鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2008.5月「吉原宿・三四軒屋浜」取材旅行 その2

2008-05-11 06:32:04 | Weblog
万延元年7月23日(西暦1860年9月11日)の夕刻、暴風雨の中、この吉原宿に江戸方面から入ってきたおよそ100名ほどの、西洋馬にまたがった外国人を含む集団がいました。その一行の中心は、イギリス駐日大使のラザフォード・オールコック。西洋馬にまたがる外国人はすべてイギリス人で、オールコックを含めて8名。それに、護衛と道案内を兼ねた幕府役人(駕籠や馬に乗る)とその従者たち、通訳、駕籠かきや荷物運びの人足たち(乗馬や荷馬を曳く別当を含む)などがその集団を構成していました。オールコックらイギリス人たちは本陣に泊まったはずであり、多くの人足たちは数軒の旅籠に分宿したことでしょう。人足たちの賃金はオールコック(イギリス大使館)から出ていましたから、人足たちは、豪雨の吉原宿の旅籠で、豪勢な食事を摂ったと思われる。彼ら江戸や神奈川からやってきた人足たちは、護衛の侍たちと違って、富士山のふもとの吉原宿にたどりついたことで心は浮き立っています。なにしろ高い賃金がもらえて、しかも念願の富士登山(富士詣で)が出来るというのだから。台風の前触れのような豪雨ですが、台風が通過してしまえばきっと晴れる。人足たちは、その夜は互いに酒を酌み交わし、しこたま酒を飲んだことでしょう。 . . . 本文を読む