2015年最終の日の出となりました。安曇野市有明山の麓から見える日の出は美ヶ原高原のテレビ塔群の左側から昇ります。
年の暮れ、写真と俳句が立ち現れ・・。ということで年末の休日をのんびりと過ごしながら風景写真や山頭火の句の話を書いています。すると時々立ち寄るフランスにおられる方ブログの写真と俳句という言葉にドキッし、共時的な現象は私が意識するからそうなのであってと解していてもその不思議感に世の不思議を感じます。
今朝は句つながりで、Eテレ100分de名著で12月取りあげられている良寛さんについて書きたいと思います。
この番組は4回それぞれ25分で1か月で100分、見るにあたって取り上げられる名著を読んでいなくても分かりやすく理解できるところが、年老いた私にとってはありがたき学び舎です。
良寛さんというと作家水上勉さんの『良寛』(中央公論社)を読んだり、仏教学者紀野一義先生の『名僧列伝』(講談社学実文庫)第二巻の「良寛」などを読んだことがありますが、あらためてこの年齢で番組を見ると水上さんの良寛さんの人柄理解よりも、今回の講師の中野東禅龍宝寺ご住職のお話から描き出される良寛像の方が私にとっては良寛さんの言葉として身に沁みるものがありました。
「しみる」漢字で書けば染みる、浸みる、滲みる、凍みる。
が今まさに打つ(キーボード)中で立ち現われ「沁みる」をその意味において選択したのですが・・・心に深く感じたわけです。
人に毒されるとは、知悉せずにある自分であるとしみじみ思うわけで、まだまだ道のりは長いのでしょうか。
ということで4回中の最終の巻“「老い」と「死」に向き合う”、今日30日はEテレでは再放送が2回ほど流れていますので見た人もいるかもしれませんが、昨日種田山頭火を取り上げたのも不思議な縁で、今日も最期にまつわる話を語ることになりました。
生死を超える絶対者は、二律背反を転換的に統一して、死における生を信証せしめ、死復活こそが死に脅かされることなき真実の生にほかならざることを悟らせる慈悲であるといわなければならぬ。それは生の直接存在を否定転換して死復活の生に翻し、もって本質的生を遂げしめる原理であるから、絶対無即愛といわれるわけである。(『現代日本思想体系23田辺元』(筑摩書房・「メメント モリ」p332から)
と田辺先生は書かれ引き続いて
・・・それでは、たとい死に脅かされる生の不安が解除せられるとしても、積極的に生の本質を恢復し、死苦の中に生きる喜びあらわしめるものがないといわねばならぬ。すなわち生きながら死すばかりでは、死につつ生きるといわれるべき理由が認められないわけである。(上記書同p333から)
と懐疑を述べられ、「絶対無即愛は、生ける師の愛を通じて媒介実現されるのである。」と書かれています。西田幾多郎先生に比せば言葉の難解度は私にとっては低いのですがなかなか理解できないでいます。
今回番組を見ていて、中野ご住職が「死を受け入れるということは、責任主体として死を生きる」と言われまさに「観照的生の絶頂」がそこにありました。
晩年の良寛さんの人生、人は老いること死期が近づくことに不安をもつもので良寛さんはこのことについて多くの句を残しています。考えてみるとブログを書く私自身、若い人と異なり内容は不安ただ中の独白のようなもの、表現することが心の安寧をもたらしているのかもしれません。
番組の中で晩年の出来事文政11年(1828)の越後三条の大地震後の与板(地名)の友人山田杜皐(とこ)からの見舞いの手紙の返信の手紙が紹介されました。一度は聞いたことのある内容です。
と番組では、この良寛さんの文章を「共感」「愚痴」「悟り」の三段階に分け解かれていました。
この時、伊集院光さんは「今死ぬべき時で自分は死ぬ時なんだと思えるような気持で生きていかないと・・・」と語り、武内陶子アナが「受け入れるとはすごい力」と話すと中野ご住職は「受け身ではない」と点を強調します。そして「死を受け入れることは責任主体として生きる」ということを語るのです。
災難に逢った時には逃げる方法はない。「死を受け入れることは責任主体として生きる」ということで、腹を決めるしかないということです。
私たちは自然の一部として生きている。そういう時に一般的には神様にすがったり、自分の不幸を恨んだりしてしまう。しかし、私たちが地球上に生きている以上、この自然災害から逃れられない。私自身が生きている、人間が生きていること自体が自然の一部として生きているということ。そこから逃げることなく、どうすればよかったかといえる生き方にするか、それがわたしの責任だ。
旨の中野ご住職の説明・・・ストンと落ちます。
この手紙は、共感、愚痴、悟りが共存して現している心の手紙、響かないわけはなく後世まで伝えられる所以です。
サルトルは本質存在よりも現実存在の先行を語りますが、ある事の中にはすでに本質があるのであって二元的に囚われの身にあり、対他存在、対自存在などを語ること自体にサルトルの性癖を感じます。
人間は何もしなくとも、もともと自由だ、だから「人間は自由の刑に処せられている」などと責任性をも付け加えますが、発想そのものに自己の正当性の根拠を語っているだけ。
前回キルケゴールの三段階(美的、倫理的、宗教的)を書きましたが、三分割も考えてみれば本質存在と現実存在の二元的な視点からの発想に見えます。最終的には宗教的実存という信仰に根づいた真の実存を語ることに落ち着こうとするのですが、妙法を語るにおいて絶対無即愛を語る田辺哲学の方が的を射ているような気がします。
良寛さんの上記の句には「無常」なるもの、ことが現れているように思います。あるブログに、
2015年最終の日の出となりました。安曇野市有明山の麓から見える日の出は美ヶ原高原のテレビ塔群の左側から昇ります。
年の暮れ、写真と俳句が立ち現れ・・。ということで年末の休日をのんびりと過ごしながら風景写真や山頭火の句の話を書いています。すると時々立ち寄るフランスにおられる方ブログの写真と俳句という言葉にドキッし、共時的な現象は私が意識するからそうなのであってと解していてもその不思議感に世の不思議を感じます。
今朝は句つながりで、Eテレ100分de名著で12月取りあげられている良寛さんについて書きたいと思います。
この番組は4回それぞれ25分で1か月で100分、見るにあたって取り上げられる名著を読んでいなくても分かりやすく理解できるところが、年老いた私にとってはありがたき学び舎です。
良寛さんというと作家水上勉さんの『良寛』(中央公論社)を読んだり、仏教学者紀野一義先生の『名僧列伝』(講談社学実文庫)第二巻の「良寛」などを読んだことがありますが、あらためてこの年齢で番組を見ると水上さんの良寛さんの人柄理解よりも、今回の講師の中野東禅龍宝寺ご住職のお話から描き出される良寛像の方が私にとっては良寛さんの言葉として身に沁みるものがありました。
「しみる」漢字で書けば染みる、浸みる、滲みる、凍みる。
が今まさに打つ(キーボード)中で立ち現われ「沁みる」をその意味において選択したのですが・・・心に深く感じたわけです。
人に毒されるとは、知悉せずにある自分であるとしみじみ思うわけで、まだまだ道のりは長いのでしょうか。
ということで4回中の最終の巻“「老い」と「死」に向き合う”、今日30日はEテレでは再放送が2回ほど流れていますので見た人もいるかもしれませんが、昨日種田山頭火を取り上げたのも不思議な縁で、今日も最期にまつわる話を語ることになりました。
生死を超える絶対者は、二律背反を転換的に統一して、死における生を信証せしめ、死復活こそが死に脅かされることなき真実の生にほかならざることを悟らせる慈悲であるといわなければならぬ。それは生の直接存在を否定転換して死復活の生に翻し、もって本質的生を遂げしめる原理であるから、絶対無即愛といわれるわけである。(『現代日本思想体系23田辺元』(筑摩書房・「メメント モリ」p332から)
と田辺先生は書かれ引き続いて
・・・それでは、たとい死に脅かされる生の不安が解除せられるとしても、積極的に生の本質を恢復し、死苦の中に生きる喜びあらわしめるものがないといわねばならぬ。すなわち生きながら死すばかりでは、死につつ生きるといわれるべき理由が認められないわけである。(上記書同p333から)
と懐疑を述べられ、「絶対無即愛は、生ける師の愛を通じて媒介実現されるのである。」と書かれています。西田幾多郎先生に比せば言葉の難解度は私にとっては低いのですがなかなか理解できないでいます。
今回番組を見ていて、中野ご住職が「死を受け入れるということは、責任主体として死を生きる」と言われまさに「観照的生の絶頂」がそこにありました。
晩年の良寛さんの人生、人は老いること死期が近づくことに不安をもつもので良寛さんはこのことについて多くの句を残しています。考えてみるとブログを書く私自身、若い人と異なり内容は不安ただ中の独白のようなもの、表現することが心の安寧をもたらしているのかもしれません。
番組の中で晩年の出来事文政11年(1828)の越後三条の大地震後の与板(地名)の友人山田杜皐(とこ)からの見舞いの手紙の返信の手紙が紹介されました。一度は聞いたことのある内容です。
写真
と番組では、この良寛さんの文章を「共感」「愚痴」「悟り」の三段階に分け解かれていました。
この時、伊集院光さんは「今死ぬべき時で自分は死ぬ時なんだと思えるような気持で生きていかないと・・・」と語り、武内陶子アナが「受け入れるとはすごい力」と話すと中野ご住職は「受け身ではない」と点を強調します。そして「死を受け入れることは責任主体として生きる」ということを語るのです。
災難に逢った時には逃げる方法はない。「死を受け入れることは責任主体として生きる」ということで、腹を決めるしかないということです。
私たちは自然の一部として生きている。そういう時に一般的には神様にすがったり、自分の不幸を恨んだりしてしまう。しかし、私たちが地球上に生きている以上、この自然災害から逃れられない。私自身が生きている、人間が生きていること自体が自然の一部として生きているということ。そこから逃げることなく、どうすればよかったかといえる生き方にするか、それがわたしの責任だ。
旨の中野ご住職の説明・・・ストンと落ちます。
この手紙は、共感、愚痴、悟りが共存して現している心の手紙、響かないわけはなく後世まで伝えられる所以です。
サルトルは本質存在よりも現実存在の先行を語りますが、ある事の中にはすでに本質があるのであって二元的に囚われの身にあり、対他存在、対自存在などを語ること自体にサルトルの性癖を感じます。
人間は何もしなくとも、もともと自由だ、だから「人間は自由の刑に処せられている」などと責任性をも付け加えますが、発想そのものに自己の正当性の根拠を語っているだけ。
前回キルケゴールの三段階(美的、倫理的、宗教的)を書きましたが、三分割も考えてみれば本質存在と現実存在の二元的な視点からの発想に見えます。最終的には宗教的実存という信仰に根づいた真の実存を語ることに落ち着こうとするのですが、妙法を語るにおいて絶対無即愛を語る田辺哲学の方が的を射ているような気がします。
良寛さんの上記の句には「無常」というもの、ことがあるように思います。あるブログに、
良寛には若いころから激しい無常感があった。「無常 信(まこと)に迅速 刹那刹那に移る」の詩句もある。
と「無常感」を語る方がいました。若いころは確かにその通りだとおもうのですが、最期の良寛さんは道のある「無常観」に思います。山頭火もしかりで人の心を照らしてくれる、道を教示してくれる無常観がそこにあるように思うのです。
次回は良寛さんの「この世の形見に」ついて書こうと思っています。
おわりに1枚掲出します。安曇野から見える今朝の百名山浅間山です。