鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2008.5月「吉原宿・三四軒屋浜」取材旅行 その7

2008-05-21 06:12:44 | Weblog
「Wikipedia」によると、東海道本線の吉原駅が開業したのは明治22年(1889年)の2月1日。かつては吉原駅ではなく鈴川駅と称したという。市街地からはかなり離れた駅ですが、北側のロータリーから少し北に向かって歩けば、すぐに旧東海道の道筋に出ることができます。この駅前に富士馬車鉄道が開通したのは、鈴川駅(現吉原駅)開業の翌年、明治23年(1890年)の6月26日のことでした。この馬車鉄道は後に富士身延鉄道に移譲され、そして大正14年(1925年)に廃止されました。鈴川駅が開業した時に、大宮町(現富士宮市)にも新しい交通機関をという声が湧き起こり、その結果設立されたのが富士馬車鉄道でした。この富士馬車鉄道は、鈴川~大宮間12.4kmを結ぶもので、静岡県下初の馬車鉄道でした。この鉄道を利用したのは、この鉄道設立に大きく関わった地元の製紙会社の荷物車(貨車)が多かったということです。もちろん客車も走っています。明治45年(1912年)、この富士馬車鉄道は富士身延鉄道に買収され、やがてこの富士身延鉄道は富士~甲府間88.1kmを結ぶことになり、これが現在の「JR東海身延線」のもととなりました。さて富士馬車鉄道ですが、この鉄道は、製紙のための原料や製品を輸送する機関として造られたわけですが、この鉄道が開業した明治23年(1890年)1月に富士郡入山瀬村に創設されたのが「富士製紙会社」(第1工場=全国最初の洋紙製造工場)。この「富士製紙会社」の第8工場が新設されると、明治42年(1909年)に加島駅(現富士駅)が開業。それに伴って加島~長沢間(3.2km)に新たに馬車鉄道が敷かれ、先に敷設されていた鉄道と接続されることになりました。この馬車鉄道は大正2年(1913年)に富士身延鉄道に譲渡され、動力も馬車から蒸気に変更され、関東大震災後の大正15年(1925年)に廃止されました。ということは、明治23年(1890年)から大正2年(1913年)までのおよそ23年間、馬が貨車や客車を引っ張って走る光景が見られたことになります。製紙の原料である木材は、富士山の御料林から払い下げられた大量のモミ(樅)・ツガ(栂)・シラベ(白檜)・トウヒ(唐檜)などが利用されたとのこと。大宮から入山瀬や加島などには、それらの富士山からの木材が大量に馬車鉄道によって運ばれたことでしょう。 . . . 本文を読む