鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2010.8月取材旅行「九段下~大手門~皇居東御苑」 その2

2010-08-18 07:46:15 | Weblog
前に初めて皇居東御苑に入って、本丸跡を歩いた時に思ったことは、本丸跡がそのまま残っている驚きでした。「そのまま」というのは、美しく公園化され一部休憩所などがあるものの、他にほとんど建物が建っておらず、だだっぴろい空間が広がっているということ。多くの場合、城跡には諸官庁の建物があったり、学校が建っていたり、文化施設があったりするからです。たとえば隣りの北の丸跡には武道館や近代美術館などがあるように。しかもその空間は、かつて本丸御殿があって、そこに多くの人々が暮らし、また仕事をしていたその生活の臭いというものを全くといっていいほど感じさせない空間になっています。想像をめぐらしながら天守閣跡に登って、本丸御殿跡の空間を見下ろした時、私が思ったことは、毎日の食材を初めとした日用の必需品はどのようにここに運ばれたのか、そして三度三度の食事の調理はどのように行われたのか、毎日おびただしく出るゴミや糞尿はどのように処理されたのか、といったことでした。ここは孤立し密閉された空間ではなく、食材や日用品の調達、ゴミや糞尿の処理といった形で、江戸の商工業者の生産・流通・運搬などの動きや、ひいては近郊農山村との生産・流通・運搬などの動きに大きく支えられていた空間でもあったはずです。現在は、そういった臭いや動きを感じさせる空間ではなく、東京ど真ん中の「御苑」としての、美しく管理されそして整備された空間となっています。前回も今回も、開園まもなくということもあってか、観光客はあまり目立たず、でもそれなりにいることはいましたが、その半数以上が欧米人観光客で占められているように思われました。欧米人にとって、首都東京のど真ん中にあり、東京駅から歩いていける巨大な城跡(江戸城の)は、魅力ある見物先の一つであるようです。 . . . 本文を読む