思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

人生の贈り物

2018年10月31日 | 仏教

 前回「一夜賢者の偈」という原始仏教の経典の言葉をアップしました。中部経典マッジマニカーヤの一夜賢者の経(偈)もアップしてありますので参考にしてください。さてこれに似たアメリカの有名な児童書があります。これはスペンサー・ジョンソンというアメリカの医学博士が書かれたもので、彼は医学と心理学の分野で多数の本を書かれています。

 一夜賢者経をヒントに創作されたものではないかとわたしは思うのですが、話の流れがとてもよく中略を含め引用させていただきます。

題名は『人生の贈り物』です。

 かけがえのないプレゼントとは、
 プレゼント、つまり現在のことだとわかったのです。
 過去でもなく、
 未来でもなく、かけがえのない現在ということです。
 現在の瞬間というのは、
 常にかけがえのないものです。
 それはまったく完全なものだからではありません。
 おもわくと異なることも多いのです。
 現在がかけがえがないのは、
 その時点では、それがすべてだからです。
 あるがままの状態が。
 たちまち彼は幸せになりました。
 まさにかけがえのない現在を
 生きているのがわかったのです。

(中略)

 これまでいつも
 何か足りないものがあると感じていました。
 その時その場所にいるという現実を
 生きていなかったのです。
 ずいぶん多くのものをみすみす逸したと思うと、たまらなく悲しくなりました。
 彼は自分を責めつづけ、
 それから、自分のしていることに気づきました。
 過去のいたらなかったことにこだわり、
 それにとらわれていたのです。

(中略)

 「過去のことをふりかえり、
 教訓をみいだすのは、
 賢明なことだ。
 しかし、過去を生きるのは、賢明なことではない。
 それは現在の自分を否定することだから」
 「未来のことを考え、
 準備するのは、
 賢明なことだ。
 しかし、未来を生きることは、
 賢明なことではない。
 それも現在の自分を否定することだから。
 そして、自分を否定することは、
 何よりも大事なものを否定することだ」

(中略)

 男はまよわず「いま」のほうを選びました!
 そして、いま彼は幸せです。
 ありのままの自分に安らぎを感じていました。
 人生のそれぞれの瞬間を、
 いいことも、わるいことも、
 まるごと味わおうと思いました。
 理解できなくてもいいのです。
 彼にとって初めてそれは問題ではなくなりました。
 この地球上で生きている瞬間瞬間を、
 贈り物として受け入れたのです。

(中略)

 「現在とは、ありのままということで、
 それがかけがえのないことなのだ。
 なぜそうなのかわからなくても。
 現在は、
 そうなるべくしてなかったものだ。
 その現在を知り、
 現在を受け入れ、
 現在を生きるなら、
 満ち足りて、幸せになれる。
 苦しみは、
 ありのままのことと、
 望むことが
 くいちがっているということだ。
 思いどおりにいかなかった過去を
 悔やみ、
 どうなるかわからない未来を
 思いわずらうのは、
 現在を生きていないということだ。
 それは、苦しく、
 みじめで、
 不幸なことだ。
 過去もそのときは現在だった。
 そして、未来も現在になる。
 現在の瞬間こそが、
 経験できる唯一の現実なのだ。
 現在にとどまるかぎり、
 永遠の幸せでいられる。
 永遠も、
 常に現在なのだから。
 私がさがしていた、かけがえのないプレゼントとは、
 ただ、
 いま現在あるがままの自分のことだ。
 それはかけがえのないものだ。
 かけがえのないプレゼントは、
 自分から、
 自分に与える、
 かけがえのない贈り物なのだ。
 自分というのはかけがえのないものだから。
 自分こそ、かけがえのないプレゼントなんだ」

以上ダイアモンド社「人生の贈り物」スペンサー・ジョンソン著 門田美鈴訳から抜粋しました。とても良い本です。


手動瞑想と一夜賢者の偈に思う

2018年10月30日 | 仏教

毎週日曜日早朝にEテレで放送される「こころの時代~宗教・人生~」は、人文学好きの私には勉強の場でもあります。

 先週28日は、「“今ここ”に気づく」と題した、日本人でタイで出家したプラユキ・ナラテボーさんの「手動瞑想」についての紹介でした。

 何が彼を仏教にひきつけたのか。お母さんが浄土系の幼稚園の保育士をおやりになっていた関係で仏教的な教えの環境で育ったようです。

 プラユキさんが自分の人生に大きな影響を与えた言葉ということで宮沢賢治作『農民芸術概論要綱』の序論の最初の方に書かれている次の言葉を紹介していました。有名な言葉で知っておられる方も多いのではないかと思います。

「世界ぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」

という言葉です。番組内では紹介された話ではないのですが、実はこの文章の一行前には次の文章があります。

「近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい」

 賢治は幸福実現への道を

●近代科学の実証
●求道者の実験
●われわれの直観

の三点の一致から語りたい、ということです。プラユキさんは「世界ぜんたいの幸福」という他者に対するまなざしを強く持ち続け求道の道を選んだようです。

 現在プラユキさんが行っているのは、物事をあるがままに観察する「気づきの瞑想」の方法の伝授です。その核となる言葉として、「今ここに気づく」という仏陀の教(原始仏典の偈)えを伝えます。

過ぎ去れるを追うことなかれ
いまだ来たらざるをおもうことなかれ
過去 そはすでに過ぎ去りたり
未来 そはいまだ到りざるなり
されば ただ現在するところのものを
そのところにおいてよく観察すべし
揺らぐことなく 動ずることなく
そを見きわめ そを実践すべし
ただ今日まさになすべきことを
(原始仏教典「一夜賢者教」より)

これは「一夜賢者の偈」「吉祥(きちじょう)なる一夜の偈」とも言われる経典の言葉を日本語の韻を踏む訳で簡略したものです。

過去ブログで何回となく紹介していますが、個人的にとても影響を受けている偈です。

原典に近い訳は次のように書かれています。

かようにわたしは聞いた。
あるとき、世尊は、サーヴァッテッー(舎衛城)のジェータ(祇陀)林なる、アナータビンディヵ(給孤独)の園にあった。そこで、世尊は、「比丘たちよ」と仰せられた。「世尊よ」と、彼ら比丘たちは答えた。世尊はかように仰せられた。

「比丘たちよ、今日わたしは、<一夜賢者>なる偈について、また、その分別について語るであろう。よく聞いて、じっくり考えるがよろしい。では説くであろう」

「かしこまりました。世尊よ」

と彼ら比丘たちは、世尊に答えた。世尊は、つぎのように仰せられた。

「過ぎ去れるを追うことなかれ
 いまだ来たらざるを念(おも)うことなかれ
 過去、そはすでに捨てられたり
 未来、そはいまだ到らざるなり
 されば、ただ現在するところのものを
 そのところにおいてよく観察すべし
 揺らぐことなく、どうずることなく
 そを見きわめ、そを実践すべし

 ただ今日まさに作すべきことを熱心になせ
 たれか明日死のあることを知らんや
 まことに、かの死の大軍と
 逢わずというは、あることなし

 よくかくのごとく見きわめたるものは
 心をこめ、昼夜おこたることなく実践せん
 かくのごときを、一夜賢者といい
 また、心しずまれる者というなり」
( 原始仏教典南伝 中部経典131 一夜賢者経)

この経(偈)を身体の動作と共に学ぶ「手動瞑想の実践」が紹介されました。内容については再放送を参考にしていただきたいと思いますが難しいものではありません。

 要は今まさに自分は何をしているか、この場合、手の動作を行いそこに意識を合わせていくもので、原始仏教典をもとにした仏教の教えをする団体のには、動作を声に出しながら確認するというものもあります。

 大乗仏教の禅宗系の座禅では曹洞宗に見られるような只管打坐のようにひたすら坐ることを主とするものもあります。こちらの方な念を切る、心の今を切る、志向視点を切るという方向性があるように私は理解しています。

 どちらがどうだという話ではなく、今まさに何ごとかをなしている自己に気づくことなのだと思います。

 どのような方々がこのような瞑想法を学びに来るかということですが、プラユキさんの悩める人の話を聞いていると実存的虚無感の人や対人関係で実存的疎外感を感ずる人などがおられるようです。

 悩みに悩む人。「お前はこうだ。あのひとはこうだ。」と言われ続け、人を善人か悪人かと他者や自分を枠にはめないと生きられない人。・・・・

 劇団四季の有名なライオンキングという劇があります。劇中で王子を励ます言葉としてイボイノシシらが「ハクナ・マタタ」とくり返します。それは「くよくよするな」意味です。

 国文学者の中西進さんはこの言葉にとても感動したと著『ことばのこころ』(東京書籍)で語っています。

 人間の生きるコツはまさにそこにある。わたしはつらいことがあると「ハクナ・マタタ」と言おう。そして言葉を口癖にして明るく生きていこうではないか。

こう中西さんは結びます。

 私は今何について悩み続けているのか。

 「くよくよ」している自分、それに気づくことも救いなのだと思います。

 賢治の「世界ぜんたい幸福にならないうちは」は、世の中の人が幸福にならないうちは個人の幸福はないと、断言します。不可能性を転回する強い可能性希求が見えます。

 人は変わろうとする存在。メタモルフォーゼを期待する存在、そのように思います。


悪人正機を学ぶ

2016年04月12日 | 仏教

第2回100分de名著親鸞聖人の『歎異抄』は「悪人正機説」から始まりました。歎異抄でもっとも有名な言葉で過去ブログで感動の内に書いたことがあります。まもなく62歳になろうとする年齢の中でこの言葉に出会う機会が今回私に起こりました。

 仏教を学ぼうという心が個人的にあるわけでブログのカテゴリーの中にも「仏教」を掲げています。善人になろうと学びの心が起こっているわけではなく、なぜ仏教はこの世にあるのかというその意味理解が己の根底から湧いてくるからです。

 湧いてくるこの私をさらに問うならば、煩悩の塊の中にもがき苦しむ私があることに気づきます。

 仏の心は慈悲のこころ

「ココロ」という言葉を文字にすると漢字やひらがなやカタカナでここに記すことができます。

 ひらがなで「こころ」と書くと「心」のイメージが溶かされるように柔らかく響いてきます。今日もこれから職場に向かい精神的に苦しみの中に飛びこみます。時々職場で出会う一人の老人の話を書きますが、どうしても同僚でもあるこの方の存在が精神的な圧迫に襲われます。

 あと一か月半ほどで退職する人物ですが、そう考えたところで心は軽くなりません。

 こういう人がいなければどんなに楽しいだろうか。

 と思ってしまいますが、果たしてそうなのだろうか。

 62歳その中で自覚的に生きてきた過程の中でどれほどの楽しみがあっただろうか、と思う。苦楽とは瞬間に生まれ瞬間に失せます。

 ときどきに試されるがごとくに壁が現れそんな連続であったように思います。

 善し悪しの分別の中にある煩悩の塊

 それが私である。こういう悪人はいつまでも「救われたい」がおとずれる。

 拝む自分がそこにあり、拝まれる<わたし>がそこにあります。

 「ナムアミダブツ」

 他力、自力も霧散して生(あ)ることの意味深さに身を任すしかありません。

 私の舟はいつまでもそこに穴が開き水が湧き出してきます。水をかき出すことに必死であるが大海に沈む宿命ならば、かき出す努力は無我的になすでありましょうが大海に沈むこそが救いなのかもしれません。

 「ナムアミダブツ」

 ときどきこの念仏が出てきます。それでいいのでしょう。

 今週もよい機会がありました。

 いざいざ出陣いざ出陣、新しき草鞋を履き出かけることにしよう。


4月の100分de名著は『歎異抄』に出会う

2016年04月05日 | 仏教

 Eテレの100分de名著の放送が毎週月曜日になりました。今月4月の名著は浄土真宗の親鸞聖人の語録『歎異抄』、著者は弟子の唯円という方です。

 ブログの中で自分の考えを語る中で、親鸞さんの歎異抄の引用はかなり多くあります。 改めてこの歎異抄を再考する機会を与えられることに縁を感じます。

 西田幾多郎先生の『善の研究』の中に、

「一たび禁断の果を食った人間には、かかる苦悩のあるのも已むを得ぬことであろう」

という言葉があります。西田先生は、「自分は『臨済録』と『歎異抄』さえあれば生きていける」周囲の方に語っていたそうですが、上記の「一たび」のことばは、だからこそ救われるという親鸞の教えにつながるところがあります。

 悪人であるがこそ

 我の自戒においてかかる苦悩がある。

 歎異抄9章

 「なごりおしくおもえども 娑婆の縁つきて、ちからなくしておわるときに、かの土(ど)へはまいりたきこころなきものを ことあわれみたもうなり」

 道元禅師の言葉『正法眼蔵』には、

 ただ、わが身をも心をもはなちわすれて、仏のいへになげいれて、仏のかたよりおこなはれて、これにしたがひもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをもつひやさずして、生死をはなれて仏となる たれの人か、こころにとどこほるべき

という言葉があります。

 「至心に廻向(えこう)したまえり」が仏の意向。

 人は人になるために生まれ、本当の人になるために生かされている。そのために第二の誕生をむかえ永遠の命の人間となる。

4月の『歎異抄』の放送、それも月曜日に・・・。


心しずまれる者に成るために

2016年02月29日 | 仏教

 昨年の3月末に36年ほど勤めた会社を満期退職し再就職して間もなく1年が経とうとしています。前の会社でも対人関係に悩まされたことはありますが、これほど人間関係に悩まさ悩まされ続ける経験は初めてです。

 上司ではないが、前の会社のOBであり66歳になる男性社員、何かにつけて「60歳になってそんなこともできないのか!」「お前には教えない」「俺はケンカパ早い!」などの罵声と完全無視の態度が続く。

 その男は5月には退職するが、年金生活だけでは生活できないご時世、今の職場を去ることはいやなのはわかるが、上司も年齢的には後輩にあたり、悩まされたとのこと。

「もう少しもう少し、もうじき天国になる」と励まされ今日に至っています。

 実体験をもって自身の精神分析をつづけるのですが、アドラー心理学の言うところの「他人を気にしない」が最良の解決法のように思える。

 相手の枠を考え、それに適合しようとするあまり自己を見失う。

 一点に集中し物事を行っているように見えても、あまりにも周囲を気にするあまり、些細な誤りをしている自分に気がつきます。

 書き込む数字を間違えたり、持つべき品物を忘れたり、痴呆症になりかけているのかと心配したがそうではないらしく、心そこにあらずの自分がそこに生まれているのです。

 これまで精神性を高めたくいろいろと学んできましたが、まさに実践の時到来です。しかし現実は厳しく、己は弱い。それでも後退することはできません。そんな時にいつも聞こえるのが原始仏教典の一夜賢者の偈です。時々ブログにもアップしている偈、詩です。

 一夜賢者の偈はいるいろな仏教学者や僧侶が語っていますが、私がはじめてこの一夜賢者の偈を知ったのは仏教学者の増谷文雄先生の著書でした。最近ではちくま学芸文庫が増谷文雄著『阿含経典』を出されていますが、岩波書店増谷文雄著『阿含経典』現代語訳第五巻(1987年)ほか、『仏陀のことば』(角川選書・p152)などで知ることができます。

 今日は岩波書店の阿含経典を使います(p195-p204)。

 増谷先生は、一夜賢者の偈を掲載する前に次の概説を載せています。

 釈尊が、それら五蘊(ごうん)のありようを通じて、未来のことは取り越し苦労をしないがよろしい、過ぎ去ったことは、いつまでもくよくよしないしないがよろしい、ただ、冷静に、そして力いっぱい、現存するところのものをよくよく観察して、なんの「揺らぐところがなく、動ずることもなく」して、「ただ今日まさに作すべきことを力いっぱい実践すること」がよろしい、「それが人間の最も賢明な生き方である」とといておられるのである。
「一大事とは、今日只今のことなり」とは、かの白隠禅師の師正受老人(信州飯山の正受庵主、的翁慧端(1721年80歳寂)の名言である。

と偈を語る前にこのように解説されています。

 この正受老人(禅師)は、あの真田丸の主人公真田信繁(幸村)の兄で松代藩主の真田信之の実子です。今長野県では真田丸も視聴率が相当に高いとのこと、私も観ましたし歴史好きもあり、昨日は「真田一族」の講演を聞きに行きました。このことについてはブログに書きたいと思っています。

 話が横道にそれましたが、この一夜賢者の偈に似た道歌もあります。

 今今と 今という間に今ぞなく、
 今という間に 今ぞ過ぎ行く。

 覚えやすい歌です。さて一夜賢者の偈です。

< 原始仏教典南伝 中部経典131 一夜賢者経 >

かようにわたしは聞いた。
あるとき、世尊は、サーヴァッテッー(舎衛城)のジェータ(祇陀)林なる、アナータビンディヵ(給孤独)の園にあった。そこで、世尊は、「比丘たちよ」と仰せられた。「世尊よ」と、彼ら比丘たちは答えた。世尊はかように仰せられた。

「比丘たちよ、今日わたしは、<一夜賢者>なる偈について、また、その分別について語るであろう。よく聞いて、じっくり考えるがよろしい。では説くであろう」

「かしこまりました。世尊よ」

と彼ら比丘たちは、世尊に答えた。世尊は、つぎのように仰せられた。

「過ぎ去れるを追うことなかれ
 いまだ来たらざるを念(おも)うことなかれ
 過去、そはすでに捨てられたり
 未来、そはいまだ到らざるなり
 されば、ただ現在するところのものを
 そのところにおいてよく観察すべし
 揺らぐことなく、どうずることなく
 そを見きわめ、そを実践すべし

 ただ今日まさに作すべきことを熱心になせ
 たれか明日死のあることを知らんや
 まことに、かの死の大軍と
 逢わずというは、あることなし

 よくかくのごとく見きわめたるものは
 心をこめ、昼夜おこたることなく実践せん
 かくのごときを、一夜賢者といい
 また、心しずまれる者というなり」

 以上が南伝中部経典131、一夜賢者経あるいは「吉祥(きちじょう)なる一夜」と言われる偈です。

 「ただ現在するところのものを
 そのところにおいてよく観察すべし
 揺らぐことなく、どうずることなく
 そを見きわめ、そを実践すべし」

 五蘊のありようを通して展開される現実、五蘊とは、「色・受・想・行・識」のこと、

1「色」 物質的要素。すなわち肉体である。

2「受」 人間を構成する精神的要素であって、その第一は感覚である。感覚は受動的なものであるから、漢訳では受をもって訳したものと思われる。

3「想」 表象(心に像をえがくこと)である。与えられた感覚によって表象を構成する過程がそれである。

4「行」 意思(intention)もしくは意志(will)といわれる心的過程がそれである。人間の精神は、ここから対象に対して能動に転ずる。

5「識」 対象の認識を基礎として、判断を通して得られる心所である。

この解説は同書の増谷先生の者ですがとても分かりやすいと思います。

五蘊の作用により揺らぐ心とは、

 色を我なりと見、あるいは我に色ありと見、あるいは我の中に色ありと見、
 あるいは色の中に我ありと思う。
 また、あるいは受を我なりと見、あるいは我に受ありと見、あるいは我の中に受ありと見、あるいは受の中に我ありと思う。
 また、あるいは想を我なりと見、あるいは我に想ありと見、あるいは我の中に想ありと見、あるいは想の中に我ありと思う。
 また、あるいは行を我なりと見、あるいは我に行ありと見、あるいは我の中に行ありと見、あるいは行の中に我ありと思う。
 また、あるいは識を我なりと見、あるいは我に識ありと見、あるいは我の中に識ありと見、あるいは識の中に我ありと思う。

ということであり、「現在するところのものにおいて揺るがず」とはどういうことか、

 比丘たちはすでに法を聞いた聖なる弟子であって、すでにもろもろの聖者にまみえ、すでに聖法を知り、すでに聖法に熟達し、あるいは、もろもろの善人を見、善人の法を知り、善人の法に通暁し、かくて、
 色を我なりと見ず、あるいは我に色ありと見ず、あるいは我の中に色ありと見ず、あるいは色の中に我ありと思わない。
 また、あるいは受を我なりと見ず、あるいは我に受ありと見ず、あるいは我の中に受ありと見ず、あるいは受の中に我ありと思わない。
 また、あるいは想を我なりと見ず、あるいは我に想ありと見ず、あるいは我の中に想ありと見ず、あるいは想の中に我ありと思わない。
 また、あるいは行を我なりと見ず、あるいは我に行ありと見ず、あるいは我の中に行ありと見ず、あるいは行の中に我ありと思わない。
 また、あるいは識を我なりと見ず、あるいは我に識ありと見ず、あるいは我の中に識ありと見ず、あるいは識の中に我ありと思わない。

聖法を知り、聖法に熟達した者、善人を見、善人の法を知り善人の法に精通した者ならば動揺しない心、揺るぎなき心になるというはなしです。

 般若心経には「照見五蘊皆空」と書かれています。大乗仏教の「空」の世界です。

 自分という白布を着込んで染められ染まる。

 染められ染まり続けるのは、五蘊のなせるわざ自らおのずからそうなってある、ということです。

 気にしない、気にしない、ときは流れるばかり、自分が主人公であることの自覚、他者の心はわからない。

 そういうこのなんです人生は、そういうものなんです人生は・・・・。


かなしみの哲学

2015年08月23日 | 仏教

 今朝のEテレこころの時代は、帝塚山大学教授西山厚先生の「仏に学ぶ 悲しみの力」というお話でした。

 他人(ひと)からよく「かなしみの哲学」と言われると自ら語られていましたが、

私の(想うところの)仏教ということで次のように語られていました。

 日本の仏教が目指しているのは「さとり」りではないと思っています。これについては異論反論があろうとは思いますが、求めているのは「やすらぎ」だと思っています。
 心満たされてやすらかに生き、心満たされてやすらかに死ぬ。
これが目指すところではないか。

旨を話されていました。

 「老いて死ぬには変わりはないがその中で大きなやすらぎを感じつつ死んでいく・・・」

という言葉も続けて話されていました。

 「やすらぎ」という言葉を漢字まじりで書けば「安らぎ」となります。ここで思い出すのが哲学者の山田邦男先生が同じ「こころの時代」(最近再放送された)「生きる意味を求めて~ヴィクトール・フランクルと共に~」で最後に「安心(あんじん)を求める」自己の心境を語られていましたが、西山先生のこの「やすらぎ」も個人的には同じ響きを持って聞えました。

そして金子みすゞさんの詩が紹介されました。

<さびしいとき>

私がさびしいときに
 よその人は知らないの

私がさびしいときに
 お友だちは笑うの

私がさびしいときに
 お母さんはやさしいの

私がさびしいときに
 仏さまはさびしいの

真に感動的な詩です。

 人は仏さまを拝む存在であるとともに、仏さまに拝まれている存在でもある。
 仏の慈愛の体得とでもいいましょうか、なんとなく安心の世界に(わたしは)置かれます。

 西山先生は、

  日本の仏教が目指しているのは「さとり」りではないと思っています。

といった言葉の心底には、「めざめ」「きづき」があるからだと思います。

「さとり」を漢字で書けば「悟り」であり「覚り」でもあります。

 人をどうしても超越的な力や存在を期待しますが、「悟り」は吾の心の存在であり、「覚り」はまさに吾のめざめです。

 超越の彼岸ではなく、足下の此岸こそ存在のありよう(有様)がある。

 「かなしみの哲学」「悲哀の哲学」

 ネガティブ、ポジティブの二元的相対の世界ではなく、場のやすらぎ、安心(あんじん)こそが今あることの究極なのかもしれません。

「あるということはどういうことであるのか」

という問い。

 倫理学者の竹内整一先生は『やまと言葉で<日本>を思想する』(春秋社)の中で倫理学者の和辻哲郎先生のこの問いについて解説しています。

 和辻哲郎全集第四巻の『続日本精神史研究』の「日本語と哲学の問題」の解説になりますが、

 和辻は、実際に「あるということはどういうことであるのか」という問いを立て、その問いを①「こと」とはなにか、「もの」とどう違うのか、②「いうこと」とはなにか、「すること」といかなる差別をもつか、③「いうこと」とは何人がいうのか、④「ある」ということを問う場合にすでに「・・・・・である」として問うのはなにゆえか、の四つに分けて論じている。とくに、「もの」と「こと」論、「である」と「がある」論をていねいに検討しながら、西洋哲学とは異なる、独自なかたちの存在論・認識論を試みている(上記書p169)

と和辻先生のお考えを書いています。和辻先生と西田幾多郎先生との関係は語るまでもありません。

 話が横道にそれそうですが、西山厚先生は、奈良を足場に30年余り研究に取り組んで、たどり着いた仏教の神髄を語っています、そして今朝は金子みすゞの詩も語られ大いなる観照の世界に落ちつきました。


そっと仏にとられたい

2015年02月25日 | 仏教

 「好いも、悪いも、みなとられ、・・・」という言葉で表現された詩があります。「みなとられ」とは「みんな取られる」「すべて取られる」ということで、捨てるのではなく、何ものかに「取られる」ということです。至極当然の話で・・・つまらん話かもしれません。

 世捨て人、世をはかなんで『下山の思想』のような生き方の中に身をおい苦人は今も昔も変わらないかもしれません。その中にあって何かを求めんとして遊行に旅立つものもあります。空也さん、一遍さんはそういう人でした。世俗を捨てたということで「捨てる」の思想がそこにあります。

 上記の冒頭の句を空也、一遍流に言うならば「好いも、悪いもみなすてて・・・」となるでしょう。

「善し悪しを捨てる」即ち分別界を去る人びと・・・至は無分別智ということになるでしょうか。

 鈴木大拙先生の『日本的霊性』で語られる「妙好人」、著書では蓮如上人に仕えたという赤尾の道宗の話からはじまりますが、何と言っても心打たれるのは、石見の片田舎で一生を終わった浅原才市老念仏者です。

 好いも、悪いも、みなとられ、
 なんにもない。
 ないが楽なよ、安気なよ。
 なむあみだぶつ、皆とられ、
 これこそ安気な、
 なむあみだぶつ。

 さいちゃ、このたび、しやわせよ、
 悪もとられ、自力もとられ、
 疑もとられ、みなとられ、
 さいちが身上まなとられ、
 なむあみだぶつをただ貰うて、
 これで、さいちが苦がないよ、
 これが浄土にいぬるばかり。

 冒頭の句は妙好人の浅原才市翁の冒頭の句だったわけです。

 無我の境地は捨てるが過る世界ですが、才市翁は違うんですね。「とられる」なのです。

この表現の世界の境地というものが空也、一遍を超えているのではないか、そう語るのは唐木順三先生でした『無用者の系譜』(筑摩書房)p51-p55)。

「働くものから見るものへ・・・・見るものから働くものへ」

後半の「見るものから働くものへ」という言葉はありませんが、場における表現とはそういうものではないだろうか、ということを森哲郎先生から教えられたことがありますが、まさにそういう気がします。

「とられる」とは、盗まれるのかも知れません。「そっと」

 何気ない生活のなかで、そっと仏にとられたい。

 他ブログで唐木順三先生の名を見て、このような心境になりました。


「無明」は根源的無知ではない

2014年06月20日 | 仏教

 哲学書などを読むとなるとある程度の言葉を理解するだけの知識を有しなければどうしようもないときもあるのですが、また自分有の理解の中にあったものが別もののように解せる場合があることを知ると、勉強不足を痛感します。

 印度哲学、仏教哲学では無知(無明)と言い、インド哲学では「無知はとは、迷いの根元であり、輪廻生存を引き起こすものである」とか「無知とは、単なる知識の欠如に他ならない。」などと説きます。

 仏教では「無明」という言葉が次のように12因縁説の説の中で使われています。

「無明に縁りて行が生ず。行に縁りて識が生ず。・・・かくの如くにしてこのすべての苦のあつまりが生起す。また無明が残りなく離滅せば、行が滅す。行が滅せば、識が滅す。・・・かくの如くにしてこのすべての苦のあつまりが滅尽す。」

 このように無知(無明)からの状態から始まる縁起の世界、当然に迷いがなくなれば苦は滅することになります。「成りの論理」に固執している仏教における無明が気になります。

 無明から始まり老死に至る道はあまりにも意味を解せず、「無明」を単純なる無知などと理解するよりも、働きのうちにあるものとして理解したほうが個人的にシックリします。

 大正期の仏教学者に木村泰賢という先生がおられて『原始仏教思想論』という書物を書かれています。その中で「無明」を次のように語っています。

 「煩悩の根元は言うまでもなく無明である。然るにその無明なるものは、之を知的に解すれば、要するに無始の無知を指すのであるけれども、之を生命論に関連して考察する時は、寧ろ情意的意義を有するものと見なければならぬ。即ちショーペンハウエルの言葉をかりて言えば生かさんとする面も盲目なる元本的意志を意味すると見るべきが至当であろう。」(同書p135)

 大正末期に無明論争というものがあったことを河出書房の道の手帖『中村元』の仏教学者の津田眞一先生の「中村先生の個性とその仏教学の永遠に反駁を許さぬ存在意義について」という小論に学びました。

 上記の「木村泰賢博士と宇井伯寿博士を後楯とする和辻哲郎博士との間にたたかわされた無明論争」で上記のように「生かさんとする面も盲目なる元本的意志を意味する」(※この部分を「生きんとする盲目的な、しかも元本的意志」と津田先生は記しています)という木村先生に対して和辻先生は無明を「単純な不知の意」と真っ向から反駁した、というのがその論争です。

 中村先生は宇井先生の正系であり和辻先生の語るところを継承することになるのですが、津田の上記の詳論によると中村先生は最後の一歩手前で「無明」の解説に次の言葉を付け加えたというのです。

 「この場合の無明は、知っていてもどうにもならない心の暗黒」(平成6年7月発行になる『中村元選書決定版』第十六巻『原始仏教の思想Ⅱ』p526)

 木村先生はこれをもって中村先生が最後の一歩手前で木村泰賢先生を支持した、というのです。

「心の暗黒」=「無明}

そこに無からの空からの「働き」という形成の性(さが)を個人的に理解します。

 「縁起というもの、----それをわれわれは空と説く、それは仮に設けられたものであって、それはすなわち中道である。」

というナーガールジュナの哲学詩『中論』の詩句がありますが、中道は中庸という思想にもつながるわけで、「無明」というものは「根元的無知」ではないように思います。


説似一物即不中

2014年01月31日 | 仏教

 唐突に禅宗の話です。

 五祖大師(弘忍)が神秀に次のように話す。

 「無上の悟りは、言下に自分の本心を識り、自分の本性が不生不滅であることを見なければならなぬ。一切時中に、念々に自らに見て、すべての存在に滞ることなく、一真一切真で、すべての境に処して自然にあるがままである。このあるがままの心のこそ、真実なのだ。もしそのように見えたら、それが無上の悟りの自己の本性というものだ。」

こう言われた神秀は「心中恍惚として、神思安からず、なお夢中の如くにして行坐楽まず。(精神安からず、まるで夢のように、行住坐臥に心が楽しまなかった。)」という精神状態に陥ったとのことです。

 そして神秀は仏教学を勉強尽くすほどの優秀な僧侶であり自負もあったでしょうが、結局は南にあって「水を担い、柴を運ぶ」慧能が六祖となりました。

 南岳懐譲という僧侶は、この六祖に「什麼物恁麼に来た。(何ものが何に来た。)」と問われ行き詰まり、8年間の修行に身をおく。そして忽然と悟り、あおの有名な「説似一物即不中(説いて一物に似たるも即ちあたらず」を示します。

 禅問答などというものは頭の運動である内は何か当ったように思う境地も、本来あるべき自分にはほど遠く、お師匠は突き放します。

 「本来あるべき自分」

それは、目的物ではなく「今在る場所」、「大切にしまって保管すべき場所」にあるから応えられるもので、南岳懐譲の「説似一物即不中」はその身の内から現れた応えでした。

 そもそも六祖壇経で語られる話は、「神秀と慧能との法の優劣を説くところ、南北両宗の宗我があまりにも露骨で、とうてい祖師慧能のその人の言とは見がたい。」というのが一般的で、作り話に違いありません。

 道元さんの話に「夢中説夢(むちゅうせつむ)」があります。

 これを「所詮こ世は夢のようなもの」「夢のようにはかないものだ」と語るものだなどと安直に応えると一笑に付されるわけで、「この夢のような世界こそ、まさに現実でありこの現実の世界のほかに仏道を行じて行く道はない。」という話です。

 「本来あるべき自分」は現実世界を離れてはなく、凡夫にとっては迷いの世界であり、仏にとっては涅槃なのだとというわけです。悟りの世界とはこの迷いの世界から抜け出すことをいい、迷いの世界の自分(此岸)から涅槃の本来あるべき自分(彼岸)に「うつす」ことのように思います。私というものを大切に保管すべき場所に「うつす」わけですが、自分という唯一の存在がなくなるわけではなく常に同一です。此処を離れてはいません。

 本質的には変わりませんが、此岸と彼岸が限りなく微分され隔たりがなくなれば、「夢中説夢は諸仏なり」と言う道元さんの言葉に、森羅万象に仏があることを知り、「諸仏は風水火なり。」が「わかる」ことなります。

 何が本当であり何が嘘か。

 嘘も本当もあったものではない。

「説いて一物に似たるも即ちあたらず」

「夢中説夢は諸仏なり」

凡夫はそこで迷う。

問答なんていうものは、もともと何も語ってはいない。

語る身の内の保管場所が大事なのだと思う。そのために苦悩し参究することになる。

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不汚染(ふぜんな)というあり方

2013年12月05日 | 仏教

 夏の講演会の延長で信州出身の評論家唐木順三さんの『日本人の心の歴史』(ちくま学芸文庫)をよんでいますが、その中に道元禅師の『正法眼蔵』第九十一巻の「唯仏与仏」に書かれている「不染汚・ふぜんな」に言及しているところがある、唐木さんは原文のままでは解しにくいので現代文にして、わかりやすく紹介しています。その冒頭部分です。

       
 「悟りの面目は『不染汚』といふことにある。不染汚とは、おのれの計らひによる趣向もなく、またみづからの判断や好悪による取捨もしないやうにとしひて工夫して、趣向をしてゐないと、ひとにつくろつたり、またかくしたりするといふ、さういふやうなこととは全く違ふ。初めから趣向などと緑のない、取捨などを離れた不染汚がある。即ちおのづからの、ありのままの、邪気も計らひも全くない不染汚がある。
 たとへば、ある人に会つたとき、その折の、その際の、その人の顔かたちをみて、これこれであつたと覚えこみ、そしてその上で、あの人はいつもかういふ顔かたちだと決めてしまつたりすることがある。また花や月も、状況によつてさまざまに違ふのに、その時みた花や月を、やがて花、月一般に及ぼして、花とはかういふもの、月とはしかじかと、自分の心でみた光色を加へて月の光、花の色を断定してしまふ。また、春はただ春ながらの心、秋の美しいのもまた美しからざるのもまた秋ながらのおのづからのあらはれで、それはそれぞれいたしかたのないものである。春、秋の景色を己れとは関係のないものだと判断するのはむづかしいことではあるが、然し、たとへば自分自身の姿恰好のことを考へてみればわかることである。自分自身にも、逃れようとしても逃れられない何物かがある。さて、この春の声、秋の声が、己れと関係があるのか、それとも無関係なものなのか、よくよく考へてみるべきである。春、秋の表情は己れの心につもりにつもつて固定してしまつた観念でもない。またいま自分の心に抱いてゐるイメージでもない。
 右のことをおしひろめていへば、いまの四大五蕗、地水火風も、色受想行識も、そのおのおのを、我とすべきにもあらず、また誰とたどるべきにあらず、といふことになる。だから、花や月のもよほす心の色もまた我とすべきではない道理であるのに、それを我と思つてしまふ。われにあらぬを、われと思ふも、それは『さもあらばあれ』、詮かたない。だが、顔をそむけるやうな嫌ひな色も捨てようとしても捨てられず、また好んでそれに近寄りたいと思ふ色もまた長くとどまらない。さういふ取捨選択を離れ、自分のすききらひを超えて、花、月を見るのが、不汚染の面目である。」

「唯仏与仏」をこのように現代文入して紹介されていた(『日本人の心の歴史(上)』ちくま学芸文庫・p184~)。

 唐木さんは、不汚染を無頓着としてこの本では語られていますが、最近の身の上に起きた出来事から「先入観」による災いを感じています。

 自己のはからいがありのままを、そのままにしておれば余計な気をもむこともなかったのですが、報告書一つにしても、すっかり常識的な解釈で先読みをしてしまいます。

 見て読んで理解はしているのですが、思い込みで読んでいる。ある出来事があって対処すべき時にその時点で、常識的に報告すべきところに報告している・・・と勝手に思い、報告者が「問題無し、参考話」という措置欄に書いた書き込みだけで無意識で納得しまう。

 その後その内容が報告すべきところにまったく報告されていないことがわかり、非常に私自身の自覚なさを痛感されました。

 何ごとにもありのままに「不汚染」でありたいと実感したわけです。

 丸い石もあるのだ。

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