思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

仏教と[もの的世界観」

2008年03月30日 | 仏教
 「仏教と事的世界観 朝日出版」という廣松渉氏、吉田宏哲氏の対談集がある。この本を読んで思うのだが、世の中で時々見かける「モノ・コト」、「もの・こと」論には、どうも二つの思考の基盤があり、その基盤の違いによって「もの・こと(以下ひらがなで表記する)」意味の概念が逆転しているように思う。その基盤は、西洋的な思考法(二元論)によるか、または「やまと言葉」的な思考法(無分別知的ななにもの・言語的概念を超越する究竟的ななにもの)の志向性によるかによっての違いによるものと思うのである。

 その違いは廣松渉氏、吉田宏哲氏その他複雑系科学者がもつ思考の基盤と日本民俗学、国文学の人々との間で現れるほか、さらに民俗学や日本精神史、日本文学に造詣が深くとも近代的な西洋教育等により合理的、論理的さらに科学的な志向性が強いと「やまと言葉の思考」の人たちと結論的には類似しても「もの・こと」論は逆転しているように思える。

 その中で廣松渉・吉田宏哲両氏の対談集の場合は読むと解るが最たるものである。
 廣松渉氏は、西洋的思考法型の典型であり、吉田宏哲氏は密教学の大家でその宗教観から当然の帰結と思う。
 ここで前にもブログでアップした「やまとことばの思考」について、国文学者の中西進先生の本(『日本語の力』集英社文庫)から引用したい。

 哲学者・和辻哲郎が残した多くの業績の中でも、もっとも注目すべきもののひとつに、やまとことばによる哲学的思考がある。たとえば和辻は日本語と哲学の問題においても、日本語が学的概念の表示として用いられることが少ないのは、理論的方向における発展の可能性をただ可能性としてのみ内臓していたことを示すのにすぎないのだといい。日本語・・・・本来のやまとことばによる考察を試みた(『続日本精神史研究』)。
 そこで大きくとり上げたのは、「こと」と「もの」であり、「こと」は動作や状態がそれとしてあることを示し、「もの」はたとえば「動くもの」といった場合、ものの動作としてものをその中身において増大するととく。
 従来は学術語として不適当だとされてやまとことばを、積極的にとり上げた和辻の研究は、もちろん本居宣長などの先人をなしとしないが、先駆的なものといわなければならないだろう。ちなみにこの論文は、1929年の執筆である。
 そして和辻が開発したこの道は、りっぱに開拓者としての役割をはたし、後継者によって発展させられている。
 たとえば言語学者池上嘉彦は、固体に焦点を当てて表現する場合と出来事に全体として捉えて表現する場合とに区別し前者をモノ的向、後者をコト指向的な捉え方だという(『<する>と<なる>の言語学』)。
 これは和辻が見てとった、それとしてあることをさす「こと」と、増大を中味とする「もの」との区別と、矛盾しない。むしろその発展的な考察といってよいであろう。
 さらにまた、英語学者安西雄はこれを日本語と英語との区別にも応用できるとし、英語はコトタイプ、日本語はモノタイプだという。英語は名詞中心であり、日本語は動詞中心であることも実証的に説明しており、これまた、説得性のある論である(『英語の発展』)。

以上の長い引用となったが、これが「やまとことばの思考」である。

 次に語りたいのは、和辻哲郎先生についてである。
 和辻先生の宗教観にも「やまとことばの思考」をみることができる。昨日掲出したブログに「正法眼蔵随聞記 岩波文庫 和辻哲郎校訂」と本名を書いたが、この文庫のあとがきに宗教学者中村元先生が次のように書いている。

 道元が単にわが国の曹洞宗の開祖としてではなく、わが国の生んだ偉大な思想家として一般に知られるようになったのは、和辻哲郎博士の力によるところが大きく、そして道元の人物像がくっきり浮かび上がってきたのは、この「正法眼蔵随聞記」の岩波文庫本による点が多い。
 和辻先生は、道元の思想および人格にひかれ、「沙門道元」という論文を、大正九年から十二年にわたってまとめ、その初めの部分すなわち約三分の二を雑誌『新小説』に連載し、残りを当時創刊された『思想』誌に掲載されたのである。それが発表直後にどれだけの影響を及ぼしたか、よく解らないが、この論文がやがて『日本精神史研究』(岩波書店、大正十五年十月刊行)のうちにおさめられて刊行されるとともに、道元という思想家・宗教家が一般に非常に注目されるようになった。

と和辻先生に言及しているので、ここに至って和辻先生の次の宗教観を紹介したい。これは上記の中村先生の文章にある「日本精神史研究」ある。

 ・・・・観察によって自分は、宗教的真理がただ特殊な形にのみのよって現されるという。一切の宗教は、この絶対の真理を直感した特殊な人格のまわりに、この真理を願望する無数の心を吸い寄せ、そこにその時代特殊の色をつけつつ結晶したものである。・・<中略>・・・・既成の宗教を特殊な形と見、その宗教の内に歴史的開展を認めることは、畢竟宗教を歴史的に取り扱うことである。我々はこの態度のゆえにいずれかの一つの宗教に帰依することはできぬ。しかしいずれの宗教に対してもその永遠に対して神的なる価値を看過しようとはしない。いわんや一切のものの根源たる究竟の真理を文化体系に服属せしむるのではない。もし我々が既成の宗教のいずれかにおいて一切のものの根柢たる絶対の真理を受けることができれば、その時我々にとってこの宗教は「特殊な形」ではなくなり、一切の歴史的開展は無意味になるであろう。しかし我々が既成の宗教のいずれにも特殊な形に現われた真理を認め、しかもそのいずれにも現わしつくされていない「ある者」を求めるならば、我々は宗教の歴史的理解によってこの「ある者」を慕い行くことになる。

この和辻先生の既成の宗教における特殊な人格とは、キリスト教においては「神」、仏教における「仏」を意味する(文中では親鸞の仏)。

 さらに和辻先生は「沙門道元」を書くについて次のように語る。

 ・・・・自分が絶対の真理を体得していないのは事実である。体得していないからこそ探求しているのである。そうして探求者がその探求の記録を書くことは、彼自身にとって最も自然なことである。自分は自ら待たざるを真理を人に与えようとはしない。自分は自分の受けた感動をただ自分の感動として書く。この意味で自分は越権ことはしないはずである。また自分が文化史的理解のために道元を使おうとすることも、人類の歴史のうちに真理への道を探ろうとするものにとっては、当然のことでなくてはならぬ。あらゆる既成の宗教を特殊な形と認めるものには、宗教もまた人類の歴史の一部である(『日本精神史研究 岩波文庫 沙門道元』)。

 和辻先生の病臥の最後について書かれた本がある。「自敍傳の試み 中央公論」から出版されたもので、そのあとがきで妻の照さんが語るには雑誌『心』に載せた「阿毘達磨論について」から「法華経の考察」までの一連の原稿を気にしていたとのことで、和辻先生は仏教について最後まで関心を寄せていたようである。

 上記文中において親鸞の仏と書いたが、現在の親鸞の教え説く宗派を語るものではない。

 ここで和辻先生と同大正期の親鸞研究家である柳宗悦先生について若干言及するが、私は柳先生は、和辻先生と同じ「やまとことばの思考」者なのではないかと思う。
 柳先生の著書に「宗教とその真理 大正八年」という本がある。今ここでは詳細を書かないが、その中の「宗教的究竟語」の小論は「即如」を導き出す論理である。
 この「即如」という言葉は、和辻先生の「ある者」の考えに至る思考と同一の思考を経由してる。 
 この柳先生の本は、私の好きなマイスター・エックハルトも登場する本で、吉本隆明氏の「最後の親鸞」を読む前に読んでおくと吉本氏の志向性を知りたい人には参考になるように思う。

 今日もまた専門家からすれば支離滅裂な文章を書いてしまった。
 私は、学者でも在野の哲学者、宗教者でもない。単なる好き者である。

 今回は、廣松渉氏らの「仏教と事的世界観」に対抗するわけではないが、仏教を考える上においては、「仏教と『もの的世界観』」というものが重要に思えたので掲出した。           

正法眼蔵随聞記

2008年03月29日 | 仏教
 4月からNKH教育テレビ「こころの時代 宗教・人生」で「道元のことば『正法眼蔵随聞記』にきく」が始まる。駒澤大学教授で我が長野県の伊那市常圓寺の角田泰隆住職が担当される。
 そのことを知ってから、書店に出向くもテキストがまだ着ておらずようやく昨日購入することが出来た。

 時代に生きた道元禅師をの姿を知るには、禅師の著作である「正法眼蔵(しょうぽうげんぞう)」、中国留学記の「宝慶記(ほうきょうき)、弟子たちの編纂した語録の「永平寺広録」、そして禅師に長年にわたり随身した懐奘(えじょう)禅師の手による「正法眼蔵随聞記(しょうぽうげんぞうずいもんき)」などが参考になるということで、手元をみると鎌田茂雄氏、水野弥穂子氏そして和辻哲郎校訂の岩波文庫がある。

 随聞記に関しては、NHKラジオ第二放送で20年程前に鈴木格禅さんが講師を担当され放送されていたことを思い出した。

 「知るを楽しむ」ということは、人生の楽しみにおいて欠くことのできないことである。しかし、知ることもほどほどということもある。
 メディアが発達し知りたくも無いことが、心の中に入り込んでくる時代。喧騒の世を去り出奔したくなる。特に嫌悪を感ずるのはニュース報道である。連日の殺人事件の報道。さらに政治家二世をはじめとする人身を離れた人々の世界。本来やまと言葉では「人」は森羅万物の中で「秀でるもの」という意味がある。

 チベット問題も悲しいものがある。生まれ変わりの素晴らしき聖者が居ようと中国政府政権下の国家の中では、聖者も悪魔的存在しかない。精神的に不安定な者なものによる殺人と同様な行為がこの世の中では、正当性の中で行われる。善悪は最終的には個人の分別に依存する。だから釈尊も最後に「自灯明」を説かれた。

 日本文理大学の広田君という球児が居る。野球の好きな彼は、野球で障害を負い普通では野球をあきらめるところ、現在も野球に情熱を燃やしている。二世政治家に知ってもらいたい姿だ。
 広田君は、彼の周りに居られる両親をはじめとする人たちが素晴らしいこともあるが、本人の決意を発動する心もちが凄い。
 仏像に他力感をもつのを否定はしないが、拝む秀でるものが拝まれる仏像であってほしい。

 和辻哲郎先生が正法眼蔵随聞記を校訂しているが、「もの」「こと」論を思うに、「こと」的感覚を離れ「もの」的感覚の中で生きることが自灯明に通じると思う。
                           

イカの哲学と「結ぶ」というやまと言葉

2008年03月23日 | 古代精神史
   磐代の 浜松が枝を 引き結び 真幸(まさき)くあらば また還りみむ

 万葉集にある有馬皇子の歌である。
 悲劇の皇子の歌はその他に

 家にあれば 笥(け)に盛る飯(いひ)を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る
 
の歌がある。

 ここに登場する「引き結び」の「むすび」という言葉は、やまと言葉である。
 では松が枝を結ぶというのはどういうことか、犬養孝先生は、

 実際にはよくわかっていない。松の枝と枝を結んだか、松を輪型に結んだか、松に幣帛をつけたか、それは不明です。恐らく幣帛をつけたのではないかと思われます。けれど松にさわるということはどういうことでしょう。これは松は常盤ですから、松の常盤の魂が我が身につくということなんですね。だから我が身が”命長かれ”という祈りになるわけです。

と解説されている「万葉の人々 PHP」。
 古語辞典を見ると
 方丈記の「よどみに浮かぶうたかたは、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」を例に、「(露や霜、または木の実、泡などが)形を成す」を意味するなどの他、「つなぎ合わせる」「契る」「約束する」と解説しています。この場合の「結ぶ」は、「漢字」の解説であって、「むすぶ」の共通する発音からは「むすぶのかみ(産霊の神)」もあり、この場合は、万物を生み出す神、むすひの神を表しています。宇津保物語には「人知れぬ結ぶの神をしるべにていかがすべきとなげく下ひも(人に知られない縁結びの神様を案内にして、下紐を解いたらよいか、どうしたものか迷っている)」という面白い歌がある。

 「むすびのかみ」は、古事記において「造化三神」として天地初発時に天之御中主神、高御産巣日神に次に神産巣日神と「産巣日神(むすびのかみ)」として登場する。

 「結び」という言葉は日本文化が「むすびの文化」といわれるほどに深みのある言葉である。女性の着物文化がその際たるものだが、十二単を例に取れば「結びの紐」はかなりの量になる。「縁を結ぶ」となれは「仏との関係を結ぶ。成仏するための仏縁を結ぶ」の意味を表す。

 ここで少し考察したいのが「むすびのかみ」の「産巣日(むすび)」という言葉とこの産巣日神に似た言葉である「産土(うぶすな)神」の「うぶすな」という言葉についてである。この産土神とは、生まれた土地の守護神、村の守り神、鎮守の神のことである。

 古語辞典によると「うぶ」とは「産湯」のように生まれたままの状態であること、初めてであること、出産・誕生の意味がある。

 「やまとことばの人類学(日本語から日本人を考える)」朝日選書293で荒木博之教授は、「うぶすな」の民俗学で次のように語っている。

 日本民俗を、神を考えるうえできわめて重要な鍵を握っていると思われる「うぶすな」について、日本の民俗学界はこれまでほとんど説得力ある発言をしてこなかった。たとえば『日本民族辞典』も「うぶすな」について、「生まれた土地の神」であること、「産(うぶ)神と関係あるらしいこと」、そして、「ウブスナのナは大穴遅神(おおなもちのかみ)のナが土地の意味であるのと同様、土地を意味するであろうこと」以上のような仮説をかろうじて提出しているぐらいである。
 こういった日本民俗学界の現状に対して、衝撃的ともいうべき考え方を提示したのが、谷川健一氏である。谷川氏はその著『古代史ノート』『黒潮の民俗学』などにおいて、「うぶすな」は「産小屋の内部に敷いた砂」を指すという大胆な仮説を提出した。

と述べ、さらに荒木教授は、

 私はこの谷川説は卓抜なる説であると思う。少なくとも「うぶすな」について、右へ行くべきか左へ行くべきか、皆目検討のついていなかった日本民俗学界に正(まさ)しく「うぶすな」のあるべき方向を指示した最初の学説であると思う。

と賛同する一方で「うぶすな」を女性語、幼児語として現に関西に残っている「湯」「風呂」を指す「オブ」という言葉に注目し、土佐の民俗学者、桂井和男氏の「オブ」「ウブ」には「魂」に近い内容があるという主張から、オブ、ウブが再生の霊力であることを裏付ける明らかな事実を示し、

 「うぶすな」の敷かれる場は、人間、あるいは共同体の再生儀礼に参加する家々の門口などであった。

としている。

 しかし、このような「うぶすな」というやまと言葉については、谷川氏よりも早い段階で、言語学者、文献学者の新村出京都大学教授・名誉教授の「うぶすな考」という論文がある。

 ウブスナという語が文字の上にあらわれてきたのは平安朝以来のことであるけれども、この語ができたのは太古のことであって、今も残る「ウブ」という語及びその熟語の一連をはじめ、ウブと濁らないで清んで発音される所のウム並びにその活用形、すべてウブスナのウブと同根であることは、人々の容易に心づくところであろう。ウヒには、初めの漢字が当てられ、ウムには産や生の漢字が当てられている。このウムという語のウは至って軽い発音であるから、次の音に併呑されて省かれてしまい単にムともなることは容易なはずである。従って古語のウムスという語、即ちウムという語源にサシス等の語尾が付いてウムシ又ウムスなどの活用形が新たに発生した場合に、ムシ又ムスなどの省略形が出来たことも、亦容易に考えられることであろう。草や蘚についてクサムスといいコケムスなどというムス、昆虫類についてのその生物をムシというのも、要するに発生出生の意義に外ならぬのである。蒸発のムスという語もそれらと関連して起こったものと見てよかろうと思う。男児をムスコと称し、女児をムスメと唱えるそれらのムスもやはりウムスの略形のムスで、生男と生女との義たることは、亦古来より定説・・・・・創元社「日本の言葉 新村出著昭和15年P106」と語っている。

 思うに「うぶすな」を「ウブ」と「スナ」に二分して考察するよりも一元的に考えるほうが「やまと言葉」として素直なような気がするのである。漢字の当てはめの中で「産」を「ム・ウブ」の音に当てているのだが、その思考の中で把握される「動的な、働き」は、「命の連続性」である。「命」という概念は、親子が似るように「うつせみ」の「うつす身」で似るという、本質的なものがうつる(移る、写る、映る)その「もの」あると思う。

 万葉学者中西進先生は、「結び」というやまと言葉に「命の連続性」「永遠なる命のつながり」「命の引継ぎ」の意味があり、元来言われていた「結び」の意味と新村出教授の「うぶすな考」を合わせた主張を「やまとことばのコスモロジー」で述べられたことがあった。私はこの考えに非常に感銘を受け「息子」「娘」「結婚」その中には命の連続性をすごく感ずるのである。

 前回のブログで「やまと言葉」における「大いなるつながり」は、「命、生命」を越える思考の世界ということを述べたが、この考えは精神的な段階として述べたものであり、それらを否定するものではない。したがって「命の連続性」という概念は思考のある段階のしてんとしてもつべきものと思う。

 何ゆえにこのような自己満足的なことを今回記したかというと最近「イカの哲学」という中沢新一氏の集英社新書を読んだからである。中沢新一氏の書籍はかなり読ませていただき好きな学者の一人である。

 在野の哲学者波多野一郎氏の「イカの哲学」から平和学における「エロティシズム態から発する愛と慈悲」を科学的生物学的な現象面とバタイユの「エロチシズム」から考察して新書の「イカの哲学」を中沢氏は書かれているが、これは竹田青嗣の「意味とエロス」と思考の世界は同類で、「やまと言葉の哲学」のような「原初的な主張」を離れたあくまでも現代人の主張に感じられる。

 「イカの哲学」に登場する非連続と連続にも思うのだが、その現象学的なものの見方は、「僕の叔父さん 綱野善彦 集英社新書」で知ったが民俗学における綱野氏の志向性によく似ていることで合点が言った。
                     

自然(おのずから)の律

2008年03月16日 | 仏教
 3月は異動期ということで、今日も休日変更で事務仕事に精を出した。春は直ぐそこまで来ているような陽気になり、通勤途中に見る常念岳の高嶺に積もった雪も日ごとに日ごとに薄くなってきているような気がする。 

 どんな部下が、来るのか期待と不安がある課が多いが、最近保険のオバサンがもってきた川柳の気に入った句を選ぶアンケート用紙の中の川柳に、次の句を見つけた。 
 やってみろ 結果良ければ 俺の指示
なかなか面白い。 

 最近購読している地方紙の読書欄に内山節著「日本人はなぜキツネにだまされなくなったか」という講談社現代新書の批評が掲載されていた。
 翻訳家の瀬川千秋さんの批評であるが、この地方紙の文化欄担当者が今どきこの本を紹介するような批評を載せたのか疑問に思っていたところ、2・3週間後の文化欄の「風土と哲学(民衆思想の基底へ)」に哲学者内山節さんの「倫理に頼ることなく」と題する小論が掲載された。 

 内山節氏は、群馬県の上の村に住み農業をしながら在野の哲学者として活躍している人である。 
 地方紙の小論の終わりに、次のように書かれている。 

 グローバル化していく市場経済や、国家に依存して生きるのではなく、人々が自分たちの生きる場に根を張り、そこに自然とともに無事な世界を築きながら、他者の生き方を尊重していける社会。そんな社会が生まれたとき、近代的な経済や政治の倫理に頼ることなく無事な時代をつくることができるのではないだろうか。私は近代世界は発展期から克服期に入ったのだと思っている。

と書かれている。
 内山節氏は、「戦争という仕事」(信濃毎日新聞社 2006年)も出しているようだ。 

 常念の高嶺(たかね)を見るにつけ、「ね」という「やまと言葉」の思考に思う。「堅牢なるもの、不動なるもの」に「ね」という言葉をつけた古代日本人。
 花の根っこの「ね」や岩根の「ね」。屋根の「ね」。「動的な」また「状態」、「働き」という共通地盤に「不動なる堅ろうな」ものを見て「ね」という「やまと言葉」は成立している。 
 
 そのとき「山」も「岩」も「花」も全てが「何ものかのつながりにおいて」分別無くあるがままに眼前にある。また「竹林の竹に当たる小石の発生させる音」は、全てのつながりの中における「音」のみが存在する。 
 「つながりの中にある」という感覚から森羅万象、山川草木も存在することに分別無い。したがって、展開される現象には、「何ものかの計らい」という考えが生まれる。 

 こころ乱す五月雨(さみだれ)も天の計らい、気候変化も当然に「天の計らい」だと古代人は考えた。それは「神」でもなく、つながりの中で成立する「何ものかの計らい」である。「命・生命」という固定された概念の世界という狭いものではなく、限りなく広がる無限の場のつながりの中から生まれる「感覚」であると思う。 

 「あやふやな」「合理的でない」「論理的でない」話であるが、西田哲学における「純粋経験」の発想の基点のようなもののような気がする。また「述語に包摂される」という発想も動的な状態を言葉という単一な表現にしようとする思考の根底の追求であるように思う。 

 「生命・命」という固定された概念を堅持し、物事を理解しようとすると慈愛の世界が展開されるように思うが、合理的な論理的な思考に慣らされた現代人は大きな誤りに陥る。 
 最たる現象が「自然保護」における捕鯨船攻撃に見る聖戦である。 

 古代日本人は、山川草木が人と同等の立場にあり、恵みに感謝があり、森羅万象の現象にある「良きもの、悪しきもの」も同等の世界でのことであり「天(あま)」の啓示なのである。 思うに大乗仏教における「仏性」という発想は、言葉として、また概念として捉えるものではなく、つながりの中でみるものであろう。 

 「山川草木悉有仏性」という発想が、なぜ日本に根付く発想であるか理解できる。
 「自然のもつ律」を国文学者中西進先生は述べられているが、然りである。
 「つながりのなかに生きる」と思えば「自然(おのずから)」に律する気持ちが湧く。
                  

絵解き

2008年03月03日 | 仏教
 仲間の葬儀に参列した。1月の半ばに心不全で倒れ大学病院の集中治療室で治療を受けていたが、急に様態が悪化し、かえらぬ人となった。
 面倒見のよい人柄で、誰にも慕われていた人物であった。それだけに悲しみを抱きながら弔問に訪れる者、告別式に訪れる者は多かった。
 たった一人の死が、これほど多くの人びとに悲しみを与えるものなのか。
 「絵解き」というのがある。

 宗教的な背景を持ったストーリー(物語性・説話性)豊かな絵画(説話)の内容や思想を、語り場に相応しく当意即妙に解説・説明する行為をいう。(長野郷土史研究会機関誌長野第252号から)。

 かつて小林玲子さんという方の釈迦涅槃図の絵解きを聴講したことがある。
 涅槃図には、お釈迦さまの北頭面西右脇臥(ずほくめんさいうきょうが)のお姿を中心に、人びとや動物左右に描かれている。

 4本の沙羅双樹に満月の月、阿難尊者は悲しみの余り気を失い倒れている姿などが描かれている。
 人間はもとより動物まで52種類の生き物たちが集まり嘆き悲しんでいる。

 ふと思うのであるが、もし私に死がおとずれたならば、どれほどの人びとに悲しみを与えるであろうか。
 また、この悲しみであるが、愛する者の死は、愛するが故にその悲しみは耐えがたいものになる。

 「愛別離苦」の分別はどこから生ずるのであろうか。
 悲しみを与える側、受けとる側。「老、病、死」これはお釈迦様にも、誰にも平等におとずれる。
                 
 写真は長野郷土史研究会機関誌「長野第252号」から引用しました。

やまと言葉の哲学

2008年03月02日 | 古代精神史

 万葉学者中西進先生の「日本語の力(集英社)」の「やまとことばの豊かさ」に「働きの分類」という言葉が出てくる。

日本人本来の分類法
 万物を秩序立て区分することによって知識の中に所有していく方法は、じつに「働き分類」らしいのである。

また、「やまとことばのの思考」に

 そこで大きくとり上げたのは「こと」と「もの」であり、「こと」は動作や状態がそれとしてあることを示し、「もの」はたとえば「働くもの」といった場合、ものの動作としてものをその中身において増大するととく。

という論考を見る。

 哲学者・和辻哲郎が残した業績の中でも、もっとも注目すべきものの一つに、やまとことばによる哲学的思考があると言及する中西先生であり、私もそれに触発され「やまと言葉」について思考を進めている。

 その過程の中には、西田幾多郎先生の独特の哲学用語の自己的な解明作業と重なる部分に時々自己満足的な驚きを感ずる。

 そんなときに、昨日書店で「西田幾多郎 歴史の論理学(講談社荒谷大輔著を発見し、早々読み進める。雪降りの静かな時間。積極的孤独の世界でそれが展開されるのである。

 類概念を場所として見て居る間は、我々は潜在的有を除去することはできない、唯働くものを見るに過ぎないが、類概念を映す場所に於いては、働くものを見るのではなく、働きを内に包むものを見るのである。真に純なる作用といふのは、働くものでなく、働きを内に包むものでなければならぬ。(同書P50)場所
 
ここで言及される「働きを内に包むものでなければならぬ。」は、顕現する現象の中に、人を含む森羅万象を「何ものかを基底」にもつ「もの」として「動詞的」な把握で発生する「やまと言葉」の世界の言及と重なる。「絶対矛盾的自己同一」、場所の論理」、「意識の野」・・・・・
             
、類概念を映す場所に於いては、働くものを見るのではなく、働きを内に包むものを見るのである。真に純なる作用といふのは、働くものでなく、働きを内に包むものでなければならぬ。(同書P50)