しばらく(中学から高校生くらいだから20年くらい)SFから離れていて、最近のはやりがよくわからないため、ネットで「SF」「名作」で検索すると必ず上位に出てくるのがこの作品。
(ヒューゴー・ネピュラ ダブルクラウン!!-などという言葉も今更知った、スゴイ!ネット社会...社会の方がSF化しているような)
原書が1969年発行で、ハヤカワ文庫が1978年初版だから中学生の時にはすでに出ていたはずですし、その当時も評価高かったんでしょうが当時は存在すら知りませんでした。
当時(80年代前半くらい)の「SFこれを読め」的な本では、「幼年期の終わり」「夏への扉」「宇宙船ビーグル号」アシモフのロボットもの、「発狂した宇宙」「ソラリス」あたりの古典的なものが推奨されていてなんやかんや読んだつもりでいましたがそんなに読んでなかったんですねぇ。
本作、今回読んでみましたが、これは中学生の私には読み切れなかっただろうなぁと感じましたのでその頃出会わなくてよかったですが....。
ル・グィン自体は、ジブリで「ゲド戦記」が映画化された後「ゲド戦記」シリーズを一通り読んだので初体験ではありません。
(映画が2006年公開だからもう6~7年前ですね)
ということで気になっていたところ昨年末ふらりと寄ったブック・オフで見つけて購入しました。(400円)
あらすじ(裏表紙記載)
遥かなる過去に放棄された人類の植民地、雪と氷に閉ざされた惑星ゲセン。<冬>と呼ばれているこの惑星では、人類の末裔が全銀河に例をみない特異な両性具有の社会を形成していた。この星と外交関係をひらくべくやってきた人類の同盟エクーメンの使節ゲンリー・アイは、まずカルハイド王国を訪れる。だが、異世界での交渉は遅々として進まない。やがて、彼は奇怪な陰謀の渦中へと・・・・・・。ヒューゴー、ネピュラ両賞授賞の傑作
ハヤカワに裏表紙記載のあらすじはどれもそうなのか、これも今一つ作品の展開とずれているような....。
「人類の植民地」というのもちょっと違う気がするし、「奇怪な陰謀の渦中」というのはかなり違う気がします。
人類の同盟エクーメンの使節ゲンリー・アイの外交関係を開く苦労を描いたものというのはその通りですが....。
作品は、読み出しからかなり重い。
佐藤亜紀氏のヨーロッパものの展開(といってもメジャーじゃないですよね、そんなに読んでもいないのでよくわからないんですが・・・)という感じで、エンターテインメント的でないというか読者にわかりやすい説明的な展開がない状態で進んでいきます。
物語はエクーメンの使節ゲンリー・アイと、ゲセン人(カルハイド人)であるハルス・レム・イル・エストラーベンの二人を軸に展開していきます。
あらすじ的に書くと至極単純な話になりそうな話な気がしますが、ゲセンとエクーメンの外交関係を開くためのなんやかんやの経緯を濃密に書いており、それに民話風の話をまじえて、宗教・政治・性・人種を超えた「人と人とのわかりあい」の問題など、問いかけ風に書いていていろいろ考えさせるようになっています。
私に純文学の素養は殆どないですが、「SF」とか「エンターテインメント」の枠を超えた小説、純文学に近い(?)小説になっているのかなぁという感じ。
これと比べるとスタージョンなどはまだまだマニアックなエンターテインメントの枠に収まっていますし、アシモフなど読者サービスとバカ騒ぎに終始しているだけということになってしまうかもしれませんね。
SFとして読むと、世界観とかSF的カラクリとしては陳腐という評価にもなるかと思います。
(銀河中の単一種の人類というのはアシモフの設定ですね)
政治的な描写については発表が1969年ということで米ソ冷戦というのも背景にあるんだろうなぁということを感じました。
オルゴレインのモデルはソ連なんでしょねぇ、時代と無関係にはなかなかなれませんね。
米国はエクーメン、一部カルハイドといところでしょうか。
感心というか「すごいなぁ」と感じたのは、最後の方の主人公の氷原での逃避行の場面。
空想上の惑星なのにその自然やら地理やらのディテールへの凝り方はものすごいです。
ここまで描いて誰も読んでくれなかったらすごく虚しいだろうなぁ、などと余計なことを考えてしまいました。
植村直己氏の犬橇行をつい最近読んだ人間にも違和感ないぐらいですから相当な出来だと思います。
作者のル.グィン氏、相当粘着質な性格じゃないかと思いました、その他の場面も結構粘着質な気がしましたし。
(これに比べればゲド戦記の設定は結構いい加減な気がする)
エストラーベンのどのような状況でもめげない超人的な「力」も魅力的でした。
ラストも前回スタージョンの「夢見る宝石」で書いたような描き過ぎという甘さも感じませんでした。
最後に明かされた事実も「なるほどねー」というものでしたし。
惑星ゲセン=<冬>のとても「寒い」描写も見事でした、読んだのが冬というのもあり体感温度が数度下がったような気がします。
ただエストラーベンとゲイリーの関係は最後までもう少し緊張関係にあってもよかったような気もしますが、まぁこんな感じでいいんでしょうね。
SFのオールタイムベストの上位に来るのもわかります。
多分中学生から20代の私だったら読み通せなかった作品だと思いますが、40代の私は結構楽しめました。
ただ無条件に「素晴らしい作品」と称賛できるかというか30代ほど純真ではないのでなかなか難しいですね...。
なんだか作者のたくらみというか、「どうだすごいだろう」「考えさせるだろう」なんだか「文学だろう」と裏で作者が考えているような感じを受けました。
そういう意味ではこの作品よりも、ゲド戦記の最初の三冊(影との戦い1969年、こわれた腕環1971年、さいはての島へ1972年)の方が児童向けということもあり力が抜けていて好感が持てました。
(これが楽しめる児童というのもコワイ気がしますが...、特に最初の2冊のなんだかわからない感じが良かった、間をおいて書かれた続編はなんだか...)
アシモフが大衆向けに「いい感じでしょう」と作った工芸品、スタージョンが見巧者の旦那向け工芸品とすれば、ル.グィンの「闇の左手」は職人あがりの芸術家が二科展で賞を狙う油絵という感じを受けました。
職人の工芸品と芸術家が作るアートどちらが優れているのか??という話ですがどちらもいいものはいいという話なんですがねぇ。
解説にもありましたがSF史としてはエポック・メイキングな作品なんでしょうし、最初入っていければ面白い小説だと思います。
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(ヒューゴー・ネピュラ ダブルクラウン!!-などという言葉も今更知った、スゴイ!ネット社会...社会の方がSF化しているような)
原書が1969年発行で、ハヤカワ文庫が1978年初版だから中学生の時にはすでに出ていたはずですし、その当時も評価高かったんでしょうが当時は存在すら知りませんでした。
当時(80年代前半くらい)の「SFこれを読め」的な本では、「幼年期の終わり」「夏への扉」「宇宙船ビーグル号」アシモフのロボットもの、「発狂した宇宙」「ソラリス」あたりの古典的なものが推奨されていてなんやかんや読んだつもりでいましたがそんなに読んでなかったんですねぇ。
本作、今回読んでみましたが、これは中学生の私には読み切れなかっただろうなぁと感じましたのでその頃出会わなくてよかったですが....。
ル・グィン自体は、ジブリで「ゲド戦記」が映画化された後「ゲド戦記」シリーズを一通り読んだので初体験ではありません。
(映画が2006年公開だからもう6~7年前ですね)
ということで気になっていたところ昨年末ふらりと寄ったブック・オフで見つけて購入しました。(400円)
あらすじ(裏表紙記載)
遥かなる過去に放棄された人類の植民地、雪と氷に閉ざされた惑星ゲセン。<冬>と呼ばれているこの惑星では、人類の末裔が全銀河に例をみない特異な両性具有の社会を形成していた。この星と外交関係をひらくべくやってきた人類の同盟エクーメンの使節ゲンリー・アイは、まずカルハイド王国を訪れる。だが、異世界での交渉は遅々として進まない。やがて、彼は奇怪な陰謀の渦中へと・・・・・・。ヒューゴー、ネピュラ両賞授賞の傑作
ハヤカワに裏表紙記載のあらすじはどれもそうなのか、これも今一つ作品の展開とずれているような....。
「人類の植民地」というのもちょっと違う気がするし、「奇怪な陰謀の渦中」というのはかなり違う気がします。
人類の同盟エクーメンの使節ゲンリー・アイの外交関係を開く苦労を描いたものというのはその通りですが....。
作品は、読み出しからかなり重い。
佐藤亜紀氏のヨーロッパものの展開(といってもメジャーじゃないですよね、そんなに読んでもいないのでよくわからないんですが・・・)という感じで、エンターテインメント的でないというか読者にわかりやすい説明的な展開がない状態で進んでいきます。
物語はエクーメンの使節ゲンリー・アイと、ゲセン人(カルハイド人)であるハルス・レム・イル・エストラーベンの二人を軸に展開していきます。
あらすじ的に書くと至極単純な話になりそうな話な気がしますが、ゲセンとエクーメンの外交関係を開くためのなんやかんやの経緯を濃密に書いており、それに民話風の話をまじえて、宗教・政治・性・人種を超えた「人と人とのわかりあい」の問題など、問いかけ風に書いていていろいろ考えさせるようになっています。
私に純文学の素養は殆どないですが、「SF」とか「エンターテインメント」の枠を超えた小説、純文学に近い(?)小説になっているのかなぁという感じ。
これと比べるとスタージョンなどはまだまだマニアックなエンターテインメントの枠に収まっていますし、アシモフなど読者サービスとバカ騒ぎに終始しているだけということになってしまうかもしれませんね。
SFとして読むと、世界観とかSF的カラクリとしては陳腐という評価にもなるかと思います。
(銀河中の単一種の人類というのはアシモフの設定ですね)
政治的な描写については発表が1969年ということで米ソ冷戦というのも背景にあるんだろうなぁということを感じました。
オルゴレインのモデルはソ連なんでしょねぇ、時代と無関係にはなかなかなれませんね。
米国はエクーメン、一部カルハイドといところでしょうか。
感心というか「すごいなぁ」と感じたのは、最後の方の主人公の氷原での逃避行の場面。
空想上の惑星なのにその自然やら地理やらのディテールへの凝り方はものすごいです。
ここまで描いて誰も読んでくれなかったらすごく虚しいだろうなぁ、などと余計なことを考えてしまいました。
植村直己氏の犬橇行をつい最近読んだ人間にも違和感ないぐらいですから相当な出来だと思います。
作者のル.グィン氏、相当粘着質な性格じゃないかと思いました、その他の場面も結構粘着質な気がしましたし。
(これに比べればゲド戦記の設定は結構いい加減な気がする)
エストラーベンのどのような状況でもめげない超人的な「力」も魅力的でした。
ラストも前回スタージョンの「夢見る宝石」で書いたような描き過ぎという甘さも感じませんでした。
最後に明かされた事実も「なるほどねー」というものでしたし。
惑星ゲセン=<冬>のとても「寒い」描写も見事でした、読んだのが冬というのもあり体感温度が数度下がったような気がします。
ただエストラーベンとゲイリーの関係は最後までもう少し緊張関係にあってもよかったような気もしますが、まぁこんな感じでいいんでしょうね。
SFのオールタイムベストの上位に来るのもわかります。
多分中学生から20代の私だったら読み通せなかった作品だと思いますが、40代の私は結構楽しめました。
ただ無条件に「素晴らしい作品」と称賛できるかというか30代ほど純真ではないのでなかなか難しいですね...。
なんだか作者のたくらみというか、「どうだすごいだろう」「考えさせるだろう」なんだか「文学だろう」と裏で作者が考えているような感じを受けました。
そういう意味ではこの作品よりも、ゲド戦記の最初の三冊(影との戦い1969年、こわれた腕環1971年、さいはての島へ1972年)の方が児童向けということもあり力が抜けていて好感が持てました。
(これが楽しめる児童というのもコワイ気がしますが...、特に最初の2冊のなんだかわからない感じが良かった、間をおいて書かれた続編はなんだか...)
アシモフが大衆向けに「いい感じでしょう」と作った工芸品、スタージョンが見巧者の旦那向け工芸品とすれば、ル.グィンの「闇の左手」は職人あがりの芸術家が二科展で賞を狙う油絵という感じを受けました。
職人の工芸品と芸術家が作るアートどちらが優れているのか??という話ですがどちらもいいものはいいという話なんですがねぇ。
解説にもありましたがSF史としてはエポック・メイキングな作品なんでしょうし、最初入っていければ面白い小説だと思います。
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一世代が経過してまた読みましたが(著者がこの間に亡くなられました。合掌)やっぱりSFの良い意味での安っぽい派手さがない、暗く地味で、しかも暗鬱なままラストになり、そこで出てくる人物に「ああっ、あなたは」的な驚きはありますが…しかし小説としてはどうですかねえという感じで、ブログ主様のおっしゃる通り、旅の地形が延々と描写されるので、なんだかインパール作戦でも解説されているみたいな気分でもありました。
正直、これが評価された当時のアメリカって随分深刻な精神状態だったんではないかしら、というのが偽らざる心境で、池澤夏樹が「ル・グィンは、高度だけど、つまらない」と言っていたのに賛同せざるを得ない読後感でした。
すみません。なんかマイナスな印象ばかりで。優れた知能と深刻なテーマと思うのに、残念ですが私には下手糞な小説でした。まあ、これは、性格や感性のこともありますので、ご了解ください。
この本自体、そんなに読者がいるとも思えませんので、感想を拝見できてとても嬉しかったです。へんなコメントで失礼いたしました。
コメントありがとうございます。
また遅い返信申し訳ありません。
読んでから結構経っているため記憶が曖昧ですが…。
SF=エンタメと考えると「どうかな?」という作品ではありますね。
逃避行の地理の書き込みは私は感心した記憶があります。
おっしゃるようにこの辺は好みではありますね。(笑)
私はその辺の緻密さ含めル=グィン、職人だと思うのですがなにやらアーティストしていたように思えて若干の残念感があり感想書いた記憶があります。
何はともあれ合掌ではありますね。