鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2008.5月「吉原宿・三四軒屋浜」取材旅行 その5

2008-05-18 05:38:03 | Weblog
あとで「富士市立博物館」に立ち寄った時に、吉原湊と蒲原町を結ぶ「便道」と呼ばれる近道が、明治時代にあったことを知りました。この「便道」は、吉原湊から渡し舟で田子浦地区に渡り、鮫島村や新浜、三四軒屋などを通過して、富士川河口部を再び渡し舟で渡って蒲原に至るルートでした。東海道をそのまま通り、吉原本町を通過していくと、かなりの遠回りになるから、この近道が利用されたのでしょう。この道が現在の県道341「水神田子の浦港線」の原形、ないしそれに沿う道であるに違いない。この近道は、実は幕末にも使われていたのではないか。富士川河口部の渡し舟はともかくとして、元吉原から田子の浦港(「吉原湊」)を鮫島村に渡る舟はきっとあったに違いない。何せここは湊であって、対岸に渡れる舟はいくらでもあったはずなのだから。やはり、代官江川太郎左衛門も堀達之助も、プチャーチンらロシア人たちも、このルートをきっと利用したのだろうと思われてくる。何かそれを裏づける史料が見つかれば、すぐに解決することなのですが……。 . . . 本文を読む