思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

華厳の太陽

2009年03月31日 | 仏教

 音もなく 
 臭(か)もなく常に天地(あめつち)は 
 書かざる経を 
 繰返しつつ

という二宮尊徳さんの歌があります。

 今朝の写真は、夕暮れではありません。

  カメラ(特にデジタル)では実際に目に見える情景は留めることはできませんが、数倍大きな太陽が、昇りました。
             


「かなしい」という言葉

2009年03月30日 | ことば

「かなしい」という言葉を漢字で書くと、「悲しい」「哀しい」となります。そして、「愛しい」は、「かなしい」とも読みます。

 日めくり万葉集の3月12日は、選者中西進先生で万葉集巻14の3403の東歌

 我が恋は
 まさかもかなし
 草枕
 多胡の入野の
 奥もかなしも

でした。
 この歌の解釈はしませんが、この歌で語られていた「かなし」について記したいと思います。

 中西先生はこの「かなし」について次のように解説されていました。(日めくり万葉集 VO1.3 講談社MOOKから)

 「かなし」は、漢字では悲哀の「哀」という字も書きます。しかし、人を愛するの「愛」、これも「かなし」です。むしろこの方が元の日本語なんです。「かなしい」というのは、いとおしみのあまり生じるせつなさを言ったんです。例えば、持ち物を失くすと「かなしい」なぜならそれを愛していたから・つまり、「かなし」とは、我と我が身への愛借ですね。

  「かなし」という言葉を万葉集の中で調べてみると、本来は東国の人たちの持っていた単語らしいのです。都の人間が持っていなかったこの言葉に注目したのが、大伴家持です。家持は東国の歌に接し、「かなし」という言葉がいかに素晴らしいかを発見した。「かなし」は、当時まだまだ素朴だった東国に保たれ続けてきた感情や生命感でした。都の人間は、文明がどんどん進んでいて、もっと小利口になっていたのでしょう。

と中西先生は、語っておられました。

 この「かなし」という言葉ですが、長野県の南部の下伊那郡方面では、「かなしいよ」という言葉で、この万葉の情感よりも幅広い情感を含んだ使われ方をしています。

 悲しい、哀しいという情感の他に、期待したものがない状態を表現する時に使われています。

 例えばスパーの食品売り場に出かけ、買おうとした品物が既に売り切れであった場合に、「○○がなくてかなしいよ。」といいます。

 タレントの峰竜太さんの出身地長野県下伊那郡下條村では、このような使い方を今もしています。 

 下條村に住んでいたころ、知り合いが「かなしいよ」というので、はじめ何が悲しいのか全くわからずいたところ、その後いろんな場面でいっているのを耳にしました。

 どうも「期待したこと」「そのように思っていたこと」等その期待、希望の度合いの軽いものから、深い(重い)ものまで使うのです。

 下條村での生活は長くはなかったのですが、我が家では「かなしい」という言葉をかなり幅広い情感で受けとめることができます。

 カタツムリ論という柳田國男先生の方言周圏論の地方における古語の残留からいうならば、早計かもしれませんが、これは素朴な感情や生命感、文明とは関係のない、日本語の感情という心の感覚の幅広い使われ方が、漢語的に合理的な、端的な感情概念の相互共有に編成されてきたものと思います。


自然外道

2009年03月29日 | 仏教

 老荘的な無為自然な生き方から「求めない」という言葉の教について、思考すると主体性の向きであろうか心が整わない感覚を受ける。

 求めない
 すると
 比べなくなる
 (ひとと自分を 過去と今を 物と勝ちを 持つとも持たぬとを)
 
(「求めない」加島祥造著 小学館P102から)

 「求めない」という言葉自体が、「自分」という主体を前提にしているからであろうか。

 「自然外道」という言葉があります。一切のものは因縁のないままに生まれたもので、自然に生まれ、万物それぞれが自然でありそれが絶対的な存在である。そのことを体得することが悟りの境地とする思考の世界のことで、仏教の縁起という教えに反するので、隋の嘉祥大師が老荘をそのように読んだということです。(「無」の思想 老荘思想の系譜 森三樹三郎著 講談社現代新書 P23参照)

 「何ごとの おわしますをば 知ねども かたじけなさに 涙こぼるる。」西行さんのこの歌、僧侶ですので存在論的な何ものではなく、縁起の中のわたしが得る心であったと思います。

 わたしがそう思っていることをわたしから教わり、そのわたしは他己(何ごとのおわします)を知る。

 朝から南直哉さんの再々放送を見てから朝陽の昇るのを見ると、縁起の中に「わたしはあるなあ」と、思います。
                   


足るを知る

2009年03月27日 | 仏教

 山のあなたの空遠く
 「幸(さいわい)」住むと人のいう。
 噫(ああ)、われひとと尋(と)めゆきて、
 涙さしぐみ かえりきぬ。
 山のあなたのなお遠く
 「幸」住むと人のいう。

カール・プッセの有名な詩です。

 朝に続き、紀野一義先生の言葉を引用します。
 カール・プッセは「幸」といったが、人によってそれは「夢」であったり、「理想」であったり、「永遠」であったりするのであろう。人はかぎりなくそれを求め、求め得ずして涙ぐみつつ帰ってくるのである。それでもなお、人は、「幸」を求めつづける。生あるかぎり、それを求めつづけるのが人間というものなのである。一代でそれが果たせぬときは、わが息子に、わが娘に、わが孫にその夢をたくしてゆくのである。(風の中のさすらいびと 紀野一義著 日本交通公社 P86・87から)

 加島祥造さんの「求めない」の正反対の話ではありません。

 求めない 
 すると
 自然の流れに任すようになる
 (求めない 加島祥造著 小学館 P37から)
 
 「求めない」という心のもち方が重要で、「求める」という気持ちを制し、自分を創ることではないのです。

 「幸」と「欲望」の違いに気がつき、それを素直に認めるところから、自然の流れに乗ることができるのです。

 人は「求める」ことから離れることはできません。

 「足るを知る」とはそのことを言っているのです。
            


悲憤慷慨

2009年03月27日 | 仏教

 仏教詩人の真民さんの詩に次の詩があります。
 

 きょうは
 わたしの
 かなしみゆえに
 木が光る
 草が光る
 石が光る
 重信川が光る
 水が光る

 坂村真民さんは四国の松山市の南、砥部町麻生八幡の方でご自身の仏教感からの詩をたくさん作られています。その中のひとつの詩です。

 「かなしみゆえに」などと書くと、暗さが漂ってきますが、ある政治家の政治資金規正法違反での秘書逮捕事件で、起訴段階での涙の弁明のその姿に哀れさを感じこの詩を思い出しました。

 この政治家は、「木が光る 草が光る 石が光る 水が光る」ことも思わず朽ちていくのでしょう。

 仏教学者の紀野一義先生がこの詩について語っていました。

 「かなしみゆえに」というその「かなしみ」は、はじめはたしかに小さな人間の悲しみであったであろうが、やがてそれは仏の大悲のごときものに変わってゆく。そして木が光り、草が光り、石が光り、川の水も光り・・・。

という解説をされていた。

 悲しみの中に信仰をもち、また信仰の中で悲しみを受けたとき、悲しみの中で虚空の中にある我が身(色)をみる。

 大きな政治的な野心が断たれたときの涙。

  哀れであり天空から舞い落ちる雪をみながら朝から悲憤慷慨してしまいました。
         


ふきの蕾と雪

2009年03月26日 | つれづれ記
 きのうは小雪が舞う天気で、積雪になるほどではありませんでしたが、今朝起きて庭先を見ると、薄っすらと雪に覆われていました。

 畑の方向に歩を進めると、ふきの蕾(とう)に雪が積もっているのを発見しました。

 安曇野の春は、もう少し待ちましょう。

 蕾は、そんな風に話しかけているようです。

プラトン以前の哲学

2009年03月25日 | 哲学
 ギリシャ哲学とは、本来、世界・自然がいかにあるかということにかかわる「知」と、人間自身がそこでいかに生き行為すべきかにかかわる「知」とを、相互に切りはなすことなく一体的あるいは全一的に追求するような「知の希求」なのであって、プラトンの哲学もこのような全一的な知の希求というあり方を堅持していました。 (「よく生きること」の哲学 藤沢令夫著 岩波書店)

 東洋的な無為自然的な思考が、古代ギリシャにあったという「ソクラテス以前の哲学」は、藤沢先生のプラトンの「知の希求」をみると「プラトン以前の哲学」と探求したくなります。

 線引きをすること自体、無意味なのかもしれません。

 夜明けを見ると長野県と群馬県境にある、浅間山の真上から明けてくるのに気がつきました。
                               

普遍性とうつろい

2009年03月24日 | 仏教

 今朝は、飛行機雲がちょうど陽と重なりました。松本空港の近くにボルデメ(名称に誤りがあるかもしれません。)という誘導設備があり、航空機は松本平の上空で進行方向の修正を行なうため空を見上げると昼夜を問わず見ることができます。

 さて最近「普遍」という言葉が気になり始めました。普遍的無意識というユング派の言葉があり、万人の深層部分には共通する元型がある。

  そのようなことを思考の前提にしていましたが「やまと言葉」、言葉の世界に足を踏み込み始め、他の人の考え方を知り「普遍」とくに「普遍性」というものに疑問を持つようになりました。

 諸行無常の世界、仏性、仏心を私自身は、普遍性を前提にして思考をめぐらしていました。考えてみれば「普遍性」の観念的なものをもつこと自身、禅とかけ離れている、このように考えることもまた然り、かけ離れている。それが体感としてもつようになりました。

 「うつろい」、これに尽きるものが「世」であり、「空」の世に「色」という身をもち生きる私であるからこそ、うつろいゆく今日にまた意が生ずる。 

 今朝の天空を見、ふと思いました。特に今日は感動の空です。
         


芳風会作品展2

2009年03月22日 | 仏教

 

高橋節郎記念からは、ご覧のとおり安曇野の山々が絵画のように広がっています。

 山田芳風会代表のあいさつ後、男性四重唱「 ワンダーQ 」のメンバーによるコンサートが開かれました。

 沖縄の「芭蕉布」という曲が歌われ、私の一番好きな曲でしたので感動しました。

 しの笛演奏家本田悟氏の演奏もありました。金管のフルートと似た音ですが、やわらかな澄みきった音色で風景に合っていました。

 

 展示されていた四条派の日本画です。

 高橋節郎記念館には、民家、土蔵作りの展示場などがあります。

庭の桜はごらんのとおりまだ蕾でした。

 


四条派芳風会

2009年03月21日 | つれづれ記
 今朝は朝から晴れ渡り、春にふさわしい風に温かさがある一日でした。もう雪は降らないでしょう。

 芸術は、秋という先入観でいたところ、京都四条派の日本画の作品展があるというので出かけました。

 今日はこの他に二ヶ所の美術館に行くつもりでいたのですが、四条派の作品展は、男性四重唱”ワンダーQ”の「ほのぼのコンサート」付きで、また会場が高橋節郎記念美術館で半日ゆっくり過ごし、その後豊科近代美術館で行なわれている同館友の会絵画部の作品展を見に行き一日芸術に親しみました。

 京都四条派芳風会の作品展。四条派の画家藤原好子先生のお弟子さんで作る芳風会(山田三恵子代表)の作品展です。

 藤原先生は京都の方でしたが、今は安曇野の有明にお住まいです。

 四条派は、百人一首の絵柄、花鳥が中心ですが、山田代表の法隆寺の行動壁画や平等院鳳凰堂後背などに描かれている飛天(天女)の絵がとてもきれいでした。

 安曇野に四条派の先生方がおられるとはびっくりしました。

 四条派は余白を大切にし、色を重ねません。色鮮やかで伝統的な作風は師弟関係で伝承されます。

 日展などの各種有名な展覧会での入選により認められ、また商業ベースの価値観にあるものでないだけに、個性よりも芸術性、しかも日本画の美観「余白の空間」がすごく分かる感じがしました。