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思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

今、ここ・風の電話

2016年03月14日 | 

 佐藤初女さんの『いのちをむすぶ』(集英社)という最後のメッセージ66の中に「今、ここ」という短なことばを詠みました。

今、ここ

天国は、はるか彼方にあるものではなく
今ここに始まっているように思えてなりません。
私にとっては、苦しみがあっても“今、ここ”が天国です。

 解き放されているあけのこころを感じる。「むすぶ」というやわらな言葉の響きが二重にも三重にも重なる。

 苦しみがあっても“今、ここ”が天国です。

という言葉に「そんなことがあるか」と怒りのこころが現れるならば、みずからを地獄におとしめている自分に気がつかなければいけないように思う。

 この言葉には執着がない、欲望の目さえ見えない、日々が生活の中に祈りであるとも佐藤さんは言っていましたが、その祈りの意味もそこに重なります。

このように考える中で、「恐山あれこれ日記」に良寛さんのことが書かれていました。良寛さんについては100分de名著でも取り上げられて思うところをブログに書いてきました。そのような経過の中であらためて良寛さんの次の詩に接しました。

「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。これはこれ災難をのがるる妙法にて候」

「うらを見せ おもてを見せて 散るもみぢ」

「散る桜 残る桜も 散る桜」

 達観という境地にある人のことばというよりも切るときは切る、こころを白紙に戻す自助力をうながしているそのように思えました。それを達観という言葉で表現してしまうと本当の意味が現れてこない、そういってしまうおごりが私にはある。

 日々は新しさにしかない。白紙にペンを走らせるが日々ではないか。

 NHKで「風の電話」という番組を見ました。

 執着などという言葉が浮かぶならば、私はダメなのだろうと思う。

 届かない声ではなく、届く声を白紙に書き綴るそのように見えました。

 通じない電話が置かれた電話ボックス。

 災害で家族を亡くされた方々が語りかける。

 思い出のあの人に、思い出のあの方に届く言葉に聞こえる。


じねん(自然)に生きる

2015年10月28日 | 

 私が死ねば仏教のお葬式となると思う。だからといって日常に信者的な生活が生るわけでもなく、クリスチャンでもないのに聖書なども読みます。

 神や仏がこの世にいるか、という存在証明については今の私にはその回答を求める志向はありません。

 おのずから、みずからのあわいの中で、心臓は鼓動し、何事かを考え、あゆんでいます。

 おのずからというと自然にそうなって行く過程の体感です。決して明治以降のネイテャーではありません。じねん(自然)というと浄土真宗の親鸞さんの自然法爾が主に思い出されますが、民俗学的に民衆の宗教性をみると、おのずからの最たる祭典があります。

 ありがたいことだと手を合わせ、御無事でと手を合わす。

 神や仏があるわけではなく、自ずから手を合わせたくなります。

 手のしわとしわを合わせてしあわせという人もいます・・・然(しか)りです。

教育基本法の新旧をここに書きだしてみます。

<旧法>
(教育の目的)
第一条
 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

<現法>
(教育の目的)
第一条  教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

ここに「人格の完成をめざし」の共通項を見ることができます。

 人格という言葉を使うようになってから、ある意味まっとうに生きる人間が消えてしまったような気がします。

 まじめに生きること、それぞれの感覚にあるものは形(言葉)にすることはできませんが、でもわかることです。

 野の花は草はもの言う。

 風にそよぎ、踏まれても生(あ)る。

 迷惑な雑草は取られるが、それでも強い。

 まるで人間社会を見るようです。

 だから人はじねん(自然)の内にあるのだと思うのです。


風の置き土産・共生共死の風

2015年02月15日 | 

 去年(平成14年)の11月23日に宗教学者山折哲雄先生が出演されたEテレ「こころの時代~宗教・人生~」「無常の風が吹いている~私が死について語るなら」が放送されました。その後再放送もされたのですが、その中で語っていた話を心の隅において時々考えています。

 それは何かというと番組の最後の方で語られれる「共生共死」と「日本人は自殺志向が高いのではないか」という話しで、今回は「共生共死」についての部分についてアップしたいと思います。

<共生共死>

【山折哲雄】織田信長が本能寺で自刃切腹をしたときに、幸若舞を舞って「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり、ひとたび生を得て、滅せぬ者の有るべきか。
」と言ったという。これは一つの起点になるのですが信長の時代は、人間大体50年と考えていた。4世紀余りを人間50年でやってきたわけです。
 ところが戦後、医療の進歩もあったり、また社会環境も良くなったこともあり急激に寿命が延び80歳になった。
 その結果どのようなことが起こったか。
 人間の「生病老死」とよく言われる言葉の「老いの時期」と「病の時期」がものすごく増えてきて、そのなかで80歳になった。
 「生病老死」のなかで「老」と「病」の問題がわがもの顔で振る舞いだした。実際それを経済的に支えたりすることがなかなかできなくなり、年金や介護問題等々があります。経済的に支えられない。政治もそれに対応することができない。
 社会体制全体がどうにもできなくなってきて、その結果、死の問題が遠くに追いやられてしまった。さしあたっての老いをどうする、病をどうするか、という状況になった。そういう点で生老病死50年時代のライフスタイルというものが、見る間に崩れ始めた。

 これが今日のわれわれの社会の不安感を作りだしている最大の原因だと私は思っています。そこで私が思うのは、平均寿命50年のライフスタイル、人生モデルは何かと考えた時、あぁ「死生観」という言葉があった、ということに思いついたのです。「死生観」という言葉は、非常に独自の意味をもった言葉だと思う。これは英語にならない。西洋語になりません。言葉を補えば説明できますが、スパットこれに当る英語はありませんし、中国語にも韓国語にもないのです。

ではその「死生観」が何をあらわしているのか。二つの重要な意味があります。

一つは、死が生に先立って使われている。生死(しょうじ)ではなく死生(しせい)。道元のような宗教家ならば生死という仏教観を使っていますが、ふつうの日本人の身体に染みついた言葉としては死生観。50歳近くになると死の問題を考えなさいよ、というステージがこの言葉に含まれている。

二つ目は、生と死の問題が同じ比重でとらえられている。死を重視するということは同じことということ。そういう点では、「生きる」ということは死を受け入れること。死を覚悟することがすなわち生きるということなんだ、こういう思いが考え方が封じ込まれている言葉遣いだと思う。

 それはやはり人生80年時代においてもう一度伝統的な死生観、ものの考え方を見直すことによって、死と向き合う、というところに来ている気がします。ところがなかなか日本の社会というものは、死と向き合わないといけないと言いながら、死を隠蔽しよう、隠蔽しようという力が働きのです。隠蔽ですね、死は避けることができないのですから。それを正面にとらえて対応しようとしない。

 日本の教育現場では「生きる力」が中心ですよ。「生きる力」だけじゃダメだよ、人間というものは最後は「死ぬ存在」でもあるのだと。「共生」ということが大流行になりました。あらゆる分野で「共生、共生」「共に生きる」・・・共に生きるということは、同時に共に死ぬべき運命にあるんだということ、それを自覚しなければいけない時に来ているのではないか。「共生共死」だよと、それが死生観という人生モデルに対応することですね。

山折哲雄】死生観という人生モデルが崩れてしまっている。他方では高齢化が進み、認知症問題も含めて、労働介護がはじまって、労働介護だって共倒れの状況が段々と増えて行って、そうすると最後は孤独な状態に追いやられて・・・介護の手が伸びない、伝統的な死生観、人生モデルが崩れてしまって、その最後の最後の場面で、死にゆく人の意識に何がおとずれるか。最期、浄土に、極楽に、天に帰る、というそういう観念すら宿らなくなってきてしまっているという状況が来ているような気がします。

 そういう時に、死にゆく人の意識、あるいは脳、体全体にどういう現象が起きるかということ。もうそれは仏陀の声もイエスの言葉も通じないような状況、混濁した混乱した状態、しかし、にも係わらず人間という生き物は、何かにすがりたい、そこで原始的な妄想とか、呪術的な言葉とか、祈りといえば祈りでもあるけれども、一種の悲鳴のような叫び、声がワッ~と押し寄せてくるのではないだろうかと。

【作家…高山文彦の朗読】(最期のとき)宗教が突風のようにおとずれてくる最期の瞬間である。人類が経験してきたありとあらゆる宗教幻想や呪術もそうだ一挙に押し寄せてくる瞬間である。・・・言葉はもはや文明化された空間でも透明性を失いむしろ原始的な象徴性、言霊的な暗示性へとすさまじい勢いで対抗してゆく、いや対抗してゆくのではない。言葉本来の水源地へと根源的な復帰を遂げるのである(『さまよえる日本宗教』中公叢書)。

<言葉本来の水源地へと根源的な復帰を遂げるのである>

 【山折哲雄】それを(本)を書いたときにある意味ではニヒリスティックなの気分で書いた。虚無的な気分が心のうちに盛り上がってきて、しかし最後にその言葉を書いたときに、「あぁ、これは言葉が誕生する時の叫びのような・・・その叫びが同時に祈りとなるような意味で「言葉」「文学」「詩の水源地」かもしれない、一条の光を感じたようにもなった。・・・・・よくわかりません、ここは・・・。

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「死生観」という古き時代から日本人が継承してきた、死生観が失われ、宗教幻想や呪術が巷をにぎわしています。

 最近では精神科医が交霊者を使い治療しているようです。「霊の存在を意識した精神科医たち」が増えているとその意思は語り、二重人格は「憑依霊」、除霊で「うつ状態が消えた」と語っています。

 坂本龍馬、西田幾多郎、鈴木大拙、ハンナ・アーレント等々も霊になって降りて「共に生きる」大切さを語ります。

正常と異常のボーダレス化ともいえると思います。

山折先生は、「言葉本来の水源地へと根源的な復帰を遂げる」と語っていました。

 私は文字化以前という言葉を前回ブログで使いました。文字化とは漢字、ひらがな、カタカナが使われるようになった時代を指し、それ以前と縄文や弥生や倭国などがあったころをいうのであって、当然統一的な言葉があったわけではなく、個々の集団や小国が使用していた言葉ということになります。従って方言以上の違いがあったでしょう。しかし万葉仮名が使われる時代になると、ある程度の共有される意味・概念をもつ発音の言葉が成立してきたいたと思います。

 現代も「ちから」は、東北の方では「ツカラ」などと言うかもしれませんが、意図するところ、意味するところ違わないように思います。

 私は時々やまと言葉の哲学などといいますが、言葉の根底に流れる精神性を見つめたいのであって、それを体感すること、意識化することに個人的に有意義性を思うわけです。

 山折先生の「死生観」、「共生共死」には個人的に問われるところが多く興味を持ちます。


<玉井袈裟男著『詩集 風の置き土産』新葉社から>

幸せ

再び起き上がることのない床にあっても
僕は幸せでいられるかもしれません
かみ返し かみ返しても
尽きない思い出をもっていますから

幸せは
思い出の中にあります
思い出の中にあるものは
人と結んだ縁(えにし)です
幸せは
人と人との仲にあります

そう思って生きてきましたから
今もそう思っていますから