鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2013.6月取材旅行「大麻生~三ヶ尻」 その6

2013-07-13 06:08:33 | Weblog
崋山が藩祖三宅康貞の旧領三ヶ尻村についての調査記録をまとめたものが『訪瓺録』(ほうちょうろく)であり、それは『渡辺崋山集』(日本図書センター)の第2巻のP63からP158にわたって、その解説や全文・全図絵(「鈴木まさ筆写本を底本とするもの)、およびその頭注や後注が収められています。解説によれば、『訪瓺録』の原本は、豊橋市の画商鈴木氏の手に入り、青森県五所川原の佐々木嘉太郎氏が所蔵するに至ったが、昭和18年(1943年)に佐々木氏宅の火災により焼失してしまったという。この『訪瓺録』のテキストとしては、先ほどの「鈴木まさ筆写本」と「竜泉寺本」の2つがあり、「鈴木まさ筆写本」というのは、豊橋市の画商鈴木氏の娘である鈴木まさが崋山の自筆本を影写したもの。「竜泉寺本」は『新編埼玉県史』資料編10の底本となっており、熊谷市三ヶ尻の竜泉寺に所蔵されているもの。この「三ヶ尻の竜泉寺」というのが、埼玉県熊谷市三ヶ尻の観音山という山の麓にある「龍泉寺」のことであり、この「竜泉寺本」の序文は崋山の自筆といわれ、「図絵」には「梧庵模」または「如山模」の落款があるとのこと。つまり「梧庵」と「如山」が「図絵」を模写したということですが、この「梧庵」とは、『游相日記』や『毛武游記』の旅、そして三ヶ尻調査にも同行している高木梧庵のことであり、「如山」とは崋山の末弟である五郎のこと。崋山は天保2年(1831年)に落成した龍泉寺の仁王門の落成式典に参加しており、また龍泉寺には大麻生の古沢家で描いた「双雁図」を寄贈し、また翌3年には椿椿山(つばきちんざん)の「寒椿図」とともに格天井画「松図」を寄進しているなど、三ヶ尻の龍泉寺とは深い縁がありました。 . . . 本文を読む