鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2010年・夏の山行─竹久夢二の登った須走口登山道 その6

2010-08-11 06:08:40 | Weblog
夢二の「富士へ」には、夢二による挿絵があります。「ちうじき」とある絵があって、小さな囲炉裏を前にして女性が座っており、「胡瓜をつけたのがあります」と記してあります。「ちうじき」とは「中食」のことで、「昼食場」とも「中食所」とも言い、登山者はここで衣服を着替えたり食事(昼食)を摂ったりしました。すでに触れたように、須走口登山道の「中食場」は、『絵葉書にみる富士登山』に載っており、軒先から「マネキ」が無数に垂れ下がる縁台には登山者が休憩をとっている姿が見られます。夢二の絵は、その中食場の一軒の茶屋の内部を描いたもの。簡単な囲炉裏があり、「胡瓜の漬けたのがありますよ」と声を掛ける女性がいる。胡瓜の漬けたものも売っていたことがわかります。夢二とたまきはこの「中食場」でいったん馬から下り、ここで昼食を摂って休憩し、それからまた馬に乗って「駒返し」まで登り、それから徒歩で登山道を登っていったのです。たまきが馬に乗っている絵もあります。馬上のたまきは、菅笠をかぶり、背には蓑(みの)を掛けている。足は脚絆に草鞋(わらじ)。たまきの装いがもっとよくわかる絵もあります。右手には金剛杖を持ち、手甲をし、お腹のところに藁駕籠のようなものを巻いています。砂礫地帯の斜面に立って、下界の方を眺めているようだ。向こうに見える斜面は「砂走り」のある斜面かも知れない。登山者が4人描かれたものもある。姿格好から言って、左から2番目の人物がたまきで、一番左端の金剛杖を持って座っているのが夢二自身かも知れない。頭に被っているのは麦藁帽子。石室の入口左手で、たまきが疲労困憊の顔で石垣に寄りかかっている絵もある。石室の特徴が簡単なスケッチによく捉えられています。右端の棒に風で翻っている四角い布は、富士講の「マネキ」であるかも知れない。背後には富士山頂とその斜面が描かれています。「ヱハガキはいかがですか」と記された絵もある。これは簡単な囲炉裏があることや、窓のようすから二合目の茶屋の中を描いたもの。疲れ切ったたまきが草鞋を履いたまま横になっています。下山する途中、「中食場」の茶屋に休憩した時のようすだろうか。 . . . 本文を読む