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競馬スーパースター列伝 vol.1 -ハヤチネ 後編ー

2021年07月16日 | ギャンブル
前回、驚くほど閲覧数が少なく、反響も皆無だった、新企画「競馬スーパースター列伝」。
企画自体は悪くなかったと思うのだが、やはり30年前の2勝クラスの馬に、興味をそそられる方は少なかったようだ。
それでも懲りず、忘れられぬ(注:私が)馬ハヤチネについて、前編で書ききれなかった分を、今回追記させていただく。
今回も、「ネット競馬ドットコム(netkeiba.com)」さんのデータを参考に、ハヤチネの激闘の足跡をたどることにする。

前編では、22戦目(新潟・NST賞)で2番人気に支持されるも、4着に惜敗したことまでを述べた。
以降は再び、根本康広が手綱を取りやがり…イヤ、取ることになり、900万下・芝2000m~2600mのレースを狙って出走するも、
4着、6着、4着、4着、3着、3着、5着、5着と、追い込むも届かぬ、歯がゆいレースが続く
当時の中央競馬は単勝、複勝、枠連しかなく、しかも売上の9割超は枠連であり、
馬券を買ってる側からすれば、2着に入らない馬は、厳しい表現をすれば「用ナシ」なのである。
まあ、1番人気になったのは1度だけだし、そんなに怒っているファンは少なかったはず。
仮に怒ったとしても、「根本が乗ってるんだから買う方が悪い!」と、逆に責められそうだし。

迎えた31戦目こそ、私が初めてハヤチネを生で観戦した競走であった。
日付は1990(平成2)年の5月27日で、東京・芝2400m・900万下条件特別。レース名はダービースタリオンズ・ステークス。
のちに発売された人気ゲームの名前に似ているが、「ダービースタリオンズ」の名のとおり、
父が海外ダービー馬か、日本ダービー5着以内の馬しか出られない珍しいレース。
ちなみに、ハヤチネの父モンテプリンスは、日本ダービー2着だ。
当時の新聞はないが、雑誌の「週刊競馬ブック」が手元に残っていた。
私の家ではスキャンなんてハイテクなこと(?)はできないので、紙面をデジカメ撮影したものを掲載する。アナログですまん。
これが出走馬登録一覧。ここから回避馬が出て、最終的には8頭しか出走しなかった。


一週間前の予想では、ハヤチネにそこそこ重い印が付いているのがわかる。
載っていたのは、日本ダービー特集号。そう、ダビスタSは、ダービーの前座レースだったのだ。

※表紙は、NHK杯(当時はダービートライアル)の勝ち馬ユートジョージ

個人的には、「この日のために 青春賛歌」のコピーがお気に入り。
この年のダービーは東京競馬場に、私を含め19万6517人という史上最多の観客を集めた。

900万下で実績あるハヤチネは、このレースでは相手関係に恵まれたこともあり、2番人気に支持された。
レースでは、道中は後方をトボトボ走り、直線に入ると大外に進路を取り、鋭く追い込んだものの、
先に抜け出していた、岡部幸雄騎乗の1番人気アマミオウジを、クビ差とらえきれず2着惜敗。
…というのが私の記憶であったが、ネット競馬ドットコムのデータによると、ハヤチネは道中7番手で、
勝ったアマミオウジは8番手。ハヤチネより後ろにいたのか! 
どうやら、直線入口でハヤチネに並びかけ、先に仕掛けてセーフティリードを保ったままゴールした模様だ。
クビ差という結果については、さすがは岡部と言うべきか、やっぱり根本と嘆くべきか…。
ただ、珍しいカタカナ4文字の馬が見せた、鮮やかな追込みはインパクトがあり、
「今日は2着惜敗も、ハヤチネは900万下では力量上位。今後も忘れず狙うべし」と記憶したのだが、
結果的にこのレースが、ハヤチネの生涯最後の連対になってしまう。

久々の連対に厩舎側も気を良くしたのか、ハヤチネは中1週で、東京開催の最終週に行なわれる石和特別に参戦。
しかも、騎乗実績のある、ベテラン菅原泰夫騎手に乗り換えて勝負に出た。
2番人気に推されたその石和特別、結果は…11着。敗因はおそらく、1600mという距離であろう。
それまでずーーーーっと芝の2000m以上ばかりを使ってきたのに、マイル戦に出すのは無謀でしょ。
翌週からは福島開催となるため、直線長い得意の府中コースで、勝っておきたかったのかな。

この夏、ハヤチネは函館に出張し、根本よりはマシと思われる鹿戸雄一騎手に乗り替わるも、勝利を挙げられず。
中央開催に戻ると、根本とのコンビが復活するが、やはり惜敗続き。
有馬記念当日に行なわれた、芝2500mのグッドラック・ハンデでは、5番人気6着と相変わらずの成績だったが、
走破タイムは2分34秒6。このあとの有馬記念に当てはめると、5着に該当する。
ハヤチネがGⅠ級の力があることを証明…ってのは無論冗談なので、本気にしないように。
有馬記念では、国民的人気馬のオグリキャップが引退レースで優勝し、有終の美を飾った。

同期のハヤチネも、年が明け6歳(現在の年齢表記)になり、3戦して4着、6着、7着。着差はわずかだが勝てないレースが続く。
そして、1991年3月23日、中山の芝2500m房総特別。通算44戦目のこの競走が、彼女の引退レースとなった。
オグリキャップが、ラストランで突如復活Vを遂げたように、ハヤチネも最後に激走するかも…と、
当時ウブだった私は復活を信じ、単勝と複勝を買ってしまった(たいした額ではなかったが)。
当日は、苦手な不良馬場となってしまい、12頭中9番人気と低評価。
レースでは、いつものように最後方を追走。しかも、馬場の悪い内側を避け、一頭だけ外を走っている。
コーナーを回るたびに前団との差が開いていき、残り600mを示すハロン棒通過時は、すでに勝負圏外。
ハヤチネ最後のレースは、前の馬を1頭も抜くことなく、最下位でゴールした。

生涯成績は43戦3勝。本賞金は1370万円で、獲得賞金は8029万円。獲得賞金とは、実際の賞金の合計額だが、
この他にも、JRAでは出走するたびに約35万円(当時の額、及び制度。以下同)もらえ、
さらに、6~8着までには1着賞金のそれぞれ8~6%分が特別手当として入り、
さらにさらに、5着以内の馬には父内国産馬手当、2000m以上の距離のレースには距離増し手当も出ていた。
父が内国産馬モンテプリンスで、2000m以上のレースばかり走り、だいたい5着に入っていたハヤチネは、
推定獲得総賞金額は、1億円を大幅に上回る、馬主孝行な娘だったわけである。
ただし、馬主の高津文博氏が、愛馬の単勝に大金をブチ込んでいた場合は、相当な損失が出ているが(笑)。
※2023年10月追記 デビュー当初の馬主は高津桂弘さんでした
いずれにしても、重賞どころか900万条件以上のレースに出走しなかった馬で、これだけ稼いだケースはまれなはずだ。

ハヤチネがそれだけ稼げた理由は、大きなケガがなかったことだろう。
デビューから引退まで、約48ヶ月で43戦。ほぼ休むことなく走り続け、もっともレース間隔が空いたときで約3ヶ月。
彼女自身のタフさもあるだろうが、橋本輝雄調教師率いる、厩舎関係者の尽力も大きかったはず。
その中でも最大の功労者が、私がここまで散々批判してきた、根本騎手ではないだろうか。

最近のJRAは、ほとんどの騎手が厩舎に所属せず、フリーで活動しているようだが、
30年前は逆に、フリーの騎手は半分以下で、しかも立場上はフリーでも、どこかの厩舎のお世話になっていたものである。
厩舎に所属するということは、レースの騎乗や調教だけでなく、馬の世話をすることだってある。
常日頃から馬と接していれば当然、レースにだけ乗るフリーの騎手よりも、体調の変化を敏感に察知できる。
月イチペースで出走していたハヤチネだが、ときには体調が悪いこともあったに違いない。
そんなときも、根本ならすぐに気づき、「今日はちょっと無理しないでおこう…」となるのではないかね。
実際、引退レースは明らかに、「無事にレースを終えること」を優先していたように見えた。

前編で、「根本ではなく岡部だったら、ハヤチネはもっと出世していた」のような持論を述べたが、
逆に、勝負に徹する岡部が騎乗していたら、ハヤチネは故障に追い込まれ、引退が早まった可能性もある。
なお、岡部の名誉のために追記するが、彼は馬に無理をさせない「馬優先主義」をモットーとしており、
直線の途中で勝利は無理と判断したら、平気で追うのをやめていた…それもどうかと思わされたが。
無論、勝てると思えば容赦なく追い、馬の力を存分に引き出す分、負担も大きかったはず。

これも前編で触れたが、ハヤチネの後方待機からの直線勝負、という戦法について、
根本は「ああいう競走しかできない」と語ったものだが、本当は、馬に無理させないためのウソだったのかも。
ワンパターンと批判され、私のような競馬を覚えたてのシロウトにも「ヘタクソ」呼ばわりされた根本だが、
実際は、馬の敗因をすべて自分が背負おうとした、心やさしい好漢だったのかもしれない。
付け加えると、最近の競馬でフリー騎手が多いのは、厩舎が騎手の受け入れを拒むから、との意見もある。
馬の世話だけでも大変なのに、騎手の育成なんて面倒だ。自厩舎で育てなくても、達者な騎手に依頼すればいい、というワケか。
日本人騎手が大成せずにやめていき、外国人騎手が勝ちまくる現状を、マズいと思わないのかね。
そんな中、時代に逆行するかのように、3人もの所属騎手を抱えている厩舎が関東にある。
その調教師とは、もうおわかりだろうが、騎手を引退した根本康広師である。

本稿の結論として、
○ハヤチネは競走馬としては成功だった 
○その最大の功労者は、主戦騎手の根本康広だった

ううむ、なぜだか当初の予定とは違う結論になっちまったな。
なお、わかっているとは思うが、私は根本とは会ったことも話したこともないし(ヤジったことはある)、
彼がハヤチネの体調を気遣い、手を抜いたウンヌンというのは、すべて私の妄想なので、本気にしないように。

以上、自分の思い出に妄想を交え、ダラダラと語ってしまったが、
次回の『競馬スーパースター列伝』は、もっと皆さんの興味を引くような、メジャーな馬について綴るつもりだ。
現時点では「幻の最強馬・ユーワアトラス」の予定。えっ、あんまりメジャーじゃないって!?
一応、1500万下(現3勝クラス)だったので、ハヤチネよりは格上なのだが…。
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