思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

仏教における愛(2)

2009年06月30日 | 仏教

「日本仏教に欠けていたは愛」という記事にコメントをいただきました。

 「『空と因縁』の教えの仏教においては、『愛』はその一部の行為ではないでしょうか」旨のコメントかと思います。今朝は「仏教における愛」について書きたいと思います。

 大正・昭和にわたって、わが国の印度学仏教学会に新研究の分野を拓き、大乗仏教を大衆にひろめた碩学・木村泰賢博士という文学博士がおられました。木村博士の書かれた「原始仏教思想論」という本があります。博士は、この第二編事実的世界観P116・7に、

 「この世界は時間的に見た無数の異時的因果関係と空間的に眺めた無数の依存関係とから織りなされたもので、すべては無限の網を引いて相互に依存しあっているというのが即ち諸法因縁観の精神であらねばならぬ。仏教でいう有為法というのは実にこの因縁生の世界を指すもので世界は無常変遷して止まざる理由もその関係の上に成立して、その間に常恒の存在がないからである。」

と、述べています。

 仏教の「愛憎」も織りなされるものの中のある現象を捉えたものということができるかもしれません。しかし「愛」という言葉を特定した時「それはどういうものか」という疑問が出てきます。「憎しみ」の反対概念とそれは漠然とした心情を思うだけです。

 しからばお釈迦様はどのように言われておられるのかということになります。そこでスッタニパータを紐解くと次のことが分かります(ブッダのことば 中村元訳 岩波文庫P37)。

八 慈しみ
143 究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達すべきことは、次のとおりである。能力もあり、直く、正しく、ことばやさしく、柔和で、思い上がることのない者であらねばならぬ。
144 足ることを知り、わずかの食料で暮らし、雑務少なく、生活もまた簡素であり、諸々の感官が静まり、聡明で、高ぶることなく、諸々の(ひとの)家で貪ることがない。
145 他の識者の非難を受けるような下劣な行いを、決してしてはならない。一切の生きとして生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。
146 いかなる生物生類であっても、・・・省略
147 目に見えるものでも、見えないものでも、・・・省略
148 何びとも他人を欺いてはならない。たといどこにあっても他人を軽んじてはならない。悩まそうとして怒りの思いをいだいて互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない。
149 あたかも、母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の(慈しみの)こころを起すべし。
150 また全世界に対して無量の慈しみの意を起すべし。上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき(慈しみを行うべし)。
151 立ちつつも、歩みつつも、坐しつつも、臥しつつも、眠らないでいる限りは、この(慈しみの)心づかいをしっかりとたもて。
152 諸々の邪な見解にとらわれず、戒を保ち、見るはたらきを具えて、諸々の欲望に関する貪りを除いた人は、決して再び母胎に宿ることがないであろう。

と、スッタニパータには書かれています。

 宗教学者増谷文雄先生は、「仏教とキリスト教の比較研究 筑摩叢書 P256」で

 キリスト教が「愛の宗教」であるのにたいして、仏教は「慈悲の宗教」であると称せられる。

と述べているように、仏教は「愛」よりも「慈悲」を重んじる。重んじるというよりも否定している。

 このことについて解りやすく説明しているのが「ひろさちあ」さんです。その著(釈迦とイエス ノン・ブック祥伝社 P192・3)で次のように解説しています。

 キリスト教では、「愛」は肯定される。汝の隣人を愛せ・・と、イエスは教えた。しかし、仏教では「愛」を否定する。愛してはならぬ・・と、釈迦は教える。
 仏教でいう「愛」は、基本的には「欲愛」であり「愛執」である。われわれは対象を愛しているかのように思っているが、そのじつ本当は愛しているのは自分であって、自分に都合のいいように相手を従属させようとするのが愛である。それゆえ、愛する者が自分の願望とは違った働きをすれば、すぐさまその相手を憎みはじめる。・・・・

と「愛」「憎」の異時的依存を説明し、具体的な否定の説明はしていませんが、上記の「慈しみ」をもつことが「恨みの念」の増殖なき常態を保ち、それを「愛」の否定の表現となっています。

 ここで原始仏教に忠実だとするA・スマナサーラ氏の教えを見ますと実によく解ります。

 聖心会シスター鈴木秀子さんとの対談集(いまここに生きる智慧 サンガ)を見ると目次に「愛」の字がある箇所は2箇所で、「相手の権利を守る愛と慈しみ」「愛情は努力して得るもの」という文章中にあります。

 「愛」の言葉を使用し語り始めるのは鈴木さんで、A・スマナサーラ氏はやんわりと否定していきます。例えば「執着的な愛情ではなくて、慈しみです。相手の権利を守った愛情ですね。」という表現をしています。

 次に「愛情は努力して得るもの」においてですが、この題の前が「親は子どもの奴隷ではない」ということについての内容でそこでも鈴木さんが最初に「人は得られないような大きな愛情を求めてしまう」という問題提起しています。これに対してA・スマナサーラ氏は、親子関係の愛情問題に「(子が)親からもらう愛情」という本人(子)の努力という子の視点から考える思考に変えて説明しています。これだけでは意味が不明かもしれません。

  キリスト教の「愛」と仏教(原始仏教)の「慈しみ」の関係がよく解りますので一読をお薦めします。なおスマナサーラ氏の著書には「慈しみの瞑想法」を書いた「自分を変える気づきの瞑想法 サンガ」や「慈経 日本テーラサーラ仏教教会」という本もあります。

 ここで論題を仏教の「愛」に戻しますが、このように仏教においては初期の段階から「愛」については語られません。

 仏教の世界では、煩悩の説明で、縁起における依存・相依関係で「愛」という言葉が出てきます。縁起の法における依存の説明の際の一つの使用概念ということだと思います。

 現代の世の中「愛」という言葉がいろいろに事態に使用されると「自分にとって都合の良い愛」「独りよがりの愛」が前面に出てきます。したがって「ひろさちあ」さんがいうように「相手の心変わり」「対するものの態度」で「憎しみ」が生成しやすくなります。

 そこで重要になってくるのは「慈しみ」「慈悲」という自己形成の論理を持って対処するということです。そこに仏教の教えがあると思います。コメントに対する答えではありませんが「仏教における愛」を書いてみました。


榛名の虹

2009年06月29日 | ことば

  伊香保ろの
  やさかのゐでに
  立つ虹(のじ)の
  顕(あら)はろまでも
  さ寝をさ寝てば

  「伊香保の、幾尺とも知れぬ高さの大きな堰、その堰が溜めた池に、あざやかに現われる虹のように人目につくぐらいまで、ずっとお前と寝ていられたらなあ」

 けさの日めくり万葉集は、上野国(群馬県)の歌ですから東歌です。選者は歌人の小島ゆかりさんです。

 群馬県は榛名山の麓の民謡ですから、田植えをしながら、また他の共同作業時に歌たのかもしれません。おおらかな平和な感じがします。

 さて「虹」は今は「にじ」と発音しますが、この当時は「のじ」と発音し、方言です。

 中国大陸では「虹」は、凶で不吉な自然現象です。したがって歌に詠まれることは例外です。

 関西方面には大陸の多くの人が渡来していました。地方にもかなり渡来はしていましたが、歌に影響するほど「虹」は凶的思想を広がりませんでした。

 ブルーベリーの季節になりました。朝に摘んでも夕方にはまた、摘むことができるほどに生(な)ります。

 ここは標高が700mはありますから、少々遅れました。


「日本仏教に欠けていた愛」その後

2009年06月28日 | 仏教

 地方のラジオ番組における「仏教と愛」について「仏教には愛が欠けている」という放送がされてから少々気になっていたところ昨日でこの内容の話は終了ということでようやくその真意がつかめた。


 このラジオ番組とは、SBC信越放送が毎週土曜日に放送する「武田徹のつれづれ散歩道」の中の「司馬遼太郎に学ぶヒント」で語られていた話で「日本仏教に欠けていた愛」という司馬さんが浄土系のお寺でなされた講演を基にしたものです。


 通勤時間帯にラジオから頻繁に「仏教に愛が欠けていた」とくり返される予告放送に兎に角惹かれたわけで、正式には「日本仏教に欠けていた愛」と武田アナが連呼していたのに「仏教には愛がかけている」というニュアンスで捉えていて結論的には、私自身の仏教を愛するが上の負の部分をみてしまいました。


 武田アナは昨日の番組内で数度「これはあくまでも司馬さんのお考えです。」と説明されていて非常に気を使っていることが分かりました。批判的に捉えていたわたしは自責の念に陥ったのであります。が、「愛」という問題に対し程遠い日常生活にある身にとって新たな「宗教における愛」というテーマをいただいた結果となりました。


 司馬さんの「日本仏教に欠けていた愛」は、キリスト教の「アガペー」における無償の愛、神の人類愛からみる人間間の愛に比すると仏教の愛は弱いのではないか、今後の日本は人を愛するということについてもっと感心を持つべきだという意味のことでした。


 仏教では一切の現象は相対的依存の関係の上に成り立っているもので、その関係を離れては一物として成立するもののないという考がある。


 「若しこれあれば、彼あり、これなければ彼なし」という同時的依存関係、「これ生ずれば、彼生ず」という異時的依存関係という縁起の法則で、「愛」といえば「憎」が異時依存の関係にある。


 前行する「愛」という「因」により、後続する「憎」という「果」が生ずるということである。我執による差別智による生ずるもので、虚妄分別ともいわれる。仏教では自我はないとする立場であるからあくまでも「虚妄」による分別ということになる。


 このような心は、我執の煩悩がなすものであり、ものの正しい見方(如実知見)という無分別智を体得することが仏教であるとするので「愛」とうものは「欠」ではなく、「ない」ということになる。


一方キリスト教における「アガペー」とはどのようなものなのか、上記に無償の愛、神の人類愛と書きましたが、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると

 

アガペー (ギリシア語: αγ?πη) は、
 キリスト教における神学概念で、神の人間に対する「愛」を表す。神は無限の愛(アガペー)において人間を愛しているのであり、神が人間を愛することで、神は何かの利益を得る訳ではないので、「無償の愛」とされる。また、それは不変の愛なので、旧約聖書には、神の「不朽の愛」としてでてくる。新約聖書では、キリストの十字架での死において顕された愛として知られる。

またキリスト教においては、神が人間をアガペーの愛において愛するように、人間同士は、互いに愛し合うことが望ましいとされており、キリスト教徒のあいだでの相互の愛もまた、広い意味でアガペーの愛である(マタイ福音書22・37~40)。


という意味で、ウィキペディアに「ただし、この神の無限の愛としてのアガペーは神学概念に当てられる言葉であり、新約聖書の著者がアガペーを一様にこのような意味で用いていたかは本文解釈上の議論がある。」と書かれており深入りすると長くなりそうなので、今日はここまでとします。

 司馬さんのいわれる「日本仏教に欠けていた愛」というのは、武田アナの参考とした朝日新聞の講演会集の増刊号がなく、また番組が短く踏み込んだ解説がなされないことから「日本仏教に欠けていた
「愛」については言及しないことにします。

 しかし「キリスト教における愛」というテーマに惹かれ虫が騒ぎますので少し探求してみたいと思います。

 

 今朝の写真は、安曇野の満願寺の観音様を紹介しました。


「死後の世界」に残せるもの

2009年06月27日 | 哲学

 茂木健一郎先生は、本をたくさん出される。わたしのような貧乏人にはきつい現実である。しかしやむに止まれぬやまと魂ではないが、本題を見ただけで惹かれてしまう。

 2月に「今、ここからすべての場所へ 筑摩書房」が出版されている。「森羅万象が輝きはじめる。祈りのようなエッセイ集」などとかかれていると2000円ほどがわが身を離れてゆく。

 脳科学がさらに進めば、「意識の相対性理論が完成した暁には、人間の意識を生み出し、やがて解消する原子のネットワークの本性があきらかになるだろう。」と先生はいう。そして、

 「わたしという意識の絶対性から離れた時に見えてくるものは、あるものの死が次の世代の生のために様々な物を残していくことを意味する豊穣な図式である。宇宙という物質の生態系の多様性は、間違いなくその構成員の生と死のサイクルによって支えられている。宇宙全体のビックバーンによる誕生からビッグクランチ(宇宙の最後に来る可能性のある、全ての物質が一つの特異点に凝縮していく終焉)による死へのサイクルについてさえ、同じような事がいえるのではないだろうか?」

とも言っている。
 
 人間時には、覚めた目で現実を見つめることや、視点を大きく変えることが必要である。

 昨夜松本サリン事件の被害者で、元長野県公安委員の河野義行さんの経過15年のドキュメンタリー番組を見た。

 昨夜のうちにそのときの感想を掲出したが、今朝あらためて思うに、河野さんは宗教の世界を超えた人のようにみえる。
 
 朝のニュース番組を見ると「地方自治・選挙」「マイケルの死」・・・世の中には「何がこれによって広がるのだろう」「出来事は流れの中で、相依(あいよ)りてどのように行(ゆ)きつつ、何を求めているのだろう」と思う。
 
 素粒子の世界における「神の手抜き」と称される動的な現象が、全ての始まり。それは「なぜなぜなぜ」なのである。

 ある人の信仰や信心は、イニシエーションとして人格性の向上に、ある意味では「善」に止揚しているのであろうか。

 「愚かさ」の気づきにない者が、「愚かさ」の導きによって「愚かな」答えを出してしまう。

 「ニーチェの超人思想には、ルサンチマンを生む人間の弱さを乗り越えるような強い人間たろうとするニュアンスがある(竹田青嗣)。」という視点を変えることは重要ではないだろうか。

 「力の意思」ある面では、人は強烈なエネルギーの産物である。肉体的な弱さ、精神的な弱さは負の思考ともいえないだろうか。

 死に行(ゆ)く人の「死後の世界に残した物」に「力の意思」感ずることがある。言葉として残したもの、行(おこな)いとして残したもの。よりよいものを「死後の世界」に残したいものです。


仏の命から来ては帰り

2009年06月26日 | 仏教

 1994年6月27日発生した松本サリン事件が発生してから15年が過ぎた。今晩地元の長野放送で「実録ドラマスペシャル妻よ!松本サチン事件犯人と呼ばれて・・・家族を守り抜いた15年」が放送された。河野義行さんにとっては非常につらい歴史でした。

 K庁の過激な信仰宗教集団情報が垣根を越えてN県警にもたらせれていれば河野さんは、このような不幸な取扱いをされることはなかった。

 事件翌日にはK庁の担当者が松本市に来ていたが、県警には全くコンタクトを取らなかったらしい。

 毒ガスがサリンであることが判明しても、N県警の面子が河野さんに被疑者の目を向けつづけさせた。近隣の裁判所宿舎、過激な信仰宗教集団の裁判問題など解明の材料は身近に存在していた。

 しかしK庁は動かなかった。その中でタクシー運転手の宇宙服を着た不審者目撃情報は一笑にふされた。

 N県警の当時の捜査一課長、M警察署長、そして事件担当した捜査員。今は勇退し、またはN県警の上層部におられるだろうが、この番組は平気ではみられない内容だったと思う。

 以前松本に住んでいるころ河野さんを弁護した永田弁護士さんに、よく早朝のランニングでお会いし挨拶をしたことを思い出す。普段のお姿も知っているが毅然とした弁護士さんであった。

 その後河野さんはN県警の公安委員もなされた。河野義行さんは寛容な方を通り越している。仏様のような方だ。しかし河野さんは公安委員を継続することが出来なかった。

 当時N県知事が境界型の方で、河野さんを公安委員に選任したのに、不正に対し毅然とした態度をとる河野さんに不選任を決めてしまった。

 わたしといふ現象は
 仮定された有機交流電灯の
 ひとつの青い照明です
 (あらゆる透明な幽霊の複合体)
 風景やみんなといっしょに
 せはしくせはしく明滅しながら
 いかにもたしかにともりつづける
 因果交流電灯の
 ひとつの青い照明です
 (ひかりはたもち その電灯はうしなわれ)

 宗教学者紀野一義さんは、こう話されています(佛戸野出会い 筑摩書房)。

 「仮定された有機交流電灯」とは、「たとえていえば、いのちという交流が、電源である仏のいのちから来ては帰り、来ては帰りということを非連続ながら連続していることによって点(とも)っている交流電灯のようなものだ」というこのなのであろう。

と。捜査員は、報道陣はみんな河野義行さんに甘えているのではないか。短い番組でしたがとても濃い内容でした。
   

写真は、松本市城山公園から見た現場付近です。


心性本浄

2009年06月26日 | 仏教

  千鳥鳴く
  佐保の川門の
  清き瀬を
  馬打ち渡し
  いつか通はむ

 けさの日めくり万葉集は、日本文学研究家のコロンビア大学名誉教授ドナルド・キーンさんが選者の大伴家持の歌でした。

 万葉集をはじめ多くの日本文学を世界に紹介したドナルド・キーンさんがはじめて万葉集に出会ったのは太平洋戦争中とのことです。

 アメリカ海軍の日本語学校を卒業して、前線に送られ、日本人捕虜や兵士が残した書類や所持品に向き合うようになり、そのときに書類の中に文庫本が入った大きな箱に出遭います。

 驚いたことに本の中で一番多かったのは、万葉集だったそうです。
 亡くなられた大野晋先生が「万葉集がわかるということ」という話をされたことがありましたが、万葉集の一首を見てみるとだいたい10個の単語でできているそうです。

 31文字がその数でできているわけで、それぞれの単語は、今でも意味の分かる単語が使われているというのでです。枕詞の意味が分からなくともその後に続く言葉をみれば意味はなんのとなくわかります。

 戦争中ですから持って行くことのできる本も限られていたでしょうが、そうはいっても「万葉集」であったことに日本人の心がわかるような話です。

『増支部経典』に

 「人の内心におこる貪欲と憎悪と迷妄とは不善の根であり、罪である」

という言葉があります。仏教の立場は本来「心性本浄(しんしょうほんじょう)」で、人は本来清浄(ほうらいしょうじょう)が建前です。決して罪深いものではないというのが仏教の建前なのです。
     


やまと言葉の倫理学(2)

2009年06月25日 | ことば
 地方紙信濃毎日新聞6月20日付の17面「やまと言葉の倫理学」竹内整一東京大学教授のコラムからやまと言葉の「うつる・うつし」について、今朝はその2回目です。

 まず、勝手ながら信濃毎日新聞6月20日付の17面のコラム記事を紹介します。

 「(他の女に)移ろふ方あえあむ人を恨みて」(『源氏物語』)とは、人の心が他に動くという認識であり、また、色や香や疫病や「もののけ」は、場所をかえて他人に乗り「うつる」ものとかんがえられた。また、「わが御影の鏡台にうつれるが・・・・」(『源氏物語』)とは、こちらの姿が「鏡台」という他のものい「うつ」されていることである。
 「うつる」とは、「事物がある位置から他の位置に変わり、現われる」ということが基本であることをあらためて確認した上で、注目すべきことは。「うつる」の「ウツじゃウツシ(顕)・ウツツ(現)のウツと同根(『岩波古語辞典』)だということである。
 「うつつ(現)」とは、「現・実」のことであり、「うつし(現し・顕し)世」とは、神仏や死の世界ではなく目の前に展開されている人間世界のことである。その「うつつ(現)の「ウツ」が、「移る」「映る」の「ウツ」と同根であるというのである。
 つまり、これらのやまと言葉の語感では、眼前の現実世界は、つねに同時に「移ろい行く」もの、「何ものかが投影されている」ものとして「うつ」っている世界として感じとられていたということである。
 「現し世」とは、「移ろい」、「映ろう」世界でしかないという、こうした現実感覚は、日本人の人生観や世界観が消極的であやふやであったということを必ずしも意味しない。「世は定めなきこそいみじけれ(興味がある)」(『徒然草』)というように、そこには不思議なほどのたおやかな強さや明るさ、こまやかな美しさや面白さなど、生きるに当たっての肯定的・積極的なあり方を見いだすことができる。

と、竹内教授はこのように「うつる」というやまと言葉を解説されています。

 古典から「うつる」という古語をピックアップするのは難しいことです。

 わたしは、古典における「つみ(罪)」という言葉の概念を研究する中で、「祓い」という言葉も重要になってきます。したがって古典の中に登場する人物の「払い」に相当する行為も研究対象になってきます。

 そこに登場するのがイザナギ尊が黄泉の国から逃げ帰るときに使われている「うつる」という言葉です。これば古語辞典には登場しない「うつる」という言葉でイザナギ尊が阿波岐原で、身につけていたものを、ことごとく投げ捨てる行為を原文で「投げ棄(う)つる」と書かれています。この言葉に注目したのはわたしではなく三橋健国学院教授(みそぎ考 すすき出版P66)でした。

 「穢れを打ち棄てるという強い表現になっています」この投げるところに意味があり「祓いの一種であろう」というのです。これをなぜ「うつる」というのかまでは言及していませんが、本質的なものをすっかり身から投げ出してしまうことを「うつる」と表現しているようにわたしは思います。記紀編纂のころ万葉のころ「うつる・うつし」は、「写・映・移・遷・棄」と本質的なもののコピーが「うつる」から本質的なものがそのまま「うつる」までと幅広い概念で使われていました。

 松岡正剛千夜千冊で有名な松岡正剛さんは、日本の「おもかげ・うつろいの文化」についてNHKブックから「日本という方法」を2006年9月に出されています。わたしの「思考の部屋」でも紹介し今回と同じように「うつろい」のやまと言葉について論じてみましたが。松岡正剛さんは、「ウツロイ感の広がり」からウツロイという言葉にはウツという語根がはいいており、これは内部が空洞担っている状態をさすとし、さらに日本の無常感へと解釈を進めています。

 ここで語られる無常はニヒリズム的なものではなくには「見えないことやマイナスは別のプラスを生む可能性がある。その途中のプロセスこそウツロイです」と日本の精神史における情報編集(わたしは編成の方が好きですが)の方法という「日本という方法」があると解説しています(NHKブック『日本という方法』P91からP112)。

 竹内教授は、「現・顕」も同根であるといいます。このことについては次の3回目に私見も含めて掲出したいと思います。

 竹内教授は”日本人はなぜ「さよなら」と別れるのか”という本をちくま書房から出されています。この中で<本来「然(さ)あらば」「さようであるならば」ということで、「前に述べられた事柄を受けて、次に新しい行動・判断を起そうとするときに使う」とされた、もともと接続の言葉>と解説されています。

 日本語は、動的に広い意味概念のある言葉です。行動・判断に入ると思いますが「ご機嫌」という言葉があります。出会いの挨拶に「ご機嫌いかがですか」と使われます。

 仏教語からきている言葉で京言葉「ご機嫌よろしゅう」にみられるように「さようなら」の意味に使われています。学習院大学に行くとしばしば「ごきげんよう」という別れの言葉を聞きます。この言葉は、「さようであるならば」が武士の言葉であるとするならば「ごきげんよう」は貴族社会の言葉なのです。

 したがって、やまと言葉は時代の変遷の中で、身分社会と密接に関係する言葉があるので、相対的な見方も発展段階で考察する場合は注意を要します。

 少々視点が連れ真下が、ここで注意したいのは、「うつる・うつし」の解釈は、あくまでも概念の説明でしかなく、やまと言葉の発生的、古代人の精神的思考性や思考の志向性については言及していないといことです。あくまでも段階的発生における、「ある段階での解釈」の域を出ないということです。

 茜雲とはこういういうのでしょうか。とても爽やかな朝です。

死後の世界

2009年06月24日 | 仏教

 早朝から梅雨らしいどんよりした天候です。すっきりした晴れやかな朝日を見たいと思ったところで意のままにはなりません。

 日めくり万葉集は乙女の恋歌、わたしには恋歌は現実味のない話で、その情感だけを少し感じ素通りすることとしました。

 どんよりした天気の中で庭を一回り、眼下の他の稲も日に日に育っています。

 間もなくわたしの誕生日となります。日に日にわたしは年齢を重ねる。10年ほどになるだろうか、仏教に本格的に惹かれ、書物やネット回りをしていた時に、佐倉哲さんという方の「佐倉哲エッセイ集」というHPに出会った。今わ更新されてはいませんが、強烈に印象に残る内容でした。このHPは未だに残っておりアクセスする方も多いと思います。

 わたしの「思考の部屋」の中で引用させていただいたことがありますが、その中の一つに「死後の世界」を取扱った話がありました。「輪廻転生」はお釈迦様は無記でいらっしゃる事柄ですが、避けては通れない問題です。佐倉さんはこの中で宗教学者の増谷文雄さんの言葉を引用し「ある仏教徒の『死後の世界』観」というエッセイを書かれています。

 この話だけは、忘れないすばらしい話で今朝は増谷先生の文章を掲載したいと思います。

 死んでから結ぶ果などというものは、どうでもよいではないかという者もあるかもしれないが、それはあまりに見解のせまい、まったく現実的で、利己主義な考えだとしなければなるまい。そんな考え方では、結局、真に生きるに値するような人生はおくれるはずがないのである。けだしわたしどもには、みんな子供もあるし、隣人もあるし、同胞というものもある。わがなきあとには、そんなものはどうなってもよいという訳のものではあるまい。

さらに眼をあげて言えば、わたしどもは、いかに微力であろうとも、なおかつ人類とか世界の運命と、まったく無関係ではないかも知れない。わたしは与謝野晶子さんの歌の一首を感銘深く記憶しているのであるが、それはこうである。

 劫初より造りいとなむ殿堂に
     われも黄金の釘一つうつ

人類がはじまってからこのかた、ずっと続けて造りいとなんできた殿堂とは、昌子さんの意味するところでは、たぶん、文学というものであろうかと思われる。その殿堂のすぐれた造営のために、わたしもまた黄金の釘ひとつでも貢献したいという。それが昌子さんの願いというものであり、また意気込みであったに違いあるまい。

そんな能力はわたしにはないけれども、なおかつ、わたしだって、人類の運命や世界の成りゆきについて、まったく無関心ではありえない。それをもまた「劫初より造りいとなむ殿堂」ということをうるならば、たとえ「黄金の釘」ではなくとも、せめて石ころの一つでも貢献をしたいものと思う。それが、この歌一首によせるわたしの感慨なのであり、このこころあって人ははじめて、まことに生きるに値する人生を見出すことをうるであろうと思うのである。

とするならば、わがなきのちに結ぶであろう果こそ、もっとも心しなければなるまいと思えてならない。
 
「業と宿業 増谷文雄著 講談社現代新書から」

 畑のサニーレタスがそろそろ食べごろとなりました。手前の柵はサル除けの電気柵です。かわいそうですが仕方がありません。先週の土曜日に設置しました。

 遠くで郭公(かっこう)が鳴いています。


阿弥陀経

2009年06月23日 | 仏教

 けさの知るを楽しむ「お経巡礼」は「阿弥陀経」でした。「ひろさちや」さんおやさしい語り口調で法然さんの他力の教えが解説されました。

 青・赤・黄・白色のハスの花の色、それぞれの色で人は輝いている。これが大事なことと「ひろさちあ」さんは指摘されました。実に意味深く感じました。

 人それぞれ個性をもって輝いています。輝く意味をしっかりつかみたいと思いました。



 昨夜からの雨が上がりました。雲の合間から陽の光がさしてきましす。


「もたい」というやまと言葉

2009年06月23日 | ことば

 「もたい」という古語について、ブックマークブログHIROMITIさんのブログに「東国の言葉ではないか」ということが書かれていましたので、長野県における「もたい」を書きたいと思います。話のきっかけは、「もたい」さんという女優の方の「氏」で「樽」という字の木片を「缶」に替えた字のようです。
 
 私の知る「もたい」という氏は、母袋、茂田井、甕などがあります。実際に長野県東部(東信)には歴史上にも登場する氏です。この氏名の発祥で重要なのは地名との関連です。
 
 日本語の氏名の特徴として同じ読み方で字が異なる場合があります。古い時代には同族ではあるが分家は本家と異なる漢字を用いるなどし、もとの呼称は生活地の地名を用いる場合が多くあります。
 
 長野県東信地区の地名で「もたい」となると今は佐久市茂田井(もたい)となっていますが、合併前は北佐久郡望月町茂田井、さらにその前は「北佐久郡茂田井村」ですが、さらに時代がさかのぼると平安時代の「和名抄」に佐久郡下七郷に「茂理(もたり)」という地名が出ており、この茂田井ではないかと郡史に記載されています。さらにこの「もたい」は「甕」という字も使われていました。鎌倉時代初期の承久の乱の望月氏(茂田井も含む旧望月町を中心を支配におく氏族)の氏族に「甕中三」という者がおり、幕府方の東山道軍の大将武田信光の部隊長として出陣しています。

 この茂田井地区ですが、字名で天神反というところがあり、この地籍からは奈良時代の鐙瓦(あぶみかわら)などが多く出土し清和天皇の貞観8年(866)に国分寺(現上田市)に準ずる五か寺の一つ佐久郡妙楽寺のあったところではないかといわれています。
 
「甕」ですが、これは須恵器のカメのことで周辺地区から多く出土しています。望月は「望月の駒」でも有名ですが御牧という官営の牧場があったところで、渡来人がその飼育を行なっていました。そのことを証明する一つとして須恵器土器の出土がいわれています。高温で焼く技術、これは渡来系の技術なのです。

 さてここで「和名抄」に出てくる「茂理(もたり)」と「茂田井(もたい)」の関係ですが古語では「持たり」という言葉があり「持っている」ことをいいます。またこごでは「持ち上げる」ことを「もたぐ・もたげ」といいました。ここで東国に残る古語が登場します。間違えなく東信だけではありませんが長野県では「持ち上げる」ことを「もたげる」という言い方が残っています。昨日確認のため各地区の出身者に確認しましたので間違いない事実です。

 「もったいない」という言葉があって「もたい」との関係ですが、長野県では「もったいない」という言葉は方言で「もってねえ」と言います。「持っていない」とも聞き取ることもできます。状況によっては「もってねえ」が「もったいない」「もっていない」時に使われるということです。以外に語源が同じかもしれません。HIROMITIさんはブログの中で「もったいない」まで語源を発展させていましたがそうかもしれません。

 最近郷土史から遠ざかっていましたが、語源学とともに古い言葉が地方に残っているおもしろいものです。

 今日は郷土史家の大澤洋三さんの本(出版社信濃路)を主に参考としました。大澤さんは茂田井の方です。