しろくま日記

読んだ本の感想を記録してみたいと思います。
なんだか忘れてしまうので。

ゲイトウエイ フレデリック・ポール著 矢野徹訳 ハヤカワ文庫

2014-11-27 | 海外SF
12年ローカス誌オールタイム長編ベスト19位の「黙示録3174年」を読んだことで、同20位である本書「ゲイト・ウェイ」を読めば1位から22位までがすべて読了になるということでamazonで古本を注文して入手。(現在絶版のため)

1940年代からアシモフらとともにSF界で活躍していた著者のフレデリック・ポールですが本作の刊行は1977年と比較的新しい作品ですが、本作でヒューゴー・ネピュラ ダブル受賞を果たしておりフレデリック・ポールの代表作ともいえる作品です。

内容紹介(あらすじ)
金星付近の小惑星で発見された千隻あまりの宇宙船―それは、謎のヒーチー人が残した超光速船だった。この船を使えば、人類の念願の恒星への飛行が可能となる。だが、操縦方法は皆目わからなかった。目的地も、要する時間も、エネルギーの残存量もわからぬ状態で飛び立つしかない。行手に待つものは死か、それとも、富を約束する未知の惑星か…。かくて、一攫千金を夢見る冒険家たちによって、スター・ラッシュが始まった!SF界の重鎮が、斬新な手法と躍動感あふれるストーリイ展開とで描き、全米の読者から熱狂的にむかえられた、ヒューゴー賞、ネビュラ賞受賞作。


とりあえずの感想「おもしろかった」。
ものすごく感動したとか感心したとかいうのはないんですが、ベテラン フレデリック・ポールが余裕たっぷりに描いている感じで楽しめました。

「主人公が精神的におかしくなっており、それを振り返る形で話が展開する。」という作品なことはネットなどを通じて知っており、もっとウェットな作品かとも思っていたのですが軽妙な仕上がりの作品でした。

傾向的には「リング・ワールド」(1970年)に近い感じで、過去のハードSFのパロディ的要素がかなり含まれているメタSF的作品な気がしました。
難しい理屈満載の「ニュー・ウェーブ」SFに飽きた(?)当時のSFファンが読むには肩の力が抜けていながらも抑えるところは抑えている本作は受け入れやすかったんでしょうねぇ。

古典的ハードSFにありがちな恒星間飛行等々の原理はすべて太古に太陽系に来ていて今ははいない謎の異星人ヒーチー人のテクノロジーということになっています。
恒星飛行の「原理」はまったくの「謎」のままになっており、運転方法も適当に座標を合わせてあとは運頼み…。
でも謎の原理で動く宇宙船の乗船体験のスペースの問題やら食料問題はハードSF的にリアリテイのある描写になっています。

なんともいい加減な宇宙船に乗って宝探しで一発当てようという人間が主人公と主要登場人物ですから、知力・体力や人格的にも特に優秀なわけではない人たちが殆どです。

それでも行く先も運頼みの宝探しに出かけていく人たちですから多くのメンバーは一定の「勇気」やら「覚悟」はあるかなぁ?という感じなのですが、主人公はそれもあまりない…。
せっかく宝探しのメンバーになっても、怖気づいてしまってどうにもならない状況に陥らないと出発できない。
メンバーになるにはみんなある程度のお金を投資するのが必要で、ある家族は死にかけた家族の体を売って費用を捻出したり、他のメンバーは爪をともすような努力でお金を貯めて参加しているわけですが….。
この主人公の場合は「宝くじに当たった」お金を使っています。
この主人公にあるものは…..「運」だけ。

一発当てたいのも人口が増えて生きにくい地球のシェールガス鉱山で働く自分のみじめな境遇から逃げ出して楽をしたいというだけで別に何がしたいというわけではない…。
そんな主人公のへなちょこ探検隊員ぶりと、どうやら一発当てた後の主人公がロボット精神科医に治療を受けている場面が交互に描かれています。

こう書くと深刻な気がしますが、実際にはたんたんと軽妙に書かれているので主人公のへなちょこぶりを楽しみながら読んでいくといつのまにやら残りページ数も少なくなってきて「果たして最後はどう決着をつけるのかなぁ?」と思いましたが…。

最後はかなりの急展開でいかにも主人公らしい「へなちょこ」な感じで一発当て、へなちょこながらも心根が優しい(?)主人公は精神的に壊れてしまいます。

ラストはロボット精神科医の「許し」の言葉で終わるわけで、これに「感動した」という人もいるようですが....私はそんなに大げさなものとは思えませんでした。

アンチヒーローな人間がSF的状況におかれてしまっことの悲喜劇を淡々と余裕たっぷりに描いており、それをありのままにゆったり楽しめばいい作品ではないかなぁなどと感じました。

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映画:男はつらいよ フーテンの寅 森崎東監督

2014-11-22 | 映画
男はつらいよ第3作です。
本作と第4作は、山田洋次脚本ですが、山田洋次監督作品ではありません。
1970年1月15日公開
前作が1969年11月15日公開、第4作が1970年2月27日公開ですから当時の日本映画の撮影ペースはものすごいですねぇ。
画像amazonから

内容(amazon商品紹介より)
お見合いを承諾した寅さんが相手の女性に逢ってびっくり、知り合いの旅館の従業員・駒子だった。駒子が恋人の腹いせに見合いをしたことを知った寅さんは二人の間を取り持ち、結婚式を挙げさせた。それから一ヶ月、湯の山温泉で旅館の番頭をやっていた寅さんは、旅館の経営をいっさい切り盛りしている未亡人・お志津に淡い慕情を寄せていた。そのお志津のために、お志津の弟・信夫と芸者・染奴の間も取り持った。しかし、お志津には心に決めた人がいることを知らされ失恋してしまう。 ■ロケ地:三重県四日市・湯の山温泉 ■マドンナ:新珠三千代


一、二作と人気だったためか今回のマドンナお志津役に新珠三千代、サブマドンナ 染奴役に香山美子と配役のグレードも上がっているような…。
そのマドンナの弟で染奴の恋人役の河原崎健三も山崎務同様必殺仕置人に死神役で出ていましたね….。
「青春」まっさかりキャラで、これまたキャラが違うのが楽しい。

冒頭、前作は後にも採用される「夢」からのスタートとなりましたが、今回は旅人宿で風邪を引いている寅さんの画からのスタートです。
宿の女中さんが樹木希林なのがまたいい…。(笑)

旅から柴又に帰った寅さんのお見合い相手が春川ますみ、これも懐かしい…。
「江戸を斬る」のイメージ(笑)

前作、前々作とマドンナは割と若い御嬢さんでしたが、今回は子持ちの未亡人ながら御嬢さん育ちの新珠三千代が演じるお志津さん。
成熟した女性の魅力があります。
寅さんの自分に対する恋心に気づいたときも、前作までは「悪いなぁ…」という感じがそこはかとなくありましたが….。
今回は「迷惑だわ~」というのがあからさまにでています。
このお志津さんは寅さんに引導を渡すのも「やだわぁ」と逃げてしまい、気持ちを代弁するのが宿の女中頭と番頭さん….。
寅さんかわいそうですが、まぁこんなもんですよねぇ。

番頭さん役の左卜全がとてもいい味を出しており、この場面はシリーズ通してもかなり名場面なんじゃないかなぁと感じました。
また本作ではお志津の弟信夫と芸者染奴の仲を寅さんがとりもつわけですが、この辺の恋のキューピット役的寅さん像も後作に受け継がれていくわけですねぇ。

ラスト近く旅先でTV取材された寅さんがお志津さんに叫ぶ場面がありましたが、それも全然伝わらない….。
お志津さんの再婚相手は大学教授ですし、お志津さんの弟(河原崎健三)も大学をやめて染奴と駆け落ちしてしまうし…。
当時の学園紛争的な空気が色濃い設定なんでしょうか。

この辺含め監督の違いが作風に出ているかもしれませんね。

ラスト寅さんが南へ向かう船の中で若者相手に的屋のタンカを切ったり、「旅人」的生活を語っているところで終わりますが、自由人として「寅さん」を捉えている感じも当時のヒッピー的文化を象徴したりしているんのかなぁと感じました。

「自由人」寅さんのキャラ付けがされた作品なのでないでしょうか。

黙示録3174年 ウォルター・M・ミラー・ジュニア著 吉田誠一訳 創元推理文庫

2014-11-20 | 海外SF
暗黒星雲のかなたへ」の後SFに戻る気はなく、山本周五郎の「虚空遍歴」を読み出したのですが、なんだか主人公の可哀想さに耐えられず途中で挫折し….SFである本書を手に取りました。

さて本作‘12年ローカス誌オールタイムベスト19位と米国で評価の高い作品のようです。
wikipediaをみると“終末戦争後の世界を描いた小説としては最高の評価を与えられている。(最近wikipediaに頼っていて安直ですが…)作品のようです。
1959年発刊。

著者のウォルター・ミラー・ジュニアは寡作な作家で本人単独で書いた作品としては本作が唯一の長編とのこと。
アメリカ人には珍しいカソリックで第二次世界大戦中イタリアの修道院の爆撃作戦に参加した体験などが本書を書く動機にもなっているようです。

現在絶版となっておりamazonでもプレミアがついていて「入手できないかなぁ」と思っていたのですが、ブックオフ錦糸町店で発見できてラッキーでした。

内容(裏表紙記載)
最終核戦争の結果、一切の科学知識が失われ、文明は中世以前の段階にまで後退した。だがその時、一人の男が災禍を逃れた数少ない文献の保存につとめるべく修道院を設立した。そして30世紀をすぎる頃、廃墟の中から再建が始まろうとしている。今度の文明こそは、自滅することなく繁栄の道を歩めるだろうか?孤高の記録保管所が見守る遠未来の地球文明史。ヒューゴー賞受賞巨編。


内容紹介及び題名からマッチョな教会をめぐるマッチョな作品かなぁと思っていたのですが、しっとりとした雰因気の、「名作」らしい名作という感じの作品でした。

原題が“A Canticle for Leibowitz”直訳すると「リーボウィッツのための聖歌」という感じでしょうか?
まぁこれもピンとこない題名ですが、読後に見ればこちらの題名の方がしっくりきます。

各編独立した三部構成になっていて、第一部は20世紀に起きた最終戦争から600年後の2500年代、第二部は3174年、第三部は3781年を舞台にしていて時代時代の「リーボウィッツ修道院」を中心にした年代記となっています。

第一部 人アレ
文明は中世以前の段階まで衰退しており、リーボウィッツ修道院の修行僧が核シェルターからの遺物を見つけたことにまつわる話を軸に展開します。
この修行僧は発見された遺物である「固定子、巻線型式 73-A、位相3、部品番号6、毎分1800回転、5馬力、A級、リス籠型界磁」の図面を宗教的な抽象図としてなにがなんだかわからないながらも15年かけて金箔やらで飾り立てながら愚直に筆写します。
その筆写した図面は結局なんの役にも立たずに盗賊に奪われるわけですが…。

この修行僧の「愚直」さがなんともいい。
禅の世界では庭をひたすら掃き続けて悟りを開いた僧などという例がよくいわれますがまさにそんな感じですね。
宗教的な話というのはどの宗教でも似てくるんでしょうかねぇ。
「2500年」の話ということで語られていますが、意図的に「中世的」世界が描かれています、第二部・第三部を読んだ後に第一部を思い出すとなんとも味わい深く感じました。

第二部 光アレ
第一部から600年以上経ち、「中世以前」であった世界も徐々に成長していきます。
科学技術も徐々に「復興」されてきて最初の歴史からいえば「ルネッサンス」的な世界になってきています。
(先行文明があるだけにルネッサンス時期より科学技術は進んでいますが)
科学技術だけでなく政治的にも覇権を唱える国も出てきて中央集権的国家が成立しつつあったりします。
話としては「科学者」の象徴であるファーデントロット博士と精神世界の象徴リーボウィッツ修道院長の「からみ」を中心に進んでいきますが最後は「20世紀の間違い…というか自滅への道を人間は踏み出してくのか?」と暗示しています。
人の生活を豊かかつ便利にしていく科学技術ですが精神の成長が伴わないとまた悲劇が起こるのか?悩ましいですね。

第三部 汝ガ意志ノママニ
第二部からまた600年たち…。
科学技術は恒星間飛行も実現するところまで進歩しています。
20世紀を超える進歩をしているわけですが、第二部で暗示されたそれを使用する人間の「精神」は進歩がなく、世界中に大国が跋扈し再び核戦争の危機が訪れます。

なまじ20世紀より化学技術も進歩しているので今度こそ本当に人類は滅亡しそうになってきます。

本部最後の方で、治る見込みのない患者に「安楽死」を薦める医師と、生を全うするべしという「宗教者」リーボウィッツ修道院長が議論したりしていますが、この辺の議論は科学技術と違い38世紀になっても全然進歩していない。
人間って...。
と考えさせられました。

ラストで神的存在が修道院長の前に現れますが、この辺はキリスト教に詳しくない私としてはピンときませんでした。

第一部から第三部まで通して「道化役」的謎の老ユダヤ人(同一人物かどうかも定かではない)が出てきますが、その存在も話をミステリアスにするのに効いていました。
最後まで謎の人物でしたが….どういう存在なんだろう?
(これもキリスト教に詳しいと分かるのかもしれませんが…。)

「SF」という分野と独立した短編形式の話をつなげて長い時間を経過させる様式とは相性がいいんでしょうか?
名作が多い気がします。
アシモフの「ファウンデーション」三部作、「わたしはロボット」もそうですし、他にも「火星年代記」「幼年期の終わり」「都市」もそんな感じの名作ですね。
本作もそのような流れを汲んだ1950年代的SFの終盤に現れた名作の一つという分類もできるかもしれません。

私はこのような形式に弱くけっこう感動してしまい、読後しばしなんとも整理できない感情が湧いてきて大変でした。
「結局中世的な世界が人間の「精神」の成長度合いからすると一番いいのかもしれない…。」
「人類の幸せとは?」
というような極めて青臭い感情です。(笑)

古典的SFは文明論を語るものが多いですが、まさにそのような意味での名作な気がしました。
その辺、「ニューウェーブ」やら「サイバーパンク」の立場から見ると古臭いのかもしれませんが…。
私は1950年代SF好きですねぇ。

第三部で修道院長にキリスト者として「自殺」「安楽死」にあれほど反対させていた著者のウォルター・ミラー・ジュニアですが、1996年に銃で自殺したようです。
この辺もなんとも....。

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暗黒星雲のかなたに アイザック・アシモフ著 川口正吉訳 グーテンベルク21 

2014-11-15 | 海外SF
聖少女」を読み終わり、まだSFに戻るつもりはなかったのですが…。
だいぶ前にためしにKINDLEで購入していた本作しかカバンに手持ちがなく読むことになりました。

端末はNEXUS7です。

最近KINDLE PAPER WHITEが気になっており、「電子書籍で小説を読む」ということを試したいという気持ちもありました。
今回やってみてマンガなら問題ないのですがNEXUS7で小説を読むと電池が早くなくなることがわかりました。
小説を読むならKINDLE PAPERE WHITEがいいんだろうなぁと思いましたが、電子書籍はブックオフで買うより高いですし、品揃えもいまいちな気が…。
私の読む本の傾向はこのブログの通りなのですが基本古めなので電子書籍で出ていないものが多いです。

最近ハヤカワ文庫の古めのSFが電子書籍化されだしているのは興味があるのですけれどもねぇ。
(アシモフの本書や「夜来る」もハヤカワ版で電子書籍化されだした)
と、こちらの方の結論はでませんでした。

さて、本作は1951年刊。
本作と1950年刊の「宇宙の小石」、1952年刊の「宇宙気流」の3作はアシモフの未来史的に、ファウンデーションの前史にあたる「トランターもの」として分類されてます。
以下wikipediaの引用ですが“いずれも惑星国家のひとつであったトランターが周辺諸国を統合して銀河帝国の礎を築きつつあった時代を舞台にしている(ただしトランター自体は直接には登場しない)ため、アシモフの著作群のなかでは「トランター・ノヴェル(トランター物)」として分類されている。”
とのこと。
アシモフは1980年代からファウンデーションシリーズと「鋼鉄都市」の系列のシリーズを一つの未来史に統合していくわけですが、本作と1985年刊行の「ロボットと帝国」との間で地球の放射能化に関する整合性は取れていなかったりします。
が、まぁご愛嬌ですね。
ちなみに初読です。

内容紹介(amazon記載)
壮烈な核戦争の結果、絶滅にひんした地球も千年後には緑をとりもどし、人類は銀河系に進出していた。だが、そこに展開されていたのは、ティラン大汗国の専制に抗する諸惑星の姿だった。ティランに反旗をひるがえすバイロン・ファリルの行く手には、限りない策謀と落とし穴が…アシモフならではの卓越したプロットとスリルで一気に読ませるスペース・オペラの代表作。

本作、何かの本の解説に書いてあった記憶がありますが…多分ジュブナイルだったはず。
読んでみても内容的にいかにもジュブナイルっぽい感じです。

その解説には少年時代本作を読み「血湧き、肉躍る感じがした」というようなことが書いてあったような記憶があります。
確かにそういう面では名作な気はしました。

ファウンデーションシリーズは「ローマ帝国」を下敷きにしているようですが、本作では「大汗国」とされているようにモンゴル帝国と侵略されたヨーロッパの関係を下敷きにしているようです。
「騎馬」で征服したモンゴルになぞらえ、機動的な小型宇宙船の戦力がティラン大汗国躍進の原動力となり他の文明度の高い惑星諸国を征服していったようです。

牧畜領主の息子バイロンと、征服された王国の王女様のロマンスが軸ですし、結末も脳天気といえばかなり脳天気なものです。
第二次世界大戦後の作品ですし、もしかしたらアシモフ風の皮肉かもしれませんが…。
(銀河「帝国」と民主制は合わないような....)

ということで全編「深み」のようなものを求めると物足りないかと思いますが、危難に立ち向かい成長していくファイロン・バリルと最後の最後に明らかになる敵役のわかりやすい悪役ぶりもなかなかいい感じで安心して楽しめます。

基本勧善懲悪なのですが、誰が「味方」で誰が「敵」かも二転三転して、最後の最後まで謎解きが続きその辺も楽しめる作品になっています。

ネタバレ的ですが...。
大汗国に対抗する勢力の本拠地の所在地をめぐる謎は「第二ファウンデーション」を下敷きにしている感じですが...。

まぁ難しいことをいわず楽しむ作品かと感じましたし、とにかくアシモフらしいそつのない作品ですね。

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映画:続 男はつらいよ 山田洋次監督

2014-11-12 | 映画
シリーズ第2作です。
第一作の同年の1969年11月公開、前作の好評を受けて製作されたようです。


またつれづれなるままに感想など。

全体的雰因気は第一作に比べより「喜劇」にふっているような感じを受けました。
第一作とくらべて登場人物のキャラは単純化されていて「こいつなんだ?」という不安感を感じない気がしました。
(第一作も基本は喜劇なんですが)
寅さんが実の母親に冷たくされて、失意で柴又に帰ってきたときの場面などは吹きだしてしまいました。

この喜劇的スタンスは基本的に次作以降のシリーズに受け継がれていくことになるのでしょうか?
冒頭「夢」から始まるのもシリーズ恒例となっていくわけですがこれも本作からのようですね。

今回のマドンナ夏子さん、あれだけ寅さんになれなれしくボディタッチしていたら...。
まぁ勘違いしますよねぇ…。
ひどい話です。

また夏子さん役の佐藤オリエの本作での演技の下手さも目につきました。
それはそれで罪意識のない感じがでていていいのかもしれませんが…。

マドンナの恋人役になる山崎務の画に書いたような二枚目ぶりも氏の後の個性派ぶりを考えるとなかなか興味深かったです。
「必殺仕置人」の念仏の鉄ですからねぇ。

寅さんの昔の先生役の東野英治郎も黄門さまを思いだしなんとも懐かしいものでした。
死の直前に自分の娘の幸せと、「寅さん」という存在への「教師」としての愛情との相克のようなものの見せかた、うまかった...。

実の母親に冷たくされたときの寅さんの哀しみ方はどこか嘘くさかったのですが、先生が死んだときの寅の哀しみぶりを見ると寅さんの「純粋」さがわかるという仕掛けでしょうかねぇ。

その辺も後のなにやら安心感のある寅さんシリーズにつながっていくような感じは受けました。