思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

良寛さんの死生観

2015年12月31日 | 哲学

 2015年最終の日の出となりました。安曇野市有明山の麓から見える日の出は美ヶ原高原のテレビ塔群の左側から昇ります。



 

 年の暮れ、写真と俳句が立ち現れ・・。ということで年末の休日をのんびりと過ごしながら風景写真や山頭火の句の話を書いています。すると時々立ち寄るフランスにおられる方ブログの写真と俳句という言葉にドキッし、共時的な現象は私が意識するからそうなのであってと解していてもその不思議感に世の不思議を感じます。

 今朝は句つながりで、Eテレ100分de名著で12月取りあげられている良寛さんについて書きたいと思います。

 この番組は4回それぞれ25分で1か月で100分、見るにあたって取り上げられる名著を読んでいなくても分かりやすく理解できるところが、年老いた私にとってはありがたき学び舎です。

 良寛さんというと作家水上勉さんの『良寛』(中央公論社)を読んだり、仏教学者紀野一義先生の『名僧列伝』(講談社学実文庫)第二巻の「良寛」などを読んだことがありますが、あらためてこの年齢で番組を見ると水上さんの良寛さんの人柄理解よりも、今回の講師の中野東禅龍宝寺ご住職のお話から描き出される良寛像の方が私にとっては良寛さんの言葉として身に沁みるものがありました。

 「しみる」漢字で書けば染みる、浸みる、滲みる、凍みる。

が今まさに打つ(キーボード)中で立ち現われ「沁みる」をその意味において選択したのですが・・・心に深く感じたわけです。

 人に毒されるとは、知悉せずにある自分であるとしみじみ思うわけで、まだまだ道のりは長いのでしょうか。

ということで4回中の最終の巻“「老い」と「死」に向き合う”、今日30日はEテレでは再放送が2回ほど流れていますので見た人もいるかもしれませんが、昨日種田山頭火を取り上げたのも不思議な縁で、今日も最期にまつわる話を語ることになりました。

 生死を超える絶対者は、二律背反を転換的に統一して、死における生を信証せしめ、死復活こそが死に脅かされることなき真実の生にほかならざることを悟らせる慈悲であるといわなければならぬ。それは生の直接存在を否定転換して死復活の生に翻し、もって本質的生を遂げしめる原理であるから、絶対無即愛といわれるわけである。(『現代日本思想体系23田辺元』(筑摩書房・「メメント モリ」p332から)

と田辺先生は書かれ引き続いて

 ・・・それでは、たとい死に脅かされる生の不安が解除せられるとしても、積極的に生の本質を恢復し、死苦の中に生きる喜びあらわしめるものがないといわねばならぬ。すなわち生きながら死すばかりでは、死につつ生きるといわれるべき理由が認められないわけである。(上記書同p333から)

と懐疑を述べられ、「絶対無即愛は、生ける師の愛を通じて媒介実現されるのである。」と書かれています。西田幾多郎先生に比せば言葉の難解度は私にとっては低いのですがなかなか理解できないでいます。

  今回番組を見ていて、中野ご住職が「死を受け入れるということは、責任主体として死を生きる」と言われまさに「観照的生の絶頂」がそこにありました。

 晩年の良寛さんの人生、人は老いること死期が近づくことに不安をもつもので良寛さんはこのことについて多くの句を残しています。考えてみるとブログを書く私自身、若い人と異なり内容は不安ただ中の独白のようなもの、表現することが心の安寧をもたらしているのかもしれません。

 番組の中で晩年の出来事文政11年(1828)の越後三条の大地震後の与板(地名)の友人山田杜皐(とこ)からの見舞いの手紙の返信の手紙が紹介されました。一度は聞いたことのある内容です。

 

と番組では、この良寛さんの文章を「共感」「愚痴」「悟り」の三段階に分け解かれていました。

 この時、伊集院光さんは「今死ぬべき時で自分は死ぬ時なんだと思えるような気持で生きていかないと・・・」と語り、武内陶子アナが「受け入れるとはすごい力」と話すと中野ご住職は「受け身ではない」と点を強調します。そして「死を受け入れることは責任主体として生きる」ということを語るのです。

 災難に逢った時には逃げる方法はない。「死を受け入れることは責任主体として生きる」ということで、腹を決めるしかないということです。

 私たちは自然の一部として生きている。そういう時に一般的には神様にすがったり、自分の不幸を恨んだりしてしまう。しかし、私たちが地球上に生きている以上、この自然災害から逃れられない。私自身が生きている、人間が生きていること自体が自然の一部として生きているということ。そこから逃げることなく、どうすればよかったかといえる生き方にするか、それがわたしの責任だ。

旨の中野ご住職の説明・・・ストンと落ちます。

この手紙は、共感、愚痴、悟りが共存して現している心の手紙、響かないわけはなく後世まで伝えられる所以です。

 サルトルは本質存在よりも現実存在の先行を語りますが、ある事の中にはすでに本質があるのであって二元的に囚われの身にあり、対他存在、対自存在などを語ること自体にサルトルの性癖を感じます。

 人間は何もしなくとも、もともと自由だ、だから「人間は自由の刑に処せられている」などと責任性をも付け加えますが、発想そのものに自己の正当性の根拠を語っているだけ。

 前回キルケゴールの三段階(美的、倫理的、宗教的)を書きましたが、三分割も考えてみれば本質存在と現実存在の二元的な視点からの発想に見えます。最終的には宗教的実存という信仰に根づいた真の実存を語ることに落ち着こうとするのですが、妙法を語るにおいて絶対無即愛を語る田辺哲学の方が的を射ているような気がします。

 良寛さんの上記の句には「無常」なるもの、ことが現れているように思います。あるブログに、

 2015年最終の日の出となりました。安曇野市有明山の麓から見える日の出は美ヶ原高原のテレビ塔群の左側から昇ります。

 年の暮れ、写真と俳句が立ち現れ・・。ということで年末の休日をのんびりと過ごしながら風景写真や山頭火の句の話を書いています。すると時々立ち寄るフランスにおられる方ブログの写真と俳句という言葉にドキッし、共時的な現象は私が意識するからそうなのであってと解していてもその不思議感に世の不思議を感じます。

 今朝は句つながりで、Eテレ100分de名著で12月取りあげられている良寛さんについて書きたいと思います。

 この番組は4回それぞれ25分で1か月で100分、見るにあたって取り上げられる名著を読んでいなくても分かりやすく理解できるところが、年老いた私にとってはありがたき学び舎です。

 良寛さんというと作家水上勉さんの『良寛』(中央公論社)を読んだり、仏教学者紀野一義先生の『名僧列伝』(講談社学実文庫)第二巻の「良寛」などを読んだことがありますが、あらためてこの年齢で番組を見ると水上さんの良寛さんの人柄理解よりも、今回の講師の中野東禅龍宝寺ご住職のお話から描き出される良寛像の方が私にとっては良寛さんの言葉として身に沁みるものがありました。

 「しみる」漢字で書けば染みる、浸みる、滲みる、凍みる。

が今まさに打つ(キーボード)中で立ち現われ「沁みる」をその意味において選択したのですが・・・心に深く感じたわけです。

 人に毒されるとは、知悉せずにある自分であるとしみじみ思うわけで、まだまだ道のりは長いのでしょうか。

ということで4回中の最終の巻“「老い」と「死」に向き合う”、今日30日はEテレでは再放送が2回ほど流れていますので見た人もいるかもしれませんが、昨日種田山頭火を取り上げたのも不思議な縁で、今日も最期にまつわる話を語ることになりました。

 生死を超える絶対者は、二律背反を転換的に統一して、死における生を信証せしめ、死復活こそが死に脅かされることなき真実の生にほかならざることを悟らせる慈悲であるといわなければならぬ。それは生の直接存在を否定転換して死復活の生に翻し、もって本質的生を遂げしめる原理であるから、絶対無即愛といわれるわけである。(『現代日本思想体系23田辺元』(筑摩書房・「メメント モリ」p332から)

と田辺先生は書かれ引き続いて

 ・・・それでは、たとい死に脅かされる生の不安が解除せられるとしても、積極的に生の本質を恢復し、死苦の中に生きる喜びあらわしめるものがないといわねばならぬ。すなわち生きながら死すばかりでは、死につつ生きるといわれるべき理由が認められないわけである。(上記書同p333から)

と懐疑を述べられ、「絶対無即愛は、生ける師の愛を通じて媒介実現されるのである。」と書かれています。西田幾多郎先生に比せば言葉の難解度は私にとっては低いのですがなかなか理解できないでいます。

  今回番組を見ていて、中野ご住職が「死を受け入れるということは、責任主体として死を生きる」と言われまさに「観照的生の絶頂」がそこにありました。

 晩年の良寛さんの人生、人は老いること死期が近づくことに不安をもつもので良寛さんはこのことについて多くの句を残しています。考えてみるとブログを書く私自身、若い人と異なり内容は不安ただ中の独白のようなもの、表現することが心の安寧をもたらしているのかもしれません。

 番組の中で晩年の出来事文政11年(1828)の越後三条の大地震後の与板(地名)の友人山田杜皐(とこ)からの見舞いの手紙の返信の手紙が紹介されました。一度は聞いたことのある内容です。

写真

と番組では、この良寛さんの文章を「共感」「愚痴」「悟り」の三段階に分け解かれていました。

 この時、伊集院光さんは「今死ぬべき時で自分は死ぬ時なんだと思えるような気持で生きていかないと・・・」と語り、武内陶子アナが「受け入れるとはすごい力」と話すと中野ご住職は「受け身ではない」と点を強調します。そして「死を受け入れることは責任主体として生きる」ということを語るのです。

 災難に逢った時には逃げる方法はない。「死を受け入れることは責任主体として生きる」ということで、腹を決めるしかないということです。

 私たちは自然の一部として生きている。そういう時に一般的には神様にすがったり、自分の不幸を恨んだりしてしまう。しかし、私たちが地球上に生きている以上、この自然災害から逃れられない。私自身が生きている、人間が生きていること自体が自然の一部として生きているということ。そこから逃げることなく、どうすればよかったかといえる生き方にするか、それがわたしの責任だ。

旨の中野ご住職の説明・・・ストンと落ちます。

この手紙は、共感、愚痴、悟りが共存して現している心の手紙、響かないわけはなく後世まで伝えられる所以です。

 サルトルは本質存在よりも現実存在の先行を語りますが、ある事の中にはすでに本質があるのであって二元的に囚われの身にあり、対他存在、対自存在などを語ること自体にサルトルの性癖を感じます。

 人間は何もしなくとも、もともと自由だ、だから「人間は自由の刑に処せられている」などと責任性をも付け加えますが、発想そのものに自己の正当性の根拠を語っているだけ。

 前回キルケゴールの三段階(美的、倫理的、宗教的)を書きましたが、三分割も考えてみれば本質存在と現実存在の二元的な視点からの発想に見えます。最終的には宗教的実存という信仰に根づいた真の実存を語ることに落ち着こうとするのですが、妙法を語るにおいて絶対無即愛を語る田辺哲学の方が的を射ているような気がします。

  良寛さんの上記の句には「無常」というもの、ことがあるように思います。あるブログに、

良寛には若いころから激しい無常感があった。「無常 信(まこと)に迅速 刹那刹那に移る」の詩句もある。

と「無常感」を語る方がいました。若いころは確かにその通りだとおもうのですが、最期の良寛さんは道のある「無常観」に思います。山頭火もしかりで人の心を照らしてくれる、道を教示してくれる無常観がそこにあるように思うのです。 

次回は良寛さんの「この世の形見に」ついて書こうと思っています。

おわりに1枚掲出します。安曇野から見える今朝の百名山浅間山です。

 


濁れる水の 流れつつ澄む

2015年12月30日 | 哲学

 2015年も間もなく終わる。年末の大掃除の中録画したテレビ番組のDVD,BDの整理をしました。その中に2012年12月24日(月) に放送された俳人種田山頭火の「濁れる水の 流れつつ澄む~山頭火・魂の言葉~」という番組がありました。

 番組の記憶が薄れていましたが、「濁れる水の 流れつつ澄む」という時の流れに身を置く放浪の旅--山頭火を演じた俳優竹中直人の風貌が浮かんできました。

 ということで一休み。この録画を見ました。

 番組には現代に生きる悩める人々が、山頭火の句によってよみがえる姿が描かれていました。

 うつ病になってしまったサラリーマン、生まれながらに僧侶の道が定まっている人生に悩む僧侶、利己的な母の元に生まれ、その後も親子の関係の中でさらに介護をする環境に置かれ自分の一生を見つめる主婦、書道家を目指していた人生に突然病気で右手が不自由になり、それでも好きな道を歩みたい自分、それぞれの持つ苦悩に、救いの言葉を投げかける山頭火の句。

 句の持つ光というものを大いに感じる番組でした。

 便利な世の中、サイト検索したところ、詳細なgooテレビ番組サイトを見つけました。

 種田山頭火の俳句は、現代を生きる人達の道標になっている。晩年四国を旅して、死の1ヶ月前に呼んだ俳句は「濁れる水の流れつつ澄む」。酒に溺れ、妻とも離婚、自殺を心みたことがある鈍った人生だったが、旅してその最後に種田山頭火は自分の人生が澄んだと思える境地にたった。
 現代社会に生きづらさを感じている人たちが、種田山頭火の俳句に心を惹かれているという。うつ病になり自殺まで考えたサラリーマン、病で体が不自由になっても生きがいの書道を続ける人。祖父の代から続く寺の住職の早坂文明さんは、大学生の頃僧侶になるという決まった道を進むことに抵抗を感じていた。種田山頭火の俳句「まっすくな道でさみしい」という句が人生を変え、人間の弱さに向き合う僧侶になろうと決めたのだった。山頭火の言葉は今もなぜこんなに多くの人の心を揺さぶるのか。竹中直人が山頭火の魂を見つめた。

 端的要旨を得た解説、私の幼稚な解説を先に書きましたが、文才のなさを反省する意味で残します。さて番組では何句かそれぞれの人生に影響を与えた句として紹介されいました。

 まっすぐな道で さみしい

 捨てきれない 荷物のおもさ まへうしろ

 もりもり盛りあがる 雲へあゆむ

 この道しかない 春の雪ふる

 だまって 今日の草鞋(わらじ)穿(は)く

これらの句の総括的な意味で山頭火の生きざまを重ねて、 

 濁れる水の 流れつつ澄む

があるわけで、自由律俳句というものです。

 挫折と苦悩のなかで精神を病む、33歳酒蔵が倒産し離婚・・・睡眠薬を飲み自殺を図ろうとしたこともありその後放浪の旅をつづける。
 
<山頭火の手紙>

 私の中には二つの私が生きております。 
 澄んだ時には真実生一本の生活を志して句も出来ますが、
 濁った時にはすっかり虚無的になり自棄的になり
 道徳的麻痺症とでもいうような状態に陥ります。
 (1936年友人への手紙)

 実存的虚無感の中に現れる自己。そこには「二つの私が生きております。」と語ります。

 理性的に生きようとする自分

 非理性的になり自暴自棄になる自分

 「濁った時にはすっかり虚無的になり自棄的になり、道徳的麻痺症とでもいうような状態に陥ります。」

という言葉に山頭火自身の冷静な魂を感じます。「自分へのまなざし」とでも表現できるでしょうか。

 汝はいかにいまあるのか。

 精神的無意識の叫びのような汝を呼ぶ声です。

 キルケゴールの今ある自分の声は、

 倦怠と絶望の美的実存

 有限性への絶望の倫理的実存

 真の実存としての宗教的実存

を語っていますが、山頭火の場合は、美的実存も倫理的実存も共存して現れます。

 実存の気づきとでも言いましょうか、現実存在のただ中を歩み始める背後には、

 「此身、みずからこれにあたること」

 「これにあたるものはおのれしかないということ」

 「自分自身が自己物語の主人公であるということ」

唯一絶対の存在とか責任を伴うなどという言葉にも現れます。主観的真実を追い求めたキルケゴールなどと解説する方もいます。

 自暴自棄の中に、他者のやむことのないまなざしに晒されているという意識の中に道徳的麻痺症は現れる。それは実存的気づきが問いを投げかけている事態でもあるように思う。

 山頭火は旅という別世界に次元を代える。

 キルケゴールは、裸の実存として神の前に身を置く次元に代える。

 山頭火の句からは山頭火自身が得た光があります。

 まっすぐな道で さみしい

 捨てきれない 荷物のおもさ まへうしろ

 もりもり盛りあがる 雲へあゆむ

 この道しかない 春の雪ふる

 だまって 今日の草鞋(わらじ)穿(は)く

これらの句に照らし出される根源からの力を感じます。

 毎日の暮らし、

 だまって 今日の草鞋(わらじ)穿(は)く

ということの始まりがある、という気づき。

 一刹那のその時その瞬間

現れの純な時、純粋経験はことのはじまりです。

「濁れる水の 流れつつ澄む」

深い句です。


安曇野から見える百名山・浅間山

2015年12月29日 | 風景

 安曇野市から見える日本百名山があります。

 富士山(3776m)から八ヶ岳(2899m)までの百山です。その百名山の中に私の住む安曇野市有明宮城山麓から見える山があります。

 その山はちょうど東方向に見え近くの山と山の間に見ることができます。今日は朝方雪降りの天候でしたまもなく止み、昨日につづいて空気の澄んだ青空が広がりました。

 見える山とは長野県と群馬県の境にある活火山の浅間山(2524m)です。NHKのタモリさんのブラリ番組でも紹介され、軽井沢は浅間山が作り出した保養地です。

 個人的に出身地が東御市で、浅間山は身近な山でしたので今は安曇野市の宮城に住み浅間山が見えることを知りはじめてこの目で見た時の感動を昨日のように思い出します。

 浅間山は、雲や霞で見えないこともありますが見えるときにはいつの間にか目が向いています。

 今頃の季節は、浅間山も雪化粧しすそ野は独特な縦線が入り、蒸気が立ち上る景色は何とも言えません。

 

 今日の午後三時ころ、陽の光に照らされ光り輝く浅間山がくっきり見えました。ちょうど東方向になります。望遠カメラで撮影、さらに拡大してみると蒸気が立ち上る浅間山の雄姿がクッキリ見えました。


信州松本平、安曇野平から北アルプス常念岳連峰を望む

2015年12月29日 | 風景

 今朝は雪降りとなってしまいましたが昨日は冬ばれの紺碧の空が広がり、北アルプス常念岳連峰が美しく見ることができました。

 松本平、安曇野平は盆地で、西方向にアルプスの山々があり、東側の2000メートルに満たない標高の山々に囲まれています。

 北アルプスの絶景を望むならば、東の山々からということになり、各地に展望台が設置されています。松本市ならば城山公園、アルプス公園から、また安曇野方面からならば長峰山、光城山そして池田町の池田美術館からとなります。

 盆地の北にあたる池田町からとなると常念岳の絶景が見えなくなり、一番雄大な景色はやはり長峰山となります。しかし年末のこの季節は冬シーズンの山道閉鎖で行くことができません。

 こういう時に頼りになる展望台があります。城山公園、アルプス公園の北に位置する芥子坊主山(891.5m)、望むという字で芥子望山(けしぼうずやま)とも呼ばれる車で気軽に行ける山があります。

 盆地の東側にある美ヶ原高原からきに位置する北の白馬方面の山々まで見えます。

 昨日はそこへ行き山々を撮りました。


(東に位置する美ヶ原高原方向)



(東南方向に見える塩尻市方向)



(南方向に見える上高地乗鞍方面)



(真南の方向、中央の窪んだ所に上高地線があり上高地や安房峠を通り高山に行くことができます)



(西方面に見える常念岳連峰、白馬連峰方面)


(常念岳のやはり風が強い山雪煙が見えました)



(鉄塔の向こうに見えるのが有明山・安曇野からは高い山に見えますが2000mに満たない山であることがよくわかります)



(乗鞍岳は頂上付近しか見えません)



(美ヶ原高原のテレビ塔群)



今年は雪が少なく白さが際立ちませんが、この雄大な景色はいつ見ても魅かれます。 


混沌と秩序

2015年12月25日 | 思考探究

 最近書店に行くと東田直樹さんの言葉を借りるならば定型発達でない方々の著書を多く目にします。東田さんご自身が自閉症という障害の中で生きる心境を著書によって公にされてから特にそのような方々の著書が多くなったような気がします。

 一般的には障害者という呼ばれる方々、時代において迫害の対象になり、差別的な扱いがなされ、ナチスの行った同国人の障害者の虐殺も最近では公に報道されていました。

 日本でも同様な戦時中の扱いが報道されていて、反省の内に生きるしかないのですが、東田さんをはじめとした方々の著書に触れると、私というもの自体が開かれていくような気がします。

 東田さん以前に『声が生まれる』(中公新書)を書かれた演出家の竹内敏晴さんの聴覚障害の聴力回復について書いたことがあります。

 聞こえる、という事実に何も疑問に思わないで生活する私にとっては、衝撃的でした。

  竹内さんは、幼少期に聴力を病気で失い、その後治療薬の発達によって学生時代に聴力を回復された方です。

 聴力を回復することはどういうことなのか。

 そこには単純に音が聞こえる、声が解るということがあるのではなく、混とんと秩序があることを知ることになりました。

 聴力が回復すると何が聞こえるか。

 人の声が聞こえ、車の声が聞こえ、物音がするのではない事実。

 混沌とした雑音

 雑音の中から経験による秩序が現れ、音の認識能力を回復させ、密接な関係にある発声という能力も回復していきます。

 識別とは秩序である。

 わかる(分かる・分かる・判る)ということはどういうことなのか。

 降りてくるような感覚、湧いてくるような感覚

 この現れるという感覚を言葉にすることは難しいものです。

 世界は、混沌とした闇の世界から始まりそれが光と音で満たされ、五感の作用で世界が開かれて行きます。それが知性によって意味をなす存在として現前してきます。そこには間違いなく遺伝子が織りなす働きの世界があり、私という存在を形成していきます。

 人間存在の不思議

 混沌と秩序

 「秩序」という言葉はまた、多くの制約、規制というものが含まれていることに気づきます。分別なくして秩序は現れないからで、この矛盾こそ弁証的な秩序規制を創造させます。

 騒々しさ、喧騒、戦い

 その根源は秩序を求める自然性にあるのかもしれません。どこまでもどこまでも現れる。

参考
君が僕の息子について教えてくれたこと/意味への信仰[2014年09月06日]

聴こえるということはどういうことなのか・手話言語法制化の根底にあるもの[2013年11月12日]


獅子吼する

2015年12月20日 | 思考探究

 年金制度の見直しの影響で支給額が大幅に減ってしまいました。一昔前まではそのようなことは予想もしていなかっただろうが現実はそうなのであるから儘に身を置くしかありません。

 社会保障が健全機能を果たしているのか。

 働かずに遊戯に支給されたお金を使う輩もいれば、困窮し自殺を敢行してしまう母子もいるなど・・・なんとも不条理の世の中が見えます。

 セレブに生きるものから過労死に一生を終わる者、労働というものに価値を植え付けたときから、一銭にもならない働に嫌悪感が生じる意識が生まれ継承されるようになったのではあるまいか。

 一銭にもならない働き、すなわち仕事。

「おのがじしのいとなみに起き出(い)でて」[訳:各自それぞれの仕事のために(朝早く)起き出して。]

 仕事は、古語では上記の通りに「営み」となり、また「業(ぎょう・わざ)」などとも表現されたようです。

 仕事というと「事に仕(つ)える」ということになるのですが、どうも労働価値感などというものが生起してくると、どうしても「事に使(つか)われる」とイメージが強くなったように思えんすあ。

 普請役「ふしんやく」という言葉があって、意味は、江戸時代の城郭・河川・道路・橋などの修築の際に、大名・諸士・農民などに賦課された夫役(ぶやく)のことです。

 道普請ということになると街道の修繕もあるが、生活道路の修繕もあり、長野県の南、下伊那郡下条村は自立する村として有名ですが、そこでは今も自分たちの道路は、極力業者に頼ることなく村人の普請で行われているようです。

 そういう事態が起こるような村には生活したくない、と思う人もいるかもしれませんが、「事に仕(つ)える」の「こと」に内なる観照器官が働けば「いとなみ」自覚がありのままに現れるような気がします。

 「ためになる仕事」

 他人のために、公のために・・・ではなく我がための仕事という意識に心を変じれば、何か嬉しいような気がします。

 江戸時代に戻れという話ではなく、江戸時代にも普請を毛嫌いしてでしょうし、昔も今もまさに人間的な、性(さが)の内にあるわけで、不満がわかないわけがありません。

 現代は、性(さが)は解放され、善き性(さが)も悪しき性(さが)も自由気ままに闊歩しています。

 何でも選択する自由

 依存のままに生きようが、自律において生きようが、生きることをあきらめることも自由。

 自給自足の社会機構は、近未来では、人はロボットに代わり、人間は労働価値という呪縛から解放されるとともに自給自足という言葉からも解放される。

 国民総背番号制度

 必要・不必要

 個々の存在価値、これも解放されるのか。

 専従政治家はどのような俯瞰的意識を持っているのだろうか。

 目先の対処ばかりに気を取られ、安全神話ばかりを創造してはいないか。

 壇上において雄弁に、意気盛んな大演説をする(獅子吼する)輩が多い。

 獅子がほえて百獣を恐れさせるように、悪魔・外道(げどう)を恐れ従わせる聖人はいないのだろうか。

 このように他者に求めてしまうこの性(さが)、何処までも人間は、人間的であるようだ。


神々は無言のまま答えない

2015年12月19日 | 宗教

 驚愕の事態とともに悲哀の絶頂がおとずれたとき、人は何を抱くのだろうか。

 天を仰ぎて、「父なる神を・・・」と救いの祈りが湧きあがるのか。

 頭を垂れて、「我が仏性よ、目覚めよ。」という願いが湧きあがるのか。

 原爆という最悪の軍事力の被害国日本、時代の流れの中で実体験者の数は減り、伝承の中でその災厄の事態は後世へと引き継がれる。

 広島のときも長崎のときも、原爆投下の前夜祈祷、祈蒔の時にミネアポリスのルーテル希望教会の従軍牧師ドウネイ大尉は次のような祈りを捧げる。

・・・

 主よ。主を愛するものの祈りを聞きたまえ。主の在ます天の高みとともに高く天翔けり、戦さに向かうものどもとともに在まさんことを。命ぜられし地へ飛ぶ彼らを守りたまわんことを。われらとともに彼らも、主が強さとカとを知り、主がカに鎧われて、速やかに戦さを終わらしめんことを。戦さの終わりの速やかに来たり、ふたたびわれらに地上の平和を知らしめたまわんことを、主の前に祈りたてまつる。
 この夜飛ぶ人びとの、主が守りによりて安らかに、また帰路を全からしめられんことを。われらつねに主の加護を知り、ひたぶるに主を信じ進まん。アーメン。

・・・

 これは広島のときの祈りですが、長崎のときも同じ牧師によってつぎのような熱祷熟が捧げられているのです。

・・・

 全能の神よ、慈悲の父よ、今宵飛ぶ者とともに汝の恵みを垂れたまわんことを。汝の天の暗黒の中へ突き入るわれらの者どもを守り防ぎたまえ。汝の翼に乗せたまえ。飛行中われらに勇気とカとを与えたまえ。彼らに努力の栄光を今是まえ。
 わが父よ、特に汝が世界に平和をもたらせたまえ。われらは汝を信頼しつつ前進し、現在と未来にわたり汝と共に行かん。

・・・

何と恐ろしい祈りであろうか。

 父よ、彼らをお赦しください。
    自分が何をしているのか知らないのです。

と祈るイエスキリスト、「お見捨てになるのか。」という言葉とともに災厄はおとずれ、後の世、広島・長崎の災厄はおとずれ、いまだに殺戮や原発事故の脅威に怯える。

 日本人もいつの間にか天を仰ぎ救いの言葉を語り、救いの光、救いの言葉を身に受けんとするようになりました。

 「ありてあるもの」

として神はモーセの前に光と声とともに現れた。

 旧約聖書 創世記第22章 「アブラハムは神の命令」に次の話をみる。

 アブラハムは燔祭のたきぎを取って、その子イサクに負わせ、手に火と刃物とを執って、ふたり一緒に行った。やがてイサクは父アブラハムに言った、「父よ」。彼は答えた、「子よ、わたしはここにいます」。イサクは言った、「火とたきぎとはありますが、燔祭の子羊はどこにありますか」。アブラハムは言った、「子よ、神みずから燔祭の子羊を備えてくださるであろう」。こうしてふたりは一緒に行った。

 人彼らが神の示された場所にきたとき、アブラハムはそこに祭壇を築き、たきぎを並べ、その子イサクを縛って祭壇のたきぎの上に載せた。そしてアブラハムが手を差し伸べ、刃物を執ってその子を殺そうとした時、主の使が天から彼を呼んで言った、「アブラハムよ、アブラハムよ」。彼は答えた、「はい、ここにおります」。み使が言った、「わらべを手にかけてはならない。また何も彼にしてはならない。あなたの子、あなたのひとり子をさえ、わたしのために惜しまないので、あなたが神を恐れる者であることをわたしは今知った」。この時アブラハムが目をあげて見ると、うしろに、角をやぶに掛けている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行ってその雄羊を捕え、それをその子のかわりに燔祭としてささげた。

 子殺しを止めよという神の声、神みずから「子イサクを縛って祭壇のたきぎの上に載せる」ことをアブラハムに命じたのに・・・。

 「ありてあるもの」

とともに悪は放たれ、今もその事態は変わらず、現代の様相は、有様は可能性の内に来たらざる未来に暗黒を示唆する。

 二三年前に放送された、Eテレ「こころの時代」の「生きる意味を求めて~ヴィクトール・フランクルと共に~」で哲学者の山田邦男先生が聞き手の山田誠浩アナの、「他者からの呼びかけに、他者の為に生きるというところには何か自己犠牲的な生きるということにちかいようなきがしますが」との質問に、次のように答えたときの言葉を思い出す。

【山田邦男】 実際にその人々の心の中で起こった出来事を見てみますと、単に自分を犠牲にして、そうしなくちゃ、ということよりも、もっと根本的に心の奥底から自分が揺り動かされて、そして結果的にはそのことによって、自分がこれから生きていく勇気、生きている歓びというふうなものが湧いてくると。

 それはおそらく自然に湧いてくるものであって、他人から道徳的に、いわば説教されたという感じで受け止めると、私は本当の人間の深い心の働きというものをきちんと見ていない。もっと人間の自然な人情、心の働きというのは深いものであると。

 つまりまさに無意識というレベルで起こるような深いことで、そういうことをフランクルは、「精神的無意識」というふうに呼んだんだと思いますね。自分の力で、ということでなくて、私はやはりそこは恵み、恩寵・・・神の恩寵というかどうか、別にしまして、なにか自分を超えたものからの催しと申しますか、仏教では廻向(えこう)というようなことを申しますけど、何かやはりそういう自分を超えた何か大きなものが、自分の心の深いところで働いてくれている。

山田先生の言葉に「観照的生の絶頂」、思考器官(意味器官)の目覚めを感じた。悲しいかなこの感動が永遠に続かないところに人間の性(さが)があります。

 こんな話を書き綴る、その事態にゲーテは一片の詞を投げかける。

ゲーテの「神と心情と世界」という詩は次の言葉から始まります。

<神と心情と世界>

 天空が曇りなく澄んでこそ、きみたちは千をまたそれ以上を数える。

わずかな時の間に神は
よきわざをあらわした。

神を信頼する人は
すでに開化された人。

神にあざむかれる者は よくあざむかれた者・・・
この言葉にすらいつわりはなかった。

<われらの父よ>すばらしい祈り、
若いときにはいつもこれが慰めになる。
<父よわれわれの>と祈る人もある、
それでもそのまま祈らせておくがいい。

私は歩みゆく、原生の自然の
色とりどりゆたかな高原を。
ひとつうるわしい泉で私は水浴(みあ)する、
その泉の名は伝統、そしてまた恩寵。

ただ外側から力を加えるような神、指先で万象を
回転させるような神とは なんという存在だろう!
神にふさわしいのは 世界を内部において動かすこと、
自然を自己の内に 自己を自然の内に抱いていること、
そうしていれば、神の内に生き 動き 存在するものが
神の力 神の霊の不存在を嘆くことなどたえてないだろう。

だから自分の知るもっとも善きものを だれもが
神と呼び しかも自分の神と名づける
あまたの民の称(あた)うべきならわしが生ずる、
人々が神に天にと地をゆだね また
神を恐れ さらには愛するというならわしが。

<いかに?><いつ?>そして<いずこで?>・・・
神々は無言のまま答えない!
<・・・であるから>という理由を信頼せよ、<なぜ?>
とは問わぬがいい。

・・・以下略。(『ゲーテ全集1詩集-1』潮出版社・p268から)

最近は世の中に神の声や教えの声を聴く者(やから)が散見されます。

 神を下したものが世界最強の集団となる。

「ありてあるもの」とともに悪は放たれた。

・・・・・・・・・・・・

 私は只管(ひたすら)思う。

「あまねくある仏性・・・、そして、我が仏性よ目覚めよ。」と・・・・。


裏返しの終末論・再考

2015年12月17日 | 思考探究

 月刊誌『ユリイカ』(青土社)12月号は「特集ミヒャエル・エンデ」、この中に社会学者の大澤真幸さんの「さがせ、さらば見出すであろう」というエッセー、大澤さんの「裏返しの終末論」が展開されていて個人的には100分de名著『良寛詩歌集』を観たこともあり三世諸仏の世界を感じました。

 過去・現在・未来

 現れというものに考察視点を置くと実に面白いものが見えてきます。3.11における福島原発事故、安全神話という言葉が浮上してきました。

 この原発事故が現れなかったならば、安全神話という言葉がこれほど話題にはなりませんでしたが、現在の危機が現れたことによって、過去の神話が現れたわけです。

 原発建設当時には、予測される危機感が実にあいまいな状態でほとんどの衆生は問題視能力の発動圏外に位置していました。

 来たらざる未来に惑わされることなく今その時々に熱心に取り組みなさい。

 行く末の不安を解消することは、今現在の熱心さに集中しなさいということで、私もそのように思って生活しています。

 しかしその刹那(一瞬とという意で)にはたして身を確かにおいているのであろうかと、この大澤さんの「裏返しの終末論」は警鐘を鳴らしてくれます。

 反省というものは今に生起しますが、過去のわが身を憂うわけで、あの時私は「なぜに」が現れます。

 まさに過ぎ去った過去に惑わされることなく。

と今現在の苦悩の解消を解く言葉がありますが、しかし過去への囚われの苦悩は間違いなく生じます。

 今ある現象、今ある表れが未来の可能性において、どのような反省を生起させるか。

 大澤さんの今回の「さがせ、さらば見出すであろう」のタイトルは大澤さんが言うようにイエスの言葉です。ミヒャエル・エンデの短編『遠い旅路の目的地』についてのご本人は言及しませんが「裏返しの終末論」です。

 未来の目的地は純粋過去に属している。

 三世のいう過去・現在・未来は実に見事に展開されます。

 純粋過去は、その時に現在に現れている。現在は純粋過去として、未来の目的地として現れる。

 今現在の刹那の持つ意味に、大澤さんの「裏返しの終末論」は何かを照らしてくれます。

参考
NHK視点・論点・大澤真幸の「裏返しの終末論」・「正義」を考える[2011年03月10日]

この番組は、3.11直前に放送された番組です。個人的に非常に考えさせられました。


観照的生の絶頂

2015年12月16日 | 哲学

 2015年も間もなく終わろうとしています。4月1日から新しい第二の人生を歩んできました。退職後は自由に出かけたいところに出かけようと心のゆとりを夢見てきましたが、見事にその夢は破れました。

 9か月に及ぶ第二の職場、精神を試される場であると誰が予想しただろうか、職場あっせん者は知っていたような気がします。

 「ケンカをしないようにお願いします。」

 謎のようなその言葉に、注意すべきであっただろうが、自分はどちらかというと穏やかな性格、これまでも話してもわからない人間を多数扱ってきたので問題なしと思っていたところ、毎日、それもデスク横に8時間余り、一般的に性格異常者と呼ばれる人間と居ることの苦痛は、地獄は知りませんが、多分これは地獄のようだと呼称してよい事態だと思う。

 おはようございます。この言葉以外は無言の行。

 バカバカしいことですが、電話の線のヨジレに対して突然「使いずらくないか。」との冷血的な声を発する。

 「ハイ、すいません。」

 (気が付いたならば自分で直せばいいだろう)と思うが。

 「怒ればお終い!」

との叱咤激励の妻の言葉。感謝感謝の日々。

 当初一か月が限界かと予想していたのですが、耐えがたきに耐え今日に至る、です。

 しかし、ここに至って気が緩んできたのか・・・もったいない。

 春を夢見て淡々と過ごそう。

 哲学者ヤスパースは、

 「哲学すること」の根源は驚異・懐疑・喪失の意識が存している。

 西田幾多郎先生の悲哀の中には、この「驚異・懐疑・喪失」が含まれているわけで、

まことに驚くような毎日。

こいつは何だ、という問いの発生。

こんなはずではなかったのに・・・。

 有難いことに、哲学にではなく、哲学が目覚めるということはこういうことなのか。

「観照的生の絶頂」

 哲学者の井筒俊彦先生は、何事かの気づきの瞬間をそのように表現していましたが、まさに大バカ者に照らされて、得ること非常に多しです。

 他者(ひと)にやさしくなれる。

若いころは職場の不満を自宅に持ち込んだ「わたし」でありました。

どういうわけか、今は妻(他人)にやさしくなっている自分に気づきます。

 時々に、「観照的生の絶頂」あり。

 今日も終日、穏やかに、お静かに・・・・。

 自分自身の自戒にあるのは確かです。

「驚異・懐疑・喪失}の意識は、ある意味、自分を鍛えてくれます。 


夜がわるい

2015年12月13日 | 思考探究

 何があなたをそうさせるのか?

 世の中には納得するばかりの現象が起きているわけではなく、不可解な出来事や行動をする人がおり、人間社会だもの、人間だもの・・・といったところでその「だもの」が解らず人間行動学あり、行動心理学あり、・・・諸々の専門家がその道を修めています。

 ガラリと話題を変えて話を進めますが、歌好きのわたし、歳が歳ですから懐メロも大好きです。学生の頃のフォークソングも好きですが、父や母の時代のムード歌謡もなぜか好きで、最近故松尾和子さんのCDを図書館から借りSDにダビング、50分ほどの通勤時間に当然安全運転に心がけ聴いていたところ、心に留まる1曲がありました。

その曲のタイトルは『夜がわるい』で男女間の愛物語です。参分9秒の曲、

作詞 川内康範
作曲 吉田 正

<夜が悪い>
1 愛すると言ったのは あなた
  愛されたのは わたし
  抱きしめなたのは あなたで
  許したのは わたし
  誰も わるいんじゃない
  夜が 夜がわるいの

2 変わらぬと言ったのは あなた
  おぼえていたのは わたし
  忘れたのは あなたで
  泣かされたのは わたし
  誰も わるいんじゃない
  夜が 夜がわるいの

3 別れると言ったのは あなた
  さよならしたのは わたし
  呼びとめたのは あなたで
  もどって来たのは わたし
  誰も わるいんじゃない
  夜が 夜がわるいの

 2日ほど前から「平浩二のぬくもりが、抱きしめたいの歌詞をパクリ疑惑」という話題になっていますが、作詞家にもとんでもない人がいるものでが、今の時代、上記の詩のような曲は巷では聴くことはないでしょうし、・・・・何と表現したらよいかわかりませんが、・・・おもしろい・・・でしょうか、・・・すごいで・・・しょうか、実に興味深い詩です。

 と言って男女間の愛の構造論を語るつもりはなく、男女間の行動決定、行動選択において「夜」という時間と空間にその因を置いているところに思考を駆り立てられたわけです。

 夜が人間の思考に及ぼす影響についてはよく重大決定においては昼間、情緒的なうすぼんやりのあわいや、まどろみのような微睡のあいまいさに心を置き物語るような精神状態を欲(ほっ)するならばならば夜間とよく言われますが、まことに「夜はわるい」し「夜がこわい」という話になります。

 夜間に悩みに引き継ぐと、悩みに悩む結果となり、夜に悩みを引き継ぐなとも言われます。アイデアは寝て待つぐらいがよいようで、突然のひらめきは脳活の狭間(はざま)に起きるようです。

 ともかくもともかくも、『夜がわるい』は実にいいのです(あくまでも個人的に)。

 と、この歌を称賛する一方で、私の脳裏に「世間がわるい」「社会がわるい」「政治がわるい」「国がわるい」という言葉の展開が起きてきたわけです。

 1番から3番まで、「愛」「抱」「許」あり「変」「覚」「忘」「泣」、そして「別」「離」「呼止」「戻」があります。

 「あなたとわたし」は国民でしょうか。

 現在、まさに起きつつある現象。「私はここにいる」と高らかに宣言するのですが時間と空間というものは、意味あるものを投げかけます。

 「夜がわるい」

 こういう発想はなかなか興味深いものです。