ユング心理学では、自立、人格の向上の機会に現れる障壁と打破と通過を表現している。障壁到来は、神によるものと理解するならば西洋的な思考で十分に理解される。
自分自身に生まれながらに具わっている自分を自分であらしめる根源的な心が、生けるものすべてに具わっているという、「一切衆生 悉有仏性」の仏教世界では上記の通過儀礼は他律的な出来事ではなくなってくる。
例えば、華厳経の世界では、すべての世界の海はかぎりない因縁によって成り立っていると理解し、さらに将来も成立するであろうと理解する。
そのため衆生には無上の悟りの機会が与えられる。自ら求めるならば、対機説法の形になり各自の機根に応じ説法は異なる。
念仏信仰であろうが、禅宗であろうが、機根に応じた説法である。
そこでは、自分の大切さが重要な鍵であり、形而上学的な観念は存在する余地はない。 死後の世界、霊の世界、天国や地獄など、人間の思考を超える世界に己の存在を関係付けることは、方便と捉えるべきで、一つの儀礼でしかないと理解すべきである。
友松圓諦訳講談社法句経160「己こそ己の寄る辺、己を措きて誰に寄るべぞ、よく整えし己にこそ洵(まこと)、得難き寄り辺をぞ獲ん」
長部経典「さればアーナンダよ。ここに自己を燈明(洲)とし、自己を依処として、他人を依処とせず、法を燈明(洲)とし、法を依り処として、他人を依処とせずして住せよ。」
仏陀の教えとされる自灯明・法灯明、自帰依・法帰依である。