「県政オンブズマン静岡(静岡県庁の光と闇)~よりよき未来のために~」管理人のブログ

注)teacupブログから移転の2022年5月以前の投稿には、文字コードの違いから多くの文字化けがあります。

元凶は、責任感の自覚を喪失させた縦割り分業の官僚システム

2010-09-25 22:07:00 | ノンジャンル
今回の対中対応を見てはっきりしたのは現在の政権が政治主導ではないということだ。
では官僚主導かというとそれも違う。

現在の日本を主導するものが不在であるというのが正解だ。
素人でも読める展開(http://navy.ap.teacup.com/hikaritoyami/643.html)に注意を怠り、漫然と邦人の危険を放置した無為は「平和ボケ」という言葉で片づけられるべきものではない。
責任ある地位にある者の誰も、危機にさらされる邦人に対して責任感をもっていなかったということが問題なのである。責任者、すなわちリーダー不在の現実だ。
管轄外だろうとか、誰かが何とかしてくれるだろうとか、結局は自身の責任にはならないようにというのがいうのが、日本の縦割り分業官僚システムの意思決定の特徴だが、政治家もまた内閣という行政システムに組み込まれるやそのぬるま湯に飲み込まれてしまった。

政治主導の本質は単に政治家が右左を決めることにあるのではない。それでは、官僚トップに政治家がとって代わっただけのことでしかないからだ。
政治主導の本質は、政治家が、責任感の自覚を、すべてを自身が負うという覚悟をもって事に当たることにこそある。
国民の生命財産を守る。その使命感の下に。

海保・自衛隊職員始め現場の一兵卒にはまだ使命感・責任感とその自覚が健在なのが救いではあるがこのままではその意思も揺らごうというもの。
捕まえても粛々と釈放と分かっていてどうして命がけで国家の利益を守れよう。
再生のカギは政治家の自覚にあり。刮目して己が一票を投じた政治家の行動を見て叱咤激励すべきである。

亡国の結末、日本は中国外交に惨敗、政治家は役人に判断責任押し付け

2010-09-24 21:17:00 | ノンジャンル
結局、罪状を否認している中国人船長を処分保留で釈放(事実上の不起訴判断)。
名を捨てて実を取るの敗北もあるが、今回の敗北は何一つ理も利もなき惨敗だ。

情けないが、これが現実、これが今の日本政府の能力、そう考えれば死屍累々の惨状となる前に白旗を上げたことは畢竟自己の能力を良く知った賢明な判断というべきかもしれない。

だが、釈放という結果はともかく、そこに至る我が国政府対応の経過・経緯は許しがたい。

まず、戦略も戦術もないまま政府が拘留期限延長を迎えたこと。

対外的に、延長すれば起訴に向けた動きと見られるのは当然であって、中国の抗議が強硬になるのは明白であったにもかかわらず、それに対抗する準備(戦略・戦術)もなく拘留期限の延長を許容したことは、政府の無策を証明するものである。
結果として、時機を逸し、4人の邦人が中国で捕まったことで日本が軟化したと見られることとなって、今後の国際的駆け引きに邦人の身柄が利用されかねず、かくがごとき誤ったメッセージを国際社会に与えたことは最大の国益たる国民の生命を危機に貶めた愚行以外の何物でもない。

次に、那覇地検が釈放判断の酌量理由に政治的判断を加えて発表したこと。

法に従い粛々と判断した上での釈放(不起訴)ならそれは検察官の判断として是とすべきであろう。(もちろんそれを非として検察審査会にという法的手続きも是であろう。)
しかし検察は、捜査継続による我が国国民への影響や今後の日中関係を考慮して釈放(不起訴)としたと公言したのである。
検察官に起訴・不起訴裁量を認めた刑事訴訟法第248条は、「犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としないときは、公訴を提起しないことができる。」としているのであって、まったくの自由裁量ではない。
行政府とはいえ、司法の一端を担う検察が、外交という政策的判断をその裁量に加えて良いはずがない。
今後、在日外国人の犯罪に対して検察官が勝手気ままに外交上の配慮を加えていったらどうなるのか。
そこに司法における平等と公平の正義が、秋霜烈日の検察官の厳格さがあるだろうか。
政策に関しての判断、それはあくまで政治家が責任をもって行うべき判断であり、そのことを理由とするなら政治家であって内閣を構成する法務大臣が法に基づく指揮権を発すべきであろう。
仙石官房長官が検察官による政策上の裁量を「これを了としたい」などとして、事実上政治家としての判断責任を検察官判断になすりつけた姿勢は責任放棄以外の何者でもない。まさに唾棄すべき見解だ。
野党は国民の自尊回復のためにも仙石の首を取らねばならない。
命がけで使命を果たした海保職員も報われない。

脆弱な国家に国民は希望を持てないし、未来もない。
高い授業料を払ったと思って危機管理と外交能力の立て直しを急がなければ、この国は本当に終わる。

国家元首として振舞いたい川勝平太、ついに建国記念式典開催を公言

2010-09-23 21:03:00 | 川勝平太語録
驚いたというよりも呆れる御仁だ。
川勝平太、何と富士山の日にしたばかりの2月23日を「ふじのくに建国日」とし、来年2月23日に「ふじのくに建国宣言」を行う国際色豊かな式典を開催すると県議会で公言したのである。
富士山の日だけでは日本国の休日となる将来の天皇誕生日に対抗できないと考えたのか、建国とまで言い出すとは国辱者だ。

それだけではない。
諸外国との外交を専門とする「地域外交部」を県庁に新設したいとまで答弁したのである。

県の内政を役人に任せて本人は外遊ばかりして接待を受けたり、接待したりしているうちに国家元首か何かと勘違いが生じてきたのだろう。
先日のマスゲーム志向(http://navy.ap.teacup.com/hikaritoyami/644.html)もその現れだ。

今思えば、9月1日の県の総合防災訓練会場で首相ら政府要人に随行をしたものの、案内もせずに距離を取って移動して周囲に不思議がられたのもうなずける。
俺はふじのくにの元首だ、日本の首相に何で気を使う必要がある、という心境だったのだろう。
川勝平太が静岡空港に執着するのもその思考の延長だ。
「川勝知事は、韓国で今月開かれた「世界大百済展」に出席し、韓国の知事らと親しくなった体験談を披露。「外国を訪問して信頼関係を築くと、今度はその方々を招くことができる」と利点を強調し、中国、韓国など近隣の各国を中心に、自治体同士の交流を積極的に促進すべきだとの考えを示した。」(毎日新聞H22.2.23)

接待と接待返しの交流なんて、本当に今の県民が望んでいるのだろうか。
本人の満足感しか見えてこないのだが。
国民の飢えを顧みずに軍拡に走るどこかの元首にも似て裸の王様気分なのだろう。

その外交ツールである空港は今でも40億近い税金投入をしているのだが、厳しい状況は続いている。
空港が無くなっては元も子もないとばかり、駐機スャbトやブリッジの追加整備、着陸料や空港施設使用料など運航コスト軽減につながる就航支援策の検討に入ったと議会で答弁。
具体的には、今年追加の3駐機スャbトに加えさらに国際線用1駐機スャbトとボーディングブリッジの追加整備、着陸料の引き下げ、旅客ターミナルビルの家賃など空港施設使用料の補助だそうだが、利用者が減っている中での設備増強という博打に加え、着陸料の引き下げは高速道路の無料化・定額化などと同じで実質税金での補てんとはいかがなものか。
さらに天下り空港運営会社の言い値で設定されたビル家賃を税金補助で支えるというのはその運営会社に税金を移しかえるに等しい。不透明な役員報酬もさらにやりたい放題になってしまう。闇は深まるばかりだ。

地方分権とか地域主権というが、この現状で進めていっていいのだろうか。
民主主義が未熟な現在の地方行政に権限を与えすぎるのは、子供に拳銃をもたせるようなものだ。
国家たるもの、被害を受けるのはそこの住民だけだからいいとは言えないだろう。

朝日新聞の大本営発表垂れ流し記事

2010-09-22 20:24:00 | ノンジャンル
人類というのは右肩上がりに進歩しているといえるのだろうか。
確かに科学文明の進歩はめざましい。
その意味での生活水準も同様だ。
しかし、人間そのものはどうだろう。

学生のころにNHKの報道部で夜勤のバイトをしていたときに泊まりの記者から聞いた話は今でも警句的に有益なものが多い。
その中に、バイパス推進を主張する側が持ち出した「交通量の増加にもかかわらずバイパス建設が進まないことで交通事故死が増えている。昨年よりもこの地区では2倍に増えた。」というような主張が真実だとしてもそのまま記事にはしないという話がある。
それは、実際調べたら、昨年1件だった事故死者が2件になっただけだったからだという。

その話は本当なのかだけではなく、さらにその根拠を確かめてから記事にしないといけないらしい。
嘘じゃなければいいというものではなく、社会的な影響力を考えれば当然の姿勢だ。

19日の朝日新聞の静岡空港関連の記事に「県空港利用政策課は「2社が競合し、価格が安くなっ ている」と分析。さらにハブ空港である仁川空港から乗り継ぎをして、世界に旅行へ行く利用者も増えた。同課によると、ソウルで乗り継ぐ先の旅行商品は、オーストラリアやインド、 ウズベキスタンなど多岐に及ぶ。駐車場を無料にしていることから、隣県の山梨から静岡空港の利用者もいるという。」とあって、それ以下も県の主張の垂れ流し。

「増えた」とは実際どれくらい増えたのか、「隣県の山梨から静岡空港の利用者もいる」というがどういう利用で何人くらいなのか、まったく分からない。
極端にいえば、10人が11人に増えただけかもしれないし、利用者は3人だけだったかもしれない。
ただ県や学者のコメントを垂れ流すだけならだれでもできる。
マスコミの質も県同様低下しているようだ。
知事会見を聞いていても追及が甘々で誰のために仕事をしているのかという使命感が感じられない。
日本ではこのままジャーナリズムという言葉も死語になっていくのだろうか。

北朝鮮化?4年後に富士山の日取組への県民参加率100%を目指す県庁

2010-09-21 20:01:00 | ノンジャンル
浮「時代になってきた。
安心社会とは程遠い。
事実上絶対的な権力を持つ検察(大阪地検の主任検事)が証拠の改ざん(FDの日付の書換え)をし、無実の者を犯人に仕立て上げようとしたというのだから恐ろしい。
ドラマや映画のフィクションが現実化したような大不祥事だ。
大阪といえば思い出すのが、現役の三井環大阪高検公安部長がテレ朝の取材に応じ、実名で検察上層部の組織ぐるみの「活動調査費横領疑惑」について内部告発しようとしていたその日に少額の微罪で逮捕、拘留し口封じした事件だが、結局はこの疑惑をうやむやにしてきたことによる組織体質の腐敗が減員なのではないのだろうか。
何をしても許されるというおごりと安心感が構成員をも腐敗させたのだろう。
さて、今日の読売新聞に載った「県がバラ色行政案」の記事であるが、中身を見てあぜんとした。
2010年から最初の4年間の目標である基本計画の目標に、「富士山の日」の趣獅ノ沿った取組に県民の100%が参加、というのは自由主義国家の下ではあり得ない数字だ。
北朝鮮の選挙の投票率がほぼ100%近いそうだが、義務でもない行事の参加に100%とは・・・
権力があれば何をしても許されるとでも思っているのか、北朝鮮のように県民を使ったマスゲームでもしたいのかわからないが、とてもじゃないが理解しがたい。

他にもありえない数字が並ぶ。
合計特殊出生率が現在1.43のものが10年後には2.0とするのが具体的目標というのも、何の根拠も見えない。
バラ色というよりも願望、願望というよりも夢想だ。
県庁役人はすでに空港で夢想ともいえる需要予測を行いながらも誰も責任を取らずに済むどころか副知事にまで大出世できるという負の「学習」をしてしまった。

組織が腐敗し、その構成員が腐敗するという負の循環はなかなか止まらないということだ。

これら夢想について、県は形式的・手続的に県民に県の募集を行っている。
以下がそのページだが、(ほとんど無意味なので)暇な人は、県の夢想とその具体策のかい離具合を見て感想でも出してあげてほしい。
http://www2.pref.shizuoka.jp/ALL/shingi.nsf/pc_sosiki/A6924236C2ED74C24925779A002536B8