崋山は「八幡社」についてどのようなことを記しているか。まず所在地は「上野」だとしている。松林が鬱蒼としていて、本殿のまわりは細かい彫刻が施され色が塗られている。屋根は茅葺。本殿の前に拝殿があり、また舞台もある。境内には金毘羅と王子稲荷が祀られている。神主は篠田中務。土地の人が言うには、ここは八幡太郎義家が奥州追伐の時、旗を立てて勝利を祈願したところであり、勝利をおさめた後、奥羽防衛のためにこの社殿を建立したということであり、そのため鳥居を初めとしてすべてが北向きであるとのこと。当時陣営があったところは現在十六軒と言われている。寿永2年(1183年)に鶴岡八幡宮の社領となり、それにより勧請(かんじょう)されたものであるとのこと。神主の篠田中務の語るところによれば、八幡太郎義家が奥州から帰ってきた時、自らが着用していた甲冑をこの八幡社に奉納したといい、後にこの甲冑は新田万次郎が勧請した八幡社の神宝となったとのこと。神祭は3月と8月15日に行われる。その時には村中の人たちが集まって相撲を取るという。八幡神社が南向きではなく北向きであることについては私も不思議に思っていましたが、奥州(東北地方)を意識したものであるらしいということで合点がいきました。崋山は神主である「篠田中務」と会い、この神社のことについて詳しく聞いていることが、先ほどの記述からよくわかります。 . . . 本文を読む