思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

廃仏毀釈の縁で知る

2009年07月31日 | 仏教

 上の写真は、ジョギングで参詣する安曇野市穂高有明宮城にある真言宗正福寺で、この寺は明治の廃仏毀釈で一時廃寺にされた再建された寺です。

 このような廃仏毀釈の被害にあった寺が、安曇野・松本平には多く誰がそのようなことを決断し、廃仏毀釈を実施したのか調査すると、ネット上に松本藩の事例が掲載されていました。それは

「日本大学文理学部人文科学研究所紀要『研究紀要』第59号、2000年1月」 
 明治維新期における学校教育と神仏分離
   -廃仏毀釈と国学思想、教育の近代化との関係に注目して-

という古賀徹産さんという方の論文で、次のように書かれていました。                                

2)学校設立との関係  <松本藩の例>  
1869年(明治2年7月)、藩知事自ら「自家の祈願所たる彌勒院の住僧が常に戸田家の氏神五社神社の神前に読経するの例を止めて、彌勒院を廃して、その住僧は復飾せしめて、五社神社の神官とした、又戸田家の菩提所たる全久院及前山寺をも廃毀」37)したが、全久院の跡はのちに旧開智学校敷地とされたことに注目したい。この後、藩知事戸田光則が政府にこの廃寺についての承認を得るために弁官宛に願い出た文書の中に、「両寺共学校に改めたい」との願い出があった。この松本の廃仏毀釈については戸田は朱子学を、側近の大参事稲村久兵衛もまた朱子学及び水戸学を奉じていたことから、儒教及び水戸学の影響がみられるといわれる。他に補佐役の権小属多賀努、増田裕も水戸学、小参事神方損は陽明学を奉じていた。水戸学には従前から寺院整理の実例があり、たしかにその影響も看過できるが「学校設置」構想は独特のものであった。なお、明治3年には藩内に皇学所も設置されていることから、藩校的方向性としては国学が中心にあったともいえよう。

この論文に登場する人物「多賀努」という人物を調べてみると、
デジタル版 日本人名大辞典
 多賀努 たが‐つとむ 
1819‐1887
幕末-明治時代の武士、官吏。
文政2年生まれ。鳩山春子の父。信濃(しなの)(長野県)松本藩士。京都所司代の命をうけ、京都で尊攘(そんじょう)派の偵察にあたる。維新後名を渡辺幸右衛門から多賀努とあらためて官吏となり、陸前登米(とめ)県(宮城県)大参事などをつとめた。明治20年12月死去。69歳。

と解説されており、「鳩山春子」という人物が有名な教育者であることを知りました。

 また、多賀春子は、明治13年晩秋には、わが国の代表的な法律家で衆議院議長も歴任した鳩山和夫と結婚し、その長男は鳩山一郎であることを知りました。

「縁は異なもの ・・・・・・」といいますが、 廃仏毀釈から知りました。


松原泰道先生の転生

2009年07月31日 | 仏教

 仏教を知りたいなあと思い、はじめのころ読み始めた本が松原泰道先生の『こころの開眼 仏語仏戒』という集英社から出版されている本でした。この『こころの開眼』は集英社文庫にもなっており、昨日早朝に死去を知り再々読しました。私は本に、三色ペンや黄色や赤色鉛筆でこころに響く箇所に線を引いています。

 B・R・アンベードカルは、(『ブッダとそのダンマ 山際素男訳 光文社新書』P226「ミリンダ王物語」)で釈尊の霊魂の存在を無視した姿勢を、「灯火から灯火に火を移すこと」、「教師から習った詩句のようなもの」と釈尊に霊魂のない転生を語らせていますが、輪廻転生とはそのようなものと思います。

松原泰道先生の書かれた上記の本に引いた色線は私の心に転生しつつあるものと確信しています。

○ 「衆生はことごとく仏となるべきに、しかも衆生はことごとく仏となることなければ、すなわち如来の常住なるは明らかなり」とは聖徳太子のお言葉です。大乗仏教では、「悉有仏性」と申します。すなわち存在ものはことごとく仏の命をいただいています。道元さまはさらに「悉有仏性」の読みを深めて、「悉有は仏性なり」という読み方をしておられます。ことごとく仏性をもつのではなくて、存在するものはみなこれことごとく仏性、仏の命、仏の心にほかならない。(P28・29)

○ 気のついたときに庭の草を一本取るというのは、庭の草だけではありません。「煩悩無尽誓願断」とは、やはりそういう心がけが必要だというおしえではないでしょうか。(P31)

○ あらゆるものがあらゆる機会に、私たち一人一人に何かにつけ、なにかを教えてくださるということが「法門無量」ということ。あらゆるものが先生、あらゆるものが教えです。(P36)

○ 私は、それが、「臨済録」にいう「随所に主となれば立処皆真なり(いつ・どこでも、今、自分のなすべきことを徹してするなら、常に真理の真ん中にいる)」ということで、自分の道に活動をするのが仏道を歩むことになると思います。(P45)

○ T子さんは、最近自分の心境を歌に詠んで私に見せてくれました。
 なぐさめを 求めて泣きしわれなれど ささげて生くる よろこびを知る
「悲しみのときはだれかが慰めてくれたら、と愚痴がでます。しかし他からの慰めは何となく頼りないものです。そこで亡き息子が声なき声で教えてくれた、この悲しみの体験を人様のお役に立てることだと気づきました。これも亡児の導きでしょう。世の中とは不思議なものです。私が、他からの慰めを求めたころは、人さまの態度が冷たく感じました。ところが、私が自分の体験から、人さまをお慰めさせていただくと、自分が慰められた以上に、私の心が安らぐのです・・・・」と、この詩を説明してくれました。(P56)

○ 脱出ができるなら、それは苦悩の名に価しません。脱出不可能な事実から脱出を計ろうとするから、苦悩は倍増いたします。脱出できないと確認したら居直るのです。居直るといっても急にすごんで態度を急変して強盗などになることではありません。居直るとは、いずまいを正し、座り直すこと、心の座りを居直らせるのです。逃げられない事実との直面であると居直るのです。P60)

○ 死生観というものを若いときからもつというよりも、死生に対する考え方を年代相応に育手ていくほうがよいと思います。(P66)

○ 宗教には、いろいろの定義があります。ということは、これが宗教だと一言ではいいつくせない、いいかえるとそれだけわかりにくいということでしょう。私は私なりに、「宗教とは自分自身を見る視座をもつ」ことだととの考えに従います。それは道元禅師の「仏道をならうとは、自己をまらうなり」に基づくものです。(P67)

○ お仏像なりお仏画なりを心から拝む人は、その仏さまの心にお目にかかれる(見ゆ)のです。私たちの心の奥底には仏心(仏<真の人間>になれる可能性)が埋みこめられているのですが、その事実を忘れているのです。しかし心の鏡というべき仏のお姿を拝めば、やがて私たち人間の本心本性の仏心を開発できるのです。すなわち、わが心を見すえる視座は、仏のお姿を拝むところにあります。(P68・9)

○ 私たちの心もそれと同じで、知らぬ間に過ちを犯すが、気がついたときに過ちというごみを一つでも取っていけば、時々刻々に、汚れやすい私たちの心が自然にきれいになっていくのです。心がきれいになっていくと、もののいい方がやさしくなってきます。また、心がきれいになっていくと、人相がよくなっていきます。(P98)

○ 私たちも、たとい五体投地とまでいたらずとも、心から謹んで礼拝いたしましょう。仏さまを礼拝する心で、人さまにも丁寧にあいさつをいたしましょう。人を敬い丁重にお辞儀をするのは礼儀や作法ではありません。相手の人の心中にある仏心を拝むので、単なる尊敬ではありません。お辞儀は、礼拝を毎日の生活に消化する仏法の修行でありますし、また仏法の実践なのです。(P117)

○ 古い歌に「右ほとけ左衆生と合わす手に中にゆかしき南無の声」とおしえられています。(p118)

○ また、私たちは、だれも見ていないからと世間をなめたら大変です。私は申したい、「あなたの目は二つしかないが、あなたを見る目は無数にある」と。(P172)

○ 仏教思想では、すべてのものをそのものたらしめる機能を「仏の命(仏性・仏心)」といいます。花を花たらしめ、鳥を鳥たらしめ、万年筆を万年筆たらしめ、人間を人間たらしめるのが、仏の命です。ゆえにあらゆるものに仏性があると教えます。ただ、仏性はあるが、その仏性が全開しているかどうかが問われるのです。(P178)

○ 日本浄土宗の宗祖法然上人の「月影のいたらぬ里はなけれども眺むる人のこころにぞ澄む」の一首は、やはり仏性はだれの心中にも澄(住)む真実をうたいあげます。いずれも、画や月の実体よりも、画や月の「影」に重点が置かれてあるのを深く思いましょう。影は実感するものであって、手につかむことはできません。つかり眺め感じて、仏性にも執着しない不邪淫のぎりぎりが示唆されている経典の比喩であり、法然の詠嘆でもあります。(P182・183)

○ 「認める」意味に関する言葉に「確認」があります。「確かに認めること」をいいかえると「あきらめる」ということになります。とかく、あきらめるというと、断念したり、投げだしてしまう意味にとりますが、じつは「あきらめる」とは「明られる」意味です。事実を明らかに確認することによって、初めて落ち着いた気持ちで辛抱できるようになるのです。(P198)

○ 知識は外からえられるもの、智慧は自分の心の中から光ってくるもの、との違いがでてまいります。ルーム・ランプが明るいと、室内にも明るさがにじみでます。同じように、ハート・ランプが輝けば自分の周囲の人の心をも照らします。この事実を、をさはるみさんのの「独言(ひとりごと)」という詩に学びましょう。
 私が私になるために人生の失敗も必要でした
 無駄な苦心も骨折りも悲しみもすべて必要でした
 私が私になれたのも
 みんなあなたのおかげです
 恩人たちに手をあわせ
 ありがとうございましたとひとりごと
 (P210)

○ 「空は色なり」ということも、空と色とは離れることはできない。空しいものであればこそ、存在の意味もあるわけです。(P236)

○ 美しいものを素直に美しいと見て、しかもそれにいつまでも引きずり回されないことが、本当の智慧ということになります。(P237)

○ めぐりあいを大事にすると、「おかげさま」の意味がわかります。おかげさまがわかると、今・ここ・自分を大事にしなければならない道理がわかり、今、自分がしなくてはならないこともわかってまいります。本当に腹の底から、よくわかってまいります。この道理を詳しく説かれているのが般若心経の空なのです。(P254)

○ わたしだって、たった一人のおとうと弟子が、どんな死に方をしたか知りたいよ。だけどそれを知ってみたら、おそらく、本人もまた悩むことなのだ・・・<中略>・・・
  好きな一休さんの歌を思い出しました。
 いま死んだ どこへも行かぬここにおる たずねはするなよ ものはいわぬぞ
  洒脱(しゃだつ)な一休さんらしい、ユーモアにとんだ歌ですが、なにかこの歌が私にジーンとしみて、涙がこぼれそうです。やはり戦死した醇一のことを思うせいでしょうか。
 仏法の世界はいつでも、「今・ここ・そして自分」の三つを一点にまとめて見つめよと教えます。(P258・259)

 短時間に全部の箇所を転記することはできませんのでこのくらいにしますが、転記をしていると先生の言葉使いにも、そのあたたかいこころが伝わってきました。


大伴家持と郷土史

2009年07月30日 | 歴史

  写真は不鮮明ですが、正倉院御物の布墨書の写真です(東部町歴史年表からP23から)。ここには「信濃国小県郡海野郷戸主瓜工部君調」と墨書されています。

 けさの「日めくり万葉集」は、大伴家持の巻18-4097で大伴氏がもっとも栄えた頃の歌です。

 天皇(すめろき)の
 御代栄(みよさか)えむと
 東(あずま)なる
 陸奥山(みちのくやま)の
 金花咲(くがねはなさ)く

 大伴家持の歌は、6月9日に今の越中富山の国守であった時の歌が詠まれその時に、大伴氏の盛衰について国文学者の亡西郷信綱先生の話を参考に書きました。
 
 大伴氏という古代部族は、古代史の研究、郷土史の研究にとって欠かせない部族です。 大和政権の軍事を司る歴史過程があり、地方史を研究すると大伴氏の痕跡を発見することが出来ます。
 
 古典である日本霊異記の宝亀5年(774)の物語として小県郡嬢(おうな)の里に大伴連押勝という人が住んでいたことが書かれています。

「小県郡嬢の里」とは現在の長野県東御市の和(かのう)という地籍で、荘園時代は「海野(うんの)荘」で、その後は「深井郷」、「深井村」と変遷してきました。

 「深井」という地名は、全国を調査すると渡来系の人々に関係する地名です。岡山県に顕著に示されていますが時間の都合上書きません(出勤時間があるため)。また埼玉県内にもあり、地名からその氏姓を名乗る部族が出ています。

 上記の東御市の「深井」は、「瓜工部」という渡来系の居住地で、朝鮮半島というよりも史記に登場する「深井里」に関係する部族で、中国系渡来人の可能性が高いと私は考えています。

 大伴氏から渡来人の話になってしまいましたが、大伴氏は騎馬の育成に多くの渡来人を部族に編成しました。したがって公的な牧場である御牧(東御市御牧原)を営みその技術を渡来人に委ねました。したがって大伴氏の痕跡として直近の地の旧望月町に大伴神社が存在しています。そして上記の日本霊異記の大伴連押勝(連は部族の色濃い関係者を示す)の話も残ることになるわけです。

 上記に書きました深井の地の人々は名族の誉れが高く、真田氏の発祥の逸話にも豪族として登場します。

 最近のNHK大河ドラマにほ海野氏(真田家の祖)の家臣の子孫として登場していましたが、長野県の東部地域の歴史研究には欠かせない古族であると私は考えています。


突然気球が出現

2009年07月29日 | 風景

  連日の悪天候ですが、昨日の出勤時間帯は雨も上がりました。山麓線を松本方向へ走行していると、突然、中房温泉郷の上空にごらんの熱気球が出現しました。

 夏休みシーズンになると温泉郷にあるグラウンドで熱気球の体験イベントが行なわれことをすっかり忘れていました。

   

 しかし間もなく、雨降りの天気となって中止になったと思われます。安曇野は大町市と松川村との堺の山麓に大規模な自然公園が先週オープンし、3年程前につくられた「あずみの公園」とともに多くの観光客が訪れるものと思います。早く天候が回復することを願っています。


大乗涅槃経『施身聞偈』の詠歎(1)

2009年07月29日 | 仏教

  写真は、潮出版社の「仏教物語第1集 雪山童子 礒永秀雄著」です。大乗涅槃経の施身聞偈は仏教説話集には必ず掲載されます。

 いろは歌というと一般的には、「いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑひもせす」で、「色は匂へど 散りぬるを わが世誰ぞ 常ならむ 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず」と読まれています。

 国音の重複の無い四十七文字も使用した歌には、いろいろな種類がありますが、上記の歌は仏説といわれ弘法大師空海作ではないかといわれています。

色は匂へど 散りぬるを  諸行無常(しょぎょうむじょう)
わが世誰ぞ 常ならむ   是生滅法(ぜしょうめつほう)
有為の奥山 今日越えて  生滅滅已(しょうめつめつち)
浅き夢見じ 酔ひもせず  寂滅為楽(じゃくめついらく)

 この諸行無常ではじまる言葉は、『大乗涅槃経』の施身聞偈といわれる説話で、詠われる羅刹(らせつ)に変身した帝釈天が苦行者(ブッダ・雪山童子)に唱え聞かせた一偈十六字です。
 前半を前偈八字、後半を半偈八字で説話は進められています。

 仏教の三つの命題である「諸行無常 一切皆苦 諸法無我」とは前の四字「諸行無常」が同じであるものの上記大乗の施身聞偈の一偈十六字の中には「一切皆苦 諸法無我」の言葉は出てきません。

 どちらの歌も世間の真理を表わしている言葉だそうですが、そこには教えの微妙な流れがあります。

 法句経には、
○ 「一切の形づくられたものは無常である」と正しい智慧をもって観ると、人は苦しみから遠く離れる。
○ 一切の形づくられたものは苦しみである」と正しい智慧をもって観ると、人は苦しみから遠く離れる。
○ 「一切の事物は私ではない」と正しい智慧をもって観ると、人は苦しみから遠く離れる。
と説かれ、漢訳が「諸行無常 一切皆苦 諸法無我」となり、仏教の三つの命題となるわけです。(『涅槃経を読む』田上太秀著 講談社学術文庫P29・30)

 先に教えの微妙な流れといいましたが、小乗から大乗の流れの中に「諸行無常」という四字の言葉の「詠歎の無常」の響きに、施身聞偈の一偈十六字に詠歎では終わらない悟りの教えがしめされ、それがまた日本文化の深層にも深く影響していると思われるので今後ブログで、その思考過程を掲出していく予定です。

その際、涅槃経を雪山童子の説話なので「大乗涅槃経」と呼称していきますが、説話の内容については言及しません。

なおタイトルは、「大乗涅槃経『施身聞偈』の詠歎」と題していきます。


雨雲が気になる

2009年07月28日 | つれづれ記

 暗い世相を暗示させるかのような、雨雲が空一面に広がっています。民主党のマニフェストが出されました。高速道路を無料化にする。運送業は大賛成でしょう。大型輸送トラックをはじめ輸送トラックは高速道路をフル活用することになるでしょう。

 木曽路は静かになりますね。国道19号線は、無料化になれば通行するのは地元の車か、観光客の車だけになるでしょう。しかし、現在の高速道路補修費を2・3倍に上げます。その財源は、国民の税金で補うしかないでしょう。

 弱き者との意識の強い国民は、官僚の優遇措置には相当な敵意をもっているようです。それに比べれば、放送業界に流れるお金というものは、とんでもない額であり、闇社会に流れるお金も桁外れ。

 何をもって善良か判断がつけにくいですが、そういう人たちからお金を徴収、差し押さえしていただきたいものです。

 官僚優遇措置政策は、善良な公務員にも飛び火をします。雨雲が気になります。

 最近の天気予報は当らないと思う人がわたしも含め多いと思いますが、目覚ましテレビによると、この季節は予想しにくい季節なのだそうです。

 


植物そして呼子鳥

2009年07月27日 | ことば

 植物と人生とは実に離す事の出来ぬ密接な関係に置かれてある。人間は周囲の植物を征服していると言うだろうがまたこれと反対に植物は人間を征服していると謂える。そこで面白い事は植物は人間がいなくても少しも構わずに生活するが人間は植物が無くては生活の出来ぬことである。
そうすると植物と人間とを比べると人間の方が植物より弱虫であると謂えよう。
(牧野富太郎「自叙伝」から)

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 牧野 富太郎(まきの とみたろう、文久2年4月24日(1862年5月22日) - 1957年(昭和32年)1月18日)は、日本の植物学者。高知県高岡郡佐川町出身。

「日本の植物学の父」といわれ、多数の新種を発見し命名も行った近代植物分類学の権威である。その研究成果は50万点もの標本や観察記録、そして『牧野日本植物図鑑』に代表される多数の著作として残っている。小学校中退でありながら理学博士の学位も得て、生まれた日は「植物学の日」に制定された。


 けさも厚い雨雲におおわれています。蒸し暑い朝もいやですが、カラット朝から晴れてくれないものかと注文したくなる毎日が続いています。

 

(小学図鑑から)

けさの日めくり万葉集は、日本野鳥の会会長の柳生博さんの選んだ歌でした。

答へぬに
な呼びとよめそ
呼子鳥(よぶことり)
佐保の山辺を
上がり下がり
巻10-1828作者未詳

返事をする者などいないのだから
そんなに呼び声を響かせるな
呼子鳥
佐保の山辺を
上に行ったり下に行ったりして

 呼子鳥とは通称「カッコウ」という鳥とされています。5月頃のブログにも書きましたが、そのころ安曇野の山すそに鳴く鳥です。

 古語で「吾子(アコ)、吾子(アコ)」と言っているように聞えるのでそう謂われるようになったようです。


風幡心動

2009年07月26日 | 仏教

 連日の大雨で各地に災害をもたらしていました。また、山の遭難も大きく報じられる事態になり自然と向きあうことの難しさを感じずには入られません。災害で大きく影響するのは風と水です。

 よくよく考えてみると「水」は命の根源、なくてはならないもの。生命起源の場所である海洋は「海水」すなわち「水」からなっています。しかし、一方「風」はなくとも別段よいものと思うのですが、自然現象すなわち気流の流れ、低気圧、高気圧の気圧の変化が不要な代物である風を引き起こします。

1 風神について
  いま「風」を不要の代物と簡単に書いてしまいましたが、風はご承知のように古来から神として崇められています。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』では、「風神」が、
 風神(ふうじん)、風の神(かぜのかみ)、風伯(ふうはく)は、風を司る神。風の精霊、或いは妖怪をそう呼ぶこともある。また対になる存在として、雷神がある。

と解説されています。
 ギリシャ神話では、ティターン神族の星の神アストライオスと曙の女神アウローラとの間に東西南北の風の神が産まれ、それぞれの神は、
東風の神 エウロス
西風の神 ゼフィロス
南風の神 ノトス
北風の神 ボレアース

 
と言う名が付けられているということです。

 日本の場合はどうか、『諸神 神名祭神辞典 展望社』を調べると
 風の祖神(おやがみ)としては、その掌(つかさど)ります級長津彦ノ神(しなつひこのかみ)と級長津姫ノ神(しなつひめのかみ)の二柱を並べ祀るを通義とする。此の神、またのみ名を、天の御柱ノ神、国の御柱ノ神と申し、風に関わる一切の御功徳に負ひ給ふ神にませり。

などと解説されている。

2 万葉集にみる「風」
 万葉人児の風をどのように詠んでいるでしょう。「かぜ」初句にあるものだけを数えると20首ほどあります。
 その中で思考的に話を進めるため次の2首を選びました。

○巻11-2736
 風をいたみ いたぶる波の 間(あいだ)なく 我(あ)が思ふ君は 相思(あひおも)ふらむか
風が強くて激しく揺れる波のように、休みなくわたしが思う君は、思ってくれているのだろうか

○巻14-3453
 風の音(と)の 遠き我妹(わぎも)が 着せし衣(きぬ) 手本(たもと)のくだり
まよひ来にけり
(風の音の)遥かに遠い妻が着せた衣は、手首のあたりがほつれはじめた

この二首ですが、一首目の歌は、「風をいたみ」は、風が激しく吹いてという意味で、それによって激しく揺れる波のように私が思っている人は、私のことを思っていてくれるのだろうか。と自然現象を心の現象に重ね合わせています。
 二首目ですが、「風の音の」この言葉は、「遠し」にかかる枕詞で、風の音が遠くに聞えるような「遠くにいる妻」と風の音に他者との距離感と想いの情が表れています。

3 鵬と風
  九万里の上空を飛ぶ大鵬のように、何ものにもとわられることなく、自由の境地に遊ぶ荘子の心境を述べた「逍遥編遊篇」があります。ここにの使われている「鵬」という言葉について、

『老子・荘子 野村茂夫著 角川ソフィア文庫』に

 鵬は発音も意味も鳳と同じです。この字は几が発音をあらわし鳥は甲骨文字では美しい尾羽根と立派なとさかをもった鳥の形で、孔雀をモデルにした象形文字です。この字はもともと風を表していました。風は鳥の姿をして四方の神の意志を伝えるためにやってくる使者であり、その鳥形をした風神の中でもっとも神聖なのが鳳です。
 この鳳凰が羽ばたくと大風が起こります。東アジアモンスーン地帯に発生して、夏期に中国大陸に上陸する台風は鳳に起因するとされていました。荘子はそれをイメージして、夏六月に九万里の高みまでつむじ風を巻き上げてのぼる鵬として描いたのです。
 のちに鳳は神聖な鳥としての面のみを残し、四方の神の使者としては別に風という字が作られました。おそらくは戦国時代になってからのことでしょう。
 鵬は鳳と同じですが、漢代のの画像石(石に刻まれた絵画)には、この鳥が多数の小さな鳥を引きつれて飛んでいるところが描かれているものがありますが、おそらく鵬の朋の部分にともの意味があるところから、友をつれてとぶという伝承もあったのでしょう。

と、書かれていました。

4 スウィフト「桶物語」の「風」(ちくま哲学別巻 定義集から)
  風神派の学者の説では、天地万物の本源的原因は風であって、この宇宙全体は当初この原理から作られ、最後に再びこれに帰結するに相違ないとされる。すなわち自然の火を点じてこれを燃え立たせた同じ気が、やがてそれを吹き消す定めである。

 舵ヲ握ル運命ガコレヲ我々カラ遠ク逸(そ)ラスヨウニ。

 これが世界霊魂、つまりこの宇宙の気もしくは息、あるいは風について大家が理解する事柄である。この全体系を自然の特性にもとづいて吟味すれば、この説の動かし難い正しさが証明されよう。われわれが人間の構成的形質を、気、霊、息吹、あるいは精霊等々の名できないように呼んでも、結局それらはみな風のさまざまな名称に過ぎず、風こそはあらゆる化合物を構成し、最後に腐敗すればそれに還元される支配的元素にほかならない。さらに言えば普通に生命と言われるものさえ、結局はわれわれの鼻孔のの息それ自体である。風は今もある種の名付け難い秘蹟で発出的もしくは受容的な機関に適用され、「膨張セル」、ないし「勃起セル」等々の美わしい状態を作り出すきわめて有益な要素だ、との博物学者の説明は全く正しい。

5 ジョン・デンバーの詩(うた)
 風の詩人と呼ばれたフォーク歌手ジョン・デンバーの「風の詩(うた)」の一節が仏教学者で真如会主幹の紀野一義先生の「風の中のさすらいびと 日本交通公社」に掲載されている。

「風の詩」
風は母なる大地のささやき
  父は大空の使い
風は人間の苦闘とよろこびを見つめ
風は最初(はじめに)に飛んだ女神
風は良きまた悪しき便りを伝え
  闇は機織(はたお)り、夜明けをもたらす
風は雨を与え、虹を立てる
風ははじめて唄を歌った歌い手
風は怒りと戒めの綾
風は新しい乾草の香りをもたらす
風は荒々しいスタリオン(種馬)の疾走
  ものうい夏の日の甘い愛の味

さらに、「スペース(空間)」という詩も紹介されている。

存在を旅する途中で
わたしは自分の行く道を捜し求めている
時々、自分が飛んで行けたら、と思う
自分が動いていると思うとき
突然、まわりは止まってしまう
わたしはいつも、その思いにおびやかされる
  わたしがスペースを探し求めるとき
  わたしが一体誰なのかわかると思う
  それを知り、理解できると思う
  それは甘い、甘い夢
  時々わたしはその中にいる
  わたしは鷲のように飛び
  そして、時々、絶望の深みにおちている
宇宙の中ではすべてが孤独だ
時々、どうしてそう思えるのか
悲しみの中にわれを忘れるとき
わたしは心のよりどころを見つける
突然、すべては明らかになり
降り注ぐ陽の光と夢との中に
自分自身を見出す

6 風とスペース
  良き風、悪しき風は時と場所を選ばず吹きます。木立の中で、浜辺での上で、都会のビルの街角で。
 わが運勢、形勢は、風向きがよいときもあれば、風向きの悪いときもあります。風当たりが良いときもあれば、悪いときもある。
 心にすきま風が吹くときもある。千の風にのって、そこにあることになぐさめられるときもある。
 世界という大きなスペースの中で、また社会という大きなスペースの中で色々な風にめぐりあういます。
 自己と汝のスペースの中で、あなたとわたしという隙間(スペース)の中でよき風、あしき風が吹きます。

『万葉集』の歌にあったように、風の音(と)の遠きがごとく、劫風がスペース(空間、隙間)の遠く遥かなところから吹いてきます。

 無門関に「非風非幡(ひふうひばん)」があり、徹底六祖を押さえた

 風幡心動(ふうはんしんどう)。一状に領過す。只口を開くことを知って。話堕することを覚えず。

があります。

 諸々の風は、風のまま、身をも心をも只通り過ぎてゆく

 けさの無風と雲に感じました。


信州古代の馬について

2009年07月25日 | 歴史

写真は、信濃毎日新聞社発行の「信州 馬の歴史 信州馬事研究会編」の本表紙です。今回はこの本を中心に参照掲出しました。 

 『和漢三才図会』に「安閑天皇の御代(530年代)に馬を望月の牧と霧原の牧に放牧した。」旨が記されています。

 「望月の牧」とは現在の佐久市の望月の東部、東御市の旧北御牧村の御牧ヶ原台地と推定されています。

 望月は、旧望月町でここには大伴神社があり、台地の南には渡来系神社である駒方神社があります。

 台地周辺には須恵土器が多く出土し、台地の東側を流れる千曲川を挟んだ東御市和(かのう)地区には爪工部という渡来系部民が定住していたことが、資料等から明らかにされています。

 「霧原の牧」については、諸説がありますが旧木曽郡神坂(みさか)村の湯船沢地籍とするのが妥当だろうと思います。
 
いずれにしても信濃国は、六世紀初め頃には馬の生産地であったことは事実であったようです。

 軍馬としての馬の生産と共に重要なことは、馬具についてです。古墳時代には墳墓から馬とともに多くの金属でできた馬具が出土しています。


 馬具が古墳の副葬品として一般化するのは、竪穴式石室が造られる古墳時代後期になってからのようです。須恵器と馬具の副葬は後期の葬送儀礼で、この風習と馬具の多様化は騎馬の普遍性を物語っています。また、馬具の多様化がみられ六世紀になると戦乱などがあって馬具の需要が増えたためと考えられます。(上記信州の馬の歴史参照)

 馬具と簡単に思ってしまいますが、技術が必要です。それ以前に鉄の原料が必要ですし、また加工の技術が確立していなければなりません。

 原料はどこから調達したか、鉄鋼への還元技術はどのようにしていたか等大きな問題が横たわっています。御坂峠を入り飯田市の古墳群地帯に駐屯している大和軍。飯田市を流れる天竜川には砂鉄が見られません。千曲川の流れる佐久の古墳群地帯。千曲川には今も砂鉄を見ることができます。

今後の出土と古代鉄研究に成果に期待したいところです。


仰天ニュースから

2009年07月25日 | こころの時代

 写真は、長野県精神保健福祉センター発行のパンフレット表紙です。 

 7月22日の仰天ニュースで「アスペルガー症候群」についての番組が放送されました。最近「知的障害・発達障害の理解」ということで講習会に参加していましたの「アスペルガー症候群」の患者さんの実際を見ることができ理解度を深めることができました。

 発達障害者支援法は、平成17年4月に施行され、今まで障害とみなされなかった、知的障害のない「発達障害」にも、支援が必要であることが明らかにされましたが一般の方に周知されるにはかなり時間がかかりそうです。

 番組の中で、1億人当り50万から60万人の方がおられるとの専門家のお話がありました。発達障害の理解が足りないと「変人」「異常者」などと差別的行為や思いがけないトラブルに遭遇する可能性もあり行政を中心にした周知徹底の活動が叫ばれるところです。

 テレビ番組でも、「理解」という点に重点をおいた番組構成で時々取り組んでいるようですので、今回の「仰天ニュース」という視聴率という点ではかなりの方が見ておられたのではないかと思われます。

 「発達障害」とは、さまざまな能力の発達に偏りがあり、従来の「知的障害」という枠だけでは支援対象になりにくい方で、主に「自閉症」今回の「アスペルガー症候群」「注意欠陥多動性障害」「学習障害」等をいいます。

 広汎性(こうはんせい)発達障害というといった場合は、「自閉症」と「アスペルガー症候群」が含まれ、知的障害とは上記の関係にあるのですが「自閉症」の場合は一部知的障害が含まれる場合があります。

 アスペルガー症候群は、2004年の厚生労働省資料では、

○コミュケーションの障害
○対人関係・社会性の障害
○パターン化した行動、こだわり
○不器用(言語発達に比べ)

と抽象的ですが、説明され、自閉症やアスペルガー症候群への支援の基本として、次の点を理解しておくことが大事です。

・耳からの理解よりも、目で見ることのほうが得意です。
 文字や絵で伝えるとわかりやすい。
・初めての場面やなれない行動は苦手です、前もって、やることやスケジュールを伝えて 安心感をもってるようにする。

 発達障害者の苦手な点についての説明が足りませんので、少し具体的に講習を受けた内容で紹介したいと思います。

○心・・・相手の心が読めない。
○空気・・・場の空気がよめない(いわゆるKY)
 学者のような言い回しで、一人で自分の興味を一方的に話す。
○メタメッセージ・・・言葉の言外の意味することがわからない。(表情・身振りに鈍
感)、言葉を言葉通り受け取ってしまう。(思ったとおりに口にする。例え話を本当にする)
○「人・人間」を喜怒哀楽を持った、生き物という時間が持ちづらいために、人を「物」的に扱ってしまうことがある。
○デジタル・アナログ・・・デジタル的処理は得意だが、アナログ的世界は苦手。
 
 仰天ニュースでは、夫婦間の会話が印象的でした。
 夫・・・今夜は飲み会があるので帰りは遅くなるよ。
と言って出勤するが、妻は夕食を作る。

 本来は暗黙の了解で、夫の話には「夕食はいらないよ。」という話が含まれるがアスペルガー症候群の妻には理解できない。
 解決法は、夫が「今夜は飲み会があるので、帰りは遅くなるし、夕食は入らないよ。」と具体的に言うことが重要となります

また番組では、妻からの夫への注文がありました。
 妻・・・わたしに何をしてもらいたいのか、具体的に話してもらいたい。
 夫・・・僕が帰宅したときに、笑顔で迎えてもらいたい。(※障害者の方の中には無表情、感情に関係がなくいつも笑顔等の症状があります。)
 夫・・・部屋の中が整理整頓されていること。(※障害者の方の中には整理整頓が苦手な方がおられます。)

以上対応も含めた話を掲載しました。発達障害でも上記は軽度の場合です。軽度の発達障害者は、発達障害者100人に対し6.3人という話でした。

  発達障害者は、知能指数とはあまり関係がありません。講習会では、優秀大学にも進学できるほど能力の高い人も多いという話でした。