しろくま日記

読んだ本の感想を記録してみたいと思います。
なんだか忘れてしまうので。

日はまた昇る ヘミングウェイ著 大久保康雄訳 新潮文庫

2014-06-26 | 海外小説
ハックルベリー・フィンの冒険」を高く評価していた。ということでヘミングウェイの名前が出てきて読む気になりました。

本自体は「ヘミングウェイくらい読んでないとなぁ」ということで大学四年頃買ったものです。

当時2~3ページ読んでつまらないのでそのままになっていました。
20年以上の積読です(笑)

本作はヘミングウェイの処女長編1926年パリで発刊された作品。
買う時に「どうせ読むなら初期からだよなー」とうことで本作を選んだ記憶があります。

1923-2005タイム誌の英語小説ベスト100に選出されている作品でもあります。

内容(裏表紙記載)
第一次大戦後のスペインの祭礼週間を背景に、戦争で性的不能におちいった主人公ジェイクの爆発する情熱、淫蕩な女主人公ブレットと若い闘牛士との灼熱の恋、彼女を恋する男たちの狂騒などを、簡潔な単語、短文を主にした吐き捨てるようなハードボイルド・スタイルの文体で描く。
明るい南国の陽光のもと、虚無と享楽の淵にただよう“失われた世代(ロスト・ジェネレーション)”の生態を描破した初期の代表作。

とりあえずの感想、「盛り上がりにかける。」

ハードボイルドの祖ともされる短い乾いた会話主体のヘミングウェイの文体は最初面白かったのですが、スペインに行ってから、特に祭りが始まってからはあまりの展開のなさに退屈してしまいました…。
(釣りの場面などはなかなか面白かったですが)

エンターテインメント小説ではないので「面白くなさ」は覚悟していたのですがやはりという感じでした。

ジェイクとブリッドの関係などは、男なら魅力的な女性に「いい人」扱いされて尻拭いさせられる感覚など共感できる所はあるかと思います。
ただ登場人物全体に「本当に差し迫った状況」というものが出てこないので(出てこないような気がする)どうもピンときませんでした。

ある意味唯一女性である「ブリッド」のみが本人の情熱の赴くまま行動することで差し迫った状況に自分を持ってきているということは言えるかもしれませんが…。

なんとも中途半端な状況のある意味情けない男性陣が中心になっているので、なんだかフラストレーションが貯まる。

解説によると第一次世界大戦後の無力感を抱えた「男たち」を描いた作品ということなので「そういう状況」を書いた作品なのかもしれませんが…。

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映画:さびしんぼう 大林宣彦監督

2014-06-24 | 映画

映画の感想ですが、これも車でななめ見なのでいい加減ですが…。

映画「時をかける少女」(大林版)の感想で、「尾道三部作では「さびしんぼう」の方が出来が良かった気がする。」と書きました。
本作、そんなこんなで気になっていてTUTAYAでレンタルしました。

「時をかける少女」の2年後、1985年の作品。
尾道三部作完結編と銘打たれた作品です。

何を隠そう(?)私は富田靖子ファンだったのでこの映画もテレビで放映すると必ずみていました。(劇場では見ていません)
大体のストーリーは覚えていましたのですが、今回改めて見てなかなか新鮮でした。

最初に一眼レフのファインダーから始まるのもいい。
当時の一眼レフのファインダーって何か異世界を眺める風情がありましたね。
「フィルムが買えなくて写せない」という事態も隔世の感がありますね。

ヒロインの富田靖子はこの映画で4役こなしていますが、意外と出番は少ない。
主役の尾身としのり演じる男子高校生の日常に多くの時間を割いています。

今回一番感じたのは「この作品「時をかける少女」の撮り直しなんじゃないか?」ということ。
キャストは尾身としのり(今回は主役)先生役の岸部一徳がかぶっている。

この二人「時をかける少女」では主役級2人の演技があまりに下手だったのでうまく見えましたが、本作ではいかにも大林作品風の素人っぽい演技をしている。

作中「時をかける少女」には殆どなかったコメディ風のエピソードが繰り広げられますが、「コメディ」はある程度演技力がある人がやらないと成立しないんじゃないのでは?などと勘繰ってしまった。
美少女を演じる富田靖子のメイクもなんだか原田知世風。

SF的な仕掛けも怪しげなSFXも使っていませんが、全編通してみると「少女」は立派に時をかけている….。
大林監督が語ったりしてているのを見たわけでないのですが、「時をかける少女」で感じたフラストレーションを本作で発散したのでは?と感じました。

しかし本作での富田靖子の演技はすばらしい...。
「時をかける少女」の原田知世とは雲泥の差です(笑)
(富田靖子もアイコ16才の演技は…でしたけれども)

今の富田靖子より演技がうまいような気がする。

大林映画が不得意な人は、不自然な失恋や青臭いセリフやらが気になるかもしれませんが、その辺引っかからないで見られる人であれば、なんとも懐かしく甘酸っぱい気持ちになれる名作だと私は思いました。

ロマンチック屋な私はやっぱり大林宣彦好きなんだと思います。
(ちなみに「彼のオートバイ彼女の島」が一番好きです。)

予告編動画をつけてみました。
Sabishinbou 「さびしんぼう」 - 1985 - Trailer 予告編


富田靖子が和服(浴衣)で、尾身としのりと会話しているシーン絵的に最高でした、このシーンを見るだけでこの映画価値があるかもしれない...。
会話はとんでもなく青臭いんですけどねぇ。(笑)

「彼のオートバイ彼女の島」でも原田貴和子の浴衣シーンがありますし、「時をかける少女」での原田知世の弓道着といい大林監督女の子に和服着せるの好きなんだろうなぁ。

はまれればいい作品だと思います。

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王子と乞食 マーク・トウェーン著 村岡花子訳 岩波文庫

2014-06-20 | 海外小説
ハックルベリー・フィンの冒険」に続き、トウェイン-村岡花子をもう1冊ということで、本書を秋葉原のブックオフで見かけて購入108円。

小学生の時家にえらい古い子供向けの本があって読んだような記憶もあるのですが定かではありません。
(完訳でなかったかもしれない)

基本ストーリーはほぼ誰でも知っている作品かと思いますが、入れ替わりものの古典ですね、1881年発刊。
ダブル・スター」の元ネタともされる同じく入れ替わりものの古典「ゼンダ城の虜」が1894年ですから相当古い。

内容(表紙記載)
うりふたつの顔だちをした王子と乞食トムが、ふとしたことで入れ替わり、ボロ服で街へ放り出された王子は苛酷な国法に悩む庶民生活の貧しさを身をもって体験する。 エリザベス一世時代のイギリスを舞台に、人間は外見さえ同じなら中身が変わっても立派に通用するという痛烈な風刺とユーモアに満ちたマーク・トウェーン(1835-1910)の傑作。

子供向けに書かれた小説ということであり、訳者の村岡花子も意識して「児童小説」として訳文を作っていますが、中盤から後半にかけて入れ替わった王子が見ることになる状況はかなりシビアで「子供に読ませていいのかなぁ」と思うようなところもありました。

牢屋で親切にしてくれた女性は翌日火あぶりになってるし…。
トムの父親はまったく救いがなくひどい。

根底には「ハックルベリー・フィン」の冒険でもあった、「社会の規範=常識」といったものがいかに「いい加減」かという発想が流れているような気がします。

王子と乞食は服を着ただけで入れ替わってしますし、「乞食」でも「王子(途中から王様)」は務まるが、「王子」には「乞食」は務まらない。

ラストはいかにも児童小説的にめでたしめでたしになっていますが、途中の世の中に対する見方はなかなかダークな部分があります。
本作、ダークな面を強調した訳があれば読んでみたいとは思いました。

あと「入れ替わり」というかなり突飛な状況をなんとか合理的に仕立てようというトウェインの作家的良心と力量も感心しました。
(所々「なぜこうなって、誰も不思議に思わないか」の説明的描写を入れている。)

ちょっとパンチの効いた「児童小説」として、トウェインが好きな人にはお薦めではあります。

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ハックルベリイ・フィンの冒険 マーク・トウェイン著 村岡花子訳 新潮文庫

2014-06-16 | 海外小説
赤毛のアン」は村岡花子訳ではないものを読みましたが…。
「花子とアン」づいていることもあり、村岡花子訳の別の本を読んでみようかということで手に取りました。

マーク・トウェインは「赤毛のアン」の出版時モンゴメリに「かの不滅のアリス以来最も可愛らしく、最も感動的で最もゆかいな子」との手紙を送っていたりして(以後赤毛のアンのコピーとして使われていたようです)まんざら縁がないわけではないですね。

本作では「赤毛のアン」とは違い村岡訳の評判は今一つのようですが私はこれはこれでいいんじゃなかなぁと感じました。
(批判的な意見はハックの一人称が「僕」で「おら」じゃない等のようです。)

本書、中学生頃に「トムソーヤの冒険」を読んで面白かったので直後に「続編」という理解で読もうとしたことがあるのですが….。
当時の私では歯が立たずずっと未読のままでいました。

大学時代に岩波から出ているトウェイン晩年の作品である「ふしぎな少年」「人間とはなにか」を読んでトウェインづいた時期もあったのですがその時には逆に「子供向けだろう」とバカにしていて本書を手に取らなかったような記憶があります。

その頃の本は実家にありますが、今回読んだのは去年ブックオフで105円で買ったもの。

装丁などは持っているものと全く同じで懐かしい…。

昨年本書を買ったのは、松岡正剛の千夜千冊で紹介されていてフッと読みたくなったため。
(ちなみにここで紹介されていたのも村岡訳)

Wikipedaで調べてみたら本書について、ヘミングウェイが「あらゆる現代アメリカ文学はマーク・トウェインの「ハックルベリー・フィン」と呼ばれる一冊に由来する…」と評価しているようで、児童小説としてというよりも「アメリカ文学」の「名作」と評価されているようですね。
1885年発刊ですが、舞台設定は南北戦争前の1835年-40年のミシシッピ川周辺を舞台にしています。(「トムソーヤの冒険」は1876年発刊)
当時の人種差別やらを痛烈に批判している作品として知られているようです。

内容(裏表紙記載)
トムとの冒険で大金持ちになった浮浪児ハックは、未亡人の家に引きとられて教育を受けることになった。固苦しい束縛の毎日―――飲んだくれの父親が金をせびりに現れるに及んで、逃亡奴隷の黒人ジムとハックの脱出行が始まった。 筏でミシシッピー川を下る二人を待ち受けるのは大暴風雨、死体を載せた難破船、詐欺師たち・・・・・・。現代アメリカ文学の源泉とまで言われる作品。

トムソーヤの冒険が「愉快」な作品であったのに対して、本作はかなりざらつく感じを読者に与える作品です。
「児童文学」として子供に読ませることは…親としてはちょっと「どうかなぁ」と思う内容です。
中学時代の私が歯が立たなかったのがよく理解できました。

ということで、とりあえずの感想「トウェインの人間やら社会に対する視点がとても面白い。」

トウェインは晩年「ふしぎな少年」「人間とはなにか」で「ペシミズム」とも言われるようなシニカルな作品を書いています。
上記二作があまりに直接的にその辺書いているのに対し、本作は裏に透けて見える程度で書かれてて趣深かったです。

ハックと逃亡奴隷ジムという世の中のいわゆる常識から離れた極めてシンプルな思考をする人物が旅をしながら世の中を眺めていくわけですが….。

世の中の普通の人たちがいかにおかしなことをしているかがよく見えるようになっています。
途中、詐欺やら盗みやらをして歩いている悪人2人と一緒になるのですが、その二人も世の中の「おかしな」ところに付け込んでいる。
基本「善良」なハックとジム二人と「悪」である二人の対比が興味深い。

でも「善良」であるハックも当時のキリスト教で罪となっていた「奴隷の逃亡を助ける行為」をすることと、ジムとの友情の間で苦悩したりして世の中いかにおかしなことが大真面目にまかり通るかを痛烈に風刺しています。
この本が出版された1885年時点では黒人奴隷制は公には否定されたようですが、人の世では50年位で神の前での“罪”でさえ大きく変わる…。

そんな、なんだかわからない世の中で流されて生きれば楽なんでしょうが、ハックは自分なりのシンプルな見方で世の中をみてしまうのでなかなか馴染めない。
結果いかだでミシシッピー川を流れていく。(笑)

善とか悪とか常識とか...幸せとか不幸、いろんなものを「当たり前」としてとらえない作中世界に頭がグラグラしてきます。

ネットで感想などみていたら最後にトムソーヤが出てきてバタバタする所に「違和感がある」という人もいるようですが、トムソーヤの「現場を知らないで無茶な指示をする上司」的キャラクターが現代的でもあり楽しめました。
子供であろうが無茶な人は無茶だし、トムソーヤのように一見体制に反旗を翻しているようでも徹頭徹尾体制側の存在はあったりする。
またそれが決して「悪い」というわけではない。

舞台設定された時代のアメリカ南部の風俗なども興味深い作品ではあるのですが、人間が抱える問題は時代を超えて変わらないんだなーと考えさせる作品でもありました。

名作です。

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赤毛のアン L.M.モンゴメリ著 松本侑子訳 集英社文庫

2014-06-11 | 海外小説

アンのゆりかご」「こんにちはアン」ときて、「赤毛のアン」を読まなきゃおさまりがつかず...。
といって「昔読んだ村岡花子訳を読んでも芸がないかなー」ということで最新訳の本書を手に取りました。
これも新品で購入。

訳者の松本侑子氏はアナウンサー出身の作家の方のようで、作品等読んだことがなく全然知りませんでした。

本書は、松本氏による文中にちりばめられている聖書やシェークスピア等の英米文学などからの引用を精緻に調べた訳註が売りのようです。
集英社文庫からは松本氏訳で「アンの青春」「アンの愛情」も出ていてこちらも訳註が有名な模様。
また訳注だけでなく原書の文章が「子供むけ」というよりかなり難しい言い回しで書かれているのを反映して、原文に忠実に割と大人向けに訳文を作ったとのこと。
村岡訳で省かれている部分も訳している「完訳版」という位置づけでもあるようです。

内容(裏表紙記載)
孤児のアンは、プリンスエドワード島の美しい自然の中で、グリーン・ゲイブルズのマシュー、マリラの愛情に包まれ、すこやかに成長する。 そして笑いと涙の感動の名作は、意外な文学作品を秘めていた。 シェイクスピア劇・英米詩・聖書からの引用をときあかす驚きの訳註、みずみずしく夢のある日本語で読む、新完訳の決定版! 楽しく、知的で、味わい深い・・・・・・、今までにない新しい本格的なアンの世界。

時系列的には、「こんにちはアン」のラスト直後から始まるので違和感なかったです。(笑)

とりあえずの感想、「訳は少し硬いかなぁ…。」

まぁ内容は昔何度も読んだ「赤毛のアン」ですからいまさら特に新しい感想はありません。
ストレートに少女の成長を描いた名作だと思います。
(「花子とアンにさそわれて」で感想書いてますね)

今回読んで気づいたことは、なんとなく「ひとつながりの話」という感じがあったのですが、短いエピソードで作られた「お話」の積み重ねになっているのに初めて気づきました。

また今回は「こんにちはアン」に出て来た話の元ネタがいろいろでてきて「これかー」という発見があったりしてなかなか楽しめはしました。
ただまぁそこは40オヤジですので少年時代初めて読んだほどの感動はない。

その辺のところが美化されていて村岡訳の方がいいような感想になっているのかもしれませんが、とにかく訳文は硬いかなぁとは感じました。
村岡訳のアンの独特の言い回しはやはり魅力的です。
マシュウやマリラも。
最初に読むなら村岡訳、直訳的に内容をきっちり確認したいなら本書という感じでしょうか。
売りの訳註は...力作だとは思いますがただ小説を読む(楽しむ)のにここまで必要なのかは???かとは思いました。

などと書きましたが「こんにちはアン」で哀しい思いをしてきたアンの話を読んだ直後なのもあり、グリーンゲイブルズで成長し幸せになっていくアンの姿に感極まって最後あたりで目から涙がこぼれそうになりました。
歳とると涙腺ゆるみますね....電車の中だったのでとても恥ずかしかったです。(汗)

そのうち村岡訳で「アンの愛情」まで読み直そうかなぁ。

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