思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

安曇野の「かぎろひ」と霧の中の馬頭観音

2012年10月31日 | 思考探究

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 今年の2月に“太陽の柱と「立つ」の哲学”という大げさなタイトルで朝の出勤おさいに見る風景を題材に「立つ」話を書きました。

 「立つ」という言葉基本的に人間にかかわる話になると、心の内面、たとえば意志の力や挫折、驚愕などとあらゆる心模様を表現します。

 人類二足歩行をした時からの主観的に客観的に、相互理解の共同意識、認識意識ではないかと思います。あの人を見ただけで「そうではないだろうか」と思う心そんな心が見えてきます。

 立ちすくむ・立ち向かう・立ちつくす・立ち会う・・・

後どんな言葉があるだろうか。昨日の朝の風景から今朝はそんな書き出し文章ですが別に重い話を書くつもりはありません。

 朝の微妙な空気の温度差でしょうか陽が昇る際に垂直に光の柱が立つことがあります。 自宅から東方に見える美ヶ原の空の雲があかね色に染まり、太陽はまだ昇りませんが、太陽が昇る位置の上空に薄く光の柱が見えました。

 上記の2月は別の場所ですが、次のようにはっきりとその柱が見えましたが。



昨朝は写真では薄くよくわからないかもしれませんが、柱が見えました。その後を期待したのですが、雲が一層濃くなってしまいきれいな光の柱を見ることはできませんでした。

 ある人がこういう現象を「かぎろひ」というのではないかと言っていました。

 東(ひがし)の 野にかぎろひの 
 立つ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ
                       (万葉集48)

に出てくる「かぎろひ」です。
 あけぼのの光。
 立ちのぼる水蒸気に光が当たり、複雑に屈折してゆらめいて見えるもの。
 陽炎(かげろう)。
と岩波古語辞典いはのっていますが陽炎の一種なのでしょうか。普段とは異なる景色ですから感動します。

 今朝はもう一つ、いつも気にする馬頭観音の石塔です。

好きなんですよね。単に建つ石塔(この場合は『立つ」ではなくこの漢字でしょう)ですがその風景に心惹かれるのです。

 そうです執着の真っ只中にいるのですが、昨日は霧が濃く「霧の中の馬頭観音」になりました。太陽の光がで照らされるタイミングなのですが、雲が濃く光る石塔ではないのですが、久しぶりの霧の中、車を止め撮りました。

ということで今朝は安曇野の風景について書きました。

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まぁ、とにかく今日も頑張ろう!

2012年10月30日 | 思考探究

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 最近は実在や実存という言葉について思考をシフトしている関係で、時間がある時に存在ということに「哲学をする」とまでは行きませんが思考をめぐらすことがあります。仏教を学んでいると「無我」なり関連して「非我」という世界に、実在や実存という哲学の世界に視点をおくのですが、ようするに「無い」と「在る」のどちらかにその重点を置くことになります。

 「ある」こと「ない」ことの話しなるのですが、悟りきって「超無い」の境地にない限り、結局は相対的な「ある」「ない」をわかる一般的な人(わたし)であれば何の不便もないのではないかそう思うのです。

 世の中にはどうしても超自我やスピチュアルな霊性の世界を身をおかないと気が済まない人が多いようで、人間のその性質を利用した詐欺的な犯罪も多いようです。

 高齢者時代や3.11東日本大震災後、世の中に哲学的に人生を考える人が多くなったように思います。

 考えるということは、「人生の究極的なものは何か」「その究極的なものはいかにして知り得るか」「知った結果どう動くべきか」の問いをもつということで、終活とか死生学とかまた療法的なカウンセリングなどに気が向くようになる、ということです。

 その中で私的には「実存」という今現在の存在、難しく言えば現実存在(Da sein)そこにいる私、拠りどころにする私の存在、リアルな私を認識すること、それだけでよいのではないのかと思うのです。

 「今できることをやればいい」(酒井雄哉大阿闍梨)

 「一大事とは今日ただ今のことなり」(正受禅師)

そこには確たる自分が自分の主人公という人間らしさがにじみ出ているように思います。
 
 時々同じような話をくり返している(「わたし」的には編成替えをしている)のですが、


改訂版Eテレ・こころの時代「生きる意味を求めて ヴィクトール・フランクルと共に」(後編)
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/672e939ff6c6e38f6cdc30661f8f7ca7

の中で講師のフランクルの研究を40年以上研究されている哲学者の山田邦男先生が、番組最後に言った言葉が忘れられません。

【山田誠浩アナ】 山田さん。この東日本大震災以降の私たちに「どのように生きていったらよいのか」ということについてどのようなお考えなんでしょうか。
 
【山田邦男】 普通、時は無常ですべて消え去って行くというふうに考えますけど。フランクルは全く逆でしてね、一旦起ったことは二度と無くならないと。未来は不確かだけれども過去は確かだと。だからどんなことだって、ちょうどすね畑・・田んぼの稲刈りをし、脱穀をして(収穫物を)倉に積めますよね。過去は空しいというふうに思う人はその切り株畑しか見ていないからだと。
 
 過去という倉の中にはいっぱい(収穫物が)詰まっているんだと・・・全部そこに保存されているだと。ですから今、ここで自分が「為すこと」それが永遠に残ると・・・ですから時間的にも空間的にも全部つながっていると。そういう世界の中でフランクルは「意味」ということをまあ考えているということです。
 
 そうしますと今お尋ねの東北の大震災で明日の生活にも実際困ると・・・これからどう生きて行ったらいいのだろうというふうに苦しんだおられる方がおられわけですけど。私のそういう日々の最近の体験から申しますと。今ここで自分は何を成すべきかと・・・その何を為すべきかということは、自分の内からは出てこないのですね。
 
 自分にその時に問いかけてくるものがあるわけです。その問いかけ呼びかけに応(こた)えて行くと。自分の誠を尽くして応えていくというそれ以外にない。
 
 私も70歳を越えましたので時々死ぬ・・・死のことを直接考えたりすることが多いんですけど、その時にですねどうしたらいいのだろう、結局私が思いますのはね「いまここで自分が為すべきことを為す」とそれ以外のことはないんじゃないかなあ・・・それしかないんじゃないいのかなあと思うのですね。(終わり)
 
<以上>

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「いまここで自分が為すべきことを為す」

 この言葉はまさに上記の今現在の私、カントの言葉を借りれば存在と当為(いままさになすべきこと)を個人的に重ねてしまういますが、こういう思いめぐらしもいいのではないかと思います。

 今朝はさらに付け足しのメモとして次の話を書き綴ります。

 フランクルの実存分析、ロゴセラピーは俗にいう「実存主義的カウンセリング」に入るのですが、特徴点として「性格論」が出てきません。「あの人はこういう人だから話」「私はこういう性格だから話」は出てきません。もちろん実存的虚無感を感じる現代社会においては言及しますが、ニヒルな性格だからの話ではないということです。

 なぜこういう訳のわからないことをここで書くかというと、私自身が時々思い違いをしますので編成替えの為に付け加えているわけです。

 フランクルの「意味への意志」を知ることに性格は関係ない話、明暗は関係ない話、確たる自己を知ること。

 「知ること」とは---哲学問いにまた戻ってしまいますが---イタリヤの哲学者、歴史学者にベネデット・クローチェ(Benedetto Croce、1866年2月25日 - 1952年11月20日)が「すべての歴史は現代史である。」という言葉を残しています。

 これを個人に当てはめれば(観点の転回をすれば)「自己の歴史が現代の私である」ということが言えると思います。

 同じような話をブログに書くのですが微妙に編成替えをしています。過去より今への編成替えです。

「ある」「ない」を、わかる一般的な「わたし」であれば何の不便もないのではないか、そう思うのです。

からこのような流れになりましたが、結論的には、まぁ、とにかく今日も頑張ろう!

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アインシュタインの相対性理論で見えてくるもの

2012年10月29日 | 思考探究

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 Eテレの100分de名著、鴨長明の『方丈記』の全4回が終了し来月の11月はあのアインシュタインの『相対性理論』が始まります。この番組で物理学の世界に関係する名著を紹介は初めてのように思います。

 前回のブログでは、砂漠の時間について書きましたが、方丈記は文頭から川の流れの中に過ぎゆく時間が語られ無常観と密接に「時間」は関わっていました。物理学の時間は時計の時間ですが、刻みの速さは場によって異なり「時間は、絶対ではない」と話しになるのですが、同一場にいる時にはその違いはわからず、異なる次元から考えた場合にそうなのだ、という話で興味のある人には放送を楽しみにしている人も多いと思います。

 個人的にはこれまでに宇宙の話や重力の話しをブログで取り上げていますので、見ないわけはないわけでさっそくテキストを購入しました。テキストを見る限り物理の話が中心になるようです。

 テキストには書いてないことですが、1世紀前のアインシュタインが生きた時代、彼はマッハやマルクス主義にしたされた革命的学生気運の文化の中でキルケゴールの宗教的実存主義に彼は心を引かれたようです。どちらかというと舌を出した写真で見るようなひょうきん者というよりもやや陰りのあるネガティブ思考の人だったようです。

 そういう人がなぜ空間の歪みや相対的な時間を考え出したのか、そういう話はないようです。精神生活と自然の生命活動とは全く異なる決定因に支配されている。精神的発展と有機的なそれとの間には関係性は全くない、というキルケゴールの思想は現代まで持ち越された大きな問題を提起し、功利主義的倫理性はいまだにその力を失いません。

 核分裂という問題が歴史的変遷の中で発想されてくるのかある意味では哲学的な問題とも密接に関係しているのではないか、そういう話はないようです。

 原発問題も単に善悪の秤に乗せた話に終始しますが、哲学や精神性の人間の営みの歴史を見るとある意味、一元一体の何たるかを示すものです。

 空間のひずみを理論化することで見えてくる本当の世界、質量に物は引かれ、光は空間によってゆがめられる。ある面、人間の精神の歪みにも似ています。

 講師は宇宙物理学者の佐藤勝彦先生です。テキストの表紙には、上記の「時間は、絶対ではない」とともに、「それぞれの見方で違っていい---つまり相対的なのだ」と書かれています。期待しているのですが。

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「砂漠からの声」・森と砂漠の時間

2012年10月28日 | 思考探究

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 今朝のNHK「こころの時代~宗教・人生~」は、死生学のカール・ベッカーさんの今年4月に放送された番組の再放送でしたが、ブログでは一ヵ月ほど前に放送されたアーカイブス「砂漠からの声」(9月30日)に関係した話です。今朝のベッカーさんの話もそうですが、NHK「こころの時代」では、時々リクエストの多い過去の放送を再放送してくれるので楽しみにしています。この「砂漠からの声」は2006年7月2日に放送されたもので、講師は『砂漠の知恵』(教文社)の著者である青山学院女子短期大学講の野村祐之さんでした。

 2006年の放送当時はまだ番組をHDD録画できませんでしたので、保存したい番組としてDVDにしました。くり返し、停止がボタン一つでできメモ取りも楽になり、ありがたいことです。

 さて番組内容ですが、NHKサイトに、

 4世紀~5世紀、エジプトの砂漠に隠とんしたキリスト教修道者がいる。当時、キリスト教がその本質を見失っていることを危惧した人々は、全てを捨てて砂漠に暮らし、神の声を聴こうとした。野村祐之さんは、その修道者の言葉を水墨画と日本語の詩で表した。きっかけとなったのは、カトリック司祭で世界的著述家でもあるヘンリ・ナウエン氏との出会い。真摯(しんし)に信仰者としての魂のありようを探求した氏との思い出を語る。

と概略が書かれています。『砂漠の知恵』という本ですが「日曜日にNHKテレビで放映されてから注文が殺到していました『砂漠の知恵』を重版することとなりました。10月16日(火)に入荷予定です。」などとかなり反響があるようです。

 ナレーター解説によると、『DESERT WISDOM(砂漠の知恵)』(野村祐之編訳、ヘンリ・J・M・ナウエン監修)。アメリカで出版されたこの本は、1600年以上前、エジプトの砂漠に隠遁したキリスト教修道者の言葉を集めたもので、地位や財産を捨て、砂漠で神と向きあって、人々は生きる根源を問いなおす言葉を残しています。

 その言葉を禅画のような墨絵で表現した本が、25年前二人の人物の出会いによって生まれました。ヘンリ ナウエン(Henri J.M.Nouwen:1932-1996)さんはオランダ出身のカトリック司祭で、当時イェール大学神学大学院教授、キリスト教のスピリチュアリティー(spirituality:霊性)に関する著作で広く知られていました。

 野村祐之さんはその教え子で、野村さんはナウエンさんが授業で紹介した砂漠の修道者の言葉を心に浮かんだ東洋の修行僧のイメージで描(墨絵)きました。キリスト教の修道者「アバ(Abba)」「アマ(Amma)」は、日本語では「師父(しふ)(Abba)」「師母(しぼ)(Amma)」と呼ばれています。

 歴史的な話ですが、1600年以上前、師父母たちが隠遁したのは、エジプトの砂漠地帯。繁栄するローマやアレキサンドリアを離れたキリスト教者たちが、ナイル川流域やシナイ山周辺の砂漠に点々と庵を結んでいました。

 当時ローマ帝国によって公認されたキリスト教は、世俗の権力との結び付きを強め、また教義の確立のため神学論争に明け暮れていました。イエスの教えの原点にたち返ることを望んだ師父母たちは、身一つで砂漠に赴き、洞窟や粗末な庵でひとり労働と祈りの日々を送るようになったとのことです。

 師父母が修行に明け暮れた砂漠地帯には、やがて修道者が集まって住む修道院が作られるようになりました。それは現代まで続く修道院制度の原形となり、今も同じ場所で師父母たちの精神を受け継ぐ人々が、修道の日々を送っており2006年の春に春野村さんは、師父母たちの足跡を求めて砂漠の修道院を訪ね、番組ではその生活ぶりが紹介されていました。
 
 番組についての詳細内容は書いていませんが、関連記事として

ブルーベリーの実と自然[2006年07月08日]
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/700f856c8af67d87423d8dfb542035fd

御使いガブリエル[2006年07月15日]
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/26ed280b51f0cb2c4be629fdb3d5c5ee

「悟り」と「刹那」[2009年05月17日]
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/354af18a3350350606f0723779fda128

 ルカによる福音書第10章38節から42節と砂漠の知恵[2006年7月14日]
http://d.hatena.ne.jp/sinanodaimon/20060714

に番組内容を文起こししているわけではありませんが引用していますので、今回は別視点から書こうと思います。

 ヴィクトール・フランクルの著書『夜と霧』旧版の訳者である心理学者の霜山徳爾先生(1919年~2009年10月7日)は、「人間は常に一つの時間的展望の内にいる」として体験時間として「森と砂漠(沙漠)の時間」について書いています。

 霜山先生独自の「生きられた時間」という表現をしますが、「人間と時間のかかわりを問題にする時に、それが時計時間ではなくて、体験され、生きられた時間として扱われなければならない。」と言います。時計は人間の為にあるのであって、人間が時計の為にあるのではないのですが現代社会は時間との競争、時間との妥協、時間との遊戯・・・そこでは我を忘れるような、また失ったような時計の時間の流れがあります(※時間は流れるという一般的な思考で話を進めます)。

 フト気がついたときに、喧騒に疲れて、ため息をついてイスに座っている自分を見ることがあります。そういう時には時計の時間を離れた別時間の流れに身を任したくなるものです(自分だけかもしれませんが)。今朝は「砂漠からの声」にも関連する時間についての話をしたいと思います。数日前に、

「ある時」を考える[2012年10月20日]
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/2b88749f2c25ae80d88ef11e1f63af96

というブログの中で道元さんの「有時」にかかわる話を書いたのですが、この「有時」について霜山先生は、旧約聖書ヨブ記「・・・・・その来ること花の如くに散り、その馳(はし)ること影の如くに止まらず」引用し続いて、次のように書いています。

 時の流砂の前にはすべてが・・・・・物も人間も・・・・・やがて廃墟となって行くのであり、廃墟にはそれなりの美があるにしても、そこに生きている「今」はない。「時間と凋落である」(リルケ)。時間論は哲学的には昔から多数すぐれたものがあるが、示唆に富むものの一つは道元の『正法眼蔵』にある「有時」の巻である。「有時」とは「時あって」ということであり、すべてのものがそれぞれであるということは、そうあるべき時があって(すなわち因縁が熟して)今ここにあるということです。「古仏言・・・・・有時大地虚空」という壮大な文字も見られる。たしかに臨床心理学的にみても、人間の心の変化を期待すること(心理療法)には「時の熟する」ということは重要である。

 “「ある時」を考える[2012年10月20日]”ブログで言及した『仏教、本当の教え』(植木雅俊著 中公新書)における「道元の時間論は永遠性を見ているが、歴史性がない。」という主張が如何に内容の乏しいものかが解ります。「永遠の今」がそもそも「永遠性」のみに志向するところに問題があるようです。心理的未来を如何に持つかということは、その人間の生き方とかかわることであり、「生き方」とは、「かた」が示すようにそういう向きに生きる姿勢を示す、ということです。

 心理学、精神医学の話になってしまいますが、「永山則夫の精神鑑定書」で彼のPTSDについて言及しましたが、「虐待のトラウマ」は何を意味し、現在性において何が現れるか。

 こういう精神性の流れは、つくられ生きられている流れであって、それが今にここにある、ということに思います。そしてこの流れは時計の流れではありません。

 ここで話を最初の「フト気がついたときに、ため息をついてイスに座る自分を見ることがあるのですが、その時は時計の時間を離れた別時間の流れに身を任したくなるものです(自分だけかもしれませんが)。」の時間に戻します。

 時に人は喧騒の都会を離れ、落ち着きのある場所に身を置きたくなるものです。「落ち着きの場所」とは人それぞれに異なりますが、その選択肢の中には森、林、山、海等の自然もあるのではないでしょうか。

 精神性の回復には時間が必要。精神性の回復とは一般的には疲れを取る、という話になるわけですが、「精神性」に視点をおいて宗教における精神性の求めにふさわしい場所を考えたときに、森、林、山、海等を過去、現在に見ることができます。

 霜山徳爾先生は次のように書いています。

・・・・・森の静寂と落着きは人間性に或る親和性を持っているように見える。森は都市交通のようにいわばすべり去っていくものではなく、大地より育ち上がったものであり、大地といわば親しく癒着しているものである。森と大地とは互いに争うことをしない。

しかも共に人間によってつくられる道よりも以前にそこにあるものである。自然は人間が道をつくってもそれを取りもどすことができる。シルクロ-ドも今は失われたからこそかえって人をひきつける。

 森は豊鏡な地上の衣服である。森は覆いであり、守護するものであり、露わでない薄明がある。樹々は天に向かってのびて天上の世界との接点となり、下に根を下すことによって地下へと呼びかける。

そこには生命の循環がある。それは、その時問の内に住みこんだものには、信頼できる、心を休らわせるものである。ヨーロッパの大聖堂は石でつくった森である。無数の列柱が中央通路をはさんで並び立ち、上方で枝分れして互いに交叉し、穹窿(ヴート)を支え、人の心を沈静させる。

森の時間はあくせくせず、一年というサイクルと、昼と夜との変化しかしらない。人はそ.こで怠けもしなければ急ぎもしないことができる。そこには精々、仙道しかないから、高速道路の構造化された空間と時間の持つ、やせて乾いた性質はない。

 これに対して更に心を病む人が、われわれよりも敏感に指摘しているものは「沙漠の時間」が欲しいということである。(但し我が国では少ない)沙漠というときわめて荒涼とした無味乾焼な風景が想像されるが、サハラ沙漠で三年をすごしたことのある作家サン・テグジ.ユペリが述べているように、そこには「はるかに充実した時間」がある。従って昔から沙漠に逃れて瞑想にふける、いわゆる沙漠の隠者と呼ばれる人々がいた。

最近でも、シャルル・ド・フコー神父のようにサハラ沙漠の奥地タマンラセットで独りで神に仕えた人もいた。彼は最後は遊牧の漂賊に殺されているのが発見されたが、その精神的影響力は多くの共鳴者を得ている。沙漠の時間というものは特殊である。沙漠はきびしく、生命を直ちに死滅させてしまうというきわめて切迫した状況に常にある。しかも定住することはできないから、人は漂泊しなければならず、いやでも余剰を捨てて単純にならざるを得ない。

そしてそこで生きていくためには、常にひとつの泉、オアシスを求めざるを得ない。この沙漠は人間にとって、いやでも大地にはりつけられていることを直感させ、そのきびしさの故に精神の醇化を、その単純さの故に精神の豊鏡化を呼びかけるのである。

沙漠の中には甘い生活時間はなく、人間は試練を受け、いわば純粋性をとり戻すのである。そこで人間は、文明の保護による都市時間から遠く離れて、おのれに誠実に生きていかなければならない。たとえばユダヤ民族の古い歴史を見ても、それは遊牧の生活から逃れては墜落を味わい、再び純粋性の保証を取り戻す為に沙漠に帰って行かねばならないことのくり返しであった。・・・・・以下略(以上NHK大学講座テキスト 霜山徳爾 「人間性の心理学」p108~p110から)

※ 砂漠という漢字を原文のままに「沙漠」としています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「。沙漠の時間というものは特殊である。沙漠はきびしく、生命を直ちに死滅させてしまうというきわめて切迫した状況に常にある。しかも定住することはできないから、人は漂泊しなければならず、いやでも余剰を捨てて単純にならざるを得ない。」

「この沙漠は人間にとって、いやでも大地にはりつけられていることを直感させ、そのきびしさの故に精神の醇化を、その単純さの故に精神の豊饒化を呼びかけるのである。」

 ここに醇化(じゅんか)という言葉が出ています。

 [1]余分なものを取り除いて、まじりけのない純粋なものにすること。
 [2]手厚い教えによって感化すること。

精神性を取り戻す、ことは精神の醇化で精神を豊饒化することを意味すると思います。

「沙漠の中には甘い生活時間はなく、人間は試練を受け、いわば純粋性をとり戻すのである。」

 野村先生のこころの時代「砂漠からの声」は、そういう沙漠のなかから生まれた思想です。キリスト教を離れるものではないのですが、非常に「禅的」なところがあります。

<野村祐之編訳『砂漠の知恵』(教文館)から>

 ある日、アレクサンドリアの主教、聖テオフィロスがスケーティスまでやって来られた。集まっていた兄弟たちが、師父パンボにいった、「ひと言お言葉をかけられたら、主教さまのお心もここでおおいに満たされましょう」。すると老師が答えていった、「もし彼がこの沈黙に霊感を感じぬのなら、言葉をかけても始まるまい。」(同書p76)

「霊感」という言葉にキリスト教的な特徴をみますが、雰囲気的には非常に禅問答に近いものを感じます。

「問われている」

「問われているのに気がつかないのかい」とでも言っているようです。その問う先には「神」が存在します。前回のブログで、アンソニー・ロブルスの母・ジュディの言葉を思い出します。

「神様が決められたことだからキット理由があるはず。」

にも通じるところがあります。信仰とは「信じる」という本気の究極です。

「砂漠からの声」は、そのキリスト教の本気の醸成です。

日本的には「納得」です。「自然」の「おのずから」「みずから」の折り合いの体得、得心とでもいうのでしょうか、それに「アハー体験」も加わるように思います。霜山先生の

「醇化」という言葉、「純化」ではなく、酒偏の「醸成」と同じなんですが、酒偏であるところに別意味で、時計ではない時間があります。こんな話を続けているととりとめのない話になってしまうので、このくらいで今朝は閉じたいと思います。

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アンソニー・ロブルスの言葉と「態度価値」について

2012年10月26日 | 思考探究

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昨夜、フジテレビの「奇跡体験!アンビリバボー」は“世界最強の個性を持った3人”と題して、「世界一背の低い男性(身長54.6cm)」「世界一の力こぶを持つ男(腕の太さ64cm)」「世界初の偉業を成し遂げた片足のヒーロー(全米アマチュアレスリングチャンピオン)」の三人の男性の話しでした。

 この番組の詳細な内容紹介は、「世界にたった1人!アンビリバボーな人生の挑戦SP」に掲載されています。

今朝ここで取り上げたいのは、最後の三人目、全米アマチュアレスリングのチャンピオンに輝いた、片脚という障害を持った黒人男性の話です。

そこには次のようにまとめられ紹介されています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 2011年、アメリカ最大のスポーツチャンネルが主催する表彰式で、多くの人の胸を打った1人のアスリートがいた。 アンソニー・ロブルス(22歳)、彼は生まれつき片足がない。 片足というハンディからは想像もできない競技での過酷な挑戦。 その栄光の陰に母と息子のドラマがあった。
 
 
  母・ジュディがアンソニーを身ごもったのは、まだ10代の学生の頃だった。 しかし、当時交際していた男性は妊娠に気づくと、彼女の元を去ってしまった。 両親の助けを借りながらも、学校を退学してシングルマザーになることを決意したのだ。
  だが、更なる悲劇に見舞われた。 1988年に誕生したアンソニーは、生まれつき右足がない四肢欠損症だったのだ。 だが、彼女の育て方は驚くべきものだった。 障害のある息子をいたわるどころか、決して甘やかさず本気で叱り、取っ組み合いになることも多かったという。 アンソニーは小さい頃から力が強かったという。
 
  しかし、ある程度大きくなると・・・走れないアンソニーは学校で仲間はずれにされることが常だった。 走れない自分を嘆くアンソニーに、母・ジュディは「どうして諦めるの?あなたは走れるわ。勝手に走れないって決めつけてるだけよ!」と言った。 厳しく怒るときも、元気づけるときも、親子のコミュニケーションはいつも取っ組み合いだった。
  そして、すぐにアンソニーは特訓を開始。 片足でも、松葉杖があれば絶対に走れると信じて。 そして、松葉杖でも走れるようになったとき、友達ができた。
 
 
  高校に入学したアンソニーが遇然、体育館でレスリングを見かけた。 そして、レスリングのコーチから体が出来ているから君は向いている、一度試したらどうかと誘われた。
  そして、その日あったことを母親に話した。 さすがの母親もレスリングまでは勧めないだろうと・・・だが、母・ジュディは絶対やるべきだと言った。 いつも2人で取っ組み合いをしてきた、それと同じだと言うのだ。 アンソニーにとって、取っ組み合いは特別な意味を持っていた。 障害があっても世間に負けないように、厳しく叱ってくれたり、勇気づけてくれる母の愛情そのものだった。
 
 
  こうして、自らが通う高校のレスリング部に入部したアンソニー。 しかし、現実はそんなに甘くはなかった。
  レスリングは、先に相手の体を仰向けに倒し、両肩をマットにつけた方が勝つ、これをフォール勝ちといい、試合は終わる。 または、相手を抱え上げ、背中から落とすと3点。 相手の背後をとると2点など、奪ったポイントの多い方が勝つ。
 
 
  片足のアンソニーは踏ん張れず、練習でもいつもポイントを奪われ、負けをきしていた。 そんな毎日を過ごしていた頃、クラブのスター選手、アリゾナ州のチャンピオン、クリス・フレイジェに、一緒に練習させて欲しいと頼んだ。 当然周囲は、エースのクリスに実績もないアンソニーの相手などさせられないと思った。 しかし、クリスはそれを快諾。
  クリスはアンソニーを連れてトレーニングジムへ向かった。 クリスは練習後も1人、ジムでトレーニングをしていたのだ。 以来、アンソニーはジムでパワーアップの猛特訓を自らに課した。
 
  すると、次第に成果が現れてきた。 コーチはアンソニーの成長ぶりに注目。 そして、アンソニー流の闘い方を思いついた。
  その作戦とは、片足がない弱点を武器に変えたスタイルだった。 そう、アンソニーは最初から腰を落とした状態で試合に臨んだのだ! この低い姿勢から、素早く膝を蹴って相手に飛びかかる。 そして、持ち前のパワーで相手をひっくり返し、ポイントを奪うのだ!
  アンソニーは握力80kg、ベンチプレス138kgを上げる体にまで成長していた。 そして、高校3年生の時、遂に州のチャンピオンに輝いた!! さらに、その実力が認められ、アリゾナ州立大学への奨学金を獲得することができたのだ!
 
 
  ところが、アンソニーが大学2年の時だった。 母・ジュディが倒れてしまった。 奨学金を獲得したとはいえ、母子家庭の親子の生活は貧しかった。 ジュディは生活費を稼ぐために、休みなく働き、それでも足りないときは、1回35ドルで献血するなどしていた。 長年の無理が祟り、体調を崩してしまったのだ。
  アンソニーが大学を辞めて働くというと、「レスリングはどうするの?」と言ってきた。 諦めずに何とかなる方法を考えろというのだ。 母は、自らが命の危機に瀕しても、息子の夢を絶つことはなかった。
  考えた末アンソニーは、練習をスピードアップさせ、早めに切り上げ、その後、レクリエーションセンターでアルバイトを始めた。 母の決して諦めない前向きな精神は、アンソニーにも伝わった。 そして、ジュディさんの両親の援助も手伝って、アンソニーは大学を辞めずに済んだのだ。
 
 
 大学2年の時には、全国大会で4位に。 翌年は仕事との両立に集中できず、残念ながら7位に終わっていた。
  そして迎えた、大学4年の最後の大会。 全米アマチュアレスリング、頂点を決める決勝戦、舞台にいたのは、アンソニーだった!! 大会史上初めて、片足の選手が健常者と闘い、決勝戦まで登り詰めたのだ。 病気を克服したジュディさんも試合を見つめる。
  アンソニーの相手は前年度のチャンピオン、強敵だ。 試合開始間もなく、アンソニーは相手の背後をとり、2点先取。 そして、ずっと練習してきた大技を繰り出す。 敵の体を回転させ、ポイントを稼ぐ。 そして・・・アンソニーは全米チャンピオンに輝いた!!
  生まれつき片足という障害を持つ人々の中で、これほど大きな健常者の大会で優勝したアスリートはいない。 まさに、奇跡の勝利だった。
 
  そしてアンソニーは、スポーツ全般で、その年の優秀選手を表彰する式典に招待され、不屈の努力を讃える「ジミーV賞」、さらに、障害を持つアスリートのなかで最も活躍した選手に与えられる「最優秀障がい者男性アスリート賞」、2つを受賞したのだ。
  不屈の男、アンソニー・ロブルス。 この奇跡を生み出したのは、母・ジュディに他ならない。
  現在、アンソニーさんは、子供にレスリングを教える傍ら、講演活動を行うなど、忙しい毎日を送っている。 さらに先日、自らの体験談を出版し、まさに時の人となった。
  
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 とてもわかりやすく、見なかった人にも手に取るようにわかると思います。

 この番組紹介には書かれていないのですが、個人的にとても感動した言葉があります。

 母・ジュディの言葉として上記内容には、「どうして諦めるの?あなたは走れるわ。勝手に走れないって決めつけてるだけよ!」という言葉があります。

 母・ジュディは、他の子どもたちとは違う、片脚というハンディーを背負って苦しむ少年いるアンソニー対して、

【母・ジュディ】 神様が決められたことだからキット理由があるはず。

と語っていました。他の人と違って生まれてきた、その現実を突きつけられている実存的空虚感にある少年、絶対あるべきものが無い運命に苦悩する少年に対して上記の言葉を語るのです。

 これは間違いなくキリスト教の従順なる教えの中にある母であるジュディの得心の言葉です。「人生には意味がある」という心理学者ヴィクトール・フランクルの思想の精神的無意識の中の良心、芸術そして信仰の中の「信仰」から持ち得る意味理解からの言葉です。

 この言葉に呼応するかのように、アンソニーは上記の運命をたどってきました。番組では偉業を遂げたアンソニーに授賞式で会場で語った言葉が放送されました。

【アンソニー・ロブルス】  ありがとうございます。 この場に立てて光栄です。
 今夜受賞した人のほとんどが、 何かを成し遂げたからではなく、 周りの人が犠牲を払ったり激励してくれたお陰で この場にいる事ができるのです
 
 私の場合それは 母のジュディでした。

 私が片脚で生まれた時、 母は逃げ出すこともできました。しかしそうしなかった。そして母は教えてくれました。

 「諦めてはいけない」と・・・

 私を強くするために、痛みから守ってくれませんでした。
 大学2年の時 母は病気になり、私たちは家を失いました。私はレスリングをやめようとしました。 でも母は許しませんでした。

 お陰で全米チャンピオンになれました。
 そして世界一の指導をしてくれた、 アリゾナ州立大学と友人のクリス・フレイジェ、 高校時代のコーチ ボブ・ウィリアムズに感謝します。

 これからも私は前へ進みます。私のメッセージを聞いてください。

 この世に生を受けた人間は、 脚が1本であれ2本であれ困難に立ち向かわなければならない。どう生まれたかではなく、どれだけ価値のある者になれるか。たくましくあれ! 可能性を高めよ! そのために痛みが伴おうとも、 私は不満をこぼす事はないだろう。 私の魂は屈する事はない。どんな敵に立ち向かおうとも恐れる事はない。 私は自分の可能性を知っているから。

<以上>

この言葉には、鳥肌が立ちました。特に一番最後の言葉、この中には彼の全ての気持ちが集約されているように思います。

 上記の番組紹介に書かれている、ジュディが病気で倒れた話の中の話です。生活費もままならない状態で、奨学金だけでは大学への行くこともできないことから、進学を諦め働くことを決意した彼に母ジュディは、「自分ができる可能なことがあるはず、可能性を考えること」旨を語ります。

 アンソニーの上記のメッセージから見られる「可能性を信じ尽くす」態度は、日ごろ接する母ジュディ態度も当然ですが、この「可能性を考える」というポジティブな言葉から生れた態度価値の例だと思います。

 変えることのできないもの、運命的なものが、まさにそのまま受け入れねばならない場合に至るところに実現される「態度価値」、これは自分を超えた世界からの要求に対して責任をもって答えていく態度のことです。

【母・ジュディ】  神様が決められたことだからキット理由があるはず。

【アンソニー・ロブルス】  この世に生を受けた人間は、 脚が1本であれ2本であれ困難に立ち向かわなければならない。どう生まれたかではなく、どれだけ価値のある者になれるか。たくましくあれ! 可能性を高めよ! そのために痛みが伴おうとも、 私は不満をこぼす事はないだろう。 私の魂は屈する事はない。どんな敵に立ち向かおうとも恐れる事はない。 私は自分の可能性を知っているから。

フランクルの人生の意味についてには、三つの可能な価値カテゴリーとして上記の「態度価値」の他、

創造価値(行為によって実現される)

体験価値(世界「自然、芸術」を自我の中に受動的に受け入れることによって実願される)

があります。最終的には「態度価値」として現れていてこの価値が三つの中で一番重要なものとされています。

フランクル著 山田邦男監訳『人間とは何か』(春秋社)から、

 人間存在の価値や尊厳に関するわれわれの日常的判断の根柢にあるものを顧みるときに、成功とか失敗の彼岸に、およそいかなる結果ともまったく無関係に価値を有しているような体験の深みがただちに開かれるのである。(同書p194から)

内的に充たされる領域、心のなかにはあることを気づかされ、励まされた番組でした。

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酒井雄哉大阿闍梨の「東西南北」

2012年10月25日 | 仏教

[思考] ブログ村キーワード

 一段と秋が深まり奥山の紅葉がそろそろ山ろくの入口まで下りてきました。一昨日の夕方上高地に雪、通行止めとのニュースがあり朝の気温もかなり下がってきました。
 この様子だと北アルプス常念岳は雪になると思い、通勤の際に見てみると積雪となっていました。

 東から昇る太陽の光に雪が輝くところがとてもきれいなのですが、残念、山頂付近に雲があり輝きは見ることができませんでしたが、白いことだけはわかりました。

 最近は「人生には意味がある」という命題に何かと興味がむくようになり、書店へ行ってもこの手の本を手にすることが多くなりました。天台宗の行者の酒井雄哉阿闍梨さんの著書が目にとまりました。一か月前にEテレの「こころの時代」に出ておられたことを以前ブログに書いたように思いますが、表紙の顔写真にも惹きつけられて手にして読み始めると、余りのもその読みやすさに驚きいっきに読みたくなり購入しました。消費税込みで丁度1000円になります。

 子どもさんにも読めるように話しことばで、頭を抱えるようなことは書いてなく、いわゆるストンと身には入る話が書かれています。

 今朝はその中から太陽が東から昇るという話から、第二章の「生まれてきたのは、なにか役割があるから」の冒頭の話しから「東西南北」の話を書こうと思います。

酒井大阿闍梨には三人のお師匠さんがおられたそうで、そのお一人から教えを受けた話です。「こころの時代」でも同じ話をされていたように記憶していますが、「アハー体験」と言いますか、「なるほど体験」、「なるほど知識」です。

 最初のお師匠さんからの宿題、紙の真ん中に「日」と文字が書かれていて、周りに東西南北の四文字が書かれた紙片、それが渡され「明日までに考えてくるように」と言われたそうです。

 今でもよくわからないといいながらも「『人間は、何をしにこの世にきたのか?』ということを問いかけているんじゃないかと思うんだ。」と、次のように説明されていました。

 南=な

 西=にし

 北=きた

と読め、「お日様は東の空から昇るよね。だから、お日様が昇る東の空から、『なにしにきたのか?』ということを毎日問いかけられているじゃないかな?」 というわけです。

 どうもお師匠さんからは、正解を示されていないようですが、正解がないことも深い話ですが、この大阿闍梨の解もなかなか「なるほど体験」話です。

 「なんとためにこの世に生まれていたのか考える」

 個人的な解釈ですが、難しい言葉で言えば「存在」と「当為」という哲学的問です。「在るべきことと為すべきこと」「生まれてきた存在、そこにはおのずと為すべきことがある」そんな問いです。

 お日様が昇るということは、お日様は、いつも、毎日わたしにそういう問いかけをされているということです。これ以上余計な話は書かないことにします。

 一気に読める本で、何回も反復すれば、すべてが身に付き誰かに話したくなる、そんな気がします。ということで今朝はこの話を選びました。

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永山則夫の精神鑑定から見えてくるもの(2・完)

2012年10月24日 | 思考探究

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 永山則夫『無知の涙』(河出書房)から、

 そして思う、主観的に視た自己自身の存在価値とは、その自己自身が如何なる方法をもってそれを大切なものと取扱っているかにかかっている、と。つまり、現存在を充実させているか否かに、その個々人の存在価値の度合いを視れる、と結論する。そうなんだ! 大切とするのは自己自身の実存である。(同書p434から)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 権力で支配された代えられない社会構造、従属関係のなかに忍耐と従順な臣民であれば、臣民側では如何に耐えながらその支配力の中で苦しみ生きて行くか、またその社会構造が不安定で争いが絶えず生き場所を失った者たちが苦しみの中で彷徨い生きて行くか、という社会構造と臣民の姿をいまだに見ることができます。苦しみを感じるのは、苦しみ無き理想社会を想う心があるからで、理想と現実のはざまで苦しみが続きます。

 そこで社会構造が変わらないとするならば、そのような精神的な苦悩を作り出す感覚器官はそもそもないのだ、錯覚なのだと自分に言いきかせ、「日々のその刹那生滅のその一瞬に全力を傾けよ!」それが賢い人と呼ばれるという話になって行きます。

 上記のような支配社会で、一番の犠牲者である子どもたちは、従順なる自然の摂理を教えられ世界からの援助の元、互いに助け合うこと、相手を思いやることの大切さを教えられ、代えられない社会構造の中で命を燃え尽きさせます。いつの間にか臣民は悩む力さえ失い、わずかな喜びの中で幸福を感じるように創られ永劫回帰の中に生き続けます。

 一方近代国家の中で不公平さはあっても、紛争も一部の支配者の下にない人びとが、みずからが作り出す不幸に気づき、覚り、「わずかな喜びの中で幸福を感じ生きるのが幸いである」と教示を受けるのとでは、大きな差があります。

 近代社会の中でわずかな喜びに満足するのと、旧態依然の社会の中でわずかな喜びに満足するのとは同等の心の成長なのだろうか、とフト思います。

 心などというものはもともとないのだから、当然心の成長はない、悩みなどは瞑想と一念で滅せよ!

 そんな思想と国があることに不思議さを感じる。

 悩む力を失ったものは死の道をひた走る。

 数日前のブログ 「ある時」を考える 中で、植木雅俊著『仏教、本当の教え』(中公新書)の中に書かれていた、仏教学者の中村元先生訳、

過去を追わざれ。未来を願わざれ。
およそ過ぎ去ったものは、すでに捨てられたのである。
また未来は未だ到達していない。
そして現在のことがらを、各々の処においてよく観察し、揺らぐことなく、また動ずることなく、それを知った人は、その境地を増大せしめよ。
ただ今日まさに為すべきことを熱心になせ。

という有名な「一夜賢者の偈」を引用しました。

 このブログを書くきっかけは最近出版された『阿含経典3』(増谷文雄編訳 ちくま書房)の中に上記の偈が掲載されていたことから関連して書いたのですが、過去ブログで何回となく書いたのですが増谷訳では上記の偈は、

 過ぎ去れるを追うことなかれ。
 いまだ来たらざるを念(おも)うことなかれ。
 過去、そはすでに捨てられたり。
 未来、そはいまだ到らざるなり。
 
 されば、ただ現在するところのものを、
 そのそのところにおいてよく観察すべし。
 揺らぐことなく、動ずることなく、
 そを見きわめ、そを実践すべし。
 
 ただ今日まさに作すべきことを熱心になせ。
 たれか明日死のあることを知らんや。
 
 まことに、かの死の大軍と、
 逢わずというは、あることなし。
 
 よくかくのごとく見きわめたるものは、
 心をこめ、昼夜おこたることなく実践せよ。
 かくのごときを、一夜賢者といい、
 また、心しずまれる者とはいうなり。
     
     (中部経典131 増谷文雄訳)

中村訳 増谷訳の対比をするのではなく、この偈が言わんとするところは、

「過去を追わざれ。・・・・・およそ過ぎ去ったものは、すでに捨てられたのである。」

「過ぎ去れるを追うことなかれ。・・・・・ 過去、そはすでに捨てられたり。

上記の「ある時」のブログ内容と重複するのですが、「今現在という只中」におけるV・E・フランクルの「苦悩の意味」や姜尚中先生の『悩む力』(今年「続」が出版されている)は上記の「一夜賢者の偈」でどう理解し、生きる力となるのか。

 個人的には「ある時」ブログで言及した通りなのですが、巷に流布する「瞑想」「坐」は「悩むこと自体」の払拭を前提に説かれているようにしか見えない。

 早い話が、玄関から出る時の足の動きから、就寝の寝間に入る時まで動作まで事細かに意識を集中させることが、「今日ただ今の大切さ」を得心するもので、一心不乱の祈念の言葉に集中も同様なように説かれているように感じます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

文頭に、永山則夫死刑囚の、

 そして思う、主観的に視た自己自身の存在価値とは、その自己自身が如何なる方法をもってそれを大切なものと取扱っているかにかかっている、と。つまり、現存在を充実させているか否かに、その個々人の存在価値の度合いを視れる、と結論する。そうなんだ! 大切とするのは自己自身の実存である。(同『無知の涙』(河出書房)p434から)

を書きました。NHKの「ETV特集「永山則夫 100時間の告白~封印された精神鑑定の真実~」を見て永山死刑囚に興味を持って思うのですが、死刑という絶体絶命の境地、いつ処刑されるかわからない境地、そこには何があるのか、結果だけは上記の言葉が示しています。

 永山死刑囚には多くの人々が関わっているようです。マルクス、資本主義・・・と思想豊かな言葉が出てきます。鑑定書を手放さなかったのは「血の濃さ」生きた歴史があったからだと思います。忘れてはならない、過ぎ去った過去であると捨て去ってはならない過去が書かれていたからだと思うのです。

「ただ今日まさに作すべきことを熱心になせ。
 たれか明日死のあることを知らんや。
 
 まことに、かの死の大軍と、
 逢わずというは、あることなし。
 
 よくかくのごとく見きわめたるものは、
 心をこめ、昼夜おこたることなく実践せよ。」

「苦悩の意味」や「悩む力」で、この偈をかみ締めたいものです。

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「永山則夫の精神鑑定書」から見えてくるもの(1)

2012年10月23日 | 思考探究

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 一昨日の「PTSD(Posut Traumatic Stress Disorder)「心的外傷性ストレス障害」から学ぶ」の中の「2 ETV特集「永山則夫 100時間の告白~封印された精神鑑定の真実~」の話に焦点を当てたいと思います。

 死刑判決における永山基準で有名な連続殺人事件の永山則夫死刑囚の精神鑑定書にかかわる話です。精神鑑定を行ったのが精神科医師の石川義博川先生で、精神鑑定の差異に録音されたテープが紹介され永山本人の肉声とともに、鑑定書の内容が紹介されました。

 個人的に興味を受けたのは現代ではPTSD「心的外傷性ストレス障害」と呼ばれる精神障害が犯行当時19歳であった永山死刑囚にもあったのではないかという精神鑑定結果です。

【ナレーション】 石川さんは永山が持つ被害妄想や逃走癖は幼少期の体験に根ざしているのではないかと考えました。
 面接と並行して行った脳の検査では永山の脳波は 左右で通常とは異なる偏りがある事が分かりました。
 幼少時からの過酷な体験で脳が 何らかの障害を受けた可能性があると指摘しました。
 石川さんの見立ては 当時はほとんど知られていなかったいわゆる「PTSD」心的外傷後ストレス障害の症状です。
 生命を脅かされたり、強い恐怖感を与えられて起きる心の傷“トラウマ”がもとになり身心に深刻な障害があらわれる病気です。


 
 90年代後半から脳を画像化する技術が進みPTSDが脳にもたらす影響が解明されてきました。
 これまでの研究ではPTSD患者の中でも幼児期に虐待を受けた人は脳の発達が左右で異なるケースが多く報告されています。
 例えば 記憶や情動に関係する機能を持つ 「海馬」ではアメリカと ドイツの研究で左右の海馬のうち 左側だけが虐待を受けていない人より平均12%から16%小さくなっていました。
 最新の研究では こうした症状が治療によって改善する可能性も分かってきました。
 研究者たちは児童虐待は脳を傷つけ心身に障害を起こす事もあり子供の人生に深刻な影響を及ぼすと 指摘しています。

<以上>

 鑑定書には「外傷的情動体験」という言葉が書かれています。母ヨシによる永山少年に対する虐待、それは母ヨシ自身が受けてきた壮絶な虐待の相似的行為でもありそれは「虐待された親が自分の子をまた虐待するという連鎖」となることの「リアルな証明」でした。

 永山則夫死刑囚には『無知の涙』(河出書房)という彼が残した遺品ノートをまとめた本があります。今私の手元にあるのは「増補新版 2006.9.20 15刷発行」のものです。ノートは10冊まであり、ノート5には、次のように本人は書いています。

<『永山則夫 無知の涙』(河出書房)から>

十二月十六日
 恋人からの手紙は絶えてしまった
 俺からはだせない・・・・・

 まよっている・・・・・俺は今迷っている
 女というものは 穢(きた)ないと激しく念うのだ
 母親というものが
 俺の母であり 世の一般の母である
 母性を忘れた人に育てられた俺だからか
 無知で 無知で殺したくなるような
 犬猫どうように
 あつかう現今の母親…… 可愛い子供を
 捨てるな!!
 殺せ!!
 殺すより生むな!!
 俺はホモなんかじゃない
 男としての俺は女が好きだ ただし
 性愛(セックス)のみだけだが・・・・・
 しかし子供は生ませない もう絶対に
 生めないこともあるが
 あゝ なんなんだ あゝ あゝ
 淫楽の世界は続く つづく・・・・・ つづく・・・・・
 
 恋人よ慕情はつのるのだ
 だが俺からはだせない
 あなたは女 他人となるのか・・・・・
 それより俺だ 自身だ
 性への思惑を切り断ってしまいたい
                            ヽ
 だが しかし私は・・・・・
 俺は精神分裂症か!!
 これも余りよく知らない
 ただ俺は自己を非難したいだけ

 そして私は告白しなければならない
 女とは醜い生き物
 しかし女性とは最大限に必要な物

 「捨てるな!! 殺せ!! 殺すより生むな!!・・・・・」は幼児保護法三原則。どこの国の?
  「Ⅹは三字の端」†

<以上同書p200~p201>

「Ⅹは三字の端」という題の詩で十字架らしき印がついています。

 母に対する恨みと、母(女性)に対するフロイト的なエス的情動が現れているように思います。「なぜおれは生まれたのか」その原因は単純なる母の胎内からの誕生、ゴミのように死んでいった父との関係において、上記の死には父が出てきません永山の父に対する思い出は、収録された本人の言葉によると「100円やるか」旨の一見やさしそうな父親像だけだそうです。恨みは母に向いています。

 同じくノート5に書かれている文章です。

<『永山則夫 無知の涙』(河出書房)から>

二月二十八日
 『四人を殺した!「なんだ?!」「どうしたんだ?!」「戦争でもあったのか? 四人も殺したなんて?!」
 四人を連続的に殺した。矢継ぎ早に殺した!! 殺人だ! とんでもない野郎だ。殺してしまえ!! 凶悪犯! 鬼!』-----私が逮捕される前の世論の評であった。が……捕まったら、それらの言語は消えた。
 
 この108号事件は私が在っての事件だ。私がなければ事件は無い、事件が在る故に私がある。私はなければならないのである。今考えて、あの時期に、四人を殺してしまう以前に、考える事は出来なかったのか? あったのだ! しかし、死刑になるなら自殺した方が最良だと考えた訳である。自殺は出来なかった。理性をもって考えたのに、自殺は出来なかった。世論の同情する私であるために出……来……なかった……。
 
 あの時期、後の二件は回避せるものであった。しかし、どうせ死刑になるという観念があれ等の事件を犯してしまった。「死刑になるという観念」それ故に惰走した。「死刑になるという観念」は凶悪犯を尚更、高段な凶悪犯行に走らせてしまう、自暴自棄というのであろう。

 凶悪殺人犯には死刑は必然だ。だが、凶悪犯と成る凶悪犯には死刑は無い方がよい。その犯行の衝動を自制しによいから、と私は思う。少なくとも私の場合、死刑というものがなかったら、後の二件は阻止出来たのではなかったろうか? 否、出来た筈である。このアジア的国家の日本では国民の治安を守るために、凶悪犯行阻止のために、死刑は在って当然である。現在がそうであるのである。

資本主義万歳を雄叫びするために死刑は必要なのである。エコノミック・アニマルの生存するために凶悪犯行防止のために死刑は必要だが、凶悪犯となった人間にとって、凶悪犯行を再び行なわないために死刑は無い方がよい。矛盾のように思われるが決っして矛盾なのではない。凶悪犯が「どうせ死刑になるのだ」との、どうせとは死刑が在るからいうのであって、死刑が無かった場合にはどうなるのであろうか?……決断はくだせない、私には無理な話である。が、私は思う、死刑がないのであるならば、凶悪犯の再度の凶悪犯行は阻止可能であると、譬えそれがパーセンテージなものであっても阻止出来たのである。

悟性に目覚めるということは、知性的思考の可能になったことではないだろうか。私の場合、親がいうに耐えない無知識者であったため、少年期は誠に不安定な時期であった。それ故か、こういう物事を言い出すにも、或る種のわだかまりが自己を圧迫し、思うように論じな〔ら〕れないのであった。

それが今では良い方へ転化可能な状態になりつつあるのである。私個人の精神発展史は何かの益に立つのではと、この日頃冗談めいてはあるが思うようになった。これはあくまでも私個人の事柄であるが、犯罪者心理学とでも言おうか、その方面に一ページを付加えることであろう。
      -----死する者より・その二十四-----「個人的凶悪犯心理の研究から」

<以上同書p249~p251>

上記に「凶悪殺人犯には死刑は必然だ。だが、凶悪犯と成る凶悪犯には死刑は無い方がよい。その犯行の衝動を自制しによいから、と私は思う。」という箇所があります。「自制しによいから」は多分「自制しなくてよいから」ではないだろうか。

「凶悪犯」「死刑囚」にならなければわからないこと。

いわゆるヴィクトール・フランクルのいう「苦悩の意味」(V・E・フランクル著『死と愛』みすず書房p119~p132)『人間とは何か』春秋社p193~p206)が語られている「リアルな証明」のように思えます。

 苦悩する自分そこに価値的意味を見出そうとしている姿、「自制しなくてよいから」という言葉ならば観点の180度転回です。

 最終的には精神科の病院で自殺した姉を一時期慕っていた姿がテープの声にはありました。生まれながらに冷血人間はありえない。フランクルの精神的無意識、フロイトやユングのような衝動的な精神的無意識ではないもの、それがあるように思います。察知しようとする意味器官があるということです。

 時間がないのでこのくらいにしますが、「ETV特集「永山則夫 100時間の告白~封印された精神鑑定の真実~」という番組はフランクルの思想で見ていくと見えないものが見えてくるような気がします。

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NHKSP「中国文明の謎~中国の源流~」に学ぶ

2012年10月22日 | 古代精神史

[思考] ブログ村キーワード

 尖閣列島をめぐる問題で中国と険悪な関係になっている日本、そのような状況下に10月14日のNHKスペシャルで「中国文明の謎~中国の源流~」という番組が放送されていました。番組は、中国四千年の歴史が中国大陸の同一場所に花開かれてきたのか・・・・・この場合は「花」ではなく「中華」の「華(か・はな)」・・・・・その謎を解くというもので、

第一集 仲夏の源流 ~夏~

第二集 漢字に秘められた力 ~殷・周~

第三集 始皇帝の戦略 ~春秋戦国・秦~

の3回に分けて放送されるということです。個人的には、中華という言葉には大陸(中国大陸)の中央に栄える統一された国という意味があるのですが、個人的なイメージとしてはいつも紛争ばかりで、統一されたかと思うと直ぐに反乱等で滅びて行く所、地域という感じを受けます。

 考えてみれば確かに「中華」で、中国は昔から「そこにあった」という統一思想を民衆に扶植するには、歴史的な事実の明確なリアルな証明が必要で、中国では今盛んにそんな意味の考古学上の掘り起こしが進められているようです。

 中国の歴史といえば、“『史記』司馬遷”と歴史の時間い覚えたように、徳の高い皇帝が、血脈ではない権力の移譲で政権を引き継ぐ「禅譲」という言葉を思い出します。「堯が舜に禅譲し、舜が禹に・・・」という歴史です。

 若い頃に中国の古代史が色彩文化、竜山文化の時代、そして夏の時代、殷・周・晋・隋・唐・・・・・で、途中に春秋戦国時代などの勇猛果敢な戦士の時代があったということを覚えました。

 河南省の二里頭村に2万人の大規模な集落が発見されそれが「夏王朝」ではないかということで、場所の特定が進んでいるようです。

 「私たちは華夏の子孫!」という子どもたちが授業で叫んでいる一コマがありました。「夏王朝の子孫」ではなく「中国で初めて統一され国(夏)の子孫」という意味で「統一民衆」という教育であるようです。

 夏王朝という言葉は使われずあくまでも「夏」ですが、それ以前に各地にあった独自の文化圏を持った国々は、自然災害と民衆の反乱により勃興をくり返していた。それを各種の穀物(米・麦・大豆・アワ・キビ)を栽培し、「礼式」の元、神格化した王を中心に災害にも強い統一国家となったのが最古の統一国家「夏」である、そういう歴史観です。

 少々驚きなのですが「禹」という王様は治水の政策で人民のための政治を行なった人、というイメージを持っているのですがこの「禹」という王様の名がどこにも出てこず「ある若者」という表現で史記の歴史のアニメが流れていました。番組では取材班が作った『中国文明の謎』があるのですが、そこには逆に王の名は出てきますが、その禅譲も含めた歴史は語られていません。

 「禅譲」という言葉が出てこないので、こうなると腐敗に満ちた、人民のための政治を行わなかった王国の中で語られる「酒池肉林」などという言葉も今後出てこないのだろうか。

 番組を見て驚いた発掘された遺物がありました。それは夏王朝になる前にあった小国の王妃と思われる遺骨です。民衆反乱によって殺された王妃、人骨の下半身には家の角が刺さったまま、ゴミ捨て場から出てきたことが実写で詳細に語られていました。大きく口を開いたまま死んでいるように見える王妃の人骨、乱暴された後に殺されたのだろうということです。

 民衆の反乱は、酷いことをするものだ。

と、インパクトのある、リアルな証明を語るものでした。

 歴史観は創られるのか、読み取るものなのか、興味が湧く番組です。

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PTSD(Posut Traumatic Stress Disorder)「心的外傷性ストレス障害」から学ぶ

2012年10月21日 | 思考探究

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 今月に入りPTSD(外傷後ストレス障害)の内容を含む番組を観た。

1 Eテレ「東北発・未来塾~心をケアするチカラ・桑山紀彦~」

2 ETV特集「永山則夫 100時間の告白~封印された精神鑑定の真実~」

それぞれに番組制作の意図するところは異なりますが、通底するところは「人の心は体験・経験に影響される」ということです。当たり前すぎること、あまりにも当たり前すぎるため日々の現実に如何に覚醒の意識を働かさないで生きていることか」と気づかされた。

 3.11東日本大震災、福島原発事故の放射能汚染という体験・経験、犯罪被害者としての驚愕体験幼少期の虐待等の心的悪影響を及ぼす体験・経験など、そこにみられる精神的障害がPTSD(外傷後ストレス障害)という病名で語られます。

<Eテレ「東北発・未来塾~心をケアするチカラ・桑山紀彦~」> 

 Eテレの「東北発・未来塾」は、2回に分け心療内科医師の桑山紀彦さんの「心をケアする力」という番組を放送しました。番組の内容については以下のサイトに掲載されています。
 
 2012年10月5日(金)
 心をケアするチカラ・桑山紀彦さん
第1週「“愛”のドクターK 登場」
http://www.nhk.or.jp/ashita/miraijuku/archives/121005.html

2012年10月12日(金)
 心をケアするチカラ・桑山紀彦さん
第2週「針金1本であなたの心を癒やします!」
http://www.nhk.or.jp/ashita/miraijuku/archives/121012.html

 未曽有の災厄に見舞われた東北の人々の心のケアに取り組む心療内科医の姿が放送されていました。内容については、サイトの中に詳細に語られています。

 「目に見えない心というものが僕たちのテーマ」と語る桑山さん、世界の紛争地域の人々の心のケアにも取り組まれいるとのこと、その語りには人柄と情熱が感じられました。 
 番組ではその活動とともに被災地の人々の心に何が起きたのか、ということについてわかりやすく解説してくれる番組でもありました。言葉を絶する被災地の現状、苦悩する人々を見ないで済むなら見ない方が精神衛生上よいのではないか、そう思う人もいるるかもしれませんが、偶然の出来事に「AでもBでもCでもありえた」即ち、「私が彼(被災者)でもありえた」という「離接的偶然」を考えると本質的な人間性が求められているように思います。

 わたし自身がこの番組で印象に残った話にPTSD(Posut Traumatic Stress Disorder)「心的外傷性ストレス障がい」についての話があります。心に受けた傷が放置されるとPTSDになる可能性がある、という話しは最近よく聞くところです。実際どういうことなのかというとPTSDには三つの症状があります。

PTSDの三大症状
1)回避(Avoidanace)
2)侵入(Intrusion)
3)過覚醒(Hyper-arousal)

この三つで、順番が逆になりますが体験したことがくり返し思い出され悪夢が続く「侵入」や感情や緊張が高まる「過覚醒」があり、桑山さんは典型的な症状の一つ「回避」について次のように説明していました。

 回避(Avoidanace)は、トラウマの記憶につながる事態を避けようとしてしまうことで、

「海に近づけない」(津波被害)
「クルナの振動に耐えられない」(地震被害)
「映画の戦闘シーンが見れない」(紛争被害)

などがあり今回の津波などの体験(被害の記憶)は3か月や1年ぐらいは忘れられないのが当たり前ですが、2年経っても10年20年経っても海に行きたくないという回避の症状が続き、そうなると病気ということになるということです。

 被災者の子供たちの中には目の前で人々が流されるという悲惨な現場を目の当たりにしたのですが、そのあまりにも衝撃的な体験から、その部分の記憶が失われ、厳密には深層に押し込められ、それが結果的には抑圧状態のストレスになるということです。

 その間の記憶が飛んでしまう。しかし衝撃的な経験は想起できないだけで残されている、それを意識化しないと抑圧状態が継続し精神的な障害になるということです。

 そのようなPTSDにならないためにはどうすればよいのか。そこで重要になるのが対話で、相手の話を聞く、相手の話に耳を傾け被害者が語りはじめることによって、段々と重荷が軽くなりストレスが徐々に解消されるようになって行くということです。昨年災害時の番組で哲学者(臨床哲学・倫理学)の鷲田清一先生は「話を聞く」ことの重要性を話されていましたがまさにこのことだと思います。

 桑山さんは心の傷は記憶の病と説明されていました。そして記憶がうまく整理されていないからPTSDになる。だからケアする立場にあるものは記憶との戦いだとも話されていました。

 くり返しになりますが、凄惨な場面、恐怖を抱きながら逃れた道すじ、それらの記憶がそっくり消える。消えるといっても無くなっているわけではなく、空白感でつじつまが合わなくなるそれが障害となるということです。番組では抜け落ちた記憶と向き合うことの重要性が語られたわけですが素人的にはその必要性はあるのかと思ってしまいます。

 番組の内容とは離れますが、過ぎ去った過去になぜ囚われなければならないのか。特に悲惨な体験ならばあえて思い起こすことが必要なことなのだろうかと考えてしまいますがそうではないということです。

 人の記憶は健忘があるもののある程度は順を追って、体験としての物語が出来上がりますが、そうならない、人間の自然の営みが阻害される、障(さわ)りとなる、やまと言葉の「罪(つみ)」という言葉の根元的な意味内容のようです。

 空白ではありますが、その時、その瞬間において間違いなく体験、経験している事実はある、意識化できないだけです。継続的な苦しみの体験ではなく、衝撃的な悲惨な体験、苦しみならば今現在ある私はそれをのり越えてきた存在なのですが、災害の体験はそういうものではありません。耐え忍んできたものではなく、衝撃による記憶の喪失です。それが不安となりストレスとなる。

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<ETV特集「永山則夫 100時間の告白~封印された精神鑑定の真実~」> 

 この番組は、
 2012年10月14日(日) 夜10時
 2012年10月21日(日) 午前0時50分 再放送

「永山則夫 100時間の告白」
 ~封印された精神鑑定の真実~
 http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2012/1014.html

で放送され、番組紹介では、

 1968年秋、全国で次々と4人が射殺される連続殺人事件が起きた。半年後に逮捕されたのは永山則夫、青森から集団就職で上京してきた19歳の少年だった。いわゆる永山事件は、永山の貧しい生い立ちから「貧困が生んだ事件」とも言われてきた。しかし、これまでの認識を再考させる貴重な資料が見つかった。
 永山則夫自身が、みずからの生い立ちから事件に至るまでの心情を赤裸々に語りつくした、膨大な録音テープ。ひとりの医師によって保管されていた。医師は、278日間をかけて、患者の治療に使う「カウンセリング」の手法で、かたくなだった永山の心を開かせ、心の闇を浮き彫りにした。
 100時間を超える永山の告白は、想像を絶する貧しさだけでなく、“家族”の在りようについて訴えかけている。それは、親子の関係、虐待の連鎖など、時代が変わり、物質的な豊かさに恵まれるようになった現代でもなお、人々が抱え続けている問題だった。
 番組は録音テープの告白を元に、罪を犯した少年の心の軌跡をたどりながら、永山事件を改めて見つめ直す。そこから家族の問題や裁判のあり方など、現代に通じる諸問題について考察をめぐらす。

 1968年といえば私が中学生の頃の話で、けん銃による連続射殺事件がテレビニュースで報道されていたことを覚えています。永山被告人については、ブログで数行書いたことがあります。

人間の本性[2009年08月28日]
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/bd7152fca69612b84e5f2a805965149f

 NHK特集では、1009年10月11日 に「 死刑囚 永山則夫 ~獄中28年間の対話~」という番組が放送されも放送されました。彼は1997年に死刑になったのですが執行されるまでの28年間に、著名人や市井の人々との1万5千通を超える手紙でのやりとりから当時の時代や永山死刑囚のを取り巻いていた環境、そして、揺れ動き変わりゆく永山の人間像を浮き彫りにする内容でした。

さて今回の「永山則夫 100時間の告白 ~封印された精神鑑定の真実~」ですが、逮捕から6年後に永山死刑囚の精神鑑定が行われ、生い立ちから事件に至るまでを永山死刑囚に自由に語らせその心の動きを読み取ろうとした一人の精神科医の話しでもありました。

 カセットテープ45本これが100時間に及ぶ告白です。番組冒頭に肉声の彼の「独り」「独りになっちゃったんだね」「おれ自体も野たれ死にだって・・・」「何のために今まで生きたのかなって思ってね」「死に場所を探していたのかな二十歳まで生きてねそれ以上は生きないと覚悟してね」が流れます。あの『無知の涙』を書いた本人の声です。

 この記録を手元に残したのは、精神科医の石川義博(77歳)さんで、永山死刑囚の精神鑑定を担当した医師です。石川さんはイギリスで最先端の精神医学を学び当時日本の犯罪医学を担う人材として活躍されていた方だったとの紹介、しかしこの永山死刑囚の精神鑑定を鑑定書としてまとめ上げましたが、最終的にはその鑑定内容は採用されず、死刑が執行され、石川さんはそれ以降、精神鑑定にたずさわることを拒否続けてきたとのことです。

 石川さんの完成させた『永山則夫 精神鑑定書』は、「278日にわたって被告人本人の言葉を引き出した日本の裁判史上例を見ない鑑定書となった。」というもので、通常の医学検査の他に、家族の系譜、両親の結婚さらには犯行に至るまでの永山死刑囚の心神状態が詳細に書かれているものです。

 虐待された親が自分の子をまた虐待するという連鎖、この鑑定書の「生立ちと問題性」には詳細に語られ映像化されていました。起因は「ヨシ(母)は極めて不幸な生立ちの中で、温かな愛情に包まれて成長したため親としての役割を果たせず、永山家の二代にわたる悲劇が起きた」の中にあるのですが壮絶です。その後の幼少期の父母の不仲、父の出奔、唯一やさしかった姉の汚わいの印象とその死、父の野たれ死にの死体写真と父をけなす母の声・・・・。

 人は自分が愛されて初めて人にも愛情を注ぐことができる。母の懐の温かさ、愛情が安心感を育て、そのくり返しの中から人は人として自立していくものですが、それがそもそも欠如しています。

 「夢が壊された」「風船と同じだよね針もってパーンてやったらめちゃめちゃに」「そのころだね、何で俺生まれてきたんだろうと思ってね、何回も死のうと思った、ぶら下げたよ縄で・・・いつやろうかな、そればっかり考えてたよ」との永山死刑囚の言葉。

 鑑定書では、「長女(姉)の死と父の死は、自分は何で生まれてきたのかと絶望し自殺しようという原点になった。」

 抑うつ状態から、自殺念慮、常につきまとう自殺企図はそれを意味します。そのころからおとなしい性格の中に、妹を殴る暴力によって「自身がつく」と語っていましたが芽生えたようです。しかしそれは他人へもという形にはまだ表れていませんでした。

 15歳、中学を卒業、未熟な性格で社会でどのように人とつき合うかということを全く経験したこともないまま状況しますが、疎ましく思っていた母ヨシは、「則夫が出て行ったら赤飯を炊くだ」旨を言います。これもショックな言葉です。

 幼児期から芽生えた絶望と自己嫌悪は一層強まり自殺への思いが顕在し故郷に激しい反発と恨みを抱いて上京した。

 心の深い傷を負ったまま少年は、まず最初の果物屋さんで人一倍熱心に働き、その後他の店の責任者をも任されるようになります。人生とはどこまでも皮肉なもので、追い立てるように事が起ります。永山死刑囚には、上京する際に貧乏でしたから地元の呉服屋でワイシャツを万引きした過去がありました。このことをどこで聞き付けたかこの果物屋の店主が本人に「知っている」旨を話します。「万引きをとがめられた」そのことが「いつ辞めさせられるか」という不安感を醸成し仕事意欲を失わせます。

 こころの変遷、浮き沈みやる気を失い、荷物を置いたまま出奔、その後3年間の間に20か所の職場を転々し、熱心に働くものの荷物を置いたまま出奔をくり返します。

永山死刑囚
 「人間関係がダメになっちゃうんだね」
 「何人で話してて、俺が要ったらピタッと止まっちゃう、その瞬間、アレッと思てね。俺のこと話してたのかなっていうことあったね」

行き先々で生じる不安と猜疑心 人間不信の極まり・・・・。番組は続くのですが壮絶極まりない人生とその後の悔悛。

永山則夫事件 判決文抜粋
http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/kiyotaka/column11-nagayama.htm

というサイトに書かれているように、二審の高裁判決「1981年8月21日東京高等裁判所刑事二部(裁判長裁判官船田三雄)言い渡し。主文 原判決を破棄する。被告人を無期懲役に処する。原審における未決勾留日数五〇〇日を右刑に算入する。」に際して石川さんの「永山則夫 精神鑑定書」は採用されましたが、その後はご承知の通りです。

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今朝は、このに番組から
PTSD(Posut Traumatic Stress Disorder)「心的外傷性ストレス障害・外傷後ストレス障害」に視点をおいています。上記の精神鑑定書には既に「外傷後ストレス障害」を示す記述がありました。

 手元に『トラウマの心理学 心の傷と向き合う方法』(小西聖子著)があります。この第3章「よみがえる心の傷・PTSD」冒頭に次のように次のように書かれています。
<>
 ・・・・トラウマによって起こる反応には、当然、さまざまなものがあります。PTSDだけに限られるものではありません。たとえば、具合が悪いけれど「障害」というほどではないという人もいれば、抑うつ的になる人もいますし、一時的に記憶がなくなってしまう人もいます。また、不眠症や摂食障害などの身体的な症状が生じるこ七も考えられます。PTSDは精禅的後遺症の総称ではなく、トラウマを受けたあとに起こつてくる精神障害のなかの一つにすぎません。

 けれども、PTSDは、トラウマティックな経験のあとに起こる障害のうちの中核的な部分をなしているとも言えます。トラウマとなるようなできごとには、戦闘体験や、性暴力や、事件・事故、犯罪被害、誘拐、監禁、虐待などがある、・・・・・・略・・・・・そのような体験の直後に多くの人が示す症状は、現在は、ASD(Ac已eStressDisorde∴急性ストレス障害)という名前でまとめられています。それが一か月以上持続して慢性化するときに、PTSDと呼ぶわけです。

<以上同書p53~p54>

最初の桑山紀彦医師の話しの中では、PTSDの三大症状は、

1)回避(Avoidanace)
2)侵入(Intrusion)
3)過覚醒(Hyper-arousal)

回避についておもに話されていました。余りのも負担の多さに事件・災害等の事実自体を忘却してしまう、その思い出しにより心的障害をやわらげていくというものです。

 参照した小西聖子さんには、「過覚醒」が「過剰覚醒の持続」として語られていました。「持続的な覚醒亢進」という常にリラックスすできない、緊張しているという症状。いつも緊張状態であるためにイライラして、すぐに怒ってしまう。感情が不安定であるという症状も見られる。ということであくまでも患者として、戦闘体験や、性暴力や、事件・事故、犯罪被害、誘拐、監禁、虐待の被害者としての話しです。

 あくまでもPTSDに視点をおいての話で、「永山則夫 精神鑑定書」の鑑定内容を知る中で思うことは、被害者であり加害者でもある一人の数奇な運命の死刑囚です。

 過去は何を示すのか、過去は過ぎ去ったものですが、歴然として現在に集約されている。忌まわしい過去であり、耐え抜いた過去でありさまざまな形で体験、経験してきたものがあるということです。

 「過去は財産である」その「財産」の意味するところは打ち消すことができないすべてが含まれている、ということです。陰陽、悪善、表裏一体の全てが含まれるということです。

 「打たれた傷によって」何を学ぶか、幼少期からの意味理解は不可能に近いものがあるのが、今回の二つの番組から学びとった「リアルな証明」でした。

※番組を見ながら、打ちながら、読みながらで文章に継続性がないかも知れませんが、あくまでも個人メモとして書きました。

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