人間は幸福のために創られているのだ。
幸福というものは、幸福それ自体のなかに。
自然な人間的欲求を満足させることのなかにあるのだ。
そしてすべての不幸は、不足ではなく過剰から生ずるのだ・・・
( Eテレ100分de名著トルストイの『戦争と平和』の最終回から)
Eテレ100分de名著トルストイの『戦争と平和』の最終回「本当の幸福を知る」はこの言葉から始まりました。
トルストイの作品には全く興味を持たずに生きてきた一人の人間として、非常にもったいのないことをしてきたものだと、また恥ずかしく思ってしまう。
「叙事詩」という視点とテキストには書かれていますが、思想というよりも哲学的問に対する一つの教示のような点が多々あり、哲学的思索の視点の張り方に感動します。
朗読者の俳優杉本哲太が次のように語り続けます。
「のう、若い衆、歎きなさんな」
彼は年を取ったロシアのおばあさんのような、あの情愛のこもった、歌うようなやさしさをこめて言った。
「歎きなさんな、あんた、我慢は一時、生きるは一生!そういうわけじゃよ、あんた。ここに暮らしていて、おかげさまで、腹の立つこともねえ。同じ人間さ。悪いやつもおれば、いいやつもおる。」
<農民出身の兵士で小柄なカラターエフ・カラターエフの言葉、ピエールはカラターエフについて次のように内心で語る>
彼の顔には小さな丸いしわがいくつもあったが、表情は無邪気で若々しかった。その声には気持ちの良い、歌うような調子があった。彼の話しぶりのおもな特徴は、素直さと的確さにあった。
「どの指かんでも痛さは同じ」
「約束は仕事の兄弟」
「汗した手は気前がいい、乾いた手は因業だ」
彼は話し好きで、自分で考え出したとピエールには思える愛称やことわざで、自分の言葉を飾りながら巧みに話をした。しかし、彼の話のいちばんの魅力は、彼の口にかかると、ごく平凡な出来事で、時にはピエールが見ていて気にもとめなかったような出来事が、荘重で端正な品格を帯びてくることだった。
<以上>
評論家の小林秀雄先生がご隠居という昔は身近にいたもの知り老人に言及していたことがありましたが、まさにご隠居という、普段は表には出てこないが、いざと言う時にはその存在感が十分に発揮されるの存在、農民兵士のカラターエフはそのような人に見えます。
講師の川端香男里東大名誉教授は、「ロシアの大地を体現した人物」と評していました。
番組では「カラターエフの言葉」として次の言葉がパネルで紹介されていました。
約束は仕事の兄弟
汗した手は気前がいい、乾いた手は因業だ
主よ、石のごとく寝かせ、パンのごとく起させたまえ
裁きのあるところにゃ、うそもある
どの指かんでも痛さは同じ
我慢は一時、生きるは一生
なかなか鋭い言葉です。番組冒頭の、
人間は幸福のために創られているのだ。
幸福というものは、幸福それ自体のなかに。
自然な人間的欲求を満足させることのなかにあるのだ。
そしてすべての不幸は、不足ではなく過剰から生ずるのだ・・・
という言葉もカラターエフの言葉もトルストイの語る言葉です。
フランス軍の捕虜になり極寒の中従軍させられるピエールの胸の内をトルストイが語る中で「自由」についてのくだりがあります。
拘束された環境下、裸の実存としての胸の内に生じてくる自由という概念。
「人間が幸福で完全に自由な状態であるという状態が存在しない以上、不幸で不自由な状態もあり得ないことを彼は知った。」
川端教授は、
捕虜の状態とは一種の極限状態ですから・・・・自由なんて一種の幻想みたいなもの・・・だからこれ以上の不幸で不自由なものもそういう意味ではないか・・・逆説的に言えば「捕虜生活の中でかえって自由を見いだす」というタフな神経。
と言われていましたが、どこかV・E・フランクルの態度価値にも通じるところがあります。
私が印象的に残り続ける言葉は「すべての不幸は、不足ではなく過剰から生ずるのだ」という言葉です。
過剰か過剰でないその均衡は、生活してきた体験経験から来るのだろうと思う。あるがままの状態で足る世界にあれば、福祉援助も想像外のこと。
アフリカの大地で今なお自然と共に生活している人々には福祉援助や外国からの救援は想定外の事柄、食料の枯渇するのは大地への祈りの足りなさで物語れる場合もあり、神の怒りであると物語られるかもしれません。
知ってしまった科学文明下にある私たちは、過剰から生ずる不幸を創造する、物語る・・・悪しき人間による行為、政治と・・・そのように物語ることで安心(正義だと自負)する。
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
は宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の中の言葉です。
今に生きて古きで考えるのも気が引けるのですが、便利さ快適さの中で過剰にある現在回帰することは不可能に思える。
よき未来を目指すには、
よき過去を積むことが必要である。
よき過去を積むには、
今を充実させることが肝心(かんじん)となる。
とは前回のブログに書いた言葉の一部ですが、
よき未来を目指す言葉を語る人は、
どんなよき過去を積んできたのだろうか。
語る人は、今現在の行動にどのような充実感で臨んでいるか。
「汗した手は気前がいい、乾いた手は因業だ」
カラターエフのこの言葉も考えれば深い。そういう輩をよく見ます。