県内でも先の台風による災害で困窮している人がいる中で、私は昨日、カラオケの発表会に参加した。前々から計画されている事であり主催者も心苦しい点もあろうかと思うが、とにかく開催されそこに参加した。
歌唱というものの難しさを痛感する。
自意識が高く歌唱力はかなりあるとうぬぼれ状態にあったように思える。年間30回を超えるカラオケの発表会に出場し、昨日(10月21日)の発表会ほど自信を無くしたことはなかった。
他人は、褒めてはくれますが、どうみても力が入り過ぎて表現力は最低であった気がする。
100人・200人の観客がいても上がることはないが、どうしても力が入ってしまう。
今週の土曜日にも発表会があるが今一つ元気が出ない。
昨日は『望郷津軽節』(歌手原田ヒロシ)という今まで発表会では唄ったことがない曲を選択したことに問題があるのだろうか。
このような反省をしている自分自身、はるか彼方に完成点があるに違いなく、不満足の反省はまさにその完成態を描いている。
想起・想定・想像する完成たい(体・態)は、それに近づこうとする目標、プロに成ろうという話ではなくあくまでも自己の描くところで、考えてみれば他人にとやかく言われるものではない。
自分の考える失敗ならば、次はそこを是正すればよい話。思えば、これまで完全に満足したことがあるわけではなく、今回はとにかくこれまでにない反省を感じている。 何をもって善しとするか。
カラオケの歌唱の話だが、人生いかに生きるべきかよりも、直近する話だ。