(とこよへ)に また帰り来て 今のごと 逢はむとならば
この篋(くしげげ) 開くなゆめと そこらくに
堅めし言を 墨吉に 還り来りて 家見れど 家も見かねて
里見れど 里も見かねて 恠(あや)しみと そこに思はく
家ゆ出でて 三歳(みとせ)の間に 垣も無く 家滅(う)せめやと
この箱を開きて見れば もとの如(ごと) 家はあらむと
玉篋(たまくしげ) 少し開くに 白雲の 箱より出でて
常世辺に 棚引きぬれば 立ち走り 叫び袖振り
反側(こいまろ)び 足ずりしつつ たちまちに 情消失せぬ
若かりし 膚も皺みぬ 黒かりし 髪も白けぬ ゆなゆなは
命死にける 水江の 浦島の子が 家地(いえところ)見ゆ
<意訳>
春の日が霞んでいる時に、住吉の岸に出て腰をおろし、釣船が波に見え隠れするのを見ていると、昔の事が思われて来る。----水江の浦島の子が、堅魚を釣り鯛を釣り心勇んで七日の間も家に帰って来ず、海の境も通りすぎて漕いで行くと、海の神の少女に、思いがけず漕ぎ合い、求婚しあって事は成就したので、契りかわして常世に至り、海神の宮の中の幾重にも囲まれたりっぱな宮殿に、手を携えて二人で入り、老いることも死ぬこともなく、永遠に生きることとなった。ところが、この世の中の愚人である浦島が、妻に告けていうには「しばらく家に帰って父母に事情を告げ、明日にでも帰って来よう」といったので、妻のいうことには 「永久の世にまた帰って釆て、今のように逢っていようと思ったなら、この箱をけっして開けないでください」といった。強く約束したことばだったが、住吉に帰って来て、家を見ても家は見あたらず、里を見ても里は見られなかったので、ふしぎがり、そこで考えることには「家を抜け出してたった三年間の間に、垣根もなく家もなくなることなどどうしてあろう」と考え、「この箱を開いて見たら元どおりに家はあるのだろう」とて玉篋を少し開くと、白雲が箱から立ちのぼり、常世の方に靡(なび)いていったので、浦島は驚いて、立ち上がり走りまわり、大声に叫び袖を振り、ころげ廻り足ずりをしたが忽ちに人心地を失ってしまった。若々しかった肌も皺がより、黒々としていた髪も白く変わってしまった。やがて後々には息さえ絶えてしまって、最後にはついに命もおわってしまった。----その水江の浦島の子の家のあったところが目に浮かんで来る。
という話であの浦島太郎の話です。注目したいのは「白雲の 箱より出でて 常世辺に 棚引きぬれば」です。
最初の万葉集歌とこの浦島太郎の歌に登場するこの白雲、白い煙というものは人の命とのかかわりがあることが分かります。
見上げるものとして、自分に関わるものとしての存在、自分を中心に置けば自他とのかかわりのあるものです。それが密接に命とかかわるものです。
この点について高橋虫麻呂の歌浦島太郎の歌について、万葉学者中西進先生はつぎのように語っています。
<引用『詩心-永遠なるものへ』(中公新書)から>
【白雲といのち、そして煙】
有名な浦島太郎の話は『万葉集』にも見える。「白雲の 箱より出でて 常世辺に 棚引きぬれば」はその一節で、太郎が乙姫さまからもらってきた玉手箱をあけると、煙が箱から立ちのぼって、太郎がみるみるおじいさんになったという、誰でも知っている部分である。
もっとも『万葉集』では太郎だの乙姫さまだのという名前ではない。それぞれ浦島子、海神の娘とよばれる。また、玉手箱も玉篋、煙も白雲が出たとなっている。
さて、そこで煙や白雲が出たら、どうして浦島は年をとってしまうのか。
箱の中に入っていたのは竜宮城(これまた『万葉集』では常世とよばれる)の空気で、その空気の中にいさえすれば、いつでも戻ることができると考えていたらしい。万葉びとは、人間の呼吸が天上の雲や霧になると考えていたから、雲は呼吸そのものだった。呼吸、つまり息をすることが生きることだったから、けっきょく雲はいのちとひとしい。雲がなくなると、いのちもなくなる勘定である。
そう考えると、すぐ連想されることがある。いまわれわれは仏前にお線香をあげる。大きなお寺にいくと、大きな香炉が据えられていて、そこにたくさんお線香があげられている。
人びとはお線香をあげては、煙を体にしみ込ませて、無病息災を願う。
なぜこんなことをするのか。この場合の煙もさっきの浦島と同じで、煙はいのちそのものなのだ。もちろん仏さまのいのちである。
沖縄では聖所に必ず香炉をおき、香を焚く。その煙の中にカミがおりてくると考えるからだ。仏前の香の煙も、仏さまの依り代なのである。
おそらく煙はこの世とあの世をつなぐものであろう。だから煙をつたって人間のいのちとカミのいのちとが通い合う。煙はあの世へと漂っていく。万葉の歌で、まさに煙が 「常世辺に 棚引」いたといっているとおりである。
<以上上記書p50~p51から>
ここでまた「霧」のことが浮かぶ、岩波古語辞典の名詞解釈には、
息吹。神話の世界では、息と霧は同じものとされ、生命の根源とみられていた。
と説明され日本書紀神代上の例、
息吹のさ霧に成りませる神の御名は田霧姫命
と、万葉集巻5-799山上憶良の歌、
大野山
霧立わたる
わが嘆く
息嘯(おきそ)の風に
霧立わたる
<意訳>
大野山には霧が立ちこめる。わが嘆きの息の風によって霧が立ちこめる。
白雲棚引く、常世へ靡く煙・・・霧も命とのかかわりを持つ。個人的に霧のある風景がとても好きでこれまでに霧のある風景について書き、また霧から思考することで次のようなブログを書いてきました。
やまと言葉の世界観・霧・キリ・擬態語[2010年04月29日]
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/dabc4c1fa0bd8c3f22c859ad6ee1a350
安曇野の風景・霧と早春賦碑の桜[2010年04月13日]
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/bb5652672ba8a0cf360045fd9dd0b642
霧の安曇野風景[2009年12月05日]
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/1f9b745e7e914933f3309ba1931a36ff
マザーテレサの言葉・偶然と必然の思考[2010年11月07日]
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/8afed74f8cae67bce469a367e21591de
霧の道祖神のある風景・NHK連続テレビ小説”おひさま ”[2011年04月21日]
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/2f91f04b4aa2bb0c0d63c1025c2daaaa
上記の浦島太郎の話の中で中西先生は、
沖縄では聖所に必ず香炉をおき、香を焚く。その煙の中にカミがおりてくると考えるからだ。仏前の香の煙も、仏さまの依り代なのである。
おそらく煙はこの世とあの世をつなぐものであろう。だから煙をつたって人間のいのちとカミのいのちとが通い合う。煙はあの世へと漂っていく。万葉の歌で、まさに煙が 「常世辺に 棚引いた」といっているとおりである。
白雲、煙、霧と話を進めあの世との関係を見てきました。このような霧に包まれた世界は、やまと言葉には「おぼろ(朧)」という言葉もあります。現在では「おぼろげな記憶」などと表現し、曖昧な記憶を意味します。
現在普通に使われる「おぼろげ」は「おぼろ(朧)」と「け(様子)」の複合語で江戸初期までは「おぼろけ」と清音で発音したようです(岩波古語辞典)。
この朧は「朧月」「朧月夜」などという言葉があり、
春の夜のかすんだ月、その夜。
のことを言います。ここにまた(かすんだ)という言葉が出てきましたが、これはすなわち「かすみ(霞)」のことで、平安時代以後は、春は霞、秋は霧とされていて、上代では春だけでなく、秋にも霞と言ったようです(岩波古語辞典)。
この霞に注目し「魂の風景」について語った人がいます。日本の文明批評をされていた方で政治学者森本哲郎先生(1925年10月13日 -~)がおられます。森本先生の著作集に『ことばの旅(全4)』(ダイアモンド社)があり第4集に「魂の風景について」と題し、
菜の花畠に、入日薄れ、見わたす山の端(は)、霞ふかし。・・・・
という歌詞のかつての文部省唱歌の曲の「霞」に注目し日本人の内にもつ世界観を述べています。外国での旅でであった霞の風景と重ねながら語っています。その中から次の文章を紹介したいと思います。
<引用上記書『ことばの旅第4集』「魂の風景について」から>
・・・・・日本人は、春と秋とを問わず、おぼろなるもの、ほのかなるもの、かすむ風情、霧立ちのばる情景、こういった不分明の世界を、こよなく愛する民族と言ってもよさそうです。
なぜなのでしょうか。さきにも述べたように、おぼろの世界は、そのなかに自分を優しくつつみこんでくれるからです。孤独な「自分」を、そっとかくしてくれるからです。そして、寂レさに耐えられない「私」を、世界にとけこませてくれるからです。日本人は、なぜかあからさまなことをきらいます。あからさまなものは風情がない、と考えるのです。
あまりにも、はっきりしているものは味気ないと感じるのです。それでは身の置きどころがない、とさえ思います。日本人が心やすらぐのは、曖曖(あいあい)とした風景、ほのぼのとした詩境、かくれようと思えば、いつでもかくれることができ、まぎれこむことができ、とけこむことができる、そういうおぼろの世界です。
そう言えは、かつて日本人は死ぬことも、かくれることと考えていました。
謀反の罪に問われ、わずか二十四歳で非業の死をとげた大津皇子が「磐余の池の陂(つつみ)にして涕(なみだ)流して作りませる歌一首」が『万葉集』に収められていますが、その歌。
百伝ふ
磐余の池に
鳴く鴨を
今日のみ見てや
雲隠りなむ
ああ、磐余の池に鳴く鴨を見るのも、きょうかぎり、自分は死んでゆかなければならない、という悲痛な歌ですが、ここには、死ぬということが「雲隠る」、すなわち、雲にかくれる、と表現されています。日本人は、死ぬことさえ、おばろの世界にまぎれこむかのように表象していたのです。
たしかに、そう考えれば、死もそれほどおそろしくありません。心やすらかに受け入れることができます。しかも、そのおばろの世界は、はっきりと識別することのできない世界ですから、どのようにも想像することができます。雲に隠れる---その雲のなかには、慈愛にみちあふれた菩薩が、両手をひろげて待っていてくれるかもしれないではありませんか。おぼろの世界の奥には、どんな浄土がひろがっているかもしれないのです。・・・・・
・・・・・ こうした日本人のおぼろの美学、魂の風景を、だれよりも見事に論じたのは、清少納言でした。だれもが知っている『枕草子』 の冒頭のあのことばです。
春は、あけぼの。夏は、夜。秋は、夕暮れ。冬は、つとめて・・・・・・・。
なぜなら、春のあけぼのは、「やうやう白くなりゆく、山ぎはすこし明りて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる」景色がじつに美しく、夏の夜は、螢がひとつ、ふたつ、ほのかに光ってとんでゆくさまがこころよく、秋の夕暮れは、日が落ちて、風の音、虫の音が、かぼそくきこえてくる風情が筆につくしがたく、つとめて冬の早朝は、雪、あるいは霜のほの白さが何とも言えないからです。
彼女がここにあげた四季のなかのいちばん心をとらえる風景は、なんと、ひとしなみに、ほのかな世界であり、おぼろの世界であり、曖曖たる世界ではありませんか。
その詩情は、いまの私たちのなかにも、そのまま生きつづけています。そして、それが生きつづけるかぎり、「菜の花畠に、入日薄れ」という唱歌は、日本でいつまでもうたいつがれてゆくにちがいないと私は思います。
<以上上記著>
上記の唱歌はほとんど詠われなくなったのではないでしょうか。森本先生の話はまた視点を変えて、何かを教えてくれます。
白雲、煙、霧、朧、霞・・・
この無境界ともいえる世界です。そっこにまた魂の風景を見ることができるように思います。
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