しろくま日記

読んだ本の感想を記録してみたいと思います。
なんだか忘れてしまうので。

スローターハウス5 カート・ヴォネガット・ジュニア著 伊藤典夫訳 ハヤカワ文庫

2013-09-27 | 海外SF
「タイタンの妖女」を読んでいる途中で、ヴォネガット作品のトーンがなんだか気になって、他の作品も読みたくなり職場近くの本屋で新品を購入しました。

ブランドに弱い人なのでヴォネガットが「現代アメリカ文学を代表とする一人」といわれ、本作「スローターハウス5」がタイム誌(英語小説)100選に入っていたりするらしくなんだか偉そうなのも「読んでみようかなぁ」と思った理由だったりします。

ちなみにタイム誌の英語小説100選ですが、タイム誌創刊の1923年以降の作品で選んでいて、SF(のくくりに入れることできるもの)では
・スローターハウス5(本作ですね)
1984年
ニューロマンサー
・時計仕掛けのオレンジ
・ユービック
・スノウ・クラッシュ
(・指輪物語)
がありました。

アメリカでは日本よりSFの地位が高いのか質が高いのかわかりませんが、結構選ばれてますね。
でも、アシモフやハインラインなどエンターテインメント色の強い作家は選ばれていませんが....。
日本でこのような企画があったとしてもSFが入ることはなさそうな気がします。
「第四間氷期」や「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」辺りがSFだとすれば入って来るかもしれませんが...。

ちなみに日本の小説ではどうかな?とネットで探したら海外サイトgoodreadsでBest Japanese booksなるものが出てきました、ベスト10中7作品が村上春樹と圧倒的...。
(100作品中17作品、SNSなので投票で変わるようなので確認した9/25現在の数字です)

ということで脱線しましたが「スローターハウス5」
内容(裏表紙記載)
時の流れの呪縛から解き放たれたビリー・ビルグリムは、自分の生涯の未来と過去を往来する、奇妙な時間旅行者になっていた。大富豪の娘と幸福な結婚生活を送り・・・・・・異星人に誘拐されてトラルファマドール星の動物園に収容され・・・・・・やがては第二次世界大戦でドイツ軍の捕虜となり、連合軍によるドレスデン無差別爆撃を受けるビリー。時間の迷路の果てに彼が見たものは何か?著者自身の戦争体験をまじえた半自伝的長編。

ちなみにタイトルのスローターハウス5は「場五号」の意味だそうです。

感想を一言で言えば....「つまらない」(笑)
筋を説明するとすれば、上記の裏表紙記載の内容紹介文のとおりなのですが...。

「タイタンの妖女」でのラムフォード同様、この作品の主人公ビルグリムは全時的視野を得るわけですが、「痙攣的」なため自らの意志で自由に行き来ができません。
そのため超人性を発揮しないでただただ自分の生きてきた時間を漂います。
この作品、全登場人物が「超人性の発揮」をしないのでどうにも盛り上がらない...。

場面場面では「おっいいなぁ」と思うこともあるのですが、途中で主人公がタイムスリップしてガクッときます、タイムスリップ先も脈力はない感じ。

「世間の評価が高い作品なんだからそのうち面白くなるだろう」と読み続けましたが山場がないままラストを迎えます。
トラルファマドール星の話も展開に無理があるような...。

エンターテインメント小説的に読むとどうにもつまらない小説だと思いました。
「タイタンの妖女」の方がストーリーもあり、ちゃんと「SF小説」していましたね。

「反戦小説のようなもの」と著者が作中語っていますが、果たして「反戦」なのかもよくわからない。
各種解説ではこの作品の焦点になっている「ドレスデン無差別爆撃」についても荒涼とした状景などは印象に残りましたが、具体的に善悪を論じてはいません。
私はなにやら無力感と運命的なあきらめのようなものを感じました。

ただ読み終わって、なにかこうもやもやした感情が残る。
そういう作品です、作中の言葉を借りれば「そういうものだ(So it's goes.)」でしょうか?

印象に残ったのは、登場人物の一人で三文SF作家のキルゴア・トラウト(ヴォネガットの他の作品にもよく登場しているらしいです、モデルはSF作家のスタージョンともいわれているらしいです)の短編「宇宙からの福音書」。

宇宙人の新約聖書の解釈は「有力なコネを持った人をいじめてはいけない」という教訓のお話というもの。

「タイタンの妖女」のラムフォードとコンスタントを思い出しました。
コネを持っているラムフォードと持っていないコンスタント...。
そういわれればラムフォード=キリストという見方もあるなぁ。

欧米人の書く小説だけに、キリスト教の話はよく出てきますね、その辺抑えていないとよくわからないのかもしれません。

この作品にはトラウト以外にも、この作品より前に書かれたヴォネガットの小説に出てきた人物、ローズウォーター、キャンベル、タイタンの妖女に出てきたラムフォードの先祖かと思われるラムフォードが登場してきたりもします。

その辺の作品も読んでおかないと十分理解できないのかもしれませんね。

あと、初期の村上春樹作品が「この作品を下敷きにしたのでは?」といわれているようですが私はあまり類似点を感じませんでした。
前に「長いお別れ」を読んだ時の方が文体の類似点を感じました。
この作品に比べれば村上春樹の方がはるかにエンターテインメントではあります。

とにかく現在の私にはこの作品の面白さが理解できませんでした。
他のヴォネガット作品を何冊か読んでから読めばまた違う読み方ができるかもしれないのでいつの日か再読したいなぁとは思います。

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タイタンの妖女 カート・ヴォネガット・ジュニア著 朝倉久志訳 ハヤカワ文庫

2013-09-20 | 海外SF
宇宙の戦士」が思いっきりストレートな作品だったので、変化球気味かつ古めの作品を読もうということで本書を手に取りました。

先月錦糸町のブックオフで見かけて450円で新版を購入したのですが....。

その翌週ぐらいに蒲田のブックオフで旧版が105円で売っているのを見つけ改めて購入。

ハヤカワ文庫は字が小さくて凝縮している旧版の方がなんだか好みです。

両方、和田誠氏の絵が表紙ですが微妙に違っていたりします。
(後で新版を見てみたら訳を見直したり、この作品の大ファンの太田光氏があとがき的なものを書いていたりしています)
本書は’12年ローカス誌オールタイムベスト91位、’06年SFマガジンでは49位となっています、1959年出版。

昔から作品名はなんとなく知っていたのですが、なにせ「タイタン」の「妖女」ですからねぇ、古典的なスペースオペラだとばかり思っていました...。

今回海外SFを読みだしていろいろ情報が目に入り知ったのですが、この本の著者カート・ヴォネガット・ジュニア氏、SFだけでなく「現代アメリカ文学を代表する一人」なんですね。(出典:wikipedia
日本でも初期の村上春樹作品はヴォガネットを下敷にしたといわれているようでSFファン以外に村上春樹ファンにも人気のようです。

ただ有名になったのは1960年代中盤以降のようで、この作品は発表した時点ではそれほど話題ならず後から再評価されたようですね。

内容(裏表紙記載)
すべての時空にあまねく存在し、神のごとき全能者となったウィンストン・N・ラムファードは、戦いに明け暮れる人類の救済に乗り出す。だが、そのために操られた大富豪コンスタントの運命は悲惨であった。富を失い、記憶を奪われ、太陽系を星から星へと流浪する羽目になったのだ。最後の目的地タイタンで明かされるはずの彼の使命とはいったいなんなのか? 心優しきニヒリストが人類の究極の運命に果敢に挑戦した傑作!

この内容紹介もなんだかとてもスペースオペラっぽい....。
思いっきり勘違いして読み出して、最初だけ読んでやめた人もいるんじゃないでしょうか?

読みだして最初に思ったこと。
銀河ヒッチハイクガイド」に似ている。
ネットで調べたらその辺指摘されているようです。(ヒッチハイクガイドの方が後です)

次に感じたこと「つまらない...」ユーモアあふれる表現などと評されているようですが、いじめのようなひどい出来事ばかりが続いて救いもない...。
読んでいて気が滅入ってきました。
この作品、少なくともエンターテインメントな小説ではないと思います。
その点では「銀河ヒッチハイクガイド」の方が全然明るいトーンですね。
(こっちはあっという間に地球がなくなり数十億の人類他が死んでしまうわけですが...)

また火星での話は、スペースオペラのパロディなのかなぁ?とか、ハイペリオンの詩人の話はこの辺から来ているのかなぁなどと考えながらなんとか読み進めていき...

2/3位まで進み、コンスタントが地球に帰ってくる辺りから物事が進み始めていき、徐々に全容が明らかになってきて「なるほどね~」と感じだしました。

ここからの展開は鮮やかですし、前段での伏線も効いていて結末もなかなか美しい...とは思いますが相変わらずエンターテインメントではない気がする。

SFというか純文学に近いかなぁという印象。
日本でいえば安部公房に近い感じでしょうか。
ハインラインの「宇宙の戦士」とは対極(?)かもしれない。

読後、いろんな感想、感情、思いなどが湧いてきました。
私がSFに求めているのとは質が違う気がしますが名作だと思います。

なかなか進まない作品の場合途中で自信がなくなりネットで情報を漁ったりするのですが、この作品、爆笑問題の太田光氏が大学時代読んで涙した一押しの作品らしい。
私も20代で読んでいたら茫然となっていたかもしれないという気はします。


いろいろ思いが出てくる中、私の頭の中に浮かんできた一つは旧約聖書「ヨブ記」のパロディ...。
だからどうしたということははっきり言えるほど教養はありませんが、ヨブ記と対比して神やら運命やら人間やらといろいろ考えてしまう...。
なおヨブ記は大学の一般教養で習ったきりだったので、今回ネットで内容確認をしなおしました。
ネットでさらりと内容確認する「ヨブ記」...なんだか未来的だ...さすが21世紀。

ということで、対比してみました。

この作品中で主人公コンスタントとビアトリスに試練を与えるラムフォード。
(こういう書き方をするとギリシャ神話的でもあるような...)
全ての時間を見ることが出来る「存在」で神的能力を持っているのですが、自分のことを「神ではなく、蚤のごとき存在」と定義していて、自分自身もどうしようもない運命に支配されているという状況にいる。
実際に手を下す存在ということではラムフォード=サタンという構図とも見ることができます。

ヨブ記の主人公、ヨブは偉大で意志の強い存在で与えられた試練に立ち向かうわけですが、コンスタントは全米一の富豪という設定ですが、もともと偉大な人間ではなく(それほど悪人でもない)さらに記憶を無くされまるっきりの愚者にされ、理不尽にいじめられます。
コンスタントはかすかに残った意志でなんとか運命に逆らおうとするのですが...。
どんどん絶望的状況になっていきます。

一方ラムフォードは地球の「人類平和のため」などという理由で、罪もない(徳もない)人間(火星人)を地球人に15万人以上殺させ(死者149,315名、負傷者446名、行方不明46,634名と書いている)ディスユートピアちっくな新興宗教「徹底的に無関心な神の協会」を広めていく。(ここでも人類全体何十億と15万人の死どちらがいいかという命題があったりする)

最後に人類史に大きな影響を与えてきた神的存在として描かれているトラファムドール星人、サロが登場します。
でもこのサロもラムフォードの行いをまったく抑えず、ご機嫌を取っている状況..。
その「神」も全然下らない理由で動いていて、神的存在=サロもロボットだったりする。

コンスタントとビアトリスへのいじめの目的は多くは明かされていませんが、少なくとも一部は自分の妻に対しての多分に屈折した恋心だったりする。(少女期の絵をずっと持ってるし...)
コンスタントへの理不尽ないじめは...無茶苦茶だ・・・。

ラムフォードは勧善懲悪的な意味ではまったく罰せられないで、太陽系外に超存在として出て行ってしまう。
怖い話です....。

ヨブ記では「神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか。」
と諦念したヨブが、最後には財産を2倍にして戻され、体も健康になってめでたしめでたしで終わるわけですが、本作では...。

最後にヒロイン、ビアトリスがいう言葉
「だれにとってもいちばん不幸なことがあるとしたら」と彼女はいった「それはだれにもなにごとにも利用されないことである」

主人公コンスタントの言葉
「おれたちはそれだけ長いあいだかかってやっと気づいたんだよ。人生の目的は、どこのだれがそれを操っているにしろ、手近にいて愛されるのを待っているだれかを愛することだ、と」

と発した後に、「これって幸せなの?」という状態で終わります。

最後の場面「とにかくコンスタントは金を持っていた」という記載がありますが、その額は「3千ドル」とされ「そこに希望がなくはない」とあります。
コンスタントの財産は冒頭30億ドルといわれてますから100万分の1になっている....ヨブとはえらい違いだ。

最後にわかりやすい「めでたしめでたし」のない「ヨブ記」なわけです。
うーん。

「宇宙の戦士」はひたすら、自分が「鍛えて」「努力して」運命と戦い、切り開いていこうという話でしたが、相手が自分の戦う気持ちすら無にする力のある絶対者で神的存在という理不尽な状況だったらどうするべきなのか?

ヨブ記は基本「神」に「従う」話ですが、戦う相手が神と物凄い親しいサタンで、自分が神とそれほど親しくない場合人はどうするべきなのか?どうなってしまうのか?

この作品の一応の答えは運命に対して「あきらめと手近な愛」に「幸せ」を求めるというようななっていますが、額面どおり受け取っていいのかどうか?

ヴォガネット、紹介で「心優しい」と書いていますが...。
かなり荒涼とした風景が心の中にあって、もやもやと答えの出ない人なんだろうなぁと感じました。

とにかくいろんなことを考えさせられる作品ですね。

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宇宙の戦士 ロバート・A・ハインライン著 矢野徹訳 ハヤカワ文庫

2013-09-17 | 海外SF
クラークの次は、同じくSF三巨匠の一人ハインライン。
12ローカス社ベスト 21位、’06SFマガジン長編ベストでも41位と日米で評価が高い(であろう)作品です。
1959年発刊、1960年のヒューゴー賞作品。

ハインライン、超有名作の「夏への扉」(少なくとも日本では)は昔から大好きで何回読んだかわからないほどですが、それ以外はどうもマッチョでアメリカンな印象で苦手意識があり殆ど読んでいませんでした。(短編集「時の門」を読んだくらい)
「異星の客」や「月は無慈悲な夜の帝王」などが有名どころなんでしょうが、分厚いしなんだかとっつきにくい...。
「夏への扉」はハインラインの中では異例の軟派作品なんでしょうねぇ。

9年くらい前にこの本の訳者でもある矢野徹氏著(一部共著)の「連邦宇宙軍シリーズ」にはまり、この作品の中で「宇宙の戦士」が頻繁に取り上げられていたため気になって本書を新品を購入しました。(奥付2004年6月)

余談ですがこの「連邦宇宙軍シリーズ」雑なところはありますがかなり面白いです。
私の中で日本SFベストを上げればこれはベスト10には入ります。
「名作」というよりひたすら「面白い」作品ですが...。

で、買ったのですがぱらっと読むとなんだかマッチョなお話そうで、それなりの厚みの本なので読みだす気がなかなか起きず9年間が過ぎてしまいまいした。

その間「ガンダム」の元ネタだということや、「エンダーのゲーム」との関連性などいろいろ耳年増的に知識を入れていて「読みたい」気分が高まり読み始めました。

内容(裏表紙記載)
単身戦車部隊を撃破する破壊力を秘め、敵惑星の心臓部を急襲する恐るべき宇宙の戦士、軌道歩兵。少年ジョニーが配属されたのはこの宇宙最強の兵科であった。かれの前には一人前の戦士となるための地獄の訓練が待ち受けている・・・・・・いつしかジョニーは、異星人のまっただ中へ殴り込み降下をかける鋼鉄の男に成長していた! 未来の苛烈な宇宙戦を迫真の筆致であますところなく描き出し、ヒューゴー賞に輝いた巨匠の問題長編!

読んでみてまず思ったことは、「あぁ「夏への扉」と同じ作者だ」ということ。
主人公の独白や楽天的かつ前向きかつちょっと情けないところなどがそっくりでした。

他の長編を読んでいないので???ですがハインラインの主人公はみんなこんな感じなんでしょうか?
次に思ったことは、男性ホルモンたっぷりでアメリカンな作品であること。
いろいろ議論を呼んだようですが、思いっきり暴力肯定小説です。

作中語られる言葉「暴力は、歴史上、ほかの何にもまして、より多くの事件を解決している。その反対意見は希望的観測に過ぎぬ。この事実を忘れた種族は、その人命と自由という高価な代償を払わされてきた」思いっきりストレート、ど真ん中な主張。

発表時期がベトナム戦争時期だったようですからまぁ議論になるでしょうねぇ。
ただ21世紀になっても紛争があると米軍が乗り込んでいくという構図は変わらずで、それに代わる真に有効な解決手段がないというのも現実であったりはします。

ただ訳者の矢野徹氏の「だが、下士官兵にあって戦争を知った人間ほど、心から戦争を嫌い、ファシズムを嫌っているものはほかにはいないと思うのだが・・・・・・。」という気持ちもわかる気もします。
ブッシュJr政権でも実戦経験のあるパウエル国務長官が一番の穏健派だったりしましたからねぇ。
東日本大震災の時にも本当に活躍したのは自衛隊だという話もあるようです。
(この辺偉そうに書いていますが所詮一般サラリーマンの社会認識なので浅いのは自分でも承知はしているつもりです。)

軍隊という組織をどうとらえるか??深く考えると「う~ん」となってしまう小説です。

ただ深く考えなければ、きわめて単純に楽しめる青年の成長小説となっています。
最初の方でも書きましたが、主人公が絶妙。
キャラ的には主人公は「のらくろ」か夏目漱石の「坊ちゃん」のように感じました。
なんだかとぼけているんですが真面目で楽観的で、まぁ頭は悪くないんだろうなぁという感じ。(そんなにかしこくもないのがまたいい)

物語中で兵隊としての教育を通してどんどん成長していくわけですが、成長した「自分」を実感しないでとまどいながら事をなしていきます。

この辺、自分のことを考えても実感があります、気持ちは大学生くらいのままなんですが社会的には40代オヤジでえらそうなことをいっている。
皆さんもそんな思いありませんか?

そういう意味では「超人」が主人公の「エンダーのゲーム」などより身近に感じられます。
なおエンダーのゲームとは敵が昆虫型宇宙人ということでは設定似ていますが他はかなり色合いの違う作品です。
(SFは過去の名作の設定援用しているんだろうなと改めて感じました、古典読まないとなぁ)

一方で「二等兵物語に宇宙服を着せただけ」という批判もあるようで、それもまぁそうだなぁというくらいストレートな作品です、なにせ私も思い出したのが「のらくろ」と「坊ちゃん」ですから....。
400頁超の本ですが4時間くらいで読み終わりましたしねぇ。

(あとまったく個人的なおもしろさなのですが主人公が赴いた惑星の一つが亜酸化窒素リッチな大気なのがツボにはまりました...仕事上。)

でもまぁとにかく素直に面白いですし、あけすけに語られた「軍隊」「暴力」礼賛についていろいろ考えることも多い名作かと思います。

ハインラインの他の長編も読みたくなりました。

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都市と星 アーサー・C・クラーク 山高昭訳 ハヤカワ文庫

2013-09-12 | 海外SF
12年ローカス誌オールタイムベスト63位
SF三巨匠の一人、アーサー・C・クラークの代表作の一つ。
そういえば不勉強で今回初めて知りましたがクラークって英国人だったんんですね...市場が米国という感じだったので米国人だとばっかり思っていました。

1956年発刊、自身が活動初期の1937年に書き出し1946年脱稿、1953年に出版した「銀河帝国の崩壊」を全面的に書き直した作品とのこと。

蒲田か大森のブックオフで250円で先月購入。


新訳版も出ているようですが、ハヤカワ文庫は古い版型の方がしっくりくるのでこちらが入手できてラッキーでした。(昭和52年初版 昭和54年第5版を入手)

「ニューロマンサー」を読んで、なんだか古き良き時代のトラディショナルなSFを読みたくなり手に取りました。

クラークは中学生頃「地球幼年期の終わり」(創元で読んだ)「2001年宇宙の旅」を読んで以来ですが、当時から私の中での評価はあまりよくありませんでした。
割と最初に風呂敷を広げてしまい、結末で回収しきれていないイメージがりました。
(小松左京的??)

でもまぁ久々のクラーク、中学生の時とは自分の読み方も変わっているだろうと楽しみに読み出しました。

内容(裏表紙記載)
銀河帝国は崩壊し、地球には唯一の都市ダイアスパーが残された。そこは快適に防備された小宇宙。十億年の歳月の間に、都市の「記憶バンク」は人間の組成のパターンを使って原初の人間を再生したが、ただ一人、青年アルヴィンだけは、今までにパターン化されたどの人間とも違っていた。都市の外へ出ることを異常に恐れる人々になかで、彼だけは未知の世界への願望を持っていたのだ。壁に囲まれた、心地よいダイアスパーに安住することなく、アルヴィンはある日、かつての人類のように、空があり宇宙船が征く世界を求めて旅立った! 巨匠が華麗な想像力で描いた大宇宙叙事詩。

まず内容について、記載の内容を見ると「宇宙船が旅立ってからが本番で、スペースオペラ的内容になるのかなぁ」というイメーシで読みだしましたが、旅立つ前がメインで全体の2/3くらいという印象です。
「10億年後の地球はどうなって、どうなるのか?」というのを中心に読むのが正しい読み方な気がします。

ということで感想、
「ニューロマンサー」を読んだ直後ということ、1956年の作品ということもあり古き良き「教養小説」的な部分を強く感じました、これはこれで安心感があって読めるので私的にはまったく問題なし。
ウェルズの「タイムマシン」を思い出しました。
億年単位の時間軸といい、人類が二つの種族(?)に別れていることといい展開良く似ているような...。

ネット上での評価をいろいろ読むと「絢爛たるダイアスパー」の描写が素晴らしいというのがよく出てきますが確かにダイアスパーの描写は絵的でなんだか荘厳なイメージが頭に浮かびます。
アルヴィンが苦悩と苦労を抱えながらダイアスパーを出ていき、帰還するまではスリルと謎に満ちた展開でとても楽しく読めました。
10億年経つといろいろ変わるんだなぁーというのも描写にとても説得力があり楽しめ、いろいろ考えるところも出てきました。

ただアルヴィンが宇宙に出てからの展開は停滞気味になり、あまり作品に入っていけませんでした。
超知性体ヴァナモンドを発見するわけですが...、この存在について「謎に包まれている」としながらも都合の良いところはその記憶を借りて駆け足で歴史を説明していく....。
なんだか説得力に欠ける展開と感じました。

最後までアルヴィンが地球に残る展開にして、地球の問題やら、失われた人類の記憶やらを解決していくようにした方がよかったように感じました。

昔のイメージと一緒でクラークは後半が...、という感はありますが前半の未来世界の描写とアルヴィンの冒険とは、古き良きSFを楽しむには十分楽しい作品だと思いす。

*きれいにまとめているようですがホンネでもあります、すごい「名作」とも思いませんでしたが...。


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映画:ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q 庵野秀明監督

2013-09-10 | 映画
「ヒルクライマー」を読むのと前後して見ました。
SFアニメ映画づいていたので。

で、これまた一人で車を運転していてさびしくてDVDを流して見たのでかなりいいかげんな感想です。

エヴァンゲリオンはオンタイムでTVで見ていませんが、TVシリーズと旧劇場版はビデオで借りて、新劇場版も序、破をDVDを借りて一通り見ています。
なお解説書とかに手を伸ばすほどコアなファンではありません。

音楽と大胆な設定、コマわりというか大胆な画像展開にはビックリしました。
ただ意味ありげな謎を広げて全然解決しないで終わるというパターンは、松本零士作品などにも良く見られる日本SFアニメの伝統的展開ですねぇ...とも思っていました。

本作を流し始めて、劇場でも同時上映されたという(後から調べた)「巨神兵東京に現る」が出てきて。
「???」となりましたが。
「なるほどエヴァンゲリオンって巨神兵だよなぁ」などと感心しながら本編へ。

最初にアスカとマリがなにやらを回収するミッションをしているのですが私にはなにをやっているんだか理解できないまま、碇シンジの覚醒場面へ。
そのまま何の説明もないまま事態が展開していく。

「:破」を見て2年くらい(?)経っていて話についていけなかったですが、まぁなんだかわからないまま雰因気を楽しむというのもこの作品の楽しみ方な気もします。

結局最後までなんだかわからず見終わりました。

車を運転しながらの鑑賞でえらそうなことをいうのもなんですが、この「:Q」きちんとしたストーリーがそもそもなかったような気がします。
状況説明的なものがほとんどなくひたすら状況が転換していくだけ。
急展開かつQ(クエスチョン?)な展開。

印象に一番残った場面が、冬月副指令が碇シンジと将棋を打っている場面だったりする。
なんだか不思議な場面であった。

あと気になったのが、初期の段階でなぜミサト達ヴィレは碇シンジにきとんと状況を説明しなかったんだろうか?
論理的に考えればここでシンジをキチンと扱っていれば、ネルフに戻らなかったような...。
なんだか変。

碇ゲンドウ氏はすべて謎にしておいた方が都合が良さそうな立場だからわかるんですがどうも引っかかった。

そんなこんな含め、碇シンジの妄想なのか夢の世界なのかで移ろっているだけなような不思議な展開が続いていく....。

ドタバタと次回に続くという感じです。

「全編もやもやー」なのですがエヴァンゲリオンを前から見ていた人ならまぁ楽しめる映画じゃないでしょうか。
マニアであれば何回も見ていろいろ意味を発見できるかもしれません。

不思議な立ち位置の映画でした。

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