思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

玉となる石・万葉集信濃の東歌と記念碑

2010年10月31日 | 文藝

これまでに万葉集内の東歌についてはいろいろと次のブログで語ってきました。


信濃路に見えてくるもの(2009年07月24日 歴史)
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/6edcd8719bb8d6f69bc3d8cb69882f3a

さらす手作りさらさらに(2009年07月22日 | 古代精神史)
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/ff4ac7e8384bcdd6764f1a62a853c57f


万葉集と千曲川(2005年01月31日 古代精神史)
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/269feef39db8ba7c99eee11c90ce4f4a


 その中の巻の14・3400の歌について書きたいと思います。
 
 万葉学者で故人の犬養孝先生はPHPから出版されている『万葉のいぶき』本を出されていますしCDもあります。犬養先生はこの歌を「玉となる石」という名にし、この歌のもつ魂の移りについて熱く語っています。今もこの歌の解説を先生の声を肉声で聞くととても熱いものを感じます。

 万葉集の歌は、関係する地方に記念碑として残されています。この「玉となる石」という歌は、歌に詠まれている川が長野県の東から北に流れる「千曲川」か、それとも松本市の東、美ヶ原から梓川に流れる(途中で田川、女鳥羽川と一緒になる)支流の薄川(すすきがわ)が「筑摩(つかま・ちくま)」地区を流れており古代からある川であることからこの「薄川」かで、意見が分かれ現在両方の川の岸辺に記念碑が建っています。

                    
                       (写真:松本市筑摩の薄川河川敷にある記念碑)

 薄川は、「白線流し」というテレビドラマに出ていた川でご存知の方もおられると思います。

 千曲川を主張する人たちは、この記念碑を千曲市の上山田温泉の千曲川の堤防上に建てました。建立の際は犬養先生も出席され上山田温泉は観光の目玉の一つにしています。

                    
                           (千曲市上山田温泉にある記念碑)

 実は昨日から一泊二日でこの上山田温泉で同級会が開かれ、その際この記念碑を見学に行きましたので、上記著書の「玉となる石」というお話をそのまま引用し写真をそれぞれ紹介したいと思います。

 この著書の内容は、ほとんど講演内容がほぼそのまま掲載されています。

<引用p19~p22>

玉となる石

 人間には霊魂があると申します。昔の人は、霊魂というのは物につくと、いくらでも広がっていくと思った。ところが、昔の人だけではなく、われわれもまた、魂が物に触れて、いくらでも広がっていくことは、毎日毎日、気がつかないあいだに経験していることです。

 一番わかりやすい例をいうと、たとえばサインのことを考えてごらんなさい。
「この本にサインしてください」とか、「手型を置いてください」ということは、まさに魂をつけることです。もしもサインにそういう意味がなかったら、自分で、例えば”芥川竜之介 ”って書いてもいいわけです。ところが、芥川竜之介のサインのある本が一万円して、サインのない本は千円だということはどういうことでしょう。やはり人間の魂がついているかいないかのちがいです。

『万葉集』の東歌(主として東国の民謡)にこんな歌があります。

   しなの    ちぐま      さざれし
   信濃なる 千曲の川の 紬石も
   若し踏みてば 玉と拾はむ    (巻十四--三四〇〇)

                    

「信濃の千曲川の小石だっても、好きなあの方がお踏みになったのなら、美しい玉だわ、玉と思って拾いましょう」というんでしょ。石ころは石ころにすぎないのに、ただの石を宝石だと思って拾うというのは、ほんとうに素晴らしい人間の愛情だと思います。純情ですね、好きな男の踏んだ石を胸にかかえて大事にしているというのですから。

 やはり人間の魂というものは、そういうふうに広がってゆく。また、広がってゆくような考え方をするところに、人間の心の厚みがあるわけです。
 ところで、いつでしたか、朝のテレビ番組で、八十をすぎたおじいさんとおばあさんが初めて旅行をしたという話を見ました。
 
 アナウンサーが、「どちらへいらっしやいましたか」と聞くと、鹿児島へ行ったというんです。息子が戦死した。それで息子の乗った飛行機が飛び立った最後のところを、一度、二人で行ってみたいと念願していた。
 
 さて、鹿児島の南まで行ったら雨が降っていた。そしたらタクシーの運転手が、そういうことでしたら、おじいさん、おばあさん、どこまででもご案内しましょうと、飛行場につれて行ってくれた。かつて息子さんが飛び立った飛行場へです。
 
 そしたらそこに忠歪塔のようなものがある。
 おじいさんは、そこの石が欲しかった。思い出に持って帰りたかったけれど、公共のものだからと思って遠慮していたら、運転手さんが、「おじいさん、石持っていきませんか、息子さんが踏んだかもしれませんよ。」と。
 
「そうか、そういってくれるか、それじゃいただいていくか。」

といって、ハンカチにつつんで持ってかえった。
 スタジオで、おばあさんが、「ここに持ってきております。」と手をふるわせてその石を出されるでしょう。私はご飯を食べながら見ていて、こんどは涙がとめどもなく出てきて、どうすることもできなくなりました。テレビに出ている他の人も、アナウンサーも、もう鼻声になって泣いているんです。
 
 あれは、何でもないただの石です。その石がそれだけの人を泣かせるんですね・・・・・。
 
 やっぱりこれは、人間の霊魂というものは、物につくということだと思います。そのもっともよい例です。それを何でもないさ、ばかなヤツだな、ただの石じゃないかという人があるかもしれない。たしかに石ころにすぎない。ところが、石を石ではなく命にみるところに人間の心の厚みがあるんです。その心をぬきにしては、万葉の歌はぜんぜん理解できないと思います。

<引用終わり>

 私自身は、歌に詠われている川は「千曲川」であるという説に賛成です。犬養先生は「民謡」という言葉を使われています。

 この民謡という言葉は、ドイツ語の「Volkslid」を翻訳した語です。この「民謡」という言葉が現在のように周知されるようになったのは、大正後期以降、北原白秋、野口雨情、西條八十、山田耕筰、中山晋平という人々が、大衆歌曲としての民謡(新民謡)を盛んに創作しだしてからのことのようです(『万葉集の発明』(品田悦一著 新曜社)p187)。

 もしも私が 小鳥であったら・ヘルダー、ゲーテ、カント
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/373f26d453939c8ad8e80ec9d15fc878

ヘルダーの「歌に集められた諸国民の声」という古い民謡集の話をしましたが、非常に似通っています。フォルクスリートという民族・民衆の歌謡ということです。

 これ以上を話し始めると違う方向に行きそうですが、上田敏という名訳家がおられましが「俗謡・俚歌・俚謡・巷歌」などということ雑多な訳語を「民謡」を定訳としていったことがその後の大正期に一般化につながって行ったようです。

                    
 
 上山田温泉の記念碑の傍らには歌手五木ひろしの「千曲川」の歌の記念碑も建っていました。

http://philosophy.blogmura.com/buddhism/ このブログは、ブログ村に参加しています。

http://blog.with2.net/link.php?162651 人気ブログランキング


ハーバード白熱教室では語られなかった「対話型」(1)・「汝と我」

2010年10月30日 | 宗教

       (写真:昨年の10月31日の爺ヶ岳です。寒いですからやめましょう。明日は早朝から休日ですが別用で登りません)

 毎回ハーバード白熱教室を題材にしていると思われることでしょうが、通常ベストセラーにならない哲学の本が、片田舎の本屋さんにも並び確実に売れているのを見ると、ノーベル文学賞を逃した某氏の本とは、作られたベストセラーか否かはっきり示しているようにみえます。

 しかし出るくぎは打たれる的に、批判はつきもので、その中には対話型講義自体を「沈黙型講義」などとほとんどいやがらせ的か、偏狭的な懐疑主義者が実際いることは確かのようです。(断定してしまうといけないとは思いますが、思い入れが強いのでどうしてもそう言いたくなるのです)

 発言している学生以外は挙手をするか笑うかで、発言する生徒は秀才型、まるでシナリオがあるようにみてしまうのでしょう。しかしこの番組はドラマでも映画でもなく実際の授業なのです。それを懐疑的に観るとなると、そのように思う自分を疑った方がよいかもしれません。

 素直というよりも、ありのままを見る方が楽なのですが、・・・・といいながら一方考えること、思考することは現実を生きる上には健全な絶対条件であることのようにも思います。

 ※ 矛盾した話のようですが、矛盾と考えるとき、どこに矛盾する自分があるのか、それを見つけ出すのもまた何かを得ることになるように思います。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 さて本論です。今朝はハーバード白熱教室で語られなかった「対話」について、二元論的な立場について書きたいと思います。

 ハーバード白熱教室では語られなかった「良心」(1)・一元論二元論の世界
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/c189471da3c0000fec0db24775ec114c

の中で、「良心」という言葉のもつ意味、

 ①「世間と共に知る」
 ②「神と共に知る」
 ③「自己自身と共に知る」

という石川文康教授の見解を書きました。言葉の性質からこの表現は意味的なことばかりではなく、「汝と我」という関係の対話型の表記になっていることが分かります。

②の場合には明らかにはその関係が示されよく分かると思います。そこには宗教的人間と対話的人間の関係も見て取れるのではないでしょうか。

 私は専門家ではありませんのでいつも専門家の書籍を参考にしていますが、今回はルター研究家で知られる金子晴勇先生の名著『対話的思考』(創文社)を参考にして話を進めたいと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ソクラテスが問答法により心理を探究した哲学者であったことは誰もが知るところだと思います。一方イエスキリストは、どのような方か、・・・・イエスは神の子です、が本質的には宗教的人間であったともいえると思います。

 しかしこの宗教的人間は彼の下で対話的人間と重なっています。どういう意味かといいますと、神の前で、また人々の前で語るイエスの姿は、宗教的、対話的人間の典型であるということです。

<聖書参照>

 イエスは永遠なる神との絶対的関係のなかで、もっぱら先に言いましたがもっぱら「子」であり、まさしく子としての彼イエスの汝を「父」と呼んでいます。

 そしてかかる父子の人格的汝関係のなかで彼は人々を招き入れ、交わりの共同を生きぬこうとします。

 また、わたしは彼らのためだけではなく、彼らの言葉を聞いてわたしを信じる人々のためにも祈ります。

 どうか信じるすべての人を一つにしてください。

 父よ、あなたがわたしにおり、わたしがあなたにいるように、彼らもわたしたちにいるようにしてください。

 そうすれば、この世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを信じるでしょう。
 
 わたしはあなたから賜った栄光を彼らに与えました。

 それはわたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。
                                      (ヨハネ17・20~22)

 イエスの宣教はこの交わりの共同を実現するための人々への呼びかけです。

 <以上同書p17~p18参照>

 ここで宗教的人間は不可逆性という神の言葉の絶対性はあるものの、神に対する立場は対話的人間です。そしてイエスが宗教的人間となり宣教を始めるとき神との交わりのある共同体の実現を人々に呼びかけます。

 マルコの福音書の5には「ゲラサの悪魔つきの話があります。悪しき霊につかれた人々とのめぐりあい、邂逅(かいこう)の話があります。

 金子先生は、ドストエフスキイの『悪霊』の物語に登場する悪霊は、

 悪しき観念の虜になった人、つまり西洋の無神論とニヒリズムに感染した人

を指すと表現します。マルコの福音書の悪霊はイエスに走り来てひれ伏して次のように対話を試みます。

 いと高き神の子イエス、わたしをどうしようというのですか。神のみ名によってお願いします。どうかわたしを苦しめないでください」(5-7)

と語ります。悪しき霊は「私をほっといてくれ」と叫んで、汝関係を拒否します。悪しき霊につかれた人は他者との交わりを断ち切り、自己の内に閉じこもり、ここで金子先生は「倨傲(きょごう):おごりたかぶる」という言葉を使っていますが、

 倨傲にも自己を絶対視し、狂気の如く粗暴な振舞いをしている。

と表現しています。

 マルコの福音書はその様子を墓を住処とし、鎖を引きちぎり昼夜絶え間なく叫びまわっていたと告げています。

<同書p19引用>

 イエスは他者のために献身した人であるから、イエスと悪霊とは決定的に対立している。また、イエスは一人の単独着であるのに、悪しき霊の名は「レギオン」、つまりローマの一軍団に等しい多数であって、大衆の生き方をしている。さて、イエスにより悪しき霊は追放される。この「悪魔祓い」の奇跡物語には民間説話や民俗的物語またメルヘンが使われているかもしれない。しかしレギオンという名前をもつ癒された人はイエスとの交わりを願い求めていて、以前にはイエスとの交わりを拒絶したのに今や交わりのなかで新しく生まれ変わっている。聖書は彼が以前は裸で叫んでいたが、今や着物をきて静かに語る者となっている有様を述べている。ここにイエスとの邂逅と対話の事実があって、奇跡物語が伝達している真の現実は「対話の奇跡」であることが知られるのである。

<引用終わり>

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 突然「宗教的人間と対話的人間」の話として聖書の話をしました。
 
 対話は対話として成立するには、そこにいる対話的人間の特徴等により状況は異なります。
 
 詩人・思想家・宗教家・芸術家・科学者・政治家・実業家・労働者・学生・主婦等それぞれの集団はそれぞれの対話的な特徴点を有します。金子先生は、

>彼らはあらゆる社会の中で外面的な装いをもって現れるので、外的な観察ではとらえられない。<

といいます。つまり客観的には特徴点はとらえにくいと語っているのですが、漠然とした類型として前置きし、R・L・ハウ「対話の奇跡」の4つの特徴点をあげています。

① 対話的人間は真正な人間である。
② 対話的人間は素直な人間である。
③ 対話的人間は熟達した人間である。
④ 対話的人間は他者にかかわる人間である。

一つの対話型の特徴点を語るものです。さらにアメリカの倫理学者リチャード・ニーパーの考え方も示しています。彼は対話的人間は応答的人間とみなしこの人間の特徴点を「責任性」のシンボルとしてとらえ、二つの有力な人間像と対比して論じています。

<引用同書『対話的思考』p7>

 二つの人間像のうちの一つは制作的人間であり、これはある目的に向かって行為し事物に形を与えてゆく形成的人間である。もう一つは市民的人間で法のもとに生きる義務に服するタイプの人間をいう。これに対して応答的人間は対話に従事している人間で、他者の自己に対する行為に応じて行為する人間をいう。

 制作的人間の動機は「私の目標は、理想ないし目的は何か」と問うことによって成立する「目的性」であり、市民的人間の動機は「法とは何であるか、道徳法則は何を命ずるか」を問う義務論的「道徳性」にあり、応答的人間のそれは決断という選択のあらゆる瞬間に「何が起こっているか、いかに対処するか」と問う「責任性」にある。
 
 この三つはアプローチの相違は「善さ」、「正しさ」、「適切さ」をそれぞれの行為のなかで問題にして追及している点に求められる。
 
<引用終わり>

と解説しています。これだけでも十分に対話型に登場する人物像の特徴点と在り方を理解できそうですが、最初に示した「宗教的人間と対話型人間」には行き尽きません。

 次に登場する類型化が「ブーバーによる類型化」です。


<引用上記書p8.>

 ブーバーによる類型化 対話的人間をとらえるもう一つの視点はマルティソンブーバーの名著『我と汝』によって確立されている。彼は人間が世界に対して語りかける態度のなかに二つの根本的な対立を見ている。「汝」と「それ」の対立がこれであって次のように述べられている。

 世界は人間にとっては、人間の二重の態度に応じて二重である。
 
 人間の態度は、人間が語り得る根元語が二つであることに応じて二重である。
 この根元語とは、単一語ではなくて対偶語である。
 
 根元語のうちのひとつは対偶語、我---汝である。
 
 もう一つの根元語は対偶語、我---それであり、この場合には、それを彼あるいは彼女のいずれかで置きかえても、その意味するところに変わりがない。
 
 このように根元語が二つあるからには人間の我もまた二重である。
 
 なぜなら、根元語・我---汝における我は、根元語・我---それにおける我とはことなっているからである。

 「汝」と語って呼びかけることによって開かれてくる関係のなかにたっている人間こそ対話的人間であり、人間をふくめてあらゆる実在を「それ」という単なる物的対象として扱う非人格的人間と区別されている。対話的人間の特徴をもっとも簡潔にこの区別は指摘している。しかし、対話をこのように「語る言葉」に限定することは狭義においては正しいが、対話は広義において発語されない本性上「無名」なものにも関わらせることができる。

 つまり言葉という象徴的語音の手段による交わりのみならず、主体と主体との間の相互的交わりのあらゆる形式を含むものとならなければならないように思われる。
 
 ブーバーによってもっとも簡潔でしかも明確に示された対話的人間の類型をいま述べた修正を加えながら、歴史上の人物のなかにたずね、この人問のイメージをその具体的な形姿において求めてみたい。このように探求してみると対話的人間が他の人間類型と重なり、多様な形態をとって実現していることが知られる。

<引用終わり>

以上のように述べ、金子晴勇先生は『対話的思考』の中で

○ 演劇的人間と対話的人間

○ 宗教的人間と対話的人間

と類型化し語り、上記の聖書による「宗教的人間と対話的人間」を語っています。

ここで見て取れるのは、『我と汝』の関係が冒頭の「共に知る」という「良心」にも関係しているということです。しかも二元論です。内包する関係ではなく自己と他者の関係です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 西洋的な「良心」の二元論は、『我と汝』に関係し私は特に「宗教的人間と対話的人間」関係において成立しているように思います。しかしこれは私の独創ではなく『良心論』(名古屋大学出版会)の石川文康先生の良心論の根底をなすものです。

 断っておきますが、今朝は聖書を問題視しているのでものでもなく、ましてキリスト教を批判しているわけでもありません。

 さらに思考を進めると「宗教的人間」という聖書ならばイエスキリストですが、現実の社会には「宗教的人間」すなわち「汝と我」の関係が散見され、その中に宗教的人間を装った語りを見ることがあります。

 ですので非常に興味を持つのです。そこでさらに思考を展開します。

 「悪霊の叫び」は逆思考で考えるとどのような叫びとなるのでしょう。
 
 わたしをどうしようというのですか。
 神のみ名によってお願いします。
 どうかわたしを苦しめないでください。

という叫びの中にあなたは何を見ることができるのでしょうか。

 今朝も取りとめのない話をしてしました。いつもの口癖、知らなければ通り過ぎる話ですが、ハーバード白熱教室は、実に示唆に富んだ素晴らしいものを私に残しています。


http://philosophy.blogmura.com/buddhism/ このブログは、ブログ村に参加しています。

http://blog.with2.net/link.php?162651 人気ブログランキング


ハーバード白熱教室では語られなかった「恥」(2)あるべき自分に恥じる

2010年10月29日 | 東洋思想

                                 (写真:これがあるから辞められません)

 白熱教室@東京大学を前にマイケル・サンデル教授が心配されていた「日本人は恥ずかしがりや」旨の言葉がありました。対話型講義が成立するかの懸念があったのです。
 
 今朝は、対話型の講義の中では語られませんでしたが、サンデル教授が日本人に事前にもっていた印象、「恥」に関して思考材料を紹介したいと思います。

 日本人の「恥」といえば、古く『菊と刀・日本文化の型』(ルース・ベネディクト著、長谷川松治訳 社会思想社)が有名な初ですが、下記の紹介文書の中にも登場するものですが、これに関しては有名になったかどうかはわかりませんが作家の小谷野敦(こやの・とん)さんが書かれた『日本文化論のインチキ』(幻冬舎新書)の中での『菊と刀』書評を当該ブログの前に掲出しましたので参考にしてください。

※ マイケル・サンデル教授は個人的に尊敬しています。したがって当方のブログは、白熱教室やサンデル教授を批判するものではありません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 先月(10月)23日付けの地方新聞信濃毎日文化欄に「思索ノート」という文化欄に、今回で19回になりますが「やまと言葉の倫理学」が掲載されていました。

 今回は「はずかしい」という言葉に焦点を当て副題は「あるべき自分い恥じる」です。個人的にとても分かりやすい内容でした。

<引用>

 先日、「人間・死と生をみつめる」というシンポジウムでジャーナリストの鳥越俊太郎さんらとご一緒した。
 鳥越さんは、自分は5年前にがんが見つかり、4度手術をしてきたが、むしろがんになってからの方が、いろいろなものが深くおもしろく感じられ、これまでにもまして仕事や人間関係を生き生きとやっていると話していた。
 
 そこで何より大切なのは、がんならがんという病気の現状に目を背けずにまっすぐに立ち向かう姿勢だ、と強調した。困難な事態に出合ったとき、その困難を乗りこえさせるのは、自分みずからそれを積極師に「見る」という姿勢の力だ、と。
 
 その前向きな気持ちの持ち方は、今や2人に1人の割合でがんになるとも言われる現代日本においては、多くの人を勇気づけ、元気づけるものであろう。
 鳥越さんのこうした言葉に説得力があるのは、それが、武士道や『徒然草』など、これまでの死生観の精神伝統を確実に引き継ぐものでもあったからだと思う。
 
 シンポジウムで私は、その毅然とした姿勢には、「見る」と同時に、さらに「見られる」という意識のもたらす力もあるのではないか、と発言した。山本常朝『葉隠』では、「見る」とともに、「見られる」意識こそが武士をほんとうの武士たらしめるものであり、「名」や「恥」を重んぜよ、と繰り返し説かれている、と。
 
 むろんそれは、武士だけのことではない。戦後まもなく、R・ベネディクト『菊と刀』は、日本文化は「恥の文化」だと規定した。神に対して心の内面を深く問う西洋の「罪の文化」に対して、日本人の文化は、他人や世間の目を強く意識する「恥の文化」だというものである。あとでも少しふれるように、これにはいくつか反論すべき点もあるが、日本人の生き方の基本に「野なるものがあるという指摘自体はきわめて重要なことであった。
 
 「恥づかし」とは、「恥づ」の形容詞形であり、「自分の能力、状態、行為などが、相手や世間一般に及ばないという劣等意識を持つ意」と説明される言葉である(『岩波古語辞典』)。
 しかしそれは、たんなる劣等意識ではない。むかしは「はづかし」とは、自分が気おくれするほど、相手が優れているさまを語るのにも用いられていた。
 
例えば、「御息所は心ばせのいとはづかしく」(『源氏物語』)とは、御息所の気立て・心配りがたいそう優れていて、という意味であるし、また「我が司の佐もはづかしき人ぞや」(『宇津保物語』)とは、司の佐もまた立派な人だという意味である。

 そこには、自分が劣等だと意識すると同時に、そうした優れたあり方をほめたたえ、またみずからもそうした方へと向かわせようとする倫理意識が働いている。「恥」を知ることは、すでにそこからの脱出が意識されているということである。
 
 向坂寛『恥の構造』は、日本語「恥づ」の成り立ちについて、「はづ」の「は」は、葉・歯・端など、本件から「外づれて」はみ出した端っこのことであり、「はづ」とは、はみ出す、はずれるという動詞である、と説明している。つまり、「はづ」とは、何らかの本体や本来あるべき姿から「外づれる」ことを意識するということである。
 
 ということであれば、ベネディクトが考えたように、「恥の文化」は、「罪の文化」より必ずしも浅いとは言えない。何らかの本体、本来から「外づれて」いるという「世の意識は、何らかの本体、本来に背いて犯したという「罪」の意識と簡単に分けられるものでもなければ、どちらが深い、浅いという問題ではないからである。
 
 「見られる」「恥じる」意識とは、いわゆる世間体や外目を恥じることにとどまるものではない。神や仏に「見られる」意識から、恥じるということもあるし、あるべき自分に恥じるということもあるのである。
 
 またシンポジウムでは、日本人の死生観には、以上のような、「見る」「見られる」意識において、「みずから」を毅然と律するだけではなく、生老病死など不可避の「おのずから」の働きを「かなしみ」や「あきらめ」において受容するという、もうひとつの大切な側面があるということも話題になった。それは、この連載でも繰り返し取りあげてきたものでもある。(鎌倉女子大教授、長野県須坂市出身)
 
<引用終わり>

最後の部分に、

> 「見られる」「恥じる」意識とは、いわゆる世間体や外目を恥じることにとどまるものではない。神や仏に「見られる」意識から、恥じるということもあるし、あるべき自分に恥じるということもあるのである。<

と書かれています。とても参考になる話だと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 最後にベネディクトの『菊と刀』、小谷野さんに酷評されてしまった本ですが、この本の中に、

>恥をひき起こし、名に対する「義理」が問題となるような事態を避けるために、あらゆる種類の礼法が組み立てられている。<

>殺人者でさえ、事情によっては許してやってもよい。しかしながら嘲笑だけは、全然弁解の余地がない。なぜならば、故意の不誠実なくしては、罪のない人間を嘲笑することはできないからである。・・・・・したがって嘲笑は最悪の罪である。<

>日本人のいわゆる心的特異性の多くは、きれい好きと、それと表裏一体の、けがれを忌む態度とに起因する。まったくそれ以外に説明のしようがない。実際われわれは、家の名誉や国民的誇りに加えられた侮辱を、申し開きによって完全に洗い浄めるのでなければ、もと通りすっかりきれいになり、またなおりきることのない、けがれや傷とみなすようしつけられているのである。<

という文章が少し見ただけでも随所に出てきます(同書第八章「汚名をすすぐ」p181~p187)。

今の政治の世界もさることながら、私などは納得してしまうのです。人それぞれにいろいろな考え方があります。知らないで通り過ぎればそれだけのこと。


http://philosophy.blogmura.com/buddhism/ このブログは、ブログ村に参加しています。

http://blog.with2.net/link.php?162651 人気ブログランキング


ハーバード白熱教室では語られなかった「恥」(1)・日本文化論のインチキ

2010年10月29日 | 東洋思想

                    (写真:冬山だけはやめようと思います)

 これまでに、私の「思考の部屋」ブログでは、

日本文化論のインチキ
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/eb3af8ae3b7c1c008e33f1f140810d88

自分を忘れることの大切さ
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/c8e39a0e9866726f6a8becc9ac264ea9

で、日本文化論に対する批判書『日本文化論のインチキ』、著者は比較文学者で作家の小谷野敦(こやの・とん)さんですが、紹介してきました。今回はご本人が、「日本文化論論争の天王山のような趣があり」とまで言及する、一つの日本文化論の批評を紹介したいと思います。
 

 紹介のきっかけは、ハーバード白熱教室で、有名なハーバード大学の政治哲学者であるマイケル・サンデル教授が、日本の授業を開催するに心配ごとに中で、「日本人は恥ずかしがりや」ということを話されていました。

 日本人スタッフの事前の話もあったとご本人も言われていましたが、サンデル教授も言われたからということもあり、また、最近鎌倉女子大の竹内整一教授が地方紙に「はずかしい」という「やまと言葉」を話題にしていましたので、「恥ずかしい」という言葉に再度興味を持ち、その時とてもインパクトのあった小谷野さんの本を思い出し、再度読んだところ、知っておきたい書評と思い、メモとして残すことにしました。

 「恥」といえばベネディクト女史の『菊と刀』ですがこれをどのように評価しているか、その他の日本文化論者の名前もたくさん出てきており、小谷野さんのお考えがよくわかる文章だと思います。

<引用p116~p118>

 文化論論争の天王山『菊と刀」を再考する
 
 さて、お前はいろんな日本文化論をあれはいい、これはいかんと決め付けているが、では『菊と刀』はどうなのか、と言われるかもしれない。何しろ『菊と刀』は、日本文化論論争の天王山のような趣があり、作田啓一の『恥の文化再考』(一九六七)とか、いろいろな人が論じている。著者ルース・ベネディクトは女性で、文化人類学者のマーガレット・ミー下とは恋愛関係にあった。つまりレズである。そして、日本へ釆たことはなく、日米戦争当時、敵国研究の目的で、文献から作り上げたのがこの本で、著者が死んだ一九四八年に長谷川松治の邦訳が出て、これが現代教養文庫で長く読まれたが、版元の社会思想社が倒産し、二〇〇五年には講談社学術文庫に入り、二〇〇八年には光文社古典新訳文庫に、角田安正の新訳が入った。
 
 表題の「菊と刀」は、天皇制と武士道を表している。内容的には雑多なものだが、いちばん有名なのは、西洋文化が罪の文化であるのに対して、日本文化は恥の文化だというものだろう。つまり西洋はキリスト教だから、神の前に罪を意識して生きているのに対し、日本では世間的な恥を気にして生きている、というのだ。
 
 そう言われればそうであるような気もするが、阿部謹也のように、日本でも西洋でも「世間」というものが大きな役割を果たしている、と述べていた人もいる。もっともそれはきちんと完成せずに終わったが。また西洋人だって、注意して見ていればずいぶん「恥」意識で動いてもいる。もしかするとそれは単や前近代的な地域社会とかに生きているか、近代的な個人主義的社会に生きているか、知識人であるか一般庶民であるか、あるいは個人差でしかないかもしれない。
 
 ただ私は『菊と刀』には、あまり興味がない。というのは、もう六十年も前のものだし、多くの人がああだこうだと論じてきたから、特にこれを権威と奉じて何かを言う人が現代ではほとんどいないからである。
 
 むしろ、『菊と刀』が論じられることがあまりに多いのが気になるくらいで、当初これが出たころには、まず鶴見和子(一九一八~二〇〇六)が批判し、ほかに批判者としては和辻哲郎(『埋もれた日本』新潮社)、津田左右吉(『文学に現はれたる我が国民思想の研究』岩波文庫)、柳田国男、竹山道雄(『主役としての近代』講談社学術文庫)といった錚々たる面々がおり、評価する者として川島武宜、米山俊直(一九三〇~二〇〇六) (ベネディクト『文化の型』を一九七三年に翻訳)、作田啓一、岸田秀がおり、さらに西義之(一九二二~二〇〇八)が『新・「菊と刀」の読み方』(PHP研究所、一九八三) で擁護し、和辻を批判している。さらにダグラス・ラミスが批判し、池田雅之との共著『日本人論の深層-比較文化の落し穴と可能性』(はる書房、一九八五)でも主として『菊と刀』が論じられている。また最近では長野晃子(一九三八~ )が『「恥の文化」という神話』 (草思社、二〇〇九)を出して、『菊と刀』は原爆投下を正当化するためのものだったと激しい批判を展開している。
 
 批判者は概して、日本文化を否定的に論じられたと感じる者が多いようだが、和辻の批判は当たっているものの、全集からはその文章は除かれ、西は、ベネディクトの方法が和辻の『風土』と同じなので外したのではないかと推測している。またラミスなどは元「べ平連」なので、米帝国主義批判の文脈で批判している。
                                        
 もっとも、『菊と刀』に欠陥があるのは当然ともいえるので、むしろ、こうした毀誉褒貶(きよほうへん)の激しさのほうが興味深い。これは畢竟、敗戦後の、戦勝国の米国人による日本文化論に対する日本人(ラミスを除く)の激しい関心の持ち方を示していると言うべきだろう。土居の『「甘え」の構造』のほうが、『菊と刀』などより遥かに欠陥が多い、というより、まるで論理的読解が不可能なのに、本格的に批判したのはデールくらいでこれは邦訳されず、李のものは前提を批判してはいるが特に継承されず、これはいずれも外国人による批判で、『菊と刀』に比べると、土居健郎は「甘やかされて」いるのではないかとすら思う。

<引用終わり>

内容の中に性的差別的な表現がありますが、とても個性あふれる書評のように思います。


http://philosophy.blogmura.com/buddhism/ このブログは、ブログ村に参加しています。

http://blog.with2.net/link.php?162651 人気ブログランキング


ハーバード白熱教室では語られなかった「良心」(5)・性善説・宗教の目的

2010年10月28日 | 仏教

 今日から読書週間です。図書館では図書館まつりが開催され、その一つに古くなった本のリサイクル放出があります。平成の大合併のころには入手困難な本も多く見られたりし、読書好きな私としては待ち遠しい季節でもあります。

 今の世の中大変便利で、求めたい本を安価で早く入手することができます。どうしてもこの一行が、この本のこの部分が知りたいと思う時、図書館にも行くのですが簡単に目的の本がある分けでもなく購入することになります。

 その時はその部分だけが知りたいのですから、何か無駄なような気がしますが、人間とは不思議なもので、知識の蓄積は対象本が作者によってつくられる、作者の目的意識と重なる部分が重なる時が必ずあるもので、結局購入したことが役に立ちます。

 その時には必要でないものも必要になってくる。無駄なことは一つもないということです。それは、経験という出来事の実体験から得る知識も同様です。無駄な体験、それは心の持ち次第、いやそうではないと言われそうですが、でもそう思う方が大変自分おためになることが多いように思います。

 最近は西嶋和夫先生の正法眼蔵の注釈がサイトに掲出されていますが、西嶋先生の本は私も読ませた頂いています。この世見方も先ほどのように一部読みと全体読みの繰り返しです。その中に『正法眼蔵三百則』の解説本があります。

 はじめは、正法眼蔵の中にあるのかなと思い調べるも分からず苦労しました事がありました。余計な話をしていくと時間が無くなってしまいますので本論に入ります。

 この『正法眼蔵三百則』の21則に次の話があります。

 挙す、幽州盤山凝寂(ゆうしゅうばんざんぎょうじゃく)大師、嘗(かつ)て因みに市肆(しし)(とけ)に行きて、一客人の猪肉(ちょにく)を買うを見るに、屠家に語げて云く、精底一片(しょうていいっぺん)を割(かつ)し来れ。屠家、刀子(とうす)を放下(ほうげ)し、叉手(しゃしゅ)して云く、(ちょうり)、那箇(なこ)か是れ不精底(ふしょうてい)。師、言下に於いて省有り。(『道元禅師四宝集』西嶋和夫監修p89 眞字正法眼蔵 上 21)

 是だけでは、盤山というお坊さんがお肉屋さんの前で目の覚めるような話を聴いたという話で終わってしまいます。ところがこの話が別な場所に登場し、たった数行の話の奥深さに驚くことになるのです。

 今朝はそのような体験がありながら記憶力の悪さを嘆きながら、故松原泰道先生のお話を紹介したいと思います。批評ではありません、恣意の入らない紹介です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 不思議、不思議の毎日です。「性善説」が頭の片隅にあり「無記答」などという言葉を他の文章に見ると「ハット」と思い出すのです。人間というものはどうしようもないもので、とてもすてきな心にのころ深イイ話も、記憶の彼方へ行ってしまいます。

 この「ハット」なのですが、故松原泰道先生がその著書の中で語っていたことを思い出したのです。記憶連鎖とでも言いましょうかきっかけがあると記憶の中から蘇がえってきます。まだ大丈夫、ボケは大丈夫と納得するのであります。

 さて私は性善説について、「仏教は性善説に立つと言われますが」と根拠も示さず書きました。記憶の片隅にあったもので、確かに片隅なのですが、最新情報の中にあったように思いました。
 
 本来さも知っているふりをするというのが嫌いな性格どうしても根拠を示さない私なのですが、その時はそのまま素通りしていました。今考えるとおかしなもので、性善説は性悪説が存在しない限り概念的に成立するものではありません。

 本心は良心として、すでに備わっていると生まれながらに身についているものと思考する場合、どうしても性善説をその言葉として置きます。
 
 吉田松陰先生が「本心」とするのは本心という言葉で、意とするところは「性善説」に違いはないのですが、それは本心であってそれ以外のものではないのです。

 本心が、その後の外界からの影響で覆い隠され道理を外れた行動に走るものだ、という話で、殿様が道理を外れているのは取り巻きの家臣が悪いからであるという結論になるのが松陰先生の意とするところです。

 孟子は牛山という山を例えにし、ハゲ山にする人間の行為を問題にした。松陰先生はそれを家臣に問題ありとします。単なる例え話のハゲ山の話、と見る限り大きな見落としをしています。

 存在の大前提の山を忘れてしまっていました。山が「有(あ)る」という存在、山がそこに「有(な)る」という存在を忘れてしまっていました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 そして昨日思い出した話が、松原先生の話です。先生の著書『人生の極意』(PHP)にありました。松原先生は上記の21則から次のように語っていました。

<引用p91~p97>
 <禅の修行者が人間性に目覚めた>
 
 <略>盤山も肉屋の店頭で深い人生の転機に恵まれている。宗教家には禁忌とされる殺生の場で、禅の修行者が大いなる人間性にめざめるのは実 に興趣深い。<略>

 原文では「猪の肉」 になっているが、牛肉であろうと馬肉であろうと、はたまた鶏肉であろうと、何の肉でもこの禅話には一向さしつかえはない。客の買う肉の分量もかかわりあいはない。大切なのは、肉屋のおやじの「いったい、どこに、よくない肉があるとおっしゃるんですか(郡箇か是れ精底ならざる)」の寸言のあいさつが眼目である。また客が、亭主でも、男物上手の組合のおばさんでも誰でもいい。大切なのは、店先の何でもない交渉の一談話が、真剣に人生の生き方を求めている者には、自分のこころの開眼の好緑となる不思議な事実である。
 
 原文を一読したら、肉屋のおやじと客のやりとりはそれで終ろう。禅話として見るのがこの項の学習である。「郡箇か是れ精底ならざる」との名答を引き出した、客の「肉の一番いいところを頼む(精底一片を割き来れ)」との誘導的な注文の言葉である。
 
 盤山には、彼らの会話が次のように聞こえたのだ。
「善人だけの社会が欲しいのだが」
「いったい、どこに悪人がいるのか」

 人間の根本性は、善であるか、悪であるかは、昔から問題にされている。孟子(前二八九年没)は中国の戦国時代の哲学者だが、彼の倫理説は、性善説に根拠を置き、仁義礼智の四徳を発揮することが可能だとした。孟子によれば、人間の本性は先天的に善である。しかるに、なぜ悪行為が起きるのか、それは人間の物欲心が、人間の善なる本性をおおうからだとする。                                 

 この孟子の性善説に対して、人間の本性は悪とする「性悪説」を主張したのが荀子だ。荀子は、孟子より七十四年ほど後に生まれた儒者である。彼の人間性悪説の依りどころは、人間の持つ利己的心情は根源的な悪で抜き差しならぬものである。ゆえに、人間の本性は悪であるとする。

 仏教の人間観は、性善説でも性悪説のいずれでもない。善でも悪でもないのを哲学用語で「無記」という。いずれとも決定し記録できないという程の意味である。しかし、釈尊のいう無記は、善・悪の相対価値が生ずる以前の人間の本性をいう。善悪の名のつく前の人間の本質”仏性(仏心とも。ほとけのこころ・ほとけのいのち)”である。
 
 この仏性は、善・悪分離以前の人間の本心本性であるから、善悪のいずれでもない。名もつけようがないという意味の無記である。
 親鸞聖人は、この点をいみじくも「悪をも恐るべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきが故に」(『歎異抄』)と明らかに告げる。中国の禅者、中峰和尚(一三二三年没)は、禅を定義して「禅上は、心の名なり、心とは禅の体なり」という。中峰は人間の無記の心を”禅 ”と名づけている。つまり、”仏性 ”は”禅心 ”と同義語になる。

 <宗教の目的とは何か>

 以上の解説をふまえて、もう一度さきほどの肉屋の店先にもどろう。通りすがりの盤山の耳に入った肉屋のおやじへの客の要請は、「上肉のところ」 つまり”善人 ”を求めたのだ。ところが肉屋のおやじのたんかは、「お客さん、いったいどこによくない肉があるというのか」だ。

 それを盤山は「どこに悪人がいるのか」と、性善説の主張に聞く。客は、善を好み、悪を憎む。人間の本性のありようを道徳の範疇で盤山は受けとめた。まだ道徳的認識を出ないから、
 
「省(せい)あり」という。省には察す・視るの意味があるから、肉屋の店頭の対話の中から、人間性の真実をみつめて得るところがあったよろこびをいう。

 しかし、盤山のこのときの省はまだ道徳的認識に止まって、禅的なうなずきには達していない。人間性の善悪に二分する以前の、原点としての仏性をさとる迄には到っていない。
 盤山が、真実のさとりを得たのは、それから遥か後のことである。

 しかし、たとい道徳的反省にしても、日常のさりげない会話の中でうなずき取るのは容易ではない。盤山がいかに忠実に人生を生きぬくか、という点に自分を賭けていたことがこれでわかる。

 道徳と宗教ヒはもちろん相反するものではないが、全く相同じくするものでもない。この両者の性格の相違を故柴山全慶(しばやまぜんけい)老師が純文学と大衆文学になぞらえられたのを興味深く思い出す。つまり、道徳は大衆文学に似る。善人がはじめの間は悪人に苦しめられるが、最後は善人が悪人に勝って、めでたしめでたしで幕を閉じる。道徳は、善をすすめ、悪をこらす勧善調懲悪的な性格を持つ。

 宗教は、それに引きかえて純文学的である。善悪は二の次で、まず人間性そのものを描写する。人間の持つ弱点や、醜悪な面を容赦なく摘出するから、道徳家は眉をひそめるが、別に道徳を否定するわけではない。道徳を批評するのが純文学で、勧善懲悪と相容れない点もあるのは止むを得ない-----と。

 柴山老師の宗教純文学論はすばらしい提言で、示唆する点がすこぶる多い。おもうに道徳は、善玉と悪玉と必ず対立して争う。宗教、とくに仏教は前にも述べたように、善悪二分以前の無記の人間性に立脚するから、善悪のいずれにもなじまない。また道徳は、人間に奉仕する傾向がある。その時代の人間の生活方式に道徳は随順する。
 
 封建主義の時代には封建的道徳が、民主主義時代には民主主義的道徳が幅を利かす。この意味で道徳は極めて功利的で、時代によって道徳の価値感が異なり、善悪の価値批判が変動する。現代人の苦悩がここにある。
 
 例えば、封建時代には、親や主君の仇討は善行で美談となるが、民主主義時代には、それは悪となるようなものだ。時と人とにより、善悪の規準が、ときには極端から極端へ変わる。つまり不変の善と悪との規格がない。それが道徳の性格でもあり、特徴でもある。
 
 したがって道徳が生きぬくためには、つねにその時代の文明批判を受けて脱皮しなければならない。また、その反面に、変化する現象の底に、永遠に変化しない真理を見すえる凝視力を必要としよう。
 
 その凝視の一つが、神の眼であり、仏の心でもあると思う。
 私たちは、変化しつづける現象の底辺に、変化しない永遠の真理なり、存在を求めずにはおれない。それが何であるかは、これからも学習するが、一言でいえば「永遠を学ぶ」のが宗教の目的だとなる。
 
 永遠のいのちをふまえて、はじめて短い人生の意義が噛みしめられる。永遠のこころに自分を置いて、ようやく生かされて生きるよろこびを感じる。愛や感謝という道徳的命題は、永遠をおもう宗教的心情によって、目的が達せられる。道徳の持つ功利的性格は、永遠を指向する無我愛によって純化されよう。
 
 道徳と宗教とは相反しないが、同じでもないとの意味もこれで明らかになろう。道徳を道徳たらしめるのは宗教心情だ。また道徳を極めてゆくと、自然に宗教の世界にすんなりと入る。道徳を実践しようとの願いも持たずして、どうして宗教が理解し得よう。現代人は、道徳的志操に薄いから、宗教を忌避するのであろう。現代人に必要な宗教心情は、底深いエゴイズムを根こそぎ奪い尽す厳しい性格のものでなければならない。

 実は、それが現代を救う大慈悲である。
 この点で、盤山の「省あり」は現代的のかかわりあいを持つ。自分だけがしあわせを得たい、よい肉がほしいとのエゴイズムが肉屋のおやじの一喝でしぼんだ。この一喝がまた盤山に、道徳的な生き方を教えた。盤山に表象されるように、日常のさりげない出来ごととの出会いに、自分を成長させる教えをうなずきとる働きが、私たち人間の胸奥に内在しているから、人間は尊い存在となる。人間を救うのは、人間の外にある超人間的存在ではない。
 
 人間の内側に秘められているこの”うなずきとる ”作用が人間を救ってくれる。人間を救うのは、人間以上の力ではなく、人間が人間性を自覚する能力である。この意味で、人間を救うのは人間だけだ。故に、私はとことん人間を愛し、人間を信じる。
 
 盤山は、肉屋のおやじの一喝を「どこに悪人がいるのか!」と聞く。これだけでも「省あり」で世の中を見る視角が変わってくる。禅書では、道徳律を深い次元で理解出来たときを”省あり ”と評し、宗教的経験による高次の自覚を”さとる ”といい表わしている。

<引用終わり>

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 非常に長い引用です100歳翁のお話です。私のこれまでの話に重ね合わせると気恥ずかしい思いに駆られますが、これほど納得のいく話はないわけです。ようやくこの歳になってこの話がドカン、ストンとと私の心に落ちました。
 

http://philosophy.blogmura.com/buddhism/ このブログは、ブログ村に参加しています。

http://blog.with2.net/link.php?162651 人気ブログランキング


ハーバード白熱教室では語られなかった「日本型共同体の基礎理論」

2010年10月27日 | 哲学

                              (写真:道祖神は共同体のシンボルでもあります)

 ハーバード白熱教室の衝撃で紹介したように、白熱教室は政治哲学の授業で、対話型形式の講義です。サンデル教授のこの講義風景は、多くの人々に影響を与え、特に教育界では顕著に表れているようです。
 
 この講義は、サンデル教授がコミュニタリアンのようにみられるため、なぜかコミュニティ内で提出された議題を対話型の討議を行う中からいかに共有できる結論を導き出せるか、という政治哲学の授業以外でも応用できるとみられているようですが、コミュニティというものがどのようなもので、世界共通のものなのかということになると、この講義からははっきりと理解できません。

 しかも日本にも応用できるものなのか、コミュニティの基礎理論的なものになると理解し直す必要があるように思います。

 サイトや雑誌等では、「コミュニタリアニズム(共同体主義)は、集団的な利己主義である」と嫌う人も多く、また白熱教室自体に批判的な人も多く見られます。

 中にはどう見てもサンデル教授の華麗な講義テクニックへの嫉妬心からとも思える批判も見られ、私は感動したほうなので、いかに共有するものを導き出すことの困難さを感じました。。

 この世の中でどのような形のコミュニティであれ、どこにも所属していない人は存在するのでしょうか。究極的には一人で国家を形成してる人を探すようなものですから、絶対にありえないことだと思います。
 
 例えば孤独であるといっても、日本国土に存在する以上、よほど山奥で野たれ死にとなって、遺骸が発見されなかった場合以外は、誰かが発見すれば必ず最後には行政機関がしっかりと無縁仏として拾ってくれる身です。

 コミュニティは共通の関心に基づく組織体と考えるのは誤りで、共通の関心および目的のためにつくられた集団となるとそれは、アソシエーションと呼ばれるようです。

 だからと言って共同体は烏合の集団かというと、漠然とした集団ではあるが求心原因をもつ人々の集まりであることを離れることはできません。

 ハーバード白熱教室ではこのような問題は、「愛国心と正義 どちらが大切?」という問題提起の中の「忠誠のジレンマ」で論議されるというよりも、コミュニティの道徳的な重みと自由な自己を見つけようとするジレンマの話の中に関係してきます。

 実際の講義では、アラスデア・マッキンタイアの「人間は物語る存在だ」したがって「我々は物語の探求者として人生を生きる」という目的論的な特性を人間存在に求め、そのジレンマの解消を導き出す哲学の一つとして講義されとても惹きつけるものがあります。

 物語とはシナリオ構成による集団劇です。したがって物語る存在(人)が集団内に認められる存在でなければなりませんし、逆に他の存在(他人)も物語の構成者として認めなければなりません。

 「人間は物語る存在だ」と言われると感動的に感じますが、物語る主人公である人間の形が見えてきません。

 マッキンタイアの言葉に「私は単なる個人としては、善の追求も美徳の実行もできない。」とし、私が自分の物語を理解できるのは、自分が登場する物語を受け入れるときだけである、と白熱教室の参考書には書かれています(p287)。

 善の追求も美徳の実行もできないという主意主義の弱さを示していますが、この時すでに知性・理性の働きさえも存在しないといっているようなものです。

 どこに原因があるのか「物語る人間」とは先ほどもいいましたが、主語はその主人公です。しかし物語る人間と規定する以上、物語れない人間でもある分けで、根源的な弱さは意志の力もなく、知性の能力もないとする個人の弱さから発生してきているようです。

 いったい人間存在とは何なのか、これについては白熱教室ははっきりと応えてはくれません。

 それは自分で見つけるしかありません。「善き生」という言葉が出てきますが、目的性が語られているようにみてしまいがちですが、私というものは、ア・プリオリに「善き生」にある存在であると考えることに認識を変えることで、何か落ち着きが出てくるような気がします。

 物語とは縁の織り成す世界のことです。縁は作り出すものではなく自ずからなる世界です。

 主人公には違いありませんが、生きる存在ではなく生かされている存在です。生きる存在認識は苦しみを背負うように思います。形成作用を二元的な基盤に置く考えは、自ずからとは相容れない考え方だということが分かります。

 西田幾多郎先生は『働くものから見るものへ』の序文の中で「形相を有となし形成を善となす泰西文化の絢爛たる発展には、尚(たっと)ぶべきもの、学ぶべきものの許多なるは云うまでもないが、幾千年来我等の祖先を孚(はぐく)み来た東洋文化の根底には、形なきものの形を身、声なきものの声を聞くと言ったようなものが潜んで居るのではなかろうか。・・・・・」と述べて「私はかかる要求に哲学的根拠を与えてみたいと思うのである」と西田哲学の姿勢を語っています。

 西田哲学を全く語らない哲学者もいますし、批判的な人も多くいますが、上記のような言葉に何を見ているのか疑問に思うことがあります。西田先生はすごいの一語に尽きます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 さて今朝は、ここで視点を全く異なる日本の共同体の話に移したいと思います。今現在日本の共同体を研究され、共同体のあるべき姿を学びの場に提供してくれる方は、哲学者の内山節先生ではないかと思います。内山先生はこれまでのブログ内でも紹介していますが『共同体の基礎理論』という著書を農文協から出版されています。

 今朝はこの中から次の文章を紹介したいと思います。

<引用p92から>※途中からの引用となります。

 だがアナール派(※歴史の構造分析を重視する社会史を提唱した学派)以降の歴史社会学の時代を迎えると歴史研究は大きく変わっていった。「制度史」をとおして歴史を考察する方法から「民衆史」をとおして歴史をみる方法への転換が一般的になり、民衆の実像をとらえようとする作業が進んだ。
 
 ここから江戸期の民衆の生き生きした姿が描きだされるようになったり、巧みに生きた中世民衆の様子も示されるようになる。年貢の租税率も台帳上の租税率と実際の租税率の大きな違いが明らかにされ、領主支配の下で巧みに租税を軽減させ、我らが村を守っていった農民の姿がみえるようになってきたのである。
 
 私は歴史の研究家ではないから、自分の手でこれらのことを明らかにすることはできない。しかし現在の新しい「民衆史学」の方が納得がいく。というのは中世の村は、武装した一族郎党による農村社会として形成されていたからである。それは自治する一族郎党の社会以外の何物でもなかった。
 
 豊臣秀吉が、検地、刀狩りを実行しようとしたのも、武装した自治する共同体が統一国家を形成する上での壁になっていたからである。検地によって農村の生産基盤に直接的な支配の足がかりをつくり、刀狩りによってその武装を解除することが支配者にとっては必要であった。だが秀吉の時代はどちらもたいした成果を上げることはできず、この課題は江戸時代に入って実現されることになる。
 
 江戸期の社会は、武士が城下町に住み、農村から都市に移動したことが大きな意味をもっている。
 幕府は武士を農村から引き上げさせることによって、武士と農民のつながりを断ち、検地、刀狩りを実現することによって、自治する共同体を支配する共同体に変えようとしたのである。寺に戸籍を管理させ、他方で寺社管理を強めていくのもこのことと関係している。
 
 共同体を一単位とする社会から、家族単位の社会に変えること、共同体の精神基盤と結びついた「共同体の寺社」を中央管理が可能な宗派の寺社に切り替えていくことが必要だったのである。
 
 だがそのことをとおして、支配する共同体は完成したのだろうか。私は結局不十分に終わったと考えている。武士と農民の関係を断つために武士を都市へと引き上げさせた結果、共同体には、直接支配する人がいなくなった。江戸期の農村は、庄屋や百姓代などをとおしての間接統治にならざるをえなかったのである。百姓たちは表向きはしたがいながらも、さまざまな方法を駆使して自分たちの世界を守ろうとする。前記したように伝馬制も幕府は管理できなかったのである。
 
 畑地を増やして租税逃れをするのも一般的だった。隠し田も駆使された。隠し田というと山奥のみえないところにこっそりつくるように思われるかもしれないが、実際には村のなかに堂々とつくられていた。知恵をしぼって租税対象にならないようにした田が隠し田なのである。
 
 私が江戸期の共同体が強い自治をもっていたと考えるのは、次のような理由にもよる。それは共同体にはすべてがあったということである。これまで述べてきたように、日本の共同体は自然と人間の共同体としてつくられている。それだけでなく、生と死を包んだ共同体としてつくられているのである。つまり、生きている世界だけではなく、死後の世界をももっているのが、日本の共同体である。
 
 キリスト教のように、死後も袖の世界には召されない。森のなかで自然と一体になり、神=仏となって村を守る。共同体は、そこに生きる者たちにとっては永遠の世界なのである。だからそれは壊されてはならない世界であった。
 
 ただしそのことはわかりにくさもつくりだす。中世後期以降のヨーロッパの農村のように、死後のことはキリスト教の神が受けもち、共同体も人間だけの共同体としてつくられていれば、共同体の管理、維持の仕方はわかりやすいかたちが可能になる。ところが自然や死後の世界を含めて共同体をもとうとすれば、人間同士の取り決めだけでは十分ではなく、自治の方法のなかに祭りや年中行事が大きな意味をもつものとして入ってくる。

 いま私たちが伝統的な地域文化と呼んでいるものは、文化であるとともに、自治の仕組みでもあったのである。
 村人が守ろうとしたのはこういう世界である。だから、それが守れれば、ときには案外簡単に妥協する。武士が強い命令をだせば、とりあえずしたがってみせたりする。壊してはいけない世界を守るためには、そこに手を突っ込まれないかぎり、平気で「服従」もするのである。それは村人たちが自信をもっていたからでもある。自分たちが大事にしている世界が守れれば、いずれ押し戻せるという自信である。どうせ武士は農村の直接支配はできないのである。
 
 こうして面従腹背という、今日まで受け継がれる日本的な抵抗が生まれる。とりあえず「はいはい」といいながら、ちっともわかっていない行動をとるというのも、いまでもよくあることだ。表面だけをみれば武士の支配にしたがいながら、巧みに支配を崩していく、しかも共同体は生と死の永遠の世界だから、ときには何代もかけて押し戻してくるのである。村人は自分の一生だけがすべてだとは思っていない。
 
 このようなかたちで展開した日本の共同体を、私は強い自治をもった共同体としてとらえる。この 特徴を抜きにしては、日本の共同体はとらえられないのである。
 
<引用終わり>

目から鱗が落ちるような文章だと思います。長い引用ですが腑に落ちるところが実に多いのです。

 コミュニタリアニズムという問題を、真剣に日本で論ずるときこのような哲学的な理解がないと多くを語ることはできないように思います。

 ※お詫び
 ETV特集「シンドラーとユダヤ人~ホロコーストの時代とその後~」
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/fbf877f9f04b8f131593967a884e6718
出勤前の忙しさの中で、言い足りない部分、訂正箇所がありました。

 改めて上記の番組は、大変勉強になりました。

http://philosophy.blogmura.com/buddhism/ このブログは、ブログ村に参加しています。

http://blog.with2.net/link.php?162651 人気ブログランキング


ハーバード白熱教室では語られなかった「良心」(4)・犯罪心理学

2010年10月26日 | 哲学

                          (写真は大キレット:人間はなぜ危険を好むのでしょう)

 ハーバード白熱教室では語られなかった「良心」(3)では、吉田松陰先生の性善説にもとずく本心=良心について思考を展開しました。
 
 今朝は西洋の学問的な系譜の中にある法学の世界と心理学の世界の両学問に関係する犯罪心理学が語る「良心」を紹介し感慨を述べたいと思います。

 従って是から語られる「良心」という言葉は、一元的な側面・二元的な側面から見た場合は、今日的な意味での、即ち辞書的な、

 >自分の行いに対して、善悪を判断する心<

 >何が自分にとって善であり悪であるかを知らせ、善を命じ悪をしりぞける個人の道徳意識<

という意味に使われています。

 参考書籍は学生のころに使用した有斐閣の『犯罪心理学』(安香 宏・麦島文雄編)です。

 さてイギリスにアイゼンクという心理学者は行動主義心理学の立場から犯罪行動や犯罪者の解明を試みた人です。

 彼にはアイゼンク理論という犯罪者の「犯罪行動の学習」につおて7項目の考えをもっていました。その中の(6)(7)に興味深い内容が語られています。

<引用p151>

(6) 犯罪行動とは、社会規範に抵触あるいは違背する行動であるが、それを惹き起こすモチーフは、誰にでもあるもので、ただ通常の人にあってはそれを抑止する条件づけが作られていないというに過ぎない。
 その抑止条件が普通「良心」と言われているもので、その形成過程はまぎれもなく条件づけの過程である。

(7) この条件づけが作られやすいか作りにくいかでパーソナリティの類別をするわけだが、その基盤を遺伝素質としての生理的次元におき、外向性---内向性という軸の設定が可能であると主張する。つまり外向性の人の条件づけが困難で、内向性の人はそれぞれが容易というわけである。また、この軸とは独立に、情緒性(あるいは神経症傾向)という軸の設定が、統計的にも生理的基盤の裏付けからも可能であって、犯罪者とか精神病質者(彼はこれを社会病質に近い概念として用いているようである)は、外向的で情緒性を大という次元に定立させられる。

<以上引用終了>

 この考え方は「かなり強引で無理な考え方いわざるを得ない」というのが一般的な見方ですが、私が注目するのは、良心について語られているということです。

 ① 犯罪抑止条件は「良心」である。
 ② 「良心」の形成過程は、条件づけの過程である。
 ③ 「良心」の形成における遺伝素質に注目し、内向性の人は良心の形成が容易である。

としています。ここでは「良心」の形成過程が述べられています。

 次に「良心」という言葉の「良心とは何か」ということですが、辞書的な意味ではなく、人の心の中での発達段階についてです。

 <引用p151>

 多くの研究者に共通していることは、良心を善悪を判断し行動を規制する内的なコントロールのメカニズムであると考えていることです。このように良心を考えると、いわゆる道徳性と良心との関係、また価値観と良心との関係などを明らかにしておく必要があるだろう。

<引用終わる>

とここでははっきりと、「善悪の判断行動」を規制することが述べられています。この規制はどのように形成されるのか冒頭の各論的な話になります。

 ここで語られるのは「良心」の道徳性との関係です。心理学者のコールバックの道徳的発達段階論がこの『犯罪心理学』では紹介されています。

 道徳的発達段階、要するに道徳は自己においてどのように身についていくかということです。

コールバックは、つぎの6つのは立つ段階を示しています。

 ① 罪と服従(叱られるから)
 ② 手段的相対主義(こうすれば認められる)
 ③ よい子といわれたい。
 ④ 権威と規則(規則で決められている)
 ⑤ 社会契約(皆の約束)
 ⑥ 普遍的道徳性

の6つです。これを三つの発達水準で表すと

 Ⅰ 前道徳水準
   タイプ1 罰と服従志向
   タイプ2 素朴なご都合主義

 Ⅱ 伝統的役割遵守の道徳水準
   タイプ3 他人のよき関係、他人から承認を維持するための「良い子」の道徳
   タイプ4 権威による道徳性の維持

 Ⅲ 自己に承認された道徳原理による道徳性
   タイプ5 契約、個人、権利、民主的に承認された法による道徳性
   タイプ6 良心という個人の原理による道徳性

という区分けをしています。ここでも注目するのは「良心」という言葉ですが、

 タイプ6 良心という個人の原理による道徳性=普遍的道徳原理

ということになります。ここで「良心」が普遍的道徳原理、即ち人の持つ普遍的なものであることを示しています。

 次に思考の視点を個人の道徳性と犯罪抑止との関係に注目します。そもそも道徳性とは、非行を抑制するメカニズムによるものですが、『犯罪心理学』では次のように語られています。

<引用p175>

 多くの研究によると、おそらく人間の非行行為を抑制する最初のメカニズムは、このプロセスを通して獲得されるような罪の意識であろうことが推測される。罪の意識は、きまりを破った後に示される種々の反応として定義されるが、羞・恐怖・不安・後悔・や反省などの反応がその中に含まれる。
 この罪の概要は、最終的にはシアーズらがいう良心(conscience)の概念の中に含まれるものである。

<引用終わり>

 発達心理学者のシアーズの「良心」が述べられていますが、シアーズの発達段階における初発的な側面には次の三つがあるとし、それに対応するコールバックの考えを付け加えると、
 
 ① 誘惑への抵抗力------------コールバックの行動的側面
 
 ② 罪悪感--------------------情緒的側面
 
 ③ 積極的によいことをする。--コールバックの定義にない部分で人に対する献身トカ               サービス

 ①②は受け身のもしくは消極的な良心、③は積極的な良心の考え方ということになります。
<p194参照>


 次に「誘惑への抵抗力の形成」についての結論ですが、

 犯罪抑止としての「良心」あるいは「超自我」は、誰にでも生まれつき平等に備わっていたり欠けていたりするものではない。それは幼いころからのしつけによって形成されるものである。<p207>

とします。

 ※ 「超自我」:精神分析理論によると、超自我とは、道徳的志向のパーソナリティの  側面で、それは自己が正邪を知覚すること。
   フロイトによると、超自我は二つの側面をもっていて、それは良心と自我理想です。  良心は警告をしたり、ある願望は禁止されていると自己に告げる超自我の側面で、良  心の活動は罪悪感を生みます。
   自我理想は、目標を指し示す超自我の側面であり、この目標は、両親の抱負を子供  が知覚したことから生まれることが多いといいます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 今朝は西洋流思考にもとずく「良心」を「犯罪心理学」の立場から見てきました。

 良心をもつ正常な人たちが、時に犯罪の誘惑に負け罪悪感に苦しむことがあります。良心は以上のとおり、個人的なものであり、幼いころからのしつけによって形成されるものということになります。

 そして当初に述べているように、「良心」とは善悪を判断し行動を規制する内面的なもとして普遍的なものですが、判断と言う相対的なものを前提ににする考え方に基づくものであり、生まれながらに「善き生」あるとする性善説とは全く異なる思考の場にあることが分かります。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ここに語る良心は、ハーバード白熱教室@東京大学の講義におけるある女性の「10人の殺人を犯した弟を当局に密告するか」という例題に対する姉としては「家族愛を最優先として密告しない」旨を自信を持って応えていた姿勢に、他者に対する愛は二の次的なものと考えることに違和感を感じたからです。

 これは日本的人情話とも関係する「情」の世界を考えるときに「お互い様」に生きる姿が見えてこないからではないかと思うわけです。

○他人様には迷惑をかけるな!

○本人のためにならん!

○内外の関係に関係なく責任を感じる。

そう考えてみたいのです。当然理不尽な面がみられるかもしれませんが、そこには奥深い「無常」の面が見えるのです。

 芭蕉が富士川の捨て子の鳴き声に「いかぞや、汝父に悪まれたるか、母に疎(うと)まれたりか、父は汝を悪むにあらじ、母は汝を疎むにあらじ、ただこれ天にして、汝の性(さが)の拙きを泣け」が去来します。なぜ芭蕉は捨て子を拾わないのか、捨て子を橋のたもとにおく慣習があるのか・・・・。

 そこには善悪の世界ではつくされないものがあるように思います。

 芭蕉については次のようにころまでブログで語っています。

「野ざらし紀行」と責任主義から思うこと
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/4f9869081cab9551ab9c7714e1b3c89c

沙弥満誓・芭蕉の無常観
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/31bf6f6317c3e9c6551be8ec9c38e47d

 今朝の写真は、北アルプス大キレットです。なぜ危険を冒すのか・・・・、応えようがありません。 

http://philosophy.blogmura.com/buddhism/ このブログは、ブログ村に参加しています。

http://blog.with2.net/link.php?162651 人気ブログランキング


ETV特集「シンドラーとユダヤ人~ホロコーストの時代とその後~」

2010年10月25日 | 宗教

 NHK教育ETV特集は「シンドラーとユダヤ人~ホロコーストの時代とその後~」を観ました。

 8月に放送された、

「ホロコーストを生きのびて ~シンドラーとユダヤ人 真実の物語~」
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/6a2c9f833b683c411b6d8abb72c31647

で番組紹介しました。

>今回は、題名が「真実の物語」から「その後」となっていることから、定かではありませんが内容に若干追加の分が放送されるものかと思います。<

 安易にこんなことを書いてしまいました。前回では放送されていない部分もありましたが、受けた感慨は異なるものでした。異なると言っても正負の問題ではありません。

 結論的に言えば、実体験者、当事者でないとそこに語られる真実は解らないということに尽きます。

 だからと言って観た意味がない、というものではなく別な意味で深みが増したととも言えるかもしれません。

 アーモン・ゲードは、当時のドイツ・クラクフの郊外にはユダヤ人を収容するプワシュフ強制収容所がありました。

 労働可能と認められたものがここに集められ、強制労働を強いられました。およそ一万人が製材や軍服の生産に当たりましたりまた近隣の工場に派遣されていました。

 この収容所の所長がアーモン・ゲードで、毎日理由なく銃でユダヤ人を一人うち殺し、そしてまた自宅の愛犬の訓練のためにユダヤ人を生きたまま噛み殺させていました。

 ドイツ人でナチ党員でもあった実業家のオスカー・シンドラーはその収容所に収容されたユダヤ人1200人の命を救った。これは揺るがすことのない事実です。

「英雄思考の人ではなかった父が・・・」とシンドラーの娘さんが話していました。

 ユダヤ人の少女が2名が目の前で処刑されるのも見たシドラーは嗚咽、吐き気を模様したようです。娘さんは嫌悪感を感じていたのでしょうとも語っていました。

 実業家だから金儲けのために、「こんなことをしなければ、こんなに苦しまなくともよかった。」と後にシンドラーは、同胞であるドイツ人に虐待的な行為を受け続けます。

 アメリカに渡り事業をするも失敗、ことごとく彼は事業に失敗します。

 1200人のリストのユダヤ人は彼を見捨てません。最後の最後まで見捨てませんでした。彼の遺体は今イスラエルの地にあり多くのユダヤ人が墓を訪れています。

                    

 シンドラーの苦難、生き残ったユダヤ人のその後の苦難。

一人の生き残ったユダヤ人男性は、「神は人々を救ってくれる。でも多くの人々は死んだハーバード白熱教室では、アメリカ、@東京大学において「戦争責任と謝罪」が論議されましたが、戦争というものは個人対個人の問題ではありません。勝戦国と敗戦国の問題ですが、

 戦後親交の中でシンドラーがロスナーというユダヤ人に送った手紙には次のように語られていましす。

 ロスナーよ。

 あいつらは頭の固いばか野郎だ。私は従業員の前で、その中の一人に鉄の棒で殴られた。

 だが問題は体の痛みではない。そいつに言われた言葉だ。

 「汚いユダヤ野郎。お前をガス室で殺すのを忘れたようだ!」

 私は警察に被害届を出した。でも警察は何もしてくれなかった。

という内容です。シンドラーは生きる場所がなかった。相当精神的に落ち込んでいたことも語られていました。

 一人のユダヤ人男性に「シンドラーと出会ったことは、あなたの人生にどう影響しました?」という質問がなされました。その男性は次のように語ります。

 私たちには大きな力が必要だった。
 あの記憶が何度もよみがえって、そこから解放される術がなかった。
 昼間外を歩いているときでさえ・・・「もしかするとあの角にドイツ人がいるかもしれない」という恐怖に襲われる。

                    
 
 私は神を信じていた。

 でもホロコーストで母と父や兄弟すべてを失ったんだ。

 もしかしたら神は力を持っているかもしれない。

 でも、神は私たちを救うことはできなかった。

 あの苦難の中で誰も私たちに手を差し伸べる者はいなかった。

その時、傍らにいた男性の妻が、静かに、
 
 シドラーだけよ!

と語りました。すると男性は相槌を打つようにうなづいていました。

 収容所での忌まわしい過去の記憶は、その後のイスラエル人の心を精神を傷つけ続けました。その心を精神を癒すものは、シンドラーに会うことでした。

 一人の男性が、「シンドラーの顔を見ることだった。」と語っていましたが、非常に深い言葉でした。

  今回の放送では、収容所所長のゲドーの娘は登場しませんでしたが、前回の放送でさほど感じなかった、救われたユダヤ人と救ったシンドラーの深いつながりに、何かを見たような気がします。

 当事者でないと本当のことはわからない。

 忘れるな! 許すな!

が、助けられたユダヤ人の本心だと語る人もおられました。戦争責任、虐殺の真実などを多く語っても、受け取る側のその人の感慨だけでしかありません。

 ”正義 ”そして”善き生 "

を語るとき、本当の被害者の気持ちを察することができない私がいます。しかし最終的には、自分で見つけるしかない。この番組は何かを私に教えてくれたような気がします。


http://philosophy.blogmura.com/buddhism/ このブログは、ブログ村に参加しています。

http://blog.with2.net/link.php?162651 人気ブログランキング

 


 


今夜のETV特集「シンドラーとユダヤ人~ホロコーストの時代とその後~」・

2010年10月24日 | 哲学

 NHK教育1の今夜のETV特集は「シンドラーとユダヤ人~ホロコーストの時代とその後~」が放送されます。

 8月の終戦記念日頃に特別番組として放送された「「ホロコーストを生きのびて ~シンドラーとユダヤ人 真実の物語~」があり、

「ホロコーストを生きのびて ~シンドラーとユダヤ人 真実の物語~」
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/6a2c9f833b683c411b6d8abb72c31647

で番組紹介しました。

今回は、題名が「真実の物語」から「その後」となっていることから、定かではありませんが内容に若干追加の分が放送されるものかと思います。

≪放送時間≫
2010/10/24(日) 22:00 ~ 23:30

です。この番組は人間の寛容さや許し、また絶体絶命の境遇や親の犯した罪の受けとめ、さらに責任・・・・・あっりとあらゆる社会に生きる人間に負わされた、何かが語られていた番組でした。

 ナチスドイツにおいて「アーモン・ゲード」という人物がどのような人物であったか、もしヒトラーに娘がいて現存していたら、どのような考えの中に生きているか、

 アーモン・ゲードは、当時のドイツ・クラクフの郊外にはユダヤ人を収容するプワシュフ強制収容所がありました。

 労働可能と認められたものがここに集められ、強制労働を強いられました。およそ一万人が製材や軍服の生産に当たりましたりまた近隣の工場に派遣されていました。

 この収容所の所長がアーモン・ゲードで、毎日理由なく銃でユダヤ人を一人うち殺し、そしてまた自宅の愛犬の訓練のためにユダヤ人を生きたまま噛み殺させていました。

                    
                            (映画:「シドラーの手紙」から)

 ハーバード白熱教室では、アメリカ、@東京大学において「戦争責任と謝罪」が論議されましたが、戦争というものは個人対個人の問題ではありません。勝戦国と敗戦国の問題ですが、この番組ではアーモン・ゲードの娘さんが被害者であるユダヤ人との交流が放送されます。

 人の気持はある程度理解できそうですが、この娘さんだけは善悪の論議の世界観をはるかに超え、人の本心のみの裸の面接交流が語られていたように思います。

                    

 苦痛にあえぐ人間、絶体絶命の心境、親の犯した罪を知らされた時・・・・・私の理解の限度を超えています。

 ハーバード白熱教室の対話型講義での社会生活をする上での責任は、あくまでも哲学的な責任を問います。実生活においては、哲学では語れないものがあります。

 「10人を殺した弟の警察への通報を迫られた姉」

 「ユダヤ人強制収容所所長の娘、残虐性が映画にもなった男を父に持つ娘」

 「善き生を追求する」とは、自分い突きつけられた問題に、良心はどう応えるのか。

 功利主義でもリベラリズムでも共同体主義でもない、人間の本心の根源的な応えではないだろうか。

 このETV特集は「シンドラーとユダヤ人~ホロコーストの時代とその後~」はそんな「こころの耳」も考えさせられます。


http://philosophy.blogmura.com/buddhism/ このブログは、ブログ村に参加しています。

http://blog.with2.net/link.php?162651 人気ブログランキング

 


ハーバード白熱教室では語られなかった「良心」(3)・吉田松陰・講孟箚記・本心

2010年10月24日 | 東洋思想

 ハーバード白熱教室では語られなかった「良心」(2)で、中国古典『孟子』について話を進めました。孟子というと吉田松陰先生の『講孟箚記(こうもうさっき)』が想起される方も多いかと思います。

 昨年の今頃(2009.10.19)歴史ブームの中でブログ「歴史ブームは、戦国から幕末へ」で松陰先生を取り上げる件数が多くなった旨を話したましたが、もう一年がたったことに驚きます。速い!

 歴史ブームは、戦国から幕末へ
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/670d842290b585a21f693c6a0f21d5b2

 松陰先生の長州藩(現山口県萩市)へはこれまでに2回行っていますが、退職後のさっそくしてみたいことの中には、萩藩に長期滞在があります。

 当然下田旅行などに行けば必ず柿崎弁天島へ出かけます。

柿崎弁天島
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/945fe397f868b52553b5c11076e9242e

その他にも関係するブログはあるのですが、カテゴリーの設定が大まかなため詳記できなく残念です。

 講孟箚記は講孟余話とも言いますが、近藤啓吾先生の思い入れを感じ、また箚記の方が松陰先生らしさを感じます。今回は近藤先生の講談社学術文庫版と中央公論社の中公クラシック『講孟余話(抄)』を使用したいと思います。

 松陰先生は安政3年6月4日の条に「余孟子の讀を受けてより二十年、此の章の如きは従来看て尋常の説話とす。・・・・」と書かれています。30歳にして武蔵野に散っていますので、10歳の時からと思われがちですが、6・7歳の時には叔父玉木文之進の教えを受けていますから、孟子の素読はその時からとみるのがよいかもしれません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ハーバード白熱教室では語られなかった「良心」で、孟子の告子上篇を語ってきましたので、講孟箚記のその部分の松陰先生の語りを見たいと思います。松陰先生が性善説の立場に立つ教育者であったこともおのずとわかると思います。

 そもそも告子上篇は「性善を論ずるところ詳(つまびらか)なり。」で、松陰先生は熱く語っています。

<告子上篇冒頭訳文引用>
  この篇は、「性善」人の本性は善であるという問題について、詳しく論ぜられている。孟子の日ごろの議論は、すべてこの性善という主張の上に立っている。宋の程子は、「性善論、孟子以前の聖人がまだ発していないものである」といっているが、しかし「性善」ということばは孟子に始まるものの、その精神は、それ以前の聖人が、すでにこれを説いている。『易経』の○辞伝(けいじでん)に「一陰一陽をこれ道と謂ふ。これを継ぐものは善なり。
  
 これを成すものは性なり」、陽が陰となり陰が陽となって、間断することなく流行する宇宙の道理が道であり、人がその道理をそのままに受け継いだものが善であり、その善を成就具現したものが性、すなわち人の本質である、とあり、『詩経』の蒸民の詩に「民の彝(い)を秉(と)る、是の懿徳(いとく)を好む」、人は天から与えられた彝(い)、すなわち不易の常性を執り持っているので、美徳を好まぬものはない、とあり、『書経』の康誥(こうこう)篇に「天惟れ我に与ふる民の彝(つね)」、天がわれわれ人に与えた不易の道、とあり、『論語』に「人の生くるや直」、人が生きてゆけるのは、その本性が直のものであり、それに従って進むからである、「性相近し」、人の生れつきは、だれもみな似たものである、とある類は、みな、性善を語ったもので、されば前代の聖人が、すでにこの精神を説いているのである。〔程子以下のことばは、水戸の會澤翁の著『下学邇言』のうちに、すでに詳しく論じてある〕

 しかしながら、性善をもっぱら教えの根本とすることは、子思の『中庸』に始まり、孟子に至って完成したものである。すなわち『中庸』の開巻第一章に「天の命ずるをこれ性と謂ひ、道を修むるをこれ教と謂ふ」とあるのは、明らかに孟子の性善論の根拠である。従って孟子の学問は、まず人の性は善であるということを認識することを土台とするものであって、「四端」の説、「孺子入井」の説、「乞人も屑とせず」の説は、みな、性善を認識させるための議論である。もしも、自分の本性は善であると認識するならば、これを根拠として身心を磨いて徳を完成することができるのである。

 わたくしは、かつて次のようなことを聞いたことがある。「人の本性は天の理に外ならず、天の理には悪がない。されば人の本性に悪はないのである。また天地をもって論ずるならば、天は善あるのみであるが地は善悪が混じている。そのわけは、天はただ一つの太陽があって、万物を発育生長するのみ〔これが天の善である〕であり、もしこの太陽がないならば、南極・北極のごとく凍冷不毛、人も物も生育を遂げることができなくなる。一方、地はよく太陽の気を受けて万物を発育生長させるものであり、もしこの地がなかったならば、太陽があっても、発育生長の道がない〔これが地の善である〕。しかしながら、いろいろの水旱・飢饉・疾病等は、すべて地の気から起るものであって〔これが地の悪である〕、天はこれに関係していない」と。〔かつて山縣太華翁の『芸窓雑記』を読んだところ、そのうちに、天は悪なしという説があり、その意はだいたい以上のごとくであった。しかし、今、手元に同書がなく、その全文をここに引くことができないので、意味をとり違えているかも知れない。また翁の説を偸んで自説のごとくに見せたいとも思わない。それ故に、だだ、「かつて次のように聞いた」 と記したのである〕
 
 以上によって、人の性は善であることを認めることができる。
 人にからだがあることは、いうならば地のごときものである。従って、耳・目・ロ・身があるので、それに基づく、声・色・味・臭に対し、そのよいものを求める気持があり、手・足があるので、それに基づく、楽をしたいという気持がある。ためしに、耳・目・口・鼻や手・足をないものとして考えてみるならば、そのような気持は起るはずがなく、従って、人の本性が善だということは、自然に明瞭になるのである。人の本性が善であることを理解したならば、善の具現は、耳・目・口・鼻や手・足によらねばならぬのであるから、性は純粋の善であって、からだになると、善悪が混じていることに気がつくのである。
 
 しかしながら、からだを除けてしまっては、いくら性は善であるといってもその働きをすることができないことであって、これは、天は純善であるものの、地になると善悪が混じており、しかも地を除いては天の働きをすることができないことと同じである。ああ、世の人々は、からだから離れ、人の本質においてその善を認めることをしない。されば忠孝も仁義もその認識に純粋を欠き、ひとたびは忠心が起っても、たちまち利欲の念によって破られてしまい、ひとたびは孝心が起っても、たちまち野営の声のために蔽われてしまう。どうして、人の本性は善だというこの一点に深く心を寄せないのであろう。

<引用終了>

以上は、訳者近藤啓吾先生の原文訳です。そこには現代人が理解しやすい言葉を使用しています。

 この講孟箚記の次の第三章「生をこれ性と謂ふ。(生之謂性)」に松陰先生の「性善」についての考えを述べた部分があります。

【原文】
 余謂へらく、性善の義を知るは、精思と切思とを要す。今一義を行はんと欲す。此の初念、即ち性善なり。已にして名利便安の念、是に継ぎて粉生す。是皆形気の欲なり。形気の欲を破し去りて、性善の本根を涵養せば、何の義か行ふべからざん。

【近藤啓吾先生訳】
 わたしが考えるに、「性善」の意義を理解するためには、精密にして誠実な思索を必要とする。たとえば、今、一つの正義を行おうと思ったとしよう。この最初の正義を行おうとする心は、性善を示すものに外ならない。しかるに、それに続いて名利を求めたいとか、安易をよくする気持ちが、いろいろと湧いてくる。これはみな、からだから生ずる欲望である。からだから生ずる欲望を破り去って、性善の根本を養うならば、いかなる正義も、必ず実行できるものである。このことを、精密切実の思索ということができる。

となっています。ここには原文には使われていない「正義」と言う言葉が使用されていますし他にも古い言い回しの漢字を現代風の言葉に代えていることが分かります。

 この原文の訳について、別の講孟箚記から参照したいと思います。当初に言ったように箚記は余話ともいいますので「講孟余話(抄)」中公クラッシック版(松本三之介訳)から引用します。この著書は訳文だけでの本です。

【中公クラッシック版訳】
 僕が思うに、性善の信義を会得するには、精密かつ適切な思索が必要である。たとえばある人が義にかなったことを行おうと思う。この最初の一念はとりもなおさず性善である。しかしやがてこれにつづいて、世間の名利を思い骨惜しみを考える雑念がこれはみな内在的な性とは別の外在的な形気による欲望である。この欲望を克服して根本の性善を涵養すれば、どのような義でも行うことができるようになるだろう。これが精密かつ適切な思索というものである。

ここでは正義という言葉は使われていませんが、「骨惜しみを考える雑念」という原文にはない言葉が挿入されています。

 しかし確かに松陰先生は「性善説」の立場の人ということがよくわかります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 松陰先生の「性善説」は解りましたが、「良心」についての言及はどうかということになります。

 孟子の第八章の「牛山之木」の「良心」はどう講義されているか

     其(そ)れ其の良心を放つ所以の者も、亦た猶(なほ)斧斤(ふきん)の木に於けるがごとき也。

 松陰先生は、この孟子「牛山之木」では次の内容の講義だけとなっています。

<上記講孟箚記から引用>

 牛山の木、嘗て美なりき。(牛山之木嘗美矣)

 牛山の喩に就きて、亦山を蕃(しげ)らするの術を知るべし。徒に喩とのみ思ふべからず。方今何れの地にも濯々の山多し。是亦山の性に非ず。嘆ずべきことなり。
 
 民政家宜しく思ひを致すべし。柳宗元、樹を種うることを問ひて、民を治むるの法を得。余は性を論ずるの喩に就きて、山を蕃らすことを思ふ。小人は其の小を識らず、笑ふべきのみ。

 平旦(へいたん)の気。夜気以(やきもつ)て存するに足らず。(平旦之気 夜気不足以存)

 朱註(しゅちゅう)に、「孟子夜気の説、学者に於て極めて力あり、宜しく熟玩(じゅくがん)して之を深省(しんせん)すべきなり」と云えり。余謂(よおも)へらく、夜気の説は、即ち浩然(こうぜん)の気〔公孫丑上第二章、此の条と併せ考ふべし〕を養ふの手を下す工夫なり。凡そ浩然の気を養はんとならば、先づ平坦の気の清明にして、未だ外物の欲を交へざる所を基本として、漸々長養すべし。何となれば、噪(さわ)ぐ時は気擾れて昏濁する故、静かにして清明なる所を養ふべしとなり。後儒静坐等の工夫も、是等の処に原(もと)づき、外物に蔽はれざる所の本心を認め出(いだ)し、長養せんとなり。

然れども余別に又一説あり。静処に於て本心を認むる、固より善し。又動処に於て本心を認むる、更に善し。或ひは書を読みて意中の人に遇ひ、意中の事を見るか、同志の人を会し、劇談豪論するか、或ひは風雪を冒し山野を跋渉(ばしょう)するの類、都(すべ)て吾が心気力を発動せしめたる後は、必ず浩々勃々(こうこうぼつぼつ)、勇往鋭進(ゆうおうえいしん)の勢、禦(ふせ)ぐべからざる者あり。此の処より本心を認め、漸々長養するも、亦是一種の手段なり。実験して其の妙を悟るべし。

<引用終わり>

と書かれています。見てのとおり孟子にある「良心」と言う言葉は一語も出てきません。松陰先生は、性善説に基づき人の本性について語ります。

 そもそもこの牛山の木の例えは、「山を蕃(しげ)らするの術を知るべし」ことを言っていると説き、外部からの影響で覆われた本心を見出すところにある。その方法を孟子は、夜気とは夜中の平静な気分のことですが、それが大切だというが、松陰先生はそれでは足らないとします。どうすればよいかそのことを熱く語っています。

 近藤啓吾先生は、上記後半のその部分を次のように訳しています。

<上記書引用>

 しかしながら、わたくしには、別の一つの考えがある。静寂なところにおいてわが本心を把握することは、もちろんよいことであるが、活動しているところにおいてわが本心を把握することは、いっそうよいことである。すなわち、書物を読んでその中にかねて慕っていた人物を発見したり、かねて心がけて心た事に遭遇した時、同志の人々を会合してともに激論した時、または風雪をおかして山野を歩き廻った時など、すべてわが胸中の気力を発動した後には、必ず盛大な気魄が(きはく)が湧き起って、勇往邁進しようとする勢い、抑えがたいものがある。
 
 そのところにおいてわが本心を把握し、これを徐々に時間をかけて養うことも、浩然の気を得る一つの方法である。諸君もみずからこれを体察して、その深い道理を悟ってほしいと思う。

と訳しています。

 松陰先生は「良心」と言う語を使っていませんが、外物に覆われたところの本心を見つけ出すと「本心」と言う言葉を使っています。孟子には「本心」と言う言葉は出てきませんので、性善説も含め人間の心の深層には「本心」なるものがあり、それをさらに時間をかけて養いなさい、と言っています。

 孟子では「仁義の心=良心」となり、松陰先生はさらに「本心=良心」と言うことにもなると思います。それはまた性善説に基づき生まれながらにもっているものである。

 松陰先生は、その「良心」は仲間内の激論中においても養いなさいと言っています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 今朝は、ハーバード白熱教室では語られなかった「良心」について、孟子そして講孟箚記から松陰先生の「良心」---この言葉は使われていませんが---について見てみました。

 松陰先生はその後の本格的に西洋思想が輸入される前の日本人の知識人です。性善説に基づく本来人に備わっている「良心」、二元的な善悪ではない「良心」を異常に語っています。

 思うに私はこの考え方が、その後の西洋的な考え方に影響される前の日本手人の日本的な姿勢ではなかったかと思います。

 それがどうだという話ではありませんが、「良心」と言う言葉この様に考えるのもいいのではないか、仏教も性善説であると言われますが、仏教が日本に根付くのもそこにあるように思います。これは勿論、神道(日本的宗教)の「善心(うるわしきこころ)」にも重なるものであることは言うまでもありません。


http://philosophy.blogmura.com/buddhism/ このブログは、ブログ村に参加しています。

http://blog.with2.net/link.php?162651 人気ブログランキング