しろくま日記

読んだ本の感想を記録してみたいと思います。
なんだか忘れてしまうので。

2015年読書振り返り

2016-03-26 | 本リスト
もう4月が近いですが….。
昨年読了した本は「ストーカー」ですべて感想を書き終わったということで一応恒例ということで(2014年)振り返ってみます。

2015年読んだ本は「2010年宇宙の旅」から「スト-カー」まで35冊、2013年が61冊、2014年が65冊ですから大幅に減っています。

6月に仕事の関係で異動がありその前後と異動後しばらくバタバタしたたのが主因ですが、読書そのものに少し飽きていたのかもしれません。

ただここ数年重点分野にしている海外SFは'13年の43冊には遠く及びませんが、'14年の28冊(うち長編24冊)に対し'15年は20冊(全部長編)といい線いっています。

'15年は割と長い作品を意識的に読んでいたので、SFを読んだページ数にすると'14年より多いくらいかもしれません。
「新しい太陽の書」1-4でも1冊カウントですから…。)

その他も長めな本が多かったので冊数だけでははかれないかなぁとは思いますが...。
まぁ'14年からは激減した感があります。

ということで'15年の読書の振り返り、全体感としては長年の懸案(30年くらい)だった「楡家のひとびと」「背教者ユリアヌス」を読了できたのはなにやら感慨深いものがあります。
「2001年宇宙の旅」シリーズを完読できたのもまぁ長年の懸案をかたずけられたかなぁという感があったような...。

それほど長年の懸案ではありませんが「新しい太陽の書」「ハイペリオン四部作」後半2作(「エンディミオン」「エンディミオンの覚醒」)を読んでシリーズ完読できたのも何やら懸案をかたずけたようで地味にうれしかったりします。

一方で15年初にはピーター卿シリーズの長編全作読破しようと思っていたのですが、一冊も読めませんでした...。
こちらは今年に持越しです。

アシモフのSF作品読破の方は15年は長編2冊(「宇宙気流」宇宙の小石」)を読みましたがなんとなく今年も無理な気が...。

というような全体感ですが、個別には印象に残った作品は少なかった気がしています。
15年に印象に残った作品は、

・「城の中の人」星新一
「楡家の人びと」北杜夫

の2作がとびぬけでいたなぁというイメージ。

とくに「城の中の人」は表題作のあまりのブラックさにしびれました….。
好き好きあるでしょうが私的には歴史に残る名作と思います。

「楡家のひとびと」は世の中の評価もとても高い作品ですので当たり前といえば当たり前なのですが、北杜夫の代表作ににふさわしい出来栄えでした。
とても一言では感想は言えませんが読中、読後いろんな感情が湧いてくる作品です。
日本文学史上に残る名作ではないでしょうか?

あとは「新渡戸稲造」杉森久秀 はまったく期待せずに読んだのにいい本でした…。
いとま申して」北村薫 もなかなか...ですが単行本で出ている続編を買うまでには至っていません(文庫出たら買うつもり)

一方SFは、妙にSF慣れしてしまったせいか、15年は心の琴線に触れる作品には巡り会えませんでした。
面白い作品は多かったんですけれどもねぇ。

その中で印象に残っているのは「新しい太陽の書」「光の王」の2作かなぁ。
2作ともなんとも不思議な世界観が印象に残りました。

コニー・ウィリスの「航路」は「うまい」とは思うものの...それだけな感じを受けてしまった…。

アシモフの「ネメシス」は「巨匠アシモフにしてここまで迷走してしまうのか...」という意味では印象に残ったりはしましたが...。(笑)
まぁアシモフは短編見ても勢いで書いていル部分も多そうなので。(ネメシスの序文もそんなことが...)当たり外れは多いんでしょうね。

まぁ16年もボチボチと読書に励みたいと思います。
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ストーカー アルカジィ&ボリス・ストルガッキー著 深見弾訳 ハヤカワ文庫

2016-03-26 | 海外SF
本書が昨年(2015年)年読了した最後の本となりました。
‘12年ローカス誌オールタイムベスト32位、1972年刊(77年、80年改訂)刊行。
長らく絶版となっていたようですが2014年に一部改訳され刊行されようです。

‘15年の読書を振り返るなかで、「'12年ローカス誌オールタイムベストどれくらいよんだかなぁ」と見返して本作を読むと33位まで完読となることを発見したためアマゾンで新品を入手しました。

本書とは関係ないですが、'12年ローカス誌ベスト作品、3年越しで「まぁそれなりに読んだものだ...」としばし感慨にふけりました。

(上の画像青塗りが読了済です。)

34位の「Stand On Zanzibar」は未訳のため、私には読めないので(汗)抜かすとして...。
この後も順次読んでいくつもりです。
(「Stand on Zanzibar」は1969年のヒューゴー賞受賞作品ですが、日本の翻訳家の評判悪く未訳のようです)

著者のストルガッキー兄弟はソビエト時代のロシアのSF作家。
本作は「惑星ソラリス」を監督したタルコフスキーによる映画作品、また作品世界を表現したゲームでも有名なようです。

内容(裏表紙記載)
何が起こるか予測のできない謎の領域、ゾーン。地球を訪れ、地球人と接触することなく去っていった異星の超文明の痕跡である。その研究が進められる中、ゾーンに不法侵入し、異星文明が残した物品を命がけで持ちだす者たち“ストーカー"が現われた。その一人のレドリックが案内するゾーンの実体とは? 異星文明が来訪したその目的とは? ロシアSFの巨星が迫力ある筆致で描く、ファースト・コンタクト・テーマの傑作


上記にもあるとおりファーストコンタクトの名作とされているようですが、実際に異星人とは遭遇しません。
異星人が(ではないかもしれないですが)残した「領域」=「ゾーン」をめぐる事件・人々を描いた作品です。
原題を直訳すると「路傍のピクニック」のようで、ピクニックした後残されたゴミやらなにやらはそこにいるアリにとってどう見えるか?
という発想のようです。

形式的には時系列的につながった4つの短編から出来上がっています。
構成
・ワレンチン・ビルマン博士が19××年度ノーベル物理学賞を受賞した際、ハーモント放送局の特派員がおこなったインタビューからの抜粋
1.レドリック・シュハルト。23歳。独身。国際地球外文化研究所ハーモント支所所属実験助手
2.レドリック・ショハルト。28歳。既婚。職業不定
3.リチャード・H・ヌーナン。51歳。国際地球外文化研究所ハーモント支所勤務。電子機器納入業者検査官
4.レドリック・シュハルト。31歳
ゾーンに入り込み、法や危険をおかしながらお宝をかすめる「ストーカー」なる人物「シュハルト」が主人公といえる人物。

ゾーンに入ってのチリチリした緊張感の中での活動の描写が見事ですが、シュハルトの心情が歳を重ね、家族もできていくなかで変化していくのも趣深かったです。

31歳の妻と子供をもったシュハルトと23歳の怖いもの・守るもののなにもないシュハルトでは同じ価値観ではあるのですが...別人のようになっています。
31歳のシュハルトの方が強い面もあり、弱い面もある、成長なのか退歩なのか...。

そんな31歳のシュハルトが「なんともならない状況」ラストで家族のための希望を探し求める姿...切ないです。

いろいろ考えさせられる作品でした。

ロシア、東欧のSFはアメリカの「娯楽」的位置づけでなくより文学な方向で進化したんですね。
「ストーカー」の危険をおかすストイックな無法者的描写はのちのサイバー・パンクにも影響を与えているのかもしれませんね。

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航路 上、下 コニー・ウィリス著 大森望訳 ハヤカワ文庫

2016-03-20 | 海外SF
古典的名作「トリフィド時代」の後は一気に21世紀まで下り本書を手に取りました。
これまた「犬は勘定に入れません」読了後ブックオフで入手はしていました。

が、かなり分厚い上下巻(1300ページ)にびびって読みだせずにいました。
感想を書く本もかなりたまっていた状態だったので手に取った動機には「読むのに時間がかかる本もいいかなぁ」という気もあったりしました。

本書は‘12年ローカス誌21世紀ベストで50位、SFマガジンベスト’06年35位’14年18位、2001年の刊行です。

訳者でSF評論家でもある大森望氏は訳者あとがきで「自分が十数年訳してきた40冊近い本の中では、まちがいなくベストワン」「10年に一度の傑作」といっています。
私的にもウィリス作品は「ドゥームズディ・ブック」「犬は勘定に入れません」は読了済でその力量は信頼しており「まぁ外れないだろう」という期待を持ち読み始めました。

内容紹介(裏表紙記載)
上巻:
マーシー総合病院で、臨死体験者の聞き取り調査を行っていた認知心理学者のジョアンナは、神経内科医のリチャードから新規プロジェクトへの協力を求められる。 NDE(臨死体験)を人為的に発生させ、その時の脳の活動を詳細に記録しようというのだ。 しかしその実験にはトラブルが続出し、被験者が不足してしまうジョアンナはみずからが被験者となることを申し出るが、彼女が疑似臨死体験でたどりついた場所は・・・・・・!?

下巻:
暗礁に乗り上げた研究プロジェクトを救うため、ジテタミンを投与されたジョアンナが疑似臨死体験のなかでたどり着いた先は、思いもかけぬ場所だった。自分は確かにここを知っている。なぜ、どこなのか思い出せないのだろう?ジョアンナは答えをもとめて必死に調べ始める。なんども臨死体験を実験で繰り返し、ついに突き止めた真相は、まさに予想だにしないものだった!ローカス賞に輝く読み始めたら止まらない感動作。


読んでいる最中また読了後も感じたことは「これはSFなのか?」ということ。
設定的にはほぼ現代、仮想テクノロジーとしてはほぼ「ジテタミン」のみ(他にも脳モニターやらあるようですが)のみ。

ひたすらマーシー総合病院の迷路のような通路を駆け抜けるのと、臨死体験の説明にページが費やされていきます。
SFというよりも臨死体験をテーマにした医療ミステリーといった感じです。
宮部みゆきが書いた瀬名秀明の「BRAIN VALLEY」のよう」といった評もあるようですが言われてみるとそんな感じです。

ウィリスお得意の「お邪魔な」人たちも随時主人公たちを邪魔しますが、「ドゥームズディ・ブック」や「犬は勘定に入れません」の方がイライラさせられました。
大森望氏は技巧の限りをつくした作品的なことを書いていますが、私には前二作と比べると非常にストレートな作品と感じました。

玄人をうならせながらも素人読者には技巧を感じさせない……。
超絶技巧なのかもしれませんね。

ただ私の好みは、「ドゥームズディ・ブック」>「犬は勘定に入れません」>「航路」となります、まっ素人ですから(笑)
また大森望氏は本作「ドゥームズディ・ブック」の3倍泣いたと書いていますが、私は逆でした...。
人それぞれ好みも涙腺の勘所も違うんですね。

と本作をけなしているような文章ですが、1300頁の大作、先がものすごく気になりながら一気に読んでしまいました、傑作だと思います。

私の感じとしては本作のテーマは人間の「意志」ではないかと感じました。
どんなに困難な状況、理不尽な「死」「病気」「痴呆」「状況」であったりして、解決できないにしてもとにかくそれに向かい合う「意志」をストレートに描いていました。
ときには遺志であったりも…。
(と書くとなにやらシリアスなお話のようですが基本コメディタッチで展開していきます)

とくにヒロインであるジョアンナのまっすぐな「思い」というか、いろんな意味で善良かつ健全であろうとする「意志」に圧倒されます。
第一部ではその「思い」「意志」がストレートに紹介され、第二部で空回りし出します。
なんとかその空回りも解決しそうなところでの第二部ラストには唖然としました…。

第三部でも「ヒロイン」の「意志」は貫かれるわけですが、なんともせつなくやるせない状態になります。
そうなっても私の場合「涙」というよりは「共感」「応援」的なものがメインの感情でした。
大森望氏の号泣したという「58章」ではさすがに目に涙がウルウルしましたが….。
この「58」という数字にも第1部から伏線が張ってあり、その他にももう一度読み返せばあちこちに周到な伏線が見つかるんでしょうね。

ただ今回は「個人の思い」をストレートに感じられる感動作、上質なエンターテインメント作品として楽しめました。

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トリフィド時代 ジョン・ウィンダム著 井上勇訳 創元推理文庫

2016-03-18 | 海外SF
エンディミオンの覚醒」の後は、古典的名作SFである本書を読みたくなり手に取りました。
本そのものは一昨年あたりにブックオフで見かけて購入済み。

12年ローカス誌オールタイムベスト48位、1951年刊行です。

SFマガジンのベストではランクインしていないので少なくとも現代日本ではそれほど評価高くないんでしょうねぇ。
私が小中学生頃(1980年代)から古典的名作として名高く、知ってはいたのですが未読でした。
ジョン・ウィンダムの作品は星新一翻訳の「海竜めざめる」は読んだことがありますが…ほとんど覚えていません。
 
内容紹介(裏表紙記載)
その夜、地球が緑色の大流星群の中を通過し、翌朝、誰もがこの世紀の景観を見上げた。だが翌朝、流星を見た者は全員が視力を失ってしまう。狂乱と混沌が全世界を覆った。いまや流星を見られなかったわずかな人々だけが文明の担い手だった。しかも植物油採取のために栽培されていたトリフィドという三本足の動く植物が野放しとなり、盲目の人類を襲いはじめたのだ。 人類の生き残る道は?


80年代、90年代の米国SFを読んでから読むと、ウェルズの流れを汲む古典的英国SF的世界がとても落ち着きました。
「サイエンス」という意味では人間が視力を失うに至る流星の光線や、食人植物トリフィドについても原理的説明や謎解きはなく、特殊な状況下での人間のモラルや社会性を問うのがメインテーマの作品です。
セリフよりも主人公の内面を追ったり情景描写も多いので「娯楽作品」を求めて読むと調子が狂うかもしれません、教養小説的要素があります。
(字も小さいし)

「自分だったらどうかなぁ?」と自問しながら読みましたが「古い?」と思うところもありましたがそれほど違和感はありませんでした。
まぁモラルや社会性などはそれほど変わらないものなのかもしれませんね。
「自動運転車」などが出てくれば変わるのかもしれませんが60年以上経ってもあまり状況は変わらないような気もします。

設定についてですが「目が見えない」ということだけで人類がここまで「何もできなくなってしまうかなぁ?」とも思いましたが、大部分の人間の視力が失われたら現代でも大混乱にはなるでしょうねぇ、ネットワークは進歩していますが聴覚ではなく基本視覚情報ですもんねぇ…。
人間の「文明」というのはかなりの部分を視力に頼っているんですねぇ、ここに着目するのにはなにかモデルがあったのかもしれませんが新鮮な視点でした。

「トリフィド」というなにやら異質な存在も「植物」に対してはなにやら漠然とした「異質感」を持っていたんだなぁと改めて気づかされました。
倒しても倒してもきりのないのが不気味です...。

さてそのような異質な世界で本作の主人公ビル・メイスンは大多数の人たちが視力を失う中、幸い(?)にして視力を失わずにすみます。

大混乱のロンドンや次第に繁殖をして人を襲い始めるトリフィドとの戦いの中、二転三転「どうなるんだろう?」という状況に陥りますが、最後にはヒロインと結ばれるという筋立てとしては単純な作品だったりしますが、行動を取るにあたって「モラル」を自問自答し社会的にも問われるところがなんとも古典的ではありました。

現代においてはストレートにモラルを問う教養小説は成立しにくくなっているかと思いますが、このストレートさが逆に新鮮でした。

二転三転ありますが最後は主人公とヒロインにとっては割とハッピーな展開であり読後感もさわやかだったりします。

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エンディミオンの覚醒 上、下 ダン・シモンズ著 酒井昭伸訳 ハヤカワ文庫

2016-03-12 | 海外SF
エンディミオン」に続いて読みました。
ハイペリオン」4部作完結編、1997年刊行。

「エンディミオン」でも書きましたが「ハイペリオン四部作」は'06年SFマガジンオールタイムベストで第8位'14年でも12位と日本では(も?)とても人気の高い作品です。

読了できてとりあえず「読んだよ!」といえるようになりうれしいです。
(少しSFファンに近づいたか?)

上巻:
人類がカトリック教会、パクスの支配下におかれた32世紀。惑星ハイペリオンの青年エンディミオンは、老詩人サイリーナスの依頼で“時間の墓標”から現われた少女アイネイアーをパクスの手から守りぬき、地球にたどりついた。それから4年、アイネイアーは、人類の救世主たる自らの使命を果たすべくパクス支配領域への帰還を決意する。そして彼女と行動をともにしてきたエンディミオンもまた新たな冒険へと旅立つが・・・・・・。

下巻:
エンディミオンとアイネイアーたちが地球をあとにしていた頃、新教皇ウルバヌス16世率いるパクスは、さらなる勢力拡大のため、非キリスト教徒であるアウスター討伐の十字軍遠征を開始しつつあった。これを裏で操るAI群“テクノコア”は、パクスを脅かす存在であるアイネイアーを捕らえるべく、恐るべき追手を送りだした!はたしてアイネイアーの、そして人類の運命は…?ハイペリオン・シリーズ四部作、ここに完結。


これで4部作完読となったのですが、正直な感想は「ハイペリオン」シリーズ「後にいくほどレベルが落ちていっているなぁ」というものでした。
「ハイペリオン」>「ハイペリオンの没落」>「エンディミオン」>「エンディミオンの覚醒」という感じ。
シリーズものは前作を超えるぐらいでないと評価受けにくいのもあるでしょうがちょっと残念ではありました。

「エンディミオン」と同様に本作もまぁ面白く読めましたし、様々な惑星のイメージ、宇宙に適応した人類の姿の描写など素晴らしい点が多々あり上下巻合わせて1400ページの大作をこのレベルでまとめるのはなみなみならぬ手腕だとは思いました。

あと前作同様エンディミオン青年の悪戦苦闘ぶりのくだりは楽しめました~。

でも、全編通じシリーズをなんとかきれいに完結させようというご都合主義的ねじまげ(サイリーナスおじさんの勘違い等々)が透けて見えるのと、底面に流れる「全宇宙意志」とか「東洋思想礼賛(でもないのかしら?)」、アイネイネーを「救世主」として紋切型に描いてそれを崇めたてる人々たちといった部分がどうにも好きになれないため読んでいてずっと違和感を持ちました。
「超越者」「超越界」的なものを素直に受け入れられるのかどうかなのでしょうが、ここまであけすけに書かれてしまうと(私は)興ざめでした。

系統的には「異星の客」(ほどトんでも本ではなかったですが)、「エンダーの子どもたち」と同様な感じ。
シリーズ完結編ということで共通の「エンダーの子どもたち」に近いかなぁ。

シリーズものは1作目の出来と比べてしまうので厳しい...。

カッサード大佐やレイチェル・ワイントラウブなど「ハイペリオン」「ハイペリオンの没落」で強烈な印象を残した登場人物が、後日談と帳尻合わせのためにでてくるものなにやら残念な気もしましたしシュライクの正体も「ハイペリオンの没落」でカッサード大佐との死闘に感動した身としてはちょっと...。
「シーユーアリゲーター」もあまり軽く使ってほしくない気も...。

ストーリー的破たんはあまりないのですが日系らしいバクス側企業団CEOのイソザキ氏がもっと活躍するのかと思ったのに尻すぼみであったのが残念でした…。(最初はもう少し出番多くするつもりだったんだろうなぁ)

このシリーズに特徴的なメタSF的要素アウスターの構築するダイソン球的世界もでてきたりしますが本家の「リングワールド」の神経症的な書き方の方が全然好きだなぁ…。

などとネガティブ評価多い感想ですが「ハイペリオン」シリーズに手を染めたらここまで読まないとおさまらないかと思います。

読了後の感想は人それぞれでしょうねー。

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