NHKの趣味どきっ!・火曜放送「趣味どきっ!石川九楊の臨書入門~女と男の素顔の書~」の第8回「雨ニモマケズ・最愛の妹への思い― 宮沢賢治 × 宮沢トシ」を見ました。
臨書の意味をさほど深く知らず、番組表の見出しの中に好きな童話作家の「宮沢賢治」の名を発見し見たわけですが、臨書の世界というものに魅せられました。
手本を手元に置き、可能な限り似せて書く、写経の場合は下敷きとして置いた手本に無念無想で筆を置き走らせるに似たもののように思っていましたが、奥が深いものでした。
有名な人物の残した文章。原稿用紙等に書き残された作者の筆跡、その文字を「みる」ことから「うつす」という流れの中で作者にふれる。
残された文字、漢字、ひらがな、カタカナには書き綴る人の個性があり、その時々の感情が込められています。西洋にもこのような臨書の世界があるのか知りませんが興味深いせかいです。
宮沢賢治の筆跡、かの有名な小手帳に残された「アメニモマケズ」の詩、番組では、
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケズ
丈夫ナカラダヲモチ
の最初の部分が紹介されました。
その小手帳に書かれた「雨ニモ」「風ニモ」の文字の並びから「モ」は最初には書かれず、途中で書き加えられたことが分かる。
「モ」がないとどうも調子が悪く、やはり七五調の流れがないと詩は生きてきません。
雨ニマケズ
風ニマケズ
であったならはこれほどまでに有名な詩とはならなかったであろうという話、私もそのように感じます。
宮沢賢治最晩年の詩、知から無き筆跡に病に倒れ床に臥す賢治がいます。がの思いも込められているの世界を見て、そこにも「東洋文化の根柢」なるものを感じました。
西洋では筆跡鑑定になるでしょうが、「臨書」ではそ筆跡の中に「はたらき」の表現を感じる(みる)があり、そして「うつす」ことによって筆者の心に「ふれる」があるのです。
以前の私の中の臨書のイメージが西田哲学の純粋経験とするならば、今回の臨書の世界との出会いは、当然純粋経験が根底から崩れるものではありませんが、その後の西田哲学の「場」への移行に重なりました。
話を変え別視点から「ふれる」世界に話をすすめます。
60年安保当時の首相の岸信介は、首相官邸を包囲するデモ隊を前にしても、
「銀座や後楽園球場はいつもの通りだ。私には“声なき声”が聞こえる。」
と語るだけで、岸信介首相は当然デモ隊に面会し生(なま)の声に耳を傾けることなく、御本人のやるべきことを行なったわけですが、実際に岸首相に聞えた声は別にして、この「声なき声が聞こえる」という言葉が印象に残ります。
「声なき声」
とはどういうことなのか。声として形に無いものは、聞こえるはずがないのであって、存在しない声が「聞こえる」ということは、その人物の政治手腕に不安を抱く異常さがあるということでしょうか。
「声なきものの声が聞こえる」
と「もの」を加えるとなぜか聞えるような気がしますし、実際「声なき声が聞こえる」と語っても不思議さを感じないのではないでしょうか。
西田幾多郎先生は、『働くものから見るものへ』の序文のおわりの方で、
・・・・・しかし私の直感というのは従来の直感主義において考えられたものとその趣を異にしていると思う。いわゆる主客合一の直感とするのではなく、有(あ)るもの働くもののすべてを、自ら無にして自己の中に自己を映すものの影と見るのである、すべてのものの根柢に見るものなくして見るものという如きものを考えたいと思うのである。・・・・・・形相を有となし形成を善となす泰西文化の絢爛(けんらん)たる発展には、尚(とうと)ぶべきもの、学ぶべきもの許多(あまた)なるはいうまでもないが、幾千年来我らの先祖を孚(はぐく)み来た東洋文化の根柢には、形なきものの形を見、声なきものの声を聞くといったようなものが潜んでいるのではなかろうか。我々の心は此(かく)の如きものを求めてやまない、私はかかる要求に哲学的根拠を与えて見たいと思うのである。(参考『西田幾多郎哲学論集Ⅰ』岩波文庫p36から)
と書かれていて上記の当時の岸首相は、西田先生の
「形なきものの形を見、声なきものの声を聞く」
という言葉がその語りの此岸にあったようです。
形相を有となし形成を善となす西洋文化
「形相」とはアリストテレスの言葉で、「あるものにそのものの持つ性質を与える形相(エイドス)のことで、「形成」は漢字のもつ合理的な意味解釈の世界に照らすと「形なる物」と言ったところでしょうか。
総じて物にはそれぞれの性質があり、形ある存在としてある、と言いうことになると思います。
しかし、東洋文化には「形なきものの形を見、声なきものの声を聞くといったようなものが潜んでいる。」と西田先生は語っています。
安曇野の高家(たきべ)には、西田先生の詞碑
無事於心無心於事
物となって考へ物となって行ふ
があります。郷土史の解説では、
「物とは歴史的世界に於いての事物である。我々の自己といふのもかかる現実に於いての事物に外ならない。『物となる』とは我々が歴史的現実の中に自己を没することによって自己を尽すといふことであり,自己が物の世界に入って働くことである。したがってこれは物の真実に行くといふことでなければならない。(中略)己を空しくして物の真実に徹し行くことは日本精神の神髄である。所謂無心とか,自然法爾とか柔軟心とかいふ我々日本人の強い憧憬の境地もここにある。人間そのものの底に人間を越えたもの,それが『事に徹する』といふことであって,事実が事実自身を限定する事々無礙の立場はどこまでも『物となって見,物となって考へ,物となって行ふ』ところになければならない。即ち徳山の『無事於心無心於事』である」
と書かれていて、「本気で子どものことを考えるならば、子どもの心と一体となって関わらないと駄目だ、ということを言っているのだと思う」というこの碑の語る意味として信濃教育会生涯学習センターの元主任曽根原孝和さんの
「本気で子どものことを考えるならば、子どもの心と一体となって関わらないと駄目だ、ということを言っているのだと思う。」
という言葉が添えられていました。
個人的な思索の話になりますが、上記の「働き」「ものとなる」に、「みる」「考え」「行う」が重なって表現されるのが西田哲学で、やまと言葉が「形」というような名詞的な個物的な面よりも、動詞的な働きの内にある言葉だと思いに重なります。
働きは見えるものではなく、知情意の世界。「みる」「きく」「ふれる」・・・などによって現われる。
今回「臨書」の世界に「みる」「うつす」の世界を見て、そこにも「東洋文化の根柢」なるものを感じました。
西洋では筆跡鑑定になるでしょうが、「臨書」ではそ筆跡の中に「はたらき」の表現を感じる(みる)があり、そして「うつす」ことによって筆者の心に「ふれる」が生れるのです。
目の前におかれた書、その筆跡、墨跡と余白との関係
書の観賞においてはアラビア文字の書も同様な世界があり、デザイン画における文字の描画に「ふれる」世界を感じます。
「形なきものの形を見、声なきものの声を聞く」
「働くものから見るものへ」
西田哲学は難解さ故に哲学ではないと言われますが、これほど鮮やかに今を語るものは無いと思うのです。
眼前の書を見るも身に起きている現象、そこに「ふれる」ことが生(あ)る。
今回の話はここで止めますが、ここまで話を進めると、前回のサルトルの相克が別意味を持つことが分かります。
まなざしの中にふれるが生じている。
働きは決して見ることはできませんが生ることだけは確かに思います。