風月庵だより

都会の雑踏に埋もれて生きている老庵主です。消えゆく前の雑音です。

谷川岳の麓の故郷

2017-04-20 13:21:01 | Weblog

4月20日(木)曇り【谷川岳の麓の故郷】

先週の日曜日は、久しぶりに故郷に帰りました。中学校の同期会がありました。私は小学校までしか故郷にいませんでしたが、いつも仲間に入れてもらっています。今年は特に、すでに故人になってしまっている友人たちの追悼法要もありました。

小学校時代と同じ呼び名で、久しぶりの出会いでも、すぐに呼び合える気楽さがあります。この年齢までの人生で、皆それぞれ苦労してきた年輪を背負って、楽しいひと時を過ごしました。

戦後生まれの私たちの時代は、一応平和な時代であり、高度成長期もあり、生活も豊かになり、それぞれの希望をもって生きられた時代ではないでしょうか。私も自分の望むように生かされ、10年間出家したいという思いを抱き、それを成就して生きてくることができました。「おれんちも貧乏だったな」「あたいんちも貧乏だったよ」「みんな貧乏だったいな」と言いながら、今は皆一人前になって、年老いてきました。ある意味よき時代を生き抜いてきたと思います。

しかし、北のミサイルや、中国もどう考えているかわかりませんし、日本もこれからどうなるか予測はできません。不測のことが起こりうる可能性は十分にあります。地震についても、まだ関東地方はそれほど壊滅的な被害はありませんが、いつ何時大地震に関東地方も襲われるかわかりません。毎朝、回向の中で、「……国土安穏、万邦和楽……」と、となえていますが、国土の安穏も危なくなりました。万邦和楽は世界の平和への願いですが、世界が平和になることはありえない、とさえ思っています。

よくよく考えてみれば、明日の命はわからない平和です。日々を大事に生きたいと思います。

美しい故郷の清流です。

 

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追悼 大田原高校山岳部遭難事故

2017-04-01 11:31:20 | Weblog

4月1日(土)雨【追悼 大田原高校山岳部遭難事故】

このたびの雪崩による遭難事故は、まことにいたましく、残念でたまらない。多くの方々もそうお思いのことでしょう。

ご家族の無念、残念、受け入れがたい思い、信じがたい思い、いまだ信じられない思い。いかばかりかと想像を絶します。

雪崩には「伏せろ」ではなく「逃げろ」の一声でしょうし、春山の雪崩が起きやすい条件下でのラッセル訓練など、もってのほかのことでしょう。

私の亡兄は、高校時代、大学時代も山岳部で、卒業してからも中央大学の山岳部の部長を長く勤めていましたので、一頃は山で遭難しなければよいがと、心配したこともありました。兄の後輩の山岳部員が雪崩で遭難し、その捜索にずいぶん時間がかかったことを聞いたことがあります。雪崩の恐ろしさを、身近に経験していますと、このたびのようなことは回避できたのではないかとさえ思ってしまいます。

引率の先生方を責めたくはありませんが、命をあずかる立場の人は、十分な経験と、適切な判断力と、鋭い直観力が要求されると思います。大川小学校の津波による被害にあった事件にも言えることだと思います。

現代は、科学的なことが目覚ましい進歩と発展を続けていますが、この世界を引っ張っていくのは、なんといっても経験や直観力も含めて「人間の判断力」が大きな影響を持ちます。まして命にかかわることは、この判断力にかかっています。

心優しい、心まっすぐな、前途ある、自然を大事に生きた若者たちが、貴重なかけがえのない命を一瞬にして失ってしまったこと、まことに惜しまれてなりません。ご本人にもご家族の皆様にも、心より哀悼の意と、同情の意を捧げます。

*2017年3月27日午前9時20分頃、栃木県那須町のスキー場で春山登山の安全講習会を受けていた高校生たちが雪崩に巻き込まれ、栃木県立大田原高校・山岳部の生徒ら8人(生徒7人と教員1人)が死亡するという痛ましい事故が起きました。

雪崩が起きた当時、季節外れの雪により想定外の積雪があったことから、当初の登山の予定を中止し、積雪をかき分けながら歩く『ラッセル』の訓練に変更していたのですが、茨城県警は、この時の現場の判断に誤りがなかったかどうか、業務上過失致死傷の疑いで捜査するとのこと。

講習会でも標高1915メートルの茶臼岳に登る計画だったが、主催した県高校体育連盟は「登山ではなく講習会」と位置付け、1963年の開始以来審査が必要と考えていなかった。とのこと。

*今まで大丈夫であった、という経験則を責任者は口にしているそうですが、これは逃げてはいけません。過ちを認めなくては、自らも救われないでしょう。生涯かけて償っても償いきれない過ちをおかしたことを認めなくては、ならないと思います。

*訓練場所では表層雪崩を予測する「弱層テスト」も怠る

 雪崩注意報が出ていた栃木県那須町の雪山で先月27日、登山安全講習会に参加した県立大田原高山岳部の生徒ら8人がラッセル訓練中に雪崩で死亡した事故で、主催者の県高校体育連盟登山専門部が、雪に埋まった際に呼吸空間を確保する生存法を周知せず、事前に表層雪崩を予測する「弱層テスト」も怠っていたことがわかった。同校関係者が取材に証言した。雪崩を想定せずに訓練が行われた結果、8人が死亡した疑いがあり、県警は関係者から事情を聴いている。(毎日新聞)

 

 

 

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稀勢の里 不屈の優勝

2017-03-26 18:23:58 | Weblog

3月26日(日)雨【稀勢の里 不屈の優勝】

横綱の意地で休場はしないのだろうか、それもすごい精神力だと、思っていたのですが、今日、照ノ富士との勝負に一度ならず二度勝って、優勝なさいました。

テレビ画面の稀勢の里の御顔を、思わず撫でてしまいました。

感動しましたね。不屈の精神を見せてもらいました。

▽優勝決定戦 ○稀勢の里(小手投げ)照ノ富士● ▽本割 ○稀勢の里(突き落とし)照ノ富士●

 

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大川小学校津波被災児童追悼

2017-03-11 17:18:03 | Weblog

3月11日(土)晴れ【大川小学校津波被災児童追悼】

午後2時46分。心より冥福を祈ります。

やはり大川小学校の悲劇は忘れられません。小学校の校舎の前でお経を唱えていた間中、飛ばされるかと思うほどの風が吹き続けたことが忘れられません。みんなが泣いていると感じました。こっちの世界に戻りたいと思っているのではないかと感じたのです。

只野哲也君は、今でも校舎の掃除をしたりして、大川小学校を震災遺構として残すことを願い、そのようになったそうですが、私も、賛成です。あの塀に描かれた宮沢賢治の銀河鉄道。そのすぐ横の山。どうしてあの山に逃がさなかったのでしょうか。大川小学校を訪れたとき、校舎のすぐそばの山を目にした時、私は本当に驚きました。校長先生が不在であったことも残念です。携帯電話で指示でもされていたのでしょうか。避難訓練はしていなかったのでしょうか。

何かしらの情報を待っていたのかもしれませんが、このような危機状態において大切なのは、事に対処する直感力ではないでしょうか。現代人は情報に頼りすぎているので、直感力が鈍っているのではないでしょうか。

遺族の方々の無念さと、これからもどのように無念の気持ちを乗り越えていったらよいのか。自分が子どもたちの親であったら、どんなにか辛かろうと思えてなりません。いつの日か、再び大川小学校を訪れて、お亡くなりになった子どもたちに語りかけたいと願っています。

お亡くなりになった皆様のご冥福を、心より祈っています。

死者1万5893人、行方不明者2553人(10日現在)。石巻市立大川小学校、児童74人、教職員10人が死亡。

*地震の直後、別の児童を引き取るために学校に行った保護者の目撃によると、今野大輔くんは「先生、津波が来るから山さ逃げっぺ」「こんなところにいたら死んでしまう」と教師に訴えていたという。今野夫妻が知る、大輔くんの最後の言葉だ。

大川小学校の子供たちが津波に襲われたのは、不可抗力でもあるかのように、この校長も、市や県の関係者も言っているようですが、例えば、自分の子どもが、もしそのような目にあってもやむを得ない、自然災害と思ってあきらめるなどと言っているようですが、不誠実極まりない言葉です。裁きはこの世ばかりではありません。大川小学校の悲劇は明らかに判断ミスによるものです。それを認めなくては、また同じような過ちを犯してしまうでしょう。ごまかししてはならないことと思います。

認めたからと言って、子どもたちが生き返ってくれるわけではありませんが、判断を間違ったことをせめて認められれば、かすかな救いがある、といえましょう。あの世に届けられるでしょう。「山さ逃げっぺ」と言った大輔君も「僕の言う通りだったっぺ」と、せめてあの世で「ほらね」と喜んでくれるような気がします。

ただ裁判になりますと、賠償金の問題がありますので、素直に認めてしまうと払いきれないということになって、必死の抵抗をしているのではないでしょうか。賠償金のことはあきらめて事実を認めるだけでもよい、ということにしたら、随分違うのではないでしょうか。お金の件は、ある程度のところであきらめて、それよりも事実を認めてほしい、という戦いにしたなら、本当は「ごめんなさい」と言って、救われたいのは、校長先生はじめ行政のほうでしょう。

お金が絡むので、「ごめんなさい」とは言えない裁判なのです。何が一番大切か。あの世に突然逝ってしまった子どもたちが救われることでしょう。大人の判断ミスを謝られることによって、はじめて霊も休まると思います。ご両親や遺族の方々が、心休まらず、裁判で争い続ける姿に、子どもたちも心を痛めているのではないでしょうか。悔しい気持ちは痛いほどわかりますが、一番大事なことは、もうある程度お金のことはきりにして、大人たちに過ちを認めてほしい、それだけではないかと思います。

そうしてお父さん、お母さんにこれ以上苦しまないでほしいと願っているでしょう。生涯心の中に子どもたちは生き続けるでしょう。この世に命のある限り生き続け、思い続け、何をしても思い続け、傍らにいると思って、生き続けてほしいと思います。そうして、いつの日か自分たちもあの世に帰る時が来ます。お子さんたちが迎えてくれるでしょう。ご遺族の皆様の心が癒されますようにと、切に切に願ってやみません。

 

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絶対阻止 南京大虐殺追悼日の制定

2017-03-10 17:00:53 | Weblog

3月10日(金)晴れ【絶対阻止 南京大虐殺追悼日の制定】

カナダ在住の友人から、次のようなメールが届きました。

「オンタリオ州では12月13日を南京大虐殺追悼日に制定しようと中国系の人がたくさんの署名とともに追悼日設定の法案を出しています。(何故?今頃?)」

カナダに移住した多くの中国人が、移住した国で、南京大虐殺追悼日に制定しようとしているのです。中国で制定するのならまだしも、移住させてもらっている国で、我が物顔に、歴史的に立証されていない事件の追悼日を制定しようとは、あまりにひどいことではないでしょうか。中国で4年ほど戦士として戦った経験のある方が、南京にそれほど多くの人はいなかったはずだ、十分の一、ゼロを一つ余計につけるのが、中国の人のくせじゃないだろうか、ということを言っていましたが、真相ははたしてどうなのか、わかりません。

韓国の慰安婦像を建てることには、議会は反対したそうですが、この議案はどうなるかわからないそうです。それというのは、中国系の議員はかなりいるそうですが、日本人の移民の人たちは、政治に関心が少ないのか議員の中にはいないそうです。

日本のマスコミも国会も、国にとって本当に大切なことはなにか。日本はカナダの人々にも残虐な民族であるかのような日を制定されてしまってよいのか。また、何時北からミサイルを撃ち込まれるかわからないのに、野党は相手を倒すことに躍起で、国の政治の大局が見えていないのではないのか。また与党の政治家も官僚も自分の立場が悪くなると、「僕知らない」と横を向くのもよくありませんね。一人くらい、自分のしたことを「しました」と堂々と言ってほしいですね。あのK氏なる人も気の毒に見えてきました。もし、ダメならば、はじめからダメとして許さなければよかったのではないのでしょうか。官僚も政治家も保身が強いですね。

金ハンソル氏の居場所を追及するような愚かしいこともやめてほしいです。北朝鮮は日本のマスコミがかぎ分けたニュースを大いに参考にしながら、暗殺計画を練っているかもしれません。ハンソル氏の居場所を探し出すようなスクープを、けっしてしてはならないと思います。

日本を守るために、国会で議論すべきことは、いくらでもあるでしょう。私は決して国粋主義者ではありませんが、このたび日本人として生まれましたので、日本人としての責任があると思います。それぞれの国の人間が、それぞれの国の尊厳を守り、他の国の尊厳も認め、狭い地球での生活を大事にしていきたいと切に願います。

次の英文の議案の訳文は次のURLに、日本在住のカナダの方の訳文がありますので、ご覧ください。貼り付けはできないようになっていましたので。

http://ameblo.jp/thepillowbookofkanon/entry-12243874425.html

 

Bill 79                                                          2016

An Act to proclaim the Nanjing Massacre Commemorative Day

Preamble

The events of World War II in the Pacific theatre are well known around the world, particularly the dropping of atomic bombs on Hiroshima and Nagasaki. Events like these form the primary foundation for historical studies and international commemorations. However, until now, Ontarians have not had the opportunity for a thorough discussion and examination of the World War II atrocities in Asia, and many are unfamiliar with this part of history. It is important for Ontarians to reflect and to educate themselves about the enduring lessons of the Nanjing Massacre.

As one of the most diverse provinces in Canada, Ontario is recognized as an inclusive society. Ontario is also the home of one of the largest Asian populations in Canada. Currently, some Ontarians have direct relationships with victims and survivors of the Nanjing Massacre. 

It is important to designate December 13th as the Nanjing Massacre Commemorative Day in Ontario. It will provide an opportunity for all Ontarians, especially the Asian community, to gather, remember, and honour the victims and families affected by the Nanjing Massacre, an atrocity where over 200,000 Chinese civilians and soldiers alike were indiscriminately killed in the Japanese capture of the city.

Therefore, Her Majesty, by and with the advice and consent of the Legislative Assembly of the Province of Ontario, enacts as follows:

Nanjing Massacre Commemorative Day

   1.  December 13 in each year is proclaimed as Nanjing Massacre Commemorative Day.

Commencement

   2.  This Act comes into force on the day it receives Royal Assent.

Short title

   3.  The short title of this Act is the Nanjing Massacre Commemorative Day Act, 2016.

 

EXPLANATORY NOTE

The Bill proclaims December 13 in each year as the Nanjing Massacre Commemorative Day.

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聖徳太子考

2017-03-09 10:56:02 | Weblog

平成29年3月9日(木)晴れ花粉多【聖徳太子考】

早速ですが、教科書中で、聖徳太子の表記が「厩戸王(聖徳太子)」となるということですが、疑問と異論を抱いています。聖徳太子という呼称は、周知の事実です。それを何をいまさら厩戸王が主となるような表記にかえるのでしょうか。これでは「拾(豊臣秀頼)」とするのと同じではないでしょうか。もっとも聖徳太子は諡号ですからちょっと違いますが、聖徳太子のお名前は、あまりに浸透しきっている呼称ではないでしょうか。厩戸王を言いたいのなら、「聖徳太子(厩戸王)」(とすべきでしょう。

余談になりますが、私は20年以上前の或る日のこと、突然「聖徳太子は日本を守っています。聖徳太子のテリトリーは日本です」というような声を胸の中に聴き、びっくりしたことがあります。この経験を、奈良の大倭紫陽花邑の故矢追日聖法主様に申し上げましたら、「聖徳太子様は、法主様のよいお友達ですよ、天でよくお会いしています」と奥様に言われたことがあります。

私は特に聖徳太子信仰があるほどではないのですが、聖徳太子信仰をお持ちの方々が、奈良の方には多いのではないでしょうか。たしか大阪に行ったときも、そのような集まりの建物の前を通った記憶があります。

先日、たまたま日本の高僧伝を調べていましたら、聖徳太子に関する記載がありましたので、ご紹介しておきます。

『本朝高僧伝』「巻第六十九 願雑十之一 応化一 聖徳太子伝」より

太子諱聖徳。用明帝第一子。母穴穂部皇子之女也。夢金色僧告白。有救世之願。請託后胎。問卿為誰。曰我是救世菩薩。家在西方。后曰妾身垢穢。豈其宜乎。曰不厭垢穢。但願度生。飛入其口。寐即有妊。而及八月。胎中有声。敏達二年正月初一。后遊禁庭。及至馬厩。太子俄誕。云々

以下、この二〇倍以上の記載がありますが、打ち込むのが大変なので、この辺で。

とにかく教科書という権威ある感じの書物の記載には、よくよく注意しなければならないと思いますね。純粋な子どもたちは、頭から鵜呑みにして覚えようとするのが教科書ですから。しかし、どのような経緯で、聖徳太子に対して、このような記載になってしまったのか。その理由はなんなのか、ご存知の方がいらっしゃいましたらお教えくださいませ。

しかし、イエス様も馬小屋でお生まれなので、真に高貴な方は厩に縁があるのかもしれません。

花粉症が今日はひどいので、早く通り過ぎてほしい季節になってしまいました。今日は午後、近隣の御寺院の晋山式の打ち合わせに出かけます。皆さんも体調管理にお気を付けください。花粉症のくしゃみをするとき、運転している時は事故を起こすと危ないですから、前を見たままくしゃみをしましょう。

それでは、お元気で。

付記:3月20日付けの産経新聞の記事によると聖徳太子の表記を復活させるそうです。

文部科学省が2月に公表した中学校の次期学習指導要領改定案で、現行の「聖徳太子」を「厩戸王(うまやどのおう)」に変更したことについて、文科省が学校現場に混乱を招く恐れがあるなどとして、現行の表記に戻す方向で最終調整していることが19日、関係者への取材で分かった。改定案で消えた江戸幕府の対外政策である「鎖国」も復活させる方向。修正した次期指導要領は月内に告示される見通し。

 現行指導要領では小中学校とも「聖徳太子」を授業で扱うと例示したが、今回の改定案では、人物に親しむ小学校で「聖徳太子(厩戸王)」、史実を学ぶ中学で「厩戸王(聖徳太子)」に変更。文科省は、歴史学では「厩戸王」が一般的で、「聖徳太子」は没後の呼称だが、伝記などで触れる機会が多いとしている。

 文科省は改定案公表後にパブリックコメント(意見公募)を実施。呼称の変更に批判的な意見が多かったほか、教員からも「小中で呼称が異なれば子供たちが混乱する」「指導の継続性が損なわれる」といった意見が出ていた。

 こうした状況を踏まえ、文科省は小中ともに聖徳太子の表記に統一し、中学では日本書紀や古事記に「厩戸皇子」などと表記されていることも明記する方向で調整している。

 

(当寺の桜ではありませんが)

 

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三月になりました

2017-03-04 18:09:17 | Weblog

3月4日(土)晴れ【三月になりました】

すっかりご無沙汰してしまいました。毎日忙しくあっという間に一日が過ぎてゆきます。

しかし、忙しいと言いつつも、金正男さんが暗殺されたことも、森友学園のこともニュースは観ています。日本は今は平和ですが、何時北のミサイルが撃ち込まれるかわからないと思っています。ただ、北に仕送りをしている人たちも日本にはいますので、どこにでもむやみに撃ち込むことはないでしょうが、何をしでかすかわからない国ですから、困ったものだと思います。この国がなんとか平和になる姿を生きている間に見届けることができるだろうかと、そんなことを思ったりしています。

教育勅語にも驚きましたが、その幼稚園児の姿に感動している国会議員や人々がいることにも驚きました。時代錯誤も甚だしいのではないかと思いました。愛国心は大事だと思いますし、人間としての常識を教えることは大事だと思いますが、この幼稚園の教育は、行き過ぎていると私は思います。

こんな狭い地球で、ヘイト教育をほどこしたり、とんでもないことをしている人を教育者というとはそれこそ「おぞましい」と言うべきでしょう。「おぞましい」などという日本語を聞いたのは久しぶりのことですが、使い方を間違っているようです。私には右翼系の友人も左翼系の友人もいますが、その出身について、特にいたいけない子どもたちに対して「おぞましい」などという人はいません。

この森友学園は認可されてしまうのでしょうか。してしまうのでしょうか。推移を、日本の教育の良心はどうなっているのか見ていたいと思います。

「世の中はますます悪くなるなあ」と、本師が口癖のようにおっしゃっていました。その言葉に当時私は反発していましたが、やはり同意せざるを得ないと思うこの頃です。考えてみましたら、その頃は、修行時代で、テレビを見る時間も、新聞を読む時間もない日々でした。世の中の動きを一切目にせず、一切耳にしなかったら、よいのかもしれません。

スエーデンも徴兵制になるようですが、弟の可愛い孫からそれは始まりそうです。

皆様、つかの間の平和を大事に楽しく生きあいましょう。三月もあっという間に過ぎることでしょうが、花粉症の期間はそれは有り難とい思いますね。とにかくお元気で。

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太陽の消滅について

2017-02-05 20:52:15 | Weblog

2月5日(日)晴れ【太陽の消滅について】

太陽の消滅は、アインシュタインの相対性理論によれば、五十四億年ということになるそうですが、果たしてどうかはわかりません。ただ言えることは、始めあれば終りあり、成住壊空(万物は成立し、存続し、壊れ、空に帰す)と、仏教の教えにもあります。宇宙の生成について、たまたまテレビで面白い番組を見ました。「村山斉の宇宙をめぐる大冒険」、という番組です。

最近の研究によって、ビッグバンは138億年前におきたそうですね。138億年かかって届いたビッグバンの証拠の電波ノイズをヘル研究所のホーンアンテナがとらえてわかったのだそうです。それで、138億年かけて膨張するエネルギーのダークエネルギーと、重力で物を引き寄せる力のダークマターのバランスによって、この地球も成り立っているようです。

ダークエネルギーが強かったら、急激に膨張してしまうので、星も生成されませんし、ダークマターが大きすぎてもブラックホールになってしまうということでしょうか。一度聞いただけでは、完全には理解できませんでしたが、この地球も138億年前のビッグバンによって生成され、やがて生物が誕生し人間も地球上に生まれてきた、ということでしょうか。

宇宙の結末について、ビッグリップという現象がおきると素粒子だけになるようです。とにかく生まれた物は、かならず消滅するのは真理ですから、54億年後かどうかはわかりませんが、今、仮に、消滅の寸前だとして考えて見たら、生物である人間同士が戦争している場合ではないでしょうし、テロを起こすことも意味の無いことですし、巨万の富を独り占めすることも意味の無いこと、入国拒否も意味の無いこと、韓国の慰安婦少女像などもってのほか、あれを見る度に気持ちが悪くなります。一部の韓国の人の恨(ハン)の強さにはつくづく残念に思います。とにかく、いがみ合っているよりも、地球の消滅まで、人類はできるだけ智慧を出し合って、地球人類であることを楽しく、生き合っていきたいと思いますね。

 

 

 

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永井政之先生最終講義 「異類中行」私考

2017-01-27 11:02:47 | Weblog

1月27日(金)晴れ【永井政之先生最終講義 「異類中行」私考】

昨日は駒澤大学で永井政之教授の最終講義がありました、定年で退職なさるときに、最終講義が行われます。演題は「異類中行」私考ー禅僧の民衆教化」でした。

この異類中行(いるいちゅうぎょう)という言葉は分かりづらい表現ではないでしょうか。『禅学大辞典』によれば「発願利生の菩薩が成仏して後、涅槃の本城に安住しないで生死の迷界、六道輪廻に身を転じながら一切の有情を済度すること。異類中に自己を投げ入れて利他行をすること」と記されています。

南泉普願(なんせんふがん748~835)に、南泉水牯牛(なんせんすいこぎゅう)という話があり、また潙山霊祐(いさんれいゆう771~853)に潙山水牯牛の話があります。

南泉がいよいよ最後の時、首座(しゅそ)さんが「和尚さんはどこにいかれるのですか」と尋ねると「山下の檀越の家の水牯牛になりにゆくか」と答えました。「それじゃ、私もついて行きます」と首座が言いますと、「ついてくるなら、藁一本持ってついておいで」と答えました。さらに「わしに去来があるなどと言うなよ」と言い終わって遷化(せんげ)されたと言います。

潙山も示寂(じじゃく)に臨んで大衆に言いました。「わしは百年後(死後の意味)、山下の水牯牛になるだろう。その脇腹には潙山僧霊祐と書いて生まれ変わるが、このとき、潙山の僧と喚ぶか、水牯牛と喚ぶか、潙山の僧霊祐と喚べば水牯牛だし、水牯牛と喚べば潙山の僧霊祐だ。おまえさんたちは、さあ、なんと喚ぶかね」

と、このような話が異類中行に関する話として残されています。上記の和訳は私の著書『中国禅僧祖師伝』(宗務庁刊)から抜き出しました。また自分でも改めてこの意味を参究したいと思って、読み返してみました。

永井先生の、異類中行とは、「仏教と関係ない人たちとどうやっていくか」、また「なかなか分かってくれそうもない人たちとどうかかわっていくか」という表現によって、私自身は得心いたしました。

『中国禅僧祖師伝』を書きながら、十分には理解していなかったと思っています。南泉も潙山も、生きているときも法を説き続け、死してなお、法を説き続けていく姿が、異類中行のさらに水牯牛の話であったかと、今、思っています。

永井先生は如如居士顔丙(にょにょこじがんべい1212示寂)という大慧の弟子の可庵慧然について得法した居士を紹介なさいました。僧侶ではなく居士でありながら、上堂もし、葬送も司ったそうです。また職業別にそれぞれの生活にあった修行方法を説いたという方です。

永井先生は大学を退職なさいますので、これからの御覚悟として、ご自身の道として異類中行を最終講義に取り上げてくださったのではないかと、私は思いました。

現在駒澤大学に学んでいる萩原欽一さんも、花束の贈呈をなさいました。実は、私も先生の「宗研に入らないか」の一言で、すでに高齢の私でしたが、曹洞宗総合研究センターの宗学研究部門に入ることができ、研究生活を送らせていただけましたので、花束をお渡ししたいところでした。同郷でもあり同年代ではありますが大先輩の最終講義で、本当に得心いくように学ばせていただいた講義でした。

写真を撮らせていただかなかったので残念でした。全く言葉の分からない我が家の異類の写真では申し訳ないですが。

 

 

 

 

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長年の相棒 カーナビダウン

2017-01-20 15:41:59 | Weblog

1月20日(金)曇り【長年の相棒 カーナビダウン】

今日は寒いですね。やはり雪が降るかもしれません。世は、トランプ大統領就任式を控えて騒がしいようです。これから世界情勢はどうなることでしょう。反対のデモをすることによって、トランプさんの人種差別意識に少しでも抑制がきくと、デモをする意味もあるかもしれません。今の日本人には、トランプさんのような人が、政治家として表舞台で活躍することは、理解しにくい現象ではないでしょうか。しかし、戦前は、かなり無謀な考えの政治家や軍人が大手を振って表舞台で活動していた時代もありました。

現時点では人種差別意識といえますが、あと数時間で人種差別政策になっていくと怖いですね。そうならないことを願うのみです。日本人は、まさか自分たちは問題外と思っているかもしれませんが、黄色人種として差別されないともかぎりません。

さて、長年使っていましたカーナビが壊れてしまいました。2001年に購入したパナソニックKX-GT30という代物です。まだそんな古いのを使っていたの、と言われるかもしれませんが、今まで全く問題なく大活躍をして、私の仕事を助けてくれました。実はさいたま新都心駅の近くを走っているときに、急に赤とんぼが動かなくなりました。新都心駅を離れましたので、電源を入れ直しましたが、全く反応しなくなりました。

以前、やはり新都心駅の周辺で赤とんぼが動かなくなってしまったのですが、駅の周辺を離れましたら、また動き始めましたので、同じ不都合かと思っていたのですが、お寺に帰ってから、接続を抜いて入れ直しをしたりしましたが、全くデータを読み込めなくなりました。ついにダウンしてしまったようです。

私は新都心のあたりは官庁が移転してきて、なにか電波障害のようなことがあるのだろうか、と素人考えでいたのですが、ある人は、大型トラックの無線による障害ではないか、という意見もあります。とにかく長い間、あちこちの仕事に行くのを助けてくれたカーナビですし、時折は全くとんでもない遠回りをさせられることもあり、時折は「その道はダメ」などとナビに怒ったりしたこともありますが、「運転が長時間に及んでいます。しばらく休憩をしませんか」と心配もしてくれた相棒です。この相棒のお蔭で、私は知人のお寺のお手伝いで、あちこちのお宅にお経に伺い、糊口を凌いできた時代もありましたし、いろいろと難問を解決しなくてはならないときもあり、分かりづらい場所にも行かねばならないときなど、本当に助けられてきました。

新しいカーナビをつけました。あまり遠出はもうしないでしょうが、これからは新しい相棒とともに、運転には気をつけたいと思っています。

カーナビの故障でしたら、カーナビを取り替えれば問題は解消しますが、GPSがもし問題を起こしましたら、一大事です。世界の舵取りを、どうぞ、トランプ大統領さん、あまり世界を狂わせないように、しっかりと舵取りをしていただけますようにと、願ってやみません。

 

 

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