思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

勝れる宝子

2008年06月28日 | 仏教

 6月26日付読売新聞33面の「平成万葉の旅」は、山上憶良の

 (しろかね)も 金(くがね)も玉も何せむに 勝れる宝子に及(し)かめやも

という万葉歌(803)であった。

 中西進先生の講談社文庫の訳文が引用されていたが、これは反歌なので折角なのでので、802も含めて掲出します。講談社文庫万葉集(一)P366から

   子らを思へる歌一首并せて序
 釈迦如来の、金口
(こんく)に正に説きたまはく「等しく衆生を思ふことは、羅?羅の如し」と。又説きたまはく「愛(うつくし)びは子に過ぎたるは無し」と。至極の大聖すら、尚ほ子を愛(うつくし)ぶる心ます。況むや世間の蒼生(あをひとくさ)の、誰かは子を愛びざらめや。

802 瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして思(しの)はゆ 何処より 来たりしものそ 眼交(まなかひ)に もとな懸(かか)りて 安眠し寝さぬ

   反歌
803 ・・・・・・

中西先生訳
   子らを思える歌
 釈迦如来が口ずから説かれることには「なべて衆生を思うことは、わが子ラゴラのごとくである」と、また説かれて「子を愛する以上の愛はない」と悟達の大聖人ですら、やはり子を愛する煩悩をもっておられる。ましてや世間の凡人の誰が、子をかわいいとと思わないであろう。

802 瓜をたべると子どものことが思われてならない。一体、子どもというものはどういう因縁によって来たものだろう。目の先にちらついては、私を安眠させない。

   反歌
803 銀も金も、玉とても、何の役に立とう。すぐれた宝も子に及ぶことなどあろうか。

 連日の殺人報道、その中には親殺し、子殺しが含まれている。

 空海は、「心地観経」による四恩を提唱して、生涯それを実践し、衆生永遠救済の「定(じょう)」(瞑想)に入った(入定)。四恩の実践こそ、正常な社会への回復の原動力となる。(大法輪4特集弘法大師・空海を知る P94から)

 畑のブルーベリーが、ごらんのとおり色づき始めた。
 私というこの身(み)も一木一草の実(み)も、すべて古代人は(み)と発声した。
 結実なることを体感する言葉なのである。親から子へ、子が親となり、子へと、果たして現代っ子は結実なる実に生(な)れるであろうか。
  


道しるべ

2008年06月28日 | 仏教
 道しるべは、旅の指針である。中房線を走り通ると、いつも通る道なのに宮城の公民館の道を挟んだ反対側にあるこの道しるべに目に留まり、足を止めた。

 今年はサルを見かけないなあ。「有明通り」と書かれているが、軽井沢のような通りがあるわけではなく、林の中を道が走っているだけである。

 最近2年も前のブログに「トラックバック」がなされ、行き着き先は「南の国、南伝仏教」であった。指導者の名前をブログ内に書いてあるので、検索で見つけ「トラックバック」したのだろう。

 そのトラックバック先は、「なやめる・・・・」で南伝指導者のドアップの顔写真があるページがいきなり出てくる。
 「道を歩いているんだなあ」素晴らしい道しるべを得て、集団とともに生き素晴らしい一生を終わるのだろう。

 お釈迦様が、農村の家族団らんの夕食をして、笑いながら妻と子や、父母らと過ごす姿を時々思考の世界で思うことがある。
 王子に生まれなかったお釈迦様である。貧しき中に、それが定めとして生き、病気、死者は、時々出来事として身近に起きる。

 当然薬草治療や葬儀を行い、そして時は流れる。

 「トラックバック」をした人は、全体を見る目を養うように「道しるべ」が示す方向をよく見極めていないようだ。

 ということで削除させていただいた。

「自灯明・法灯明」の教えも、最終的に理解するのは己なき己である。
 心の時代では、南伝の指導者もいい話をしていたのにと、早朝ランニングを終了し、「般若心経」の谷間に響いた余韻の中で「道しるべ」と題し書いてみました。
        

聖浄の分化 2

2008年06月27日 | 古代精神史

 「聖浄の分化」において、日本の神の和御魂、荒御魂について書いたが、オランダの比較民俗学学者のコルネリウス・オウエハントが両義性について述べていることについて文化人類学者の山口昌男さんが(松平斉光著 「祭」朝日新聞社)の解説文の中で、自分の見解も含めかかれているので引用したい。

 オウエンハントは日本の民俗儀礼の中における蛇神の両義的性格について語りつつ、蛇神の示す両義的性格が、日本の神概念における和(ニギ)・荒(アラ)の構造的対立に由来するものであることを説き、こうした理論において先駆的な問題の提起を行った松平斉光を高く評価した。オウエハントは、日本の民俗研究者の中でも、松平氏ほど明快に、そして実証的に日本の神の両義性と宗教的祭礼の二元的構造を説き明かした人は他にいないと説いている。オウエハントの論旨はこうである。
 彼(松平)は善と悪を一人の神の二つの側面である、と語る。神は善神と悪神に分岐されると考えられるようである。神はこれら二つの分身の一人として行動する。しかし、同時に二つの対の部分は構造的に対立する。言い換えれば、それらは対をなしながら唯一神の全体性に統合されていくのである。松平氏はこうした特性を両面眼性又は二面性と呼ぶが、我々は今日むしろ両義性と呼び馴らわしている。
 日本の神の本性を和御魂・荒御魂という言葉を使って表現する。この対立する両者にあっては、善悪両者の価値は同じではなく前者が優越した立場にあるとする。これを松平氏に倣って表現すれば、8≠4+4(八は四足す四ではない)であるが、8=5+3又は8=(3+2)+3ということができる。
 更に氏の立場で興味深いのは、構造的対立は最終的なものではなく、その各々の部分が、あたかも増殖作業を遂げるかのごとく、再対立の相を秘めているという点の指摘がある。
 このようにして、荒ぶる神は、荒御魂の中に含まれる和御魂の要素の故に害虫を絶滅することができるということになる。しかし、この荒ぶる神行為は善行に携る時にも徹底して暴力的な性格を示すが、悪に向かうときはすさまじい。「ダブル・アンビヴァレンス」と定義することのできるこうした現象は、神の二元性を象徴する劇的対立として理解される祭式の分析に重要な手がかりを与える。(P264)

と述べている。
 山口昌男さんは文化人類学者で、両性具有、トリックスターの世界では有名な方です。この山口さんの両義性に関する考え方については、その思考の世界に惹きつけられるところがある。

 このオウエハントの解説より2年ほど前の、両義性に関する思考の流れはこうだ。

 興味深いのは、我々の概念は、文化の中心に位置する、または近い事象であればある程一元的であって、差異性の強調がなされる。それに対して、周縁的な事物についての概念は、それが明確な意識から遠ざかっている故に、「曖昧性」を帯びている。曖昧というのは多義的であるということに他ならない。
 多義性は、そこで、分割するより総合、新しい結びつきを可能にする。何故ならば一つの語が多義的であるということは、表層的な意味では、他の語との弁別性を前提として意味作用を行っても、潜在的には更に別の他の語と結びついているということを意味する。(「分化と両義性」岩波書店P6)

 「曖昧性」「多義性」「両義性」がどのような思考で導かれるかがよくわかる。しかし、これはあくまでも思考に基づく観念の解釈に過ぎない。「こういうことである」と事的な解釈は、曖昧性という混沌とした感覚を論理的なまとめることになるが、本質的には「言葉」の世界ではない。

 「曖昧性」「多義性」「両義性」という分化的な概念の導きを前提とする心の動きは、「混沌」とした「なにものか」から流れ、湧き出すものであって、A、Bの分化されたものがあるのではない。

 個におとづれる出来事、顕現する事象も然りであると思う。


聖賀駐蹕の記

2008年06月27日 | 歴史

 前回のブロクに続き、今日は塩嶺御野立記念碑 についてです。
 碑には、上記の漢文が書かれています。現代語訳が当日出席者に配られるわけですが、次のように訳されています。

 聖賀駐蹕の記    大勲位    威仁親王篆額
 
  中仙道の塩尻峠は景勝地である。富士山や甲州の山々が東南にそびえ、越中(富山県)の立山や信州の御岳の山々が西北に連なる。見下ろせば、すぐ下には諏訪湖が水をたたえ、鏡を磨いたような湖面をしている。宗良親王や武田信玄、小笠原長時、木曽義昌らの諸雄による塩尻峠での戦いの後が歴々と呼び起こされる。美しい風景は人の目を喜ばせる
 明治十三年、天皇が甲州信州など方々を御巡幸した。六月二十四日、塩尻峠で足を止めて四方を眺め、その景色をお褒めになった。それ以来、地元の人は深くこれを光栄とし、その地を区切って柵を施して、少しもその境界を犯さずにいる。近頃、土地の年長者たちが相談して、碑を建てて後に伝えることとし、私にその文面を依頼した。ああ、天子の徳の高いことといったら山のようで、慈しみの心の深いことといったら湖のようだ。天皇のお籠がしばし休憩をとられた跡、その天皇を慕う気持ちは、子孫に忘れられぬようにと願う。この気持ちをもって公の仕え、国の恩に報いなさい。国運の隆興が今日あることは誠にもっともなことである。謹んで記す。

 明治天皇の御巡幸が、明治13年(1880)6月24日で、建立されたのが、大正5年(1916)6月24日です。


塩嶺御野立記念祭

2008年06月26日 | 歴史
 コメントをいただいた、「日本で一番短いお祭り」とは、「塩嶺御野立記念祭(えんれいおのだちきねんさい)という名称のお祭りです。

 新聞報道では一礼する姿しか分かりませんが、今日の写真にありますように大きな石碑に「一同、礼」の発声で、今年は22秒間の一礼がなされました。

 今年は、行政の長等ほか約120名が出席しましたが、バスも2台ほど着ましたし、さほど広くもない場所で行われました。

 明治天皇の巡行記念碑への一礼ですので、今では形骸化された儀式で、古典的な祭りの要素は全くありません。

 ちょうど緑の濃い季節で、周辺の景色が見えにくいのですが、旧中仙道の岡谷市、塩尻市の境にある風光明媚な峠です。

 帰りは、旧中仙道を下ってみました。

風光

2008年06月24日 | 仏教
 今日は、日本で一番短いお祭りが行われた、岡谷市と塩尻市の境にある塩嶺峠に行ってきました。
 祭りの行われた野立記念碑は、見晴台の傍らにあり、見晴台に立つと諏訪湖が目の前に広がっていました。鳥の声、春霞、陽光、湖の輝き素晴らしい景色でした。

   風光
   風も光も
   仏のいのち
      講談社α新書「坂村真民 花ひらく心ひらく道ひらく」P65から

   一切無常
   散ってゆくから
   美しいのだ
   毀れるから
   愛しいのだ
   別れるから
   深まるのだ
   一切無常
   それゆえにこそ
   すべてが生きてくるのだ

      同上P61から

 坂村さんは、「華厳経」の教えを深く学んでいた。「一輪の花の中に宇宙がある」そんな世界が坂村さんの詩の世界だ。
 天台教学の教えでは、仏性のなかに悪がそなわっているが、華厳の仏性は絶対善である。

 感応(かんのう)ということを天台教学は重視する。思考の世界で考えると、認識の前提に、認識する対象の心像が我が胸の内にあるように、仏がわれわれ衆生の願いを叶えてくださり、また救済してくださるためには、仏が衆生の悪に感応しなければいけないことになるわけである。

 華厳の世界では、悪とか煩悩などは仮の存在で、全部仏の光の中に溶け込んで消えてしまう。

 坂村さんの詩を詠むと華厳の世界が広がる。
     

念ずれば花ひらく

2008年06月22日 | 仏教

 庭先に、なでひこの花が咲いている。
 万葉集にも登場する花で、「やまとなでひこ」などと表現されることもある。

 今日は、部屋内の整理に着手した。その中にNHKの「こころの時代」を録画した、ビデオテープが20本ほどあり、一本一本手に取り見ているとつい見たい衝動に駆られた。

 その一本に「念ずれば花ひらく」故坂村真民(さかむらしんみん)さんの番組を見つけた。見たい衝動に駆られ早速見ると録画当時の感動が甦って来た。

 神宮皇学館(現皇学館大学)を卒業された坂村さんは、神道の「山・神・人間」は同じものという教えを受け、その後禅や仏教から「悉皆有仏性」を知り「花一輪の宇宙」観を感得されたようだ。
 しかし、その根底にあるのは「念ずれば花ひらく」という母の言葉であったということである。

 この番組の冒頭の方で、「信仰」について述べられていた。
 「信仰は、疑うな」に尽きるとのこと。
 あるとき有名な先生の本の中で次の言葉に出会い、その出典根拠を知りたくて大蔵経を3回も読んだそうである。しかしそこには書かれておらず病に陥り、その中で大蔵経には解説書があることを思い出し遂に「十住毘波沙論」の中に次の偈を見つけた。

  疑えば、花開かず
  信心清浄なれば
  仏を見たてまつる


妙好人坂村真民さんの世界が分かる番組であった。

念ずれば花ひらく

 苦しいとき
 母がいつも口にしていた
 このことばを
 わたしもいつのころからか
 となえるようになった

 そうして
 そのたび
 わたしの花が
 ふしぎと
 ひとつ
 ひとつ
 ひらいていった

講談社α新書「花ひらく心ひらく道ひらく」P22から
                   


やまと言葉の世界観で見る和荒魂と仏性

2008年06月22日 | 古代精神史

 神聖の分化に引き続き、日本の古代精神史の神概念の中から、過去にも「和御魂(ニギミタマ)」「荒御魂(アラミタマ)」について言及したことがありますが、この「分化」について述べそこに見えてくる「やまと言葉」のもつ「もの的思考」と日本仏教の「仏性」の感覚的な共通性を書き込みたいと思います。

 これから述べるに当たっては、やまと言葉という日本に漢語が入ってくる前の言葉の成立の中に、「もの」としての自然という一木一草から自然現象も含めた森羅万象に至るまでのすべてが、「もののけ」の「け」という不思議なつながりの中で存在していると感じていた古代人の世界があるということと、それは「はたらき」を重視した動詞的に把握する精神作用によるものだという考えが前提となっています。

 日本人にとっては、神なる存在は、畏敬の念をもって祈るとき、そこには「柔和な願いと」「神鎮めという鎮魂の願い」の二作用を意識した存在です。
 信仰の深層にこのような分化された分別があるわけではなく、形の無い統一体としての「神」にその力があると認識してしまうのです。

 民俗学研究家に松平斉光さんという方がおられましたが、その著「祭 本質と諸相 古代人の宇宙」(朝日新聞社)の中で松平さんは次のように述べられています(P43~46)。

 一言で神と呼ぶ中にも善神と悪神とが対立している。善神とは自分の望むところを人に与え、望まぬ所を人から防いでやる霊力である。悪神とは自分の望む所を人から奪い、好まぬところを人に与えようとする霊力である。
 人間を愛護することの最たるものは氏神である。人間をその子孫として慈しみ、眷属として信任して、陰となり、日向となって庇護する。悪神とは鬼とか、天狗とかいう荒神で、人間を悩ますことを快と心得るかに見える。・・・・・
 しかし、よく吟味してみると、善神が常に必ず人間を甘やかすのでもなく、悪神が常に必ず人間を迫害するとは限らない。いかに慈悲深い氏神でも氏子のはなはだしい冒涜行為に対しては怒りを発し、厳罰をもってこれを戒める。涙を知らぬ鬼神であっても、機嫌がよければ病魔を逐い、害虫を駆除し、人間の福利に貢献する。・・・・

・・・すなわち同じ氏神が仮に自己を二分し相対立しているのである。だから二分された氏神の一方を善神とすれば他方は悪神なのである。おなじうじがみが怒れば鬼神となり、喜べば善神にとなるのである。・・・・

・・・・善神としての氏神と、悪神としての氏神と、両者を総合したような氏神と。これがわが国の三位一体である。

・・・・善悪二性の対立は、和魂、荒魂と称する所の対立と同じものである。同じ氏神は和魂、荒魂に二分され、その各々を独立した神と考えると、それがまたさらに和荒の両要素に二分されうることになる。

・・・・人間に眼に見、耳に聞き、手に触れる全てのものは、ことごとくそうした神霊の複雑な愛憎の糸に引かれているのである。この間に無力な人間が無事に生きてゆくのは容易なことではない。いずれかの神の怒りに触れ、いずれかの悪霊に取り憑かれ、予期せぬ災害を蒙ることはいつ起こるかも知れないのである。・・・・

・・・・・神と称するものも、その本質は霊魂だということである。そもそも、神なるものの各々を、あたかも人間の個人のごとく、独立の主観を持つ個的存在者と観念すれば、諏訪神と鹿島神とは別者であり、鹿島神と山の神とは別者である。しかし神というものも霊質たる点でみな同じだと考えれば、個々の神格の相違は、ただ、同じ霊質の偶然的性質の相違にすぎないこととなる。いな、神を個的存在者と見ること自身便宜上の問題なのである。霊魂は一様に霊質とも称すべきものと考えられる。それはちょうど水のような、電気のようなものである。時あってから分離されて、あるいは一椀の水となり、あるいは山間の清水となるが、注ぎ合わせればたちまち融合して大海の水となる。無色の水あり、有色の水あり、酸味の水あり、塩水あり、毒水あり、清水あり、種々さまざまであるが、それらが注ぎ合わされると、それぞれの偶性を折衷した水を得る。・・・・

・・・・宇宙には諸種の偶性を持つ霊質が充満し、たがいに相離合集散し、千変万化の様相を呈するものである。そして、これを人間の所属する共同体の利害に関係させて判断すれば、宇宙は「あらま欲しき」善魂の要素と、「あらま欲しからざる」悪魂の要素との千差万別の組合せであることとなる。すなわち、宇宙は善悪、和荒両種の霊質の雑多極まりない変遷流動の坩堝(るつぼ)であることとなる。(管理人注:ここで書かれている「和魂」は和御魂であり、「荒魂」は荒御魂のことである。)

 実に興味引かれる文章ではありますが、霊魂を「水のような電気のような」と表現しているものの物質的な物としてのイメージが強く、私はそれよりもやまと言葉の原点に帰って「はたらき」や「ただよう」ような「何ものか」を観る視点から考えたほうがよいと思うのです。

 物質に霊的なものを求める思考は、西洋的な二元的考え方に重なってきます。古代日本人が持っていた霊性についての感覚は、当初は「はたらき、だだよう」のような動的な感覚であったのですが、その後は「鏡」とか「石」とか「山」という個物的なもの自体に、霊性を持つ感覚に変化し、後に渡来するキリスト教や西洋的な二元的思考により、さらにあらゆる事象の存在認識に分別的な分化する思考法が無意識の内に行われることになってしまっています。

 また「物の中にはたらきがある」ではなく「はたらきの中に物がある」という現象学では表現できない世界が「やまと言葉の世界」であるとも思います。
 さらに、大きな混乱も無く渡来した仏教の中に「仏性」というものを見いだすのをみるとき、「やまと言葉の世界観」が大きな影響をもたらしていると思います。しかし、今の世の中の物的にみる「あるか、ないか」の思考法ではなかなか理解できないような気がします。

 毎日の生活の中で「なにものかの声を聞き」「なにものかのはたらき」を感ずる。そのような感受性を持ちたいものです。

 今日の写真は、安曇野宮城の有明神社に向かう坂道に鎮座します双体道祖神です。
           


聖浄の分化

2008年06月21日 | 宗教

 ことば足らず「ものさし」話に、少しつけ足しをしたいと思う。

 今月の7日に「真っ当に生きるよろこび」で、茂木健一郎先生の「思考の補助線(ちくま新書)から

 「もともと、情熱(passion)という言葉は、キリストの「受難」(passion)と同じ語源を持つ。この世で難を受けるからこそ、困ったことがあるからこそ、情熱は生まれる。誰だって、生きていくうえでくるしいことや悲しいことくらいある。だからこそ、生きるエネルギーも湧いてくるのである。親しみやすい演歌の世界からバッハのマタイ受難曲の至高の芸術性まで、情熱は受難によってこそ貫かれているのである。

を引用した。
 情熱と受難ということばは、感覚的に正反対なことばに感じてしまうが語源的には同じというところに驚かされる。

 情熱や受難という西洋の聖浄概念やこのようなことは、やまと言葉にも似た面がある。やまと言葉に同じ発音のことばであっても全く異なることを言っているように思えて、その実その背後というか本質的にその表現する世界を、働きという動的な面から見ると共通面があることが分かる。

 情熱や受難ということばは、聖浄概念ともいえるが、日本で神聖観念の同一性から分化について精しく考究された方に民俗・宗教学者で東海大学名誉教授原田敏明先生がおられる。

 原田先生は、昭和58年に91歳でお亡くなりになっているが、その著書の「日本古代思想 中央公論社」は、日本の古代精神史の研究には欠かせない。
 この中で先生は、「聖浄の分化P46」で次のように述べている。

 神聖概念はがその歴史的変遷により、聖浄と汚穢の二方面が対立したという事実は、もともとこの二方面が分化することなく内在していたことを示す。したがってこの二方面を了解することによって、神聖概念の本来の内容を明らかにすることができる。これはまた逆に、神聖概念の内容を明らかにすることによって、それが将来に分化していくべき方向を、大体ながら知ることができるともいえる。
 もともとcommonに対するすべてのuncommonの意識が含まれるのである。そういう神聖概念が。一方に望ましいものと他方に望ましくないものとに分化して聖浄(sacre pur)と不浄(secre impur)の両方面となった。したがってここにいう聖浄の概念のうちには、単に神的とか清浄とかいうだけでなく、少なくとも人間の生活にとって実際的に価値があり望ましいものという意識を持たしめるものが、すべて包含されていることになる。

 さらに原田先生は十二光仏、コーランにおける神の九十九の別名など神聖概念の表現、そして八百万の神々の世界である日本の神概念と論考を進めている。その中で問われていくものは、「清浄なものに関して如何に表現し、宗教的に清浄な心意を如何に表したかという点の吟味」である。

  私自身の個人的な興味は、前回ブログの「心の中のものさし」に通じることなのだが、同一の神聖性の中でその「はたらき」の向きを分化させる感覚、すなわち「実際的に望ましいものという意識をもたらしめるもの」と「望ましくないという意識をもたしめるもの」という心意、「望ましい。望ましくない。」という心の発動のときの感覚である。

 心の中の尺度がそのような分化を行うのだが、その尺度は、現代人は「ものさし」のようにある地点を境に「よし、あし」の判定をする。それはあたかも正義という名の下に判断される不正義というように、基準点としてはあやふやなものであるが、しかしそのあやふやも「多数決」的なものさしにより「このましいもの」とされる。

 特に現代人は、国境という目には見えない境や「社会常識」という、国家によっては正反対である「ものさし」を使い、また子どもの世界、大人の世界、ある集団の世界の中で、世の人々は、「目に見えない境」をもってことごとを判断している。

 身体や心を悩ませ、かき乱し、煩わせ惑わし汚す精神作用である煩悩も現代人は、個々の持っている「目に見えない境」をもつ「ものさし」が心意の根底にある。
 しかし、このような境はあるのではなく、心の中から「流れ湧き」出てくると感ずるのが人の持つ本来的な姿であるというのが、前回のブログでの「煩悩」の「流れ」の話なのである。

 今日の写真は、有明神社である。太平洋戦争中は、出征兵士、その家族で賑わいを見せていたこの神社も、例祭以外はひっそりとしている。

 太平洋戦争中は、確かにここに「和御魂・荒御魂」が存在していた。
       


心の中にあるものさし

2008年06月20日 | 仏教
 「寒時には闍梨(じゃり)を寒殺し、熱時には闍梨を熱殺す」 (碧巌録43)という言葉があり、「寒い時は寒さであなたを殺し、暑い時は暑さであなたを殺してしまえ」と、文字を解釈すればこのようになるが、「暑いときは暑さと一つになり、寒いときは寒さと一つになり、更に一歩進めて、積極的に暑さや寒さをたのしんでゆけ」ということだという、青山俊董先生の話を聞いて「思考の世界」にある私というものの位置的感覚について考えてしまいました。

 というのは、最近上司の考え方と私の考えるところに正反対の相違があって、不満をもつ私を見たことが原因しています。事象に対する見解の相違で、「そうですね」といえばよいのにそれをいえない私があったのです。

 まったく大したことではなく、ただそれに従えばよいことなのに怒りが湧くのです。無我などと言ったところで現実には私が明らかに存在するのであって、また、そう思うだけとも言ったところで、やはり現実には「ある」と思うのが現在の私です。

 そこで思うことは、良し悪し、善悪等の概念を思考するときに私は幾何学的な「ものさし」を自分の中にもっているということです。ゼロ基点を持つ尺度や、プラスマイナスの絶対値を考えたり、空間的な立体的な心もちがあるということです。それでも良いではないのかという話なのですが、煩悩の元の意味が「流れ出る、湧き出る」ところにあることを再度考えたいと今朝は思ってしまいました。
 写真は、前回の角度を変えたものです。