これまでに万葉集内の東歌についてはいろいろと次のブログで語ってきました。
信濃路に見えてくるもの(2009年07月24日 歴史)
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さらす手作りさらさらに(2009年07月22日 | 古代精神史)
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万葉集と千曲川(2005年01月31日 古代精神史)
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その中の巻の14・3400の歌について書きたいと思います。
万葉学者で故人の犬養孝先生はPHPから出版されている『万葉のいぶき』本を出されていますしCDもあります。犬養先生はこの歌を「玉となる石」という名にし、この歌のもつ魂の移りについて熱く語っています。今もこの歌の解説を先生の声を肉声で聞くととても熱いものを感じます。
万葉集の歌は、関係する地方に記念碑として残されています。この「玉となる石」という歌は、歌に詠まれている川が長野県の東から北に流れる「千曲川」か、それとも松本市の東、美ヶ原から梓川に流れる(途中で田川、女鳥羽川と一緒になる)支流の薄川(すすきがわ)が「筑摩(つかま・ちくま)」地区を流れており古代からある川であることからこの「薄川」かで、意見が分かれ現在両方の川の岸辺に記念碑が建っています。
(写真:松本市筑摩の薄川河川敷にある記念碑)
薄川は、「白線流し」というテレビドラマに出ていた川でご存知の方もおられると思います。
千曲川を主張する人たちは、この記念碑を千曲市の上山田温泉の千曲川の堤防上に建てました。建立の際は犬養先生も出席され上山田温泉は観光の目玉の一つにしています。
(千曲市上山田温泉にある記念碑)
実は昨日から一泊二日でこの上山田温泉で同級会が開かれ、その際この記念碑を見学に行きましたので、上記著書の「玉となる石」というお話をそのまま引用し写真をそれぞれ紹介したいと思います。
この著書の内容は、ほとんど講演内容がほぼそのまま掲載されています。
<引用p19~p22>
玉となる石
人間には霊魂があると申します。昔の人は、霊魂というのは物につくと、いくらでも広がっていくと思った。ところが、昔の人だけではなく、われわれもまた、魂が物に触れて、いくらでも広がっていくことは、毎日毎日、気がつかないあいだに経験していることです。
一番わかりやすい例をいうと、たとえばサインのことを考えてごらんなさい。
「この本にサインしてください」とか、「手型を置いてください」ということは、まさに魂をつけることです。もしもサインにそういう意味がなかったら、自分で、例えば”芥川竜之介 ”って書いてもいいわけです。ところが、芥川竜之介のサインのある本が一万円して、サインのない本は千円だということはどういうことでしょう。やはり人間の魂がついているかいないかのちがいです。
『万葉集』の東歌(主として東国の民謡)にこんな歌があります。
しなの ちぐま さざれし
信濃なる 千曲の川の 紬石も
若し踏みてば 玉と拾はむ (巻十四--三四〇〇)
「信濃の千曲川の小石だっても、好きなあの方がお踏みになったのなら、美しい玉だわ、玉と思って拾いましょう」というんでしょ。石ころは石ころにすぎないのに、ただの石を宝石だと思って拾うというのは、ほんとうに素晴らしい人間の愛情だと思います。純情ですね、好きな男の踏んだ石を胸にかかえて大事にしているというのですから。
やはり人間の魂というものは、そういうふうに広がってゆく。また、広がってゆくような考え方をするところに、人間の心の厚みがあるわけです。
ところで、いつでしたか、朝のテレビ番組で、八十をすぎたおじいさんとおばあさんが初めて旅行をしたという話を見ました。
アナウンサーが、「どちらへいらっしやいましたか」と聞くと、鹿児島へ行ったというんです。息子が戦死した。それで息子の乗った飛行機が飛び立った最後のところを、一度、二人で行ってみたいと念願していた。
さて、鹿児島の南まで行ったら雨が降っていた。そしたらタクシーの運転手が、そういうことでしたら、おじいさん、おばあさん、どこまででもご案内しましょうと、飛行場につれて行ってくれた。かつて息子さんが飛び立った飛行場へです。
そしたらそこに忠歪塔のようなものがある。
おじいさんは、そこの石が欲しかった。思い出に持って帰りたかったけれど、公共のものだからと思って遠慮していたら、運転手さんが、「おじいさん、石持っていきませんか、息子さんが踏んだかもしれませんよ。」と。
「そうか、そういってくれるか、それじゃいただいていくか。」
といって、ハンカチにつつんで持ってかえった。
スタジオで、おばあさんが、「ここに持ってきております。」と手をふるわせてその石を出されるでしょう。私はご飯を食べながら見ていて、こんどは涙がとめどもなく出てきて、どうすることもできなくなりました。テレビに出ている他の人も、アナウンサーも、もう鼻声になって泣いているんです。
あれは、何でもないただの石です。その石がそれだけの人を泣かせるんですね・・・・・。
やっぱりこれは、人間の霊魂というものは、物につくということだと思います。そのもっともよい例です。それを何でもないさ、ばかなヤツだな、ただの石じゃないかという人があるかもしれない。たしかに石ころにすぎない。ところが、石を石ではなく命にみるところに人間の心の厚みがあるんです。その心をぬきにしては、万葉の歌はぜんぜん理解できないと思います。
<引用終わり>
私自身は、歌に詠われている川は「千曲川」であるという説に賛成です。犬養先生は「民謡」という言葉を使われています。
この民謡という言葉は、ドイツ語の「Volkslid」を翻訳した語です。この「民謡」という言葉が現在のように周知されるようになったのは、大正後期以降、北原白秋、野口雨情、西條八十、山田耕筰、中山晋平という人々が、大衆歌曲としての民謡(新民謡)を盛んに創作しだしてからのことのようです(『万葉集の発明』(品田悦一著 新曜社)p187)。
もしも私が 小鳥であったら・ヘルダー、ゲーテ、カント
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/373f26d453939c8ad8e80ec9d15fc878
ヘルダーの「歌に集められた諸国民の声」という古い民謡集の話をしましたが、非常に似通っています。フォルクスリートという民族・民衆の歌謡ということです。
これ以上を話し始めると違う方向に行きそうですが、上田敏という名訳家がおられましが「俗謡・俚歌・俚謡・巷歌」などということ雑多な訳語を「民謡」を定訳としていったことがその後の大正期に一般化につながって行ったようです。
上山田温泉の記念碑の傍らには歌手五木ひろしの「千曲川」の歌の記念碑も建っていました。
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