しろくま日記

読んだ本の感想を記録してみたいと思います。
なんだか忘れてしまうので。

五次元世界のぼうけん マデレイン・レングル著 渡辺茂男訳 あかね書房

2019-01-02 | 海外SF
SFかつ古めの作品に戻り「五次元世界のぼうけん」読みました。
’12年ローカス誌オールタイムベスト長編62位、1962年刊
女流作家 マデレイン・レングルの代表作となります。

1963年にアメリカで一番優れた児童文学に送られるニューベリー賞を受賞しています。

これまた入手困難(amazonで取り扱いなし)なため図書館で借りました。
市立図書館にもなかったため県立図書館にリクエストしての借り出しとなりました。

国際児童文学全集の第9巻として1969年にあかね書房から発刊されています。

この全集小学校の図書室にあった記憶があります。
この赤い装丁懐かしい…。

全集 第11巻の「運河と風車とスケートと」は小学校のとき読んでなんだかとても記憶に残っているのでもう一度読みたいのですが....。
これまたamazonだと高額(8,000円位)です。

こちらも県立図書館にはあるようなのでいつかは借りて読みたいです。

本作は読んだ記憶はなかったのですが、読んでいる途中「読んだかな?」と思う部分があったのでもしかしたら小学生時代読んだことがあるのかもしれません。

本作の原題は" A Wrinkle in Time" 、「惑星カマゾツ(時間と空間の冒険 1)」の題でサンリオ文庫から出ていますがこちらはamazonで8万円オーバーかつ図書館でもみあたらないので読むのが困難です…。

副題に「時間と空間の冒険1」とあるように続編があるようですが「五次元世界のぼうけん」では続編につながるエピソードやら登場人物が一部省略されているという話もあるようで「惑星カマズツ」気になっています。
(サンリオでは続編も翻訳版出ています)

アメリカでは人気の児童小説のようで、本作2018年3月にディズニーで映画化公開されています。
日本での公開は未定なようですが2019年は日本で公開され人気を博し新訳出ることを祈っていますが..。
難しいかなぁ...。

「児童向け作品」なので「読んでみるかなぁ」と原書をkindle版で入手して数ページは読んだのですが…私の英語力では続きませんでした…。
まぁそのうち(笑)

内容紹介(A Wrinkle in Time (Madeleine L'Engle's Time Quintet) (英語) ペーパーバック – 2007/5/1の内容紹介記載)
Meg Murry and her friends become involved with unearthly strangers and a search for Meg's father, who has disappeared while engaged in secret work for the government, in a re-release of the classic story. A Newbery Medal Book. Simultaneous. 500,000 first printing.
下記訳(私の訳なのでいい加減)
メグ・ミューリと彼女の友人たちは、奇妙な人たちと出会い、政府の秘密の仕事に従事している間に姿を消したメグの父親を探す旅にでかけて...。
古典的な名作の再刊行。ニューベリー賞受賞、再刊初版50万部。


上記では内容よくわからいでしょうから補足です。

マーガレット(メグ)・ミューリは学校では問題ばかり起こしていて、メガネをかけ容姿もさえない中学生(12才くらい?)。
人の考えていることを読む能力をもち知能も高い小さいチャールズという弟がいます。

有名な物理学者の父、美しい化学者を母に持ちますが父は失踪中。

町の人や校長先生までも失踪理由についてなにやらスキャンダラスなことがあったのではないかと噂をしていますが、メグは信じていません。
それがメグが荒れる理由にもなっています。

父は政府関係の極秘の仕事をしていて行方不明になっていました。
そんな中ミューリ家に謎の女性ワトシット夫人(Whatsit=なんとかいうもの)が訪れ謎めいた「五次元運動」なる言葉が出てきます。

その後スポーツができイケメンのメグと同じ学校の先輩カルビンも実は霊感が強いということがわかり仲間に加わります。
メグ・チャールズ・カルビンの3人組とワトシット夫人とその仲間のフー(Who)夫人
ウィッチ(Which)夫人と五次元運動を利用したワープで宇宙の彼方に旅立ちます。

宇宙では闇の力と過去から闘い続けており、地球にもその力が迫っていることを教えられます。
その力が父親を連れ去ったことを知った人は父親が捕らえられている惑星カマゾッツに向かいます。

3人は「それ」と呼ばれる存在が支配した管理社会の惑星に捕らえられている父親を救おうとしますが自分の能力を過信した弟は「それ」の罠にかかって心を操られてしまいます。

弟を敵から取り戻し地球を含む宇宙を救う使命は特殊な能力は何も持たないメグの双肩に委ねられることになり...。

最後にメグが使う、「それ」が持っていない武器とは?

あらすじ書いているとすごく楽しそうですが…。
眉村卓のジュブナイル(「天才はつくられる」とか「ねらわれた学園」とか)ものとほぼ変わらない展開で、話も眉村卓の方がおもしろいです。

なんでこの作品が米国でそんなに人気があるのかわかりませんが…。

1960年代前半にアメリカの小学生、中学生の読む女子向けSF作品がほとんどなく、その辺の文学少女にうけたのではないかと推測しました。
(オタクSF男子に「スラン」が受けたのと同様ー世間では迫害されているけれど本当はすごく、かわい子ちゃんと最終的にはめでたく結ばれる…。ちなみに「スラン」はとても好きな作品です。)

成績も振るわず、人付き合いの苦手かつ容姿もイケていない少女がイケメンの先輩と不思議な旅に出て宇宙の危機を救う。
ベタベタではありますが…(最後の武器も思いっきりベタベタです…。)欠点は多いものの小説を読んでいる自分が「何ものかでありたい」願望が充足されたのではないでしょうか。
Wikipediaで作者の経歴見たらメグの学校での姿は作者の経験が反映されているようです。)

ただベタベタなだけでなく次元の説明やらワープ理論の説明でもっともらしく加工しSF仕立てにしたところも文学少女たちにウケたんでしょうか…。

コンピューター的な「管理社会」に対する「自由」というのもアメリカかつ冷戦時代的です。

メガネを取ったメグを見たカルビンが「きみはまるで、夢のように美しい目をしている」といってメグが顔を赤らめる場面があります。
この場面を読んで「もしかして読んだかな?」と思ったのですが、メガネを取ったエイドリアンを見るロッキー・バルボアを思い出しました。
アメリカ人こんな場面好きなんですかねぇ。

小学生が読めばそれなりに楽しめるかとは思いますが大枚はたいて買ってまで読む価値はないかと思います。
またこの作品を小学校の図書館で読んで思い出深い方にもお薦めですが…

読みたい方は図書館か原書がよいかと。

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永遠の0(ゼロ) 百田尚樹著 講談社文庫 

2019-01-01 | 日本小説
たまには今どきの作品(かつSFでないもも)を読もうかなぁということで本書を手に取りました。

といっても本書2006年刊行ですからそれほど新しくはないんですけれどもね...。

もっとも著者の処女作となる本作ですが、”当初原稿を持ち込んだ多くの出版社には認められず、縁あって2006年にサブカルチャー系の太田出版から書き下ろしで発表された”(wikipediaより)ようで最初は認められなかったようです。
2009年に講談社で文庫化されてから話題になって売れ出したようですのでまぁ一般的には2010年代の作品とも言えますかねぇ。

岡田准一主演の映画が2013年で世の中では話題になっていたようですからまぁ…私の読む本としては新しい部類に入るかと。

今どきの話題になって売れる小説は「面白いんだろうなぁ」という認識は持っていて、本作も気になってはいました。

会社の友人に数年前「おもしろかった!」とも進められてもいましたし…。
ただ「みんなが読む小説を同じタイミングで読みたくない」という天邪鬼な面もあったりして読むのがこのタイミングとなりました。

本は今
年ブックオフで108円で購入しました。(まぁ入手も安くなりますし)

本作の著者百田尚樹氏、2012年以降最近までいわゆる「右より」な発言で物議を醸しています。

「作品」と「作家」は関係ないとはいえ本作のように、太平洋戦争を題材にしたセンシティブな作品だと一定のイメージがつくのは否めない気がします。(なお私の政治スタンスは…ノンポリです(笑))

そんなこともちょっと時間を置いて読むと客観的に作品を見られる(もしくは偏見?)ということかなぁと思ったりしています。

内容紹介(裏表紙記載)
「娘に会うまでは死ねない、妻との約束を守るために」。そう言い続けた男は、なぜ自ら零戦に乗り命を落としたのか。終戦から60年目の夏、健太郎は死んだ祖父の生涯を調べていた。天才だが臆病者。想像と違う人物像に戸惑いつつも、1つの謎が浮かんでくるーー。記憶の断片が揃う時、明らかになる真実とは。


とりあえずの感想、よく売れたのがよくわかりました。
構成がとてもうまく先が気になりどんどん読み進めてしまい最後は涙もウルウルしました。
(歳とともに涙腺ゆるくなっています。)

今どきの小説はやはり面白いですね。

ただ…これが20年、30年持ちこたえられるかどうかは時代経ないとわからないですが。

本作ほどの作品だと現代の空気感を反映していわゆる「受ける」書き方を十分研究して書かれていると思います。

良くも悪くもそれが「今」読むとアドヴァンテージにはなってはいるかと思いますがそのアドヴァンテージが抜け落ちてからも価値が残るかどうかがいわゆる時代を超えた名作かどうかの分かれ目と思います。

まぁなかなかそんな作品はないのも事実なんですけどねぇ。
(読む人の年代にもよりますし)

本作は前述のとおり、孫がゼロ戦乗組員であった祖父の足跡を関係者のインタビューでつないでいくという構成で、最初は「とんでもなく情けない人」という印象の祖父の真実の姿が明らかになっていくところなどなんともうまい!!

インタビューそれぞれが独立した話になっているので連作短編っぽくなっていて「感動」させるには一番向く構成ですね。
(SFでいえば「火星年代記」「都市」などなど)

まぁ逆にいえばいかにも「感動させてやろう」というのがあざといとも言えるんですが...。

また登場人物も割とわかりやすい人が多く単純明快(最後の方に出てくるやくざの大物など特に)で類型的過ぎるかなぁとは感じましたが…。
いわゆる「文学」な作品ではなく「面白さ」重視かと思うのでこれはこれでいいんでしょうね。

著者は本作が処女作なわけですが放送作家経験が生きていたんでしょうか、とても達者です。
そう考えると場面場面「映像的」な表現のような気もします。

太平洋戦争の各局面、航空隊の実態などもかなり取材、調査した感もあり戦後70年経った2006年に出された本書は太平洋戦争の実態(の一部)を広く知らせるという意味でも意義深いものかと思います。
(私は結構太平洋戦争もの好きでその手のもの昔よく読んでいました。山本七平だったりしたので若干偏っていますが)

ただ主人公(現代の方)の姉の婚約者の新聞記者(左系想定と思われる)の造形はいかがなものかなぁ...とは思いました。

この著者の作品は本作しか読んでいないので著者に対する評価はなんともいえませんが、本作とてもおもしろかったです。

とくに「おじさん」泣かせと感じました。
お薦めです。

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自己との決闘 アリアードナ・グロモア著 草柳種雄訳 世界SF全集24 早川書房

2018-12-31 | 海外SF
神様はつらい」を読むために図書館で借りた「世界SF全集24」収録3編のうち最後に読んだ1編です。

本作の著者アチアードナ・グロモアも日本ではほぼ無名の方のようです。
当時の早川書房よく発掘しましたねぇ、余程ロシアSFに強い人がいたんでしょうかねぇ。

グロモアは女性SF作家、1916年生まれ第二次大戦中はゲシュタポに占領されたキエフで地下活動に参加、ゲシュタポに捕えられ死の収容所へ送られる途中で脱走という激しい経験の持ち主。
評論家としても活動、キエフでの地下活動をテーマにした作品などを発表していて、SFは本作は1963年の作品で著者としての三作目のSFとのこと。(解説より)

なお翻訳の出来は(私感ですが..)「クムビ」>「自己との決闘」>「神様はつらい」というところです。

ただ作品としての評価(これまた私感) 「神様はつらい」=「自己との決闘」>「クムビ」という感じです。

内容紹介(これまた私の独断)
舞台はフランスパリ、無職で辛い生活を送る元大学生アルベールと元船員のロジェ、敏腕新聞記者ライモンは天才神経生理学者アンリ・ロラン教授が自宅で極秘で行う研究に引き込まれることになる。ライモン・ロジェはロラン教授の美貌の妻ルイザにも惹かれていく。ロラン教授の実験は生物学的に人間の脳や各部分を成長させた「人間のようなもの」を各種研究や実用業務に使っていこうという研究であった。
検体それぞれはある分野ではすぐれた能力を持つが、機会と違い高度な人間的感情ももつが、それゆえにライバル研究者シャンフォルの半導体で電子的に作っロボットと比べて著しく安定感を欠いていた。
ロラン教授は助手セント・イブと奇跡的に生物学的に脳を発達させる手法を発見したのだが体系化することができず、セント・イブを実験の段階で死なせてしまった罪悪感もあり意識を明確にするが副作用の強いシアルー5を大量摂取し弱りきり、死が近づいていた。そんななかロラン教授の創造した「人間のようなもの」がとった行動は破局を招く。


「フランケンシュタインのようなもの」の生物学的 創造を現代(当時の)に置き換えて思考実験をした作品です。

その生物学的アプローチと物理学、電子的アプローチ=ロボット及び電子頭脳と比較する形になっています。
のちの半導体技術の発展など考えると、当時としてはなかなか斬新なアイディアだったのではないでしょうか?

ロラン教授の創造した「もの」たちの巻き起こす騒動やら苦悩やらがコメディタッチでもあり悲劇的でもありなんとも楽しめました。
かなり好きな作品です。

ロラン教授の美貌の妻ルイザをめぐるライモンとロジェの鞘当てなどは紋切型でこの辺めぐるラストの処理もありがちではあるのですが....。
ハッピーエンドに終わらないところが「クムビ」と違いクールです。

それにしても女性作家なのに「ルイザ」に対する扱いがなんとも厳しいような....。
著者は女性ながら「地下活動」をした人ですから、善良な「主婦」「淑女」的存在に厳しい面があったんでしょうかねぇ。

話の整理があまいとか場面が転換しすぎというような欠点はあるかとも思いましたが全体的にモダンな感じの良作かと思いました。

お薦めです。

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クムビ ゲンナージー・ゴール著 飯田規和訳 世界SF全集24 早川書房

2018-12-30 | 海外SF
神様はつらい」を読むのために借りた「世界SF全集24」でしたが、せっかく借りたので収録作、他2篇も読んでおこうということで読みました。

1963年刊行の作品、著者のゲンナージー・ゴールは日本ではほぼ無名(多分)ですが、1907年生まれということですから本作書いた段階で55歳とベテラン作家。
戦前から非SF作品を発表していたようです。
第二次大戦中は有名なレニングラード攻防戦に義勇軍として参加。
戦後に科学者たちが主人公として登場する作品を書き出し関心がSFに向かったとのこと。(解説より)

私と同じく「神様はつらい」目当てでこの本を借りた人のネット上の感想見るとこの「クムビ」の評判が高かったです。

訳者の飯田規和氏は旧訳版の「ソラリス」を訳した方で訳は収録3作中一番の出来と思いましたし、それなりにうまくまとまっている作品とは感じましたが、私的にはもう1作の「自己との闘い」の方が好みでした。

内容紹介(これまた独断です)
共産主義が普及しそれなりに平和で幸せな地球。主人公、ヴォルフガング・ゲーテの父は時間研究所の所長として、遠く離れた未知のウアザ惑星からくる信号解読を行っていた、ウアザ惑星ではどうやら「無生物」の概念がないらしい。長じて時間研究所につとめたゲーテは、ウアザの「無生物の概念がない」という考え方に刺激され時間研究所で研究されている記憶・脳に関する研究、人口人格「クムビ」、死者の脳を人工的な再現、過去の完全な記憶を持ち決して忘れることのない人物クムビ(代償として人間的な感情が薄い)の調査に関わっていた。そんななか謎であった地球人よりも相当に数万年以上進歩している文明をもつ地球人そっくりの要望をもつウアザ人が直接コンタクトしてきた。
ウアザ人に「無生物」の概念がないというのは信号を誤解したものであるらしいかった。
資本主義を克服し共産主義が勝利し生物学・医学が勝利したウアザでは老化を克服し500歳以上生きても「青年」であるウアザ人の知識を、地球人は取り入れて新たな段階に...。


本作はあまり有名ではなく情報入りにくいかと思いましたので思いっきりネタばれで最後まで内容紹介いたしました。

全体的に文章は詩的で、主人公(少年⇒青年)ヴォルフガング・ゲーテの成長とどことなく詩的な感想などは、ブラッドベリ調(私がそんなにブラッドベリを知っているわけではないですが....一般的表現として)で美しいです。(訳文がいいのかもしれませんが)

ただ「中編」の長さで、「無生物の概念がない」や「人口人格」「死者の脳の人工的復元」「絶対記憶者」、長寿化した「ウアザ人」など盛り込みすぎでそれぞれのテーマの書き込みが深まっていないように感じました。

特に「人口人格」「クムビ」については主人公が同期してクムビの意識を体験する場面があり、かなり思わせぶりなのですがその後なにも語られずに終わります....。

死者の「ヴォロージャ」の人格を再現した「存在」と主人公の会話なども独立して読むと面白いのですが全体的なつながりが「???」でした。

異星人の体制にまで及ぶ共産主義礼賛は当時の体制としてはしょうがないとしても、長寿を達成したウアザ人が全くの「善意」で地球人にものを教えるというのは、現代の目から見るとご都合主義的には見えます。
(余談ですが寿命の克服、人間改造テーマ出てくると「最後にして最初の人類」が頭に浮かびました、今後この辺のテーマ出てくる度に浮かびそう)

1960年代という時代を考えると、いろいろなアイディアが盛り込まれていて、ゲーテ君の成長と恋愛成就含め「物語」としてそれなりに楽しめますが...。

現代的意味ではそれほど読む価値ないかなぁというのが感想です。
(もちろん本書を読む機会のある方は読んでみて損はないとは思いますよ~)

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神様はつらい ストルガッキー兄弟著 太田多耕訳 世界SF全集-24 早川書房

2018-12-29 | 海外SF
再びSFに戻り、読書の対象としている'12年ローカス誌オールタイムベスト長編、58位の作品です、1964年刊行。

本作この早川書房刊 の「世界SF全集24」に載っていることはわかっていたのですが...。
1970年刊行かつ他の刊より品薄なのか古本も高価(amazonで確認したら9000円台)と入手するのに躊躇する価格。
ということで今回は図書館のお世話になりました。

閉架ではありましたが地元の図書館にあったので借りるのは容易でした。

割と所有にこだわる方なのですが、コレクターではないので入手困難本は図書館でいいかなぁと今回改めて思いました。

眉村卓の司政官シリーズの集大成となる長編「引き潮のとき」1-4巻などもamazonで各巻5000-9000円とかなりの値段....。
アシモフ自伝全四冊なども同様、この辺は地元の図書館にあることを確認しているので図書館でいいかなぁなどと思っています。

でも「引き潮のとき」などは眉村卓の代表作といってもよい作品でしょうね是非復刊してもらいたいのですが....。
新刊で数千円/冊なら買ってもいいかなぁという気がしています。

「神様はつらい」も1989年(ペーター・フラインシュマン監督:邦題『惑星アルカナル』)と2013年(アレクセイ・ゲルマン監督:邦題『神々の黄昏』)と2度にわたって映画化されています。

内容が内容だけにマニアックな映画ではありますが、2013年の映画化に合わせて早川で新訳出して欲しかったなぁ....。

なおこの「世界SF全集24」には本作の他2作品収録されているのでそちらは別に感想書きます。

内容紹介(元ネタなにもないので私の独断)
数百年後の地球から」観察者として、地球でいえば「中世」の段階にある地球人とよく似た「人間」の暮らす惑星に「観察者」として派遣されたアントン=ドン・ルマータは派遣されている都市アルカナルで起きているる知識人排除やなんとも怪しげな独裁者の振る舞い、怪しげな宗教集団によるクーデターをなすすべもなく「観察」しているが....。


まず最初の感想ですが....訳が???。

翻訳小説読んでいて訳をけなすのは訳者に失礼なのはわかっているつもりですし、私に訳の良しあしがわかるとは思ってませんが...多分この訳はいまいちだと思います。

なんとも内容が理解しにくいかつ、気になる...。

この当時の早川の校正のいい加減さも併せて(「復活の日」でも書きましたが....)なんともかんともわかりにくい。

一例ですが
P419「料理女が適当な夫を授けてくれるように聖ミカに祈っていた。ただし 自主的で現役のある男の方が良いと。」

⇒「現役」=元気?、稼ぎがいい??、何かの単語を直訳したのでしょうか?

P421「独占企業体はヒトラーを支持していた。ドン.レェバを支持する者はだれもなく、」
⇒ヒトラーはこの惑星にはいないので「ヒトラーのことは独占企業体が指示していたが、それとはちがいドン・レェバ(アルカナルの独裁者)を支持するものは誰もなく...」といったようなことをいいたかったのかなぁ...と推察。

P426「ああ、私にできることといえばお城の門を重けて、勝利者を入れることだけ・・・・・・」
⇒「お城の門を重けて」、開けてだと思うのですが...これは誤植だかなんだか???

P427「 ぬすぎつね」⇒文脈から考えると多分「めすぎつね」誤植でしょうね。

P530「 20前年」⇒「20年前」かと。

P548「 たわし」⇒「わたし」かと...。
こんな訳・誤植のオンパレードで頭がおかしそうになりました....。


P548の「たわし」はエピローグの一番いい場面で幼馴染かつ主人公のもっとも愛する女性がいう言葉ですからなんとも....。

そこはともかく感想ですが...。

全編中世ヨーロッパ的な臭気と不潔さが漂い、なんともやりきれない品性下劣な惑星の土着民たち、その中で身体的にもかなり優れた能力がありながらもなんともできない主人公の焦燥感が伝わってくる作品です、なんともやりきれない....。

「SF」である必要があるのか?ということもありますが、いざとなればこの惑星中の人々を一人で大虐殺できる力をもちながら、「観察者」としての位置づけで「なにもできない」という状況をこれでもかと書かれることで考えさせられるところはありました。

訳のせいか(笑)、私の理解不足のためか作品が今一つ理解しきれませんでしたが、作者は本作に先立つ1962年に地球の青年が未知の惑星に行き封建制とも奴隷制社会ともつかぬ社会に遭遇し干渉しようとして失敗するという話「脱走への試み」、本作の後1969年にで独裁者の支配する惑星に不時着した主人公が立ち上がる話「収容所惑星」も書いているようですから相当こだわったテーマなんでしょうね。

ストルガッキー兄弟、共産党から相当睨まれていたという話もありますので、この辺「中世的」な世界を描いていますが...当時のソ連のこと、もしくは執筆当時の「現代」を描いていたのかもしれませんね。

「今(2018年)」も人間を大虐殺できる「核兵器」を持ってはいても、実際に「貧困」やら「ジェノサイド」「テロ」はなくならずで、某大国の指導者やら北朝鮮の権力者の振る舞い見ていると「神様はつらい」の世界と質的にはそんなに変わらないないような気もします....。

本編では主人公アントン=ドン・ルマータのいた地球は一応平和で幸せな世の中という設定でしたが...。

プロローグではなにやら意味深な設定(大きな戦争でもあったか????)でしたので、どんなに理不尽なことが起きていても武力でものを解決するのは「?」という前提もその辺を考慮してという設定だったのかもしれません。

冒頭ヘミングウェイの言葉として「このことをあなたに前もって行っておかなければならない。任務を遂行するうえで、権威を高めるために武器を手にすることがあるでしょうが、どんな事情があってもその武器に訴えてはなりません。いいですか、どんな事情があってもです。私のいうことがわかりましたね。」が紹介されていました。

腐敗した暴力がいいのか...大量兵器で皆殺しがいいのか...まぁどちらもよくないわけですが、「清く正しい」そんな世界など本当はどこにもない…ということで葛藤するしかないんでしょうかねぇ。

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ゴッホ殺人事件 上・下  高橋克彦著 講談社文庫

2018-12-28 | 日本ミステリ

SFが続いたので目先を変えたくミステリーです。

といってもシックな作品ではないですが...。

浮世絵三部作(「写楽殺人事件」「北斎殺人事件」「広重殺人事件」)読んだあたりで気になってブックオフで108円棚で見かけて下巻を買ってからしばらくして上巻を買って揃えました。

現在は他の多くの高橋克彦作品と同様に紙版は絶版となっており、kinndle版だけとなっているようです、2002年刊行。

本来は美術史シリーズ三部作となる予定だったようで、次作となる予定の「ダ・ヴィンチ殺人事件」は2003年3月から講談社の雑誌IN★POCKETで連載されていたようですが…(解説に書いてあった)色々探して見ても現在完成した形で刊行はされていないようです。

高橋克彦、その頃から作品数激減している感じですが???です。

ということで浮世絵三部作の流れを次ぐ「美術史」がテーマの作品。

探偵役は浮世絵三部作でもお馴染みの塔馬双太郎となります。(登場は後半から)
内容紹介(裏表紙記載)
上巻:
貸金庫に母が遺した謎のリストは何を意味するのか。パリ在住の美術品修復家・加納由梨子は「ヴィンセント」の文字を手がかりに調査するうち、存在すら知られていない膨大なゴッホ作品のリストだと知る。さらにゴッホの死因についての衝撃的な新説にも辿り着く。だが同時に、由梨子の身に危険が忍び寄る。
下巻:
盗聴器を自宅に仕掛けられた元恋人・由梨子の身を案じ、塔馬双太郎はパリへ飛んだ。ゴッホ作品リストの周辺で次々と人が死んでいくなか、日本人画商からオルセーにゴッホの真贋鑑定の依頼が入る。塔馬は東京に戻り、数々の謎の真相に迫る。壮大な国際謀略サスペンスかつ、美術史を揺るがす傑作ミステリー。


読後のとりあえずの感想、読んでいてとても面白かったです。

さすがはベテラン作家かつ直木賞受賞作家「高橋克彦」先が気になる展開で読む人を飽きさせません。

が…動機といい人間関係といい全体的に「ベタ」な感じで新味は…ないかなぁ。

犯人や絵に関わるトリックも浮世絵三部作の使い回し感が濃かったです

類型的に登場する「モサド」やらナチスの残党刈りやら007シリーズではあるまいし21世紀の作品として道具立てとしてどうなんでしょう?

ただ信憑性やら裏付けはともかくゴッホの絵に関わる新説、ゴッホの絵が何故生前1枚も売れなかったかの考察、テオとの関係を書簡から推理するあたりは興味深かったです。

絵が売れなかったのは諸説あるようですが、ゴッホの死の直後テオも亡くなりその後まもなくゴッホの絵が評価されているところから見て本作の見解も「なくはないかなぁ」という感じにはなりました。
(結果から見ているので真実かどうかは???)

テオの仕送り額から推察するところなどは浮世絵三部作と同様過ぎて既読の場合引く面はありますが…。(絵の方の仕掛けもですが)

でもまぁ深く考えず時間をつぶすにはいい作品だと思いますし、ゴッホやその時代の美術界の雰囲気など感じるには良い作品かと思います。

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アシモフ短編集未収録SF短編-SFマガジン

2018-12-25 | 海外SF
本ブログで何回か書いていますがアシモフの邦訳されたSF作品は全部読もうと思っています。
一応アシモフ単著の長編は「永遠の終わり」でコンプリートのつもりです。

短編の方は短編集収録作品は「コンプリート・ロボット」収録の未読分を読んで完読したつもりです。

未収録で邦訳のある作品のうち「S-Fマガジン」掲載の作品は読了したのでまとめて紹介です。

他にも数点ありそうなのは認識していますが...まぁここまでやれば、「アシモフ作品」だけならまぁまぁマニアかと...。

該当の「S-Fマガジン」はあれやこれやで入手しました。

入手経緯ですが、

1970年1月号:覆面座談会事件の流れで購入済(アマゾンで古本)でした。

1982年2月号アマゾンやら色々探しましたがどうにもみつからずヤフオクで1年分12冊を2000円で購入、「引き潮のとき」の連載など中身は興味深いのですが...。
残り11冊を捨てるのも何なのでどうしようか思案中です..。

1988年1月号アマゾンで古本を購入。

1990年10月号:アシモフ短編収録作品とは知らず「400号記念号」ということで神保町の古本屋で見つけ購入して持っていました。

1995年12月号アマゾンで古本を購入。
アシモフ特集号、アシモフファンは必読でしょう。
伊藤典夫氏のアシモフ評も必読かと。
自ら訳した「未来探測」につき「最後まで訳して不覚にも妙に、感動してしまった。」伊藤氏ならではの感性です。


各編内容紹介と感想など
「ホームズ=ギンズブック装置」S-Fマガジン1970/ 1 No.129
 浅倉久志訳 原題:The Holmes-Ginsbook Device 初出If 1968/12

・21世紀の科学者が発明しノーベル賞を得たものは…。

・力を抜いたユーモア短編です。
21世紀現在(2018年)の現実はタバコはアイコス化が進み、本はマイクロフィルムとビューワーではなく、タブレット端末で見る形での電子化となってそれなりに普及していますが…。
紙巻タバコも紙の本もそう簡単にはなくならない気がしてましたが...結構電子書籍も電子タバコ(アイコス)など普及してきましたね。

ただ本は場所考えると電子書籍は圧倒的に便利で移行しようかなぁとは思うのですが、紙と電子はなんだか感じが違う気が私はしています。
(タバコもそうなのかもしれませんが吸わないのでわかりません)

「チオチモリンと宇宙時代」S-Fマガジン1982/ 2 No.283
 浅倉久志訳 原題Thiotimoline and the Space Age 初出Analog 1960/10)

・時間化学の第一人者が水に触れる前に時をさかのぼって溶解してしまうチオモリンの有用性に関する講演をします。

・架空の化学物質「チオモリン」を題材にした短編は3編書かれているらしいですが本作が最後に書かれたものとのこと。
他2編が論文形式なのと比べ「講演」という形をとっています。
内容は…楽しんで書いている「ほら噺」という感じです。
ハリケーンが戻ってくるくだりなど楽しめましたが...強引です(笑)

「夢みるロボット」S-Fマガジン1988/ 1 No.361
 小尾芙佐訳 原題Robot Dreams 初出IASFM 1986/12

・若手女性科学者リンダが手を加えたロボットは「夢を見る」という。話を聞いた蝋スーザン・キャルヴィンの決断は…。

スーザン・キャルヴィンものとしては最後に近い作品なのではないでしょうか。
晩年のアシモフはどこかでロボット3原則に疑問というか、憎しみに近いものを持っていたのかなぁと感じさせる作品です。

後期ファウンデーションものも3原則逸脱させてますしね。
本作でもその辺垣間見えるブラックな展開です。
後述の「未来探索」もそんな感じです。

「マイクの選択」S-Fマガジン1990/10 No.400

 小尾芙佐訳 原題Too Bad!  初出IASFM 1989/12
・主人の癌を治すためミクロ化されて体内に送りこまれたロボット マイクの選択は…。

ミクロの決死圏パロディ的な作品。
「夢みるロボット」「未来探索」と違いロボット三原則の第一原則を忠実に守るロボットの活躍です。
三原則を忠実に守る優秀なロボットにやらせれば「こうなる」という思考実験的なものですが、穿ってみれば三原則否定なのかもしれませんね。

「未来探測」S-Fマガジン1995/12 No.474
 伊藤典夫訳 原題Robot Visions  初出Robot Visions 1990

・200年後の未来に送り出されたロボットは平和で落ち着いたハッピー・エンディングとでも言うべき世界であったが…。

・前述の伊藤典夫氏いわく「ロジックの多少の破綻など、この時期のアシモフにはどうでもよい」といわしめていますが、突っ込みどころはありありですし、陳腐といえば陳腐なのですが....。
徹底した平等主義者・無神論者のアシモフとしての一つの理想像、かつ三原則からの「脱却」と答えを表す作品なのかもしれません。
人造人間=アンドロイドという形ではディックなどが三原則にとらわれず作品書いてますし、ロボットが兵器となるターミネーターのような作品もありますしね....。
その辺は後期ファンデーションでも描かれている気はします...。

なお本作品は1996年の星雲賞海外短編部門を受賞しています。

「S-Fマガジン」700号記念号に、1997年1月号に掲載された「SFインターセクション」第一回 大森望氏による伊藤典夫氏のインタビューが掲載されています。
(なお大森望氏は「未来探索」について「正直いってそれほどすぐれた短編とは思えないから、これは伊藤典夫氏の力だろう」といっています。伊藤氏が翻訳者として「アインシュタイン交点」で行き詰っていたを打開して活動再開した時期であった)

伊藤氏いわく「アシモフは1940年代の「ロビイ」から、自分をロボットに仮託して書いていたんじゃないか」
これまたなるほどです...。

未収録作品、正直無理して「読まなきゃ」というほどの作品ではありませんが…。
まぁ読めば読んだなりに感慨深くはあります。

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最後にして最初の人類 オラフ・ステープルドン著 浜口稔訳 国書刊行会

2018-12-24 | 海外SF
大地は永遠に」に続き、'12年ローカス誌オールタイムベスト71位の本書を手に取りました。
また本作は'06年SFマガジン海外長編45位にもなっております、1930年刊。

ほぼ日本では忘れられていたステーブルドンの処女作である本書を国書刊行会が2004年に刊行したものです。

当時話題になったのか2006年のSFマガジンの海外長編ベストではランクインしていますね。
現在絶版のためこれまたアマゾンで古本を入手しました。

ステーブルドンは英国の人。
1886年生まれ、日本では明治19年、本書は1930年(昭和5年)刊行、著者44歳にしての処女作となります。

それまでは第一次世界大戦へ救急部隊員として従軍、その後大学で哲学の博士号を取得、哲学・英文学・心理学の講師などをしていたようです。

SFの父であるH.G.ウェルズが1866年生まれ、世代は違いますが、本作上梓後の1930年代から40年代に交流があったようです。
時代ですねえ

内容 (「BOOK」データベースより)
数度の大戦争を経験した人類は、24世紀、ついに世界国家を実現、高度な科学文明を築くが、核エネルギーの暴発が地球のほぼ全域を焦土と化してしまう。わずかに生き残り、世界再建を果たした人類を襲う火星人の侵略、生物兵器に端を発した疫病の蔓延。度重なる災禍によって肉体的、精神的に退行した人類は、しかし再び進化の階梯を登り始め、地球を脱出して金星や海王星に移住を開始する…。20億年に及ぶ人類の未来史を驚異の神話的想像力で描いて、アーサー・C.クラークらに決定的な影響を与えた伝説的名作。


とりあえずの感想「人間」を描くのが小説だとしたら本書は小説ではないように感じました。
「人類」はこれでもかというくらい描いていますが…。

特定の人物は断片的にしか描かれていませんので特定の「人間」はまったく描かれていません。

人類の破滅、破滅からの再生、進化や自らの操作による人類の形態の変化についてこれでもかと思考実験しています。
最終的にが20億年後まで描いています...スケールもでかい。

この辺のテーマのSFは今後どんな作品を読んでも既視感感じてしまうのではないかというくらいです、長編何冊分のアイディアがあることやら…。

小説というよりも思考実験を楽しむ作品といえるでしょう。

1930年発刊の作品としては第1期人類から「最後の人類」となる第18期人類までの描写はかなり科学的です。

第1期人類が絶滅寸前になり、少数から盛り返す姿などは、ミトコンドリアイブ説で唱えられる「かなり少数の集団」から人類が全世界に拡散して行ったモデルに対応している感じです。

火星人も出てきますが、非人類型のこんな感じの火星人ならまか「いるかもなぁ」と思わせます。

金星のテラフォーミングは現代の金星に関する知識から見ると無理があるような気もしますが手法はかなり科学的です。
人間の体の方も環境に合わせて変えてますしねぇ。

そこだけ取ってもアイディアだけ取れば「レッド・マーズ」など最近のテラフォーミングSFと比べても遜色ない気がします。

「人間」の自己改変も遺伝子をいじって目的に合わせていくという視点ではヴォルコシガン・サガシリーズでもよく描かれています。

時間軸も人類は進化は猿人からホモ・サピエンスまで数百万年(現代の説、1930年時点の説だと数十万年??)ですから本作の数百万から数千万年、数億年スパンであれば「人類が生き残れば」が前提ですが、こんなこともありうるかもなぁなどと思いました。

著者の経歴見ると哲学、歴史と文系なようですが、当時の素養として理系の素養も相当身につけていたんでしょうねぇ。

邦訳タイトルだけ見ると「最後の人類が最初の人類にとって代わるのか?」というイメージでしたが(原題:"Last and First Men")「最後の人類」=第18期人類が第1期人類=我々に向けたメッセージという形になっています。

第一期人類の章ではヨーロッパの没落、アメリカと並ぶ中国の台頭と軋轢などを予言的に描いています。
最終的にアメリカ化、物質万能となった人類が化石燃料枯渇とともに衰退します。
物質に根ざした文明が第2世代ですでに崩れてしまう様は「大地は永遠に」に通じるものを感じました。

衰退した人類が再び興隆するまで10万年単位の時間がかかり、せっかく栄えても戦争でほとんどを失い数十人の北極に潜伏していた潜水艦の乗組員から2種に分かれて行き、片方の側から第二期人類が生まれます。

教養的でない集団の群の末裔はペットとして連れて行った「猿」が主人となって、人類が家畜となっています。(この辺猿の惑星的)

この家畜人類と第二期人類が遭遇し、家畜人類の病原菌が第二期人類に悪さをしなどという話もなかなか科学的です。

このペースで第18期までいくと全然話が進まないので...。
かいつまんで話すと、人類は何回も病気やら環境の激変にさらされ滅亡しながらもなんとか「人類」として続いていき、それなりの「叡智」を獲得するのですが....。

最後(太陽自体最後を迎える)の叡智を獲得したかに見える第18期人類でさえも太陽の放射線の影響による病でおかしくなってしまいます。

そこにどんな教訓を持つかは人それぞれかと思いますが、賢くもあり愚かな人間に対する「愛情」もしくは「諦念」のようなものは感じました。

あまりに賢すぎてもまぁ面白くないですしねぇ...。

なお進化のイメージとしては海王星に唯一の脊髄動物として移住した第9期人類の末裔が数億年の間にイルカやハチドリ、草食性・肉食性人類と分化していくイメージが「すげぇ」と思いました....。
そもそも「人類」なのか???という感じですが...遺伝子としての人類と「知性」としての人類を考えさせられました。
その中でも「兎」のような人類から第10期人類が進化しその流れの第18期人類が第1期人類とも記憶を共有する...雄大なイメージですね。

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大地は永遠に ジョージ・R・スチュワート著 中村能三訳 ハヤカワ・SF・シリーズ

2018-11-23 | 海外SF
本書は’12年ローカス誌オールタイムベスト67位、1949年の作品となります。
1951年に第一回の「国際幻想文学賞」を受賞しています。

この賞1951年から1957年と短命でしたがスタージョンの「人間以上」シマックの「都市」最後の1957年にはトルーキンの「指輪物語」とそうそうたる作品が受賞しています。

本書は文庫化されていないので、新書版のハヤカワ・SF・シリーズの古本をアマゾンで注文して入手しました。

奥付見ると昭和43年(1968年)5月刊行、私が生まれる2年前の刊行です。

解説は福島正実氏、福島氏らしいなんとも真面目な解説です、この辺も時代感あります。

原題は"Earth Abides"聖書の伝道之書第一章第4節の文句「世は去り、世は来る、地は永遠にたもつなり」から取られているそうです。

いわゆる「エンターテイメント」なSFではなく教養小説と科学シュミレーション小説を合わせたような内容です。

著者のジョージ・R・スチュワート氏、SF作家というよりも歴史家、主流文学・ノンフィクションよりの人のようです。
本作以外ではアメリカでもほとんど忘れられている作家のようですが…。

本作がSFのオールタイムベストの上位に来ているのは「古きよきアメリカ」好きな人が投票しているんでしょうかねぇ。
内容紹介(裏表紙記載)
「・・・・・・そこで、アメリカ合衆国政府は、コロンビア特別区を除いて緊急事態突入のための活動を停止します。兵士を含む連邦公務員は、各州知事もしくは地方自治体の指揮下にはいってください。大統領代理の命令です。神よ、合衆国人民を救いたまえ・・・・・・」こう伝えるラジオ放送も、やがてかすかな空電のうなりの中に埋もれ、途絶えた。アメリカ全土が、いや世界中が未曾有の死亡率と猛烈な伝染性をもった未知の悪疫に席巻され、人類文明はあえなく滅び去った。生残者はごく僅かだった。社会生態学の研究のため山奥にこもっていた若き学生イシャーウッド・ウィリアムズもその一人だった。彼が下山したときは、もはや文明は存在しなかった。町もハイウェイもすべてまったく無人の砂漠と化していた。なすすべもなく人類は滅亡したのだ。だがイシャーウッドは絶望しなかった。初めて人間性と社会意識にめざめた彼は、持てる最後の力を奮起し、勇気と信念をもって立ち上がった、新しい文明社会の再建のために!

内容紹介の通り典型的な人類絶滅小説です。
「いわゆるSF」的な仕掛けはなく人類は淡々と滅びを迎えます。

異常な事態に直面して生き残った主人公及び数少ない人類の生き残りたちの姿を丁寧に描いています。

伝染病で人類ほとんど絶滅という状況は小松左京の作品では「復活の日」に近いですが、ごく少数になった人間の生活をシミュレーション的に描くという意味では「こちらニッポン…」に近い感じでしょうか。

ただ小松左京の2作と違い派手な描写はありませんが尻切れトンボではなく、主人公の40年以上(多分50年くらい)の長きに渡る生活を根気強く描いています。(小松左京に厳しいですかね…。)

新書版1冊でそれほど厚くは見えないのですが、小さい活字で2段組424ページですから今の版組で文庫化したら上下巻にはなりそうです。

情感溢れる良い作品だとは思うのですが、派手な作品ではないですし、なにせ60年前の作品ですから…「今どき」の内容でもなく、映画化でもされて大ヒットでもしないと新訳・文庫化はなさそうな気がします。

そういう意味ではこの作品自体が「忘れられていく遺産」という感じで本作の読後感ととても親和性高いです…。

以下内容紹介です。
未読の方は読まない方がいいかもしれません。

物語は三部構成になっていて前述の通り主人公イシュの目から見た世界(アメリカ?)を描いています。

・第一部 終わりなき世界
主人公イシュがひょんなことで生き残り、誰もいないアメリカを国中周り数少ない生き残りの仲間を探しコミューン的な集合体を構築するまで。
第一部では当時の生物学やら色々と科学的な知見を生かしてシミュレーション的な面があります。
そういう意味では「こちらニッポン」的ですが...。
徐々に壊れていくアメリカ中の構造物の描写はもっと詩的です。
第一部の終わりでイシュは伴侶を得て数人の仲間を集め集落を形成します。
第一部の終わりには「あわただしい日々」と題したつなぎの章を置き、かいつまんで集落のその後の21年のあゆみを紹介して第二部に続きます。

・第二部 第22年
集落結成の22年目の1年間を描いています。
中年となったイシュを中心とする集落。
最初の7人の子が育って孫もでき、数十人規模の集落となっています。
鉄やら石油やら水道やらは残されたものを使用して生きています。
年月とともに残された文明の遺産は劣化していきますが治す能力はなく、このままでは人類の文明が喪われてしまうということでイシャーは教育やら何やら悪戦苦闘しますが…。
「鉄」一つとってもその辺から持って来ればいくらでも手に入れることが出来る楽な生活の中で「学ぼう」という気になりません。
そもそも高度に役割分化し大量消費を前提に設備化されているものを復活させることは誰にも無理。
例えば「タイヤ」など1から作るのは不可能ですしタイヤがなければ車は動かない。

そんな焦燥感もありイシュは子供達を車でアメリカ探索の旅に出し他の集落との交流を試みますが…。

子供たちが連れ帰った中年の男チャーリーは何やら不穏な空気をまとっており、イシュを中心にまとまっていた集落に波乱をもたらします。

第二部も第一部同様「あわただしい日々」の章を置き、23年目から43年目、それ以降はイシュも年老いて毎年恒例のハンマーで石に年を刻むこともしなくなり、何年経ったかわからなくなり、集落で生き残った第一世代はイシュだけとなります。
第二部ではなんとか「文明」を残そうと悪戦苦闘していましたが…その辺はすっかり諦めています。

・第三部 最後のアメリカ人
最後に生き残ったイシュは集落の長老とも半ば神ともいえるような存在として敬われています。
集落の人々はいわゆる「文明的な生活」からはかけ離れていますが、それなりには満足してたくましく生きています。
そんな中イシュにもついに終わりが訪れます。
「最後のアメリカ人」というのがなんともアメリカ的な表現ですが…。

淡々としたラストでしみじみとイシュの人生に思いを馳せたくなリました。

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永遠の終わり アイザック・アシモフ著 深町真理子訳 ハヤカワ文庫

2018-11-17 | 海外SF
本書は’12年ローカス誌SF長編オールタイムベスト66位、1955年の作品です。

アシモフのSF長編、本書の感想を書いてコンプリートです!!!

アシモフの邦訳SF作品、あとは短編集未収録作品を残すだけですがほぼ制覇といってい
いので数年越しの課題が終わり感無量です。

本書の初読は小学校高学年か中学生頃ですが、その後も何回か読みなおしていて最後に読んだのが12~3年前、古本屋で見つけて買って読みました。(もともとの本は実家にあったため買った)

その時本書の構成の巧みさに舌を巻いた記憶があり改めてアシモフを見直し、「またSFを読もう」というきっかけのなった作品です。

若干あっさりし過ぎている感はありますが緻密な構成で完成度の高い名作だと思います。

アシモフの長編では「ファウンデーション三部作(1,2,3)」「神々自身」と本書あたりが将来まで残る普遍性のある作品だと思うのですが…ファウンデーションを除き絶版なのが惜しまれるところです。
(あとは「夜明けのロボット」もお薦めですが…これも入手できない。)
今回読んだのは実家から持ってきたもの。
昭和52年1月刊です。当時7歳ですから日付から見ると古本屋で買ったんでしょうねぇ。

本書を子供のころ最初に読んだ時はミステリー的に読み、ラストで「なるほどねー」と感心したのですが、今思えば浅い読み方だったと思っています。

時間を行った来たりして世界を変えるというところ、「男」が巻き込まれ「エージェントとして動く」ということから 小松左京の「果しなき流れの果に」との類似性を感じた記憶があります。

両者を比べるとエンターテイメント性は本書の方が上なので当時の私は単純にその辺評価して比べて「本書の方が上だ」と感じていた記憶があります。

今思えば「超越者」を前提とした「果しなき流れの果に」とあくまで「人間」の力で世界を変えていこうという本書とはテーマ性がかなり違うんですけどもね。

好みの問題かとは思いますが「宇宙観」のようなものを無理矢理表現して「大説」を描こうとして中途半端感のある「果てしなき〜」よりも、大きな流れに巻き込まれた「個人」=「1人の男」が意志の力と行動で世界を変えていく設定の本書の方が私は好きです。

最終的に変わった世界はある意味神も仏もない世界ですし、とてもアメリカ的なマッチョな世界なんですが…このラストを肯定的に書いているこの時代のアシモフの、進歩を無条件に信じる「若さ」を感じます。

後期ファウンデーションものなどでは「何が正しいのか」に迷いを感じるのでその辺も読み所かと。

また本書、アシモフとしては珍しいタイムトラベルもの(アシモフはタイムトラベルは科学的に実現しないものの際たるものということであまり好きでなかったようです)で唯一の長編となります。

時間ものでは他に短編の名作「停滞空間」があります。
アシモフ自身「時間ものは仕掛けとしてはとても魅力的」といっているように科学的実現性はともかくとして、「名作」が生まれやすいテーマとはいえるんでしょうね。
内容紹介(裏表紙記載)
時のはざまを彷徨し、未来の安寧と平和のため過去を矯正する資格をもつ「永遠人」。
厳しい訓練と教育を受けたハーランは15歳のときに、時間管理機関<永遠>の研修生となり、やがてもっとも有能な技術士の一人となった。彼の担当は482世紀。この世紀は人工生殖が隆盛を極きわめた唯一の時代で、いまや<現実矯正>が必要とされていた。だが、<普通人>の美しい女性、ノイエスとの出会いは、彼の運命を狂わせた。
<現実矯正>の結果は、愛するノイエスの消滅をも意味していたのだ。執行日は容赦なくせまるが・・・・・・!? ミステリタッチで描 く巨匠アシモフ唯一の時間テーマSF!


今回読んでの感想、前回読んだ記憶がかなり残っていたのと、最近の私が「SFズレ」していることもあり「すげぇ」とまではなりませんでした。

ですがアシモフには珍しい抑え気味の筆致でタイムマシンものの基本とパラドックスの面白さを描きつつ、ミステリの要素も兼ね備えて最後までぐいぐい引っ張っていく作品であり前述のとおり「名作」といってよい作品だと思いました。

物書きとして一番油が乗っていたであろうアシモフがこの頃からサイエンス・ライターの方に興味を移してしまったのはとても残念です...。

これまた前述ですがラストの「結論」日本的にちょっと受け入れずらいものがあかなぁ...なので本書が再刊されない理由、その辺の事情もあるかもしれません。

「永遠」=「エターナル」という組織の発想、手の込んだ仕掛けと謎解き、後に統合されるアシモフ未来史の番外編となる構成どれをとっても巧みすぎるくらい巧みです。
初読の方は舌を巻くこと必定でしょう。
未読の方は古本屋で見つけたら買いですねぇ。

何言ってもネタバレになりそうなので...内容のことは書きません。(手抜きではない...つもり)

今回読んで気づいたのはこれまで主人公のハーラン、マッチョな青年なイメージでしたが、初心でオタクな若者に感じました。

これは年取って読んだ効果ですね。

ただまぁ男はいくつになっても「バカなものかなぁ」とも自分でも思いますし、本作に出てくるエターナル評議会の長老であるトウィッセルなど見ても思います...。女性にはかないません(笑)
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