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思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

久しぶりにブログを書く

2022年09月29日 | つれづれ記

 高齢者といっても68歳は、今は老いを理由に消極的な毎日を送るわけにもいかず、バイト的な仕事に従事している。従事するからには健康が第一で、早朝4時過ぎに起き、30分のジョギングと100メートル小ダッシュを毎日行っている。

 傾斜15度ほどの100メートルの坂道を4回、平均50秒で走り、最後に猛ダッシュ感覚で25秒で駆け上がる。よくも飽きずに毎日走るもので、若いころからの走り癖はいまだに変わることはない。走れなくなれば終局まじかということになるわけで、止めるという意識も湧かず早朝の運動は習慣化している。

 


今日も外は雨

2020年07月11日 | つれづれ記

 各地で豪雨の災害が発生しています。近隣では上高地地区の土砂崩落がありました。

 毎朝、天気が良ければ午前5時から約2キロの道のりをランニングしています。

 6月から内勤事務から解放され外回りの仕事に移り、確認作業の巡回仕事で気を遣うような他者との対面対

話をする機会もなく実に気楽に仕事をしています。年金はそのまま妻に任せ、給料の半分をこづかいにする約

束で実に気楽に生きています。早朝出勤もなく、自由に時間が選択できるところが最高で、早朝の陽の光を浴

びたときに高揚感を感じることが度々あります。

 以前は哲学、心理学、宗教学、脳科学、古典等と興味が尽きない毎日でしたが最近は、一日の集約が重要な

意味ありなりのリアル感覚が宿り読書も遠のいてしまいました。

 まぁ、それもよし!

長年使っていたデスクトップも新しいものに変え替え実に充実した毎日を送っています。

 外は雨。ランニング後に草刈を行おうと思いましたがこの天候では中止するしかなく、音楽(演歌)を聴き

ながら久しぶりにブログを書いています、


仕事の引き継ぎ

2020年04月18日 | つれづれ記

 久しくブログを意識する生活から遠退いていた。忙しいわけでもなくただ単純に意識することがなかっただけである。

 間もなく第二の人生とも言う仕事も5年契約が終了し、所属する団体を退くわけではないが、別の部門に移ることに間もなくなる。

 現在は事務系の仕事で、総務の仕事を一気に引き受けたような内容でひたすら集中力と効率性を重視し進めてきた。


 この効率性を高めるためにエクセルを活用するのですが、いかにエクセルに精通しているかがとても重要でした。この仕事を引き継ぐのは私よりもひとつ年上の方で、パソコンができると言う話で採用し2ヶ月間引き継ぎ指導しています。

 パソコンができるとは、専用ソフトを動かすことができると言うことを意味しワードもエクセルもできるわけではありませんでした。

 あと一ヶ月半、どこまで達成することができるのか努力を期待するのみです。


今日このごろ思うこと

2020年02月12日 | つれづれ記

 久しくブログを更新していませんでした。題材がないわけでなく文章までして意思表示をそのに向けて発信する意欲が失せた、と言ったところです。

 それに反するかのように、健康カラオケの発表会に土日の休日を費やし100人ほどの前で歌唱表現をしている。昨年だけで42・3回のステージがあり今年さらに増えそうです。

 演歌が主で、走裕介の『流氷列車』が今日発売になり帰宅したころにはCD到着しているかと思いますが、最近ではYouTubeを利用し昨日までにどうにか歌えるようになりました。

 演歌歌手では「こおり健太」さんという歌手がいて、特徴がある歌い方をしていて個人的にその節回しに引かれています。『恋瀬川』この方の新曲ですが4月に開催される県大会で披露する予定です。

 実に私は凝り性です。哲学・宗教学・心理学等々貴重な本ももう読むことはないでしょう。トラック一台分はありますが70歳までにはどうにか処分したいと思っています。

とりとめのない話ですが、時々を掲出したいと思います。


『善の研究』を久しぶりにひも解く

2019年10月18日 | つれづれ記

 ブログを書く意欲が薄れてきた。問いの課題というものがないということかもしれない。「人間いかに生きるべきか」「人生の意味」などという問題提起は日々元気に仕事に従事し、好なカラオケに興じていれば、これといった波風も立たず心穏やかである。

 

哲学的な話題が好きで特に西田幾多郎先生のいわゆる西田哲学が好きでこれまで勉強してきた。Eテレ100分de名著の10月にようやく西田幾多郎著『善の研究』が取り上げられ、以前だったら番組全体を文立てしたに違いないが、いまは番組を見るだけで十分である。それにしても伊集院光さんは理解力はすごいですね。私などはいまだによく解せない部分も伊集院さんの語りでよくわかる、そんなところです。

この100分de名著の番組が始まってから数多くの哲学関係の名著が扱われていましたが『善の研究』が扱われないのを不思議に思っていたところようやく今月から、ということで講師をだれにするかで決まらなかったのではないかなどと考えてしまいました。

日本近代思想の専門家若松英輔さんが講師、さすがNHKすばらしい方を選任されたように思います。

 残すところ2回、テキスト500円お得に思える。


正当性の主張の向こう側

2019年09月04日 | つれづれ記

前回のブログでカサンドラ症候群、アスペルガー症候群の話を少し書きましたが、本屋さんの精神医学関係の場所に行くとこの症候群をマンガを多用しで簡単に解説する本を目にします。

 2017年ころから聞かれるようになったようで、簡単に言えば、私がこのような精神状態になったのは、私の身近にいる人が原因している。よく聞かれるのはカサンドラ症候群の妻に対してアスペルガー症候群の夫という図式です。

 カサンドラ症候群は、いわゆる正式な『病気』ではなくアスペルガー症候群のパートナーを持ったことで起こる心身の『状態や現象』を指すので、医師の診断を受けて判定される病状ではないといわれますが、現存在する私の精神状態は他者からの影響が大と考えるもので、生来的に在るかもしれない思考癖などは一切抜きにした考え方です。

 対する側から受ける災いとして、偏頭痛、体重の増加または減少、自己評価の低下、パニック障害、抑うつ、無気力、自律神経失調症など現れることになるそうです。

 対する側であるアスペルガー症候群の者は、「コミュニケーションの問題」、「対人関係の問題」、「限定された物事へのこだわり、興味」があるとのこと。

 公務員の夫をもつ妻は、カサンドラ症候群になり易いと言われます。画一された行動が家庭内に持ち込まれ妻は諸症状を引き起こす。

 「そう言われればそうかもしれない」と、他者に悪性を置くことで安心感が生まれる。

こういう話を書いていると隣国韓国の反日言動を重ねてしまう。太平洋戦争中の日本支配の影響が今日までも続き貿易戦争を仕掛けられている、と叫んでいるように見えます。

何か敵を想定し戦う姿勢が正義に見える。こういう思考はどこにも見ることができます。今朝の地方紙の1面は「アメリカ軍の飛行機の低空飛行」で、ある革命政党が調査に乗り出した、という話しです。反米主義、反資本主義を掲げる革命政党の正当性の主張に正義を重ねる図式をそこに見ることができます。

日本には米軍基地が条約に基づいてあり、当然事故が起きないように飛行訓練を実施しているわけで、上空を見上げた時に、見かけても当然の話、善寺中の敵を見たような騒ぎで一面を飾る。

カサンドラは妄想ではなく、一方にアスペルガーの存在があって、存在する論理。

敵ではないが、自己の正当性の物語は、相手がいなければ浮かび出ないのは確かです。


理由なき生き方をしたいものだ

2019年08月16日 | つれづれ記

 最近のネットニュースで印象に残った記事に、N国党代表がマツコデラックスの言動に抗議するためにラジオ番組の放送局へ突撃を予告し実際に突撃したという話題があった。

 有言実行、気に障ることに対しては即実力行使、高速道路ではあおり運転を行い、相手の車を停止させ殴る、などということを行う者もいる。

 飲みすぎて覚えていないと車内に子を置き去りにし熱中症で死亡させてしまう母親の話もあった。

外国に目を向ければ日韓関係の話のズレには驚かされ、真剣なのか冗談半分なのか判断する基準をもてないような気がしてくる。

ある新聞記事を読んでいると、相模原殺傷事件から3年が過ぎ、植松被告は、意思疎通のとれない障がい者を「心失者(しんしつしゃ)」と彼は独自語で語り、それが日本の財政難をはじめ、さまざまな問題の根源である、と言っているようである。

無駄遣いの犯人探しをするとこのような論理が正当性をおび理性的判断を生み出し、衝動へと走り出させる。

 人の存在するそのこと自体にそもそも存在能力があるからで、存在する能力がなければこの世に浮き出ることもない。存在し空気を吸い食生活をするという当たり前のこと自体存在能力であり他者からの命令ではなく自発的衝動だともいえる。転びそうになった子供に自然と手を差し伸べるように意識無き行動としてそれを「良心」と呼ぶ人もいる。

 良心の呼び声は「現存在に他ならぬ自分自身の、自己として存在する能力を目指すように呼びかける性格をもち」そのことは「他ならぬ自分自身の、負い目ある存在へ呼び出すという仕方によってなされる」

 などとハイデガーは『存在と時間』の中で語るわけで、良心の呼び声は常に負託されたものとして自覚させ彼を行動へと走らせる。彼は言うに違いない「私の良心がそう呼びかけるのです」と。

 反社会勢力が持つ刃物(ドス)と外科医の持つ刃物(メス)がある。どちらも金属を研磨して物を切る道具として存在する。

私という主体の前に客体としてこの二つの刃物があるとする。この金属を研磨した客体(刃物)には善し悪しがあるわけではなく、主体の私がドスを悪とし、メスを善しとする。

世の中の事物・事象は無記であり、原子力技術も善し悪しの無記にある。しかし廃炉の話はこの無記という次元を超え、人間の禁断の技術を語っているようにも見える。

制御できない可能性の内に在る原子力。そもそも人間が手を出すことができる範疇に存在する。誰が何と言おうが、欲するものは叫び行動するのである。

多様性の時代という言葉をだれもが使う。最近耳にする言葉に「アスペルガー症候群と配偶者のカサンドラ症候群」がある。以前ならば性格の不一致で話は済んだが、今の時代何かと理由付きでないと今の私の立ち位置が見つからない、精神医学の発達はある意味人の立ち位置の発見でもある。

他人を気にしないと言えば、共感の心が喪失しているように見え、理由づけ解釈にのめり込むと「心失者」を生み出す。

 自分にとっての正しさ、正義、理性、善的行動も、他者から見れば悪にも見える場合がある。

 昨日は終戦記念日、昼少し前に有明山麓の標高650メートルに軽の街宣車が来て、終戦記念日だと言って平和憲法と安倍内閣批判を15分ほど語っていた。暑い中ご苦労な話で実に正しさの内に生きる人の激しさを見聞きした思いがした。


特に問題はない日常

2019年08月06日 | つれづれ記

 最近はブログの更新意欲がなくなったわけではないがアップ率が低下している。若いときは365回と一日一回はアップしていた時もあった。それを更新意欲の有無と解析してしまうところに、歳を重ねてしまう。

「何があなたをそうさせたか?」と考えたところで今の利になることはないように思う。

 言いたいこと、書きたいことがないわけではなく、毎日の呼吸の中で何かと聞こえてくる。

 「あの国はいつまで戦後を続けているのだ。」

 「日本非難をし続けることに喜びを持つ国民とはどういう人々なのか。」

  愛知県で開催されている国際芸術祭で「少女像展示中止」との報道、「表現の自由が奪われた」という話し。「あれが芸術作品で、何でもかんでもクレームがつくと奪われるという感覚がわき出る」「なぜに奪われると思うのか」

 隣国を象徴する漢字に時々「恨(コン)」が登場する。「うらむ。うらめし。」と読みますが、本当に民族の集合的無意識世界、根源に、本当に・・・そう感じてしまう。

 キムチは最高うまいと思うのに、同じ顔をしてどうしてこうまで違うのか。

 

今朝のニュースを見れば北と金さんと一致団結し日本に勝利しようと叫び始めている。

 国民全体がそうではないようで、歴史が歪曲されていると、現体制を批判する本もかなり売れている隣国。

信州の安曇野山麓で憂いても、全く徳にもならない話、そう思いながらも毎日、ネットニュースを楽しむ私がそこにいる。


朝食なる

2017年04月15日 | つれづれ記
 【ソウル時事】北朝鮮国営の朝鮮中央通信によると、朝鮮人民軍総参謀部報道官は14日、声明を出し、米原子力空母カール・ビンソンの朝鮮半島近海への急派などを「挑発策動」と強く非難し、「超強硬対応」で徹底的に粉砕すると警告した。
 声明は「超強硬対応には、先制攻撃も含まれる」とし、在韓米軍の基地や韓国大統領府を「数分間で焦土化する」と威嚇。「日本本土や沖縄、グアムなどの米軍基地はもちろん、米本土もわが戦略ロケット軍の照準圏内にある」と強調した。

というニュースが発信されているのをご存じだろうか。

 日本を焦土化する。広島長崎の原爆投下後のような状態に今現在の日本をしようと言明している。

 たぶんそのようなことは北朝鮮はすることはないだろうと、個人的に思うのでこのようにブログを書いている。なんとも平和な世の中である。

 危機などというものはいつ来るのかはわからない。熊本の大震災から1年が過ぎ、前触れのない驚愕の事態の発生は、被災経験からの学び、危機管理の啓発が昨日は多く聞かれた。

 未来に備える準備

 今現在の準備

と過去の経験は、今から未来へと視点を向けさせる。

 しかし、実際に「やるよ。やるよ。」と前触れがあるにもかかわらず、根拠なき安心感のうちに私はある。なったらなったで仕方がない、などと達観しているのでもなく、意中に湧きあがらない、といったほうが良いかもしれない。

 それよりもリンちゃんを遺棄した子供会の会長の46歳男のニュースには驚いた。薬物の依存性の話を語る人の中に「人の心には二つの心がある。」というものがあったが、子供会の会長になって、見守りたいで活動していたという話に、「目的」などという言葉がチラつく。

 「目的」ということで意味解釈をしないと46歳男が見えてこない。見えてこないとは見えてくるものがあるわけで、幼児を性的な対象とする性癖であり、獲物を狙う野獣の姿がそこに見えてくる。

 北の首領様は何が目的なのだろうか?

 核兵器もミサイルもサリンも・・・一切放棄し、拉致被害者も早期に返しますから、経済援助をお願いします。

 そういう言葉を心のうちに期待している、のですが事態はそのようなところに推移はしていないように感じられる。

 アメリカ帝国主義の絶対悪・資本主義の悪しき姿・天皇制を根源とした身分差別

こういうものが一掃されない世の中だから、今も現状になってしまった。だから今こそ前衛派の人々が意見の垣根を越えて連合政府を樹立を訴えるのも解らないでもない。

 人それぞれの癖があり、その人を作り上げている。

 作られたものから作るものへの連続

 他者の評価に「目的」を求める視点を我に向けてみると「意味ないじゃん」が大半などと反省してしまうが、さりとて「意味あるもの・こと」とは何かということになると私という人間それ自体、軽薄なのかわからないのである。

 このような吐露が今現在の私であることに違いなく、・・・・そういうことだということで朝食なる、のである。

制限時間の中で・・・

2016年02月04日 | つれづれ記

 真冬日が続く中2月に入り長野県の地方紙の一面を飾った記事があります。見出しは「淫行処罰条例制定の方針」、長野県知事は県の緊急部局長会議でその方針を表明したとのこと。

 「県民運動後回しになる懸念」という解説付きでこの記事は書かれています。

 処罰規定については、警察が恋愛など個人の内面に踏み込み、恣意的な捜査や冤罪を生む恐れを指摘する専門家がおり、県民からは「処罰に頼る社会には限界があり、実効性も疑問」とする意見もあった。

 という話も書かれて、相当この条例制定については反対意見が多いようです。日常の生活の中で実際に聞かれるのは、立ち遅れる長野県の青少年育成条例や淫行処罰条例の話で、誰が一体その条例制定を拒むのかと話です。

 恣意的な捜査や冤罪という話、実際ニュースで話題になり離接的偶然においてあなたもその被害者になりかねない懸念が醸成される現在、・・・しかし、私はそんな疑いをかけられるような行動はしない自信があり大半の県民はそうではないかと思うのです。

 どうにもならない子が親になり、その親が子を作り、どうにもならない一群が世の中にいるのは確か、「三歳の子が自分にガンを飛ばした」と怒り重傷を負わせる大人。組抗争でけん銃を使い射殺する一群。とんでもない人間がいるのは確かさの限界を超えている。

 何が後回しにされるのか、その懸念の出所が解らない。

 言葉の持つ力。

 「空っぽの器」である言葉は、使う人間の器の大きさで決まる。中にどんなものが時々にのせられるのか。それが食器ならばどのような環境で何を食してきたのか。食したものによって、身体は作られ、言葉も個々に彩られて明示される。

 ○○運動に参加しない人間はいることは平和運動を見れば確かな話。

 後回しだろうが参加しない者はしない。あることも、することも知らない。

 心の内にとどめないで人間らしく意思表示をしよう。と呼びかけても知ってか知らずか参加をしない。

 悪事をするなどとは全く思わない私ですが、ある意味人間らしくないのか○○運動には一歩後退する自分がいます。

 寒さに震えながらこんなことを吐露しています。昼間は寒い事務所に閉じこもり携帯カイロが頼り。

 暖(あたた)かい。温(あたたか)かい。

 ぬくもりは、温もりと書く。

 こころが乾いているのか乾燥する冬、水分がほしくなる。熱いコーヒーでも飲もう。

 熱いという漢字もありました。情熱の熱。

 制限時間あと一時間。東に走り出す時間が迫る。